文・五十畑 裕詞
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第4回 港猫ブルース Part II いない。どこにもいない。 鴨川漁港にはどこにも猫がいなかったのだ。 私はときどきテレビで見るギリシャの漁港で漁師にお魚をもらいながら呑気に暮らす猫の群れを想像していた。猫たちは誰に対しても友好的。普段は廃船や網なんかを置いてある小屋のそばに隠れているが、人の姿を見かければすぐにすり寄ってきてスネのあたりにアタマをグリグリとこすりつけ、ちょっとなでてやるとすぐに腹を出してゴロゴロ鳴き続ける――そんなことを考えていたのに、だ。 猫がいない。 その日は日曜日、漁港が休みで漁師の姿はほとんど見受けられない。ということは、猫たちはひょっとすると今日はお魚をもらえない日なのだ、とわかっているのかもしれない。私は踵を返し、ちょっと寂れた感のある港町――港のそばの商店街の方へと向かった。街にはきっと今日の食事にありつこうとするたくましいけどちょいと呑気な猫たちが、いっぱいタムロしているはずだ。魚屋や乾物屋の店先で、店主とマイペースな格闘を繰り広げているにちがいない。海の男、海の女を引退したジジババと日なたぼっこをしているにちがいない。電柱にとまるトンビの群れにケンカを売っているにちがいない――。 ところが。 街にも猫がいない。いない。やっぱりいないのだ。 困った。嫌われているのだろうか。不安がアタマをかすめるが、よく考えるとこの程度のことで不安がる必要もない。だが不安だ。ココロがズタズタにされたような気分になる。ここでも嫌われちゃうのかよ、オイ。 私は港町での猫発見を諦め、鴨川駅の方に向かってチンタラちんたらと海岸線に沿って歩きはじめた。海沿いの道には旅館や土産物屋が多い。ひょっとすると、猫好きの店主や仲居さんに養ってもらっているかも…。 波音に耳を傾けながら、砂浜の上を歩き続ける。視線は海、空、砂浜、道の向こう側に軒を連ねるお店や旅館――のローテーションだ。 海。千葉の海は波が荒い――というイメージがあったが、ほんとうに荒いような気がする。見比べたことがないのでよくわからんが。 空。やっぱりトンビが多い。鳴き声が輪唱になって聞こえてくる。 砂浜。野球部員がランニングしている。砂浜でのランニングは足首への負担が大きいのでほんとうはよくないのだが。 道。ヤシの木が道に沿って植えられている。そこを散歩する犬連れのオッサン。レトリーバーだ。ヤシの木の根元にシッコをかけている。ウンコは持ち帰るのだろうか、それとも海に捨てちゃうのだろうか。 この繰り返し、というわけではないのだがきょろきょろと視線を変え続ける。しかし、やっぱり猫は見当たらない。 と思ったら、やっと見つけた。グレーっぽい茶トラだ。オオオッ。ヤツは道端に止めてあったRV車の影からちょいと現われたかと思ったら、すぐにどこかへ消えた。鴨川の猫は忍法を使うらしい。でなければ、加速装置がついているのだろう。目にしていた時間は、おそらく1秒にも満たない。 海岸道路が途切れたかな、と思ったら児童公園にたどり着いた。気がついたら公園にいたのだ。道路と公園の境目がいい加減なのか、それとも私が上の空だったのか。 おっと。ここにもいたいた。今度の猫は二匹。真っ白(汚れ有)とブチ(汚れ有)のコンビで、メジロを追い掛け回していた。しかしすばしっこい小鳥と愚鈍な野良猫では、ハナッから勝負にならない。メジロはたちまち緑の中に姿を消した。猫たちは見失ってもまだ探し続ける。いい根性だ、探偵になれるぞ――と話しかけようと思い、猫のほうに歩み寄ってみたら猫のヤツめ、こちらを見るやいなや般若のようなものすごい形相をし、二匹そろってでっかい声で「ミギャア」と鳴いたかと思ったらクルリと反転、草むらのなかにスッタカターと消えてしまった。 猫とコミュニケーションを求める私が悪いのだろうか。それともこの二匹の性格が悪いだけなのだろうか。 結局この二匹が出会いの打ち止め。この日、これ以上猫を見かけることはなかった。クシャミが出る。寒風吹きすさぶ屋外ショー会場で踊り狂うイルカを見たときに風邪を引いたのだろうか。家ではクシャミをすると破裂音や摩擦音の嫌いな花子が「ミャミャミャミャミャミャミャ〜ッ」といって抗議する。だから私にはクシャミをしたあとは必ず花子に謝る習慣がある。 私は家に帰って花子に謝りたくなった。 ●バックナンバー● ●第3回「かんちょとねぞう Part II/港猫ブルース Part I」 ●第2回「かんちょとねぞう Part I」 ●第1回「愛犬が怖くて触れない」 |
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