文・五十畑 裕詞
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第2回 かんちょとねぞう Part I かんちょとねぞう。 と書くと、何のことかわからないだろう。さて、これ何でしょう? 答えは…内緒。この駄文、最後まで読めば必ずご理解いただけるはずだから。え、もうわかってるから、謎解きなどいらない…!? いいじゃん。つきあってくださいよ。 さて。 我が家の女王猫である花子は、先に書いた通り、私がはじめて飼った猫でもある。そもそも犬派であった私だが、妻が猛烈な猫好きであるために転向を余儀なくされた。まあ、動物ならなんでも好きだったから、すんなり転向できた。新婚1年目のことである。 はじめての猫。私はこの動物をハナからなめてかかっていた。こんなゴロゴロする動物、実家にいるイングリ(作者の実家で飼っていた史上最強の凶暴犬。詳しくは第1回参照)に比べたらちょろいもんさ。気まぐれだとかいうが、あいつよりはマシだろう。 ところが。 飼い始めて数日後に、私はこの動物の奥深い魅力と飼うことの難しさを痛感することになる。 花子は「ソマリ」という種類の純血種だ。当時はまだ珍しく、ペットショップでは20万円以上する高価な品種だったが、妻はブリーダーさんと直接交渉し、よい猫を格安でお譲りいただけることになった。すでに横浜にあるブリーダーさん宅で生まれたばかりの子猫たちを見てきたという。見ただけではない。遊んできたという。なんだと。格安なのはお得でいい。だが、ひとりで子猫と遊んできたとなると許せん。けしからん。夫を出し抜くな。 妻は私の発言を「その猫でいい。早く連れて帰ろう」と解釈したようだ。じゃあ猫見に行こうよ。ということで私たち夫婦はクルマに乗って横浜のソマリブリーダー・Yさん宅に伺った。 そこで実際に生後2ヶ月の子猫たちを見せていただき、元気のよさそうだった雌猫を金ン万円と引き換えに連れて帰った、というエピソードは、今回は割愛させていただく。 問題は…そうだ。「かんちょとねぞう」の前半部分にかかわる事件は、この愛らしい子猫を連れて帰ってから数日後に起こる。 花子が五十畑家に来てから3日目のことである。いや、正確には「3日目になってはじめて、私たちが気付いた」ということなのだが…。 この猫、1度もウンコをしないのだ。…と書いちゃうと、「かんちょとねぞう」の「かんちょ」とは何なのか、わかっちゃうかな? まあ、いいや。とにかく、ウンコが出ないのだ。 ウン気づいてはいるようで、トイレに行ってチャレンジしてはいるが、「フーン! フーン!」と頑張っているにもかかわらず、ご本尊が出てこない。生後2ヶ月にして多くの成人女性を悩ます便秘である。糞詰まりである。おいおい、イングリは快便だったぞ。 本人(本猫?)には申し訳ないが、トイレでピーピー言いながら苦しむ花子は愛らしかった。おそらく自分である程度の主導権を持ちながら動物の世話をするのが、初めての経験だったからであろう。家族に感じるような愛おしさを、糞詰まりという極限状態を通じて、花子は私に教えてくれたのだ。ああ、あなどりがたし、猫。 しかし、私の心境が変わったことなど花子には関係ない。ウンコが出ないと困るのだ。つらいのだ。やばいのだ。花子が困ると、私たち夫婦も困る。たった3日間生活を共にしただけだが、すでに花子は家族の一員だった。家族の苦しみは自分の苦しみ。家族の便秘は自分の便秘。 妻は便秘知らずの快便体質。私は自他ともに認めるGeri-P派であるから、便秘の苦しみがわからない。だが、ここは便秘の気持ちを理解しなければ。そして対策を考える必要があるのだ。便秘。そんなとき、人はどうするか。 答え。かんちょである。 そうだ。あの、かんちょ。いちぢくさんの、かんちょである。漢字で書くと、浣腸。小学生の頃、唐突に友達の尻の穴に指を突っ込んで悪ふざけした「かんちょ」である。「うー、かんちょ! ちゃっちゃ! ちゃちゃちゃちゃちゃ!」とマンボのリズムで悪ふざけした(少なくとも私は)、あの「かんちょ」のことだ。 動物病院に電話してみると、子猫の便秘には赤ちゃん用のかんちょがよいとアドバイスされた。 私は薬局へ走った。かんちょを買いに。新婚ホヤホヤだった私が、赤ちゃん用のかんちょを買うのだ。当面子作りの予定のなかった私が、だ。 なんとも複雑な気持ちで「いちぢくかんちょ・乳幼児用」を購入した私は、帰宅後さっそく花子を膝の上に乗せ、かんちょしようと試みた。花子、もうすぐご本尊をおがめるぞ。いちぢくさまの力を借りて、ぽっとんぽっとんと出したまへ。ウンコを。 私は包装袋からかんちょを取り出すと、おもむろに花子のしっぽを持ち上げ、肛門の位置を確認するとそこにかんちょを挿入した…なんて書くとエッチな小説みたいだが、とにかく私は花子にかんちょを試みたのである。 「ぴーぴーぴー!!!! ぴーぴーーぴーぴぃいいいいいいい!!!!!」 子猫独特の声で泣き叫ぶ花子。私の耳にはこれが「やめれやめれやめれやめれやめれーーー!!!!」としか聞こえない。つらい。つらすぎる。 苦しむ花子。苦しめているのは、かんちょしない歴20数年の私である。生後2ヶ月の子猫が発する苦悶の声はしっかり聞こえているるのだが、自分の苦しみに置き換えてそれを理解するには、少々かんちょ歴のブランクがありすぎたようだ。私は戸惑いながらも勇気を出してかんちょの丸い部分にググッと力を入れた。「みぎゃぁああああおおおおおぉおおおおおうううう!!!!!!。 数分後、花子と私たち夫婦はめでたくご本尊を拝むことができた。が、それ以来、花子は尻尾を触られることに過剰なくらい敏感になってしまった…。 この「生まれて初めての試練」とも言える苦痛の体験によって、花子が「あのおっさんにやられた」と強く認識したのは言うまでもない。そして、次におこる「ねぞう事件」によって、私は愛描から決定的に嫌われることになるのである。その「ねぞう事件」については、次回とさせていただきたい。 せめて私がつい最近かんちょをしていれば、その苦しみをあらかじめ理解できて…いたかもしれないし、できなかったかもしれない。確かなのは、心が真っ白な紙のような状態だった花子にはじめて「嫌だ」という感情を抱かせてしまった原因が「かんちょ」にあること。花子の女王様気質は、ひょっとするとかんちょによるトラウマに起因する…のだろうか。きっとそうなんだろうなあ。 猫も人も同じ生き物、嫌なことをされるのは嫌。これはきっと、普遍の真理なのだ。なぁ、花子。俺はちょいと、そこんところをわかっていなかったようだよ。でもな、あのときかんちょしなかったら、おまえはもっと苦しんだんだぞ。多分。 ●バックナンバー● ・第1回「愛犬が怖くて触れない」 |
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