「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞
二〇〇五年三月
 
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三月一日(火)
「紫空」
 
 五時三十分起床。六時三十分、事務所へ。南の空にまばらに浮かぶ雲が朝陽に照らされて紫色に輝いている。紫とは神聖で高貴な色だと聞いた。古人たちは日の出の空を染める紫の光に、神々しい存在を感じ取ったのかもしれない。現代人がこれになにか感じるとしたら、排気ガスやオゾンの破壊が原因の、自然現象の異変といったところか。自然とは、文明が発達するにつれてロマンを失う悲しい存在なのかもしれない。
 
 T社カタログなど。午後よりM社パンフレットの件で小石川に向かうが、急に打ち合わせの時間をずらしたらしく、もう終わったあとだった。腹を立てる気にもならず、至って平常心で帰宅。オレも大人なんだなあ。
 
 夕方、高田馬場のO社で打ち合わせ。二時間もかかってしまった。
 
 二十二時終了。「叙家柵」で食事してから帰宅。0時三十分、就寝。

 
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三月二日(水)
「接触」
 
 アクロバティック。肉体の動きも、物語の動きもアクロバティック。ぼくはあちこちを走り回る。街中を抜け、人間関係の迷路を抜けて。そんな内容の夢だったと思うが、詳しく思い出すことができない。五時三十分、しばらく夢の余韻にまどろみつづけた。気づけば花子が胸の上に乗って鳴いている。六時、起床。
 
 七時、事務所へ。G社企画、E社ウェブサイトなど。午後、吉祥寺の某ショップで店頭視察。ついでに「仲屋むげん堂」に寄り、最近ハマっているお香を購入する。
 
 二十一時、店じまい。事務所でお総菜を食べてから帰宅する。
 
 夜、花子と麦次郎のニアミスあり。先日苦心して作ったパーテーションのおかげで接触せずに済んだ。しばらくはふたりとも「びっくりしたよー」と鳴きつづけていたが、花子はすぐに落ち着いて、今ではぼくの横で毛づくろいをしている。書斎にいるはずの麦次郎の鳴き声も聞こえないから、興奮しているわけではないのだろう。
 
『神との対話』。現代の教育と政治の過ちについて。


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三月三日(木)
「無息」
 
 六時に起きふにゃふにゃと鳴きつづける花子を「いいこだねー」とほめ散らしごまかすようになだめ有頂天になったところでこっそりと家を出て七時、事務所の掃除をささっと済ませてE社ホームページのコピーをささっと書き上げ十時に小石川のL社で打ち合わせをするがこちらはあいにくささっとはいかずなかなか答えが見いだせなくて四苦八苦だがだらだらとそれがつづくから苦しんでいる感覚などまるでなくむしろ答えを見つける過程が楽しく思えてしまい四苦八苦が四楽八楽へと変わりはじめたところで打ち合わせ終了、後楽園のメトロエムにある「アフタヌーンティー」でとびっこのカルボナーラで昼食、クリームと卵のまったり感ととびっこのぷちぷち感の対比がおもしろくて美味だがゆっくりあじわっているほど時間はなさそうだから、慌てたわけではないがまあ「そそくさ」という程度に急いで事務所に戻り、ファクスで大量に送られてきたE社パンフレットの赤字を取りまとめ、ちょっとだけ休憩で雛祭りだから桜餅を食い、雛祭りではなく暇祭りになりたいなどとほざていたらあっという間に夜になり、またまた「そそくさ」という程度に急いで帰宅、すると花子がさみしいといわんばかりの甘えかたで、なるほど我が家族みんながしあわせになるには、ぼくらが遅くまで働いたりせずにはやく家に帰ることが大切、ならばどうせ人を雇う予定などないのだから、思い切って自宅兼仕事場となるような場所へ引っ越して一日中猫たちといっしょにいたほうがいいかな、そんな暮らしをする自分たちを夢想していたら外は雪、しんしんと降り積もる雪の音を聞いてみようと蒲団の中で耳を澄ませていたらいつの間にか眠くなり、眠り、夢を見ているうちに静かに夜は明け、雪化粧をした次の朝がやってくる。
 
 
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三月四日(金)
「分眠」
 
 四時、花子に腕を噛まれて起床。ゴハンをやる。
 六時起床。風にあおられながら白くけぶり舞い散る雪、その複雑な動きに見とれながら青汁を飲む。雪に青汁は似合わない。雪の白はあらゆるものを浄化するように見えるが、青汁の緑は不自然なほどの生命力をむやみやたらに周囲に誇示しているように見えなくもない。今年は雪が多い。だから猫たちはもう雪なんぞに気を取られたりはしない。じっと窓の外を見ているその視線は、雪そのものを見ているわけではなさそうだ。雪けぶりのなかから、カラスや雀やヒヨドリが現れないかが気になるらしい。我が家の猫たちは、青汁とはまた違った生命力と好奇心に満ちている。
 
 七時、事務所へ。時折窓の外に目をやる。雪の様子を、というよりは雪の舞い散り方を確認したいのだ。舞う雪の数はすこしずつ減りはじめている。午後は大変なことにはならなそうだ。その安心感が原因なのかはよくわからないが、今日一日の、眠いこと眠いこと。午前中はG社の企画を考えながらも何度も意識を失った。五度や六度では済むまい。眠気に負けるたびに、ぼくの意識はどこかへ飛び、あったこともない人と意味不明の会話をしたり、小学生のころに戻ったり、異国を旅した利を繰り返している。午後も眠かった。雪はやんだが、眠気はやまない。二度、三度居眠りをしてしまった。日記を書いている今も、瞼が重くてしかたがない。
 
 Tungsten Cに、日本語変換ソフトのATOKをインストールする。入力が楽になった。ひさびさに愛情を感じることのできるデバイスを手に入れたからだろうか。
 
 
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三月五日(土)
「気合」
 
 八時起床。口の中に唾がたまっている。吐き出してみると、うっすらオリーブ色がかった痰だった。喉に意識をやる。痛む。胸に、気管と肺のあたりに意識をやる。気管にちょっとだけ違和感がある。ああこれは風邪だな、と思ったら頭が少し痛んだ。まいったな。でも、母親の誕生日プレゼントを買うチャンスは今日しかないのだ。掃除を済ませ、ごごからカミサンと気合いを入れて吉祥寺に向かう。伊勢丹ではちょうどいいモノが見つからないが、そんなはずはない。絶対にあるはずだ、とさらに気合いを高めつつ東急へ向かうと、あっけなくちょうど良さそうな春物のニットを発見できた。つづいて「ロジャース」で猫缶などを買って帰宅。
 
 夜、突然インスピレーションがわいた。気合いのおかげか。
 
『神との対話』を読み進める。
 
 
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三月六日(日)
「脱力」
 
 八時、目が覚めるがだるくて体を起こせない。昨日は気合いでなんとかした風邪が、なんとかならないレベルになったか、それとも気合いが抜け、脱力したおかげで風邪の症状をより強く感じるようになってしまったのか。今日はくみぷり。さん宅に猫のちびっこを見に行く「猫いじりの会」の日なのだが、悪化すると困るのでドタキャンすることに。終日花子と寝て過ごした。おしまい。
 
『神との対話』第二巻読了。
 
 
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三月七日(月)
「犬息」
 
 風邪はまだ少しだけ体のうわっつらに残った感じで、それと関係あるのかどうかはわからんが首を寝違えた。いや、寝違えたわけではない。激痛が走るわけではない。だが、痛い。首を曲げると、じわりと痛む。今、「じわり」と打ち込もうとして「JIWARI」とキーをたたいた後でうっかりスペースキーを押して変換してしまったら「地割り」と出た。
 首を曲げると、地割りと痛い。
 なんだこりゃ。イメージがいきなり壮大になってしまった。みっともない体の不調を書いたつもりが、巨人神話、破壊心神話へと日記が変容しようとしてしまった。そんなつもりは毛頭ない。ぼくの日記はみみっちいのだ。個人の視点で、個人を描く。個人をつづる。それが日記だ。日記は神話ではない。
 
 六時、蒲団の上でしつこく甘えつづける花子をはねのけて起床。七時、事務所へ。吐く息がいつも以上に白く街の空気を染める。だが、その白さは真冬の白ではなくて春の白だ。外気は息を白くするほど冷たいはずなのに、不思議とその外気と接している肌は寒さを感じていない。ポケットから手を出し、マフラーをはずし、コートの前ボタンもはずして大股で歩いてみる。そばを通り過ぎた犬っころの吐く息も白かった。犬が寒いと感じているかどうかはわからない。だが、犬もまた吐く息の白さに楽しさを感じていたようだ。虫の息、といえば臨終の緊張感に胸詰まる思いがするが、犬の息なら少々においそうではあるが、愉快さと元気さに満ちている。犬を飼うのもおもしろそうだ。
 
 G社企画など。午後、愛用のPDAが無限リセット地獄に陥ってしまう。おかしなソフトをインストールしすぎたようだ。初期化し、バックアップデータをリストアし、なぞの文字化けを解消し、重複してしまったデータを消去し、そうこうしていたら三時間も過ぎた。PDAとうまくつきあうには、いじりすぎないこと、バックアップを怠らないこと。この二点が重要だ。
 
 二十時、帰宅。花子と麦次郎は順調にもとの仲へと戻りつつある。
 
『神との対話』第三巻を読みはじめる。
 
 
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三月八日(火)
「消失」 
 
 宇宙船が落下しては浮上し、また落ち、また浮上し、また落ち、地上の建物は軒並み破壊されるがぼくはまったく被害を受けない。宇宙船から出てきたのは、小柄でけむくじゃらの宇宙人だか未来人だかで、生殖器が異様に退化している。……誰だ、コイツらにマスターベーションを教えたヤツは。と思っていたら軽自動車が通りかかり、運転していたのは高校の同級生のSだった。その妻のKもいっしょだ。あれ、Sよオマエいつからアトピーになったんだい、と世間話をしていたら、いつの間にか高校時代の仲間が回りに集っている。あれやこれやと昔話に花が咲き、気づいたら真夜中だ。外に出ると、甲高い女の声が聞こえてくる。女子高生がコウモリのように夜の街を飛び交っている。波動が低くなると、近い未来にニンゲンはみなこの形態になるらしいと何かが教えてくれた

※ここから先、データがファイル操作ミスで消失してしまった。
 
 一日、仕事をしていたと思う。夕方、「アルゴシティ」に新居の相談に。
 
 
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三月九日(水)
「消失」
 
 得意先で缶詰になっていたようだ。
 
 
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三月十日(木)
「消失」
 
 仕事。カイロプラクティックにも行った。 
 
 
 
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三月十一日(金)
「消失」 
 
 仕事に没頭。
 
 
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三月十二日(土)
「消失」 
 
 不動産物件、三ヶ所内見。一ヶ所目がいたく気に入る。
 
 
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三月十三日(日)
「消失」 
 
 不動産物件、一ヶ所内見。気に入らず。
 午後、吉祥寺で買い物。
 
 
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三月十四日(月)
「消失」 
 
 終日仕事。
 
 
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三月十五日(火)
「消失」 
 
 データを消失したのは今日だ。自宅で使うハンドヘルドPCから、コンパクトフラッシュを使ってデータを会社のMacに移した際に、うっかり新しいファイルに古いものを上書きしてしまった。この五日間は新居に関して、そしてすこしずつやってくる春に関して、そのた、さまざまなぼくが感じたことに関して、いつもより濃いめに描写していたから少々ショックではあるが、まあ消えてしまったのだからしかたない。問題は、このミスから何を学び、何に活かすかだ。
 
 六時起床。七時、事務所へ。
 十一時、D社にて打ち合わせ。恵比寿の「krantz」で昼食を摂ってから、五反田のL社で打ち合わせ。十六時帰社。二十二時、終了。
 
 データ消失で感情的になってはいないと思う。落胆も悲嘆もしていない。だが、今日の日記はいまひとつ身がはいらないなあ。ま、しかたないか。一晩眠って、リフレッシュしよう。
 
『神との対話』。魂について。
 
 
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三月十六日(水)
「緩急」
 
 たとえ一日が終わるころに「今日はなんだか締まりがなかったな」と思っても、朝は意外に気合いに満ちているものだ。近ごろは、朝起きると洗面所で鏡に向かってガッツポーズというまぬけなことをしている。ホントにまぬけでアホくさいのだが、これが意外に効果があるようで、少なくとも午前中は気を張って仕事をすることができる。問題は、このアホくさい習慣による集中力を午後も継続させることができるかという点にある。今日の場合は、ぼくの意志で集中力を持続させることができなかったのではなく、ヒマなので集中する必要がなかったということになる。やっかいなのは、ヒマでも仕事はまばらにあることで、作業するときはそれなりに気合いを入れる必要があるから、緩急のリズムがいつもより激しく波瀾万丈なのだ。
 
 六時起床。花子と語らいながら身支度する。
 七時、事務所へ。ガッと仕事し、だらりと休みを何度も繰り返す。午前中、チラリと吉祥寺の「リブロブックス」で買い物。午後は「Rosso」で髪を切る。
 二十時、店じまい。
 
 今夜も花麦はリラックスしている。引き合わせても、平常心のまま。ゴールは目前だ。
『神との対話』。愛について。
 


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三月十七日(木)
「睡魔」
 
 眠気との戦い、という言葉があるが、戦う対象であるということは、眠りとは敵なのだろうか。惰眠をむさぼる、などとぼくもよく表現するが、実際のところは身体も精神も眠りを欲求しているから眠りつづける、ただそれだけのことだ。今読んでいる『神との対話』では、眠りはどうやら魂のためにあるものらしい。窮屈な肉体、物質というしがらみからの一時的な解放のために人は眠り、そのあいだ魂は時空を越え、現実と超現実のはざまを往復することになる。これが正しいのかどうかはよくわからないが、眠りもまた貴重な体験であることを最近痛感している。夢からインスピレーションを受け、それがモノを書くという行為に活かされることもある。はたまた人生そのものに活かされることだってあるのだ。そう考えると、無理に睡眠時間を短縮してその分を学びや自己実現に活かせないかと考えていた自分がバカみたいに思えてくる。眠ければ眠り、起きていたければ起きればいい。ただそれだけの話なのだ。
 で、眠気である。今朝は三時半に花子に起こされ、四時半にも起こされ、そして六時に起こされた。六時は起床する時間としてはちょうどいいから問題ないにしても、三時半、四時半はかんべんしてほしい。この「起こされる」という行為が、眠気との戦いを引き起こす。実際、この文章を書いているぼくは眠気と戦っている。目が泳ぐ。パソコンのモニタがさっきから縦に小刻みに動いている気がして仕方がない。自分の目は、釈迦のようは半眼になっている。半眼を保ちつづければ聖人であるが、それがときどき閉じ、そのまま意識も閉じてしまいそうなのだからたちが悪い。眠気と戦う必要が生じる。しかし、どうやって戦えばいいのだろうか。戦わずに蒲団にはいったほうが賢いこともわかっているが、これは書く者の宿命なのだろうか。指が動きつづけてしまう。眠りそうになりながらも、じゃあこの状態を書いてみようという衝動におそわれてしまう。
 と書いている最中も、ぼくは睡魔におそわれている。が、おそわれても恐怖を感じないのだから、そのまま身をゆだねるのがいいと思う。
 
 七時、事務所へ。終日作業。指示待ちの時間が多く、待たされるたびに眠った。
 
 今日はうりゃうりゃの命日。通風で苦しみながらなくなって、もう二年も経つ。あいつのことだからあの世で元気にやっているか、もう別の鳥に転生してあちこち飛び回っていると思う。死をわかれと考えると悲しいが、旅立ちと考えれば応援してくなる。ふしぎなうらやましささえ感じる。
 
 
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三月十八日(金)
「回転」
 
 あわただしい一日になることはわかっていたから、うまく一日を回そう、自分自身も上手にまわろうじゃないかと朝から決めておいた。実際は、どうなのだろう。思う方向とは逆に
 
 六時、起床。七時、事務所へ。九時三十分、T社のN氏来訪、一時間半ほど打ち合わせ。その後は、無理やりたまった仕事を圧縮させながらこなした一日。十六時、霞ヶ関のD社でプレゼン。終了後、高田馬場のO社で打ち合わせ。十八時、帰社。二十一時、終了。

 買ってきたお総菜を事務所で食べてから帰宅する。
 
 花麦、良好な関係になりつつある。互いに親愛を感じているようだ。
 
『神との対話』。
 
 
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三月十九日(土)
「催眠」
 
 七時三十分、起床。掃除、片づけをパパパと済ませ、十一時三十分、西荻窪駅へ。すっきりと晴れているが、うっすらと黄色いもやがかかって見えるのは、春の霞か、杉花粉か、それとも大陸から来る黄砂なのか。
「猫ヶ島」のしまちゃん、占い師の千水さん、セラピスト修行中のカオカオ、日曜陶芸家のK子と待ち合わせ。「モカッフェ」で昼食をとってからわが家へ。仲間うちでは「魔女会」と呼んでいる会合。精神世界、セラピーや東洋医学などに関心のある仲間があつまっての勉強会とでも言おうか。ま、半分は遊びである。
 今日は、しまちゃんが六本木ヒルズのカルチャースクールで習ってきたという足裏マッサージ、リフレクソロジーの簡単体験がメイン。千水さん、春分の日が誕生日なのでついでに誕生日祝い。「ウォーターブルーカフェ」に注文しておいたケーキを皆で分ける。
 後半戦、ぼくと千水さんは別室で催眠療法をすることに。ここではちょっと書けないことが……!
 夜は宴会。「えんづ」で飲む。といっても、アルコールを飲んだのはぼくと千水さんだけ。ほかのみんなは、基本的には飲まない。
 

 
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三月二十日(日)
「睡眠」
 
 喉が痛む。微熱もある。どうやら風邪の引きはじめらしい。大事をとって、一日寝て過ごした。
 
『神との対話』を読み進める。
 
 北九州で大きな地震。そういえば、催眠療法中に浮かんだ日本の地図から、九州がなぜか欠落していたんだよなあ。暗示だったのだろうか。

 
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三月二十一日(月)
「等分」
 
 春分の日。昼と夜の長さが等しい日だ。陰と陽のバランスが中和した状態、と考えると、わが友千水さんの誕生日がこの日であることは運命としか思えない。
 などと書くとぼくは運命論者なのかと言われそうだが、その通りである。運命のないニンゲンなんて、この世にはひとりもいないのだ。ひとつの大きな運命、宇宙規模の大きな意志、大きな運命があり、それはぼくら、ニンゲンをはじめとするあらゆる存在の運命で構成されているのではないか。ならば、因果とは運命のネットワークであり、時間とは運命の累積だ。そして、どういうわけかこの運命というヤツは、自分の意志である程度変えることができるらしい。だから、ニンゲンは意志で因果も時間も操作できる――最近はそんなことばかり感じ、考えている。
 
 七時三十分、起床。晴れた空と澄んだ陽の光は春そのものだ。春分の日の調和の状態はわが家の猫たちにも同様に訪れているようだ。麦次郎は朝からしきりに花子を求めて鳴き、花子も麦次郎を受け入れている。やっかいなのは、花子が麦次郎を今までどおり八つ当たりの対象としても再認識してしまっていること。これが花麦の運命ならば、ぼくとカミサンで二匹の意識を変えてこの運命を変えてしまったほうがいいかもしれない。もっとも、それが正しいことかどうかはよくわからないのだが。まあ、正しいことならいつか確信を感じることができるだろう。
 
 午後より外出。吉祥寺の中古レコード店に、また聞いていないCDを売りに行った。これでほぼ、ほんとうに保管しておきたい作品以外はほとんどすべてうっぱらってしまったことになる。約二百枚のコレクションが、五十枚程度まで減ってしまった。
 つづいて西荻窪のアジア雑貨店をはしご。バリものが多いお店で、猫の置物をふたつほど購入する。
 不動産屋「アルゴシティ」へ。また物件を調べてもらう。結局気に入った物件は見つからず。最初のマンションがいちばん理想に近い。が、ひっかかるものがあるのでまだ決定していない。
 
 夕食はひさびさにキーマカレーを作った。ちょっと辛すぎたかな。
 
『神との対話』。地球外生命の、地球の文明に対す救済あるいは干渉。
 
 
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三月二十二日(火)
「信愛」
 
 家庭内、というよりは夫婦間のちょっとした問題が起きた。あっという間に解決してしまったが、起きているそのときは危機である。友人の導きと自分たちの信念、そしておたがいの気持ちの確認ですべては元通りになった。詳しくは書けないが、原因はほとんどぼくにある。増長していたというべきか、ゆがんだ自己愛に囚われていたというべきか。だが、問題はなくなった。あとは、この経験を未来につなぐだけである。すべては学びだ。世界には、教材にならないものなんて学校で教えるカリキュラム以外にはなにもない。そして、学びとはすべて愛に通じる。
 
 五時三十分、起床。六時三十分、事務所へ。午前中はE社ホームページなど。そして前述の家庭内問題。十時ごろに勃発、だが十二時には解決。昼ゴハンを食べながら、どうしてこうなったのかをゆっくり話し合った。
 午後、外出ついでに新宿の中古カメラ店に使っていない一眼レフを売りに行く。そのまま小石川のL社へ。M社PR誌の打ち合わせ。カメラ屋から査定が済んだと連絡があったので帰りに立ち寄ると、七万円ももらえてしまった。
 
 二十時、業務終了。カミサンといつものように帰宅する。
 
『神との対話』第三巻読了。気づいたこと、思い出したこと、学んだこと。書き出したらきりがないほどだ。神が語った「三つの基本的な知恵」だけ書き出しておこうと思う。
 
●すべては一体であり、ひとつである。
●いま、すべては充分であり、足りないものは何もない。
●しなければならないことは、何もない。
 
 
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三月二十三日(水)
「作用」
 
 六時起床、とはいえ夕べはほとんど眠れなかったのだから、起床と呼んでいいのかどうか。しかし目覚めの感覚は淀んでいない。頭が濁った感覚もない。いつものように身体を起こし、いつものように身支度する。いつもとちょっと違うのは、花子がかなりハイテンションなのと、麦次郎がしきりに花子に会いたがっている点だ。
 
 七時、事務所へ。E社ホームページ、M社PR誌など。
 しまちゃん、ゆうりさんたちからメール多数。千水さんには電話で昨日の経緯を説明した。今日になって、裏側で、いや本質的な部分で働いていた力の存在を知り仰天する。
 
 二十一時、店じまい。「バルタザール」で夕食。「ほびっと村通信」で興味があったヒプノセラピーの入門講座が開かれることを知り、さっそく申し込むことにした。
 
『スピリチュアル・グロース』を読みはじめる。屈託がなく、にぎやかな本。
 
 
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三月二十四日(木)
「必然」
 
 五時三十分、起床。麦次郎、花子に会いたがっているが朝は二匹に気を配りながら身支度することはかなり難しいので我慢してもらう。まだほったらかしにするほど二匹の関係はこなれていない。熟成するには、もうすこし寝かせておく必要があるのだ。
 
 六時四十五分、事務所へ。道すがら、ここではちょっと書けない事件が起こる。事務所でも起こる。
 しまちゃんからメール。今朝の事件を報告したら、その裏話――と表現してよいのかよくわからないが――を、一昨日のぼくら夫婦の事件も絡めながら、というよりはそれとの因果関係を、詳しく説明してくれた。
 世界は偶然に満ちている。そして、偶然同士は見えない因果でつながっている。だから真の偶然などというものは、ない。そんなことを思った。
 M社PR誌、E社パンフレットなど。午前中はM社のショールーム視察。
 近所のすし屋のばってらで昼食。
 夕方、カイロプラクティックへ。左肩から背中に至る筋の痛みがクセになりつつある。改善せねば。いや、もう改善した! 二度と再発しない!
 
 夜、事務所で「志村どうぶつ園」とかいう番組を見る。昨年末の志村家空き巣事件の犯人の目撃者である志村の愛犬に、アニマルコミュニケーターが質問して犯人像を割り出すという企画をやっていた。犬が開放してほしくてたまらなくなっている。
 二十時三十分、帰宅。
 
 不動産屋から連絡。吉祥寺のあるマンション、週末に内見することにした。
 
『スピリチュアル・グロース』。うーん、邦訳が下手っぴだなあ。
 
 
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三月二十五日(金)
「春兆」
 
 五時三十分、起床。平穏な朝。 
 
 六時三十分、事務所へ。咲きにほころんだ早咲き種の桜、膨らんだソメイヨシノのつぼみ、散り際の梅。春のきざしはあちこちで見つかるが、気温の方はまだ冬をひきずっている。とはいうものの、三寒四温といういうが、二寒五温、一寒六温と、すこしずつ温が増えているという実感はある。

 M社PR誌、E社Web サイトなど。
 十一時、小石川のL社で打ち合わせ。
  十三時過ぎ、帰社。昼食をとりながら仕事する。
 二十時三十分、店じまい。「五鉄」で焼肉を食べてから帰宅する。
 
 
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三月二十六日(土)
「依存」

 七時三十分起床。温かな陽射しがリビングいっぱいに差し込んでくる。猫たちは陽を全身に受けながら、いきなり春めいた部屋の様子にとまどっているのか少々落ち着きがない。
 
 留守中の義母宅で桃子の世話をしてから荻窪の不動産店へ。吉祥寺、三鷹、方南町の物件の内見をするが、いずれもハズレ。方南町の物件にいたっては、不動産屋の事前調査が悪いのだろう、道に迷って一時間以上を無駄にされた。三軒見終わり、気に入らなかったことを率直に話すと、四月になると物件が減るから妥協してでもすぐに決めたほうがよいと説得にかかってきたが、その言葉にまるで力がない。三月に売却する人もいるわけで、せかしているのは三月は期末であり自分のノルマ達成の問題があるからだということはお見通しだ。内見後、不動産屋のオフィスでほかの物件の資料を見せてもらう際に、上司に怒られたのだろうか、その怒ったらしき上司が同席してきた。担当者の手が震えている。こんな雰囲気で一生の住まいを決められるとでも思っているのか。不思議だ。あげくのはてに、上司はなんの挨拶もなく中座してしまい、ぼくらがオフィスを出る際も顔を出さなかった。売っているものを買うのだから、そこにはお金以外の要素は必要ないといえばそれまでだ。だが、コピーライターを職業としているぼくがこんなことをいうのもナニだが、現代の経済システムはおそらく根底に大きな間違いを抱えている。その間違いがどこにあるのかを探求するのは別問題としても、間違いがあることに気づかぬまま、あるいは気づこうともせぬまま貨幣・金銭の価値をうのみにし、金の力だけに依存した商取引を行うのは危険だ。この不動産屋は、お金だけですべてを図り、お金だけを得ようとしてる。そこにお客が付くわけがない。ここにはもう――内見と情報収集が目的の依頼だったのだが――何も頼まないことにする。
 
 十九時、帰宅。ひさびさに麻婆豆腐をつくるが、なぜか仕上がりが甘くなってしまった。
 
『スピリチュアル・グロース』。
 
 
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三月二十七日(日)
「参拝」
 
 八時、起床。
 掃除。昨日よりさらに春めいた陽射しに機嫌をよくしていると、魔が差したのか、突然花子が麦次郎に攻撃してしまった。大慌てで二匹を引き離すが、ぼくは顔面と足の甲を、カミサンは腕と股を噛まれたりひっかかれたりしてしまった。さほどひどくはないが興奮状態にあるのでしばらく隔離し、冷静になるまで様子を見る。さほど心配はしていない。しばらく冷却期間を置いてからならせば、すぐにもとの状態に戻る。
 
 午後から阿佐ケ谷にあるお伊勢様を祀った神社を参拝。家内安全と引越しの成功を祈願する。
 新宿の小田急で、小学校に入学する姪のお祝いを購入。スニーカーにした。

 義母宅で桃子の世話をしてから帰宅。花子はすでにある程度落ち着いている。最初はすこし威嚇されたが、一時間一緒にいたらいつものように甘えはじめた。
 思うに、引越しの物件選びに夢中になりすぎて、ほんのすこし猫をないがしろにしていたのかもしれない。引越しというニンゲンの都合に、猫の要望も取り入れるべきだということも失念していた。花子は、激昂をつうじてそれを教えてくれたのだろう。
 
『スピリチュアル・グロース』。
 
 
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三月二十八日(月)
「膨蕾」
 
 夕べは花子に一晩中甘えられながら、猫用のケージを置いた書斎で寝袋で寝た。これまでは、猫の喧嘩の直後に落ち込んだ気分でいっしょに寝なければならなかった。だが、今朝は違う。愛おしさに包まれた気分だ。
 六時、起床。めずらしくカミサンもいっしょに起きる。七時、事務所へ。小雨の中、のんびりと湿った街の空気を感じながら歩く。
 十時三十分、小石川のL社へ。桜並木、つぼみが今にもほころびそうなほどに膨れ上がっている。その膨らみによって梢が重みを増しているのだろうか、枝ぶりが妙に平たく見える。並木全体はつぼみのなかに凝縮された桜色をほんのりと空気ににじませているようだ。
 
 午後、占い師の友人・千水さんから「神社からもらってきた手水を家のまわりにまくといいよ」とアドバイスを受けたので、近所の荻窪八幡にいただきにいった。
 
 L社ウェブサイト、E社カタログなど。荻窪経由で買い物してから帰宅する。
 
 異様な食欲。だが、一度立ち上がると胃にたまった食物の量を実感し、たちまち食欲は消えうせる。
 
『スピリチュアル・グロース』。
 

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三月二十九日(火)
「引籠」
 
 六時、起床。昨日も今日もカミサン、麦次郎というわが家の二大ネボスケが早起きしている。カミサンは宵っ張りで無類のテレビ好きだが、番組改編の時期の特番は「つまらない企画が多いので嫌いだ」という。だから、遅くまでテレビを観なくなる。とっとと寝てしまったほうがいいと考えているようで、そうなると必然的に早起きになる。個展のために精力的に絵を描きたいという気持ちも早起きを助長しているようだ。
 そして、麦次郎はそんなカミサンにつきあって早起きしている。
 
 七時、事務所へ。八時ごろ、ちょっと不思議なことが起きる。これは書けないなあ。
 
 E社カタログなど。十一時、O社のDさんと打ち合わせ。これはウチの事務所でやったから、ほぼ一日中事務所にこもりっきりだ。
 
 二十時、終業。夜空が黄色い。中途半端に染められた雲が、ネオンで光る東京の街を覆っている。

 しばらく中断していた五木寛之「私刑の夏」読了。「青春の門」の対極にありながら、おなじテーマを扱った作品、といっていいのかどうか。
「群像」に掲載されていた、町田康「自分の群像」も読みはじめる。イライラする内容。町田はわざとそんなふうに書いているんだろうなあ。
『スピリチュアル・グロース』も読む。
  
 
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三月三十日(火)
「風邪」
 
 六時、起床。朝から喉が痛む。七時、事務所に行き作業をはじめる。桜の開花をネットで知るが心は浮かない。どうも変だ。と思っていたら寒気におそわれた。熱を計る。微熱だ。また風邪か。この季節は、毎年ダメだ。季節の変わり目というやつにぼくの肉体はめっぽう弱い。葛根蕩をのんでおく。
 
 E社ウェブサイト、M社PR誌など。能率が悪い。
 二十時、帰宅。熱は引いているようだが、やはりまだ調子が悪い。
 
『スピリチュアル・グロース』を少しだけ。
 
 
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三月三十一日(木)
「健康」
 
 平穏、静謐。そんな日が二日もつづいた。六時に起き、七時に事務所に行き、一日中、誰とも会わずに仕事する。していることはおなじだが、昨日と違うのは、風邪の症状がけろりと治まったこと。体調がよいと、仕事が開いた感じがしてくる。
 
 ゆうりさんがインフルエンザらしい。かなり収束したのではないかと思っていたが、まだウィルスは飛び交っているようだ。ニンゲン、カラダが資本である。ココロやタマシイも資本であるが、カラダがダメになったらココロもタマシイもダメになる。だからカラダはしっかり管理しなければ。大事にすれば、死ぬまで使える。それがニクタイの本質なのだ。ぼくのように、へっぽこな風邪など引いていてはイケナイ。

 二十一時、店じまい。「モカッフェ」で夕食。看板鳥のもかちゃん、二十個も卵を産みつづけているそうだ。籠を取り替えると気分転換になって産卵が止まることが多い、とアドバイスした。
 
『スピリチュアル・グロース』。今日もすこしだけ。


 
 


  



《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。ようやく、iMacにインストールされていた音楽ソフト「iTunes」の使い方を覚えた。

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