「蹴猫的日常」編 |
文・五十畑 裕詞
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二〇〇五年二月 ----- 二月一日(火) 「応援」 五時起床。花子は今朝もおとなしい。これだけ精神が安定しているのは、やはりバッチフラワーレメディが効いているのだろう。成分名は忘れたが漠然とした不安によいとされるものを調合するようになってから、効果が覿面に表れている。調合はカミサンがした。どうやらカミサンには、ドウブツを癒す才能があるらしい。ぼくとは正反対だ。ぼくはドウブツを興奮させてばかりだ。そしてときたま、それが負の方向で発現する。喜びの興奮、笑いや楽しみの方だけ向いていたい、と最近はよく思うようになった。 六時、事務所へ。うす暗い事務所が少しずつ明るくなってゆくのを感じながらの仕事はなぜか心地よい。時の流れを視覚的に感じることができるからだろうか。いや、おそらくぼくは時間を目だけではなく、肌や耳でも感じている。夜が明ける音というものがある。そのときに動く空気がある。ほんのすこしの気温の上昇に敏感に反応して、空気の流れが変化する。耳に届くのはそのときのほんのわずかな音か。耳を澄ましている感覚はない。澄ませる必要もないほどの静寂が自分を囲んでいるからだ。 E社DM、E社ホームページ、D社PR誌など。 日曜日に訪問したゆうりさんからメールが届く。直接的にではないが、応援された。ヒーリングサロンを開いているくらいだから、第三者に元気を与えるのはゆうりさんの得意技だ。これからも彼女に何度も救われるのかもしれない。自分は誰かを救えるのだろうか。 自分があまり応援をしない人だったと気づく。ガンバレ、といいたいときは何度もある。実際、その言葉を口にすることで自分が相手の置かれた状況に共感していることを示したことは数えきれない。しかし、どこかで自分は相手を否定していなかったか。「キミの努力じゃ、まあ無理だね」と思いつつ、ガンバレとうわっつらだけの言葉をかけていなかったか。自分がそうなら、自分にかけられた「がんばれ」という言葉もほとんどが、うわっつらだけだったのかもしれない。心の底から相手を応援すること。その大切さ、いや大切さというよりその「楽しさ」をしばらく忘れていたのではないか。 日曜日のゆうりさんの表情には、まったく曇りがなかったのを思い出した。千水さんにも、曇りはなかった。もちろん、迷いもない。曖昧さもない。 二十時、店じまい。西友、「リスドオル・ミツ」で買い物してから帰る。今日はお昼ゴハンもリスドオルのパンだったから、二度目だ。 中沢新一『虹の理論』。「私」とラマ僧K・Sの会話。というより、K・Sの虹論。おもしろかったので引用。 ■ ■ ■ 「虹が、太陽光線と水蒸気のつくりだす光学現象にすぎないという説明については、わしもよく知っている。チベット語に翻訳された子供向きの科学の本で、読んだことがあるからな。とてもよく考えぬかれた説明だと思ったな。でも、その説明にはいくつか重大な欠陥があるらしい、ということもすぐにわかった。そのいちばんの理由は、虹のように深淵で複雑な現象を、太陽の光と、雨上がりの空に充満する細かい水滴と、その水滴のなかで光の起こす反射や屈折といった要素だけで、機械的に説明しようとすることにある。たしかにそれもまちがいじゃあないが、時間の本質を説明するのに、時計のこまごまとした機械的な説明をしているようなものだ。時間はたしかに時計のなかを『通過』することによって、自分の秘密の一部をあらわにしてみせる。しかし、時計の秘密は時間の秘密とは別のものなのだ。同じことが、虹についてもいえるんじゃあないか。太陽光線と水滴とがつくりあげる光学現象としての虹。その虹はたしかに虹にはちがいないが、もっと真実を言えば、そういう虹を『通過』することによって、もっと軽やかでもっと自由な別の種類の虹が、その姿を空にあらわしているのさ」 ----- 二月二日(水) 「噴出」 眠りが深いと夢を見なくなる。脳が思考活動を停止かららしい。夕べはしっかりストレッチをして、もう数秒も目を開けていられないほどの睡魔に襲われそのままま蒲団にもぐったと同時に眠ったが、それでも夢はしっかり見たようだ。ようだ、と書いたのは内容をまるで記憶してないからだ。眠りの深さは、夢の記憶の鮮明さにも影響するらしい。 四時三十分、目を覚ますと花子は騒がずにぼくの枕元でじっとお座りしていた。眠ってはいない。目を丸く見開き、こちらをじっと凝視していた。なにかを期待していたらしい。すぐに朝ゴハンを与える。いつもならこのあと二度寝をしたのに、最近はそのまま身支度して事務所に行ってしまう。それくらい忙しいというのもあるが、短眠体質になったことも大きい。長時間眠ることが、酔っぱらったとき以外は苦痛になってしまった。起きていたほうが気楽だ、というのは、見方を変えれば生き急いでいるということなのか。そうは捉えたくない。 五時三十分、事務所へ。M社企画、E社ホームページなど。 十三時、麻布十番のO社で打ちあわせ。駅に下りると、十番には何度も来ているのに、O社以外の場所に一度も行ったことがないのに気づいた。日々にゆとりがないという証しと受け取れなくもないが、単に十番という街に関心がないだけなのかもしれない。しれない、とは他人事のようだが、たいしてよく知らないこの街に自分は関心があるのかないのかなど、判断のしようもないのだからしかたない。 二十時、業務終了。西友で買い物してから帰る。 夜、下痢に見舞われる。入浴中に二度、風呂上がりに一度襲われ、そのたびに全裸で便器に腰掛けた。身体中の老廃物がすべて内臓と一緒に噴出したようだ。 中沢新一『虹の理論』。虹は原初のエネルギーの象徴、いや万物を包括するエネルギーそのものだ、ということかな。形而上学も現代思想もみなぶち壊してしまう、そんなパワーに溢れた作品でした。おもしろいけど、キリがいいところまで読んだのでいったんおしまいに。 小林勝「フォード・一九二七年」を読みはじめる。日韓併合によって韓国の片田舎が、主人公にとっての「異郷」となる。 ----- 二月三日(木) 「節分」 四時三十分起床。五時三十分、事務所へ。黙々と仕事をつづける。朝は誰からも邪魔されないと以前に書いたが、今日はどういうわけかメールも電話も数少なく、朝の集中を夕方までひっぱることができた。とはいえ、集中力が途切れず持続していたわけではない。適度な息抜きは必要だ。 二十時、店じまい。いわし丸干しなどを買ってから帰る。道すがら、家々で老人や子どもの「おにはそと、ふくはうち、ふくはうち」が聞こえてきた。どの声も夜の住宅街によく響き、はずんで聞こえるのはこのささやかな行事を心から楽しんでいるからだろうか。わが家でも豆をまいた。食べ物を投げることに抵抗を感じるので、まく豆は最小限にとどめた。猫たちはチビ時代は宙を舞い床を転がる豆粒に大興奮だったが、大人になった今ではさほど興味を示さない。「ふくはうち」と声に出しながら投げる瞬間は、ぼくの手の動きに合わせてあちこちへ移動し、床に落ちるまでの豆の軌跡を目で追うのだが、豆が転がり、止まってしまうと興味もそこで止まる。動くものを追うのは狩りの本能からなのだろうが、根底には遊び心も必ずあるはずだ。しかし歳を重ねるごとに本能も遊び心も希薄になる。それはニンゲンもおなじことだ。豆まきという行事は、子どものためにあるのだと思う。 小林勝「フォード・一九二七年」読了。幼少の痛々しい思い出を残した移住地/侵略地という「異郷」、不安に満ちた青年時代を過ごした東京という「異郷」、瀕死の状態にある戦地という「異郷」。想念が異様に高まったとき、ニンゲンのいる場所は後に彼にとっての「異郷」となる。縁もゆかりもないはずなのに、記憶に深く刻み込まれ、懐かしさすら感じる地。しかし、その場所は深い悲しみでつねに覆われている。 ----- 二月四日(金) 「過労」 立春である。たしかにいくぶん、空気が春めいているように感じる。色でもない、匂いでもない、強いていえば、音が春めいているのだろうか。ピューと耳を切る北風の音は聞こえない。 四時三十分起床。五時三十分、事務所へ。 午前中は作業に集中。午後からは打ちあわせで場所を転々とする。 夜も作業。二十三時、ようやく目処がつく。働き過ぎだ。 夜、「タモリ倶楽部」を観てから就寝。 木山捷平「ダイヤの指輪」を読みはじめる。 ----- 二月五日(土) 慣れとは不思議なもので、土曜は休養、家のことをして頭は休め、睡眠もある程度取っておこうと決心してから寝たというのに、五時三十分にはハッと目が覚めてしまう。花子もそれを当てにしているようで、四時半か、五時くらいからずっとそわそわしていたようだ。日中に慌ただしさを感じぬようにするための早起きであるが、休日に目が覚めてしまうと理由のない慌ただしさを逆に感じてしまう。頭を切り替え、二度寝した。 八時起床。午前中は掃除など。午後から西友で、花子の飛び出しと麦次郎とのイキナリ対面を防ぐためのパーテーションをつくる材料を揃える。帰宅後、作業。三時間ほどで完成した。若干倒れる危険性があるかもしれぬが、まあ猫の力では早々やすやすと倒れまい。 奥泉光『坊っちゃん忍者幕末見聞録』を読みはじめる。みごとなまでに『坊っちゃん』とおなじ文体。設定はまるでちがうのだけれど。いや、主人公松吉の性格は坊っちゃんといっしょかな。基本的に、他人とうまくコミュニケーションができない。言葉の吐き出し方が粗雑。 ----- 二月六日(日) 「酔倒/食倒」 そんな言葉、おそらくないとは思うのだが。 四時三十分、花子に手の甲を噛まれて飛び起きた。 六時、事務所へ。黙々と、誰にも邪魔されずにコピーを書きつづける。休日出勤。十九時、店じまい。 夜、カミサンと義母、三人でイタリア料理店「ベントルナート」へ。白ワイン――銘柄忘れた――を頼んだら、カミサンが酔いつぶれた。いや、食い倒れたのかもしれない。 奥泉『坊っちゃん忍者』をすこしだけ。ぼくもそうとう酔っている。 ----- 二月七日(月) 「孤立」 四時三十分起床。五時三十分、事務所へ。忙しさも佳境を迎えており、それだけテンションも上がってくる。外部と断絶された孤立空間と化した事務所で黙々と作業をつづける。E社ウェブサイト、T社会社案内など。 二十一時三十分、店じまい。「喬家柵」で軽く夕食をとってから帰宅する。また「ラーメンまる家」のオヤジが女の子を連れて大騒ぎしていた。オヤジ、オフタイムのときは騒がしい田中小実昌という感じだ。 早起きなせいか、夜はまったく起きていられない。「内村プロデュース」を観ていたら気を失っていたので寝ることにした。 辻邦生「旅の終わり」読了。異郷、というよりは異国での体験談。主人公とは対照的な、しあわせそうなギリシア(?)の家族。しかし、彼が見て体験した「異国」は、いつの間にか「異郷」へと変貌する。そこに必要なのは、人間の意志とは無関係に流れる一方的な時間と、混沌としたつかみどころのない悲しさだ。自分でもわからぬ悲しみのなかにひたっていたい――そんな、複雑な感情が主人公をもっとこの地にとどまっていたいと思わせる。しかし、彼らは行かなければならない。そしていつか、日本へと戻らなければならない。 石牟礼道子「五月」をよみはじめる。水俣病を追いつづけることをライフワークにした作家の作品だ。 奥泉光『坊っちゃん忍者』。けっこう馬鹿馬鹿しい。 ----- 二月八日(火) 「押出」 五時起床。六時、小雨が降っているのか、降ろうとしているのか、降りやんだのか、今ひとつわからぬ空を見上げながら事務所へ向かう。外はまだ暗い。だが六時にもなるとすこしずつ街には生活感のようなものが漂いはじめる。駅に向かう人たちの規則正しい足音、そして家々の窓から漏れる蛍光灯の明るい光。生活感に押しのけられるように、空が白んでくるのがわかる。 E社ウェブサイトなど。十六時よりE社にて打ちあわせ。十八時三十分、ようやく解放される。二十時帰宅。 石牟礼道子「五月」。「公害病に苦しむ人たちがかわいそうだ」を語るのではなく、被害者たちの生活、健康な状態だった場合のあるべき姿、本来の生き方をたくみにつづる。病をもったかもたぬかで、生活の場はたちまち自分を受けれてくれぬ異郷へと変貌する。異郷では、人は暮らせない。 ----- 二月九日(水) 「拍子」 五時起床。六時、事務所へ。緩やかなリズムで仕事をこなし、十時に外出。ここから緩やかさはどこかへ霧消する。一日の、緩急のリズムが激しくなりはじめたが、自分のすることだからリズムは掴める。混乱もしない。 十一時よりD社で打ちあわせ。食事会を済ませてから十二時より取材。はじめて会う人から一時間以上も話を聞くのは難しいことだが、楽しくもある。話すリズム、間の取り方がみな微妙に違う。そのリズムにうまくあわせるだけで、ある程度の話は聞きだせる。 十七時、麻布十番のO社でLさんと打ちあわせ。以前名刺交換だけはしたが、仕事をするのははじめて。もう一方、L氏の上司という方も出てくる。つづいてコピー取りに命をかけている新人君。また初対面の人だ。インタビューと違い、肩をよせるようにしておこなう打ちあわせでは、リズムを把握するというよりも、こちらのリズムを提示してそれに先方の説明の速度をあわせてもらったほうが仕事は円滑になる。 O社からの帰りの中央線で人身事故。新宿から西荻窪まで、十四分程度のところがたっぷり三十分以上もかかった。家路を急ぐ人たち――その多くはサッカーワールドカップ日本予選を観るために家を目指す――で満員状態の車内で、切りたんぽにでもなったような姿勢で、服の中を汗がつたうのを感じながら、電車が動きだすのをひたすら耐え、乗り換えた総武線の電車でもやはり満員状態、こちらも耐え、耐え、自宅に帰ってからは夜に猛烈な睡魔に襲われ、耐えずにすぐ寝た。 ----- 二月十日(木) 「夕張」 早起きが習慣になってから、目覚めてすぐに空を見ることがなくなった。朝の慌ただしさが感性の感度を低めてしまう。人間とは集中力でノイズを意識的に断絶し、ないものと思いこむことができるようだが、だからといって朝陽がすこしずつ闇を払い空に色彩を与えてゆくさまが、視覚的なノイズだとは思いたくない。 しかし、一度家から外に出ればたちまち慌ただしさから解放されるようで、吐く白い息の暖かさや広がり具合、明かりの点った窓の数、新聞配達がうならせる原付バイクの走っては止まり、数秒するとまた走り出す音のリズムが気になりはじめる。時たま駅へ向かうサラリーマンらしき人物や朝帰りらしい十代か二十代はじめの女性などとすれ違う。なぜこの時間なのだろう。そう思うだけで想像力はたちまち暴走しはじめる。一歩ずつ踏みだし駅へ向かう足取りと比例して明るみを増す空が、その一方的な想像、いや、空想といったほうが正確か、ぼくの頭の中に勝手に構築されつつある世界に「時間」というリアリティをもたらす。 六時、事務所へ。D社ホームページ、E社パンフレットなど。 十五時三十分、カイロプラクティック。帰りにパルコの「リブロブックス 」に寄り、大西巨人『五里霧』、堀江敏幸『雪沼とその周辺』、阿部和重の芥川賞受賞作『グランド・フィナーレ』を購入。 帰社後、手伝いに来てくれていた義母の差し入れの「夕張メロンパン」を食べる。夕張メロンは一二度しか食べたことがないが、たしかに夕張メロンの風味がする。 二十一時、店じまい。「モカッフェ」で夕食を済ませてから帰宅。足を怪我してしまった看板鳥のもかちゃん、完治したようで元気よく店のなかにきれいなさえずりを響かせていた。 『週刊モーニング』を買ったので活字の読書はほとんどせず。朝、便所で古井由吉『ひととせの』を読んだくらい。 ----- 二月十一日(金) 「午睡」 夜中、例によって花子に大騒ぎされて目をさました。もうゴハンタイムか、よく寝たなあと目覚まし時計を見ると、よく寝たどころかまだ就寝して一時間しか経っていない。どうやら書斎で寝起きすることに飽きてしまったらしく、外に出せと駄々をこねているらしい。三時、四時と一時間おきに起こされてしまう。しかし。しかたない。毛布一枚をひっつかみ、花子をつれてリビングへ。ホットカーペットの上でゴロリ横になり、毛布にくるまって花子が落ち着くのをじっと待つ。しばらくは久しぶりのリビングに興奮したのか、部屋中をうろうろし、くんくんと匂いを かぎつづけていたが、やがて納得。しかたない。毛布一枚をひっつかみ、花子をつれてリビングへ。ホットカーペットの上でゴロリ横になり、毛布にくるまって花子が落ち着くのをじっと待つ。しばらくは久しぶりのリビングに興奮したのか、部屋中をうろうろし、くんくんと匂いを かぎつづけていたが、やがて納得したのか、どこにいるのかわからぬほどに静かになった。これでようやく眠れる。だが、五時半には起きて事務所に向かわなければならない。 六時三十分、事務所へ。休日出勤。午後までみっちり作業をつづける。今日一日の目標を午前中にすべて済ませてしまった。午後は来週にゆとりをもたせるために、何か別の作業をしておこうかとも思ったが、夕べの花子の大騒ぎに体が悲鳴をあげている。ちょっとお昼寝、のつもりが一時間も寝てしまう。その後はまったく仕事が手につかず。結局カミサンと壊れてしまった洗濯機を新調するために吉祥寺の「ラオックス」に出かけることにした。 狙っていたシャープの銀イオン+除菌タイプのものが特価になってえいたので即決。つづいて「ロフト」で結露防止剤など購入。パルコの「リブロブックス」で、古井由吉『聖なるものを訪ねて』、ニール・ドナルド・ウォルシュ『神との対話』を購入。 夕食は「笑いの金メダル」を観ながらキムチチゲ。 石牟礼道子「五月」。異郷。すなわち奇病に犯された自分を受け入れてくれぬ場所。 ----- 二月十二日(土) 「相愛」 五時、目が覚める。冷え込みは一段と厳しく、決して薄いわけではない掛け布団が妙に頼りなく感じてしまう。休日の気の緩みと寒さで、頼りない蒲団でも、そこからなかなか抜け出す気になれない。 寒い、だったら寝ていようか、それとも起きてなにかしたほうがトクではないか、そんなことをあれこれ考えているうち、静かに睡魔が訪れるようで、何度か眠っては目が覚めた。七時、意を決して起きる。起きれば寒さなどどうということもない。花子はぼくより早く起きて、元気にうろうろしたり朝陽をあびてまったりしたりと、朝のひとときを楽しんでいる。ぼくも朝食代わりのみそ汁と青汁を、そしてリビングにやさしく射し入る明るい冬の陽射しを楽しんだ。 十一時、カミサンと外出。高幡不動にお参りに行く。護摩焚きの前に雑誌「dancyu」で絶賛していたインド料理店「アンジュナ」で昼食。マトンカレー、野菜カレーなどのセットを食べるが、カレー激戦区である西荻・吉祥寺の店の味に慣らされたぼくらの舌には新鮮さも興奮も感じられなかった。護摩焚きのあとは日本最大の大きさという、千年前につくられた不動明王像を見学する。素朴で愛嬌のある、どこか牧歌的な明王像だ。 新宿へ移動。伊勢丹でチラリとバーゲンを覗くが、とくに収穫なし。バレンタインが近いせいか、カップルでメンズの売り場を見る人、友だち同士でチョコレート売り場を物色する女性で溢れかえっている。以前はバレンタインといえば彼氏ゲットのためのチャンスであったが、最近はどうも義理チョコを配る日、あるいはカップル同士が愛を確認しあう日になってしまったようだ。片思いから、相愛の日へ。バレンタインの本質は変わりつつあるのか。 小田急へ移動。「ビックカメラ」でクリエの液晶保護シートを購入。地下の食品売り場でタラの切り身など。 夕食はムニエル、蛸のマリネ。無添加の国産ワインを飲んだら酔ったのか、頭痛がした。 『神との対話』を読み進める。 ----- 二月十三日(日) 「調和」 六時起床。朝はのんびりと、しまちゃんからもらったヒプノセラピーのCDを聞いたりしながら過ごす。 十一時、生協で買い物。豚肉、セロリ、ブロッコリーなど。 十二時、注文していた洗濯機が届く。 昼食後、カレーをつくる。カレーにしようと決めたのは、昨日の高幡不動のインド料理店に満足できなかったからか。自分でもよくわからん。だがインド料理をつくるつもりはない。具だくさんな欧風カレーを、市販のルーを使わずに仕上げた。 夕方、できたてのカレーの鍋をかかえてカミサンと義母宅へ。先日購入したジャケットの袖丈詰め、パンツの裾詰めをお願いし、ついでにつくったカレーをいっしょに食べる。野菜の甘味とスパイスの刺激がギリギリのところで調和していた。 義母からカカオ八〇パーセントのビターなチョコを三枚もらった。バレンタインの前倒し。 夜は『神との対話』。おもしろい。とまらない。 ----- 二月十四日(月) 「言霊」 五時起床。六時、事務所へ。朝のうちは集中して作業できたが、陽が昇るにつれて慌ただしさも増しはじめ、電話とファクスとメールの嵐が夕方までつづく。 バレンタインデー。カミサンが「ぼぼり」でチョコ味のアイスを買ってきた。濃厚なのに、口の中でさらりと溶けるから重たく感じない。 電話がやんでも、事務所のなかは騒々しい。パソコンやサーバのファンの音、コピー機がときどき立てるウォームアップ音。集中力はこれらを聴覚から排除してくれるが、高まりすぎると逆に騒音を増幅するようだ。幸いなことに、今日は増幅されるほど集中力は高まっていない。 二十四時、ようやく作業完了。 石牟礼道子「五月」読了。最後は水俣病の女性患者のモノローグで終わる。方言で語ることの美しさ。方言とは故郷である。公害は肉体をむしばんだが、精神の柱である言葉、方言まで侵食することはできない。強い言葉は未来を生む。たとえ発せられる単語が悲しみに包まれていても。 ----- 二月十五日(火) 「故障」 七時起床。陽が昇ってから目が覚めたのは久しぶりだ。早起きするよりも健康的な感じがするのは、短眠生活が異常である証拠か。だが、自分には短眠が合っている。 八時、事務所へ。打ち合わせを二本こなしてから夕方帰社。D社のコピーを書こうかと思ったが、メールソフトが不調に。復旧に手間取ってしまい作業はほとんどできず。カミサンはペンタブレットがぶっ壊れてしまい、サポートセンターとの連絡に大わらわだ。二十時三十分、帰宅。 ゆうり師匠からメールが届く。「複雑に考えすぎないように」か。 しまちゃんからヘミシンクのCDが届く。今晩、少し聞いてみよう。 『神との対話』。しばらくはこればかり読むつもりだ。答えを見つけるヒントがほしい。 ----- 二月十六日(水) 「揺音」 久しぶりに花子のフニャンフニャンという情けないけれどなにやら明確な主張がありそうな声で目が覚めた。が、すぐに起き上がれたわけではない。どれくらいのあいだボケていただろうか。時計を見て時間が早すぎればもう一度寝て、そう早くもなければ起きてしまって、と次の行動を考えることもせず、うはああああ、とため息なのかあえぎなのかよくわからないような声をあくびとともに発しながら、よつんばいになり、おでこだけを枕に擦りつけたポーズでじっとしていた。おかしなポーズで、目が覚めるのを待っていた。が、このポーズはそう長くはつづかなかった。突然音がしはじめた。家具が、というより壁がうなる音が聞こえる、と思った。音の感覚のあとに、揺れを感じた。ボケていたからだろうか。揺れが大きい。壁のうなる音も大きい。音と振動が意識をはっきりさせてくれる。だが、はっきりした意識が感じるのは根拠のない恐怖だ。地震は怖い。だが、今日の地震が怖い地震になるかはわからない。わからないものに恐れてどうする。大丈夫、もう収まる。大したことはない。そう信じながら、よつんばいの低い姿勢で様子を見つづけた。 すぐに揺れは収まった。時計を見る。四時三十分。花子のフニャンフニャンはこの地震の予知だったのか。冷静になって起き上がり、身支度しながらテレビで地震情報をチェックする。大惨事ではなかったようだ。冷静になれたが、安心したという感覚はない。しかし、かといって不安を感じているわけでもない。地震が起きたという事実を、どう受け止めるかがよくわからなくなっていたのかもしれない、と今になって思う。外を見る。しずかに雨が降っていた。うなる音はもう聞こえない。 六時、事務所へ。D社PR誌に午前中は集中。 ヤフオクで落札した小型のハンドヘルドPCが到着する。中古なのだが、予想よりも痛みが激しかったのでちょっとショック。だが使用感はよい。この日記、実はそのマシンで書いている。 午後より外出。小石川のL社で打ち合わせ。夕方以降もD社PR誌に集中。梶原は猫のムック本の挿絵の仕事に集中している。 二十一時過ぎ、店じまい。「叙家柵」で夕食を済ませてから帰る。 日記を書きながら、ヘミシンクのCDを聞いてみる。夕べは蒲団に入ってからヘッドホンで「Higher」というタイトルのついた作品を聞いた。シンセサイザーの音が薄くなる瞬間に、不思議な不安感に襲われる。それがやがて、不安定な状態で、自分のなかに入ったり出てきたりを繰り返している状態へと変化していく。最終的にはリラックスしたのだろうか。気づけばヘッドホンをしながら一時間以上眠っていた。今は「Into the Deep」と題されたものを聞いている。正直いって、昨日の作品とどこがちがうのかがわからない。しかし、抽象的で想像力をかきたてるこの音は嫌いじゃない。いや、むしろ好きだ。 あまり読書ができなかった一日。『神との対話』を少しだけ。 ----- 二月十七日(木) 「順応」 五時起床。花子とふたりーー正確にはひとりと一匹ーーで過ごす朝は、静かで規則的でゆとりに満ちている。最近はミャンミャンミャンと大騒ぎをしてぼくを無理矢理起こすことがなくなったのだが、これは単純にぼくが騒がれる前に目をさますようになっただけのことかもしれない。いずれにせよ、ストレスが少なくなった花子は静かに、満足そうにぼくが身支度するのを眺めている。家を出るときも騒がないのは、花子もまたこの生活パターンに慣れ、ぼくがまだ外の薄暗いうちに出社してしまうことを知っているからだろうか。あらゆる動物は、自分のおかれた状況に巧みに順応する。花子の場合は、ココロがまず順応しているようだ。このまま順応しつづけてほしい。そうなれば麦次郎との仲直りとうゴールも近くなる。 六時過ぎ、事務所へ。E社パンフレット、M社媒体資料など。十二時より小石川のK社で打ち合わせ。参加社全員、不満と希望を妙な塩梅で同時に抱いているようだ。 二十一時、店じまい。近所のエスニック料理店「ぷあん」で夕食。牛スジのアジアン風煮込み、豆腐と野菜のエスニックサラダ、鶏肉と野菜のバナナの皮を使った蒸し焼き。ひさびさの本格的な辛さとスパイスの刺激に満たされた気分で家路につくが、一歩店から出ると広がる日本の冬の夜の冷えきった空気に、辛さで暖まった体がたちまち冷やされた。 今日もあまり読書できなかったなあ…。『神との対話』を少しだけ。 ----- 二月十八日(金) 「澄耳」 五時、目は覚めたが体が動かない。四つん這いになって五分ほどじっとしてみた。夜明け前の暗闇のなかでは、いったん目覚めたとはいえじっとしているとふたたび睡魔に襲われてしまう。襲われるというよりも、消えかかる闇に、強引に吸い寄せられるといったほうが正確か。動かない。動かない、体を動かさない、ということは、じっと耳を澄ましているということとおなじだ。光がなければ、耳に神経を集中させるのは自然なことだ。暗闇で視覚に頼るのは、いたずらに想像力を膨張させてしまうだけだ。聴覚にもまた幻聴なるものはあるようだが、それでも鼓膜に直接伝わるものと、恐れや不安が勝手に生み出した騒音やら人声やらとはまったく違う聞こえ方、響き方をするもので、よほど混乱していないかぎり両者を取りちがえることはない。 耳を澄ますということは、情報を求めるということなのだろうか。体が動かない、眠たい、眠りたい、そんな状況でもニンゲンは常に情報を常に欲する。ならば、暗闇のなか四つん這いで頭ではなく体が目覚め始めるのをじっと待つぼくが耳を澄ませ、得たいと思っている情報とはなになのだろうか。そんなことをぼんやり考えていると、花子が鳴いた。ゴハンをしつこく催促しはじめる。そうか、ぼくはこれを確認するために耳を澄ませていたんだ。花子と麦次郎我が家の中心的存在である。 六時、事務所へ。間に合わせたい。その一心で仕事をすすめる。E社企画、E社チラシ、E社ホームページなど。全部E社になってしまったが、住宅メーカー、アミューズメント系、通信系とすべて異なる会社だ。 昼食は「アンセン」のパン。大量に購入し、一気に食べた。 先日ヤフオクで落札したシャープのWindows CE Handheld PC機のTerios、バッテリーが経たっていたのでバッテリーを再生するサービスを利用することに。これでまた数日Teriosが使えなくなるのは少々痛い。電源を入れればすぐに利用可能なのがHandheld PC機最大の魅力である。修理中はPalmにキーボードをつないで日記や思いついたアイデアを書く。 二十時、業務終了。西友によってから帰宅。 今日も『神との対話』を読み進める。 ----- 二月十九日(土) 「安居」 だらだらと必要もないのに眠りつづけることを「駄眠」と咎める。眠らないことは体に負担をかけることとなり、すなわちそれは悪である。しかし、一方で駄明をむさぼることもまた悪、怠惰の最たる象徴だという。しかし眠りが創造につながることもある。多くの芸術家は眠りから霊感を得たとはよく聞く話だ。笙野頼子の初期作品はあきらかに夢を作品化している部分がある。ウチのカミサンもよく眠る。カミサンの先輩でありぼくの師でもある猫ヶ島のしまちゃんは、最近は一日九時間も眠るそうだ。その眠りのなかで、神秘的なメッセージを受けることがあるという。一方、ぼくはといえば日々の仕事に追われ四、五時間の眠りで一日をやりすごす。しかし体に負担はかかるものに、短い睡眠は思考を一時的に加速させ爆発させるのには有効であるらしい。それを体感してからはすっかり老人のような朝型ニンゲンになってしまったが、それでもときには猛烈に眠りたくなる。今日がそうだ。体が眠りを本能として欲している。だから、寝た。眠りつづけた。昼間は体を起こし飯をくったり掃除をしたりしたが、眠くなれば昼寝した。 眠りを欲していたのだろうか、と考えてみる。体に対し、目をこらし、耳を澄ませてみる。すると答えがおぼろげに見え、かすかに聞こえる。たしかに体は眠りを欲している。しかし、どうやらそれ以上になんにも関わらずに自分を自然のままに解放する時間を欲していたようなのだ。自分に目をこらすとは、外界にわずらわされずに自問することだ。自分に耳を澄ますとは、その自問に対する答えを自分のなかに探すことだ。答えとは、欲求である。欲求があるからこそニンゲンは生きつづけることができる。眠りを減らしつづければ、その代償として得た時間で社会的な欲求を満たすことは可能であるが、夢を通じての創造性を捨てていることになりはせぬか。身体の本能的な欲求を捨てることで、ニンゲンとして誰もがもつ本能を捨て去ることにつながるのではないか。 午後はビデオ鑑賞など。美輪明宏と国分太一のバラエティ番組、「前世療法」のドキュメンタリー、NHKで放送している美輪明宏の番組2回分。スピリチュアルづくしだなあ、とつぶやきつつまどの外を見れば、雨が降っていることに改めて気づく。 ビデオを観て、本を読んで、眠くなったらそのまま床に転がって寝る。怠惰であるように思えるかもしれぬが、ぼくにとってこれは創造的な行為である。雨のなか、部屋にこもって思い思いの、好き勝手なことをひたすらにつづけた。このまま今日は夜まで一歩も外にでないことになる。 夕食はまたつくることに。ビーフシチューだ。野菜の甘味をうまく引き出すことができた。 ----- 二月二十日(日) 「音光/心光」 八時起床。結露で薄く覆われた窓越しに、太陽の光が伺える。雨は上がったのか、それとも早起きの習慣で夜明け前の暗い空に慣らされた目には、とりわけこの時間帯の光が――雲に覆われていたとしても――眩しく、明るく感じるのか。指で結露をぬぐい、目を凝らして外を見る。つい先程までは見るともなく見て、漠然と感じていただけだった。今度は意識をしっかり向けてみる。目を凝らそうという行為は、自身の躰だけでなく、頭のなかも目覚めた証拠だろうか。それはともかく、外に向かって目を凝らす。空はわが家の窓の結露ではないが、薄い雲――それは結露とおなじく水が集まって形成されている――に薄く覆われ、そこに太陽の光がにじむ。 朝陽にも音があるのだろうか、と考えたことがある。さんさんと降り注ぐ光、という表現の「さんさん」とは、実際には聞こえぬ音を擬音化したのだろうと思い込んでいたが、漢字では「燦々」とつづる。太陽などの光が輝くさまを表す。燦には「きらびやか」という意味があり、したがって「さんさん」とは擬音ではなく輝く様子そのものだ。だが、これは先入観なのだろうか、耳を澄ませば不思議とサン、サン、サン、サンと、鋭く、強く、それでいて柔らかで暖かな光が立てる音が響いてくるように思える。強いとはいえ、かすかな音だ。だが、かすかな音ではたちまち人間が立てる雑音に紛れる。まぎれてしまえば、感じ取ることはできない。耳を澄ませば聞こえるのだろうが、澄ませ方にはコツが要るようだ。 全身を耳にしてみる、とでも表現するのが妥当か。つまりは神経を研ぎ澄ますのだが、光の音を聞くにはそれだけではなく想像力も必要らしい。聞こえぬはずの音を聞くのだから、自分もありえぬはずの存在になるべきだ。全身を耳にする。光を耳で感じる。 太陽の光ではなく「朝陽の音」、と限定してみる。するとそれは、どうやら光そのものの――想像力が創造した――音ではなく、朝の環境や生活の奏でる音の集合となって響くように思えてくる。雀の鳴き声、駅へと急ぐ人たちの靴の音、風を受けた樹木のざわめく葉音。これらは、朝陽にあたらぬと響かない。今朝は家のなかで目を凝らし、耳を澄ました。光はあいまいだし、音も聞こえない。それでも頭のなかには、明るい朝陽と光の音が強く感じられた。自分勝手な想像力だ、と苦笑しながら身支度をはじめる。 十一時、事務所へ。不要になったCDなどを出品していたヤフーオークションがゆうべ終了したので、落札者たちにメールを入れる。 十四時、カミサンと浜松町へ。陶芸とヨガを趣味にしている友人Kと駅で待ち合わせ。猫ヶ島のしまちゃん、Love&Lightのゆうりさん、霊感占い師の千水さんの三人が出店している「スピリチュアル・コンベンション」に顔を出す。略称「すぴこん」だ。三人とも初出店らしい。カミサンも、パワーストーンをつかった猫の立体作品「石なまけ」を出品している。 エレベーターを降りたところですぐにしまちゃんを発見できた。これから昼食に行くところだったらしい。受付けを済ませる。 会場は地味だ。学校の体育館くらいの広さはありそうな空間に、会議室などにありそうな机でできた簡単なブースが並んで迷路を形作っている。派手な装飾や看板は一切ない。「地味」と率直に感想を述べると、しまちゃんが「ガッコの文化祭みたいでしょ」と返してきた。笑う。文化祭とは言い得て妙だ。ぼくは地元の商店や幼稚園がよくやっているバザーみたいだと思った。ただし、並べている商品がまったく違う。しかし、それを売る人たちも、買い求める人たちも、ふしぎと「フリマ」よりは「バザー」という言葉が似合うのだ。あるいは遊牧民のテントだ、とも思ったが、「わからん」とか「違うでしょ」と言われそうなので黙っておいた。 しまちゃんたちのブースへ。千水さんは先日会ったときとは別人だ。真剣な表情で、リーディングと呼ばれる一種のカウンセリングをつづけている。語る言葉は聞こえないが、振る舞いが自信に溢れている。終了後、挨拶。千水さん、カミサン とKを姉妹と勘違いしてた。顔は似てないんだけどなー。最近相談のできる飲み友だちと化しているゆうりさんにも挨拶し、早速会場をうろついてみる。が、うさんくさい連中が多そうだ。無論見極めができるわけもなく、慎重に会場をうろつくことになる。 しまちゃんたちオススメのブースで、オーラ撮影を申込む。人体から発せられるオーラをポラロイドで撮影し、その光の状態や意味をカンタンに説明してくれるサービスだ。カメラはハッセルブラッドか、それに類するプロユースのものだ。ポラロイドが装着されている。カメラはデジカメなのか特殊なセンサーが組み込まれているのか、ノートパソコンに接続されており、撮影後に光を分析してカウンセリングシートがその場でプリントアウトされる仕組みになっている。四、五人並んでようやくぼくの順番に。ゲスな好奇心がむくむくと沸き上がる。一方で、オーラという現象の真実や意味が知りたくてたまらぬ状態の自分もいる。 撮影は黒い布だか板だかの前に腰かけ、両手をセンサーのようなものの上に乗せて、ハイチーズ、で完了だ。しばらくすると、パソコンが動いてオーラ分析シートが出力される。カミサン、Kも撮影する。シートと写真はすぐに渡してくれない。この道のプロらしいおばちゃんが、結果をもとに対面で、簡単にではあるがカウンセリング――「オーラリーディング」というらしい――してくれるのだ。順番到来。おばちゃんから写真を見せてもらう。うわ、全部真っ赤。なんだこりゃ。どうやらぼくはエネルギッシュで活動的な人格らしいが、悩みがあるか、病気にかかっているか、でなければ使命に燃えているのだそうだ。たしかにストレスはあるけどなあ。おまけに肉体的にも疲れてはいる。常に肩こりに悩まされ、休日は気が抜ければ何時間でも寝てしまう。土日に限って突然尋常ならぬほどの食欲が湧き、一昔前にはやったフードファイターよろしく満腹になっても喰いつづけなければ満たされないのは、日ごろ仕事仕事とストイックな生活をしているせいか、それとも疲れた躰が脂肪やらたんぱく質やら栄養素やらを通常の二倍、三倍も欲しているせいか。おばちゃんは「アンタ仕事はなーにしてるの?」「コピーライター」「ふーん活動的だけど疲れーてるわねーちょっとロマーンティックな一面もあるのねほーら」と写真を指さす。頭上にピンク色の弧が写っている。どうやらこれが「ロマンティック」を意味するらしい。なるほどぼくは夢想家だし、小説や詩を書いたりもするからロマンティストである。大学ではドイツロマン派のお勉強もし、文学作品における幻想の出現パターンと物語の構成についてを論文にしたこともある。だが、おばちゃんはそんなぼくを見抜けない。おばちゃん、おそらくオーラリーディングを通じて何千人もの悩める乙女の恋の相談を受けつづけてきたのだろう。ぼくも悩める乙女、おっと違った悩めるオッサンだと思われた!「アンタ好きーな人イルでしょ結婚してるの」絶句と苦笑。好きな人などいないってば。色恋沙汰など十年間も封印している。封印ではないか、恋したい気持ちになどならないし、女性を好きになるとカミサンひとすじなんだってば。好きになったのは、せいぜいモー娘。の安倍なつみくらいなんだってば。今はぜーんぜん関心ないんだってば。ロマンティックなのは、ぼくの嗜好性の問題なんだってば。「いないよ。あのさ、そこにカミサンいるんだけど」「アーラそうなのー」間の抜けた言い草だが、口調は明らかに焦っていた。でもおばちゃんは、一向に恋愛話をやめようとしない。ストレスなら酒やスポーツで解消できるけど、とおばちゃんはつづける。「悩んでるーんだったらここではこーれくらいしかアドバイスできなーいけどアタシは恵比ー寿でオーラ読む仕事をしーてるからさ」と言われた。勧誘かよ。だがぼくは怒らない。おばちゃんがそう思うのは無理もないからだ。悩みといえば、恋である。恋とは、求めて悩むことなのだ。多分。そしておばちゃんは、悩みを聞くことを仕事にしているのだ。寛容な心境で席を立とうとすると、おばちゃんは最後にもう一度ぼくに顔を寄せ、小声でそっとこういった。「でも好きな人いーるんでーしょ」 あとでしまちゃん、ゆうりさん、ゆうりさんのダンナ、そのお友だちと写真を見比べたのだが、しまちゃん、ゆうり夫、お友だち、そしてぼくはかなり色の傾向が似ている。だが、しまちゃんのオーラは色がぼくより鮮やかで美しい。これでもちょっと疲れが出ているというから驚きだ。ゆうりさんのオーラには、頭上に三つのオレンジ色に輝く玉があった。 カミサン、Kも撮影する。ふたりとも、写真の色みや色の広がり方がよく似ている。ははあ、千水さんはこれが見えちゃったのかもなあ、と納得する。姉妹ならオーラも似るのかもしれない。 しまちゃんたちのブースの目玉は、トルマリン配合の乳液と「Reiki」――一種の気功――を組み合わせたフェイシャルマッサージだ。カミサン、Kが体験。マッサージしながら気を顔面に注入するので、肌がツヤピカになるだけでなく、リフトアップ効果まである。実際、カミサンもKも顔の輪郭が変わってしまった。おもしろいのでぼくもやってみることに。しまちゃんに乳液をつけられ、顔を規則的にグリングリンといじくりまわされる。と書くとおもちゃにされているようだが、あくまでマッサージサービスである。ぼくはしまちゃんから「Reiki」の手ほどきを受けているのだが、ぼくの師にあたる人だからか、単に顔の血行がよくなり老廃物がなくなるだけではない、不思議な感覚を強く感じた。首から上が自分のものではなくなったようだ。じわじわと物質でもない、温度でもない何かが顔と意識に浸透する。顔面の細胞が、ふわふわゆらぎながらとどこかに広がっていく感覚が心地よい。自分自身の気のボルテージもあがってゆくのがわかる。こんなことを書くと不思議がる人もいるだろうが、たしかに実感できているのだから、書くしかあるまい。ともかくボルテージはあがった。顔だけでなく、躰の芯や手のひらまでが熱くなる。おおおおおおおおお、と物書き失格の言葉にならぬ音を口から漏らしていたら、近くを通りかかった豹柄の帽子とショッキングピンクのセーターだかマフラーだかをしたおばあちゃんが、「アラここからすごいエネルギーが出てるわねえ。ちゃーんともらって丹田にしまっておいたからねー。これで長生きできるわー」と突然語りかけ、ニコニコしながら去っていった。顔をグリグリされながらおばちゃんを見届ける。自失こそしていないが茫然とした。丹田とは東洋医学ではヘソ下三寸にある、気が集まるとされる場所である。そこにおばちゃんは、しまちゃんの気と、しまちゃんの影響を受けてぼくが発していた気をもってっちゃったらしい。チャーミングに精神世界を楽しむ姿勢がかわいらしい。 さて、エステである。途中からゆうりさんに交代してもらう。触れられた感覚がまったく違うのでびっくりしてしまった。手技の方向性もあるだろうし、ふたりの正確の違い、もっといってしまえば気の性質も違うのだろう。ゆうりさんの手は、鋭利な道具でしっかり仕上げていくといった感覚。終わったときには、顔はスベスベ、おまけに妙にスッキリしていて、悟りきったイエス・キリストみたいだと自分で思って苦笑した。顔だけなら誰でも聖人になれる。 十七時、閉場。まぎわに、千水さんやぼくらと同様ブースに遊びに来ていたTさんたちと、おかしなヒーリングのブースを冷やかしに行く。頭に鉢状の肉厚な鐘をかぶり、それをゴーンと叩かれる。その音の振動だか周波数だかで、脳内が活性化するのだそうだ。ぼくもやった。カミサンもやった。夫婦で鉢をかぶる姿は、しまちゃんいわく「しめじのようだ」。ぼくはこれを使って「叩いてかぶってジャンケンポン」がしたいと思った。少々重いのが難点だが、じゃんけんで負けても鐘をかぶった後に叩いてもらえば精神的な高みに到達できるのだからおトクである。あー、おもしろい、と小馬鹿にしてしまったが、千水さん曰く効果は確実にあるらしい。精神状態を安定させ向上させるための物質的なきっかけとしては有効だ、ということか。 閉場後、解散。出展者の三人は病んだ心のお客さんを何人も相手にしつづけたためか、かなりお疲れのようである。カミサン、Kと三人で新宿のエスニック料理店で軽く食事をしてから解散。 ひさしぶりにいろいろな意味で内容の濃い一日になったからだろうか。睡魔に襲われ、二十二時に寝た。 ----- 二月二十一日((月)) 「重肩」 五時起床。六時、事務所へ。E社ホームページなど。 猛烈な肩こりに悩まされる。遊び過ぎたか。いや、遊に過剰などありはしない。夕方、整骨院で治療を受けた。二十時、帰宅。 ----- 二月二十二日(火) 「猫猫/運命」 五時起床。六時、事務所へ。春分の日までおよそひと月、ずいぶんと日が伸びたようで、身支度をしているうちに朝陽がゆっくりと空のすみずみに染みるように広がってゆくのがわかる。明るくなると、不思議と街中の朝の物音の響き方が違ってくるようだ。つま先立ちで歩いていたのをやめて、両足をしっかりと地面につけながら前へ進む、その足音が聞こえてきそうである。 ニャンニャンニャンの日である。カミサンはずいぶん前から何かにつけてこの日のことを、楽しそうに話題にしていた。猫好きにとっては実際楽しい一日らしく、たとえばこれまでは猫をテーマにしたイベントが催されたり、猫専門のグッズを扱う雑貨屋でキャンペーンをしたりと話題がにわかに増えるようだ。カミサンと取引のある猫雑貨店でも何かイベントやら顧客サービスやらやるようであるが、詳しいことは聞いていない。ささやかだけれど、うれしい。生活のなかで猫がちょっとしたしぐさやいたずらを通じてぼくらにもたらしてくれる喜びにも似たサービスなのだろうか。自分がその猫雑貨屋でサービスを受けたときのことを夢想してみる。 満月の夜は猫たちの気分が高揚する。麦次郎は家の中をイノシシよろしく駆け回り、花子はフニャンフニャンと情けないがなにやら主張のありそうな声で鳴きながら部屋をうろつき、人のところによってきては前歯で小さく噛む。月に一度、こんな晩が二、三日つづく、などと書くと女性の生理のようで赤面するが、事実なのだからしかたない。月の光に妖しい力が秘められているのか、それとも潮の満ち引きのように、重力の干渉が猫の身体に影響するのか。いずれにせよ、月齢十五日の今日も花子に落ち着きがないのは否定しようのない事実で、ぼくは四時ごろから延々と起こされつづけ、噛まれつづけた。 七時起床。早々に掃除し、留守中の義母に頼まれた桃子の世話も済ませてから東武線の某駅へ。猫ヶ島のしまちゃん宅へ。ありとあらゆるヒーリング技術を学び、広めようとしている「魔女」さんたちの集いに参加する。はじめての体験だ。Love
& Lightのゆうりさんは高熱で欠席だったが、しまちゃんのほか、占い師の千水さん、セラピスト修行中のUさん、休日陶芸家でヨガをやっているK、そしてぼくら夫婦と、先週の「すぴこん」に参加したほかのメンバーは全員出席。一日中、退行催眠や気功のようなハンドヒーリングなどを体験して過ごす。詳しくは書かないが、思いがけない体験の連続だ。参加者六人中三人が持参した手みやげ、なぜか全部マドレーヌだ。これが共時性というやつか。ティータイムは利きマドレーヌ大会になっていしまった。 二十三時、帰宅。そのまま蒲団に倒れ込んでしまった。 《Profile》 |