二〇〇五年一月
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一月一日(土)
「新・二匹の恢復104」
昨夜、というより年が明けて早々、「朝まで生テレビ」を観て社会問題に対する意識をイッチョ高めてやろうかと思ったものの睡魔にあっさり白旗をあげたのが二時半か、三時くらいか。二十一年ぶりに降ったという大晦日の雪はすでに止んでいたが、積もった白銀の冷気がキンと家の中にまで伝わり、ホットカーペットとハロゲンヒーターといういかにも一般庶民の冬支度らしい暖房器具で雪の冷え込みを跳ねのけようにも熱量がまったく追いつかぬのか、毛布にくるまっても寒さが拭えぬような気がし、眠気も襲いはじめたので、生テレビはあっさり断念した。もう二〇〇五年など何も感じぬままに床に就いた。ガキの頃は除夜の鐘がかすかに聞こえる年もあったかもしれない。友人の家が比較的大きくて古い寺で、たしか毎年大晦日には参詣客に鐘をつかせていたはずだが、つきたいという客には無条件にゴオンとやらせていたため、ニンゲンの煩悩が百八どころか二百くらいに跳ね上がってしまうと、毎年年末年始になると冗談交じりに噂になったが今はどうだかわからない。
八時三十分起床。ガキの頃は真新しい下着におろしたてのセーターとズボンで正月を迎えたが、それも何歳までだったろう。記憶を辿りきれない。というより、手がかりがないといったほうが正確か。親に聞いたところでなんら思い出せないだろう。わが家の財政事情と正月の新しい着衣はおそらく密接な関係があるだろうが、物覚えがついたころにはすでに子どもながら自分の家はそんなに裕福じゃないと思い込んでいたのだから、なおさら新しい服が贅沢に思えたということか、それともヨソの家でそんなことをしていると聞き、ウチじゃもう何年もそんなゼイタクなことはしていない、と貧しさ――今考えるに、そんなにひどい貧しさじゃなかったのだが――を痛感したのか。
ガキの頃のことを考えると、たちまち文体が揺れはじめる。饒舌に何かを語りたいという気持ちと、どうでもいいという気持ちが複雑に交錯し、紡ぎ出すべき言葉の一字一句をあやふやなものへと変質させてしまうのかもしれない。
午後から初詣でに出かける。雪の残る住宅街を、ダウンジャケットのポッケに手をつっこんだまま歩いて神社へ。あちこちにブサイクな雪だるまを見かけた。
毎年、参拝するのは氏神である荻窪八幡と決めている。賽銭は十五円にした。とくに意味はないのだが、カミサンは「じゅうぶんごえんがあるように、ってことだね」と勝手に解釈して納得していた。
夕方、義父母宅へ。おせちと鴨鍋をごちそうになる。二十一時過ぎ、帰宅。
猫たちは新年をひとつの節目と思っているのだろうか。関係は着実に恢復しつつある。昨日より今日のほうがよりリラックスしているように見える。しかしまだ完全に心を許してはいないようだ。つまらぬきっかけで麦次は花子を追いかけようとし、花子はシャーと威嚇する。
チェーホフ「可愛い女」読了。ニンゲンは依存しないと生きていけない存在。依存の巨大なネットワークを社会と呼ぶなら、その最小単位が家庭であるということか。しかし、依存が過ぎれば社会はゆがみ、家庭は壊れる。主人公の女性は運命に翻弄されながら男たちに愛情を注ぎ、それによって自分の存在を確かめつづける。自己確認のための他者への愛情こそが依存の根底であるとすれば、それによってなりたつ社会なり家庭はきわめて不安定な構造といわざるを得ない。主人公がその不安定さの中でかろうじて幸福を見出したところで物語は終わる。だが不安定な状態は、彼女が土に帰るまでつづくだろう――読者にそんな想像をさせる作品。
つづいてゴーゴリ『外套/鼻』より、「外套」を読みはじめる。貧しい役人が、苦労して外套を新調する。
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一月二日(日)
「新・二匹の恢復105」
八時起床。十時、出発。実家のある古河へ年始の挨拶をしに出かける。妹の子どもたちも遊びに来ていた。お年玉をやり、幼稚園のお遊戯のビデオを観たりおせちを食べたり一緒に絵を描いたりして過ごす。二十一時、帰宅。
外出のあいだは猫たちを隔離しておく。麦次郎はリビング、花子は書斎。別々の部屋で過ごすあいだはふたりとも熟睡しているらしく、ドア越しに喧嘩になるようなこともない。人がいるときは安心できるのか落ち着いているのでおかしな状況にはまず陥らない。ただ、昨日のような小さないさかいはどうしても避けられない。しかし、これを繰り返さないと関係は完全に戻らないのではないか、とも思う。
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一月三日(月)
「新・二匹の恢復106」
八時起床。喰いすぎだ。消化するために寝ているんじゃないか。そんな気がしてくる。
十時、事務所へ。カミサンのiMacをセッティングする。十六時、荻窪へ。「無印良品」、西友などで買い物。十八時、帰宅。
夕食はカミサンの実家からいただいたおせちの残りをダラダラと。うーん、おせちってのは食べ過ぎるようにつくられているとしか思えん。ちまちま喰いがいかんのか。
爪研ぎ用の段ボールをバリバリしている麦次郎の様子が気に入らなかったのか、ちょっと目を離している隙に花子が背後から襲いかかり、中腰で両手パンチを浴びせかけた。すぎに引き離したが、花子め「やばい、またやってしまった」と思ったのか、まだしかっていないのにぼくを避けて逃げつづけている。ちょっとだけ隔離したらすぐに平常心に戻った。
ゴーゴリ「外套」読了。リアリズムと幻想の巧みな同居。スゲエなあ。ロシア文学ではこれが一番好きかも。
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一月四日(火)
「新・二匹の恢復107」
仕事はじめである。昨日も事務所には向かったが、カミサンのPCのセッティングばかりで仕事はいっさいしなかった。今日は作業を黙々とこなさなければならない。おそらく得意先の仕事はじめは明日からだろうから、電話やファクス、メールに手間をとられることはあるまい――そんなことを考えていたら逆に蒲団から抜け出せなくなり、いつまでもうだうだとしてしまった。七時には起きようと思ったが、三十分も遅れてしまう。こういうのも休みボケというのだろうか。花子は休日だろうが平日だろうがおかまいなく、五時に起きてゴハンをねだり、蒲団にもぐり込んだかと思えばすぐに抜け出し、カーペットの上で丸まってグースカと眠っている。七時三十分起床。
八時四十分、事務所へ。E社企画、M社企画などを淡々と。仕事はじめの日なので十八時に店じまい。荻窪に回り、夕食の食材などを買ってから帰る。
夜、ナンナンと鳴きわめく麦次郎を連れて外廊下を軽く散歩する。吹きすさぶ北西からの風に身を縮ませていると、麦次も寒さには勝てぬらしく、早く帰ろうとせがまれた。
ゴーゴリ「鼻」を読みはじめる。むちゃくちゃ。不安の薄れたカフカって感じか?
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一月五日(水)
「新・二匹の恢復108」
七時起床。昨日は蒲団の中の居心地のよさに負け、ダラダラと寝過ごしてしまったが、今日は幾分仕事への意欲が戻っているせいか、しっかり起き上がることができた。しかし眠気には勝っても朝の冷え込みには負ける。寒い寒いと連発しながら身支度をする。花子は今年一番の冷え込みかもしれぬ朝だというのに、結露でびっしょりと濡れた冷たい窓際で鴉をじっと観察している。挨拶がわりに身体を撫でると、自慢の毛皮が冷たくなっていた。
八時十分、事務所へ。昨日もそうだったが、暖房をつけてもいっこうに部屋が暖まらない。下の階に入居している不動産会社が休業中だったり、三階の住人が里帰り中だったりと、建物全体に人の暮らす気配がなく、どの部屋も暖房を入れたり湯を沸かしたりしないせいだろうか。
M社企画など。午前中、気晴らしにチラリと西友に行き、メンズ用のタイツを購入した。履いてから外出するつもりだったが、訪問先でガンガンに暖房を入れている可能性が高そうなので履かずに事務所を出た。
十三時三十分、代官山のJ社で新規案件の打ちあわせ。
十五時、次の打ちあわせまで一時間も空いてしまったので赤羽橋のイタリア料理店でカプチーノを飲みながら一休み。隣の席では、同じ業界人らしき三名が、カラーカンプを見ながらなにやらガヤガヤと打ちあわせしている。それが一段落したかと思えば、どうやら代理店の営業らしい女性が、デザイン事務所の社員らしい男性ふたりに対し、得意先やら会社やらへの不満をこぼしはじめた。グチの内容にこっそり耳を傾けながら、どこもいっしょなんだよなあ、などと考えつつカプチーノの泡をすすりつづけた。
十六時、T社で打ちあわせ。十八時、帰社。ちょっとだけ作業してから帰宅。陽が落ちてからも寒さは厳しい。
夕食は牛肉のナンプラーサラダとトムヤンクン。本当は昨夜のメニューだったのだが、市場がまだ動いていなかったのか、材料を揃えることができず断念した。
昨日、今日と連続で、帰宅後すぐに麦次郎を連れて外廊下を散歩している。ぼくが風呂掃除をしていると、麦次は玄関の下駄箱の上でナンナン鳴きながらぼくが来るのを待つ。ハイヨハイヨわかったよ、などといいながらドアを開けると、スルリと抜け出し、そのまま通路の隅にゴロリとなり、水はけをよくするためにつくられている幅二十センチほどの側溝に身体をスポリとはめ込むようにして、ドリルみたいにぐるぐる回転しながら身体の匂いをこすりつけている。この作業――麦次にとってみれば、これは立派な作業なのだと思う――を、ちまちまと位置を変えながらしばらくつづけたのち、廊下を二週ほど歩いては立ち止まり、歩いては立ち止まり、を繰り返しながらパトロールした。寒いから帰ろうよ、と訴えつづけてもまったく耳を貸してくれない。しかし十分もするとさすがに身体が冷えたのか、もう帰りますと自主的にわが家のドアの前まで小走りした。玄関を開けると、出たときと同じようにスルリと家の中に入っていった。
ゴーゴリ「鼻」。ナンセンス。シニカルなナンセンス。簡単なようだけど、ユーモアと批判精神、ふたつをひとつの短篇作品で両立させるのは至難の業なのだろうなあ。
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一月六日(木)
「恢復の終焉」
猫たちの関係恢復をタイトルにしてから百八回も過ぎた。煩悩の数だけその経過を追い続けたのだから、もう大丈夫だろう。ここ数日の猫たちは小さないさかいこそ毎日つづくが、着実に仲のよい関係に戻りつつある。だから、もう「新・二匹の恢復」という題から書きはじめるのは止めようと思う。
七時起床。外はまだ暗い。今朝も冷え込みはニンゲンにとっても猫にとっても厳しかった。蒲団から抜け出せないのは、敷蒲団と掛け蒲団のあいだの空間に溜まった暖かさのためだ。花子もそれを感じているのか、蒲団のなかにこそいなかったが、いつまでも掛け蒲団の上から離れなかった。
八時、事務所へ。あまりの寒さに観葉植物がみな参ってしまうのではないかと心配になる。
E社企画、E社ウェブサイトなど。
午後から雨が降り出したようだ。また雪か、などと想像してみたが、朝に比べるといくぶん寒さが和らいでいるようだ。雪にはなるまい。空を見てみる。雪の降る直前の、重く垂れ込めた鉛色の雲は見られない。薄く引き伸ばした雨雲が、ゆるく空を覆っている。雲がゆるそうだから、雨足もゆるい。
十六時、五反田のL社にて打ちあわせ。
十八時、帰社。事務所に戻るとたちまちメガネが曇る。雨が降り出してからは寒さをあまり感じなくなったが、それでも外気との温度差は大きいようで、それがレンズに付着した水滴となって表れる。部屋の中の湿度は、雨がようやくやみかけた外よりも高いようだ。
二十時、店じまい。
夕食はオーストラリア牛でステーキを焼く。ひさびさに自分で料理した。
小説はまったく読まなかったなあ。『週刊モーニング』だけ。
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一月七日(金)
「焼餅」
七時起床。予報では十三度まで気温は上がるというが、朝はやはり寒い。寒い寒いね、と花子に話しかけるのが毎朝の習慣になってしまったのは、いいことなのか悪いことなのか。
八時、事務所へ。吐く息の白さを久々に実感する。今までは九時ごろに事務所へ向かうことが多かった。おそらく九時ではある程度気温が上がってしまい、息は白くならないのだろう。
E社ウェブサイト、M社企画などをコツコツと。
自宅から餅を持ってきた。正月早々、西友で購入したオーブントースターを使って餅を焼き、事務所にやはり常備してある醤油と焼き海苔でそれを食べた。餅を食うと呑気な気分になるのはなぜか。食い足りない、と思ってしまい、近所の鮨屋に向かい御稲荷さんなど買い足してしまった。満腹になったあとは昼寝である。いつも昼食後は十分程度仮眠を取るようにしているのだが、今日は三十分近く寝てしまった。
夕方、吉祥寺で資料集め。ついでに「ロヂャース」に寄り、猫缶を大量購入する。遅くなったので夕食は外で済ませる。
ゴーゴリ「鼻」読了。非現実的な設定を、徹底的な写実的描写で展開する。できそうで、むずかしそうだよなあ。
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一月八日(土)
「本能」
八時起床。東側の窓から射す朝陽に自然と目が覚めた。夕べは十二時半に寝た。七時間半の睡眠が、身体に丁度いいということか。それとも朝陽さえなければ何時間でも眠れたのか。
掃除、アイロンがけと、家事をせっせとこなす。猫愛用のマタタビの粉が入った小瓶を掃除機で吸ってしまう。慌てて電源をオフにすると、吸引ノズルがくの字に折れ曲がっているところで瓶が引っかかっている。フォークで引っ掻いて引張り出そうとしてみるが、フォークの先端のカーブと瓶のかかったくの字のカーブの角度が違うのか、まったくうまくいかない。ふと夕べの「タモリ倶楽部」でビー玉を使って遊ぶという企画をしていたのを思い出し、ノズルを本体から取り外して吸い込み口の逆、つまり本体につながっていたほうの口から大きめのビー玉を入れ、ブンと先端を降ってみた。すると、遠心力でビー玉に押された瓶は呆気なくノズルから飛び出した。解決するまで、十五分も費やしてしまう。
猫たちは今までにないほどリラックスしている様子。花子はまだ時たま麦次郎と目が合うとシャーと威嚇するが、その頻度は減り、テンションも下っている。七草がゆで昼食を摂ったあと、猫といっしょに「腹いっぱい、しあわせいっぱい」を満喫することにする。すなわち、昼寝。
十四時より外出。「アンセン」でチョコマーブル、ソフトクッペ、イギリスパン。駅前のJRがやっているホテル直営のショップ――店名は忘れた――で洋物のチーズ。加工肉専門店「フランクフルト」でベーコン。肉屋「とらや」で鶏もも肉。自然食品店「ナモ兄弟の店」でジャガイモ、ニンジン、タマネギなど。「三ツ矢酒店」で国産の無添加白ワイン。
帰宅後、鶏もも肉と根菜の洋風煮込みをつくる。ワインとチーズ、煮込みでダラダラと夕食。基本的に夜は炭水化物を摂取しないことにしているのだが、「アンセン」のパンがあまりにうまいので食べてしまった。ワインの飲みすぎだろうか。酔いと満腹でそのまま気を失う。すなわち居眠り。
喰いたいから喰う、寝たいから寝ると本能の赴くままに過ごした一日。読書もマンガばかりだったなあ。
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一月九日(日)
「油断」
喰いすぎたことに、なぜか罪悪感を感じた。人は、いやあらゆる生き物は他の生き物の命を奪うことでしか自分の命を維持できない。だから喰うこと自体は悪ではないし、むろん罪悪感も感じない。だが、必要以上の食べ物を摂ることは、必要以上の命を奪うことではないかと最近は思う。一日三度の――ぼくは二度だが――食事は命を維持するための活動だが、それをいかに楽しむかは人間の生活、いや人生を豊かにするために不可欠の要素であるが、過剰な摂取やいわゆる食べ残しは、豊かさを通り越しておろかでしかない。そんな考えがどこかにあったからか、それとも単純に飲みすぎて宿酔いなのかはわからないが今日は体調が悪い。体調を戻さねば、というよりは食べ過ぎたことに対する反省の気持ちが先走りして、朝から妙に落ち着かない。頭は疼き、胃は重たい。なのに気がせく状態というのはタチが悪い。
精神の不安定な状態は、生活のどこかにゆがみを生じさせる。前回猫たちがケンカしたのは、おそらくはぼくとカミサンのいらいらした気分が生み出したゆがみが原因なのではないかと思う。だとすれば――今日のぼくの状態は、猫たちの心に影響を与えかねぬほどのものだったのだろうか。
自分を責めてもしかたない。まずは状況を書かなければ。
七時起床。食い過ぎで重たい身体をひきずるように動かしながら身支度し、事務所へ。休日出勤である。
作業中、カミサンから電話。声よりも荒い息づかいが先に耳に入った。不測の事態か。聞いてみると、また花子と麦次郎が大げんかをして、花子が興奮状態になったらしい。手がつけられないようだ。ひとまず仕事を中断し、大慌てで帰宅することに。十三時。
帰ると玄関でウーウーと唸りつづける花子が出迎えてくれた。お出迎えはうれしいが、態度から察するにあまり歓迎されていないらしい。声をかけても、反応はすこぶる悪い。すこし身体を動かすだけで激しく威嚇される。これでは家の中に入れない。長期戦の構えで花子をなだめ、玄関のすぐ横にある書斎に花子が向かった瞬間、玄関から傘でさっとドアを閉めた。これで落ち着くまで隔離できる。
家にあがり、カミサンから状況の説明を受ける。どうやら洗濯物を干すためにベランダに出たわずかな時間に、麦次郎がちょっかいを出し、それに過剰反応してしまったらしい。麦の態度はすでにいつもの状態に戻っていて、それどころか花子の状態を心配しているようなフシもある。あれこれ察するに、どうも花子は便秘になったり毛玉を吐き出せなかったりするとストレスが溜まり、そんなときに麦次にちょっかいを出されたりすると感情が爆発してしまうらしい。今後は便秘状態になったり毛玉が溜まりはじめたら麦次郎と隔離する、目を離すときは隔離する、一緒の部屋で留守番させない、といった決まり事をつくって徹底する必要がある。そんなことを話しあっている間も、花子はニャーニャーと鳴きつづけていた。
ひとまず便秘状態は解消できたようだ。興奮した花子は、脱衣所に大量のウンコをしていた。おそらく嫌がらせだと思う。
夜、なんとか花子を落ち着かせ、ぼくは廊下に寝ることに。花子は書斎と廊下を行ったり来たり。まだ時折シャーとぼくに向かって威嚇するが、身体をこすりつけて甘えることもある。かなり不安定なようだ。いずれにせよ、油断はできない。
こんな状況でも少しは読書した。『戦後短篇小説再発見7 故郷と異郷の幻影』より、井伏鱒二「貧乏性」を読む。時間の組み立てかたがうまいなあ。
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一月十日(月)
「要求」
五時、花子にゴハンをせがまれる。与えるためには缶詰めを開ける必要があり、そのためにはキッチンに行かなければならない。だがそのわずかな時間でも、ぼくが姿を消すことが花子は気に入らないらしく、というより不安に駆られてしまうらしく、すぐに大声で鳴きはじめ、戻ってもシャーと威嚇されてしまう。興奮がどんどんエスカレートするので、しかたないからケージに入ってもらうことにした。
七時起床。花子はケージに入ったまま。
八時、事務所へ。E社ウェブサイトなどを黙々と。カミサンから花子がだいぶ落ち着いてきたとメールが届く。麦はあまえっぱなしらしい。
カミサン、猫たちが心配ではあるが、家にいても何もできないからということで、以前から義母と約束していた歌舞伎を見に行く。退社後、西荻窪の韓国料理店「梁の家」で夕食。おいしかったが、接客が悪い。「どんぐり舎」の珈琲で口直ししてから帰宅。
二十二時、帰宅。花子はぼくを見ると「出せ出せ」と言いつづけるが、カミサンだとそうでもないらしい。毎朝のゴハン係のほうが、要求をちゃんと聞いてくれるということか。この日記を書いている今は、ケージから出ている。締め切った書斎のなかでではあるが、花子はリラックスしてゴハンを食べたり居眠りしたりを繰り返している。
中沢新一『虹の理論』を読みはじめる。
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一月十一日(火)
「小康」
花子はかなり落ち着いたようだ。般若のような顔をして威嚇することもなくなった。時折あまえてくるのだが、そのしぐさが極端だったり一転して怒りだしたりといった様子もない。気まぐれなドウブツであるがゆえに気まぐれな態度の急変がもっとも怖い。それがゆるやかであるなら、気まぐれさは猫の最大の魅力だと思うのだが。
八時、事務所へ。E社企画など。午後より小石川のL社にて打ちあわせ。せわしなく仕事をこなしつづける。
夕食は事務所で摂ることに。「オリジン弁当」のお総菜を、細木数子の番組を観ながら食べる。
二十一時三十分、店じまい。
日記を書いている横で、花子は念入りに毛繕いをしている。床にゴロリと横たわる呑気な様子は、岩場で昼寝するアシカだかオットセイのように見えなくもない。アシカ、オットセイというと、麦次郎のほうがお似合いなのだが、その麦次は花子よりちょっと落ち着きがないようで、ちょっと目を離すとナンナンと鳴きつづける。花子に会いたいのか外廊下をパトロールしたいのかはわからないのだが、強い欲求があることだけは確かである。
中沢新一『虹の理論』。オーストラリアのアボリジニーに伝わる、虹の蛇の伝説の考察。論文じゃなくて、限りなく小説に近いので読んでいておもしろい。著者は「寓話」と言っているが。
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一月十二日(水)
「飽和」
毎晩書斎で花子と寝ている。
四時三十分、花子にゴハンをせがまれ起床。与えたあと、すぐに狭苦しい書斎に敷いた蒲団にもぐり込んだが、花子に部屋から出せとせがまれ、どうせ麦次郎は和室で熟睡しているのだからと思い、起床するまでの二時間だけ廊下に出してやることに。ドアを開けると、するりとすり抜けるようなしなやかさで花子は書斎から出て、そのままどこかに消えてしまった。そのまま構わず寝てしまう。
六時四十五分起床。花子はいつの間にやら書斎に戻っていて、クローゼットの中にもぐり込んで熟睡していた。そのまま眠りつづけてもらうことにし、身支度をはじめる。
八時、事務所へ。午前中はE社のプロモーション企画。昨日まで頭の中は真っ白だったのだが、今日になって急に構想がまとまった。こんなこともあるもんだ。
十三時、水道橋のE社で打ちあわせ。帰社後もE社企画。その他、休眠物件がいくつか動き出した。頭がいっぱいいっぱいになってしまう。
二十時、店じまい。朝早くから仕事を始めている分、夜の作業がしんどくなってきた。体力的な問題ではなく、集中力がつづかないということ。頭が飽和状態になってしまうのだ。
日記を書いている横で、花子がスリスリと身体をこすりつけて甘えてくる。かと思えばガブリとかみついたりもする。今は書斎を言ったり来たりしながらフニャンフニャンと鳴きつづけている。部屋に幽閉されていることから来るストレスが飽和状態に達したのだろう。息抜きをさせてやらねばならないのだが、もっとも効果的なのは他の部屋に連れていってやることだ。今晩から、寝るときだけリビングに連れていこうかと思う。
中沢新一『虹の理論』。
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一月十三日(木)
「急務」
六時三十分起床。花子が早朝から騒ぐおかげで早起きの癖がついたが、早朝からの仕事は頭がまだ濁っていないせいか、すんなりと集中して仕事をこなせるようだ。ただし、午後になると効率が低下するのを強く実感してしまい、それが非生産的に思えてしまうのが問題といえば問題である。もっとも、実際に生産性が落ちているというわけではない。仮に効率が悪くなったとしても、それを花子のせいにするつもりはない。早起きは恩恵のほうが大きいと信じておきたい。
一方で、夜型ニンゲンのカミサンは迷惑を被っているようだ。ぼくが早起きしても最近は寝る部屋が別々だから影響はないだろうと思っていたが、ぼくに合わせてなぜか麦次郎までが早起きするようになってしまった。いや、ぼくにあわせているのではなく、花子に合わせているのだろう。起きるといいことがあるのかもしれない、と思っているみたいだとカミサン。たしかに朝の麦次郎の表情は、何かに対する期待に満ちている。
八時三十分、事務所へ。E社企画、N社折り込みチラシ、E社パンフレットなど。
十五時三十分、カイロプラクティック。終了後、カミサンとユザワヤで文房具の買い出し。パルコの「リブロブックス」で、『群像』
2月号、中上健次『風景の向こうへ/物語の系譜』。
帰社後は溜まりに溜まった事務処理。黙々と帳簿をつけていたら、あっというまに二時間が過ぎた。
中華料理「喬家柵」で食事してから帰宅する。
夜、すこし目を離すと花子がさみしいと鳴きつづける。まだ不安定な状態はつづいているようだ。さみしさと不安を解消することが急務。
「週刊モーニング」を読んでいたら、活字を読む時間がなくなっちゃった。
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一月十四日(金)
「泥々」
六時三十分起床。ここ数日、坐骨神経痛が再発。原因はよくわからないが、間接的には正月の暴飲暴食が影響しているのではないか。胸の上で寝ていた花子をゆっくり起こし、ゆっくり右側から斜めに身体を迂回させるように起き上がる。身体を起こしてから立ち上がるまでが一苦労だ。朝のこのひとときがもっとも痛む。足に力を入れた瞬間どれほどの痛みに襲われるかは未知数だ。わからぬ痛みに対する恐怖を感じる。おおげさに思えるだろうが、悪化の末歩けなくなったことがあるのだから怖れるのはしかたない。しかし、立ち上がると意外に足も腰も痛まない。そこから先は思い返すだけでわれながら呆れるが、ごくごく普通の朝のひととき。ときおり軽く痛むのを感じながら、顔を洗い、湯を沸かし、スープを飲み、着替える。
八時、事務所へ。E社パンフレット、N社チラシなど。十時三十分、代官山のJ社で打ちあわせ。つづいて大崎へ。ゲートシティで食事してから、五反田のL社で打ちあわせ。十五時帰社。帰社後はE社企画を黙々と。二十二時、店じまい。
寝る前に、先日購入した美内すずえ『ガラスの仮面』42巻を読む。うわー、どろどろの恋愛マンガになってるぞ。登場人物がケータイ使っているのが不自然。お金のないマヤはケータイ持ってなかったなあ。
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一月十五日(土)
「黙々」
今日も痛む。冬の寒さが原因だろうか。昨日とおなじ手順で身体を起こす。昨日より痛まない。
雨。冬の雨は静かに降り、そしてひっそりと雪に変わる――そんなイメージを勝手に抱いていたが、今朝の降りは力強く、それでいて冷えているからタチが悪い。八時十五分、寒さに身を縮ませながら事務所へ。
E社パンフレット、N社チラシ。ひとりで黙々と作業をつづける。誰からも連絡がないと集中できるが、逆に息抜きのきっかけが見つけられなくなり、ついオーバーヒート状態に陥ってしまう。十九時、店じまい。
中沢新一『虹の理論』。
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一月十六日(日)
「往復」
七時起床。真暗な空の色がしんしんと降り積もる雪を連想させたが、ちょっと耳を済ませばベランダを打つ雨音がすぐに聞こえてくる。金曜、土曜の天気予報にはさんざん雪だ雪だと脅され、昨夜も関東甲信越で大雪の模様を報じているが、東京はといえば暖冬の拍子抜けた雨が中途半端に強く降りつづけるばかりだ。
雨音に落ち着かない気分にさせられているのか、花子は部屋のあちこちを行ったり来たり。リビングがいいと言ったかと思えば、すぐに書斎に行きたいとねだりはじめる。書斎に連れていけば、今度はひとりじゃさみしいと主張する。その繰り返しだ。
八時、事務所へ。日曜だが、今日も働く。E社ウェブサイトを黙々と。
十八時三十分、帰宅。
夜、花子と麦次郎をドア越しで対面させてみる。おやつ用のドライフードを与えながら様子を見る。おたがいの存在に気づいているようだが、まったく敵意を示さない。思えばこのふたり、今朝の花子のように不仲と仲良しを行ったり来たりしつづけている。猫とは他者とのかかわり合いまでもがきまぐれになるのだろうか。
中沢新一『虹の理論』。レヴィ=ストロースの「半音階的作品」におけるワーグナー「トリスタンとイゾルテ」の考察。
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一月十七日(月)
「過食」
食べ過ぎると次の朝がつらくなる。暴食と呼べるほどの量ではなく、半年前の自分なら、ちょっと抑えすぎたかな、と考えそうなほどの量しか食べなかったというのに、蒲団の中で横たわる身体の半分以上が胃袋になり、それが重たい鉛にでもなってしまったような感覚に捉えられ、腹の重さに耐えかねてなのか、一晩に何度も目覚めてしまった。そのたびに、花子が腹の上で寝ていることに気づく。しかし、鉛の胃袋と花子の寝方はさほど関係がないようだ。花子が腹で寝ようと胸で寝ようと右足と左足のV字の谷間の間で寝ようと、おそらく夕べのぼくの胃袋は鉛のままだったからだ。歳をとって体質が変わり、胃袋もずいぶんと縮みはじめていることを、頭に入れておく必要があるだろう。
八時、事務所へ。十一時、D社にてプレゼン。阪神淡路大震災から十年ということもあり、ビルのロビーで防災グッズを販売していえた。十五時、ウチの事務所でO社のPさんと打ちあわせ。二一時三十分、店じまい。
花麦、夜はお互いの存在をずいぶんと気にしているようだ。もう数日、ドア越しの対面を行いながら様子を見極めようと思っている。
中沢新一『虹の理論』。
古井由吉『ひととせの 東京の声と音』をウンコしながら読むことにした。日経新聞に連載されていたエッセイだから、全部一度読んでいるのだけれど。
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一月十八日(火)
「傾聴」
ここ数日、身体が重かった。耳を澄ませて、なぜ重いと感じるのかを身体の中から聞き取ろうとしていた。と、そんなことを書くとなにやら超感覚的であやしげな雰囲気すら沸き起こるかもしれぬが、たいしたことではない、耳を澄ますとはたんなる比喩で、要するに五感を研ぎ澄ませて身体の運行に滞りがないかを調べようとしただけだ。触る、という手もあるかもしれぬが、こんなときは耳を澄ませるのが性に合っている。自分の呼吸の音を聞き取ろうとし、吸って吐くという単純な動作からする音が異様に軽く、しずかになっているのに気づき、緊張のためか集中しすぎたのか、浅い呼吸を顔と喉のあたりだけで繰り返し、息苦しくなっていたこともある。筋肉と関節が立てるかすかにきしむ音に、身体の疲れを感じることもある。
今回の身体の重さはなにゆえだろう。じつは察しはついている。便秘である。といっても、数週間もためっぱなしというわけではない。おととい、便の出が悪かった。それだけのことだ。だが、それだけのことでもこの半年、軽い異常、兆候のようなものが「症状」に近いかたちで極端に表れるようになった。朝食は水分のみ、昼は炭水化物中心、夜はたんぱく質中心という食生活にしてから、明らかに体質が変化した。体脂肪率が激減し、便通は下痢ではないのに最低一日二回、多いときは四回でるようになった。これが一回しか出なければ立派な異常である。おそらくはこれが原因だろう、とあたりをつけつつ、身体の内側に向けて耳を傾けてみた。消化器官が微かに音を立てている。食べた物を懸命に次の器官へと送りだそうとしている音か、栄養素を吸収する音か、よくわからないが、しかし確実に音はしている。この音が、歪んでいるような気がしてならない。ああ、これか。そう思いながら夕べは小一時間ほどストレッチしたら、筋肉といっしょに消化器官も緩まったのだろうか、たちまち便がどっと出た。しかも、三回だ。
三度の便通のおかげだろうか、今朝は六時にすっきりと目が覚めた。蒲団の中でうだうだせずに起き上がることができたのは、何ヶ月ぶりのことだろうか。目覚めのよさに機嫌よく身支度をする。花子はぼくの心の軽さと身体の軽さに気づいたのか、激しく自己主張することもなく、ご機嫌そうにホットカーペットの上で転がっている。その花子は激しい便秘体質だ。今朝は長い便秘のあとにすっきりした表情を見せた花子の気持ちがよく理解できた。知ることとは、体験することだ。そして体験するためには、まず耳を澄ましてみるべきなのかもしれない。
八時三十分、事務所へ。E社パンフレット、N社チラシなど。一日中黙々と作業をつづける。
二十時、店じまい。
夜、花子も麦次郎も顔を合わせたがるようなそぶりを見せたが、今日も見送ることに。もうすこしドア越しゴハンをつづけて慣らす必要がある。
中沢新一『虹の理論』。動物と会話することができた聖人君子たちのコミュニケーション方法についての考察。訓練や擬人法によって異質な生物的コードに接続をおこなうのではなく、異質なコード同士(聖人のコードと動物のコード)が、異質性を保ちつづけたままで瞬間的に触れ合う、という分析が妙におもしろく感じた。違う言語を話す外国人同士のたどたどしいボディランゲージなどとはまったく別の次元での会話。文字通り、次元が違うのかもしれない。そこでは、ニンゲンはどのようにして耳を傾けるのだろう。
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一月十九日(水)
「薄暮」
薄暮とはいつの季語なのだろうか。陽が薄く暮れてゆくさまを頭の中に描いてみると、淡く軽やかな色の花が忍び寄る闇に溶けながら消える、そのゆるやかな時の流れが思い浮かぶ。六時、蒲団の中から明けゆく空を観たときに、なぜだか「ああ、薄暮だ」と感じた。朝と夕、時間はまるで正反対であり、暮れるのではなく明けるのだというのに、先に浮かんだイメージが「暮れ」であったのはなぜだろう。寝ぼけた頭から時間感覚が一切合切失われてしまっていたのか。それとも、太陽の動きの対称性、陽が暮れて夜が明けるまでのシンメトリックな時の移ろいを漠然とながら感じ取っていたのか。よくわからないが、この光が薄く広がる朝の様子には花子も体内時計を狂わされたようで、ぼくが起きるまで彼女はゴハンを催促しなかった。麦次郎は朝が来たことも気づかず、眠りつづけている。ぼくが身支度をはじめると、物音に気づき、つられて起きた。
八時、事務所へ。N社チラシ、E社パンフレット、E社ホームページなど。
十四時、久しぶりに飯田橋の代理店N社へ。T社業界紙広告の打ちあわせ。つづいて小石川のL社へ。M社PR誌の打ちあわせ。
十八時三十分、帰社。戻ると、昨日発送したと購入先からメールが来ていた、PDA用の赤外線ワイヤレスキーボードが届いた。仕事の合間にセットして、テスト入力してみる。タッチは軽やかだがしっかり打鍵できる。これはヨイ、と思ったが、英語版なので日⇔英切替えモードがなくてちょっと不便。
二十一時、店じまい。「モカッフェ」で夕食。食事中、ガシャンと大きな物音がしたので何かと思えば、ここの看板トリであるモカちゃんの入った鳥籠が床に落ちていた。モカちゃん、どうやら落下のショックで足を折ったようである。店員さん、お店を閉めてモカちゃんを病院に連れていきたいと訴えてきたので快諾する。ついでに、わが家の歴代のトリたちが世話になっている「鳥の病院 中野バードクリニック」を紹介してあげた。うーん、これは運命の引き合わせか。こうなることを無意識に察知できたのかなあ。
中沢新一『虹の理論』。異世界に住む存在と意志疎通するための「コード」。
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一月二十日(木)
「飽和」
一日お仕事していたら、頭がパンクしちゃいました。おしまい。
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一月二十一日(金)
「朝型」
六時起床。花子をグリグリとなでくりまわしながら、薄暗闇の中で身支度する。少しずつ窓から陽が射してゆく。近所の家々に遮られて朝陽は見えぬが、空はうっすらと橙に染まっている。朝焼けというには薄くて、弱く、寒々しい。
七時、事務所へ。この時間に見かける女性は、みな企業へ勤めるOLなのだろうが、どういうわけかみな小走りだ。西荻窪界隈に住み、七時に駅に向かうということは、始業時間が早い企業なのか、それとも場所が遠いのか。交通の利便性が強みの中央線に住むメリットがなさそうだ。
掃除を済ませてからE社パンフレットのコピーを延々と。睡眠時間が短くてもさほど体調に影響はない。朝型とは思いのほか集中でき、電話などの連絡に手間取ることもないので作業効率もすこぶるよくなる。
十七時、B社のFさん来社。ぎりぎりで書き上げたE社のコピーを渡し、デザインを依頼する。
買ってきたお総菜を事務所で食べて夕食。T社の新聞広告、E社――といっても別の会社。先のE社は通信関連、こちらのE社はハウスメーカー――のパンフレットなど。二十三時、終わりそうにないので自宅に持ち帰って作業することに。
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一月二十二日(土)
「航海」
昨日からひきつづき仕事。花子をかまいながらダイニングテーブルにPowerBookを置いて作業する。さすがに二時を回ると集中力も落ちる。ストレッチをしたり、珈琲を飲んだりとリフレッシュの時間をつくってみるが、根をつめすぎているのか、なかなか気持ちがリセットされない。三時三十分、きがつくと舟を漕ぐようになっていた。このままでは、知らぬ間にPowerBookに倒れ込んで、眠りの大海原に航海しはじめてしまうかもしれない。限界か。風呂にはいってから床に就く。四時三十分。
七時三十分、起床。三時間、いや実際には六時に一度起きて花子にゴハンを与えたあとは、蒲団には入ったもののうとうとしていただけだから正味二時間だろうか、その程度しか寝ていないのだが、不思議と苦痛を感じない。若干身体にこわばりを感じる程度か。
八時頃より仕事。背中の張りを気にしつつ、残してしまったE社パンフレットの構成を片付けてしまう。九時には終了。今思い返すと、終わった途端に仕事のことは忘れてしまった。切り替えて休日を満喫するつもりになっていたのか、イヤなことはすぐ忘れようという俗っぽい人生訓に無意識ながら従ったのか。もちろん、イヤなのは仕事ではなく土曜に働くという時間の使い方だ。
掃除、ドウブツたちの世話。テレビアニメ「あたしンち」を少々。
午後よりカミサンと外出。東京駅のステーションギャラリーで国芳・曉斎展を観る。国芳といえばクジラと格闘する宮本武蔵、曉斎といえば鴉である。活動した時代も異なる。どうしていっしょくたにされたのかと不思議に思ったが、たしかに並べて見せられると共通点は多い。両者とも魑魅魍魎を描くことに没頭した時期がるらしく、またそれらは必ずユーモラスでシニカルな作意に支えられていた。今回は、その遊び心に満ちた、それでいて寸分の隙もない作品を堪能できた。曉斎は好きな画家だが、浮世絵作品には関心がなかった。曉斎に対する視野が広がったことだけでもこの展覧会は有意義だった。
つづいて御徒町へ。宝石街――といっていいのだろうか――にある天然石の専門店で、カミサンの新しい立体作品用の材料として使うための原石を購入。原石といっても、加工の最中に生じたらしい、さざれ石、小石の類である。
新宿へ移動。靴が痛みはじめたので小田急、伊勢丹と回ってみるが、気に入ったものが見つからない。ついでに「ヨウジヤマモト」で春夏の新作をチェックするが、食指が動かない。カミサン「守りに入ってるね」。昨年の春夏はスカートをつかったサムライスタイル、秋冬はファスナーとタイトなパンツ&ドクターマーチンという新しいスタイルへの挑戦、新世界の開拓意欲に満ち溢れていたのだが、この春夏は裏地のストライプを表側まで見せるようにつくった二枚重ねのジャケットは「コムデギャルソンオム」の二番煎じのようで心に響かず、目玉のひとつであった細かなファスナーポケットをちりばめたジャケットも小手先だけでデザインしているようだ。先シーズンのようなダイナミズムが感じられず、チャラチャラとうるさい。デニムパンツには興味がない。立ち上がりはなにも買わずに退いた。四月ごろの企画物に期待したい。
十八時頃、荻窪の西友へ。なにげなく靴売り場をのぞいてみると、ほしかったカタチとは違うのだが軽量で履きやすく、普段来ている服との相性もよい国産メーカーの商品を見つけてしまった。一万五〇〇〇円と値段も手頃だが、今日までセゾンカード会員優待で10%オフで買えるのがさらにうれしい。カミサンも、意外ながらヨウジの服にバッチリ合う、部分的にレザーをあしらったナイロンキャンバス地のちょっとヒールが高めになった靴を見つけてしまった。こちらはオールレザーでないせいか、値段は五〇〇〇円もしない。早速購入してしまった。幸せの青い鳥はすぐそばにいた、というわけではないが、探し物は案外身近なところにあったりする。偏見、思い込みのフィルタを捨て、可能性を広げていくことが大切、というわけか。
夕食の食材を買って帰宅する。
ステーキを焼く。が、寝不足で勘が鈍ったのか、今ひとつ焼き上がりに納得できず。火加減に思いきりが足りなかったかもしれない。
花子と麦次郎を対面させてみる。さほど敵意はないようだ。怒り出しもしない。これならすぐに同居生活に戻れそうだ。
中沢新一『虹の理論』。自然と文化の接触コードという考えを軸にした、ロマン主義音楽から近代音楽への進化論、とでも言おうか。
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一月二十三日(日)
「夜明」
しんとしずまり、冷えきった部屋の空気で目が覚めた。午前六時。まだ陽は昇らず、空は暗闇に覆われていたが、その闇もすこしずつ薄くなっているようだ。蒲団から抜け出す。ぼくが起きたのに気づいた花子は、トイレやら洗面やら、ずっとあとをついてくる。ゴハンを与えるが、たべている間もちょっと目を離してほかのことをはじめようとすると、不安そうな表情でぼくの動きを見つめている。漠然としたさみしさを感じているのか。そうならばそのさみしさはなにから生れてきたのだろうか。ああ、夜の闇か、と脈絡もなく納得してみる。その闇は、気づいたときには闇ではなく、厚い雲に覆われ朝陽の見えない朝の曖昧な明るい空へと変化していた。
朝の訪れに安心したのだろうか。花子はホットカーペットに倒れ、そのまま延々と眠りつづけた。
九時まで読書などして過ごす。十二時までは掃除など。麦次郎が外に出たいとせがむので出してみると、外の寒さにあっさり負けていそいそと部屋へと戻ってしまった。
掃除など。午後より外出。「アンセン」でパン、「ポパイ」で靴底の張り替え手配、「ストーンズバザール」でまた原石漁り、西友で豚バラ肉、「三ツ矢酒店」で日本酒一本、生協でチンゲンサイ、レタスなど。
「アンセン」の菓子パンで軽く空腹を満たしてから、十七時より夕食の準備。トンポーローをつくる。二十時、ようやく完成。味はすこしやわらかみに欠けたが味はカンペキ。手間はかかるが調理自体はカンタンな料理だから、これもわが家の定番になるかもしれない。
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一月二十四日(月)
「静寂」
五時起床。陽の登る前から起きるのが癖になってしまったようだ。花子にゴハンを与えても、もう一度寝ようという気になれない。静まりかえった家の中で、うろつきまわる花子をいじりながら朝食代わりのみそ汁を飲んだり服を着替えたりするのがなぜだか楽しい。
六時、事務所へ。掃除、片付けをし、日の出とともに仕事をはじめる。E社パンフレット、M社PR誌など。黙々と、黙々と仕事をつづける。二十一時、店じまい。
中沢新一『虹の理論』。中世の庭づくりと虹の関係。
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一月二十五日(火)
「爆発」
まただ。もう大丈夫、もうすぐ仲直りできるから。そんなほんの一瞬の油断が花子と麦次郎を喧嘩させてしまった。トイレに入ろうとリビングのドアを開けた瞬間、隙間から花子がスルリと抜け出した。あ。慌てて後を追う。いつもなら廊下で抱きかかえ、そのままなだめながら連れ戻るのだが、今回はそれができなかった。書斎のドアが開いていた。麦次郎がいる。クローゼットの中で寝ているはずだ。花子は書斎へとまっすぐ走る。そこに麦次がいることなんて気づいていない。いや、気づいていたか。それとも書斎で花麦が対面してしまうことにぼくがパニックを起こし、それに花子の繊細な精神が敏感に反応したか。パニックのために気づいたのか。花子を抱きかかえようとする。だめだ。興奮する花子。ウーウーと唸る。麦次郎が起きてきた。足元にやってくる。花子と麦次の目が合った。たちまち互いに戦意と敵意を示しあう。激しく威嚇しあう。ぼくの足元花子は半狂乱だ。叫んで入浴中だったカミサンを慌てて呼び、麦次郎を押さえてもらう。引っ掻かれるのを覚悟で手を出し、無理やり花子を身体を両手で掴む。抵抗された。左足を噛まれた。だが痛みなんて感じない。感じないほど、動転しているのだ。抱き上げる。だが花子は陸に上がったばかりの魚のように、激しく身体をくねらせ暴れる。腕も手も噛まれ、引っ掻かれる。手から落ちた。そのままリビングへ走る花子。ドアを閉める。ぷちのカゴを置いてあるワゴンの下で半分怯え、半分興奮しながらこちらを威嚇しつづける。なだめても無駄だ。攻撃されるのを覚悟でキャリーバッグに花子を押込め、麦次郎を隔離し、書斎のケージに入れる。だめだ。興奮している。小便や大便をまき散らしながら暴れ、叫びつづけている。あとはケージの中で、時間に解決してもらうしかない。しばらく閉じこめ、興奮状態が収まるのを待つことにした。-----
一月二十六日(水)
「余震」
五時半起床。
よい比喩とは言いがたいが昨日の事件が大地震だとすれば、今日はまだ激しい余震がつづいている状態だ。朝になっても興奮状態から抜け出せない花子。声をかけても、ぼくらが飼い主だとわからない様子だ。世の中のすべてが恐ろしい敵に見えるのだろうか。放っておくしかない。身支度をし、祈りながら家を出る。六時三十分。
仕事も爆発状態だ。満足に食事する時間もとれず、二十三時過ぎまで働きつづける。
帰宅後もまだ余震状態はつづいていた。今朝よりは落ち着いているが、声をかければすぐに威嚇されてしまう。
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一月二十七日(木)
「馴致」
次第になれてきたようだ。五時三十分、様子を見にそっと書斎を覗き込む。昨日までは威嚇されたが、今日はやさしい、さみしい声で返事をされた。そっと手を差し伸べてやると、ほおずりして甘えてくる。興奮状態は去ったようだ。しかしまだ油断はできない。このあと、また麦次郎との関係をゆっくり修復する必要もある。
六時三十分、事務所へ。昨日から引きつづき激務がつづくが、午後にはようやく落ち着いた。
十五時三十分、カイロプラクティック。
十九時、早めに事務所を閉める。今の花子に必要なのは、喧嘩の原因となっている花子の心の中の問題、パニックを起こしやすいことや(どうやら、何らかの)トラウマを抱えている(らしい)ことの解決、それから花子が安心して、パニックを起こさず家の中で暮らせるようにするための環境を整えることだ。吉祥寺ロフトで、パニック状態に効くバッチフラワーレメディを購入。今夜から処方することにする。つづいてユザワヤでアコーディオンドアを下見してみる。おとといのように、ドアの隙間から抜け出して別の部屋にいた麦次郎といきなり対面してしまうことを防ぐために、廊下のどこか途中にドアを取り付け、ここでストップさせるのが目的だ。まずはこの二点からはじめ、すこしずつ他の対策も考えていきたいと思っている。
気晴らしに「ナマステカトマンズ」で夕食。ネパール料理。マトンとほうれん草のカレー、サモサ、コテというネパール餃子。二十二時、帰宅。
夜は花子といっしょに書斎で寝ることにした。抱きかかえると小便くさい。失禁したときに、かなりの量が身体に付着したようだ。
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一月二十八日(金)
「共生」
五時起床。花子は一晩中落ち着いてぼくの横で熟睡していたようだ。寝ていたのは四時間半程度だから、その間に花子の精神状態が急変するような事態が起こらなかったということか。精神が爆裂する回数はたしかに増えてきたが、それに対し慣れたのか、平静な心に戻るまでに要する時間は短くなりつつあるようだ。もっとも、そんなことに慣れてしまっては困るわけで、爆裂する状況をつくりださないこと、二度と爆裂せずに麦次郎と幸福な共生をつづけること、この二点を実現する必要があるわけだ。いや、極論を言えば実現する必要は――猫たちにとってみれば、ひょっとすると――ないのかもしれない。しかしそれでは悲しすぎる。二匹の共生は、ニンゲンのために実現すべきものなのかもしれない。ぼくらニンゲンは、目標や目的がなければ生きられない存在なのだから。
六時、事務所へ。早朝からの仕事がここちよく感じられるようになってきた。冬はまだ気温も十分あがらぬ時間に人もまばらな駅前をさみしく歩かなければならないのだが、夏は暑い光にさらされるまえに仕事をはじめられるのだから、早起きはさらに能率的かもしれない。
人もまばら、それがさみしいと書いてはみたが、実はそのまばらさ、さみしさが意外に心地よかったりする。さみしいとは、要するに空疎さを感じるということであって、自分の心がなにか別の対象を求めはじめてしまう、ということではないはずだ。むしろ、人のまばらな街中は、夜の静まりに浄化されたようにも思え、そこを歩けば自分も浄められた気分になる。
E社ホームページ、E社パンフレット、M社企画など。十六時、E社ホームページの件でシステム会社であり今回制作指揮も担当しているT社の社長、Nさんが来訪。以前に一度来ていただいたことがあるのだが、覚えていなかったのか、かなり道を迷われたようだ。なぜ迷ったか、その理由に心当たりはあるが、ここでは詳しくは触れないでおこう(笑)。
間違いファクスが届いた。電話ではよくあるが、ファクスははじめてだ。内容は、鎌倉駅近辺の地図。どうやらウチとおなじ広告関連の制作会社が代理店宛に送ったパンフレットかなにかに掲載するためのデザイン案らしいのだが、これが偶然にも、週末訪れる予定の友人の家の近所の地図だったので驚く。間違いファクスをしたちょいと間抜けな制作会社にはわるいが、その地図は拝借して友人宅に行くときに使わせてもらうことにした。
十八時、いったん仕事の手を止めて吉祥寺へ。花子がニョロリとほかの部屋へ侵入し麦次と鉢合わせしないようにするためのストッパーがわりになるものを探しにゆく。昼間もチラリと事務所の近所のリフォーム屋に相談しにいったのだが、リフォームで対応となるとアコーディオンドアくらいしか手法がないらしい。横幅の廊下の途中にそれをつけるとなると、畳んだときに二十数センチはスペースを取られてしまうのでニンゲンが通り抜けしにくくなるという問題が生じてしまう。そこで思いついたのがパーテーション、ついたての類いだ。「大塚家具」で相談してみたが、カッコイイのは一点で十万くらいと予算オーバー、しかも壁面から床までの間に十センチ以上の隙間が空くものばかりで、これではストッパーの役目を果たさない。ほか、ロフトやパルコの「フランフラン」など見てみるが、適当なものが見つからない。結局「ユザワヤ」の木工売り場を下見した時点で「自作しよう」ということで落ち着いた。
夕食は炭火焼肉「五鉄」で。ゲタカルビ、タン塩、レバー、ミノ、韓国風イカ刺し、キムチ。久々に中ジョッキ、レモンチューハイを飲んだら酔った。
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一月二十九日(土)
「虚脱」
四時三十分、いつもの癖で目が覚める。しかし花子にゴハンを上げた時点で気が抜けてしまい、二度寝してしまった。夕べ久々の酒に酔いすぎたせいもあるのだろうか。八時にきちんと起きたときは、胃が重く自分の内臓じゃないような気がした。
十二時、カミサンと義母宅へ。義母が岡山の義父のところに行っているあいだ、お留守番中の桃子の世話をする。ついでに義母宅のトースターを借り、それで持参したパンを焼いて昼食。置いてあった高そうなブルーベリージュースも飲んでしまった。
十四時頃、品川の寺田倉庫へ。「ヨウジヤマモト」のファミリーセールだ。ぼくらと似たようなファッションの人、ぼくらよりも着こなしが上手くイキな人、そうでもない人、ふつうの人なんかで会場はごった返している。カミサンと別行動にして特価品を物色。メンズの場合、大量につくられたおなじものばかりが売られていることが多い。それらは大抵「うーん、どうしてこんな商品つくったんだろう」と訝しんでしまうようなデザインのものも少なくはないのだが、それでもときたまお宝は隠れている。レディスは商品点数がメンズより多いようで、そのせいか「なぜ売れ残ったのだろう」と思うようないい商品がたくさん出ているようだ。ぼくは夏物の麻混のパンツ一本、クリーム色のシャツジャケット一枚、黒の定番シャツ一枚、白の開襟シャツ一枚、ハイネックのカットソー一枚、グレーのセーター一枚をゲット。カミサンはロングコート一着、綿のパンツ一本、カットソー二着、セーター一枚。しめていくらになったかは、書かないでおこう。
会場は人の熱気で暑い。帰りはおかしな感じにほてった身体を、品川駅まで歩いてクールダウンさせた。川沿いを歩く。ゆりかもめが電線にメジロや鳩みたいにズラリと並んで泊まっていたり、おなじ場所をいつまでも左回りにぐるぐる回って飛んでいたりした。杉並ではほとんどみかけない風景が新鮮だ。
西友で夕食の食材などを購入して帰宅。
夜はおさしみ、レンコンと三つ葉のサラダ、そして今週の『週刊モーニング』の「クッキングパパ」にのっていたタラの白子の団子をつくる。ちょっと塩辛くなってしまったが、かまぼこに似た味なのに妙にエアリーでやわらかな食感、そのおかしなギャップがおいしく感じられて後を引く。
中沢新一『虹の理論』。庭の持つエネルギーについて。
長谷川四郎の短篇「シルカ」読了。戦中ロシアの捕虜になった日本人の体験記、のような小説。大岡昇平の『俘虜記』とはまったく異なる世界のような気がする。もっとも『俘虜記』を読んだのはもう十五年もまえで、かなり内容を忘れてしまっているのだけれど。
一月三十日(日)
「酔狂」
五時起床。仕事がない日でも早起きはする。ひとりきりで考えごとをしたり読書をしたり、それが誰からも邪魔をされないのがいい。ノイズも少ない。ノイズとは無論音としてのノイズもあるのだが、思考を妨げたり感情を乱したりする外的要因という比喩的な意味でもある。精神の静寂とでもいおうか。身支度をしてから九時まで三時間半ほど、ときおり甘える花子と話をしながら書き物と読書を交互に愉しんだ。
十三時、カミサンとふたりで鎌倉に住む友人・ゆうりさん宅に遊びに行く。元モデルの美女である。スーパーで買い出しをしてから、占い師の千水さんと合流。千水さんも美女である。
鎌倉は小学校の修学旅行以来だろうか。鎌倉と聞くと、大仏よりも黒々とした深い緑の連なりがすぐに思い浮かぶ。横浜を過ぎると神奈川は山ばかりだ、と誰かが言っていたが、鎌倉の山はなぜか黒く見えるのはなぜか。箱根は黒くない。あくまで印象の話ではあるが。
ゆうりさん宅、白を基調にした可憐なインテリア。一点一点は実際の値段こそ聞いていないがゴージャスな雰囲気に満ちたものだが、まったくそれが嫌みにならず、むしろ心地よい癒しの雰囲気を巧みに醸し出しているから不思議だ。コーディネートがうまいのか。
エリンギのような体形をした猫、アトムくんとも対面。しつこく匂いをかがれ、嗅ぐたびにフニャフニャと不満げな声が漏れる。かまうと攻撃されるから無視してね、とゆうりさんからアドバイスを受ける。なるほどよってきても相手にしないというのは、次の瞬間にどんな行動をとるかが読めないドウブツを相手にするときの最大最良のコツである。実家にいた超凶暴マルチーズのイングリがそうだった。錯乱状態に陥った花子もおなじだ。アトムもそうか。それじゃあアトム、おまえのことは声もかけないし撫でもしないよ。だから頼む、おれのことは気にしないでくれ。はやく匂いを嗅ぐのをやめてくれ。おれはキミのことを遠くから、「巨人の星」のアキコねーちゃんみたいにそっと見ているよ。でもそれはできない。なぜならキミがおれのそばにいるからだ。そばでクンクンしているからだ。おまえはイヌか、ってツッコミいれたいが、パシンと叩いたりしたら怒るんだろうな。叩かないよ。叩かない。叩かないからくっつくな。匂いを嗅ぐな。そんなにおれはくさいのか。嗅ぐな。嗅ぐな。鼻を離せ。あっちいけ。あっちいけなんて、あまりいい言葉じゃないからいいたくないけど、あっちいけ。遠くから「かわいいねえ、いいこだねえ」ってほめてやるからあっちいけ――。ヒヤヒヤしながら匂いをかがれつづけたが、案の定しばらくするとアトムの興奮は最高潮となり、ニャギャギャガガという激しい鳴き声とともに、ぼくはバシンバシンと肩の辺りを二三度猫パンチされ、アワワワと慌てていたら、次の瞬間バクリと二の腕を噛まれた。
二十時まで飲み食いをつづける。春菊とフルーツトマトのサラダ、カンパチのカルパッチョ、アンチョビとケッパーのなんかよくわからんがペースト状になったヤツ、ビーフシチュー、なんだかよくわからないが妙においしいパン。シャンパン、赤ワイン、そしてぼくらが持ってきた日本酒「開運」大吟醸、ドイツの貴腐ワイン。ゆうりさん、料理もうまい。うますぎてくやしくなってきたので、今度はウチに招いて男の料理をふるまってやる。
ゴハンもうまかった。酒もうまかった。だからか、泥酔してしまった。飲みすぎたという感覚はない。だが酔った。睡眠不足のせいなのか。ここしばらく働きすぎていたから、ゴハンと酒で完全電源オフのスイッチが入ってしまったのか。意識が朦朧としている。どうやって帰ったかよく覚えていない。気がついたら翌日の朝五時だった。この日記は、翌日の夜に書いている。
中沢新一『虹の理論』。庭の神秘論。
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一月三十一日(月)
「軽妙」
それでも毎朝この時間に起きようと定めた五時には不思議と目が覚めてしまう。朝の静けさは宿酔いの妙薬かもしれぬ。そう思いながらゆっくり身体を起こそうとすると、花子が腹の横にぴったりとくっついているのに気づいた。夕べぼくの様子がおかしいのに気づき、一晩中心配してくれていたようだ。ゴハンを与え、自分は一風呂浴びてから身支度をはじめる。当然夕べは入浴もしていない。だからくさい。ひょっとするとアトムはしつこく匂いを嗅ぐことで「オマエ今晩風呂は入れないからくさくなるぞ」と警告してくれていたのかもしれない。
六時三十分、事務所へ。まだ酒が抜けていないようで、仕事にまったく集中できない。しかたないから七時三十分から少々仮眠を取ってみた。目が覚めるとアルコールがかなり抜けたような感覚がある。先ほどよりは頭も胃袋も身体も軽い。
十時、霞が関のD社で打ちあわせ。終了後、後楽園へ移動。駅ビルにある「カフェドクリエ」で珈琲を飲みながら仕事する。胃がまだフル稼働してくれなそうなので、昼食はもう少し様子を見てからにする。
十三時、小石川のL社で打ちあわせ。十五時過ぎ、帰社。
帰社後はM社案件など、マイペースに。十九時過ぎ、ちょっとはやいが店じまい。西友、コープに寄ってから帰宅する。
中沢新一『虹の理論』。虹の光の動きを見る方法。
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