「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

二〇〇四年十一月
 
 
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十一月一日(月)
「新・二匹の恢復45」
 
 明け方の雷に麦次郎が大騒ぎしたらしい。花子は平常心で、ずっとケージの上にかぶせた毛布に横になっていたのだから、花子のほうが雷鳴に強いということか、それとも書斎には雷の音が響かなかったということか。ぼくも雷のことは知らなかった。
 
 八時起床。九時、事務所へ。雨は激しかったのか、確かにベランダをしっかり濡らしているが、雨上がりのじっとりとした雰囲気こそあるものの、さほど強く降った後が路上には見受けられない。もやっとした湿気は十一月というよりも桜咲く前の初春の雨といった感じで、狂いっぱなしだった季節感をさらに狂わせる。狂う×狂うで正常に戻ればよいのだが、そうも行かない。異常気象は足し算的に増幅する。
  
 E社PR誌など。
 昼食に、「サンピエロ」のフランスパンを一気喰いする。
 二十時帰宅。スーパーに寄ったが、野菜はまだ値が高すぎて買えない。忙しく鳴り過ぎたときに買い置きした野菜を腐らせてしまったらいつもの二倍、三倍のロスになる。それを回避するには、根菜を上手に買って上手に料理するか、お惣菜を買うしかない。しかし根菜の料理はたいてい時間を要する。だからわが家の晩ゴハンはここのところ惣菜ばかりだ。
 
 帰宅後、花子を寝室に、麦次郎を書斎にと、互いの部屋を交換してみる。花子は麦次の鳴き声をかなり気にしていたが、興奮している様子はない。ただひたすらに、部屋の中の匂いを確認しつづけている。麦次郎は書斎という空間の存在を忘れていたらしく、はじめて眼にした場所に対してするように、念入りに綿密に、ちょっとへっぴり腰で匂いを嗅ぎ回っていたらしい。
 
 大西巨人『深淵』。主人公が口にしたイギリスの文芸作品の発表年から、主人公は記憶を失っていた十二年間、ただぼんやりと暮らしていたのではなく文学に近しい暮らしをしていたことを読み取る友人たち。そして、積極的な記憶恢復の努力はいっさいしないと明言する主人公。うーん、これがマルクス主義的唯物史観的な記憶喪失に対する態度なのか。
 
 
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十一月二日(火)
「新・二匹の恢復46」
 
 八時起床。麦次郎、朝から大騒ぎしたようだ。寝室でいっしょに寝ているカミサンに「リビングへ行きたい」としきりに訴え、やむなくカミサンが連れていくと、押し入れにもぐり込んでそのまま二度寝を決め込んだらしい。ここ数週間、日増しにわがままになっている。
 
 九時、事務所へ。曇り空と湿った空気が晩秋の物憂さをも覆い隠す。特徴のない、あいまいな空と曖昧な季節。今日も陽の光は射さない。
 
 E社企画など。十九時三十分、店じまい。
 
 夜、三十分ほど花麦の部屋交換。花子はすっかり平常心。ベッドに横たわって本を読むぼくにピタリと寄り添って毛繕いをしている。
 
 大西巨人『深淵』。十二年の空白の間に起きた濡れ衣事件。
 
 
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十一月三日(水)
「新・二匹の恢復47」
 
 八時起床。朝の猫たちの様子は昨日とほとんど変わらない。おたがいの気配に気づきつつも、自分の生活スタイルや感情に影響はなく、いつものように寝て起きて喰って遊んで甘えてたそがれて、寝る。仔細な変化が読み取れなくなってきたのは、ぼくがこの環境になれてしまったせいか、それとも猫たちが安定している証拠なのか。
 
 休日出勤。九時、事務所へ。E社企画に終始。十九時、店じまい。
 
「西荻餃子」の餃子を家で焼いて夕食。焼いてあるものを食べるより、家で焼きたてのものを食べたほうが当然うまい。 
 
 大西巨人『深淵』。主人公の思い込み、勘違い。そこから濡れ衣事件はどう展開してゆくのかが楽しみ。
 
 
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十一月四日(木)
「新・二匹の恢復48」
 
 近ごろは眠り足りないと嘆くことが少なくなっていた。夏場は睡眠時間が少々短くてもそれゆえに消耗することはなかった。夏場こそ、連日つづく熱帯夜の寝苦しさに参ってしまいそうなのだが、そうならなかったのは少々不思議だ。ところが、秋になってからというもの、朝はもう少し寝ていたいと切望するうちに時間が切羽詰まるということが増えはじめ、眠る時間欲しさにつづけていた半身浴をやめてしまった。仕事が終われば、家路の途中で睡魔に襲われたりあくびがとまらなくなったりする始末だ。明け方、花子に起こされる日々ではあるが、それが睡眠不足というわけではない。ただただ、眠っていたい。そんな欲求がつのっている。だが寝てたらアカン、起きて働かな、という義務感や焦燥感にかき立てられ、しぶしぶ起きているという有り様だ。しかし、いったん起きればしぶしぶという受け身的な感覚はすぐに消える。ぷちを起こして、コップに一杯水を飲んで、青汁を解凍して、顔を洗って、髪を整えて、青汁を飲んで、野菜ジュースを飲んで、ついでにサプリメントも飲んで、ああ水分取り過ぎかななどと毎朝同じことを考えながら、今日着る服を決め、パジャマを脱いで着替えるという手順を、ひとつずつ、丁寧にふんでいく。
 以前はこの過程を猫が邪魔することが多かった。すると、何か忘れ物をする。猫たちが不仲になって家庭内別居をはじめてからは忘れ物が減った。これをよろこぶべきか、悲しむべきか。
 
 八時起床。麦次郎は今朝もひなたぼっこしたいと大騒ぎしたようだ。
 九時、事務所へ。桜が黄葉し、落葉していた。桜の黄葉は黄色くなるというよりは茶褐色で、明るい赤がそこに混じることもある。それが道の両端を飾るように積もっている。
 
 E社企画、事務処理、N不動産チラシなど。十五時三十分、カイロプラクティック。ペンの使い過ぎで右手の肩の関節がずれていたらしい。腕を捩じったり、肩をはめ直したりするような施術をはじめて受けた。
 二十時、店じまい。
 
 カミサン、鼻の頭に数ミリの隆起ができていたが自然に取れてしまったぷちぷちを念のため鳥の病院へ連れていったのだが、どうやらホルモンの分泌によるものらしく、病気でもなんでもなかったらしい。毎晩ぼくがぷちといっしょに風呂に入っていることを暴露された。ゲラゲラ笑っていたらしい。
 
 大西巨人『深淵』。うまくいかんもんだなあ。なにげなくこうつぶやくときも、ぼくらは何かの深淵を垣間見ているのだな。そんなことを思った。
 
 
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十一月五日(金)
「新・二匹の恢復49」
 
 七時三十分起床。いつもより三十分早い。うんざりするほど予定が詰まっているので、早起きすることでゆとりの時間が得られるようにしようと、眠い目を擦り擦り起き上がったのだが、そんな日に限って麦次郎めはぼくの行動の邪魔をする。いつもの朝はぼくのことなど眼中にあらずといった態度で窓から外を眺めていたりテレビの上で惚けていたりしているくせに、今朝はといえば、肩こりと腰痛解消のための体操をはじめれば足元にまとわりついて延々と邪魔をし、自分の朝食を――といっても青汁と野菜ジュースだが――用意しようとすればウンコをヒリ出して今すぐ片付けろと命じる。五分で済むことが、麦次郎のおかげで七分かかり、十分かかる。挙句の果てには朝の身支度の手順をひとつ忘れ、ふたつ忘れる。なにかを省略せざるを得なくなる。早起きが台無しにされそうだが、邪険にするわけにもいかない。と思い悩んでいたらねこじゃらしで遊べ遊べとせがまれてしまい、これではアカン負けてしまうと見切りをつけた。しかし、ぼくのそんな冷たい態度もどうやら麦次は計算済みのようで、かまってくれなければそれでいいのさと、陽のあたる窓辺でひなたぼっこをはじめてしまった。ふてくされているのかもしれないが、フォローしていては仕事に遅れてしまう。このジレンマ、ほとんどの猫飼いが経験しているのではないか。好きな言葉ではないが、「愛玩動物」である。愛されることが麦次や花子の仕事なのだから、それを精いっぱい評価してやる勤めが飼い主にはあるはずだ。だが、今朝はその義務を申し訳ないが放棄した。いや、麦次と接するときは、ぼくは義務を放棄しっぱなしなのかもしれない。これでいいのか。
 
 八時四十分、事務所へ。大急ぎでメールチェックを済ませ、代官山のJ社で打ちあわせ。その後、水道橋のD社で企画のプレゼン。よくわからんが妙に受けがよかった。天気がよかったせいかもしれない。人間、つまらんことで評価がぶれる。
 帰社後はD社企画、K社DM、O社パンフレットなど。二十時、店じまい。
 気になっていた居酒屋「きんき亭」で夕食。ハワイ風まぐろの刺し身、春巻き、豚肉と野菜のさいころ炒め、卵、ニラ、トマトの炒めなど。いずれも大胆で武骨な料理なのだが、味に小技が聞いているので粗野な感じはまったくしない。いい店を見つけた。
「西荻牧場ぼぼり」でアイスを食べてから帰る。
 
 大西巨人『深淵』。冤罪事件は少しずつ解決の糸口を掴みはじめる。
 
 
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十一月六日(土)
「新・二匹の恢復50」
 
 ついに「50」。ぼくの名字「五十畑」と同じ数になってしまった。仲たがいをしてから二ヶ月にはなるか。まあ、焦ることもないだろう。完全な復縁さえ実現できれば、それでよい。
 
 八時起床。九時、事務所へ。O社パンフレットに終始。十九時、店じまい。
 
 魚喰いてえ。焼き魚。さんまでも、アジでもいいから、焼き魚。花子がいるとうるさくて焼けないからな。クレクレ星人になって焼くのを邪魔するし、食卓についてからもしつこいのだ。だから焼き魚は花子が書斎で暮らしている今こそ食べ時なのだ、悪いけど。
 などという少々ふざけた考えが二ヶ月前から頭にあるのだが、焼き魚を食べた記憶はほとんどない。帰宅時間が遅いと、食べた後の始末に時間がかかる焼き魚はなかなか食べようと思えない。だが、今日はいつもより早く帰れる。ならば魚だ。魚を喰おう。そう思って西友に行ってみたのだが、オーストラリア産のステーキ用牛肉が安くなっているのを見つけたとたんにそんな目論みは霧消した。うまそうだ。こいつを焼いて喰うことにした。
 
 大西巨人『深淵』上巻読了。記憶喪失状態での生還と、ひとつの冤罪事件の終了。
 
 
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十一月七日(日)
「新・二匹の恢復51」
 
 九時起床。
 天気がよいのでさっさと掃除を済ませ、麦次郎をいったん寝室に連れていってから、花子をリビングに連れていってみる。深窓の令嬢ならロマンティックだが、深窓の令猫となると少々さみしくうらぶれた雰囲気さえただよってくる。日光アレルギーで直射日光を浴びると肌が荒れることがある花子だが、秋の柔らかな陽射しなら大丈夫だろう。そう思ってのことだったが、そんな目論みに反して、いや案の定といおうか、花子は二ヶ月ぶりに訪れたリビングのあちこちの匂いを嗅いで、確認作業に終始している。ひなたぼっこどころではないらしく、忙しく部屋の隅々を移動しては、ヒクンヒクンと鼻や喉をならしている。書斎にいてもぷちぷちの鳴き声は聞こえていたせいだろうか、ひさびさの対面だったが花子はとくに興奮したりいたずらする様子もなく、ぷちのほうも大好きな花子がひさびさに現れたのがうれしいのか、カゴの壁に張りついて顔をつきあわすようにしてキョキョキョと鳴き叫んでいる。テレビの横、新しいカーペット、食卓の裏、あちこちを転々としているのだが、何度も麦次郎用のカリカリゴハンを置いてある場所に戻ってきては、器の中を確認している。中を覗いてみたら、全部食べてしまっていた。花子と麦次郎は与えているカリカリの種類が違う。めずらしい味を欲していたのだろう。
 
 午後よりカミサンと外出。テキスタイルアーティストをしているV君が陶芸家の友人と開いているふたり展を見に表参道へ。V、今回はマフラーばかりつくっていた。実用性のあるものをしかり売りたいらしい。そりゃそうだ。売れなきゃおまんまの食い上げだ。
 歩いて渋谷へ。DMをもらっていたのでひさびさに西武の「ヨウジヤマモト」へ。カミサンもぼくもセットアップを買ってしまった。うーん、今シーズンはもう買わないつもりだったのだけれど。カミサンは取り外し可能の大きなカバンのようなパッチポケットが付いたジャケットとロングスカートを。6.1 THE MEN のときのジャケットにちょっと似ているかな。ぼくは胸にスカジャン風の刺繍が施されたジャケットとワイドパンツ。これぞワイズ、といったシルエットだが、あくまでヨウジだ。
 夕方、矢田亜希子がクリスマスツリーの点灯式イベントに参加するらしく、混雑するようなのでそそくさと帰る。
 
『戦後短篇小説再発見』より、干刈あがた「プラネタリウム」読了。不在の父、母を中心にした家族の不安定感が、ラストにティッシュの箱に電球を入れてつくられたプラネタリウムの疑似宇宙空間に漂っていく。短篇の傑作。
 
 大西巨人『深淵』。やはり空白の十二年間は空白ではなく、別人としての十二年間だったのだな。
 
 
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十一月八日(月)
「新・二匹の恢復51」
 
 夕べは0時に寝たら一時三十分に突然目が覚めしばらくぼーっとしていたのだが目が覚めたのは尿意が原因だったとそのうちわかり、ゆっくり起き上がって便所へ行って放尿したが寝ぼけていたような気がしないでもなく、だいたいこのときすでに時計は四時か五時くらいを指しているのだろうなどと勝手に思いこんでいるようなありさまだから、ちゃんと便器に向かって放尿できた自信がない、が朝確認したらちゃんとできていたようなのでひと安心、気持ちが落ち着いたからかそのあとはぐっすり深い眠りに落ちたがそれは長くはつづかず、四時三十分にはっと目が覚め、いや正確には例によって花子に起こされ、うるさく鳴かれ、ゴハンを与えないと鳴きやまないからゴハンを与え、鳴きやんだところdえすぐに床に入ったがどういうわけか眠れず、ああ眠れねえやと思っていたら眠っていたようで、気づけば六時三十分、二時間のあいだ、果しておれは寝ていたのか起きていたのかまどろんでいたのか歴然とせず、少々損したような気分でまた便所に行って、このときに確実に放尿できていたか確認したのだが、できていたことに興奮してしまったのか、今度は妙に目が覚めてしまってもう一度眠ることなどできそうになく、だが眠っておかないと繰り返しになるが損したような気分になるので無理に眠ろうとうだうだしていたら七時をまわったころに眠くなりはじめ、ああこのまま寝ていたいと思ったら今日起きなければならない時間、七時三十分をまわってしまい、起きなければいけないのだが眠くてたまらず、だが欲望に負けていたら今日一日どころか今週一週間がズタボロになるぞと寝ぼけた頭で自分に言いきかせ、そうだ花子に起こしてもらおうと思い立ち「はなこー」と蒲団のなかからかすれた声で呼んでみたが、あいつめクローゼットのなかでグースカ寝てやがって、しかたないから無理やり起き上がり身支度をはじめたら、またまた麦次郎めがウンコをたれて、その後始末をしていたら出発予定時間より十分遅れた。
 
 九時、事務所へ。O社パンフレット、N不動産チラシ、K社DMなど。十一時、B社のGさんとウチの事務所で打ちあわせしてたらまたグラリ、新潟では震度五を記録したらしく、余震はまだまだつづくと思うと安全な地に住むぼくらもまた不安になる。
 二十時三十分、店じまい。
 
 夜は花子をリビングに連れていってみたが、しばらくは昨日とおなじ態度、しかしだんだんリラックスしはじめ、二時間過ぎたら和室でコロンと横になって伸びをしたり眠ったりを繰り返している。麦次郎との出会いの日は近いかもしれない。
 
 大西巨人『深淵』。別人としての十二年間について。
 
 
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十一月九日(火)
「新・二匹の恢復52」
 
 明け方。ゴハンをくれとせがむ花子の泣き声に麦次郎が気づき、連鎖反応で二匹が大騒ぎをはじめてしまう。お互いにお互いを呼びあい姿を見せろといっているようだ。悪意はない。だがうるさい。寝れん。まいった。寝不足だ。
 
 七時五十分、寝不足の欲求不満状態で起き上がるが、起きてしまえば不満などどこかへふっとんでしまう。あとは猫たちにおいしいゴハンを食べさせるために、一生懸命働くだけだ。
 
 九時、事務所へ。黄葉、紅葉、そして落葉。路肩に溜まる枯れ葉を蹴りながら歩く。
 
 O社パンフレット、K社DMなど。午後より霞が関のD社で打ちあわせ。そのまま水道橋へ移動し、E社で打ちあわせ。十八時帰社。二十時過ぎ、店じまい。
 
 夜も二匹は互いを呼びあう。指導してもらっている獣医の先生から「最終段階へ移行しよう」と連絡あり。ドア越し対面で互いの存在をさらにしっかり、だが直接姿は見せない形で認識させる。それでも、相手の存在に関する情報量は膨大なものがあるだろう。嗅覚、聴覚、ともにニンゲンより優れているのだから。
 
 大西巨人『深淵』。偶然の重なりのことを「運命」というんだなあ、そんなことを思った。
 
 
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十一月十日(水)
「新・二匹の恢復53」
 
 五時、朝ゴハンタイムで起きた花子に、リビングに連れていけとせがまれる。フニャフニャと情けない声ではあるが、蒲団をかぶっていても頭の周りや腹の上をうろうろされたあげくに鳴かれても眠りつづけられるほどぼくは野太いヤツじゃない。しかたない。麦次郎に気配がわからぬようそっと抱きかかえてリビングで離し、ぼくは床の上でタオルケットにくるまって雑魚寝のようなかたちでもう一度寝た。
 
 八時起床。朝食用の青汁、粉末タイプより冷凍の生タイプのほうが効くようだ。ここ数日冷凍のほうを切らしてしまい、ずっと粉末を水やジュースに溶かして飲んでいたのだが、そのせいなのかウンコの出がいまひとつよくない。快眠快便は一日を精力的に過ごす上で欠かせない要素だし、朝からウンコをどっさり出す快感は、ほかの行為ではなかなか得られぬ類いのものだと思う。なんて書いちゃうとスカトロ趣味に思われてしまいそうだが、そうではないので誤解なきように。そもそも、軽い痔持ちでガラスの肛門――傷つきやすい、ということ――のぼくにとって、便秘や固い便は非常に困るのだ。
 で、青汁である。生に戻した途端にウンコが出るわ出るわ、そんな調子だから、ドライより冷凍生がよいと、身をもって理解できたのである。
 
 九時、事務所へ。N不動産チラシ、D社PR誌など。午後、ちらりと吉祥寺へ。パルコの「リブロブックス」で『群像』12月号。ロフトで仮眠用の枕を購入。これは会社で居眠りするためのもの。効率アップのために、眠ったほうが頭の回転がよくなると判断したときは寝るようにしているのだ。実は毎日昼食後に少しだけ寝ているのだが。
 二十時終了。
 
 帰宅後は、今日も猫の部屋交換など。花子は姿の見えない麦次郎に対して何の感情も抱いていないようだが――会いたい、とだけ思っているようだ――、麦次のほうはもっと微妙で、会いたいのだが会ったら飛びかかってみたい、なんて感情がちらり見え隠れする瞬間がある。残念だが、まだ二人を直接対面させることはできなそうだ。
 
 大西巨人『深淵』。空白の十二年間にも、冤罪らしき事件に深く関与していた主人公。なるほど、記憶をなくす前もなくしてからも、人の人生を左右するような事件のアリバイ証明にかかわっているとは。これはおもしろい構成。
 
 
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十一月十一日(木)
「新・二匹の恢復54」
 
 猫の生活パターンが変わると、ニンゲンの生活パターンが変わる。そんな日々がつづいている。近ごろは明け方に起こされたあと、リビングに連れていけとせがまれるのがお決まりになった。床でゴロンと寝るのにも慣れた。
 
 七時四十五分起床。九時、事務所へ。駅へ向かう途中の坂の石垣を埋め尽くしていた蔦の葉がみるみる赤く染まり、ここ数日で落葉しはじめている。壁にしがみつく赤い葉はまだ植物のみずみずしさをほんのわずかに残しているが、落ちて路上に散乱する枯れ葉はすっかり干乾びて、風にあたるたびにかさかさと小さな音を立てる。枯れ葉を見ながら歩いて行くと、すぐに生ゴミの入った大きな袋にぶつかった。今日は燃えるゴミの収集日である。……枯れ葉も、燃えるゴミの一種ではある。
 
 O社パンフレット、E社ポスターなど。十四時、五反田のL社にてE社新規案件の打ちあわせ。帰りがけに渋谷に寄り、「ヨウジヤマモト」で裾上げしたパンツを引き上げる。
 夜、またもや愛機PowerMac G4(Digital Audio)がフリーズの嵐に。やはり買い替えだろうか。
 二十二時、店じまい。「喬家柵」で食事してから帰る。
 
 増田みず子「一人家族」読了。理想の家庭を求めるという行為が、逆に家庭を破壊することにつながる。現代のねじれた家族のあり方が、手紙形式で書かれてい。書き手=独身女性、受け手=家庭崩壊寸前の女性という対照的な構造もおもしろかったなあ。
 
 
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十一月十二日(金)
「新・二匹の恢復55」
 
 七時三十分起床。猫たちの様子はいつもと変わらず。
 
 八時四十五分、事務所へ。O社パンフレット、D社PR誌など。十六時三十分、赤羽橋のT社で新規案件の打ちあわせ。二十一時、帰宅。
 
 麦次郎の態度が少々威圧的なのが気になる。人を呼ぶときの鳴き声が偉そうで、排他的だ。花子の存在は気づいているだろうから、おそらくは自分は花子より上の立場なのだと主張したいのだろう。ふたりは対等なのだ、ということをわからせる必要がある。
 
 大西巨人『深淵』。失われた記憶を探す旅、いや冤罪の助力になるための旅というべきか。
 
 
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十一月十三日(土)
「新・二匹の恢復56」
 
 七時四十五分起床。休日出勤だが、土曜の出勤はそう呼ぶべきではないのかもしれない。土日くらいは家にいて猫たちの様子を見ていたいのだが、そうもいかない。
 
 E社企画、K社DMなど。疲れているのか、集中力が続かず。二十時、店じまい。
 
 今日はさほど麦次郎は威圧的な態度を見せない。しかし、だからといって油断は禁物だろう。
 
 大西巨人『深淵』。知的なまどろっこしさが読んでいて妙に心地よかったりするのはなぜだろう。
 
 
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十一月十四日(日)
「新・二匹の恢復57」
 
 明け方、花子に起こされた。いつものようにゴハンを与えた後で蒲団をひきずりながら小走りする花子とリビングに向かい、雑魚寝する。その寝方が悪いのか、単に忙しかっただけなのかはわからぬが、疲れがたまっていたのだろう、九時すぎにカーテンごしにうっすらと指す弱い朝陽で目を覚ましたものの、起き上がることができない。そのまま数十分、かまってくれと鳴きつづける花子の相手もできずに、レム睡眠か、おかしなまどろみとおぼろげな夢の迷路にはまりつづけた。と書くとなにやら神秘的だが、要するに寝ぼけていたのだ。中途半端に寝ていたのだ。だが意識は花子のほうに向かっている。花子の動きを、寝っ転がったまま頭のてっぺんあたりで感じ取っている。そうこうしているうちに十時近くなり、仕方ないので起き上がった。起きれば身体はしっかり動く。要するに、動きたくなかっただけらしい。こういうのを、怠惰というのか。
 
 午後より吉祥寺へ。猫用品、エッセンシャルオイルなどを購入。つづいて西荻で夕食の買い出しをし、とっとと帰宅。帰宅後は三十分ばかり仮眠を取る。
 
 夕食はキーマカレー、ジャガイモとタマネギのクミン炒め。どちらも満足ゆく仕上がり。キーマカレーは得意料理と自負してもいいかな。
 
 麦次郎がいつまでも書斎でグースカ眠っているので、その間四、五時間花子をリビングにいさせたら、いざ夜になって書斎で寝ようというときに、ここじゃいやだと騒ぎはじめてしまった。落ち着かせるのに一苦労。
 
 大西巨人『深淵』。かつて自分が別人として暮らしていた街で、二つ目の事件の詳細を聞かされる主人公。
 
 
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十一月十五日(月)
「新・二匹の恢復58」
 
 三時、花子に起こされる。ゴハンにはまだ早すぎる。ひとまずリビングに連れていくと落ち着いたのでそのままゴハンを与えず寝たが、どういうわけかその後はゴハンどころかフンとも鳴かない。こちらも疲れていたせいか、そのまま眠りつづけてしまった。六時に麦次郎の騒ぐ声で目覚めたが、起き上がることがどうしてもできず、カミサンが花子にゴハンを与えたのだが、このときも花子はさほど騒がなかった。
 
 七時四十分起床。九時、事務所へ。K社DM、E社企画、O社パンフレットなど。午後、小石川のL社にてE社企画の打ちあわせ。てんこ盛りな一日だ。二十一時帰宅。
 中華料理店「仁(リエン)」で夕食を食べてから帰宅。香港揚げ餃子、季節の蒸し野菜、酢豚。
 
 大西巨人『深淵』。今日は頭が痛いので少しだけ。
 
 
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十一月十六日(火)
「新・二匹の恢復59」
 
 今夜からはリビングで寝よう。そう考えながら七時三十分起床。猫たちの明け方の大騒ぎにきちんと対応するためには、おそらくせがまれる前にリビングにいたほうががよい。
 
 八時三十分、事務所へ。九時三十分、E社ホームページの企画のために横浜某所を視察。東京よりも広い空と深い緑。バスの窓から見たススキが群生する空き地は、ぜひ一度訪れてみたいと思った。西荻窪よりも、晩秋の風が晩秋らしく吹いているのではないだろうか。
 その後、E社――最初のE社とは別の会社――のプロモーション企画のために恵比寿駅近辺を視察。ついでに「ギャルリ カプリス」さんに寄り、カミサンのふたり展の案内ハガキを置かせてもらう。
 新宿に寄り、東急ハンズ、紀伊国屋書店をまわってから帰社。十六時。
 
 事務所に戻ると散乱していたふたり展用の作品がすべてきれいになっていた。搬入は無事終わったようだ。
 帰社後はE社プロモーション企画など。
 
 二十時、今日から上京しているふたり展の相手、プリザーブドフラワーアーティストの増田恵さんと三人で夕食。「ベントルナート」でいかすみパスタなど。二十一時三十分、散開。
 
 今夜は麦次郎が大騒ぎ。どうしたら落ち着くのだろうか。危機的状況ではないのだが、生活のみだれっぷりは喧嘩勃発当初よりもひどい。翻弄されっぱなしである。
 
 大西巨人『深淵』。猫が大騒ぎしているので全然落ち着いて読めないや。
 
 
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十一月十七日(水)
「新・二匹の恢復60」
 
 夕べはリビングで寝た。いや、正しくはリビングとひとつづきになっている和室で寝た。畳の上に敷いた蒲団の感覚はしばらく忘れていたものだから、横になるとはじめて泊まる旅館の蒲団に感じるよそよそしさ、不思議な違和感とちょっと似た感覚に捕らわれる。旅先での違和感は微妙な笑みをこぼれさせることもあるが、ニャアニャアとうるさい猫のためにやむなくということになると、こぼれるのは笑みではなくて溜息だ。だが飼い主がハアと肩を落としたり慌てたりニャアニャアにキーキー言っているようでは、猫だっていつまでたっても落ち着くはずがない。いくら生活を乱されても、心だけは乱されまい。そんな気持ちで蒲団に入った。もう溜息は出ない。出るのは寝息といびきと寝言とくしゃみとくさい屁だ。
 
 七時三十分起床。昨日よりは熟睡できたような気がする。
 
 八時三十分、事務所へ。晩秋というより初冬というべきか。人一倍寒がりのせいか、朝晩マフラーが手放せなくなってきた。吐く息が白いというほどではないが、気づけば両手の指先は放置した冷凍食品くらいには冷えている。ポケットに手をつっこんで歩くと、縮こまった背が老人くさく見えるのではないかと少々心配になるが、どうせ誰もぼくのことなど見ちゃいない。だがやはりカッコワルイのはいやなので、なるべくシャキシャキと歩くようにする。
 
 E社企画など。またもやMacがクラッシュした。昨日かなりのところまで進めておいたファイルが開けなくなる。ダブルクリックするとエラーのメッセージが出ると同時にフリーズする。しかたないのでJeditを使って無理やり開き、文字化けがつづく中からテキストだけを引っこ抜き、それをもとのソフトにコピー&ペーストしながら再度つくりなおした。しかし怪我の功名というべきか、この作業のおかげでいつもとは違う視点から自分のつくった企画の見直しができたのはおもしろかった。構成や流れを断絶させてから再構築するので、見直しの階層が一段高くなったような感覚だ。
 かみさんのふたり展初日。客の入りは上々だったようだ。
 
 二十一時帰宅。
 
 今日も猫たちはマイペースに、好き勝手に鳴き散らしている。麦次郎は二度も外廊下に出てパトロールした。花子は和室の箪笥の前でちんまりとまるまりじっとしているが、目だけはしっかり開いている。麦次郎の鳴き声を聞き取ろうと、耳を住ませているのかもしれない。
 
 大西巨人『深淵』。きょうもちょっとだけ。
 
 
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十一月十八日(木)
「新・二匹の恢復61」
 
 昨夜、寝る前に花子が掛け布団におしっこしていたのに気づき、カミサンと蒲団を洗ったり干したりの大騒ぎ。数年ぶりにそそうされてしまった。これを、幼い頃の気持ちに戻ってきたと解釈すべきか、麦次郎と部屋を分けているために行動範囲が狭まっていることへの抗議行動と取るべきか。答えは後者であるのはわかっているが、前者の要素もあると信じてみたい。
 
 七時三十分起床。八時四十五分、事務所へ。
 
 E社企画、E社ホームページなど。十三時三十分、デザイン会社O社のOさんと打ちあわせ。十五時三十分、カイロプラクティック。雨が降りはじめる中、五反田へ移動しL社にてE社企画の打ちあわせ。プレゼンの日程が早まってしまい、少々慌てる。調整のために、N社から打診されていた案件をキャンセルする。うーん、マイナーな商品とはいえソニーの仕事だったんだけどなあ。惜しい。二十一時、店じまい。
 
「喬家柵」で夕食後、ボジョレーヌーボーを買ってから帰宅する。帰ってから飲んでみたが、ジュースみたい。毎年ヌーボーはまずいと思うのだが、なぜか買ってしまう。根がミーハーだからだろうか。ファッションの流行や音楽の流行は追いかけないが、食の流行は追いかけてしまう。
 
 今日は仕事の資料ばかり読んでいたから、小説はまったく読まず。あ、あとマンガか。『週刊モーニング』。
 
 
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十一月十九日(金)
「新・二匹の恢復62」
 
 安定しているのだろうか。明け方の起こし方が以前より激しくなくなった。鳴くというよりわめくに近いさわぎっぷり、それをエンドレスでつづけられて辟易していたが、リビングで寝るようにしたことが功を奏したのか、花子が精神的に安定してきたのかはわからないが、せいぜい枕元でフニャンと鳴き、起きなければ前歯でちょっと噛みついてみる程度に落ち着いてくれたのは何よりもうれしい。宝くじに当たるよりもうれしい。花子の心の平静は、金では絶対に買えないからだ。その証拠が、この日記とカミサンがつけはじめたブログによる記録である。
 
 七時三十分起床。八時三十分、事務所へ。E社企画、E社ホームページなど。十六時、雨の降る中五反田のL社へ。五反田に行くときはなぜか雨が多い。いや、L社との取引が増えはじめた今年はやたらと雨が多いということだろう。
 十九時、帰社。二十一時、店じまい。
 
 麦次郎、雨が降っていても外廊下に出たいという。晴れているときは延々気が済むまで何度も廊下を往復したり、お隣のJさん宅の玄関の匂いを嗅ぎ回ったり壁に両手をついてたち上がり向こう側を覗こうとしたり床にころがったり転がったままちんまりと丸まってしまったりを繰り返しているが、やはり濡れるのはいやなのだろうか、すぐに「もう帰ろう」と勝手に玄関に向かいはじめる。自分ではドアを開けられないから、ドアの前でノブの辺りを見つめながらじっと待ちつづけている。ぼくがノブを握ると、すっと身体を持ち上げるようにして身構える。十センチドアが開いただけで、隙間にもぐり込むうなぎみたいにスルリと家の中に入り込むが、デブだからうなぎにしては不格好で情けなく見える。玄関に入ると決まってその後は廊下を全力疾走するのだが、最近は花子と別居中のためにドアをみな締められているから、リビングまでフルパワーで走り抜けることができなくて残念そうである。こういった細かなストレスがふたりの関係修復にどんな影響をおよぼすのかはわからない。だが最近ふたりの様子は落ち着いている。それもまた、さっきの宝くじの話ではないがうれしい限りである。
 
 今日も小説読めなかったよ。
 
 
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十一月二十日(金)
「新・二匹の恢復63」
 
 八時起床。ひさびさに晴れた。だが雲は薄く広く伸びていて、朝陽をやんわりと遮っている。秋の薄い雲に透けた光が弱々しくリビングに射し込むのを、花子はじっと楽しんでいるようだ。
 
 九時、事務所へ。E社ホームページ企画を延々と。脳味噌がつかれた。
 昼食はひさびさに隣の「まる屋」へ。オヤジに「たまには休みなよ」と言われてしまった。「隣のマンションで事務所借りてコピー書いてる黒い服のにーちゃんは年がら年中忙しい」とオヤジは思い込んでいる。うーん、年がら年中ではないんだけどな。閑なときはとことん閑なのだ。
 
 二十時、帰宅。ビデオに撮っておいた「銭形金太郎」を見て爆笑した。ストレス解消。
 
 大西巨人『深淵』。主人公の、記憶喪失中の別人としての記憶の復活に対する意思決定がゆらぎはじめる。
 
 
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十一月二十一日(日)
「新・二匹の恢復64」
 
 八時起床。九時、事務所へ。休日もナニもあったもんじゃない。日曜に似付かわしい秋晴れの空はすこしずつ曇りはじめ、夜には空がぐずついてきたが、一日中部屋にこもって仕事をしていたので、雲の動きは残念ながらわからなかった。
 
 夕方、けいぞうとnananaさんがカミサンのふたり展を覗いたついでに事務所へ。「えんづ」で飲む。
 
 猫たち、ドア越しにゴハンを食べさせてみた。大丈夫、興奮しない。
 
 今日も読書はできず。
 
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十一月二十二日(月) 
「新・二匹の恢復65」
 
 いつもより冷え込んだのだろうか。何度も花子に「ふとんにいれて」と催促される。そのたびに掛け布団をめくりあげるのだが、入って来ることはめったにない。そのまま枕元をぐるぐると二度三度まわったかと思うと、掛け布団の上、ちょうどぼくの股間のあたりで丸くなったりする。この気まぐれは二時間周期ととても規則正しくて、その几帳面さにぎゃくにぼくのほうが参ってしまう。頼むから、寝かせてくれ。
 
 七時三十分起床。八時三十分、事務所へ。冬の淡い空の色が広がりはじめた。足元には赤茶色をした桜の葉がかさかさになってふらふらと地面すれすれを舞っている。
 
 E社企画を黙々と。集中しすぎて身体がおかしくなってきた。二十時、店じまい。
 
 夜は麦次郎と外廊下をかけずりまわってみた。日記を書いている今も、麦めは大興奮で部屋のあっちこっちでバリバリと爪をとぎまくっている。
 
 今日も読書はできず。というより、ちょっと脳味噌がつかれている気がしたから意図的にやめた。休脳日。といっても昼間はフル回転していたのだが。
 明日もフル回転させる予定。
 
 
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十一月二十三日(火) 
「新・二匹の恢復66」
 
 勤労感謝の日は、働く。誰も感謝してくれないからだ。などと書くといささか自虐的に聞こえるが、感謝されるされないはともかく、第一に勤労の意識はぼくにはあまりなく、そもそも労働と私生活の境目がよくわからないのだ。仕事はつねに日常を侵食しつづける。猫たちの世話をしているときですら、その行動が新しいアイデアを生まないか、その行動を言葉で表現するとしたらどうなるのかをずっと考えつづけ、もちろん猫以外の存在やら事象やらについてもおなじようなありさまだ。かと思えば、書くことはぼくにとっては快感そのものなのだから仕事とはすなわち遊びであるとも言える。ただし例外もある。疲れ切ったときに自らを奮い立たせながら企画を立てているときは苦痛しか感じない。今がまさにその状態だ。仕事しているときは、一刻も早く家に帰って、仲が戻りかけている花子と麦次郎をかまってあげたくて仕方がない。
 
 今朝は花子に起こされなかった。
 
 七時三十分起床。起こされなかったのはいいことだが、その代わり細かな夢をいくつもいくつも見た。映画を立てつづけに見ると疲れるように、夢だってそう何本も見れるもんじゃない。映画なら自制できるところだが、無意識の領域の出来事はコントロールできないところが悩ましい。もっとも、こちらの意志でコントロールできないのは、夜中に大騒ぎする花子も似たようなものだ。
 
 八時三十分、事務所へ。E社企画を二本。これがツライのは前述参照。
 
 十九時、脳に限界を感じて帰宅。
 
 大西巨人『深淵』。頭つかれてるから十分も読んだら字面を目で追っているだけになってしまった。こんな状態になるのは珍しい。
 
 でも、そんなに疲れているんだったらこんなに長い日記なんぞ書かなきゃいいのに。とはつっこまないでほしい。
 
 
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十一月二十四日(水) 
「新・二匹の恢復67/今日の事件簿」
 
●V字が破られた事件
●自力整体で頭痛が取れた事件
●なんかケモノくさい事件
●二十二時でもドア越しゴハン事件
●黄落で空が広くなる事件
●波のような鰯雲事件
●薩摩揚げはハラに溜まる事件
●麦次は何度も外に出る事件
 
 
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十一月二十五日(木) 
「新・二匹の恢復68/今日の事件簿」
 
●寒くて花子が添い寝事件
●窓開けっ放し事件
●今日もケモノくさい事件
●おっさんたちの会議ってこんななのね事件
●バキバキボキボキ事件
●サバ味噌は小骨が多い事件
●今日も二十二時にドア越しゴハン事件
●麦次郎、声がでかいよ事件
●花子はやっぱり義母がキライ事件
 
 
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十一月二十六日(金)
「新・二匹の恢復69」
 
 七時三十分起床。今日も花子は明るい朝陽
がうれしいのかそれとも腹が減っただけなのか、六時ごろから延々とぼくを起こしつづける。近ごろは前歯で小さく噛むようなことはしなくなったが、そのぶんよく鳴く。麦次郎に比べれば小さな声だが、途切れ目がないと塵も積もれば、ではないがうるささは徐々に大きくなる。眠りがさまたげられるのは大きな声でも小さな声でも変わりないのだ。要求があるならぜひともニンゲンのことばを覚えてもらって明確に主張してほしいものだが、ひょっとしたらニンゲンが猫語を覚えたほうが早いのかもしれない。だが覚える方法がないんだよなあ、などとバカなことを考えていたら、起きなければいけない時間が来た。
 
 八時三十分、事務所へ。午前中はE社パンフレットのコピー作成。午後、それをデザイナーさんに渡す。十五時ごろから、E社――午前中に手がけていたところとは別の会社――のコンセプトワークのために、吉祥寺にあるカラオケボックス四店をひとりではしごする。三十代のおっさんがひとりでカラオケというのはかなりカッコわるいが仕方ない。ほとんど歌わず、きょろきょろと店内の販促物や設備や店員の様子を観察しつづけた。
 
 十九時、店じまい。カミサンの滋賀時代の友人で今は横浜に住んでいるミノちゃんと三人で「欧風料理 華」へ。ワインと洋食。ボジョレー・ビラージュ・ヌーボーを飲んだ。スーパーやコンビニで売っているボジョレーとはまったく違う味。フルーティだが、しっかりしている。
  
 二十三時帰宅。酔いつぶれた。
  
 うーん、最近落ち着いて本が読めない。
 
 
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十一月二十七日(土)
「新・二匹の恢復70」
 
 七時起床。夕べ風呂に入らず酒くさいまま寝てしまったので、朝風呂でしっかりカラダを清める。風呂場に入ると花子がたちまち騒ぎはじめた。ここ数日、朝は花子とふたりでいることが多いので、ひとりにされて不安を感じたのだろう。だが、麦次郎と仲たがいをしてしまった直後のような、放っておかれたらイヤだコワイという根の深い不安ではなく、つまらんから出てこいという程度に思えるからさほど気にも留めずに鼻歌歌いながら三十分ほど湯に浸かった。
  
 九時二十分、事務所へ。今日も働く。E社ホームページの企画。午後、注文していたiMac G5が届く。さっそくセッティング。古いマシンからのデータの移行はFireWireケーブル一本でつなぐだけ、という手軽さだ。時間はかかったが、あれこれディスクを入れ替えたり再起動を繰り返したりという手間をほとんどかけずに、作業環境が整った。
  
 夜は「猫いじりの会」――とぼくが勝手に呼んでいる集まり――の飲み会。日本酒と和食。ヤムヤムさんのご主人がゴルゴ13に似ているというネタと、ヤムヤムさんお気に入りのタッキーこと滝沢秀明ネタで盛り上がる。タッキーは、タッキー本人に対する評価とかそんなんじゃなくて、「ぼくが考えたほんとうのタッキー」ネタ。たとえば、こんな感じ。
●タッキーは近寄るとソバ粉くさい
●タッキーはアゴからウンコする
●タッキーは怒るとおでこにうっすら「肉」という字が浮かび上がる
 くだらないやら。なさけないやら。
 
 二十二時、お開き。猫たちはかしこく留守番できていた。
 
 今日も読書できず。やばいなあ。
  
   
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十一月二十八日(日)
「新・二匹の恢復71」
 
 八時起床。カミサンは今日がふたり展の最終日。会場に来てくれた友人との連日飲み会がつづき帰りが遅くなるのも今日が最後。猫たちにさみしい思いをさせなくて済むと思うと多少は気が楽になる。もっとも、人と会うのは苦ではないし、むしろ得るもののほうが大きいのだからこれが一時的に途切れるのはさみしいといえばさみしい。猫を取るか、友を取るか。
 
 九時、事務所へ。昨日セッティングを済ませたiMac、結局データを移しただけではclassicのアプリがまったく動かず。全部削除し、再インストールするハメになる。午後からはピカピカのiMacを使ってE社の企画。
 十九時過ぎ、会場を締めたカミサンとメグちゃん、遊びに来てくれたしまちゃん、ゆうりさん、けいぞう、nananaが事務所へ。今日帰らなければならないメグちゃんのために、大慌てでプリザーブドフラワーを梱包し、彼女を見送る。
「バルタザール」で飲み会。みな精神世界に興味のある人たちばかりで、どうも雰囲気があやしい。もっとも、しまちゃんやゆうりさんはその「あやしさ」を受け容れ、存分に楽しんでいるように見えなくもない。ほかのメンバーも、あやしいといわれてイヤな気分はしないタイプのニンゲンばかり。
 
 二十三時帰宅。猫たちは今日も平常心。
 
 今日も読書はしなかった。酒飲んだら夜は読めないよな。
 
 
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十一月二十九日(月)
「新・二匹の恢復72」
 
 七時二十分起床。朝は背後でふにゃんふにゃんと鳴きつづける花子をあやしながら食器洗いをするのが日課になった。カチャカチャと食器どうしがぶつかる音が花子は苦手らしく、音がするたびに「ヒャヒャヒャヒャ、ニャーイヤーン」と激しく抗議するのだが、背後でのふにゃふにゃは抗議ではなくておねだりだ。あまりにしつこいのでかつお節をあげるようにしたら、質が悪いことにこれも日課になってしまった。
 
 出かける間際に、花子がドア越しで麦次郎に向かって「シャー」と言っている。ちょっと気に入らなかったようだが、本気で怒ったわけではないらしい。ドア越しにちょっかい出されたのだろうか。
 
 八時三十分、事務所へ。晩秋の紅がほんのすこしだけ街に残っている。冬はすぐそばまで来ているようだが、吐く息が白くなるほど冷え込んだりはしない。空は青く、澄んでいる。赤く染まった木々とのコントラストを楽しみたいところだけれど、あいにく西荻窪には空に接して生える紅葉樹は少ない。
 
 E社企画、E社ホームページなど。十三時三十分、三田のT社にて打ちあわせ。帰社後もE社。二十時、店じまい。ひさびさに外食せずに早く帰宅。
 
 
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十一月三十日(火)
「新・二匹の恢復73」
 
 七時二十分起床。ここ数日、朝に麦次郎の姿を見ない。いつまでもカミサンの枕で眠りつづけているらしい。もっとも、ずっと眠っていてくれたほうが午前中の家事の慌ただしさがいくぶんかは落ち着くというから、朝寝坊様々である。猫とは寝子であるという語源もあるくらいよく眠る動物だ。眠るばかりで役に立たぬから、猫の手も借りたいなどと猫からすれば皮肉たっぷりな言葉も生れるのだろう。だが、猫好きはその役立たずっぷりもふくめて愛好してしまうのだと思う。
 だが、気まぐれさでは麦次郎以上に猫らしい花子は朝になると眠らず大騒ぎするのはどういうわけだろう。ほんとうにゴハンちょーだいといっているだけなのだろうか。
 
 八時四十分、事務所へ。E社企画など。午後より五反田のL社で打ちあわせ。そのまま大崎のE社に連れていかれた。
 
 二十時帰宅。猫たち、帰宅してからも眠っていてくれればいいのにと思わぬでもない。
 
 大西巨人『深淵』。久しぶりに仕事以外で本を読んだ。といってもほんの十分少々だけど。
 
 





《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。わが家では、なぜぼくが握ったおにぎりはみっちりしているのかが大きな問題になっている。。

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