二〇〇四年六月
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六月一日(火)
「雨音という言葉/バイバイという言葉」
七時三十分起床。窓を開けると激しい雨が路上を叩く音がたちまちうるさく耳に届いた。雨音、というがこれは雨そのものが降るときにたずさえてくる音のことではなく、雨がアスファルトにあたるときに鳴る音のことをいうのだろう。その昔は、雨滴が風に吹かれ空気をかきわけながら落ちる音が、土を打ち水溜まりができる音に混じって聞こえたのかもしれない。その玄妙な音を感じることができることが少々うらやましい。こうして日記を書くために叩くキーボードの音すらも――静音性に優れたメンブレン方式のキーボードだというのに――静まり返った夜の書斎には少々騒がしくて、雨の音などまったく聞く気になれない。もっとも、今夜は雨は降っていない。
八時三十分、事務所へ。最近は花子だけでなく麦次郎も見送りに玄関まで来てくれるのがうれしい。猫たちに対しては、不思議と「行ってきます」という言葉ではなく「行っちゃうよ、バイバイ」というより砕けた、そして戻ってくることをほのめかさない挨拶が口から出てくるのはなぜだろう。それでも、猫たちは賢くぼくらの帰りを待ってくれている。
十時、飯田橋のN社にて、N社通販カタログの打ちあわせ。深夜のテレビで放映される、あの通販のカタログである。
十二時、帰社。疲労を感じ、三十分ほど仮眠してからO社リーフレットの構成案に取りかかる。ほか、O社プロモーション企画、E社プロモーション企画など。二十時三十分、店じまい。
夕食はパスタで手軽に。
古井由吉『白髪の唄』。四十年前の同級生自殺と、四十年ぶりに再会した同級生を襲った狂気との接点を探そうとする主人公。
奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。語り手の転換?
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六月二日(水)
「アハハハハハハハハハ。
…………。
アハハハハハハハハハハ。」
七時三十分起床。朝のニュースはどのチャンネルも小学生の同級生殺害事件ばかりだ。カッターのような凶器でも頚動脈を切れば人は殺せる、ということを、加害者の子は知っていたのだろうか。
八時三十分、事務所へ。昼食も十五分程度で済ませ、あとは黙々とO社の企画やN社のパンフレットに取り組み続ける。二十時、集中力が途絶える。仕事の切れ目もよかったのでいったん作業をやめ、ヤフーで動画配信されていた「オー! マイキー」を三十分も見てしまった。馬鹿笑い。
二十一時、帰宅。「トリビアの泉」で馬鹿笑い。だが、二十二時からの「報道ステーション」でふたたび例の殺害事件が取り上げられ、馬鹿笑いも止まる。
二十三時「マシューズベストヒットTV」。最近めっきりきれいになった竹内結子がゲスト。また馬鹿笑いしてしまう。
奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。語り手の混在。タイムトリップ。祖母との出会い。
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六月三日(木)
「他者同士の集う場所」
陽射しも強くなく、風もなく、雲はうっすらと広がるだけ。曖昧と言ってしまえばそれまでだが、心地よくて過ごしやすいのは確かなことだ。そんなことを考えながら起床する。八時。
九時、事務所へ。午後より外出。十八時三十分、帰社。
打ちあわせ前にT社のNさんと新宿のスターバックスで待ちあわせをした。遅れるNさんを待つ間、隣に座っていた若い男女二人組の会話が意識せずとも耳に入ってくる。どうやらふたりは大学の陸上部に所属しているようで、男のほうはそこそこ自分の足に自信があるようだ。男は熱く、少々上から見下すような口調で仲間だかライバルだかわからないが、ほかの選手の批判をする。批判の基準は「才能」という点にあるようで、口振りから察するに彼は自分は才能豊かであることを自認している。ところがその自信に満ちた彼の態度が女は気に入らないらしく、話の途切れ目が見えそうになるたびに、そんな話はしたくないと何度も繰り返す。ところが男はサディストなのか、いやがる彼女の要望にはまるで耳を貸そうとせず、自慢と批判を一方的につづけ、挙句の果てには女の陸上競技に関する才能についてまで批判しはじめた。どうやら男は四百メートルを専門にしているらしく、記録は四十九秒台ということがうかがえたが、おそらくそれは大学生の記録としては才能を自負できるほど速くはないはずで、だとすれば彼のいう才能、自信と自慢の根拠とは一体何なのだろうかと考えはじめると、たちまち彼の実態が見えなくなってくる。まあ、この際彼の実態などどうでもいい。成立しない会話、仲間のようでそうではない、知らないもの同士、《他者》同士のねじれた言葉のやりとりというものが、スターバックスという場所には意外に似つかわしいのかもしれぬ。そんなことを散漫ながら考えつつ、酸味の強いアイスコーヒーをひとりで啜り続けた。
二十一時、店じまい。「それいゆ」でカミサンと夕食。
古井由吉『白髪の唄』。ホテルニュージャパンの火災、そして日航機墜落事件の追憶。
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六月四日(金)
「うとうとと損」
八時起床。いや、正確には六時四十五分起床。いつもなら三時か四時に花子に噛まれたりフニャンフニャンと鳴かれたりして一度目が覚め、そこでゴハンをあげるのだが、今日はどういうわけか二時ごろにトイレに起きたのは覚えているが、ゴハンくれという要求で目を覚ました記憶がない。もちろん、記憶がないのだからゴハンも与えていない。ということは、ゴハンをあげなくてはならない。起きる。花子は朝日の陽だまりを見つけてリビングでゴロンと横になっている。ぼくが来てもゴハンくれとは主張しないが、どうせそのうち騒ぐのだからと、先手必勝、ゴハンの缶詰めを開けてやる。開ければ食べる。今までゴハンのことを忘れていたことを忘れて、無我夢中で食べる。背を丸めてハムハムハムと音をたてながらエネルギーの補給に懸命な花子をチラリとだけ見守ってから、もう一度蒲団に入るが眠れない。しかたないからずっと起きていた。というより、横たわって入院している親父のことやら昔の友人のことやらを考えつづけていた。すると不思議なもので、だんだんと眠たくなってくる。ところが、うとうとしだすと目覚ましがなる。起きる。うとうととはしたものの、先ほどまで意識ははっきりしていたから、起き上がるのは迅速だ。損したような気分で身支度をはじめる。
九時、事務所へ。予報では三十度まで気温は上がるようだ。確かに夏の陽射しだが、ゆるやかに吹く風の感触はひんやりとしていて、それが歩く躯には心地よい。半袖の人ばかり見かける。夏というにはまだ早すぎるが、だからといって半袖を着てはいけないというわけではない。ぼくも今日は半袖シャツ一枚だけだ。
D社PR誌を延々と。午後になると事務所は西日がきびしくて、だんだん蒸し風呂のようになる。スリッパ代わりにしているゴム底のサンダルが、汗で蒸れて不快に感じたので靴下を脱いで裸足で仕事をするが、なんだか調子が狂うので、近所の靴屋で特価になっている雪駄を買った。九百八十円。
古本屋で筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』、群ようこ『かつら・スカーフ・半ズボン』を購入。
二十一時三十分、店じまい。西友でお弁当を買ってから帰宅。
おふくろから電話。親父、普通食になったらしい。ところが根がせっかちなものだからよく噛まずに慌ててメシを食う癖が抜けていないらしく、今日だか昨日だかはカステラを食道に詰まらせてゲロを吐いたらしい。胃袋がないという自分の躯の状態をついつい忘れてしまうのか。忘れるほど食べることは今の親父にとって快感なのか。退院は来週の予定らしい。退院祝いをやってやらねば。
読書はあまりしなかった。奥泉『鳥類学者』と柄谷『探究1』をすこしだけ。
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六月五日(土)
「そっくりだった」
八時三十分起床。昨日とそっくりの空、昨日とそっくりの陽射し、昨日とそっくりの朝。もちろんそんなはずはないのだが、よく似ている。
九時三十分、事務所へ。D社PR誌の原稿を延々と。夕方、目処がついたので吉祥寺へ。伊勢丹の九州物産展で焼酎を購入。ほか、無印良品でシャツ、ロンロンでベーグル、チーズなど。
十九時三十分帰宅。
奥泉『鳥類学者』。戦時中のドイツに迷い込んだフォギーは、よくわからぬままに朝を迎える。のほほんとした語り。
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六月六日(日)
「一丁前で生意気」
九時起床。梅雨入りしたようだ。といわれると、空の色は世を憂えているように見えるから不思議だ。そんなことはないのだろうが。梅雨がなければ、ぼくらはおいしいお米や野菜を食べられない。
掃除、洗濯、「サンデージャポン」「ハローモーニング」。
十四時三十分、下北沢にあるベンガルのブリーダー――と呼んでいいのかな?――のくみぷり。さんのお宅へ、生れて一月ちょっとのちびっ子ベンガルくんを見に行く。テディベア作家の小林きのこさん夫婦も来る予定だったが、身内に不幸があったからということで今回は欠席。チンチラを飼っている横浜在住のヤムヤムさんと、梶原とぼくの三人でおじゃまする。ちびっこ、眠り方も遊び方も一丁前である。生意気である。おまけに豹柄の模様が成猫よりもはっきりとしていて、ゴージャス感もあってさらに一丁前、さらに生意気に見えてくる。あまりに生意気なので、麦次郎と交換しちゃおうと何度も提案してしまった。もちろん麦を里子にやったりはしないのだが。なんどもちびっこをおもちゃで挑発したり、ぽってりした腹をうりうりしたりして遊んだ。
途中より、設計士でパン屋さんの経営もしていておまけに暖炉評論家でもあるTさんも合流。ダラダラと飲み、喰らい続ける。おかげで腹が樽のようになってしまい、坐っている体勢がきついのでずっと立っていた。くみぷり。さんは二時間半くらいぶっ倒れたままだ。ヤムヤムさんは、手酌で赤ワインをガンガン飲みながら、しゃべる暴走スリム列車――彼女のウエストは58センチのスカートでブカブカである――と化した。梶原は「男の趣味が変な女」の王道――そんなものあるのかどうかは知らないが――を突き進むかのごとくおかしな男性論をまくしたて、おかげでぼくはすっかり変な男扱いだ。宴は二十三時まで続いた。
古井由吉『白髪の唄』を少しだけ。オウム事件まで取り込んでいた。もっとも、語り手は世の中の大きな動きに対し、つねに外野であり続けている。
最近、しっかり読書する時間が減っているような気がする。本を読めないと不安だ。ワーカーホリックならぬ、リーダーホリック。
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六月七日(月)
「悲しみのうんこ」
少々宿酔い気味。というよりも、まだ酔っていると書いたほうが正確か。明け方から、ウイスキーをガンガンやった直後にくる脳の異様な明瞭感、明視にも似た感覚に襲われ、全然眠れない。ギラギラした頭のまま起床しなければならんのか、こりゃ今日一日は仕事にならんな、と覚悟を決めたが、枕がわりに敷いておいたアイスノンが効いたのか、七時ごろにはうとうとしだし、八時にはいつもの気だるさのなかで目が覚めた。頭はさほどつらくない。腹を触ってみる。つらい。樽だ。夕べからまったく張り具合が変わっていない。
九時、事務所へ。D社PR誌、N社カタログなど。テレビ通販でおなじみ筋肉増強マシンのビデオを何度も何度も繰り返し見た。
二十時三十分、店じまい。
夕食はブリ塩焼。胃がもたれぎみだったので脂がきついのはどうかと思っていたが、意外に淡泊。
奥泉『鳥類学者』。ダラダラした作品なので、ダラダラと読んでしまう。
便所でうんこするときに読み続けていた武田百合子の『富士日記』が、もうすぐ読了しそうなのでさみしい。今、武田泰淳が他界する年の夏の日記を読んでいる。富士の自然と生活を鋭い視線で見ながらやわらかな感性で、どこか抜けた感じで、でも私情を交えすぎたりせずに冷静に書くというのが武田百合子のスタイルだけれど、やはり泰淳の死を予感していたのか、悲しみの予感とでもいうべきものが、生活の端々に時折現れる。それが切ない。切ない書き方なんてしていないのに、切ない。でも、泰淳が「いっぱいうんこが出たのでうれしそう」などと、妙にうんこの出具合にこだわっていた話や、寒いからといって頭にタオルを巻いてコタツに――八月なんだよな――はいっていときに百合子が服を着ろと勧めると寒いのは頭だけだといってそれを拒否するさまは、おかしくてついつい笑ってしまう。
しかし、そのおかしさのなかにもやはり悲しみは潜んでいる。読みすすめるぼくもまた、その悲しみにすこしずつ染まっていくのだ。
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六月八日(火)
「座右の書」
また六時に目が覚めてしまう。そして八時まで無駄に過ごす。おかしな習慣となりつつある。
八時起床。九時、事務所へ。昨日はいかにも梅雨の一日といった具合で、晴れたかと思えばそれはただ雲の途切れ目から陽が漏れただけで、気づけば雨音が響いていて、しばらくするとまた陽が射している、といった気まぐれな空だったけれど、今日は雨が降るような気配はなく、ただときどき強く射す陽光は妙に眩しく、そして暑い。汗をかいたので、すずしげな高架線路の下の通路を歩いて事務所へ向かう。コンクリートが空気をひんやりと冷やしてくれているのはうれしいが、眺めが暗くて単調なのがつまらない。
D社PR誌、O社DMなど。二十二時、店じまい。
夜、下痢する。だがそんなに苦しくない。
武田百合子『富士日記』読了。泰淳の入院初日の描写で作品は終わる。病んだ自分の躯の状態を誤魔化すかのように軽口をたたく泰淳に、せいいっぱいの気持ちで接する百合子。そのせいいっぱいさが、軽口の描写のなかに紛れたり、顔を出したりと忙しい。それくらい、読んでいるこちらは文章そのものに振り回される。いや、心が揺り動かされる。
うんこ専用だったから、半年くらいかかっただろうか。モノの見方、感じ方というものを、この本を通じて得ることができた、というか、ましな感性に多少なりとも近づくことができた。泰淳の『富士』と『めまいのする散歩』はぼくの座右の書ともいうべき作品だけれど、この『富士日記』も、それに匹敵するくらいの魅力がある。
奥泉『鳥類学者』。うーん、『富士日記』のラストのまえでは霞むよなあ。
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六月九日(水)
「低血圧なハゲ鳥/遅れてきたデブ猫」
八時起床。換羽による痒みと体力の消耗で妙に不機嫌なぷちのハゲハゲな姿をまず確認するのが習慣になってしまった。自分が朝一発目の放尿をするよりも、カーテンを開けるよりもまえにぷちぷちのカゴにかぶせた風呂敷をはずし、一声かけてやる。陽当りのよい日なら風呂敷を透かしてカゴのなかを照らしていた陽の光ですっかり目を覚ましたぷちはキョキョキョを機嫌よく鳴きながら――はげちょびんであることには変わりないのだが――こちらへ寄ってくるのだが、今日のように厚い雲が陽を遮っていたり、重たい雨が降る朝は、声をかけてもしばらくは呆然としたままだ。コイツ大丈夫か、と心配になる。が数分もすればすぐにキョキョキョと叫びはじめる。低血圧なのだろうか。
九時、事務所へ。湿度はあるが暑くはないからいくぶん過ごしやすく、仕事もはかどる。N社カタログに集中。夕方、カイロへ。パルコの書店で『群像』七月号を買ってから帰社。二十時過ぎまで作業する。
「トリビアの泉」を見ながら麦次郎をはげしくいじってみる。何度も抱きかかえては躰中をヨシヨシといいながらなでまわし、逃げるとすぐに捕獲してもう一度同じことを繰り返す。最初はいやがっていたが、そのうちこれが遊びだとわかったのだろうか、いじり倒すことに飽きてテレビの画面をぼんやりとながめていると、ぼくの腕をべろべろとなめ回し、すりすりと躯をこすりつけてきた。でも、もう遊んでやらない。遅いんだよなあ。
うんこしながら読む本、今日から『田中小実昌エッセイ・コレクション1 ひと』を読みはじめる。やわらかでやさしくて軽快、だけど鋭いコミさんの文体は、うんこしながら読む本として最適。
奥泉『鳥類学者』。
古井由吉『白髪の唄』。仙台に住む妻の父の死。妻と娘は、義父が体調を崩してからは交代で見舞いに行っていた。ちょっとおもしろいくだりがあったので引用。
□ □ □
身近に人が亡くなると生者たちのほうにも、たいてい四十九日とは続くまいが、中陰というような境がある、と故人と血のつながった女たちを眺めることがあった。死者にとって中陰とは今生と後生の間なら、生者にとっては今生と今生の間、いずれ生と生の間のことだ。この世からどこぞへ迷い出るわけでない。それどころか、いよいよこの世の忙しさの中に閉じこめられる。取り込みとはじつに日常の最たるもの、暮らしのここに煮詰まったようなものだ。それでも、ここはどこか、と考える。頭ではなくて、身体が考える。それも、ひっきりなしに動きまわりながら。動きまわることによってしか考えられない。用に追われ、用を追いつめる。事をひとつひとつ片づけていきながら、それにつれてかえって際限もなくなっていくような必要の、じつはもうすぐその先に、為ることなど何ひとつなくなるところを見ている。為ることがなくなれば、ここがどこであるか、わからないようになる。
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六月十日(木)
「ゆっくりおしごと」
八時起床。蒸し暑い朝。だが空は厚い雲に覆われていて、陽の光は弱々しく広がるだけだ。
九時、事務所へ。春の花がずいぶん少なくなった。薔薇はどの家の庭のものも枯れはじめている。紫陽花は盛りだが、今年はなぜかあまり心魅かれない。
N社カタログ、E社企画、D社PR誌。十九時、帰宅。
今日はあまり本も読まず。マイペースに仕事をしただけの一日。
(書いてから、眠くなるまで二時間くらい読みまくる。柄谷『探究1』、古井由吉『白髪の唄』。十一日追記)
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六月十一日(金)
「台風の感じかた」
ほとんど予定がないとわかっていることの安堵感からか、全身がたるんだような気分で目を覚ます。仕事の狭間になってしまったようで、午前中に立ちあうだけに近い打ち合わせが一本だけ、午後はまるまる空き時間となってしまった。のんびり散歩と決め込みたいところが、天気予報ではどうやら午後からは雨、しかも台風が近づいているという。だらだらするよりもほかにやるべきことはあるだろう、ほら思いだしてみろと空に言われているような気がしたが、たしかにそれは山ほどあって、今日のうちに終わらせるべきだと強く感じ、ならばやはり気合を入れて起きるべきなのだろうが、心と躯の相性は今ひとつちぐはぐで、なんだかほわほわしていて、おまけに濁ったようでもある。八時起床。
九時、事務所へ。予定の確認とメールチェックを済ませてから九段下のD社へ。表紙デザインのプレゼン。帰りは飯田橋駅まで歩いてみた。ちらほらと雨が降りはじめるなか、女子高生が集団でコンビニに向かっているのを見かける。最近の高校は休み時間にコンビニに行ってもいいということか。それとも、ぼくらもよくやったように、たんにバックレただけなのか。それにしては緊張感がない。バックレには緊張感を伴う異様な高揚を感じたものだが。もっとも、慣れてくるとその感覚も薄れてくるのだが。
昼食を済ませ、十三時帰社。午後からは帳簿づけ、日記のサイトアップなど。ついでに、先日から見直していた保険の絞り込みを行う。アリコのものに決定。申込書の記入まで一基に済ませてしまう。
十九時、帰宅。夕食はキムチ鍋にしてみた。
現在二十三時。マンションの裏手の善福寺川の水流の音が、雨音をかき消してしまっている。つい先ほどまでは、雨音がはげしく部屋に響いてきた。台風は通過している最中なのだろうか。天気図でその大きさやら進路を見せられるとその威力は想像しにくいものの、理屈で丸め込まれるのか、不思議と納得して危険を感じたり大変だなあとうんざりした表情をしてみたりするわけだが、微妙に離れた場所を通過するときは、無論天気図などまるで当てにならず、だからといって今降っている雨は台風がもたらしているものだとわかっていても、その台風がいまどのあたりに存在しているのかなど皆目見当もつかない。などとつづっているうちに、また雨音が強くなり、川の流れの音が消えてしまった。台風の存在を知るには、耳を澄ますのが一番なのかもしれない。
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六月十二日(土)
「毒素抜き/豆腐カレー」
三時、花子に足を噛まれて悲鳴を上げる。
十時起床。午前中のうちにカレーを作り、午後から外出。単身赴任中の義父のもとへ向かった義母にかわって桃子の世話をするために義母宅へ。十六時くらいまで桃子と遊び、ゴハンをあたえ、猫便所の片付けをしてから荻窪駅前の健康センター「湯ーとぴあ」へ。ここのところサウナに入りたいという欲求が日ごとに高まっていたので、閑になったのを機に解消させてみた、というわけだ。マッサージは下手っクソなのがわかっているので申し込まず。一時間少々湯や熱気にあたって躯をふやかし毒素を抜いてから帰宅。つくっておいたカレーを食べる。
夕べ食べたキムチ鍋の残りの豆腐がそのままの状態で冷蔵庫に保存されていたので、衝動的にカレーのなかにブチ込んでしまった。不思議なクリーミーさと甘味が出て、これは意外にも美味である。ただし、カレーがゆるく仕上がってしまうので分量には注意が必要。
奥泉『鳥類学者』。ナチス登場。
柄谷『探究1』。ドストエフスキーの作品における《他者》の無限性。いや、神人・キリストへの躓きから出発する無限遠点としての作品世界。
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六月十三日(日)
「恢復する親父/庭の自由」
昨夜、0時頃だろうか。テレビを見ていたのだが目を開けていることもできぬほどの睡魔に蒲団へ入るよう強要されグースカと気を失うように眠りこけたのであるが、カミサンがいうには、テレビを見ている最中はよく家庭から送られてきた爆笑ビデオを紹介する番組で紹介される子どもの居眠りのように、なんどもこっくりこっくりと頭を不自然にうつむかせんながら、右目は右に、左目は左に、つまりまるで焦点の合わない目を懸命に開け続けようと努力していたそうである。テレビを見ているうちに居眠りしたのは覚えているが、そんな醜態をさらしていたとは知らなかった。とはいうもののさらした相手がカミサンなのだから気兼ねはいらない。
爆睡したら、三時にまた花子に噛まれた。
九時起床。十一時、出発。義母宅で桃子の世話をしてから退院した親父の様子を見に実家へ。入院のためか胃袋がないせいか、長時間起きていることが体力的に難しいらしく、ぼくが訪れた十四時ごろは蒲団のなかで寝転がっていた。庭の手入れができないとぼやいていたが、鬱蒼としてはいるが六月の花が咲き乱れ葉が落とす暗い影よりも花の鮮やかさに目を奪われ、そして繁り狂うような木々や雑草もぼくには不思議と庭の乱れというようには思えず、手入れをしていないというよりも、自由奔放に育つ姿を見守っているといった具合に見えなくもない。庭やテレビ――競馬中継とゴルフ中継――を見ながら三時間ばかり談笑し、帰宅する。
実家に帰る途中に、B先輩が開いたフランス料理店「オリヴィエ」を覗いてみる。定休日だったが、逆に店のなかをじっくり、窓からではあるが観察することができた。どちらかというとカジュアルで、ちょっと南仏風な感じがしなくもない。オープンテラスがあるので、天気のよい日には近所の小マダムたちが陽の光と風を浴びながら小洒落たフレンチで談笑するのだろう、などと勝手に想像してみる。
十九時三十分、帰宅。昨夜の残りのカレーを食べる。
古井由吉『白髪の唄』。友人・菅沼の突然の「告白」。昔、若い女を癌でなくしたという事実。そして希薄で香りを伴う弔い。
奥泉『鳥類学者』。現代から持参してきた武富士のティッシュが原因で、軍から詰問を受けることになってしまったフォギー。
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六月十四日(月)
「めずらしいことと、よくあること」
眠れず。めずらしいことだ。昼間は睡眠不足で頭痛。これはよくあること。十九時に仕事をたたみ、とっとと帰ってすぐに寝てしまう。
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六月十五日(火)
「不思議なキオン」
八時起床。梅雨の中休みの晴れ間。真夏の陽射しが朝からリビングに照りつけているが、不快になるほど暑くないから不思議だ。
九時、事務所へ。O社パンフレットに集中。十九時過ぎ、早々に店じまい。
夜はのんびりと。ぷちぷちと風呂に入る。
奥泉『鳥類学者』。「ピュタゴラスの天体」の謎。
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六月十六日(水)
「うらやましい丸出し」
八時起床。陽射しだけを見ると最高気温二十四度という今朝の予報は信じがたいが、一歩外に出ればなるほど、たしかに空気は乾いて、緩く吹く風にもどこか梅雨寒を思わせるような涼しさがあるようだ。こんな日は陽の昇り具合、傾き具合、汗のかき具合を目や肌で静かに感じながら呑気に過ごしてみたくなるが、生憎夕方までは予定が詰まっている。丸出しにした腹に朝日を浴びせてなまけている麦次郎がうらやましくなる。
九時、事務所へ。O社取材用ヒアリングシート、台割。納品してからはただちにD社PR誌の原稿。
午後より小石川のL社へ。桜並木がある通りは環三通りと呼ぶらしい。環状七号線、環状八号線とおなじ意味の「環」なのだろうか。桜の葉の緑は深く茂り、歩道に濃い影をつくってくれるので正午過ぎの一番きつく鋭い陽ざしも和らぎ、歩きながら一息つけるのがありがたい。
新宿経由で事務所に戻る。
十九時、kaoriさんが遊びに来る。今夜は暇だから一緒に食事はどうか、とのこと。いいとも。インド料理店「ガネーシャガル」でほうれん草のカレー、マトンマサラ、トマトにマサラをふりかけたサラダ、骨無しタンドリーチキン、バターナン、ガーリックナン、チャパティ。kaoriさんはバッチフラワーレメディのなんとかという一番えらい資格を三年がかりでとったとうれしそうに話していた。おなじ有資格者は都内で十数名だそうだから、彼女の存在は大変貴重なのだろう。
「どんぐり舎」でお茶をしてから帰る。
古井由吉『白髪の唄』。女性の姿、それも息絶えた姿のイメージと、主人公と友人たちとの会話が重層的に折り重なってゆく。イメージの重なりによってうまれる緊張感。それは主人公が緊張しているということではなく、文体が緊張しているということ。こういうクライマックスの書き方もあるんだなあ。古井由吉はテクニカルな書き手だとつくづく思う。
奥泉『鳥類学者』。奥泉もまた、テクニカル。こちらは書き手としてというよりも、ストーリーテラーとしての技術が際立って高い。
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六月十七日(木)
「手配しました」
まったく予定のない一日。新宿で得意先へのお中元の手配をしただけ。ただそれだけの一日。
古井由吉『白髪の唄』。若き友人・山越の婚約者である鳥塚から、山越の母の秘密を打ち明けられる主人公。それは他愛もなく、そしてつかみどころもない。
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六月十八日(金)
「ショルダータックル!」
八時。気づいたら花子がいっしょに寝ていた。ツイストドーナツのようにねじれた夏用の薄手の掛け蒲団の縦ロールの部分に半分ほど身体を沈め、スフィンクスのポーズでこちらを見つめていた。起きるぞ、と声を掛けると、頭の横でべったりと腹を敷布団の上に広げて寝ていた麦次郎のほうが先に起き上がり、寝起きにしては軽快な足取りでぼくについてきた。
九時、事務所へ。まだ六月、梅雨の中休みの真夏のような暑さではあるが陽が沈めば熱気は急に失せ、春の終わりというよりは秋のような涼しさに、半袖シャツ一枚では身をちぢめることもあるのでギャバジン織りのサマーウールのアンコンジャケットを握って家を出たが、十歩歩いたところで持たなきゃよかったと後悔する。とはいえ、駅に近づくとびっしりと上着を着込みご丁寧にネクタイまで締めたサラリーマンの姿をたくさん見かけたのだから、ぼくは人より暑がりなのかと考えてみたが、いや逆にサラリーマンが暑さに対して忍耐深いだけなのかもしれず、だとすればやはりサラリーマンとは耐えるのが仕事で、その点に関しては元サラリーマンのぼくも納得だ。
十一時、小石川のL社へ。E社POPの打ちあわせ。
帰りの中央線で本をめくっていると、隣に座った黄緑のキャミソールに清潔な白が涼しげなカットソーを合わせた線の華奢な女性が居眠りしはじめた。時折こちらに頭が向かうので、邪魔せぬように気を配り、時折身体を反対側にくねらせながら読書をつづけた。もし隣でこっくりこっくりとしているのがむさくるしい男だったら、ショルダータックルで無言の抗議をするところだ。
十二時過ぎ、西荻着。「Y's Cafe」でゴーヤカレー。ついでに古本屋を覗き、バフチン『ドストエフスキーの詩学』が安く出ていたので購入。ほか、長新太の絵本を三冊ほど。
十三時、帰社。午後から早速E社POPのコピーに取りかかる。資料がほしくなり、吉祥寺のパルコに買いだしに行こうかと考えていると、カミサンが浅草橋の「シモジマ」に画材を見に行きたいのでいっしょに行くかと誘われたのでついて行く。
十六時、「シモジマ」へ。小売業者向けのPOPや什器、包装用品がこれでもかというほどに充実していて、うれしいことにそれが安い。だが、カミサンが狙っていたポストカード用の紙はいいものが見つからず。ビニールシートのパックを購入し、大人しく引き上げる。
帰りの電車のなかで、西日が眠気を誘ったのかついついうつらうつらしてしまう。カミサンが横からコラ、と注意する。寝るのが悪いというのではなく、隣に座った熟年の女性のほうに頭が向かい、あわやもたれかかるところだったらしいのだ。ショルダータックルを受けなかったのは幸いだ。熟女のタックルは芯が硬そうで、身構えないとこちらの身体が壊れるかもしれない。
カミサンは事務所へ。ぼくはそのまま吉祥寺に向かい、パルコで仕事の資料二冊を購入する。
二十時、店じまい。来週の月曜はカミサンの誕生日。祝いを今夜やってしまうことに急遽決める。祝いといっても、焼肉屋でメシを食うだけだ。
古井由吉『白髪の唄』。阪神大震災に「被災しなかった者」の生活、苦しみ。神戸は悲劇の街になった。しかしそれを報じるテレビには、映像は写れど音はしない。心に残りつづける悲壮なイメージは、音を伴わないものだ。音があれば、悲壮さは無残さ、残酷さへと変容するかもしれない。
奥泉『鳥類学者』。ロンギヌスの槍、月の石。
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六月十九日(土)
「緩む口」
八時三十分起床。梅雨の中休みはどうやら今日までらしい。リビングに射し込む陽射しに、わが家の動物たちはみな喜んでいる。
洗濯。バンブー素材のセットアップを手洗いする。
掃除。窓の黴取りなど。
午後より外出。陽射しは厳しいが、髪を少々乱す程度の風がそれを和らげてくれる。
吉祥寺へ。世間ではボーナスも支給されたようで、フライングした夏を思わせるここ数日の気温と空が、財布の口を緩めさせているのではないか。街は薄着の人々で溢れかえっている。
中古CD店「RARE」で不要なCDを売る。ユザワヤ、無印良品、西友。kaoriさんのダンナと偶然出会う。
ロヂャースで猫缶を買ってから帰宅する。
夕食は餃子。包んだ。
奥泉『鳥類学者』を少しだけ。
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六月二十日(日)
「燕様向け物件あります」
気づいたら、麦次郎を腕まくらしていた。暑苦しい。
九時起床。寝室は西側だから朝陽はささず、その日の天気はリビングに出るまでわからない。このわからなさ、予測するという行為が、ぼくを朝の天気や空模様に異常なほどこだわらせているのかもしれない、などとパジャマのうえから腹をかきつつ、足首や膝の固さを感じながらリビングへ向かうと、カーテン越しに暑そうな陽の光――九時だからもう朝陽とは呼べない――がすけているのでげんなりする。だが窓を開ければ台風六号の影響か、風がうまい具合に家のなかを抜けていくようで、いくぶん助かった心地になる。
朝食後、夏の陽射しのなか、少々暑苦しいが散歩がてらに伏見通りの商店街で第三日曜日に開かれている朝市を覗きに行く。特売のテントが軒を連ねている。四十代以上が多いが人通りはかなりのもので、Tシャツにチノ、パンかショートパンツ、普段は七三に分けているだろうが今日は無造作なヘアスタイルのオッサンたちが、帽子を深々とかぶり妙にフワフワしたシルエットの生地の薄そうなワンピースや袖なしのブラウスなどに身を包んだオバハンたちと楽しそうにテントを覗いたり、めずらしそうな目つきで試食を繰り返している。公園では、子どもたちが鳥の巣箱を工作していた。大工かなにかが客寄せのために参加型イベントをしているのだろう。あれこれ見て回ったが、ほしいものはとくにない。
吉祥寺の方向へだらだらと歩く。オレンジ色の、昼顔のような花びらをした花があちこちの庭で咲いている。毎年この花を見るたびに、カミサンになんという名前かと訊いている。植物にも興味はあるが、名前が覚えられないから始末が悪い。学生の頃も、論理を展開したり推測したりアイデアを出すタイプの試験には強かったが、暗記型のものはメロメロに弱かったことを思いだす。
カミサンがkaoriさんに教えてもらったという、大京不動産のマンションにある「燕の便所」を見に行く。マンションのエントランスに巣を作った燕が落とす糞を、発泡スチロールで受けてまめに掃除をしているようだ。そのスチロールにマジックで「燕の便所」と書いてあった。大京不動産は燕にも気前よく不動産を提供しているようだ。
十一時過ぎ、駅前の「ハンサム食堂」などがある路地で開かれる昼市も覗いてみる。この路地のひとくせもふたくせもある飲み屋が、昼飯を格安で提供しているのだ。西荻は散歩が似合う街だから、こういった企画はとてもうれしい。だが十一時開始だというのに地域性なのかまだまだ仕込み中のようで、準備されていないのでは食欲も湧かず、そのまま帰って来てしまった。
午後からは風呂掃除。黴取りに精を出す。夕方、疲れ果てて倒れる。
夕食は肉野菜炒め。
古井由吉『白髪の唄』読了。主人公の日常のなかに、すこしずつ紛れ込む外部の狂気、そして主人公の外側=社会で起こる大震災、毒ガス事件。主人公に、姿を変えながらつねにまとわりつく老、病、死。狂気や事件へわずかに足を向ける一瞬。その連続が日常を形づくっている。狂気と老病死とのかかわりこそが生きることの証明であり、だとするならば、それらとは客観的に、つとめて冷静かつユニークな視点でつきあうことができれば、おそれるものはおそらくなくなる。この作品全体をうっすらと覆っている不思議な「明るさ」は、この部分からにじみ出ているのか、などと考えた。
奥泉『鳥類学者』。晩餐会。
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六月二十一日(月)
「織田作」
八時起床。大型台風が四国に接近している。東京では、雨は降っていないが強風が吹き荒れている。
九時、事務所へ。E社POP。
十三時三十分、飯田橋のO社へ。二時間の取材を立て続けに三本。そのあとデザイナー、L社のディレクターと打ちあわせ。
二十時三十分帰社。D社PR誌の赤字修正を済ませてから帰宅。風がどんどん強くなり、歩くのに少々難儀する。強く、湿っぽく、生ぬるい風。雲が北に向かってたちまち形を変えながら慌ただしそうに流れてゆくのが夜闇のなかでも見える。
『戦後短篇小説再発見6 変貌する都市』より、織田作之助『神経』を読みはじめる。先入観と、深いが視野の狭い観察でがっちがちの文章。このあと、これがどう動くのか。そういえばぼくは昔から織田作之助を織田作と略して読んでいたのだけれど、これって一般的にも通じるのかなあ。
奥泉『鳥類学者』。晩餐会。フォギーの男の趣味。
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六月二十二日(火)
「サツマイモ/野太い神経」
百台の目覚まし時計よりも酷暑の朝陽。そんなことを考え、感じながら、汗で重たくなったパジャマに包まれ蒸しタオルのような状態で目を覚ます。夕べはカミサンがエアコンをドライに設定しておいたはずなのに、これだ。麦次郎は目が覚めるといつもなら枕のすぐ横でカミサンにぴったりと腹をくっつけて寝ているのに、今朝は暑さに観念したのか、エアコンの冷気があたるのがいやだったのか、足元のほうでクルリと、できの悪いサツマイモみたいな体勢で丸くなっている。
九時、事務所へ。午前中はエアコンをいれずに耐えることに。おでこ用のアイスノンで頭を冷やしながらO社パンフレットに取りかかる。集中できるが、持続力に今ひとつ欠けるのはやはり暑さのせいか。
十六時三十分、五反田のL社へ。E社の件の打ちあわせ。帰宅ラッシュの満員電車で帰社する。
二十時、店じまい。夕食はスタミナをつけるために豚肉キムチ炒め。
織田作「神経」読了。戦後の復興とは、不安と希望が入り混じっているということではなく、不安を塗りつぶしてしまうほどの愚直さ、その愚直さを生み出す野太い神経が支えていた、ということかな。
島尾敏雄「摩天楼」を読みはじめる。語り手の夢、あるいは幻想のなかだけに存在する架空の都市を緻密に描写してみる、という実験、なのかな。漢字だらけの文体に圧倒された。島尾ミホへの恋文に「ミホチャンミホチャンミホミホミホミホ」と能天気に――戦争中だったというのに――書きつづっていたヤツの文章とは思えん。
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六月二十三日(水)
「微妙な違い」
八時起床。酷暑。だが、意外にも目覚めは澄んだ感覚。汗で全身が濁ったように重たかった昨日の朝とはまるで違う。しかし、一歩外に出れば昨日と同じような陽射し。気温そのものはやや低いかもしれぬが、風がないぶんだけ暑さが身体にまとわりつく。
O社パンフレット。十五時、カイロプラクティック。二十一時、店じまい。
奥泉『鳥類学者』。戦時中のドイツでのジャズ・ライブ。
島尾敏雄「摩天楼」読了。夢オチを安易に感じさせない描写力。
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六月二十四日(木)
「さみしんぼうのねこ」
八時起床。ここ数日暴力的・破壊的なニュースばかりがつづいている。だが、いつまでもこのままというわけでもないだろう。連鎖が環状になるということはあるまい。そんなことを考えながら朝食のパンを齧る。
九時、事務所へ。午前中は事務処理。午後より小石川のL社にてE社POPの打ちあわせ。帰社後はE社、事務処理など。十九時三十分、店じまい。
帰宅後、「週刊モーニング」を買い忘れていたことに気づき、コンビニへ。戻ると、花子が外廊下に面した窓から不安そうな表情でぼくが帰るのを待っていた。一度帰って来たら、朝までどこへも出掛けてはダメ、と言われたような気分。さみしんぼう。
梅崎春生「麺麭の話」読了。終戦直後の不条理なひもじさ。腹を空かしているというだけで、ニンゲンは十分に不幸だ。そしてその「不幸」の感覚は周囲へとじんわり広がり、やがて自分へと帰って来る。
林芙美子(お、一発で変換できた)「下町」読了。戦後四年が経ったというのに、シベリアから帰らぬ夫を待つ主人公の心の隙間。そしてそれを埋める、親切で頼もしい、いい人=男の存在。孤独の埋め方って、どんな方法があるんだろう。どんな方法なら、許されるんだろう。そんなことを考えてしまった。
福永武彦(これも一発だ。でもまあ、当たり前かな)「飛ぶ男」を読みはじめる。
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六月二十五日(金)
「久々にひどいのが来た」
八時起床。雨。九時、事務所へ。終日、黙々とO社パンフレット。腰に違和感を感じる。
二十時、帰宅。夜中、急に坐骨神経痛が悪化して立てなくなる。足が神経系に沿って裂けほつれたような気分。だが腰だけは重く、思った方向に動かすことができない。椅子に座ろうと腰をかがめるだけで、尻から足にかけてガラスが割れるような激痛が走る。立っているのが一番楽だが、へっぴり腰になっていないとバランスが保てない。
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六月二十六日(土)
「久々にひどいのが来た・2」
昨夜はひどいありさまだった。床に入るのも一苦労、そのあとは寝返りを打つたびに激痛に目が覚める。おかげで熟睡できていない。
八時起床。今日は知人が不要になった洗濯乾燥機をゆずってくれるというので、その準備をしなければならない。というのに腰はこの状態。痛みをかばいながら歩くとさらに痛くなるようなので、なるべく心も身体も軽く、幽霊みたいな足取りで動くよう心がけたら、少しはマシになってきた。「点温膏」というエレキバンサイズの小さな温湿布をツボの位置に貼ってみたら、さらに楽になってきた。調子に乗りすぎないよう気をつけながら脱衣所を片付ける。
午後、乾燥機をもって便利屋さんが来る。が、いっしょに頂戴した専用台では左右の大きさがわが家の洗濯機より小さくて設置ができない。便利屋さんには引き取っていただき、そのあとすぐにインターネットでメーカー指定の専用台を探し、「楽天市場」で購入した。楽天を使うのは、携帯用ウォシュレットを買って以来かもしれない。
奥泉『鳥類学者』。どんどんオカルトSFになってきたぞ。
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六月二十七日(日)
「久々にひどいのが来た・3」
夜中、痛みで何度か目は覚めたが昨夜よりは深く眠れた。明け方に花子からゴハンをせがまれても、そろりそろりとではあるが、身体を起こして台所まで歩き缶詰めを開けるくらいのことはできた。ひょんなことから激痛が走るが、無理な姿勢をとったりさえしなければ、ちょっとした違和感、疼痛を感じる程度で注意をはらえばなんとか生活はできる。だが眠ってしまうと注意することなどできないわけで、ついつい無意識のうちに身体を動かしてしまい、悲鳴を上げながら目を覚ましてしまうのだ。
九時起床。ゆっくりと身体を動かしながら掃除、朝食。「サンデージャポン」を観ながら昨夜ネットで見つけた腰痛によく効くというストレッチをやってみる。毎晩やっていたものが半分、残りは腰や尻を伸ばすためのものらしく、ひとつだけまったく知らない伸ばし方があった。
「ハローモーニング」を観ながらアイロンがけ。一時間以上立ちっぱなしだったがほとんど苦にならない。ぷちぷちを外に出してみる。肩の上や頭の上でご機嫌そうに遊んでいた。ときどきアイロン台のうえに降りてくるので冷や冷やした。
十五時、夕食の買いだしを兼ねて散歩へ。ときどき右足の腿が疼いたり足の裏にチクチクと筋が何かに刺されるような痛みを感じたが、意外にごく普通の速度で歩ける。身体を傾けたり急に振り返ったり小走りしたりせぬよう気をつける。
帰宅後、読書。読みながらぷちぷちを出す。書斎――というよりは物置なのだが――は狭くてごちゃごちゃしているから好きではないらしく、肩の上でキーキーと怒っては、ぼくの首筋の皮に噛みついたりしている。
夕食はタッカルビ。韓国風トリ鍋。グツグツと煮込むというよりは鍋の中で蒸し焼きをつくるような感覚。夏のスタミナ食だ。
奥泉『鳥類学者』。降霊術。
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六月二十八日(月)
「久々にひどいのが来た・4」
激痛。なんとか蒲団から抜け出したのはいいが、そこから先の行動がまったく取れない。立ちつづけることが苦痛。だからといって、しゃがみ込めば激痛が走る。痛みは足から力を奪い、たった一歩でも前へ足を踏みだすことができない。ヘタヘタと倒れ込む。そのヘタヘタにも激痛が走り、不条理な拷問を受けているような気分になる。左右の肘をうまくつかって、痛みを散らしながら床をはいつくばって脱衣所まで行き、痛みを和らげるために風呂に入って半身浴を試みるが、湯船に入るには足をあげなければならず、たったこれだけの動作なのに痛みに負けてしまってできない。しばらく暖かいシャワーを腰に浴びせると、筋肉が緩んできたのか、痛みはするがなんとか足が動く。転がり込むように湯船に入り、しばらくそこでじっとしていた。
九時、痛みが散ってきたのでゆっくりと歩きながら事務所へ向かう。O社パンフレット。午後は若干余裕ができたので、荻窪病院へ行ってみる。レントゲンの結果は異常なし。とはいえ不安なのでMRIを申し込む。これでも異常がなかったらどういうことなのかと先生に訊ねると、おそらくは腹筋背筋の衰えと筋肉の硬化が引き起こしているから、ストレッチと筋トレだねと暗記した科白を口にする小学生みたいな口調で言われてしまった。ぼくのような症状の人はおそらくかなり多いのだろう。
十九時、帰宅。念入りにストレッチをする。
奥泉『鳥類学者』。水晶界での体験。宇宙オルガン。うーん、『新・地底旅行』とシンクロしてるなあ。連作だから、当たり前なんだけど。
福永武彦「飛ぶ男」。メチャクチャ実験的。
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六月二十九日(火)
「能天気だよ」
七時三十分起床。昨夜飲んでおいた痛み止めが効いたのか、腹を冷やさぬよう身に付けておいた腹巻きが役立ったのか、今朝はほとんど坐骨神経痛が起きない。痛みがないということがこれほどしあわせに感じるとは、ぼくは相当の能天気である。
九時、事務所へ。十一時、小石川のL社にて打ちあわせ。茗荷谷駅から歩いて十五分もある。坐骨神経痛がひどくなっていたときのことを考えると恐ろしくなる。
十三時、帰社。事務処理、O社パンフレットなど。夕方、時間が空いたので近所の「らくだ治療院」へ行ってみる。鍼と指圧、マッサージを受ける。鍼はやはりぼくの身体には合わないのかもしれない。一度も気持ちいいと思ったことがないからだ。だが、指圧、マッサージは効く。ただし乱暴。施術中はかなり痛いどうして金を払って苦しまなければならないのだろう。
十九時三十分、店じまい。帰宅後、念入りにストレッチをする。
福永武彦「飛ぶ男」読了。現実と空想、夢を何層も重ね合わせて不思議な絶望感の漂う小説世界を構築し、テンションが最高潮に高まったところでそれらを「夢」をフックに統合する。ところがその直後、「夢」によって美化された小説世界は世界の崩壊によってたちまち虚無へと還されてしまう。つくって、つくって、壊す。おもしろい手法。つくって、すぐに壊すならパンクだけど、つくって、もっとつくってから壊すからこれはパンクじゃないな。
奥泉『鳥類学者』。ゲシュタポによる逮捕劇。
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六月三十日(水)
「猫と世界」
八時起床。坐骨神経痛は昨日の鍼治療が効いたのか、それとも念入りなストレッチが功を奏したのかはわからないが、今日はほとんど痛まない。腰、尻、太股に疼くような感覚があり、左足が少々痺れるが日常生活にはまったく差し支えがない。不快さがなくなるとたちまち気持ちが大きくなる。あれやこれや、ガンガン足で蹴飛ばしてみたいと思ったが、本当にそんなことをしたらぶりかえすのは目に見えているのでもちろんやらない。足先で麦次郎の腹をうりうりしてみるくらいだ。もちろん、うりうりしているときには蹴っ飛ばしたいという衝動はどこかに消えている。痛みといっしょに消えたのだろうか。
外は雨が降っている。湿度が高いと神経痛もひどくなるようだ。だが今日は気にならない、ということは、腰が快方に向かっているということだろうか。それとも今日の午後には晴れるということだろうか。
九時、事務所へ。午前中は事務処理、O社パンフレットなど。
十四時、五反田のL社へ。新規案件の打ちあわせ。
十六時、飯田橋のO社にて打ちあわせ。子の頃にはほとんど雨は止んでしまった。うす黒い雨雲はどこかに消え、青い空と細切れの雲がビルの隙間隙間に広がっている。日没まで二時間近くもあるから、ビル越しに射す陽の光はまだ高く、暑く、鋭い。
十八時、帰社。E社POPのコピーを考えはじめる。
二十時、カミサンとkaoriさんちの新しいニャンコを見に行く。アメショー。メス。腹をウリウリと触ったりオモチャをホイと投げてあげたり「ニャゴニャゴモゴモゴメゴメゴウゴウゴガゴガゴゲジョゲジョゴモゴモヘボヘボ」などと不思議な呪文のようなものを聞かせたりして遊ぶ。遊び方は無邪気そのものだが、動作の端々にこの子の性格が現れはじめているのがおもしろかった。何をされてもあまり文句をいわず、あまったれているわけではないが遊びは大好き、といった感じだろうか。環境のなかでこそ「性格」が形成されるのだとしたら、それはニンゲンに限ったことではなく、やはりドウブツたちも自分たちの意識を通じてしっかりと世界と対峙し、そこからなにか吸収したり、そこと自分とを区別するためのなにかを本能的につくりあげたりするのだろうな、などと小難しいことを考えながら猫の動きをひたすら目で追いつづけた。
二十一時、kaoriさんと西荻窪の七輪炭火焼き肉「五鉄」へ。ぼくだけアルコールを軽く摂取。ほかのみんなはウーロン茶を飲みながら、ハラミ,レバー、豚タン、骨付きカルビの骨無しなどを食す。コストパフォーマンスに優れた店。食事しながら高校生時代に流行ったポップスやしりあがり寿のマンガ、ヒプノセラピー、フリマなどの話で盛り上がる。二十三時、帰宅。
森茉莉「気違いマリア」を読みはじめる。潔癖症の話。鴎外の血を引くぶっ飛んだ文体。ホントに気違い。
奥泉『鳥類学者』。冒険活劇みたいになってきた。
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