「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

二〇〇四年五月
 
 
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五月一日(土)
「平常心」
 
 八時起床。花子はすっかり恢復したようで、いつも通り早朝にゴハンをねだり、いつも通り八時前にはぼくの胸に乗り上がってモミモミ動作をした。麦次郎と対面させるが、ちょっと互いの臭いを嗅ぎあったくらいであとはいつもとおなじ態度だったので拍子抜けした。平常心だ。問題ない。今までとおなじように暮らせることが、ちょっとだけうれしい。
 
 十時、事務所へ。O社ポスティングツールのコピーを書く。
 十六時、吉祥寺へ。退屈しのぎに街中をちょいとだけブラブラする。薄着の人がどんどん増えてゆく。背中が腰の辺りまで開いた涼しそうなカットソーを着ている女性を見かけた。あれじゃブラジャーはできないな、去年話題になったヌーブラでもつけているのだろうかとついつい考えてしまったが、ジロジロ見ていると変態扱いされてしまうので、平常心で通りすぎた。
「ユザワヤ」へ。壊れてしまったナイロンバッグを自分で修理するために、太っとい針とナイロンの糸、ナイロンの生地――というよりナイロンベルト――、ポリプロピレンやナイロンも接着できるボンドなどを購入。締めて六〇〇円程度。「ワイズフォーメン」に以前修理を依頼したときは二〇〇〇円だったから、うまくいけば安上がり。
 きゅーが落鳥したことで、他界した歴代の動物たちの写真が置ききれなくなったために注文しておいたフォトフレームが入荷されたと連絡を受けたので引き上げる。
 
 二十時、個展会場から帰ってきたカミサンと合流して帰宅。
 
 夕食後、バッグを直してみる。ほつれはじめていたショルダーベルトを取り付けるループが縫い付けてある部分のすぐ横をどうにか補強し、目立たなくするのが目的だ。まずほつれの部分をナイロンの糸で縫い付ける。次に特殊ボンドを塗り、ナイロンベルトをカットしてそこに張り付ける。裏側にも同様の処置をする。意外にも、まったく違和感のない仕上がりだ。これで明日からまたこのバッグが使える。ワイズの店員に「自分で直したよ」って言ったら何と答えるだろうか。
 
 大江「万延元年」。今日はバッグを修理したのであまり読めなかった。
 
 
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五月二日(日)
「終了とボテロ」
 
 九時起床。外はやや冷え込んだ様子であるのが部屋の中からでもわずかながらわかる。空気の冷たさが、パジャマ一枚という薄着の躯からほんの少しだけ体温を奪うのがわかる。
 
 掃除、アイロンなどを済ませたら午後になってしまった。カミサンは個展会場へ。ぼくはほんの少し読書したあと、猫たちをグースカと眠り込ませていた惰眠ウイルスに感染してしまい、一時間ほど昼寝してしまった。
 十六時、恵比寿の個展会場「ギャルリ・カプリス」へ。閉幕を見届けることに。何人かお客さまとお話しすることもできた。
 十七時、個展終了。オーナーの目黒さんにご挨拶し、会場を後にする。その足で恵比寿ガーデンプレイスに寄り、ボテロの彫刻展を鑑賞する。デブなブロンズのオンパレードなのだが、本人いわく「これは脹れているだけだ」。よくよく眺めるに、たしかにこれは肥満ではない。人間の、あるいは動物(ほ乳類?)のもつ肉感、肉体そのものの存在感だけをデフォルメしたように思えてくるのは、滑稽な全体の造形とはうらはらに、目鼻口や腹、尻、背中、手足などの各部分は徹底したリアリズムにノットってつくられているからだろうか。脂肪によって筋肉のつき方、新調と収縮の仕方がわからなくなった肉体ではないことが、実物のすぐそばで鑑賞すれば絶対にわかるはずだ。
 
 吉祥寺へ移動。たまたま吉祥寺伊勢丹で紳士服のバーゲンをやっているので、ちょいと早いが父の日の贈り物を購入しておく。安いからというのもあるが、特にウチのオヤジはこういった企画でよく売られている商品のデザイン傾向がツボにはまりやすいし、意外に高品質でしっかりした商品が多いというのが一番大きな理由。
 買い物の後、ネパール料理店「ナマステカトマンズ」へ。インドビール。ぼくはマトンのカレープレート、カミサンは野菜カレーとタンドリーチキンのカレープレート。ぼくのプレートは付け合わせにネパール餃子とでもいえばいいのだろうか、モモという餃子によく似たものがついている。これが餃子とシュウマイの中間的なものをスパイシーに仕上げたという感じで美味。数年ぶりに食べた。マトンはスパイスの使い方が巧みなのか、まったく臭くない。カミサンのほうには、タンドリーチキンのほかにシークケバブもついていた。ネパールというより、インドてんこ盛り。
 
 二十二時、帰宅。今日は花子は脱走していない。
 
 大江『万延元年』。谷間の倉屋敷に戻る主人公たち。肥満した中年女性「ジン」の登場。常に食べ続ける、いわば過食症患者であるこの女性の登場は、何を意味しているのだろう。うーん、一度読んだのに、さっぱりわすれているなあ。
 
 
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五月三日(月)
「春とカゴ」
 
 九時に起床しせっかくの休日だというのに雲がどんな形で広がっているのかもよくわからない曖昧なグレイでゴールデンウィークらしくない空模様に少々落胆しながら掃除や片付けを済ませ朝食を採ってから散歩がてらの買い物に出掛け、平坦で曖昧な空はひとまず無視し季節を感じることができる唯一の存在ともいえる植物、春の花々が一戸建ての庭先やマンションの外側の植え込みなどに咲き乱れる姿を眺め、ジャスミンなどの季節の香りを満喫しながらカミサンとぼんやり歩き、人通りが多いのか少ないのかよくわからない曖昧な休日といった趣きの女子大通りを抜けてパン屋「アンセン」で朝食用のパン、チョコマーブルのブレッドとバケットをひとつずつ購入し、その足で西友や生協に立ち寄りサヤインゲンやキムチ、牛肉、もやしなどの食材を買ってから帰宅し、インスタントラーメンに買ってきた野菜と残っていた小松菜などを加えて炒めたものをトッピングした特製ラーメンで腹をみたしてからは、愛鳥きゅーが長い闘病生活を過ごした黒くて大きい鳥籠を徹底的に綺麗に掃除し、元気のなかったきゅーの姿を、そしてうりゃうりゃと元気に過ごしていたころの二羽の姿を思い出しながらカゴをしまい込んだ。ついでにぷちぷちのカゴも掃除したら、夕方になっていた。
 
 夕食はキムチ鍋。
 
 大江『万延元年』。鶏の大量死。
 
 
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五月四日(火)
「雨空を待っていたわけではないけれど」
 
 昨日は「明日からは天気は大荒れ」という気象情報に脅され朝の空を見るのが少々いやな気持ちになっていたのだが、それでも目が覚めればカーテンを開けてぷちぷちの喧しい鳴き声と朝の光――それがたとえ雲で遮られ弱々しくなっていたとしても――で眼をさますのが習慣なのだが、今朝は予想に反して空は雨に濡れてはおらず、ただ強い風が幾層にも重なる雲の、かなり下の低い部分だけを目まぐるしいほどの速度で押し流しているのが見て取れ、どれくらい天気は持つのだろうか、雨が降ればこれは嵐だ、などと考えながら掃除をはじめる。
 
 十二時、またまた遊びに来た猫が島のしまちゃんと「イートプラス」で昼食をとり、その足でわが家に向かい、麦次郎や花子、そしてぷちぷちと遊んだり、しまちゃん得意の気功みたいなヒーリングをしてもらったりして過ごし、夕方頃に別れ、送ってゆくついでに夕飯のおかずにお総菜を何品か購入し、帰宅後は炊いた米とその惣菜――エビカツ、牛カツ、クリームコロッケ、サラダ――で手軽にゴハンをしてからグースカと寝た。この時間になってようやく雨が降りだした。
 
 大江『万延元年』。フットボールチームの結成。
 
 
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五月五日(水)
「ひがみか美意識か」
 
 子どもの日である。近所の羊羹みたいな形をした建て売り住宅の窓に無理やり鯉のぼりが括りつけられているのを見て、現代人というのは、いや都会人というのは生活全般の利便性が高まったにもかかわらず、季節行事などの効率性など関係のないことをするとなると妙な苦労を強いられるのだなと思ったのだが、はて自分がクソガキのころは鯉のぼりなど掲げていただろうかと記憶を辿ると、小さなアパート住まいだったために当時流行った「団地サイズ」なるミニ鯉のぼりを窓辺に無理やり取り付け、それがたいして風になびかないのでつまらない、と感じていたのをふと思い出した。だが、かといってウチにも庭があれば大きな鯉のぼりを泳がせることができるのに、などと考えていたかといえばどうもそんなことはないようだ。今でこそ青空にたなびく鯉のぼりを見れば心が軽くなるように感じられるが、当時はおそらく「鯉=魚類=カッチョワルイ」という図式で鯉のぼりを捉えていたのではないか。だから大きな農家の庭先やおなじ幼稚園に通うウチよりも裕福な一戸建てに住む連中の家の庭にあげられた鯉のぼりをぼくは多分小馬鹿にしていたはずだ。これが幼い貧乏人のひがみなのか、幼稚園児なりの美意識の現れだったのかはわからない。ただ、今でもぼくは風をボッカリと開けた口から受け、描かれた鱗を波打たせ、尾びれから風を噴出するように空を泳ぐ鯉のぼりを見るたびに「元気があっていいな」とこそは思うが「美しい」とは思わない。そして今日の空は、鯉のぼりとはまったくもってミスマッチなグレイ・スカイ。すべての色彩を吸収してしまうような濃灰色の雲ばかりが広がっている。
 
 九時起床。のんびりした朝だが陽の光がおがめないのが少々残念。掃除など。
 
 午後より西友へ。無印良品でクッションを安く購入。ほか、夕ゴハンの食材など。
 帰りがけ、あちこちの家の庭やベランダにバラの花が咲いているのを見かける。色も大きさも花の開きかたもみな異なっている。奥が深そうな花だ。
 
 夕食は麻婆茄子。ゴハンにかけて麻婆茄子丼。
 テレビ「トリビアの泉」「マシューズベストヒットTV」など。のんびりした連休最後の夜。
 
 大江『万延元年』。新生活になんの目的も希望も見出せなくなり、落ち込みはじめる主人公。うーん、脳みそだけで書いている小説、という感じ。
 
 
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五月六日(木)
「スピード」
 
 八時起床。天気予報では晴れると言っているが、空の色を見ていると疑わしく思えてくる。
 
 九時、事務所へ。仕事を休んだのはわずか四日だというのに、どういうわけか調子が出ない。いや、スピードが出ないと言ったほうが正確か。アイデアを出してまとめるまでに、いつもの倍以上の時間がかかっている。N社パンフレット企画。
 
 十六時、カイロプラクティック。戻ってからまた仕事。二十一時、店じまい。
 
 夜、コンビニで『週刊モーニング』とハーゲンダッツを購入する。
 
 仕事がはかどらなかったので、読書はほとんどしなかった。大江『万延元年』を一ページだけ。
 
 
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五月七日(金)
「さぼりのゆーわく」
 
 六時に目が覚め、もう一眠りしようと思ったがちらりと夢を見ては目が覚めるという浅い眠りを繰り返してしまい、これはダメだと腹をくくって七時半に起床、身支度をして五月らしい晴れ空のもと、九時に事務所にむかい、明るい太陽の光にやる気をそがれながらも仕事に取り組み、途中昼飯を食いに近所の新しくできた居酒屋「黒屋長兵衛」のランチで天ぷらを食べたり予約しておいた美容室「Rosso」で髪を切ってリフレッシュしたりはしたがそれ以外の時間は黙々と仕事に取り組み続け、途中何度もサボりたいという欲求に負けそうになったが仕事中に髪を切ったりしたのだからこれ以上サボってはいけないと腹をくくり、いやな気持ちを押さえ込むようにキーボードを叩きつづけた。二十時、帰宅。
 
 大江『万延元年』。雪の降る中、散弾銃でしとめられたヤマドリを締めようとする主人公。死、暴力、諦念などを連想させる印象深いワンシーン。死は再生へとつながるべきもののだろうか、それとも……とふと思った。
 
 
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五月八日(土)
「猫に噛まれる」
 
 噛まれる。毎朝噛まれる。今朝も噛まれた。花子め。なぜ噛む。甘噛みならよい。甘くないのだ。痛いのだ。目が覚める。飛び起きる。慌てて起きる必要なのないのに。悲鳴を上げる。イテエ、と文句を言う。だが本人もとい本猫は、噛まれるのが当然とでも言いたげな表情で、ぼくの胸の上からこちらを丸っこい目で見つめている。これが毎朝の儀礼となりつつある。
 
 八時三十分、噛まれるのに音をあげて起床。十時、事務所へ。今日も五月らしい晴れ空。街中をただようジャスミンの香りはいつまで楽しめるのだろうか、などとぼんやり考えながら、日なたの多い道を選んで事務所へ向かう。
 O社チラシ、N社パンフレットなど。暖かなので、事務所内にある観葉植物を全部階段の踊り場に出し、水をたっぷりと与え、陽の光に当ててやった。だらりと下に向かってうなだれるように葉を広げていたポトスが、午後にはみな空に向かって背伸びするようにシャッキリとしていたのに驚く。
 夕方、古書店を何ヶ所かハシゴしながら帰宅。中上健次『十九歳のジェイコブ』『蛇淫』、森鴎外『舞姫・うたかたの記』。シェイクスピア『マクベス』。中上は、こんな作品もあったのねとおどろきながら購入。鴎外は『舞姫』を高校生のときに読んだのを思い出して購入。『マクベス』は、大学生のときにイギリス文学概論かなんかの授業で読まされたな。『舞姫』『マクベス』、二冊で百円だった。
 
 夜はのんびりと過ごす。
 
 大江『万延元年』。村の人々の暴動。というか、集団万引き。まあ、現代の一揆ということなのかな。歴史、現代(当時の、ね)、共同体。これらが複雑にからみあって、新しい「神話」的なものを生み出そうとしている。でも、まだこれは「神話」じゃない。中上の『千年の愉楽』は共同体の神話だけれど、大江の「谷間」は理性の光が強く当たりすぎて、ぎりぎりのところで物語、あるいは思想の方向に流れているんじゃないかな。本人もおそらくそれを狙っているはず。両者とも「歴史」に深くかかわっているのは確かなんだけれど。現代の小説に、いや現代のあらゆる表現・芸術に欠けてるのは歴史意識だからなあ。
 
 
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五月九日(日)
「のんびりやきにく」
 
 十時起床。午後から雨が降りはじめた。弱々しい春の雨。
 
 一日のんびりと自宅で過ごす。夕食はおウチで焼き肉。
 
 大江『万延元年』。曽祖父と弟の書簡の発見。主人公と弟の姿が、かつての一揆で立場を異にした曽祖父とその弟の姿に重なりはじめる。いや、さらに強く重なってゆく。
 
 夜、妹より電話。親父が体調を崩したらしい。明日、病院に行くらしいとのこと。
 
 
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五月十日(月)
「砂利状の夢/カメラマンから不動産屋へ」
 
 八時起床。夕べの一件があったせいか、単に月曜がイヤなだけなのかはよくわからないが目覚めが悪い。熟睡できなかったのは確かである。三時に目が覚め、五時に目が覚め、六時に目が覚め、七時に目が覚め、そのあとはもう眠れなかった。砂利みたいに細かくて似たり寄ったりな印象の夢をたくさん見たような気がする。
 
 九時、事務所へ。O社リーフレットを慌ただしくチェックし提出。終了後はD社PR誌の、急遽決定した取材の準備。今日の午後、打ちあわせがあるので資料を読み込む。
 
 十三時三十分、D社にて打ちあわせ。今までここの仕事で組んでいたカメラマンのZ君が急に廃業して不動産屋になってしまったという話を聞かされ、呆然とする。なんだよそりゃ。新しく担当することになったカメラマンのNさんと挨拶。デザイナーのPさんいわく、ベテランだそうだ。
 
 帰社後はN社パンフレット。夕方からはO社リーフレットの修正。慌ただしく作業。だがO社の赤字はずいぶんと待たされてしまった。
 
 夜、実家に電話。親父、明後日精密検査をすることに。胃の手術することになるかもしれない。六十過ぎて、ずっと続けてきた自営のダンプの運ちゃんを廃業して隠居かな、なんて思ってたらじっとしていられなかったらしく、代行タクシー会社に勤めてみたらそれがまったく性に合わず、結果胃を痛めてしまったらしい。気性荒いくせに繊細なんだから、困る。今は友だちの紹介でマイペースにダンプを転がしているらしい。根っからのダンプ好き。
 
 大江『万延元年』。暴動を指揮する弟に妻を寝取られた主人公。欲望からの行為ではないと主張する弟。その弟が、谷間の娘を強姦しようとし、殺してしまった。弟は手足となって暴動を手助けしていたフットボールチームからも、谷間の人々からも見放されてしまう。
 
 
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五月十一日(火)
「てのひらはっぱ」
 
 八時起床。といっても、七時三十分には目覚めていた。最近、睡眠時間がどんどん短くなっている。
 
 九時、事務所へ。駅へ向かう途中の、坂の途中にある大きなマンションの向かいにある石垣にびっしりと広がる葉の大きなアイビーが、陽の光を照らし返して目をくらませる。そっと広げた掌に光を溜め込んでいるように見えた。自分の掌を見てみたが、アイビーのようには光らない。ちょっと痒いな、と感じる。暑い。掌も汗ばんでいる。
 
 N社パンフレット、O社リーフレット、D社PR誌をとっかえひっかえ。十六時、小石川のL社へ。桜並木はすっかり花の盛りのころの面影を失っている。だからといって寂しいというわけではない。力強い深緑色をした葉が目に飛び込む。若葉の季節はもう終わったようだ。毛虫は出るのだろうか。
 
 帰社後も黙々と作業。二十一時、店じまい。
 
 カミサンと「ぼんしいく」に寄って夕食。鶏の蒸し焼きの山椒だれ。ちょっと棒棒鶏っぽくてさっぱりした味。玄米とよく合う。
 
 ぷちぷちと一緒に風呂に入る。ぷちは風呂の蓋の上で水滴をつっついて遊んでいた。手を出したらキキキと怒られた。
 
 大江『万延元年』。散弾銃による弟の自殺、「スーパー・マーケットの天皇」の登場、隠し部屋の発見、曽祖父の弟は谷間から脱出せずに倉屋敷の地下に篭っていたという新事実。新展開の意外さと卓越した文章テクニックのオンパレードだ。
 夜中、読了。初期の大江作品が描いていたのは人間像。そして八十年代、九十年代の大江が描いていたのは世界像。たとえば、谷間という空間に凝縮された歴史。『万延元年』は、その過渡期に書かれた作品であるせいか、自己否定しつづける個と、それを覆いこむ(がやはり最後は「個」へと還元されていく)谷間の暴動の歴史とが複雑に絡み合うことで成立する小説だ。小説は内面を描くだけのものではないということを痛感した。だが、内面が描かれない小説は小説ではない。世界や歴史といったものにも、おなじことが言えるのかもしれない。
 
 
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五月十二日(水)
「忙しさと暑さと風とゲッターロボ」
 
 八時起床。九時、事務所へ。真夏のような暑さに辟易しながら仕事。初夏を思わせる涼しい風が吹き込み、鬱積したストレスを軽くかき乱す。冷静なときは心地よいが、パニック寸前のときは風すらも鬱陶しくなる。いや、風などまるで感じなくなる。
 夕方、気晴らしに本屋へ。『群像』6月号永井豪/石川賢『ゲッターロボアーク』3巻を購入。
 0時、店じまい。
 
 夜、『ゲッター』を読む。連載誌休刊のため、無理やり終わらされてしまった感がある。ダイナミックプロお得意の「戦いは、これからだ! さあ、行くゼ」で終わるという典型的なエンディングなのだが、今回は「やっぱりこんな感じか」と思わせない。というより、はやく続きを書けとせかしたくなるような終わり方だ。ゲッターのテーマは「進化」と「本能」。遠い未来に増殖と侵攻つづけるゲッターのイメージを通じて、ケン・イシカワは何を表現したかったのだろう。単なるエンタメなのかな? そんな割りきりのもとでとんでもないテーマを書けちゃうのが、賢ちゃんのスゴイところなのだが。
 それにしても、ゲッター・エンペラーはとんでもないな。だって、三機の戦艦が合体したら、惑星より大きい人型ロボットになっちまうんだぞ。
 
 
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五月十三日(木)
「胸がいっぱい。」 
 
 八時起床。九時、事務所へ。今日もバタバタ。食事の時間以外は、陳腐な表現だけれど息つく閑もない状態。
 昼食は最近できたカレー店「HUGO」へ。ビーフ&野菜カレー。ビーフは肉が大きすぎ。胸がいっぱいになってくる。野菜は水っぽい感じ。決して不味くはないのだが。
 二十時ごろ、一瞬待機しつづける状態に陥ってしまった。閑なので、冬に吉祥寺で見かけたことがある緒川たまきについてネットで調べてみる。本名、佐川典子。なぜか納得。ファンケルのCF、新しいのがはじまったようだ。ファンケルのサイトで視聴してみた。
 
 二十二時、店じまい。吉野家で豚丼をかっこんでから帰宅。 
 
 大江『万延元年』の巻末にあった加藤典洋の解説を読む。
 
 
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五月十四日(金)
「手に負えない取材」
 
 七時四十分起床。暑いのだろうか、と考えること自体が暑苦しく感じられる。それくらい朝から気温が上昇している。真夏のような蒸し暑さを感じるわけではないが、蒸し暑くなければ暑さも歓迎、というほどぼくは元気ではない。いや、元気はあっても仕事をしなければならない平日は、暑さなんて蒸し暑かろうがそうでなかろうがごめんこうむりたい、というのが本当のところ。麦次郎は気持ちよさそうにひなたぼっこをしていたが、そのうち暑くなったのか窓際から離れてウロウロしはじめた。
 
 八時五十分、家を出る。十時、六本木ヒルズにあるテレビ朝日へ。D社のパンフレットの取材で、テレ朝さんのネットワーク担当者の方から話を聞く。テレ朝さん三名、クライアントのD社のSE二名、営業二名、保守担当者二名、総勢九名を相手にしてのインタビューはかなりしんどい。案の定、数名が暴走してしまう。二十分も予定時間からオーバー。
 
 十五時、事務所へ戻る。O社リーフレット、M社パンフレット、それから今日の取材内容の整理。あまりに話が広くて深いので、これはテープ起こしをしないとダメかもしれない。
 
 二十一時、店じまい。「Y's Cafe」で夕食。ぼくはゴーヤカレー、カミサンはゴーヤチャンプルー。店主、昨日まで石垣島でダイビングしていたらしい。「今日のゴーヤは昨日石垣島からもってきたばかりのですからね」と説明された。めちゃくちゃに苦いのかな、と心配したが、そんなことはなかった。むしろ、ちょっとすっきりした感じ。
 
 夜はぷちぷちと風呂に入る。口をぱくぱくと開き、暑い暑いと言い出したのですぐに出た。
 
 古井由吉『白髪の唄』を読みはじめる。短篇集。「鮨の香り」。東京で通夜に鮨を出すようになったのはいつからのことか、という考察から小説は出発する。記憶の断片が考察に刺し込まれていくたびに、不可避な存在としての死がすこしずつ重くのしかかってくる。
 風呂で奥泉光『鳥類学者のファンタジア』を読みはじめる。女性ジャズシンガーの登場。今回は、あらすじなど知らぬままに読んでいる。
 寝る前に柄谷行人『探求1』を読みはじめる。「他者について」。むずかしいけど、おもしろいなあ。
 
 
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五月十五日(土)
「ごくありふれた休日出勤の日」
 
 八時三十分起床。昨日の真夏をおもわせる暑さは静かになりを潜めた、そんな感じの心地よい朝。
 実家のおふくろより電話。親父の入院と手術の件。たいした手術じゃないんだから、と思っていたが、伯父が前日から来るというのでぼくも仕事の都合をつけて前日と当日、二日間実家に帰ることにする。
 
 十時、事務所へ。休日出勤。O社リーフレット、D社PR誌のテープ起こし。二十一時、店じまい。
 
 夕食は近所のアジアン料理店「ぷあん」へ。ぼくはココナッツカレー風味の麺「カオソイ」を、カミサンは台湾のコロコロ豚肉と青菜を炒めたものが乗っかった丼物。名前は忘れた。どちらも美味。カウンターに座っていた人たち、どうやらアジア放浪の経験がある人ばかりらしく、旅のエピソードで盛り上がっていた。
 
 今日もぷっちゃんと風呂に入る。暑そうなので、途中で出してあげた。
 
 柄谷行人『探求1』。他者とはなにか。「聞く=話す」という関係以外から言語を捉えること。理解しえない存在としての《他者》という考えをもつこと、すなわち「教える」という視点から言語を捉えること。そういうことかな。よくわからん。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。饒舌な小説。
 
 
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五月十六日(日)
「だるい人」
 
 四時ごろだろうか、花子にゴハンをねだられたので仕方なしに起き上がろうとしたが躯が動かない。自分が今「だるい」という状態にあるということに気づくまでに五分以上かかった。言い換えると、起き上がるのに五分を要した。節々が微妙に痛み、喉が腫れたような感覚がある。ありゃま、これは風邪だろうか。喉が渇いた。水を飲むと喉の動きにあわせて痛みが感じられる。あかん、と思い風邪薬を引っ張り出して、飲んでからまた寝る。
 
 九時、目が覚めるがやはり躯が重たい。だが夕べよりは若干マシで、まあ数時間の睡眠のうちに薬が効いて、恢復に向かってきたということか。十時、起床し熱を計る。顔はほってったような感覚があるが、体温計は三十六度三分を指していたから心配するほどのことはあるまい。まあ、大事をとって今日はあまり出歩かないことに。カミサンといっしょにテディベア作家の友人である小林きのこさんのグループ展と、絵本作家であり猫画家のカミサンの大先輩的人物である渡辺あきおさんの個展に伺う予定だったのだが、風邪がぶりかえしそうなのでやめにした。長時間うろつく自信はない。
 
 午後よりちょっとだけ外出。西友で晩ゴハンの食材を買い、ついでに無印良品でシャツを一枚買ってすぐ帰宅。
 読書をしていたが、風邪薬の副作用か睡魔に襲われ、高校のときの体育の授業の次の時間のときみたいにコックリコックリと何度も頭を振ってしまったので、これはアカンと割りきり、寝ることに。十五時すぎだろうか。カミサンの電話で目が覚めたが、そのときは十八時近かった。眠ったら、かなり恢復した。
 
 夕食は麻婆豆腐とコーンスープ。
 今日もぷちといっしょに風呂に入る。だいぶ風呂場に慣れたようで、今日はぼくの頭の上で濡れた髪をつついたり、肩から手の方へゆっくりつたうようにして降りながら腕についた水滴をついばんだりして遊んでいた。二十分もするとまたハアハアと口を開けだしたので、先に出てもらった。
 
 柄谷行人『探求1』。「第二章 話す主体」。コミュニケーションとは規則によって成り立っているのではなく、規則とは、われわれが理解した途端に見出される“結果”でしかない、ということをウィトゲンシュタインが言っている。ということを、柄谷は様々な角度から説明する。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。なんか、幽霊みたいのが出てきたぞ。
 
 
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五月十七日(月)
「脳みそボカン」
 
 八時起床。十時、五反田へ。午後からパニック。十七時収束。その間、先日の取材原稿をちょこちょこ書き続ける。十八時以降は取材原稿に集中。脳が破壊された感覚。情報を詰め込みすぎてパンクしてしまった。二十一時三十分、放心状態で帰宅。 
 
 古井由吉『白髪の唄』。断片的な死のイメージから、より具体化された登場人物である「私」と山越がこれまでかかわった「死」へ。と書くと悲しい小説のようだが、そうではない。あらゆるものに対する鋭い視線と不思議な距離感が自然な冷静さを文体に与えている。適度の緊張と余裕。
 
 
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五月十八日(火)
「胃袋ぜんぶ」
 
 七時四十五分起床。家を出る前に、おふくろに電話。親父、今日の午前中に入院するとのこと。
 
 九時、事務所へ。平坦でうっすらと明るい梅雨時のような空。午前中はE社企画。ちらりとドコモショップへ出掛け、おふくろに渡すケータイを購入する。「らくらくホン」にした。
 
 十二時、猫ヶ島のしまちゃんが遊びに来る。午後はしまちゃんにヒーリングのレクチャーをしてもらう。十七時、しまちゃん帰る。仕事に復帰。十九時、飯田橋のN社にて、新規案件の打ちあわせ。
 
 荻窪で降り、伝説のブタ焼とかなんとかいう店で夕食。スパイシーでカリリと焼けた豚ロースはたしかに一切れ目は肉のうまみとタレのうまみが辛みによってうまく調和して美味だったが、二切れ目には飽きてしまった。胸が焼ける。
 古書店「象のあし書店」へ。ゴーゴリ『外套・鼻』、山本昌代『居酒屋ゆうれい』、大西巨人『深淵』上下、養老孟司『バカの壁』を購入。『深淵』は最近出たばかりの作品。半額で買えてラッキーだった。『バカの壁』は安くなったから買った。
 
 夜、おふくろに電話。医者から病状と手術についての説明を受けた、と詳細を語ってくれた。手術は二十日の十三時から。胃袋を全部取る。三、四時間かかるらしいので、まあ大掛かりな手術と言えるかもしれない。明日から実家に帰ろうと思っていたが、医者の説明が今日に繰り上がってしまったので、明日は行かずに当日の早朝に帰省することにする。 
 神様にほしいものを頼むとしたら、という質問に「胃袋」と答えたのは誰だったろう。ふと思い出した。
 
 
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五月十九日(水)
「本の好み」
 
 親父の手術のことが多少は気にかかっていたのか、夜中に何度も目が覚めてしまい熟睡できない。だが眠りが浅いのはいつものことであるし心配性も今にはじまったことではない、と割りきると不思議と心は波風立たぬように思えてくるが、だからといって深く長く眠れるというわけではないのはどういうわけか。気づけば六時三十分で、これはもう眠ったところで仕方ない乃だろうなと思いつつ、次に時計を見たら七時四十五分だった。この間は、わずかではあるが熟睡できたらしい。
 
 八時起床。雨が降りだす直前の曖昧な灰色をした空。何日明るい陽の光をおがんでいないのかな、と記憶を辿るが、じつはほんの二、三日のこと。雨の日は気持ちが沈みがちになるが、その原因は歩くのが大変だとか傘をささなければとかいったものではなく、幼いころに雨で催し物が中止になった記憶がいまだに心に残っているといった理由でもなく、ただ単に福が濡れるのがいやで、濡れてもいい服を選ぶのが、あるいは濡れてもいいと割りきることが面倒なのだ。
 
 九時、事務所へ。今日は実家に帰るつもりだったが昨日日記に書いたとおり予定が変わってしまったので、対外的にはお休みということにして(ゴメンナサイね)、事務所で仕事をすることに。だが寝不足と親父の病状に対する漠然とした不安のようなもののせいか、集中できても持続しない。これはアカンと、諦めの境地で仕事をつづける。まめに休息しては、またはじめる。だから思考に一貫性がなくなりがち。だが、怪我の功名とでもいおうか、思考の流れを断つことで浮かぶアイデアもある。たいしたアイデアではないのだが。正しくは、盲点に気づいたとでも言うべきか。
 
 午後よりパルコの書店、「リブロブックス」へ。親父への土産に、相田みつをの詩集――なのだろうか――を購入。以前、買ってやると約束しておいたものだ。ほか、ぼくは柄谷行人『探求2』、大西巨人『神聖喜劇』一〜五を購入。カミサンは、長新太『長新太のチチンプイプイ旅行』、小川洋子『博士の愛した数式』を購入。親子、夫婦でも本の趣味は全然違うもんだなあ。でも、長新太も小川洋子もぼくも読みたい。相田みつをは、ちょっとパス。
 
 十九時三十分、店じまい。「それいゆ」で夕食をとってから帰宅。
 
 古井由吉『白髪の唄』。「老いる」とは、死へと少しずつ近づくこと。死は、ともすると狂気へと通じる。その「狂気」とどう対峙するか。狂気をも吸収し、淡々と生きる。それができれば、文学なんて必要ない。そんなことを考えながら読みすすめる。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。ファンタジー性がどんどん強まってゆく。
 
 
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五月二十日(木)
「ハラキリの日」
 
 実の父親の腹のなかから胃袋がごっそり取り去られてしまうことを想うと、気になって眠れない。心配で、という表現はちょっと違うようだ。手術はうまくいくに決まっている。命に別状はない。そんなことよりも、たとえ見えない部分であっても自分が知っている父親の肉体から、ある部分が切除されることをイメージすると、なにやら別れの気分というか、妙な喪失感に捕らわれてしまう。その、空疎な部分に自分の気持ちが流れていく。へこんでいる部分に水が流れていくように、気持ちが自然と向かってゆく。しかしぼくの気持ちがそこに向かったところで、空疎な肉体穴ぼこが満たされることはない。取り去られた胃袋の代わりにはならない。術後、親父が自分自身の力でそこを満たしていかなければならないのだ。ぼくたちにできることは、励ますこと。問題なく生きられることを諭すこと。そのためにできることは、手段を選ばずぼくはやってみるつもりだ。そんなことを考えていたら、朝が来た。眠い。
 
 六時三十分起床。実家に帰るときは天気がくずれることが多い。魔が差しているのか、歓迎されていないのか。普段あまり帰りたがらないぼくの気持ちを、空が映しているのだろうか。
 八時、出発。乗り慣れない満員電車にもみくちゃにされるのを我慢しつつ新宿へ。埼京線、宇都宮線と今度は通勤とは逆方向に乗り継いで、実家のある古河へ。東長崎に住む伯父夫婦と合流し、タクシーで病院へ向かうと、親父はリラックスした表情でぼくらを出迎えてくれた。煙草を禁止されたのでガムを買ってきたら、手術前は口腔からの食物の摂取は一切駄目でガムも無論例外ではないため、仕方ないからといってガムの包装紙をクルクルと巻いて即席禁煙パイポを作りそれを加えて我慢しているというのがなんとも無邪気だ。治るのなら胃カメラでも携帯電話でもなんでも呑み込むと宣言したらしい。母、従兄のトッチャン、叔父夫婦、父の友人のNさんご夫婦が先に来ていた。
 十一時三十分、手術室へ。麻酔をかけてから、手術終了まで三時間くらいかかるそうだ。今どきの胃切除手術は、食道と小腸をつなぐのに手ではなくて機械で縫合するらしい。なんだかよくわからんが、臓器ひとつをまるまるとって、胸あたりにある管に腹わたをつなぐのだからたいへんはたいへんに違いない。聞いた話によると、小腸は胃の役割を十分果たすらしく、時間が経過すれば自然と胃袋は再生するようなのだ。トカゲの尻尾のようだと驚く。昔、日本人は死ぬために腹を切った。現代の日本人は、生きるために腹を切る。
 手術終了までかなり時間があるため、従兄と伯父叔父夫婦はいったん従兄の家へ。Nさんご夫婦も帰るとのこと。ぼく、カミサン、おふくろの三人で待つ。
 しばらくすると、別の従兄のトキさんの奥さんが来る。四人でおしゃべりしながら待ち続ける。こういうときに世間話が多くなるのは、手術という事実から適度な距離を保つことで不安感をごまかそうということなのだろうか。夕べは不安ではないが、と感じていたというのに、実際に手術がはじまり「今ごろ腹切ってるかな」「そろそろ胃袋取られちゃったかな」などと考えていると、麻酔は効いているだろうかとかおかしな出血はしていないだろうかとか、妙な想像が意識せずとも浮かびあがる。だが、そんなことは口にしない。だが、手術の経過については想像しあってみる。誰ひとり「大丈夫かな」とは言わない。そういうものだ。待つということは。
 十六時、手術終了。執刀医から説明を受ける。まったく問題はなかったとのこと。ただし、まだ麻酔が効いているのと痛み止めの投薬をする関係で今日は意識が混濁したまま、それも麻酔が切れかかり薬が効きはじめるまでのあいだは、かなりの痛みを感じるはずだという。したがって、基本的には面会謝絶。家族以外と会うと気を遣ってしまい疲れるから、今日は事情を説明して帰ってもらってほしいと言われた。なるほど。というわけで、医者のOKが出てから親父殿の様子を見に行く。親父は目を閉じ、酸素吸入と点滴を受けた状態でベッドに横になっていた。体力を消耗したのだろうか、急に老人になったように見える。手術前より顔色が悪いのは、かなり出血したからだろうか。朦朧としながらも、親父はしきりに「ひんけつっぽい」とうわごとのようにつぶやく。胃袋の分だけ血液がなくなっているわけだから、血が足りなくなって当然だ。痛みはかなりあるらしく、しきりに「いたい、いたい」とも言っていた。また、ひどい肩凝りを感じているようだ。「かたをもめ、かたをもめ」とも言っている。手術中おなじ体勢を強要され、今も全身チューブだらけ、おまけに腹が痛いから躯を動かすことができない。こりゃ、肩も凝るわ。手術がうまく終了することだけを考えて待っていたが、まさか術後のほうが苦しいとは。当たり前といえば当たり前だが、意外な事実に直面して痛みというもののつらさが今までより深く、本能的に理解できたような気がした。
 十七時、妹が子どもたちを連れて到着。おふくろと二人で、もう一度顔を合わせに行く。
 十九時、最後にもう一度親父に面会。顔色はだいぶ赤くなってきた。意識もかなりはっきりしてきたようだが、痛みに負けてか、薬の効き目があらわれてか、意識は途切れ途切れになる。話しかけるとしっかり答えるようになった。しかし、口にすることが日頃自宅の居間でおふくろに向かって言うような文句というか愚痴というかばかりなので、腹を切っても親父は親父だと笑ってしまった。肩が凝ったから肩をもめと、先ほどよりしっかりした意識で命令してくる。駄目だ、耐えろと言い返す。と、駄目だよ痛くて痛くてといって、腹をかきむしるようなしぐさをする。もう、無茶苦茶だ。看護士を呼び、ダルイよダルイよと訴え、多少ましになるように湿布をはってもらったり体勢がすこしでも楽になるように調整してもらったりするが、あれこれやってもらったあげくに「駄目だ、たいして変わらん」とまで言っている。痛みや凝りは想像以上にツライらしいが、文句タレというこの人のアイデンティティがようやく復活してきたので安心できた。
 トッチャンの家に寄り、蕎麦屋の出前で晩ゴハンを食べてから帰宅する。二十二時四十五分、到着。
 
 電車の中で、古井由吉『白髪の唄』をすこしだけ。
 
 
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五月二十一日(金)
「生ダコ記念日」
 
 九度目の結婚記念日である。が親父がこんな状態だからそんなことなどついつい忘れてしまう。なんて言うとカミサンに怒られるかと思ったがどうやら彼女もおなじく忘れていたらしく、したがって今日一日も慌ただしいのは相変わらずだ。
 
 九時、事務所へ。溜まりかけた仕事を片付ける。午後から義母が手伝いに来てくれた。十七時、飯田橋のN社で打ちあわせ。
 
 二十時三十分、帰宅。久しぶりに偏頭痛様が登場してしまった。昨日、電車の中で首を傾けてグースカ眠ってしまったからだろうか。頭の左側だけにひどい痛みを感じていたが、カミサンに気功みたいな例のヤツをやってもらったらたちまち治った。
 
 結婚記念日の晩餐は刺し身だった。目玉は生ダコの足である。淡泊で歯ごたえがあり、噛むほどに味が広がってくる。
 
 古井由吉『白髪の唄』。老いも狂気も、悲しみへとすこしずつ向かってゆく。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。ユーレイ。
 
 
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五月二十二日(土)
「フライングの梅雨空」
 
 八時三十分に起きようと思ったものの、躯は正直でというべきか、はたまた単に怠け者の本性が何かの拍子で現れたのか、目を開けることすら億劫で、気づいたら九時を回っていたので慌てておきて身支度し、会社へ向かった。
 
 相変わらずつづくフライング気味の梅雨空。どこからも漂わなくなったジャスミンの香りと入れ替わるように、あちこちの庭先の紫陽花がつぼみをふくらませ、中には花開きはじめているものもある。ツツジも大半が溶けるように枯れ、薔薇の花も香りが弱くなり、花びらの色も心なしかくすみはじめた。ジャスミンの香りに負けぬほどに魅力的で人を夢見心地にしてくれる薔薇の香りも、よほど嗅覚をとぎすまさないとどこからも感じられないのが少々さみしい。春とは香りとともに盛りを迎えるものなのか、とふと考える。
 
 N社カタログの企画。夕方より雨が降りはじめる。
 十六時、仕事が予定より早く落ち着いたのでカミサンと新宿へ。ずいぶんとくたびれてしまった通勤用の鞄を買い替えようとしたが、気に入ったものが見つからないので断念する。カミサンは伊勢丹で靴を購入した。
 
 昨日、うやむやになってしまった結婚記念日を祝い直すために荻窪のイタリア料理店「ドラマティコ」へ向かうが、生憎貸し切りで入店できず。落胆して――ぼくよりもカミサンがひどくがっかりして――帰宅。夕食は結局ピザになってしまった。
 
 古井由吉『白髪の唄』。狂って退職したという友人の噂。退職するために狂ったふりをした、とも話は伝わってくる。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。主人公の祖母の波乱に満ちた一生。
 柄谷行人『探究1』。「私的規則」の父可能性。《私はある語を、将来もおなじ意味で用いるという保証はないが、それは私の恣意によってではなく、「意味している」ことが成立することを、私自身が決めれないから》と主張されては、やはり《外部》あるいは《他者》を強く意識せざるを得なくなる。でも、それは主体の対立項として捉えられるべきではないんだよなあ。そこがムズカシイ。
 
 
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五月二十三日(日)
「人間は、意識しないが、そう行う。」
 
 九時三十分起床。朝の情報番組で、拉致被害者家族の帰国――ではないよな。「来日」なのか、「移住」なのか――がレポートされていた。田口さんや増元さんなどの死亡者や北朝鮮が拉致を認めていない人々に関する情報、状況に進展がなかった点を、マスコミがケチョンケチョンに非難している。おなじ規則をもたない《他者》とのコミュニケーションは困難をきわめるんだよな、と柄谷の『探究1』の受け売り的思考で考える。
 
 午前中は家事など。午後は読書して躯を休める。夕方、カミサンと義母宅へ。頼まれていたパソコンのセッティングをする。
 荻窪の焼肉屋「四季の家」で、結婚記念日を兼ねたお食事。義母も誘う。この店は四年ぶりくらいだが、ちょっと味が落ちたようだ。内臓のメニューが減ってしまったのが残念。
 
 夜、おふくろから電話。親父、今日は三回も歩いてトイレに行ったそうだ。点滴抱えて、背中には痛み止めの注入器が刺さったままでの放尿。そりゃしんどいわな。そんなことができるようになったのだから、恢復は極めて早いと言えるかも。安心する。
 
 古井由吉『白髪の唄』。日常と回想。記憶の中に、他者を襲う狂気が紛れ込む。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。マイペースでダラダラした小説だなあ。でも、そのマイペースさがおもしろい。
 柄谷行人『探究1』。ウィトゲンシュタインの引用部分を、ちょっと引用。
   ★
 …〈規則に従う〉ということは一つの実践である。そして、規則に従っていると信じていることは、規則に従っていることではない。だから、ひとは規則に〈私的に〉従うことができない。さもなければ、規則に従っていると信じていることが、規則に従っていることと同じになってしまうだろうから。
   ★
 うーん。わからん、と思っていたら、ものすごくわかりやすい記述にぶつかった。
《人間は、意識しないが、そう行う。》
 意識せずに行ったことを後から把握し分析し、規則をそこに見つけ出すこと。これこそが、社会の基本構造なのかもしれない。むむむ、社会とはそれ自体が巨大な、ことばをも内包したメタ・テキストだと言えるのかもなあ。
 
 
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五月二十四日(月)
「胃袋に縛られる」
 
 肉を食いすぎるとどこかバランスがくずれたような、妙な違和感を全身に感じることが昔から多かった。今朝も無論例外ではなく、いや例外というよりもステレオタイプともいうべき、典型的でわかりやすい違和感――と書くとなんだかちぐはぐな感じだが――に目が覚めた。食いすぎて胃がもたれているだけなのかもしれないが、躯が自分のものではないように感じる。二センチくらい、精神が肉体から遊離しているような感覚。だが胃袋の重さに精神は縛りつけられているようで、なかなか躯を起こせない。
 
 八時起床。ニュースは拉致被害者家族一色だ。
 九時、事務所へ。事務処理、N社パンフレット、E社コンテンツ企画など。
 インターネットのニュースで、モー娘。の飯田と石川が卒業することになったことを知る。へえ、という感じ。なっち卒業、ミキティ加入のときほどインパクトはない。このままモー娘。は弱体化するのだろうなあ。個人的には、紺野、新垣、小川にがんばってほしい。
 午後、五反田のL社へ。E社の件、打ちあわせ。十六時帰社。
 十九時、店じまい。
  
 夜は家でゆっくり過ごす。
 
 古井由吉『白髪の唄』。山越の独白。悲しみを吐き出すように話す。そんなせつなさを感じさせる文体。その話に耳を傾ける「私」が冷静で、どこか不思議と明るいのは、彼が常にが死と狂気とともに存在し、生き続けているからだろうか。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。茗荷谷のどんちゃん騒ぎ。
 柄谷行人『探究1』も少しだけ。
 
 
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五月二十五日(火)
「トリに夢中」
 
 八時起床。久しぶりにすっきり晴れた空を見る。麦次郎は陽だまりで腹をデレンと出して仰向けで寝転がっている。花子はカーテンのドレープに隠れて見えないが、どうやら外を飛ぶ雀や鴉に夢中のようで、ときどき鳥たちの動きに反応してか、しっぽをぱたぱたと動かしている。 
 
 九時、事務所へ。N社パンフレットの企画書を仕上げてからD社PR誌の原稿に取りかかり、一段落したところでE社のプロモーション企画に取りかかっていると、N社パンフレットの企画書の赤字が届き、大急ぎで修正し、終わった時点でE社の企画書の作業に戻り、区切りがいいところで今度はD社PR誌の原稿に戻り、ほぼ仕上げたところで帰宅した。二十二時過ぎ。夕食は手軽にラーメンで済ませる。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。ヒムラー、ゲッペルス、ゲーリング。
 
 
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五月二十六日(水)
「眠い人」
 
 ここ数日、朝と夜とが猛烈に眠い。と書くとあたりまえじゃないかと鋭いツッコミを入れられそうだが、つい先日までは夜になってもまったく眠くならず、朝は六時にはパッチリと目が覚めてしまうという不思議な状態がつづいていたのだから、朝と夜とが眠いというのは普通のようではあるものの、それまでの自分の状態からすれば異常だと言えるんじゃないかと思う。
 
 八時、花子に起こされる。ぷちぷちもでかい声で鳴き叫んでいたから、彼女にも起こされたと言えなくもない。目覚ましを止めた直後は油断するとすぐに記憶が消し飛ぶほどに眠かったのだが一度起きてしまえば眠気はすっかり消し飛んでしまう。
 九時、事務所へ。晴れ渡った空から澄んだ陽の光が降り注ぐように思えるが、その降り注ぐ先が草原や水辺ではなくマンションの工事現場やらボコボコになったアスファルトやらゴミが散らかったコンビニの店頭なのだから興ざめだ。
 
 D社PR誌、E社企画など。午後、N社でパンフレットのプレゼン。けっこう受けていたと思う。
 夕方、カイロプラクティックへ。帰社しても仕事をする気になれなそうだったので、割りきってカミサンの買い物につきあう。二十一時、帰宅。
 
 帰宅後は花子にベタベタと甘えられ続けた。今も花子はぼくの椅子の座面の後ろ半分を占領して、顔をぼくのお尻にぴたりとつけた状態で、プウウンとかフニャンとか小声で言いながらグースカと眠りこけている。
 
 古井由吉『白髪の唄』。今読んでいる「鴬の夢」の章の巧みさに驚く。焦点移動、話題の転換、前章へのフィードバックなど、さりげなく技巧をこらしている。だからともすると退屈になりがちな「夢」というものを、メリハリをつけて綴っている。下手なアクションを読むよりよほどおもしろい。やっぱり古井由吉が現代作家の中では一番好きかもしれないなあ。金井美恵子も好きだけど、新作の『噂の女』は退屈さを感じてしまって途中で読むのをやめてしまったしなあ。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。この作家も好き。この人の作品は、純文学としてではなくエンターテイメントとして素直に読んだほうがおもしろい。
 
 
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五月二十七日(木)
「偽プーラの朝」
 
 七時三十分、自然と目が覚めてしまう。早見に身支度してさっさと事務所に向かってしまうことに。
 途中、偽プーラちゃんを見かける。ヤツの飼い主の家の外階段の踊り場で、そっぽを向いてちんまりと坐っていた。もったりと丸みを帯びた後頭部と、むっちりと肉のついた¥背中が呑気そうだ。ひなたぼっこにつもりだろうが、陽はまったく当たっていない。
 
 一日中、E社の企画に取り組む。今日も新規の仕事の依頼があった。先週から新規ラッシュであるが、親父の手術と重なっていたので三本くらい断ってしまった。
 
 二十一時三十分、店じまい。吉野家でささっと夕食。豚丼の味は気に入っているのだが、漬物を頼んだら化学調味料漬けで舌が痺れてだるくなってしまった。安かろう悪かろう、ということか。
 
 ぷちぷちと風呂に入る。『週刊モーニング』を読んでいたら本の上に乗り、紙を齧ってはちぎりはじめた。湯船に屑がぽろぽろと落ちる。叱るとキイキイ怒って今度は紙ではなくてぼくの手や指を噛む。
 
 まともな読書はほとんどしなかったなあ。古井由吉『白髪の唄』を、寝る前に三ぺージくらい。
 
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五月二十八日(金)
「干涸びた朝/ビールジョッキの夜」
 
 八時、花子にベタベタ甘えられながら起床。やや曇りがちではあるがうっすらとリビングの床に陽だまりが浮かぶくらいの空模様は、週末を迎えて少しずつ疲れも溜まりだしている金曜の朝の躯には優しく感じるもので、今日一日で――ひょっとすると明日も働くが――、なんとか苦戦していた仕事も終わると機嫌よく身支度をしていると、寝室からカミサンのウワア、というおかしな声がした。なにかと思えば、花子がベッドのシーツの上にゲロをしていたという。かなりの時間が経過したようで、ゲロはカピカピに乾燥しきっており、おまけにペッタリと潰れているものだから、ひょっとしたらパジャマにゲロがついているかも――というより、ぼくがゲロをペッタンコにしたかも――と忠告された。どうだろ、と尻あたりに手を当てると、確かにうっすらとカピカピしたものが付着している。ゲロは沁みこんでからどれくらいの時間が経ったのだろうか、粗目の紙やすりのような触り心地がする。それをなぜながら顔を洗い、髪の寝癖を直す。朝食前にパジャマを脱いだ。ズボンに沁みたゲロはぱっと見ただけではよくわからない。カミサンに、ふつうの洗濯物といっしょにするなといわれ、さらに、付いていたのはズボンだけかと確認を促されたのでシャツの背中も触ってみる。
 案の定、ご本尊様はこちらにベッタリとくっつき、沁みこみ、干涸び、臭いにおいを放っていた。
 
 九時、事務所へ。掃除と植物の世話を済ませて十時過ぎに外出。十一時、銀座のT社へ。新規案件の打ちあわせ。大胆なアイデアに少々おどろく。十二時、有楽町のカレースタンドで手軽に昼食を済ませ、プランタン銀座や阪急百貨店で、最近ついに完全にぶっ壊れて廃棄してしまった仕事用のバッグの代わりを少しだけ探してみるが、見つからない。十三時三十分、小石川のL社へ。N社パンフレットの打ちあわせ。プレゼンまであまり時間がないので、その足で銀座まで戻り、デザイン事務所B社に行って打ちあわせ。十六時、終了。ケータイがひっきりなしに鳴り、対応に追われる。ズボンの内側にじっとりと汗を感じてきた。朝は爽やかな気分だったが、夕方は少々蒸し暑かった。
 
 十七時、帰社。D社PR誌の原稿修正などを済ませ、十九時に店じまい。明日は仕事しなくてもよさそうだ。
 カミサンと吉祥寺に向かう。何ヶ所かお店を巡ってみるが、気に入ったバッグが見つからない。吉田カバンのものは品質は安心できそうだがよく見かけるので買う気になれず、ほかのバッグメーカーのものはデザインが納得できない。結局、パルコに入っているA.I.Pの、アルミコーティングがされたナイロンのバッグを購入する。
 以前kaoriさんが勧めてくれたという、中華料理店「吉祥菜館」で夕食。若者が飲みすぎたらしく、テーブルについたまま、ビールジョッキの中にゲロを吐いている。若気の至りだな、と広い心で見守ってあげた。今日一日はゲロにはじまりゲロに終わるのか、と思うと妙におかしくなる。
 空芯菜の炒め物、鉄鍋餃子、五目焼きそば。
 
 古井由吉『白髪の唄』。五十代も半ばを迎えた三人の男が休日に集う。希薄なのか、深いのか、よくわからない関係。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。墓参りのために田舎を訪れた主人公。光る猫の思いで。ああ、『『吾輩は猫である』殺人事件』と世界がつながりはじめたぞ。異なる作品がどこかでつながりあい、さらに大きな世界観を作るというのは、豪ちゃんのデビルマンワールドとか、石川賢ちゃんの『虚無戦記』ワールドにつうじるところがあるな。豪ちゃん、賢ちゃんのはドロドロのグチャグチャなのが違うけど。
 
 
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五月二十九日(土)
「九日目のアイデンティティ」
 
 親父が胃袋を取ってから今日で九日。手術直後は朦朧とした意識のなかで腹がイテエだの肩がコルだのとブツクサブツクサ、いかにもこの人らしい口っぷりでぼやきつづけるさまが、ある種の極限状態にあってもニンゲンのアイデンティティってヤツは変わらんものだなと考えつつも、酸素マスクをつけ、手術の出血で顔色が青く頬もいくぶんこけたように見える親父の姿は、ぼくが小さな頃から人一倍喧嘩が好きで意気がってばかりいた暴れん坊も胃袋を切除されてはこれほど弱ってまうのかというほどしぼんで痛々しく見えた。だがその後のおふくろの話では、術後の恢復は医者も驚くほどの――担当医の社交辞令だろうが――早さで、本来なら水の摂取は一週間以上経ってからのところが六日、七日目からは重湯を食べはじめているそうだと聞き、親父は恢復する自分の躯をどう思っているのかが少しばかり気になった。だからというわけではないが、今週末は休日出勤もする必要がないので、猫たちに留守番を頼んで実家に帰る。もっとも、日帰りではあるが。
 
 九時起床、十一時三十分、掃除や洗濯を済ませてからカミサンと実家のある古河へ向かう。
 十四時、古河着。タクシーで病院へ向かう。親父はおふくろが話したとおりの元気さで、ぼくらが顔を見せてもとくに喜ぶともなく、だらだらと休日に自宅で寝ころんでいるときと同じ表情と姿勢でテレビを見つめている。こんなところか、と想像はしていたものの、あまりに態度というか反応が普通すぎたのでこちらも拍子抜けてしまう。見舞うというよりは、様子を窺うという表現のほうが適切だ。
チャカチャカと普通にあるいて便所へ向かっているし、イテテテと声を漏らしながらであるが、一人で躯を起こしたり寝返りを打っているのだから、心配する必要もないだろう。今日は三分粥が夕食に出るらしく、多少なりとも形になりだした食事はすこし楽しみらしく、その話になるたびにわずかではあるが笑みを漏らす。ほんとうに、この人の日常と変わらない。生活の場所が自宅から病院に移っただけなのではないかとも思ってしまう。腹にできた手術の跡は、すでに抜糸できていると親父は自慢し、きれいにくっついたところを皆に見せた。全長五十センチはあるだろうか。この手術を乗りきったという事実は、親父に恢復と生活への復帰に対する自信を与えているようだ。自信がなければ、平常心でダラダラとゴルフ番組をはしごするように見つづけることはできないだろう。
 だが胃を切除したという事実は確実に躯に影響をおよぼしているみたいで、頬はこけているし、体重は五キロほど落ちた。だからだろうか、こちらが拍子抜けながら病院の窓に広がる田圃と住宅が混じった風景や近くを通ろう電線にムクドリが留まるさまなどを眺めていると、ときおりわずかに弱々しげな表情を見せる。もっとも、それは一瞬で消える。消えるということが、恢復しているということなのだろうか。そう考えることにする。
 十九時三十分、病院の夕食を済ませたところでおふくろと退散。すっかり様子が変わり情けないほどに閑散としてしまった古河の駅前にかろうじて残り続けている中華料理店「喜楽飯店」でおふくろと夕食を採る。おふくろも看病で疲れてしまうのではないかと心配だったが、少なくとも精神的なダメージはないようで、あとは自転車での病院がよいでバテたり交通事故にあったりしないことを祈るばかりだ。ねぎらいの意味で、ごちそうする。親に飯を食わせたのは、これがはじめてかもしれない。
 
 二十二時、帰宅。
 ぷちと風呂に入った。本を読みながら湯に浸かっていると、頭の上に留まっていたぷちが本の上に移動しようとした。いつもなら上手に着地しすぐさまページの端をガシガシとかじりはじめるところだが、目測を誤ったのか、ツルリと足がすべってそのまま湯船にボチャンと落ちてしまう。大丈夫か、と言いながら救い出そうとするが、暴れて羽根を動かすものだから、水の上を――たぶんぷちの意志とは反して――泳ぐことになってしまい、十秒ほど遊泳させてしまった。手で掬い上げてやると、そのまま飛び上がろうとするのだが、水分で躯が重くてうまく飛べない。すぐに助け上げてカゴに戻してやるが、しばらくはショックのためか、動かずじっとしていた。
 
 古井由吉『白髪の唄』。五十代同級生三人の集い。そこで語られた、友人の隣に住んでいたボケ老人との交流の話。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。「オルフェウスの音階」に関する資料の発見。なるほどミステリアスなファンタジーだな。
 
 
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五月三十日(日)
「頭痛は日曜の友」
 
 順調に恢復する親父の姿を見て気が抜けたのか、今日は頭痛がやまず。いわゆる休日頭痛、仕事が一段落してストレスから解放されると起こる緊張性頭痛にここ数年悩まされている。一時期は偏頭痛の症状も現れ、これは危険かと思ったが、まあなんとか生活できている。
 暑い一日。真夏日だ。気温は三十一度もあったという。少々バテ気味。
 
 午後から無印良品へ。Tシャツ、休日用の麻のワークパンツなどを購入。
 夕方、義母宅へ。米やお総菜をもらってから帰宅。
 
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。ベートーヴェンと「オルフェウスの音階」の関係、そしてその音階がジャズピアニストの主人公・霧子がつくった曲「フォギーズ・ムード」と一致するという偶然。
 
 
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五月三十一日(月)
「ダブルパンチ」
 
 寝苦しい夜。蒸し暑さに夢の中で辟易し、何度も目覚めてしまった。三時に花子にゴハンをせがまれ、いつもならあげずに床にもぐるところだが、フニャンフニャンという鳴き声と暑さのダブルパンチにはおそらくすぐに音をあげてしまうだろうと、とっとと缶詰めを開けてしあった。頭痛がする。
 
 八時起床。九時、事務所へ。朝の陽射しからして猛暑のようだが、風は春一番を思わせるほどの強さで、吹かれるたびに季節感がどこかへ飛ばされてしまう。開きはじめた紫陽花の花と葉が、ゆさゆさと大きく揺れている。
 
 午前中は銀行、事務処理など。寝不足のせいか疲れを感じたので、アディダスとどこぞの飲料メーカーが共同開発したという「903」という名前のスポーツ飲料を飲んでみる。躯がすっきりと澄んだ感じがするが、おそらく気のせいだろうと思う。これで頭痛もいっしょに消し飛んでくれれば万万歳。
 
 午後より外出。十四時、代官山のJ社へ。十七時、新宿のL社へ。十九時三十分、帰社。二十時三十分、店じまい。腹は減ったが午前中よりも疲労した感じが少ない。「903」のおかげだろうか。頭痛が消えているのは、移動中に耳たぶマッサージをしたからだと思う。
 
 夕食はお刺し身。花子がいつも以上にいやしくクレクレとせがむ。麦次郎はおとなしいものだ。
 
 古井由吉『白髪の唄』。今日は頭痛がひどかったのですこしだけ。
 奥泉光『鳥類学者のファンタジア』。作中作品と地の文との交錯の仕方が秀逸。
 柄谷行人『探究1』。オースティンのいう言語ゲームは、ウィトゲンシュタイン――「ゐと元シュタイン」と出た。これくらい、一発で変換してほしいなあ――のいう言語ゲームは無関係である、ということがとても長く書かれていた。


 
 
 


 


  
 





《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。やはり飼っていたドウブツが死ぬのはつらいですね。

励ましや非難のメールはisohata@catkick.comまで