「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

二〇〇四年三月
 
 

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三月一日(月)
「不条理な責任転嫁」
 
 迂闊だ。目覚ましをセットするのを忘れていた。いや、そんなはずはない。おれはたしかにしっかり七時五十分にアラームが鳴るようセットした。だがならない。どういうわけだ。答えはひとつ。アラームを止めてしまったのだ。誰が? もちろんおれが、である。
 夢を見た。左側の糸切り歯とその隣の歯が抜けた。こりゃ大変だとかかり付けの並川歯科医院に慌てて電話すると、抜けた歯をもう一度差しておけという。やってみたら、すぐに刺さった。だがまたそのうち抜ける。そうこうしているうちに、なぜかわが家に大学時代の旧友で、ヨウジヤマモトで販売員をしていたが今は実家のある新潟に帰っているはずのOが姿を現し、居候をはじめる。訊けばやしなってほしいという。働く気など毛頭なさそうだ。だがあいにく住める部屋もなければ飯を食わせる余裕もない。困り果てていたらフニャンフニャンと花子の声がし、目が覚めた。目覚ましのアラームを解除したのは、おそらくこのときではあるまいか。だから目覚ましが鳴らなかったのはもちろんおれのせいではあるが、並川歯科医院と旧友Oと花子のせいでもある、といえなくもない。こういうのを、不条理な責任転嫁という。
 
 目覚ましはならなくてもぼくの体内時計はかなり正確で、たった三分しか寝坊をしなかったのにはわれながらかなり驚いた。慌てることなくいつもの通り身支度したら、五分ばかりはやく家を出ることができた。だが外に出ると寒い。寒の戻りというやつだ。おまけにみぞれが降ってきた。面倒臭くて傘をもたずに家を出たのだがそれが裏目に出た。事務所に着いたときには頭はじっとり濡れていた。
 
 O社プロモーション企画、K社ウェブサイト、B社PR誌など。集中して作業をつづけていたら気持ち悪くなってきたので二十時に帰った。
 
 帰って新聞を見ると、楽しみにしている「内村プロデュース」はサッカーのためにお休みとある。ショック。
 
 奥泉光『新・地底旅行』。はぐれた野々村は丙三郎と再会する。そして、苦沙弥先生の飼っていた名無し猫君の登場。正しくは、漱石の『猫』ではなくて、奥泉の『『吾輩は猫である』殺人事件』に登場する猫。
 
 
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三月二日(火)
「てんこ盛り」
 
 今朝はきちんと目覚ましがなった。八時起床。
 
 九時、事務所へ。三月だというのに吐く息がいくぶん白いのが妙で、家を出てすぐはハアハアとして遊んでいたが、すこし歩くとたちまち息は白くなくなり、空気と見分けがつかなくなる。
 
 B社PR誌の原稿にすこし手をつけてから、八丁堀のI社へ。時間がないので、移動中はウォークマンとクリエを使ってB社PR誌の取材のテープ起こしをする。N社PR誌、K社CD-ROMの打ちあわせ。帰社後はB社、K社とてんこ盛り。二十一時三十分、店じまい。
 
 奥泉光『新・地底旅行』。恐竜の登場、そしてサトとの再会。
 
 
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三月三日(水)
「大量の便」
 
 四時、花子にごはんくれと起こされる。次は七時三十分だ。今度はつまらんからかまってくれと言っている。勝手なもんだ、と思いながらも蒲団のなかで花子のほっぺをグリグリしていたら目覚ましがなったので飛び起きた。
 
 九時、事務所へ。昨日の夕方、仕事途中にカミサンが通販で買ったダイエット茶のようなものを飲んだのだが、その影響なのか今日は大量に便が出る。しかも少々下痢気味だ。宿便とかいうやつが放出されているに違いないのだが、こんなに身体的苦痛が伴うのなら無理してあんなお茶を飲む必要はない。日中は苦しんだが、この日記を書いている今、すっきりしているかといえばそうでもない。
 N社パンフレット、B社PR誌など。腱鞘炎、ますます悪化。あまり作業を続けすぎるとエライことになりそうなので、二十一時におしまいにする。
 
 今日から、朝食と夕食は左手で箸やスプーンを持つことにする。腱鞘炎対策。
 
 奥泉光『新・地底旅行』。ティラノザウルス・レックスの登場。
『戦後短篇小説再発見1』より、三島由紀夫「雨のなかの噴水」を読みはじめる。三島を読むのは学生時代以来だから、実に十二年ぶり。うひゃあ。
 
 
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三月四日(木)
「夜中に騒ぐと朝眠い」
 
 七時三十分起床。昨日は花子が起こしてくれたが、今日はリビングでグースカと眠りこけている。夜中の三時半にフニャンフニャンと鳴きわめき遊んでくれた大騒ぎしたからだろうか。麦次郎はぼくと同時に起きだしたが、結局リビングでまた眠りこけている。呑気なもんだ。
 
 八時三十分、事務所へ。ここ数日つづく三月らしくない寒さに身を縮め、いつもより三十分早い街並みの様子に違和感を感じながら歩く。
 
 N社パンフレットを黙々と。十七時が締切だったのだが、三分前に原稿を送ることができた。こんなスレスレ、はじめて。
 十九時、五反田のL社へ。E社POPの打ちあわせ。二十一時、終了。疲れた。
 
 三島由紀夫「雨のなかの噴水」読了。女を振ることを夢見て、いよいよそれを実現した男。しかし女はそんな目論みをチャラにしてしまうほど、あつかましくてしたたかな生き物だ。そういう話。三島にしてはコンパクトにまとまっている。過剰な描写も少なかった。
 
 奥泉光『新・地底旅行』。ようやく探検隊の四人が再会。
 
 
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三月五日(金)
「ただそれだけ」
 
 八時起床。九時、事務所へ。三月に入ってから連日冷え込みが厳しいようで、朝の吐く息の白さを確認するのが日課になってしまった。ハアハアと息を吐いてはそれをじっくり観察し、もう一度それをくり返すのだが、はたから見れば口を開いては虚空を見つめ、それをひたすらくり返しつづける危ないオッサンにしか見えないだろうが、誰がなんといおうと止めるもんかバカタレが。とムキになっても仕方ないのだが、要するにぼくはなんらかの形で季節を確認しておきたいのだ。ただそれだけだ。
 
 午前中はO社の企画書。午後からはE社POPのコピーをひたすら考えつづける。十五時、元I社にいたL君が事務所へ遊びに来る。趣味で書いたというストリート系のイラストを見せてもらった。絵は好きだがストリートには興味もないしどう評価したらいいのかもわからないのでノーコメント。ふうん、と思った。ほんとにただそれだけだ。
 
 十九時、帰宅。夕食後、録画しておいた「エリア88」を見終わったら、猛烈な睡魔に襲われついつい眠ってしまった。だがカミサンに「タモリ倶楽部はじまるよ」と声を掛けられ、シャキーンと起きてテレビをまた観た。今日は帰宅後はテレビばっかり。呆れるくらい、ただそれだけだ。
 
 風呂のなかで、少しだけ奥泉光『新・地底旅行』。もうすぐ読み終わっちゃうなあ。もったいなあ。
 
 
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三月六日(土)
「鳥の病院」
 
 脳みそまで泥になったような気分で眠る。何度か目は覚めたが――ほとんどは花子に起こされて目覚めた――、意識を五分と維持することができない。気づいたら九時を回ってたので、半ば仕方なしに起床する。晴れた空が窓から見えるが、部屋の中はわずかにひんやりとしている。ここのところきゅーの体調が悪いのは、この寒さのせいなのだろうか。眠っているか、餌をむさぼり喰っているか、いずれかの状態が何日もつづいている。遊んでいるところを見かけない。これはセキセイインコとしては異常なことだ。夕方、病院に連れていくことにする。一方ぷちぷちのほうは、相変わらず無精卵を大事そうに暖めつづけている。こちらも少々気になっている。卵をこのまま産みつづければ、身体はボロボロになるからだ。
 
 トリの病院は十五時開院で夕方混雑する。空いているのは十九時以降だ。この時間までは家の中でだらだらと過ごす。昼寝、読書。
 
 十九時、都立家政の「中野バードクリニック」へ。ほとんど待たずに診察してもらえた。きゅーは換羽の体力消耗に加えて三月に入ってからの気温低下ですっかり体調を崩してしまったらしい。基礎体力を向上させる漢方薬を処方していただいた。ぷちのほうも相談してみる。肝心なのは抱卵期が終わった後らしい。ここで気分を切り替えさせないと、いつまでも卵を産みつづけるらしい。籠を取り替えたりおもちゃを新調したりして、新しい緊張感を与えることで脳内で分泌するホルモンを調整して産卵を止めることができるようだ。
 
 二十一時、帰宅。夕方につくっておいたビーフシチューで夕食。食べたあたりでカミサン、ダウン。どうやら風邪をひいたらしい。
 
 奥泉光『新・地底旅行』読了。小説とは好奇心によって成立するということを再確認させられた。文体や創作の下地作りはポストモダン的だが、内容は純粋なファンタジー。この作品は純文学でも大衆文学でもないと思う。新しいファンタジーの形なのだろう。
 
 笙野頼子『水晶内制度』を読みはじめる。日本国内にできた女性だけの独立国家の話。『パラダイス・フラッツ』では弱っていた、そして『S倉迷妄通信』などではほとんど消えいていたあの異様なテンションが復活している。奇作『レストレス・ドリーム』を越えるかな?
 
 
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三月七日(日)
「ヒヨコ電球と体調不良」
 
 九時起床。めずらしく麦次郎が先に起きていた。陽だまりで腹を出してゴロンと横になっているのがダサかっこわるい。きゅーは昨日よりはいくぶん元気そうだが、やはりまだ寒そうに見える。籠の中はつねに二十八度に保っているのだが、もう二、三度引き上げる必要がある。となると、より強力なヒヨコ電球が必要だ。朝食を取ってから吉祥寺に出掛け、ペットショップで60Wタイプを新調する。
 
 帰宅後、早速ヒヨコ電球をセット。「ヒヨコ」と言ってもかなり大きい。電球を覆うオレンジ色の鉄製の囲いは円筒型で、高さは二十五センチ、直径は十センチくらいはある。でかいので最初はきゅーも驚いたようだが、どうやらすぐに慣れたようである。これで籠の中は三十度程度になった。あとは体調が戻るよう祈るばかり。
 
 午後からは読書や昼寝をして過ごす。
 
 夕食は油淋鶏。素揚げした鶏肉に中華風の甘酢のたれをかけて食べる。カミサンが体調を崩しているので、ぼくが作った。なかなか美味いが、手際が悪いので食べるころには冷めてしまった。
 
 笙野頼子『水晶内制度』。うーん、よくわからーん。おもしろいんだけど、まだ全貌が全然掴めない。
 
 
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三月八日(月)
「朝のドウブツたち」
 
 猫にはどうやら人の瞼の開く音を察知する能力があるようだ。ふっと眠りから意識が戻り瞼を開け、何時だろうかと時計を確認しようと身体を動かしかけた瞬間、花子がリビングからこちらに走ってくる音が聞こえてきた。トスンと胸の上に乗り、目が覚めたのなら構ってくれとしつこくせがむ。あまり構わずにすぐに身体を起こし、トリたちを起こしにリビングへと向かう。花子はうれしそうについて来た。気づけば麦次郎もあとからいそいそとやって来る。
 ぷちぷちは相変わらず黙々と卵を温めつづけている。籠にかぶせた風呂敷を開けた途端にギャースカと騒ぎだすのが日課になっていたはずのぷちが、ギャースカに使うエネルギーをすべて卵に投入している。きゅーはじっとして動かない。こちらは体調が悪いから、エネルギーの無駄な消費を抑えているのだ。目が覚めると、バカスカと喰いだす。一気喰いして、また眠る。これを「喰っちゃ寝」などと呼んではいけない。これは彼の闘病スタイルである。
 
 九時、事務所へ。午前中はE社POPのコピーに集中。十二時、kaoriさんが事務所に。カミサンとぼく、三人で近所の「えんず」で昼食。きゅーの病状にレメディが効くのではないかというので、さっそく調合していただいた。kaoriさんのマッサージ話、西荻の地元話に花が咲く。ぼくの偏頭痛の処方もしていただくことを約束して、十三時解散。
 午後からは事務処理など。夕方、チロリと新宿に出掛け、母の誕生日プレゼントを購入する。ついでに腱鞘炎用のサポーターを新調。親指と手首を同時に固定できるタイプ。ベルクロテープ式なので使いやすい。
 十八時帰社。ひきつづき仕事。K社ウェブサイトのコピーなど。二十時三十分、店じまい。
 
 夜、ヤフーオークションでエルゴノミクスキーボードを落札。自宅用。これで自宅での長時間の作業も快適になる。かな。日記以外にも長文を書く機会が多いからなあ。
 
『戦後短篇小説再発見1』より、小川国男「相良油田」を読む。読了。戦時中の話。男子学生が女性の理科教師にほのかな恋心を抱く。そして彼女の交際相手である海軍将校に嫉妬する。複雑な心理を、あるはずのない「油田」の見学という少々不条理な設定の「夢」を通じて巧みに語っている。でも、それだけ。といったら身も蓋もないか。戦時中の時代の閉塞感は文体から嫌になるくらい十分に読み取れる。
 
 
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三月九日(火)
「ヒコクミン/トリの心はわからない」
 
 八時起床。家にいるときゅーの体調ばかり気になってしまう。籠にかけた風呂敷を取った瞬間は比較的元気なのだが、やがて動きがにぶくなり、眠ったようになってしまう。ちょっと餌をついばんでは、また眠る。そのくり返しだから飼い主としては心配になる。ところがどうやら風呂敷がかかっているときにかなりごはんを食べているようで、籠の中からがさごそと音がすることがあるから妙だ。病気になったトリの扱いは難しいと「中野バードクリニック」の先生も言っていたが、その通りだと思う。
 
 九時、事務所へ。昨日よりさらに暖かで過ごしやすそうな予感のする朝。コートが少々邪魔臭い。とはいえ夜は冷え込みそうだから、「着ていかない」と決心するには勇気がいる。寒い思いはしたくないのだ。
 
 昨日落札したキーボードの代金を振り込んでから仕事に取りかかる。D社PR誌、K社ウェブサイトなど。午後より外出。十三時三十分、D社にてPR誌次号の編集会議。
 終了後、茗荷谷へ移動。小石川のL社へ。久々に通る桜並木の枝の先にできたつぼみが丸くぷつぷつと膨らんでいるのを見て、ほんのすこしだけ春を感じる。花開いたときを想像すると楽しくなってくるが、あいにくぼくは桜花粉症である。心の底から満開の桜を楽しめないのがつらいところだ。桜が楽しめない。非国民だな、こりゃ。
 L社にてE社POPの打ち合わせ。材料がすくない。苦戦しそうだ。
 
 十八時帰社。E社のNさんと、電話で新規案件のU社パンフレットの打ちあわせ。ほか、午前中の作業のつづきを。二十時三十分、店じまい。
 
 帰宅後もきゅーの調子はいまひとつ。風呂敷をかけると元気になるのは、コイツめニンゲンが嫌いなのか? ぼくらが「喰え喰え」と言っているのがプレッシャーになっているのか? トリの心はわからない。
 
 
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三月十日(水)
「ワンタンメンと団鬼六」
 
 三時、花子のひどい夜鳴き。鳴くばかりで、腹が減ったのか寂しくなったのか遊んでほしいのか、今ひとつ判然としないので困る。三十分くらいは鳴いていただろうか。カミサンと蒲団の中から交互に「はなこー」「はーにゃーん」と名を呼びあやそうとしたのだが、反応がないのでそのうち馬鹿らしくなってきてやめてしまったのだが、今度は全然寝つけなくなり少々困る。気づいたら眠っていたが――という書き方は変だけれど――、おそらく一時間近く悶々としていたのではないだろうか。七時に今度は「ごはんくれ」とはっきりした意思表示を受けたので、言われた通りに缶詰めを開けてやった。起床は八時だが、この間眠れず。
 
 きゅーは昨日よりは元気かな、という程度。
 
 九時、事務所へ。終日E社パンフレットの企画案を考えつづける。
 十六時三十分、ちらりとカイロプラクティック。戻ってから、二十三時までみっちり仕事。
 
 事務所の隣のラーメン屋「まるや」で夕食。ネギワンタンとラーメン。ガハハと笑うおねーちゃんが、これがどうもキャバクラ嬢らしいのだが、ちょっとこじゃれた遊び人風の男、おそらくはキャバクラの男性スタッフだろう、そいつとふたりで飲んだくれている。キャバ嬢はかなり酔っている。となりでひとりでラーメンを喰っていたオヤジに「おにーさん哀川翔にそっくりー」と言いながらガハガハ笑いからんでいる。かと思えば、杉本彩が出演する団鬼六原作の映画『花と蛇』を見に行くSM だSMだと大騒ぎし、「スカトロショーを見たことがある」などと言い出しマスターに思いきり怒られていたが懲りずにペラペラしゃべりつづけガハハと笑いつづけているから、このキャバ嬢かなりの強者と見た。外見はかわいらしい。服の趣味も黒が基調、フェミニンなシルエットで化粧もそう濃いわけではなくて好感的だ。でも食事をする場でスカトロ話をする馬鹿者なのだから、人間見た目で判断してはいけない。
 
 笙野頼子『水晶内制度』を少しだけ。
 
 
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三月十一日(木)
「下痢と沈丁花」
 
 三時に妙な感じで目が覚めたと思ったらひどい下痢と腹痛だ。一時間くらいはベッドと便所を往復していたと思う。正露丸を飲んでようやく腹は落ち着いたが、眠りのリズムが狂ってしまったようで、その後は眠ったんだか起きてたんだかよくわからん状態がつづく。軽トラックに乗って自分の結婚式の準備を進めるというおかしな内容の夢を見た。夢を見たということは、すこしは眠れたということだろう。だが、なんか損した気分。
 
 八時起床。きゅーは相変わらず不調気味。ぷちは相変わらず卵を温めつづけている。
 
 九時、事務所へ。ふっと花の香りが鼻腔をよこぎるように漂ってくる。どこからかと目を凝らすと、一戸建ての庭先に沈丁花が咲いている。「沈丁花の香りにいい思い出はない」と言っているのはウチのカミサン。どうということはない。単に花粉症でツラい思いをしているだけだ。
 
 E社POPとパンフレット、B社PR誌など。十八時、大崎のE社でPOPとパンフのプレゼン。両方とも好評なのでひと安心。
 二十一時、西荻窪に戻る。「それいゆ」で夕食を食べてから事務所に戻り、E社プレゼンで指摘を受けた部分の微調整を行う。企画書を明日午前中に再度提出する必要があるからだ。
 
 丸山健二「バス停」読了。ドロ臭い上京ソープ嬢――当時はトルコ嬢か――の帰省話なのだが、作品世界の深め方がうまい。主人公が母との別れ際にバスの窓からお札を投げるラストシーンは印象的。このシーンをどう捉えるかで、作品の内容がガラリと変わってしまう。スゲエと思った。
 
 
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三月十二日(金)
「眠っても眠っても/怪しい取材」
 
 ここ数日の疲れがピークに達しているようで、眠っても眠っても眠り足りないような気分のまま目が覚める。七時三十分だ。いつもよりは早いのだが、いつもは五時にゴハンくれと起こしに来る花子をほったらかしにして眠りこけた結果この時間なのだから、やはりリズムが狂っている。眠っても眠っても、と書いたが、いつもより長く寝ていたわけではない。むしろ、短い。短い分だけ深い眠りになっていれば、と思うのだが。
 
 九時、事務所へ。軽い寒の戻り、といった冷え込み方。いやになるような寒さではない。中途半端に暖かな気もして、厚着をするのが鬱陶しくなる。そんな温度と陽射しである。
 E社パンフレットの企画書を納品してから、都内の某高層ビルへ取材に行く。自主取材だ。誰にも断りを入れていない。全身黒づくめでだぶだぶの服を着た男がエントランスやロビーをうろついたり、何度もエレベーターを出たり入ったりしていては、警備員もさぞかし気になっただろう。だが生憎、ぼくは爆弾までも産業スパイでも何でもない。このビルをPRするためのパンフレットを作っているだけだ。何人もの警備員に何度もじろじろ見られてしまうが、気にせず取材をつづける。最終的におとがめはなかった。
 新宿のインドカレー店「ボンベイ」で昼食。昼時の混雑を避けようと十三時に入店したのだが、このあたりはデパートが多いせいだろうか、遊びに来た女性同士やどうやら店員らしい人たちで店内はにぎわっている。
 十四時、帰社。取材内容をもとにU社パンフレットのコピーを書きはじめる。方向性に迷ったので、二案書いてみた。
 
 二十時、業務終了。「草庵おおのや」で天ぷら、空豆、おろしそば。日本酒「秋鹿」「隆」。
 
 中沢けい「入江を越えて」。ごくありふれた七十年代の女子高生の処女喪失話。エロ話になりがちな内容だけれど、そうならないよう意図して書かれているみたい。
 
 
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三月十三日(土)
「孤独の老婆」
 
 昨日の眠りこけていたいという願望をようやく満たすことができた。いや、願望を満たそうと思わずとも、身体の方が勝手に眠りこけてしまったというのが正しい。何度か目は覚めたが、気づけば記憶に空白があり、また目が覚めている。眠りに入った瞬間、眠さと戦っている時間、眠いなと感じる時間、眠り足りないと不満を感じる時間、そんなものがすべて消し飛んでいる。目覚めた後に、また目覚める。これを何度くり返しただろうか。気づけば十時を回っている。ゆっくりと起きた。何度も何度も目が覚めただけに、蒲団に入っている時間は長くても寝ている時間は短かったのではないか。そう考えるとひどく損した気分になる。だが天気が良かったので、まあチャラということにしておこう。
 
 午後からスーパーに買い出しに出かける。歳は七十を過ぎているだろう、背の小さな、後頭部にピョイと雑草のように寝癖をつっ立てた老婆が、キャスターのついたバッグを転がしながら、店のなかにいる人たちに、手当たり次第という感じで声をかけつづけている。失礼と思いながらも観察してみる。「鞄が通らないからどいてくださいねごめんなさいね」「これは買っておいたほうがよかったのかねえあなたは買ったの?」そんなことを、大量の無駄な言葉を絡めながら、店員にも、そして客にも話しかけている。無視されているのが少々哀れだ。レジでは店員が気を効かせて、老婆が財布からお金を取りだしている間にバーコードを読み取った後の商品を袋に詰める場所までもっていってくれたのだが、ばあさま、自分が何を買ったか忘れてしまったらしくてレジ係に「あたしはアレを買ったっけ?」などと確認しているが、生憎レジ係はそんなことは覚えておらず、わからないから自分で確認してねと苦笑しながら謝っていた。ビニール袋に買った商品を詰めるスペース――あそこは何と呼べばいいんだろうか――で老婆とぼくら夫婦が隣り合わせになった。老婆は食品やら雑貨やらを大量に買い込んだものの、愛用するキャスターバッグにそれが入らず困っている。来るかな、と思ったら案の定声をかけられた。「お兄さんこれ中にいれてくれるかな?」ぼくもまたレジ係のように苦笑しながらバッグの口をぐっと広げて、レジ袋を中に押し込んでやった。老婆は礼を言ってくれたが、お礼の言葉以外の言葉がそこには大量に紛れ込んでいるせいで、ぼくはまったくお礼を言われた気にならないが、別に感謝されたくて荷物を押し込んでやったわけじゃないからどうでもいい。老婆はひとりで帰って行った。離れてから、彼女が終始笑顔だったことに気づく。ひとり暮らしをしているのだろうか。
 
 帰宅後、ホットケーキで休憩。空いた時間は読書など。思うところあって、武田泰淳の『富士』を読み返した。やはり泰淳はいい。
 
 夕食はお好み焼き。鉄板つづきで、馬鹿みたい。
 
 笙野頼子『水晶内制度』。爆裂寸前のテンションや緊張感は薄れたが、笙野節は健在。
 
 
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三月十四日(日)
「荻窪の春の花/親子大豆」
 
 九時三十分起床。休日になるとたちまち緊張感がなくなってしまい、朝はいくらでも眠れるようになってしまった。それでもこの程度の時間に起きることができるのは、途切れた緊張感を「寝坊は悪いこと」という子どもの頃に両親や学校にすり込まれた常識のようなもののためだろうか、いや、そもそもぼくはクリエイターにしては珍しく朝型・昼型なのである。徹夜はあまりしたくない。朝のほが集中できる。昼間のほうが活力が湧く。お日様の出ているうちにあれこれしておこうと思ってしまう。わかった。要するにぼくは貧乏性なのだ。時間がもったいなくてたまらない。ただそれだけだ。
 
「ハローモーニング」を観ながらシャツにアイロンをかける。コントコーナーでの辻のはじけっぷりに爆笑。いや、笑いを通り越して感動する。
 
 午後からカミサンと外出。西荻窪の餅屋「おもちやさん」で名物の苺大福と最中、じゅうよ饅頭を購入。荻窪へ移動。西友の無印良品で靴下、白シャツなどを購入してから義母宅へ。大福はホワイトデーのお返しだ。十七時ごろまでだらだらとお茶を飲んで過ごす。スーパーでブリの切り身を買ってから帰宅。
 荻窪の一戸建てが多いいわゆる「高級住宅街」のあたりを歩いて帰る。どの家も庭先は春の花でいっぱいだ。モクレン、沈丁花、桃、雪柳、ミモザ。ミモザは盛りを過ぎたようで、糸を短く切りそろえたような黄色い花の半分くらいが落ちていた。雪柳のしなやかに弧を描く茎から白くて小さな花が咲く様子は、その名の通り雪が舞うようだ。春の雪。それにしても、モクレンとはどうしてあんなに間抜けに見えるのか。きれいではあるのだが、上を向いてポカンと口を開けている子どものようで、アホっぽい。
 
 夕食はブリの塩焼き。冷ややっこと納豆も食べた。両方とも半分ずつ残してまぜてみた。親子大豆だ。これがなかなかの美味。納豆のねばりけのせいで豆腐がふっくらとする。豆腐の甘みと納豆の渋味がおたがいを引き立てあって、じつに豊かな味わいとなる。醤油はちょっときつめにしたほうがいいようだ。
 
 笙野頼子『水晶内制度』。女性だけの国家ウラミズモの「神話」を書くことになった主人公。ふーん。
 
 
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三月十五日(月)
「三月はいつもこんな感じさ」
 
 八時起床。九時、事務所へ。暖かだが朝のうちは風が強く、その分寒さを感じる一瞬もある。春のなかに紛れたわずかな冬の名残が、季節の感覚を微妙に狂わせる。ほんの少しだけ厚着をしようか、そんな迷いはいったん外に出てモクレンや沈丁花が咲いているのを見るとたちまちどこかへ消えてしまう。季節とは、迷いながら過ぎていくものだといつも感じる。
 
 U社パンフレット、D社PR誌など。夕方、抱卵期が終わったぷちぷちをリフレッシュさせて産卵をさせないようにするための、新しい籠を購入する。ピンク色で、下の糞が溜まる部分がスケルトン.溜まりすぎたときの汚さには辟易しそうなデザインだが、溜めすぎないようにする効果もあるのかもしれない。
 
 夜になってから新規の案件の引合いやら、進行中物件の赤字対応依頼やら。三月はいつもこんな感じだ。時間が空いても、気が休まらない。
 
 笙野頼子『水晶内制度』。ウラミズモの建国秘話とイカれた神話。
 
 
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三月十六日(火)
「哀愁の立ち食い蕎麦」
 
 八時起床。インコがいろいろと出てくる夢を見た。すべて野鳥化したセキセイインコだ。きゅーに野生化するほど元気になってほしいという気持ちの現れだろうか。
 
 九時、事務所へ。掃除、予定の確認、電話やメールでの連絡を済ませてから十一時に外出。十二時、有楽町のT社へ。新規案件の打ちあわせ。昼時にマリオンの裏を通りすぎる。立ち食い蕎麦屋はヨレヨレのスーツを来た中年でにぎわっている。おそらく、みな外回りの営業担当なのだろう。十二時まで客先で営業し、次の客先に十三時に入るのであれば、移動時間を考えたら立ち食い蕎麦か牛丼くらいしか食べられないのだろう。春のファッションに身を包んだきれいな財布を握ってランチを楽しみに出かけるOLたちでにぎわう道路に背を、立ったまま蕎麦を啜るオッサンたちの後ろ姿に底のない哀愁を感じた。
 打ちあわせ後、マリオンそばのスタンドカレーで大慌てで昼食。みょうに不味く感じるのは、味が落ちたのか、それともぼくの舌が肥えたのか。
 
 十四時、帰社。N社パンフレット、E社ポスターなど。苦戦。脳が飽和したので、二十一時に店じまい。
 夕食は「桂花飯店」。
 
 二十二時、帰宅。きゅーは元気そうだが、念のためすぐに寝かせてしまった。
 
 中沢けい「入り江を越えて」読了。身体をひとつに重ねることができても、それは興味の範疇でしかない。自分の気持ちがわからない、自分の気持ちをコントロールできない、そんなもどかしい十代の気持ちを、植物という意識がないように思える生き物の存在になぞって語った傑作。というところかな。
 つづいて田中康夫「昔みたい」を読みはじめる。なんかムカツク設定。
 笙野頼子『水晶内制度』。神話と建国秘話のつづき。幻書紹介みたいな感じ。レムの『完全な真空』とか、高橋源一郎の『惑星P-13の秘密』を思い出した。源一郎よりは笙野の方がテクニカル。
 
 
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三月十七日(水)
「一周忌」
 
 愛鳥うりゃうりゃの命日である。カミサンから「うりゃの様子がおかしい」という連絡を受け、寒の戻りの北風が吹く夜に重たい鞄を抱えて家まで全力疾走したのを思い出す。
一年経った今でも、ぼくの掌のなかで静かに眠るように逝ってしまったうりゃのことを考えると、生というものに対するニンゲンの非力さを思い知らされ、つらく悲しい気持ちでいっぱいになる。あれから一年。アイツ、今ごろあの世で何してるだろう。
 最近のきゅーの体調不良は、ひょっとするとそんなぼくの思いと通じるところがあるのかもしれない、なんて考えてみる。だが幸いなことに、命日である今日のきゅーはいたって元気である。激減した体重も順調に戻って入る。
 
 八時起床。九時、事務所へ。N社パンフレット、E社ポスターなど。
 十七時、kaoriさん来訪。お願いしておいたバッチレメディを受け取る。偏頭痛や腱鞘炎などの慢性症状の原因を解決するため。
 十九時三十分、銀座のT社へ。軽く打ち合わせしてから、Nさんといっしょに歩いてすぐそばにある広告代理店のE社へ。小一時間打ち合わせをしてから、もう一度Nさんと近くのカフェで打ちあわせ。二十二時三十分、荻窪へ。話題の吉野家の新メニュー「豚丼」を食べる。吉野家に入るのは何年ぶりだろう。思っていたよりは美味かった。
 
 田中康夫『昔みたい』読了。最低。修業だと思って読んだ。
 宮本輝「暑い道」を読む。読了。記憶や思い出は決して自分より後ろにあるのではない。それはかならず、何らかの形で現在につながっているものだ。記憶を辿ることは、これからの人生を豊かにすることにつながるのかもしれない。そんなことをついつい考えてしまう小説。宮本輝ははじめて読んだけど――インスタントコーヒーの人、というイメージしかなかった――、なかなかいいな。
 笙野頼子『水晶内制度』。うーん、建国秘話の部分は男性中心社会への批判であると同時に歪んだフェミニズムへの批判とも受け取れなくはないんだろうけど、よくわからんなあ。
 そうそう。おとといあたりから、柄谷行人なんかが作った『必読書150』を読んでいる。やっぱり思想書は読んどかなきゃなーと痛感。ここ数年、文芸批評くらいは読むけど現代思想や哲学の本はほとんど読んでいない。学生のときはかなり読んだんだけどね。
 
 
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三月十八日(木)
「遅くまでご苦労さま」
 
 八時起床。雨。寒の戻り。だが真冬のような寒さはない。すこしだけ冷たい春の雨。桜の開花は、これでちょっとだけ遅れるかもしれない。
 
 九時、事務所へ。事務処理、カミサンの個展準備の手伝いなど。十七時、池袋のU社へ。一時間ほどインタビューをする。十九時、プランナーのNさん、デザイナーのTさんと合流し、飯田橋のEショップへ。一時間ほど取材。疲れた。
 ファミレスで――一年ぶり? もっとかな?――で打ち合わせを兼ねた夕食を取ってから、二十一時に新富町のE社へ移動。リーフレットの打ちあわせ。ようやく方向性が定まる。明日からが正念場。
 
 二十三時、帰宅。注文していたノートパソコンを垂直方向に立てて使うためのスタンド「スパルタかます」がようやく届いた。今、使っているわけだが、モニターの位置がちょうど目線のあたりに来るので、使いやすい。外付けのキーボードを使っているので、PowerBookがデスクトップPCと化しているのが妙におかしい。
 
 今日はバタバタしていたので、移動中はまったく本を読めず。ありゃりゃ。
 
 
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三月十九日(金)
「開花の日」
 
 八時起床。雨こそ止んだが、やはり少々寒い。寒の戻りはいつまでつづくのだろう。気温の変化についていけないきゅーの体調がとても気になる。
 
 九時、事務所へ.E社パンフレット、N社パンフレット、U社パンフレットとパンフづくしだ。
 十八時三十分、渋谷へ。シブヤ西武に寄り、「ヨウジヤマモト」に顔を出す。以前吉祥寺パルコで世話になった店員のLさんから、春のウールモノがすべて揃ったという連絡をいただいたため。コレクション発表時から狙っていたサファリジャケットのようなポケットのついたテーラードジャケットとワイドなシルエットのノータックパンツを購入。麻のスカートが入っていたので見せてもらう。なるほど男性が履いてもこれならカッコイイ。侍のようなシルエット。
 
 二十時、汐留の代理店E社へ。超高層ビルで打ちあわせ。E社とはときどき関わるのだが、新しい本社ビルに来たのははじめて。喩えは古いが、まさにブレードランナーの世界。この景色なら、エアカーが走っていてもおかしくはない。二十二時、打ちあわせ終了。
 荻窪の「吉野家」で麻婆丼を食べてから帰宅する。豆腐はあまりおいしくないなあ。
 桜の花が、すこしずつ咲きはじめているのを見つけた。雲に覆われているらしい星のない夜空のもと、つぼみで枝がゆるやかにしなっているさまを歩きながら眺めていると、ひとつ、ふたつと、まだ数えられる程度ではあるが、ほんのわずかに桜色をおびた花びらが、静かに風に揺れていた。
 
 北杜夫「神河内」を読みはじめる。
 笙野頼子『水晶内制度』。古事記の解体と、女人国家のための再構築。
 
 
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三月二十日(土)
「ぼろ切れ」
 九時起床。疲れが溜まっているようだが、休んではいられない。身体に鞭打って出勤する。こんな日に限って雨だ。せっかく咲きはじめた桜の花も浮かばれないな、などと思いながら事務所へ向かう。
 
 E社パンフレットのコピー。何とか書き上げ、デザイナーのTさんに送付。十七時三十分、終了。吉祥寺に向かい、パルコの「ワイズ」でカミサンがパンツを買うのをつきあう。十九時、帰宅。
 
 身体がぼろ切れになったような感覚。ビールを飲んだら二時間も居眠りしてしまった。
 
 笙野頼子『水晶内制度』。なかなか読み進まないなあ。
 
 
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三月二十一日(日)
「軽めに」
 
 十時三十分起床。晴れ。午後にスーパーへ買い物に出かけた以外は、ずっと家でくつろいでいた。桜はさほど開いていない。今度の週末あたりが見ごろだろうか。
 
 
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三月二十二日(月)
「春より秋か」
 
 八時起床。雨。今年の三月は妙に寒い。二月が暖かだった分、ツケがまわってきたのだろう。一度しまい込んだ冬物をもう一度引っ張り出した。もう着たくないのだが仕方がない。
 
 九時、事務所へ。E社パンフレット、U社パンフレット、N社パンフレット、E社POPなどを同時にこなす。二十一時、店じまい。
 
 夕食は「それいゆ」にて。春っぽい飾り付けでもしてあるのかと期待したが、いつもとなんら変わりない。西荻窪の喫茶店には、春より秋が似合うようだ。
 
 笙野頼子『水晶内制度』。まだまだつづく、でっちあげの建国神話。
 
 
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三月二十三日(火)
「枕元を彷徨う」
 
 麦次郎め、寒かったのか。それとも甘えたかったのか。夜中に枕元をうろうろしては、蒲団の中に入れてくれとなんどもせがまれる。うろうろするというよりは、狭い場所だというのになぜか「彷徨う」といった感じがするところがいかにも麦次郎らしい。が、彷徨うたびに眠りを妨げられるこっちの身にもなってほしい。といったところでまったく理解してなどくれないのだが。蒲団をめくり上げると頭をすぐに突っ込むのだが、ためらいでも感じるのか、しばらくそのままの状態がつづくのがまた厄介だ。尻をポンと叩くと、背中を押されてやっと踏ん切りがつきバンジージャンプする臆病なお笑いタレントのように、ドタドタと蒲団に潜ってくる。しばらく腕まくらをするが、気づくと外に出ているのはどうしてなのだろう。ぼくが蒲団の中で夢を見ながら放屁したからか。いや、ホントにしたかはわからないけど。
 
 八時起床。今日も冷え込みはきびしく、着る服を選ぶときに悩んでしまう。暖かくなるときは逆にどの春服をきるべきかで悩むわけだが、このときは訪れた季節に喜びのようなものを感じているし、着飽きた冬服から解放されることも快感のように思っているから、服で悩むのは結構楽しい。だが、寒の戻りのときは楽しくなんかないから困る。乱高下する気温が憎らしくなる。きゅーの体調も悪くなる。実際は服で悩むよりもきゅーのほうが気掛かりだ。だが、今日も何とか元気を保っているのでスゲエと思う。
 
 九時、事務所へ。E社リーフレット、E社パンフレットなど。
 十三時三十分、小石川のL社へ。桜並木はすこしずつ花開きはじめているが、薄灰色の寒空のもとでは、淡いピンクの花びらはまったく生えもせず、むしろ遠目には網のように見える梢の重なりと、それよってできるつぼみのかたまりの桃色を帯びた褐色が、重苦しくて見るに堪えない。早く青空のもとで満開の花を眺めてみたい。
 十九時、新富町のE社へ。パンフレットの打ちあわせ。営業のIさん、入社九年で最大のピンチだという。何がピンチかというと、時間が足らなくてピンチなのだそうだ。要するに、忙しいらしい。
 
 二十二時、帰宅。コンビニのうどんで手軽に夕食。
 
 北杜夫「神河内」。少年の目から見た自然、戦争、そして両親。
 笙野頼子『水晶内制度』。なんだか、もうメチャクチャ。
 
 
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三月二十四日(水)
「なんだったんだろ」
 
 八時起床。雨。
 九時、出勤。なかなか暖かくならないうえに、雨と来た。春だ桜だなどと騒ぐ気も萎え、冷めた気分で事務所へ向かう。
 
 E社パンフレットを黙々と。J社のLさんから新規の仕事の打診。パンク状態なので丁重にお断りする。
 十六時三十分、カイロプラクティック。五十畑さんは足が太いですね、と言われた。
 戻ってからも、E社パンフを黙々と。二十時、T社のNさんから「E社リーフレットのカンプ、変更になるかもしれないから待機してて」と電話あり。二十三時過ぎまであれこれ作業しながら連絡を待ったが、結局何もしなくてよいことに。なんだったんだろ。
 そうそう。二十一時、夕食。「ほびっと村」のレストランで、アジの塩焼き定食。美味。 
 笙野頼子『水晶内制度』。「保護牧」の説明。忙しいのでなかなか読み進まない。
 
 
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三月二十五日(木)
「明日は出張なので軽めに」
 
 八時起床。雨はつづく。九時、事務所へ。桜が開花し始めているというのに一向に気分が盛り上がらないのはすべてこの空と気温のせいだ。だが花見気分で浮かれるほどの暇はない。黙々とE社のパンフの原稿を書きつづけ、十八時に事務所を飛び出し、十九時に五反田のL社へ。E社の件の打ちあわせ。二十二時、帰宅。
 五反田の夜はギラギラしている。打ちあわせの前にチラリとコンビニに寄ったが、胸元が広く開いたトップスとミニスカートを着用した化粧の濃いお姉さま方がおにぎりなどを買っていた。西荻窪では見られない光景だ。
 梅宮辰夫とその妻を見かけた。しょぼくれたオッサンとめちゃくちゃキレイな外国のおばさん、という感じ。
 
 明日は大阪出張なのでなるべく早めに寝ようと思う。
 
 
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三月二十六日(金)
「大阪コテコテ取材」
 
 六時三十分起床。眠いので身体がもたもたする。
 七時三十分、出発。早朝の中央線。すでにラッシュアワーははじまっているようで、車内では狭い思いをさせられた。
 八時四十六分、東京発の新幹線で大阪へ。別々にチケットを手配したというのに、印刷会社H社のTさん、デザイナーのPさんの席がぼくのすぐ前になり驚く。車内では取材用資料の読み込みなど。東京は雨空だったが、大阪に近づくにつれて青空が広がりはじめた。富士山は見えるだろうかと注意していたが、資料に夢中になりすぎたのか、単にタイミングが悪かったのか、それとも全然見えなかったのか、いつの間にやら名古屋についていた。そこから先は早い。京都がもうすぐと思っていたら、小便をしている間に大阪に着いた。
 大阪も桜が咲きはじめていた。だが梅田あたりは東京となんら変わりのない景色でつまらない。ただ、広告が大阪ローカルのものが多くてユニークなのと、若い女の子のファッションが東京よりも派手めで色使いがうまいのがちょっとだけ新鮮。
 
 十一時三十分、新大阪駅でクライアントD社の担当者であるLさん、Uさんと合流。十二時、D社大阪営業所のSE、営業担当者と打ち合わせをしてから、大阪のCATV会社のP社へ。十三時三十分、取材開始。一時間少々インタビューを行い、そのあと施設などの撮影を済ませて、十六時三十分、取材終了。
 ほかのスタッフもD社のみなさんも今日は泊まっていくというが、ぼくは仕事があるのでひとり東京へ戻る。新幹線は坐れないようなので、少しだけ時間をずらしてから乗り込んだ。
 帰りの車内で取材内容をざっとまとめておく。あまった時間は睡眠と読書。二十一時、東京着。
 
 帰宅後はまさにバタンキュー。死後だが、そのときのぼくにはもっともふさわしい言葉。
 
 北杜夫「神河内」読了。私小説だなあ。それ以外の何物でもないし、それ以上の刺激も感銘も受けなかった。
 金井美恵子「水の音」。短編扱いされているが、実は傑作『柔らかい土をふんで、』の一節だ。いちばん好きな章かな。
 夏目漱石『長谷川君と余』。なんと、PDAで読んだ。著作権切れとなった書籍の電子出版計画「青空文庫」のものである。手持ちの本を読み終えてしまったときにベンリ.ちなみに「長谷川君」とは、長谷川辰之助、すなわち二葉亭四迷のこと。
 
 
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三月二十七日(土)
「侍=スカート」
 
 十時起床。寄る年波には勝てないということか、ちょっと仕事がハードになると休日の朝に疲れが一気に噴き出してくる。だがあいにく、今日は事務所に行かなければならない。動きたくないから寝ている、というわけにはいかないのだ。
 
 十一時三十分、事務所へ。溜まった仕事を黙々と.
 十七時、渋谷へ移動。先日購入した「ヨウジヤマモト」のセットアップを受け取る。ついでに噂のスカートを試着。なるほどこれは侍だ。男=スカートは履かないという先入観が世の中になければ、絶対愛用するところだろう。欲しいが、買えず。ツライ。
 十八時過ぎ、吉祥寺に移動。パルコの「ワイズ」でカミサンのパンツを引き上げて、帰宅。
 
 桜は見頃になっているようだが、今年はどういうわけか心が踊らない。事務所から自宅へ向かう途中に半分くらい花開いたソメイヨシノを目にするのだが、それを美しいと感じつつも、じっと見つめていたいという気になれないのはなぜか。梅の花、沈丁花の香りにはあれほど心ときめいたのに。今年の桜は、曇った夜空にくすんで見えた。
 
 笙野頼子『水晶内制度』。男性収容所である「保護牧」の描写がつづく。
 
 
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三月二十八日(日)
「疲れちゃったなあ」
 
 九時起床。十時、事務所へ。今日もあれこれと一日作業。
 
 十九時、郡山でプリザーブドフラワーの講師をしているカミサンの友人・メグちゃんと「えんず」で夕食。郡山では食べられない感覚の味だとメグちゃんは興奮していた。十一月に、カミサンと「花と猫」をテーマにしたコラボレーション展をやるらしい。
 
 二十二時、帰宅。おいしかったしおもしろかったけど、なんだか疲れちゃったなあ。
 
 
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三月二十九日(月)
「偽プーラちゃんとカミサン」
 
 八時起床。九時、事務所へ。うっすらとガスがかかったような雲が青空をなぜるように包んでいるのを見て、むずがゆくなるような気分がした。冬の青空は寒く厳しいが、凛々しくて荘厳としている。桜の花の色が映えるのは、あいまいな春の空ではなく、凛とした冬の空なのではないかとふと思った。
 
 D社PR誌原稿、E社パンフレット原稿など。十九時、帰宅。めずらしく早帰りだ。
 
 暖かな一日だったせいか、カミサンお気に入りの猫「偽プーラちゃん」が外に出ていた。だが、今日は妙なくらいに愛想がない。おかしいと思ったら、背後に相棒らしい毛のふっさりした猫がいた。そっちのほうが気になるらしいのだ。カミサンと偽プーラの友情、しょせんそんなレベルなのかな、まあ、順番づけはされちゃうよなあ、なんて思いながら偽プーラと別れた。
 
 笙野頼子『水晶内制度』。うーん、読み進めるのがキツくなってきた。でも読む。
 
 
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三月三十日(火)
「抗議文、のような日記」
 
 蒲団の上で麦次郎は威張り腐って寝ているしカミサンはそのムギに気を遣って身体をずらすものだから蒲団の角から角へ対角線を引いたみたいな体勢になって寝ている。おかげでぼくは残された半分の三角形で寝ることになるわけだが、広くスペースが取れる三角形の底辺に相当する部分が頭の方に来るのなら、肩幅がもっとも広い人間の体形にまあ合致しているわけだから快適に眠れるのかもしれないのだが、あいにく状況はまったく逆で、足元が広く肩や頭の側は狭いのだから質が悪い。熟睡できん。文句を言ってもカミサンはいびきをかいているばかりで全然体勢を買えてくれない。寝にくいよーと心の中で嘆きながら自由の利く足をバタバタさせていたら、花子が胸の上に乗ってきた。重い。邪魔だ。だが、しばらくそのままにしておいたらいつの間にか眠ってしまい、花子もどこかに行ってしまった。朝が来た。
 
 八時起床。九時、事務所へ。桜はほぼ満開。つぼみを見つけるのが大変なくらいだ。だが空は雲が垂れ込めているので花びらの微妙で華奢な色彩までがどんよりして見える。
 
 十時三十分、八丁堀のI社へ。東京駅はちびっ子でごったがえしている。春休みを利用してのディズニーランド参拝というわけだ。大人の引率のもと、構内で整列している団体も多い。ぼくがディズニーランドへ行ったのは高校生のときで、確かクラス旅行でだったと思う。旅行と行ってもバスでの日帰りだったのだが。あまりの混雑に辟易し、アトラクションなどほとんど楽しまずにブラブラしていた。それ以来、かの地を詣でたことはない。そのせいかディズニーは非常に苦手で、もし自分に子どもができたらディズニーは絶対にわが家では禁止だ。
 
 十二時、西荻窪着。「Riddim」で昼食。ベトナムカレー。
 帰りがけに、古書店でカント/篠田英雄訳『純粋理性批判』を購入。カントは学生のときにベンキョーしたけど、実は実際の作品は読んだことないんだよなあ。
 
 午後からはI社からの依頼の案件に集中。二十時、帰宅。 
 
 せっかく早く帰ったというのに、鼻水が朝から止まらないため――変な体勢で寝たからか?――、なんだか損した気分。 
 
『戦後短篇小説再発見2 性の根源へ』より、坂口安吾「戦争と一人の女〔無削除版〕」を読む。安吾は昔から大好きだったが、この作品にはとくに思い入れがなかった。ところが〔無削除版〕をはじめて読んでびっくりしてしまった。戦争を肯定するような内容だったため、該当部分を削除し改訂したものを発表したらしい。たとえばこんな部分が削除されていたようだ。
   ★
 女は戦争が好きであった。食物の不足や遊び場の欠乏で女は戦争を多いに咒っていたけれども、爆撃という人々の更に咒う一点に於て、女は大いに戦争を愛していたのである。そうだろう。そういう気質なのだ。平凡なことには満足できないのである。爆撃が始まると慌てふためいて防空壕へ駆けこむけれども、ふるえながら、恐怖に満足しており、その充足感に気質的な枯渇をみたしている。恐らく女は生れて以来かほど枯渇をみたす喜びを知らなかったに相違ない。肉体に欠けている快感をこっちで充足させているようなもので、そのせいか女は浮気をしなくなった。浮気の魅力よりも爆撃される魅力の方が大きいことは野村の目にも歴々わかり、数日空襲警報が出ないと女は妙にいらいらする。ひどく退屈する。むやみに遊びたがり、浮気の虫がでそうになるが、空襲警報が鳴るので、どうやらおさまる状態が野村にわかるのである。
   ★
 異質な要素、日常にひそむわずかな狂気、そんなものが加わるからこそ奥深くなる小説がある。この作品はその成功例だと思うが、それを政治的配慮からむざむざ台無しにしてしまうとは。
 
 笙野頼子『水晶内制度』。ロリコンは死ね、ということか。
 
 
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三月三十一日(水)
「なーにもしていない/何もしていない」
 
 八時起床。九時、事務所へ。一日中事務所に篭ってN社企画、D社PR誌の作業をひたすらつづける。それ以外になーにもしていない。恐ろしいくらいに、何もしていない。
 
 二十時三十分、帰宅。ぷちぷちの籠を取り替えたら気分転換できたのか、抱卵前の元気でやかましいぷちに戻ってしまった。閑さえあればギョギョギョと鳴き叫んでいる。
 
 笙野頼子『水晶内制度』。ロリコン男の圧殺刑。このシーンが何を意味しているのかは、最後まで読み進めないとわからない。
 
 
 
 
 



《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。空を飛ぶものがものすごく好きだ、ということに最近気づいた。

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