「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

二〇〇三年十二月
 
 
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十二月一日(月)
「昔の友だちのことを、ちょっと」
 
 今年も残すところあと一ヶ月となってしまった、と感慨に耽りつつ、いずれ来るであろう師走の慌ただしさに心もスケジュールも乱されることを危惧でもすればそれらしい書きだしになるのかもしれないが、そんなことなぞ関係なしに目は覚める。夢を見た。断片的な夢だ。山本耀司とデヴィッド・シルヴィアンとそれか死んだはずの往年の作家が何人かとわが家の猫が出てきた。夢のなかで放尿したのだけは覚えている。いやに長い、気が遠くなるほど時間がかかる放尿だったように思えるが、夢のなかでは時間に尺度などあるはずがないからひょっとするとそれはほんの一瞬のことなのかもしれない。高校の同級生だったチュウタはひとつの惑星に文明が生まれ滅亡するまでをたった一晩で夢見たことがあるそうだ。朝起きていたらやたらと疲れていたらしい。今朝のぼくは疲れてはいない。ただ、ほんのすこし喉が痛いだけだ。膀胱は痛くない。ちんぽこも痛くない。だいたい、放尿疲れなんて聞いたことがない。関係のないことだが、惑星の栄枯盛衰を夢見たチュウタは、スノーボードの事故で死んでしまった。今、彼はあの世でどんな夢を見ているのだろうか。そこには夢と現実の境目なんてあるのだろうか。
 
 九時、事務所へ。一日中、黙々と先日の広島取材の内容を原稿にしつづける。要素が多すぎて、なかなかまとまらない。構成をかためるまでに四時間もかかってしまった。そして原稿を実際に書き上げるまでに五時間か六時間はかかったかもしれない。明日は記事のなかに盛り込むチャートを作成し、最後にタイトルとリードを考えなければいけない。
 二十一時、終業。カミサンと「それいゆ」に寄り、夕食を採ってから帰宅する。
 
 花子は日記を書いている今、ぼくが坐る椅子の座の部分で丸まってすやすやと眠り込んでいる。ぼくはお尻を前半分だけ椅子に載せ、貧乏臭いポーズでキーを叩きつづけている。その花子が、今日は記録的なことをしてくれた。長さ18センチにおよぶ長大な毛玉を吐きだしたのだ。でかい。発見したときは、ニンゲンのウンコかと思ってしまった。太さも形も色も曲り具合も、まさにウンコだ。体調がいいときの、半練り状の黄土色のウンコにそっくりだ。こんなものを腹につめたまま、飯を喰ったり跳ね回ったりしていたのかと思うと、猫の生命力と精神力――毛玉を気にせず生きる、という精神力――が尊いものに感じられる。
 フアフアフアフアという機械音が聞こえるが、どこから聞こえているかがわからない。裏手の建設中のマンションからだろうか。気分のいい音じゃないが、ウルセーとわめき散らすほど不快でもない。
 
 笙野頼子『パラダイス・フラッツ』。意図的に現実と夢との境界線を曖昧にする書き方。
 
 
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十二月二日(火)
「オイラきもちわるいです」
 
 八時起床。雨はすっかりあがり、明るい陽の光がリビングに射しこむ。トリたちが喜ぶかと思うと、ところがうれしがっているのはぷちだけで、きゅーのヤツは「オイラきもちわるいです」といいたそうな顔で、何度も吐きもどすときのしぐさをする。体調が悪いのだろう。少々心配にはなるが、餌を食べてはいるようなので、まあ大丈夫だろう。
 テレビの天気予報によると、今日の最高気温は十八度だという。一日の気温差が激しく、空模様も不安定と来ればトリだってそりゃ体調崩すさ、オレだってちょっと喉痛いもんな。
 
 九時、事務所へ。陽の光は十二月にしては力強く暖かな感じはするものの、風はいくぶん強めで冷たさもあるから、天気予報ほど暖かいとは感じられない。坂道に建つ一戸建ての庭の桜の木も、石垣に群生する蔓草も半分以上落葉してしまった。垣をすっかり覆い尽くしていた黄葉した葉はほとんどが道路に落ち、石壁には茶色くなった蔦だけがうねるように、からまるようにぶら下がっている。雨に濡れた岩肌が陽光を照り返して、ちょっとまぶしい。
 
 広島取材の原稿の最終確認、図表の作成など。何度もMacがフリーズし作業は一向にはかどらないが、十五時、なんとか納品。夕方は時間が空いたので、一気に帳簿付けをする。二十時帰宅。
 
 テレビ『開運なんでも鑑定団』に後藤真希が出ていた。この番組にアイドルが出演するのはめずらしい。
 テレビを観ながら。退屈なので麦次郎の体をこちょこちょして遊ぶ。すると麦はすぐに遊ぶ気になり、ぼくの手にかみついてこちょこちょを阻止しようとする。ぼくは噛みつき攻撃を巧みにかわしながら、両方の手を使って変則的に麦次郎をくすぐる。コイツの弱点はしっぽのつけねだ。ここをグリグリすると、本気で怒ることがある。ニンゲンでもくすぐりすぎると本気で怒りだす人がいるが、あれとおなじ状況になると思えばよい。今日はちょいとくすぐりすぎたようで、数分すると麦はプイとどこかに行ってしまった。
 
 笙野頼子『パラダイス・フラッツ』。「私は○○が嫌い」というコンセプトだけで、これだけの中編はなかなか書けないと思う。
 
 
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十二月三日(水)
「遅れてくれたほうがいい」
 
 うっかり目覚まし時計をセットし忘れていたのだが、習慣とはスゴイもので、七時五十分、すなわち目覚ましにセットしようとしていた時間にちゃんと目が覚めた。最近体内時計の仕組みを解明したとかなんとかいう記事を見かけたことがあるが――しっかりとは読んでいない――、だとしたらぼくのなかにも体内時計があるということか。それも、イヤミなくらいに正確なのが。花子の体内時計もスゴイ。ただしアイツのは体内時計というよりは腹時計で、朝五時になると必ずぼくを起こしに来る。精度はかなりいい加減で、腹が減るのがはやければ三十分繰りあがることもあるし、自分が眠ければ一時間遅れることもある。今朝は比較的正確だった。だがやはり陽が昇るまえに起こされるのは正直しんどく、時計は正確なのが一番だとは思うのだが、花子の腹時計に限っては、遅れてくれたほうがありがたい。
 
 九時、事務所へ。風邪気味なのでかかりつけの内科医のところに寄ってみたが、今日は残念ながら休診。そうなると妙に喉が痛く感じられるが、仕事をはじめるとそれが不思議とわからなくなる。
 O社系のNPO団体Nのポスターのキャッチフレーズなど。十六時、髪を切りに「Rosso」へ。担当の原田さんとインテリア談義になってしまう。十七時、事務所に戻りふたたび仕事につく。
 
 二十時、カミサンと帰宅。陽は三時間もまえに暮れたというのに東京の夜空は薄明るくて、ポカリと浮かぶ雲の間抜けな形も間抜けな白さもはっきりわかる。星が見たいなあ、と思いながら間抜けな夜空を見上げると、東南にひとつだけだが見つかった。その星はなぜか間抜けに見えない。
 
 笙野頼子『パラダイス・フラッツ』読了。『レストレス・ドリーム』で炸裂した言葉のエネルギー――爆発ではない。炸裂だ――を維持したまま、静かに、静かに書いたという印象を受けた。狂気の度合いは変わらず、といっていいだろうか。狂気のストーカーに悩まされる主人公もまた狂気の存在にほかならない。狂気は文体をすこしずつ緩やかでかつ混乱したものへと変えていき――導き、といったほうがいいかもしれないが――、ついには夢と現実の、この世とあの世の、人間と幽霊の区別もつかぬまま、ぶっきらぼうなラストを迎える。最後の一行だけ、引用。
 
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 私は、天国にいた。-----
十二月四日(木)
「音が聞こえると」
 
 昨日は目覚ましをセットし忘れないようにという意味で日記の冒頭に体内時計の話を書いたというのに、案の定今日もセットを忘れてしまい、それでも体内時計が正確に動いてくれていれば問題はないのだけれど、なぜか十分ほど狂っていたらしく、その分朝の貴重な時間がグンと減り慌ただしく身支度をすることになるが、こういう日に限ってカミサンの目覚めも妙に悪くてダラダラダラダラとしてしまうのだが、さほどイライラしなかったのは、今朝は久々に天気がよくてトリたちも機嫌よく鳴いていたからなのだろうか。麦次郎は上手に日だまりを見つけ、そこでちんまりとひなたぼっこをしている。陽の射す場所が変わると、麦の居場所もそれにあわせて移動することになるからちょっと慌ただしい感じがして、やはり猫にとっても朝はやっぱり朝なのだ、なんてことをぼんやり考えながら家を出る。九時十分。
 
 朝からNPO団体Nのポスターのキャッチフレーズを考えつづける。十七時、板橋にあるB社へ。デザイナーのNさんとクリエイティブの打ちあわせ。B社に来るのは二度目だが、前回は引越ししたてでまだ家具も揃わずガランとした広い空間がどこか寂しげで、それが板橋という東京の北にある場所のせいもあってか、北という方角に固有なさみしさ、さむさのようなものまで連想が広がってしまって、ああ、と妙にしんみりしたのだが、今日はさすがにデザイン事務所らしく、インテリアの選択には細心の注意を払っているようだ。白、赤などの原色のラックがパーテーション代わりに使われている。入り口のすぐそばに置かれた横長のマガジンボードくらいの大きさのフリーラックのうえに置かれた小洒落たミニコンポからは、J-WAVEが流れてくる。聞こえるのはJ-POPが多い。ウチの事務所は狭いからこんな家具の置き方はできないし、流す音楽はたいていクラシックかジャズ、あるいはイーノやフリップ、シルヴィアン、チューカイなんかのインストものだから印象はやはり静かな感じ。キャットキックとは対称的だと思った。歌声が聞こえると全然集中できなくなるタチだから、音の大きさに少々辟易してしまった。
 
 十九時、帰社。事務処理と残務を済ませて帰宅。二十時過ぎ。
 
 ドラマ『トリック』、『銭形金太郎』など観る。
 
 漱石『猫』。苦沙弥先生の顔の汚さについて。ひどい描写だ。ときに差別的な表現も見受けられるが、これもまた明治という時代の一部なのだろうなと思った。
 
 
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十二月五日(金)
「戦闘服/早退しました」
 
 月曜あたりからつづく喉の痛みが最高潮に達しつつある。朝起きたときの花子への「おはよう」の声のひどさにまず驚き、つづいて自分が意外にも咳きこみ体を前後に揺らしたりすることにも驚いてしまう。風邪だといえば一言で済む症状ではあるが、風邪という状態は日常を一変させる力があるので侮れない。八時に起きて顔を洗ってごはんを食べて、という一連の流れにたちまちよどみをつくり、意識はわずかながらもにごりはじめ、目のまえはビニールシート越しにみる世界のようにつくりものじみて感じられ、体もすこしずつ何かに侵食されているようになる。この感覚を自分のものにできればしめたもので、表現者としてはあの世に片足突っ込んだような作品を次々と制作できるのだろうが、あいにくぼくはコピーライターで得意先はそんなものは望んでいないのだから、やはり五体満足、健全な肉体と明瞭な意識はつねに維持しなければならないのだが、それでも妙な感覚に憧れてしまうという性向はあるようで、風邪をひくとつらさに辟易しながらも、心のどこかでウレシイなどと思っているフトドキ者なのだ、ぼくは。意識を現実世界に戻す。いや意識を日常生活に戻す。今日は先日営業メールを入れてみた某制作会社から「ぜひ会いたい」と返事をもらいアポイントをとったのを思い出し、ビジネスマンモードに思考パターンを切り替え慌てて身支度、先日購入したワイズのコートを戦闘服のように感じながら興奮状態で家を出る。
 
 十一時、飯田橋のN社へ。メールをいただいたT氏のほかに別部署の方が二名。さっそくスタジオ・キャットキックの業務案内と制作実績の紹介をはじめる。意外にも関心が高いようで驚く。N社の業務や現状などについてもお話を伺い、ぜひお役に立ちたいので、と挨拶をして御暇する。気づけば十二時半である。この手の訪問で九十分も時間をいただけたのは異例のことだ。驚く。
 
 事務所に戻る途中の電車が嫌で仕方なくなる。喉の痛みにくわえて背中が張ったような感じで痛くて、つり革に捉まって立っているのが拷問のように感じられ、早く西荻窪に到着してさっさと昼飯にありつきたいとばかり考えつづける。
 昼食は「海南チキンライス夢飯」にて、マレー風カレー。喉が痛いときにカレーというのはまずいかな、などとチラリ考えながらもバクバク喰った。
 
 十四時、帰社。事務処理、O社ポスターのコピー、見積など。体がしんどくなってきたので早退。かかり付けの医者に寄ってから帰宅。十七時三十分。二十時まで寝る。
 
 夜はバラエティ番組など観ながら食事。薬や夕方の睡眠が効いたのか、意外に調子がよいのでついつい『タモリ倶楽部』を観てしまう。地図特集。最近の『タモリ倶楽部』は、「タモリの趣味倶楽部」になっている。
 
 漱石『猫』。武士の魂をもった迷亭の伯父さんが臥龍窟へとやって来る。明治の人々はこれを時代錯誤な人物のステレオタイプと見て、その滑稽さに笑ったのだろう。名無し猫君の観察には批判の精神に支えられてはいるものの「馬鹿にしてやろう」といった意気込みはまるで感じられず、そういった視点からの描写ゆえに、より人物の滑稽さが鮮明に浮かびあがってくる。
 阿部和重『ニッポニアニッポン』を読みはじめる。「鴇(とき)」の文字を姓にもつ引きこもり少年の、トキ暗殺計画。閉塞感がよく出ていると思う。『インディビジュアル・プロジェクション』のようなアクション性やミステリー性は希薄。ヒッキーの心理描写も希薄。計画に至る経緯と計画を実行するまでの経緯、考察などが淡々と綴られているだけなのだが、それがヒッキー固有のコミュニケーション性の欠落や孤立感などをうまく演出できているように思える。おもしろすぎて、一気に三分の二も読んでしまった。
 
 
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十二月六日(土)
「どやされるのが聞こえる/トキとネットとヒッキーと」
 
 五時の猫ごはんタイムに花子に起こされることは日記に何度も書いているが、休日の場合、そのあともう一度、二度起こされるときがある。たとえば今日は、七時三十分ごろにフニャンと情けない声で耳元で鳴かれ、そのあと胸に乗られてしまった。眠いのでそのまままにしていると、そのうちいっしょに眠りはじめるか、飽きてリビングへ移動する。今朝はいっしょに寝てくれたが、顔や腹のあたりにくっついてくるのではなく足元のほうで丸まっているだけだから、ある種の疎外感のようなものを感じてしまうときもある。
 八時三十分ごろ、目が覚めて足元を確認するが、花子はすでにそこにはいない。裏手のマンションの工事がはじまっているようで、ガガガガガガゴッゴッゴッゴ「おやかたこれはどーすればいいんすか」バリバリバリバリ「○○○○っておしえたろーが」グググググググ「これはどーすればいいすかねえ」カキンカキンコキンカキン「ばかやろなんかいいえばわかるんだおめえなんかあっちで○○でもやってろ」と、騒音に混じって若い衆をしかりつける親方の声が聞こえつづけ、辟易して布団から抜け出した。花子もこれが鬱陶しかったのだろう。
 
 午前中は読書。午後も読書。十五時ごろ、退屈になってきたので荻窪駅まで歩くことに。古書店を何軒かまわり、タウンセブンにあるケーキ店「香味屋」で、生付プリン、インディアンプリンをひとつずつ購入し、帰宅する。
 帰りは駅のそばにあるお寺の境内のなかを通った。荻窪の地名の由来となった荻が軽やかな穂を風になびかせている。葉は先端が黄葉し、それがなびく穂とともに初冬のわびしさのようなものを感じさせる。銀杏の葉も半分くらいは落ちただろうか。地面には黄金色の絨毯ができていた。銀杏の葉の絨毯のうえで、散る紅葉の葉がさらさらと滑るように風に流されていた。紅葉した樹木を見るとその場では心が晴れやかになるが、通りすぎてからふり返ると葉の散るさまが妙に悲しげに見えてしまう。
 
 夕刻よりカレーを作る。奄美大島産のウコンをつかったというカレールーでポークカレーをつくるが、なんだか薬膳ぽくて心躍るカレーに仕上がらない。作っていて張合いを感じないカレー。カレーごときにさみしさを感じてしまった。
 
『めちゃめちゃイケてる!』などを観る。「数取団」は何度観てもおもしろい。
 
 阿部和重『ニッポニアニッポン』読了。すごいスピード。文学的な描写を省いているから、物語の流れによどみがない。『インディビジュアル・プロジェクション』もかなりのスピードだったが、こちらのほうがうえだと思う。これだけのスピードだというのに、物語は引きこもり少年のトキ密殺計画の考察が主軸になっているから、妙に観念的であったりもする。ひとことでいえば、妙な小説。
 ストーカー、引きこもり、インターネット。そして国家の象徴としてのトキ。現代日本の主要なエッセンスを巧みに作品に採りこんでいるが、だからといってこの作品が社会的であるとはいいがたい。エンディング間近、警備員をナイフで刺殺した主人公が、ケージからトキが逃げ出す直前の場面にある「――運命とは、全く無意味なものだ」にそれは現れているだろう。このことばをどう受け取るかは、ラストシーンにかかっていると思う。十代少年によるトキ解放と刺殺のニュースを知った引きこもり少年――彼は主人公に以前フリーメールを使って「拳銃を売る」と嘘の商談をもちかけた経緯がある――のモノローグで、物語は終わる。彼は自分が商談していた(からかっていた)相手が今回の事件の犯人であることをインターネットでほかの人間たちに伝えようとするが、案の定誰も信用してくれない。引用。
 
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 どうすれば信用されるものかと、真剣に考えてはみたが、ちっとも両案は浮かばなかった。メールでのやりとりを事実と裏付ける証明方法など、いくら思案を巡らしても、全く見当たらなかった。それ以前に、寄ってたかって馬鹿扱いされたことが腹立たしく、ムカムカしてしまい、当分は頭の中を整理できそうになかった。怒りを鎮めるのが先決だった。
 窓外の風景を見ているうちに、感情の波も平静に復し、気晴らしにどこかへ出掛けてみようかな、と彼は思った。久しぶりに外出してみるのも、悪くないような気がした。
 
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 保護されなければその血が途絶えてしまうトキと、インターネットという環境に保護されているかのように生きる引きこもり少年の対比。トキを密殺するということは、国家や社会常識に対する否定であると同時に自己否定をも意味する。だから主人公はトキ密殺を実現できなかったのだ。自己を否定することができなかった主人公は、死なずに逃げようとするトキを見つめながら「――運命とは、全く無意味なものだ」と、自分をトキ密殺へと導いた運命を否定することで、レゾンデートルを確保しようとする。
 
 
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十二月七日(日)
「セキレイ三色そろい踏み」
 
 五時に花子にごはんをあたえ、そのまま二度寝を仕様とすると珍しく麦次郎にあまえられた。腕まくらをして寝る。八時ごろに尿意で目が覚める。外は昨日までの天気をすべて帳消しにしてくれるような、爽やかな青空。こりゃ冬型の気圧配置だぞ寒いに違いないとその場ではチラリと考えたが、日曜日の怠惰な気分に呑み込まれるように、そのまま三度寝に突入、十時までグースカと惰眠をむさぼる。たかだか二時間の惰眠と思うなかれ。「八時間寝ました」といわれるのと「十時間寝ました」といわれるのでは、後者の方が聞いているほうは腹が立つ。睡眠とは贅沢なものなのだ。贅沢をすれば、ねたまれる。
 
 午前中は掃除とアイロンかけ。午後はちょっとだけ読書してから散歩。善福寺川沿いの遊歩道を吉祥寺方面に向って歩く。先週よりもコガモの数がずいぶんと増えた。カルガモ、オナガガモ、コガモが水面に顔を入れ、逆さまになって餌を食べているのが見える。彼らのガアガアやかましい鳴き声にまじって、キキキキキとセキレイの声が聞こえてきた。またキセキレイである。去年までは見かけなかった。どこかからまぎれてきたのか、それとも今まで気づかなかっただけなのか。今日はセグロセキレイもハクセキレイも見かけたから、これで善福寺川はセキレイ三色そろい踏みだ。
 吉祥寺との境目あたりの住宅街をとおって、女子大通りの骨董街のほうへと進む。西荻はアンティークの街だが、北側は日本骨董、南側は西洋アンティークと生活リサイクル品が多い。古書店が多いのもこの街の特徴。古いものを大切にしようという心意気があるのだろうか。
 そのまま事務所のそばまで歩き、萩原流行がよくお茶している喫茶店「Blue Leaf」へ。ブレンドコーヒーとケーキ。珈琲はさらりとした軽い口当たりだがしっかりした渋味がある。
「西友」で買い物をしてから古書店「比良木屋」へ。金井美恵子『迷い猫あずかってます』、それから大昔の別冊宝島『楽しい俳句生活』、『文藝』のバックナンバーを購入。カミサンは猫作家の作品の写真集と村上春樹『神の子どもたちは皆踊る』を買った。
 スーパー「富士ガーデン」の有機食品店「はやおき村」、「コープとうきょう」に寄ってから帰宅。
 
 夕食を終えてから『解決ビフォーアフター』を観ながら、もう必要のなくなった猫のケージをばらしてしまおうとしていると突然猛烈な便意を感じ、トイレに駆け込む。以後、二十三時まで下痢に悩まされる。おそらく原因は抗生物質だ。医者に処方してもらった抗生物質の風邪薬を飲むと、よく下痢をする。今回は大丈夫かと思っていたが、やはりダメだった。自分の体のことはしっかり把握しておかねば。
 
 漱石『猫』。気狂と正常人に関する苦沙弥先生の考え。それを読心術で読みとる名無し君。
 
 
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十二月八日(月)
「イタミ一進一退」
 
 七時三十分に目が覚める。ちょっと動くと尻や股のあたりに激痛が走る。目覚ましが鳴るより早く目が覚めてしまったのはおそらくこの痛みのせいだ。坐骨神経痛の症状は一進一退、一生付きあいつづける人が大半だという話を聞いたが、ぼくもまたその仲間入りというわけか。痛みは感じるが機能的に不都合があるわけではないのがまたやっかいで、カイロプラクティックでかなり快方に向ってはいるが、それ以外にもなにか自主的に処置をすべきなのだろうが、なかなか割りきって治療に専念しようという気にもなれない。
 
 八時起床。身支度をはじめると痛みは次第に和らいでくる。長時間おなじ姿勢というのがいけないのだろうか。家を出るころには、痛みなぞほとんど感じていない。
 
 九時、事務所へ。空気は十二月らしい冷たさで、どこかに秋の名残りがあるように思えなくもないのは、おそらく紅葉したもみじが一戸建ての庭に色を添えているからだろう。落葉し実だけがぶらりと残った柿の木もまた秋の名残りだ。でもあと数週間で、秋はすべてどこかへ消えて、木枯らしばかりが吹くようになる。耳が冷えるのが苦手だ、などと考えながら事務所へ急ぐ。
 
 N社事例の原稿修正など。さほど忙しくもなく、マイペースにこなせる一日。新聞を整理していたら、ジャコメッティの「歩く男」が紹介されているのを見つけた。好きな作品である。
 夕方は年賀状づくり。ここ数年は、その年の時事ネタをインチキ漢文にしたてあげたものを使っている。今年は「トリビアの泉」「バカの壁」「田中真紀子政界復帰」「毒まんじゅう」「二大政党時代突入」「マニフェスト」「t.A.T.uドタキャン」などをいれることに。去年より政治色が強いかな。
  
 二十時帰宅。空にはわざとらしいほどに明るい満月が浮かんでいる。雲はない。月夜の冬空は、秋の青空以上に高く、果てしなく見える。青空はどこかで終わる、という感覚があるが、漆黒の夜空は気づけばそのまま宇宙へとつながるようなのだ。
 夜になったらまた坐骨神経痛が暴れだした。まいった。
 
 漱石『猫』。細君のうるさい「起きてよ攻撃」に抵抗する苦沙弥先生。
 多和田葉子『犬婿入り』より、「ペルソナ」を読みはじめる。この人の作品を読むのははじめて。
 
 
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十二月九日(火)
「♪とくいなりょうり とくいなりょうり とくいなりょうり は」
 
 八時起床。カミサンがなかなか起きてこないので――いつものことではあるが――起こしに行くと、夕べはひどい腹痛と胃の不快感に悩まされつづけたとつっかえたような声で言っている。そのまま寝かせておく。この人は寝れば治るタイプだが、病院に行くよういい聞かせてから仕事へ。
 
 何が起きていたのか、何をしていたのかがわからなくなるほどに混乱した一日。新規物件が立て続けに入ったかと思えば、到着するはずの資料がなかなか届かず、待っていると今度は別件の電話が入る。状況を整理しだすとたちまち電話がなる。そうこうしているうちに、あっという間に十九時。夕食にキンレイのなべ焼きうどんを買って帰宅する。
 
 昨日の日記に満月がどうのこうのとつづった記憶があるのだが――読みかえせばいいのに、していない――、今夜の月はさらにいっそう丸みを帯びて、妙に白っぽく輝いて見える。空は墨をそそいだような黒さで、昨日の藍色を帯びた、果てしなく広がっていそうな空とはまるで違う表情だ。昨日の夜空はどことなくさみしげな感じだったが、今日の空は、真黒いせいなのだろうか、低くて届きそうな気がする。だがじっと見ているとそのまま漆黒の闇に吸いこまれて、月のうえあたりに吐きだされてしまいそうに思えてくる。馬鹿馬鹿しい空想をしながら家路を急ぐ。
 
 元気になったカミサンとキンレイのなべ焼きうどんを啜る。数年前の正月に放映された、女の子が鞄をブンブン振り回しながら「♪とくいなりょうり とくいなりょうり とくいなりょうり は」と歌う不思議なCMでキンレイという会社を知った。しょせん冷凍と侮るなかれ。これがなかなかうまいのだ。うどんはこしがあってしっかりしているし、汁のダシも本格的だ。着色料や保存料は当然使用していない。
 
 多和田葉子「ペルソナ」。うーん、カフカだなあ。埴谷雄高が書くカフカ。そんな感じ。
 
 
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十二月十一日(水)
「ネロは清で、パトラッシュは斑」
 
 五時三十分、花子の威圧的な無言の要求に気圧されやむなく起床、ごはんを与えるためにリビングに向うと、ホットカーペットのうえで麦次郎がグースカと寝ている。普段はかならずぼくらのベッドで枕を占領するようにして寝るので――おかげでカミサンの寝相がひどくなる――、この姿は新鮮でちょっと驚いた。キッチンの明かりを点けると目を覚まし、こちらを見あげたのでそのまま抱きかかえて花子といっしょにごはんを食べさせた。ぼくは猫たちが食べ終わるまえにベッドにもどったが、麦次郎は結局リビングで寝つづけたようである。八時にちゃんと起床したときも、五時半のときとおなじ、キッチンからみるとホットカーペットの手前右側の隅っこで、毛布に半分くるまるようにして、そして自分の体で自分の頭をくるむようにして眠っていた。いっしょに寝たくない理由があるのか、それともたんなる気まぐれなのかはわからない。寝ている姿はいつもとまるで変わらない。
 
 九時、事務所へ。朝晩と日中の気温差が激しいのだろうか。昼間はコートなど着なくてもまあいいか、といった気分であちこちうろうろできるのだが、朝はしっかり着こんでおかないと体が寒さで動いてくれないように思える。もっとも東京の朝の冷えこみなぞたいして厳しくはないはずなのだから、そう大げさに寒い寒いということもないのかもしれない。十月に買ったコートを着れることがうれしいからか、寒いことがちょっとうれしく感じる。
 
 溜まっていたメールに返事を出していたら、あっというまに午前中が過ぎてしまう。午後より外出。飯田橋のN社にて、Y社営業支援ツールの打ちあわせ。帰りに新宿により、最近不調でときどき動作しなくなっていたマウスを新調する。ついでにPDAの液晶保護カバーも購入。
 
 十六時、帰社。もどってからはY社の打ちあわせ内容をまとめなおしてアイデア出しをしようと思っていたのだが、以前提案したO社のデジタルノベルティ企画が採用となり、そちらの対応でてんてこ舞い。さらにO社――デジタルノベルティとは別会社――のポスターのデザインチェックもしなければならず、もう何がなんだかわからなくなる。あっという間に二十一時。ヤケクソな気分で帰宅する。
 
 帰宅途中に「わしや」で買ったエビフライ弁当をカミサンとふたりで食べながら『トリビアの泉』を観る。そうか、ネロは清で、パトラッシュは斑か。
 夜は『マシューズベストヒットTV』。この時間の番組は、金曜以外は全部観ている。
 
 多和田葉子「ペルソナ」読了。異国で暮らすということを、ちょっとおかしな角度から描いた作品。日常の衝動が、異国で強く感じられる「日本人」の血、ヨーロッパ人のアジア人差別、日本人の他のアジア人差別などによっておかしな方向に揺り動かされていく。物語中盤にいけないと思いつつも危険な地区に足を向けてしまう主人公は、能面=無表情で世界と接することができる道具を得ることで、堂々と――アイデンティティを維持しつづけるには――危険な社会と対峙することができるようになる。という話。
 
 
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十二月十一日(木)
「金井美恵子かとオモタヨ」
 
 六時にバリバリバリと花子がベッドのマットレスで爪を研ぐ音を聞いて目が覚め、ごはんを与えてからまた寝たのだが、七時半にもう一度バリバリバリとマットレスを引っ掻かれて目が覚め、そのまま八時まで半睡眠とでもいおうか、夢うつつ、何度も睡眠と覚醒を繰りかえしたりその中間のような状態がつづいたのだが、体を起こすとこわばった感じこそすれ、妙な眠気はまったくない。外は寒くトリたちも寒がっているのではないかと心配になり暖房のスイッチを入れようかとも思ったが、オーブントースターと併用するとブレーカーが落ちるのではないかと危惧し、結局暖房はいれずに身支度をはじめたのだが、トリたちはいたって元気で寒さ知らずのようだ。もっともきゅーの籠はヒヨコ電球二連装備の寒冷地仕様だからさほど寒さは感じまい。ぷちは能天気にギョギョギョと鳴きわめいているから心配する必要もない。花子はウロウロしているが、麦は全然起きてこない。
 
 九時、事務所へ。Y社営業支援ツールの構成とコピー、O社CD-ROMのコンテンツ案のチェックなど。十三時、デザイン会社B社のGさんが来る。Y社の件の打ちあわせ。十四時過ぎ、やっと昼食。カミサンと「オリジン弁当」で買ってきた弁当を喰いながら、昼のワイドショーを見てしまった。呑気なもんだ。ぼくらが、じゃない。テレビが、だ。
 食後もY社の件。同時進行でO社ポスターのデザインチェックも進める。夜、カンプ出力。バイク便を予約してからY社の件にまた戻り、終わったのは結局二十二時。近所のクソまずいラーメン屋でひどい味のラーメンを食べてショックを受けてから帰宅する。PDAの「メモ帳」ソフトにつくった「食」の欄に、しっかり今日行ったラーメン屋の店名と味のひどさを書いておいた。じつはこの店、一度食べているのだ。そのときもひどいと思ったのだが、人間の記憶とはいい加減なもので、じつは体調が悪くてマズイと感じただけじゃないのかとか、ほかのメニューがアタリでそのときはハズレだったんじゃないかとか勝手な想像をしているうちに、味の記憶がどんどん曖昧になり、そのうちひどい味という事実自体が薄れてペラペラになってしまったのだ――この店のラーメンのチャーシューのように。メモの内容は完璧だ。これで二度とおなじ過ちは繰りかえさない。
 
 二十二時四十分、帰宅。入浴。『銭形金太郎』を半分だけ観る。今日はハズレ。
 
 多和田葉子「犬婿入り」を読みはじめる。芥川賞受賞作。書き出しを読んで、金井美恵子かとオモタヨ。引用。
   □ □ □
 昼さがりの光が縦横に並ぶ洗濯物にまっしろく張りついて、公団住宅の風のない七月の息苦しい湿気の中をたったひとりで歩いていた年寄りも、道の真ん中で不意に立ち止まり、斜め後ろを振り返ったその姿勢のまま動かなくなり、それに続いて団地の敷地を走り抜けようとしていた煉瓦色の車も力果てたように郵便ポストの隣に止まり、中から人が降りてくるわけでもなく、死にかけた蝉の音か、給食センターの機械の音か、遠くから低いうなりが聞こえてくるほかは静まり返った午後二時。
 
 
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十二月十二日(金)
「小刻みな小便」
 
 三國連太郎扮する海原雄山と勝負をしたり、それがいつのまにかマンガ版の海原雄山になっていたり、古着屋でバックを物色したり、小刻みに小便をしたりする夢を見た。夢は例によって花子の起きてよ攻撃によって中断されたわけだが、もし花子が起こしてくれなかったぼくは小刻みに少量ずつ、ところかまわず小便したあとに夢のなかで何をしたのだろうか。気になる。二度寝してからも夢を見た。ぼくは妙に明るい色調のインテリアが目に刺さるようなわざとらしさのある喫茶店で、ビールを飲んで仕事をさぼっている。昔の会社の後輩がケータイで電話をかけてきた。もっていたケータイが古かったのを覚えている。ドコモでいえば、P201とか、そのあたりではないだろうか。以上、夢の話終わり。
 
 八時起床。天気予報は今日の最高気温が十七度だと報じているが、小雨のぱらつく外を見ると、そんなものはまるで信じられない。結局一日中さほど気温は上がらず――昨日よりは暖かかったが――、騙されたことになってしまった。が、騙されたと感じたのは夜になってからのこと。
 
 九時、事務所へ。十時にバイク便で昨日出力したポスターのカンプを送付。ほぼ同時にT社のPさん来社。N進行組合の件、打ちあわせ。打ちあわせ後、すぐに資料整理と原稿作成にとりかかる。
 十三時三十分、パルコブックセンターへ。阿部和重『ABC戦争』、笙野頼子『水晶内制度』、『群像』1月号、けらえいこ『あたしンち』9巻、ますむら・ひろし『アタゴオルは猫の森』6巻、それからN進行組合の件で必要になった資料を購入。十四時三十分、カイロプラクティック。十五時四十五分、帰社。十六時過ぎ、ふたたび外出。先日メールで訪問を取り決めた代理店のU社へ。等々力である。かの地はもちろん、大井町線なるものに乗るのもはじめてだ。土地勘がないので少々乗り換えにまごつく。十九時、帰社。
 
 二十時に退社し、カミサンと近所の焼肉店「明月館」へ。下味のつけかたがしっかりしていて、なかなかの味。二十二時、帰宅。
 
 花子、またゲロを吐く。今日の毛玉は8センチくらい。
 
 漱石『猫』。電車のなかで読んでいたのだが、思わず笑いだしてしまう箇所が多くて困る。皮肉な笑い。名無し君の緻密な人間観察は、名無し君自身は意図しなくともブラック・ユーモアとなる。漱石もこの作品だけはニヤニヤしながら書いたんだろうなあ。
 
 
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十二月十三日(土)
「集中しすぎた」
 
 九時起床。ひさびさの休日出勤である。いつもと一時間の差があるがいつもとおなじことをしてから、つまり着替えて朝食を採って歯を磨いて髪を整えてから、家を出る。違っていたのは、朝食を食べながら観る番組が、『トクダネ』ではなく『渡部篤史の建もの探訪』であることくらいである。
 外は一時間遅い出勤だからなのか、それとも今日が特別暖かなのかはよくわからないが、秋空よりも高く見える青い空と柔らかな陽射しが気持ちよい。これで仕事でなけりゃ最高だな、などと皮肉なことを考えながらいつもの道を歩く。桜の木の葉はすっかり落ちきったようで、名人がつくった繊細な銀細工のように複雑にからみあいながら伸びる枝が、青空とのコントラストで先のほうまでよく見える。
 
 十時過ぎ、事務所へ。一日中N振興組合の件に取り組む。十三時過ぎ、「Y's Cafe」で昼食。ゴーヤカレー。「いつもありがとうございます」といわれた。店の人に顔を覚えてもらえたようだ。
 
 十五時ごろ、カミサンも事務所へ。N振興組合ホームページのイラストを描いてもらう。ぼくはモクモクと編集作業。二十二時、ようやく終了。コンビニで冷凍の鍋焼きうどんを買ってから帰宅。
 
 集中しすぎたのか、疲れてしまって帰宅後の読書はまったくできず。風呂ですこしますむら・ひろし『アタゴオルは猫の森』6巻を読んだくらい。
 
 
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十二月十四日(日)
「不思議なキムチ」
 
 七時、花子にごはんをせがまれる。おそらく五時くらいからずっと起こしつづけていたのではないか。昨日の疲れで体も脳みそもいうことを聞かないような、そんな感覚にふりまわされながら無理やり起きあがってキッチンへ。ごはんを与えたあとにリビングのカーテンを開ける。向かいのマンションのちょうど屋根のあたりに朝日が輝いているのが見えた。陽の射しこむ角度が悪いようで、わが家のリビングはまだうす暗いままなのだが、それでもわずかに、窓のうえのあたりから鋭角に朝日は入ってきて、リビングを通り越して和室のほうをチョロリと照らしている。トリたちはぼくの気配に気づいたのか、それとも朝日に気づいたのか、目を覚ましたようでギョギョギョギョと鳴きはじめたので、籠にかぶせた布を取ってやる。麦次郎は起きてこない。ぼくの枕とカミサンの枕のあいだに挟まって、体を丸めてグースカと寝ている。ふたたび床に入り麦の頭をなでてやると、体の向きをぼくのほうへ変え、喉をならしながらまた丸まった。ぼくもおなじように体を丸める。二度寝。
 
 十時、花子がまた起こしに来る。ぼくの体のうえにポサリと乗りあがり、朝の麦のようにゴロゴロ喉を鳴らしながら揉み手をする。わかったから、今起きるよと話しかけると、ことばの意味がわかったらしく花子はすぐにぼくから降りて、ベッドの横でぼくが起きるのを待つ。布団から抜け出しリビングへ向うと、花子もいっしょについて来た。
 
 遅い朝食を採ってから、風呂場で鳥籠を掃除する。午後からは吉祥寺へ。カミサンの画材、猫缶などを買ってから帰宅。十八時。
 
 夕食はキムチ鍋。「吉祥寺ロンロン」の韓国食材店で購入したキムチチゲ用のキムチを使った。煮込めば煮込むほどコクが出る、不思議なキムチ。
 
 多和田葉子「犬婿入り」読了。不条理。おもしろいしテクニカルでもあるんだけれども、よくわかんなかったです。芥川賞受賞作なんだよなあ、コレ。「ペルソナ」のほうが好みだな。
 
 
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十二月十五日(月)
「三十男のちんこ丸出し/『三日坊主のクソガキ』とか」
 
 八時起床。カーテンを透かして届く朝日が気持ちいいが、今日一日の忙しさを思うとさほど気分は高揚しない。カミサンも今日はするべきことが多いから、いつもより早く目が覚めたようだ。テレビはフセイン大統領発見のニュースでにぎわっている。気になるが、ワイドショーに見入っている場合ではない。
 
 九時、事務所へ。西に向って駅へと伸びる道のうえに広がるうっすら青みがかった空に、ぽかりと半月が浮かんでいる。道の両わきに並ぶマンションの間からフッと飛びだしてきたように見えた。西の空にあるのだから、月はまもなく沈むのだろう。沈むのが早いのか、それとも太陽の光にかき消されるのが先なのか。
 
 O社販促用CD-ROMのゲームの企画、N振興組合ホームページ、Y社営業支援ツールなど。午後、カミサンと代理店N社へ。カミサンの作品を使ったある企画の打ちあわせ。今はまだナイショ。
 
 夜はふたりで残業。バンバン電話やらメールやらで急ぎの案件やら追加オーダーやらが舞いこんでくる。師走ならぬ広告文士走。二十一時、「桂花飯店」で夕食。ぼくは豚の甘みそ炒め、カミサンは麻婆春雨。すこしもらった麻婆春雨の挽肉が気管に入ってむせてしまう。むせかたが悪かったようで、鼻の穴に挽肉だか春雨の切れっぱしだか、なにかが入ってしまったようで、それが気になりごはんの味がわからなくなる。
 二十三時、店じまい。今朝通った道、つまり西の空に月が浮かんでいるのを見つけた道を逆に辿って帰ると、今度は東の空に、かすかに煌めく星たちにまじって、ぽかりと半月が浮いていた。今度の月は、昇りはじめたばかりのようだ。入るのと出るの、両方見たんだねとカミサンがいった。そのことばに妙に関心してしまった。月が昇りやがて沈むのは自然の摂理だから両方見れるのはあたりまえだという先入観があるから、それがじつは都会においては貴重な体験なのかもしれないということがまったくわからなかったのだ。
 
 帰宅後、またもや花子が長ゲロをしているのを発見。今度のは10センチ弱といったところか。
 入浴後、「内村プロデュース」をすこしだけ観る。風呂場でフリチンで「だるまさん転んだ」をやっていた。三十男のちんこ丸出し。ぼくはこういうのが大好きだ。
 
 漱石『猫』。かわいそうな武右衛門君。迷亭と寒月のインチキ囲碁の観察。
 
 夜、大江健三郎『二百年の子供』を読みはじめる。子供たちに読んでもらいたいという意図で書きはじめられた作品のはずだが、妙に読みにくい。ことばづかいを平易にしようという気持ちと、大江が本能的にもっている文章能力とがうまくシンクロナイズされていないという感じを強く受ける。軽い文章は必ずしもわかりやすいとは限らない、という典型的な例なのかもしれない。これは子供向けではない。個人的には『静かな生活』など、平易で軽い言葉を使いながら、日常生活に潜む危機的状況を描こうとしたころの作風と文体が好きなのだが――『万延元年』も好きだし『憂い顔の童子』もかなり気に入っているが――、これはちょっと、という感じ。まあ、読みはじめだからなあ。
 この作品、挿し絵は舟越桂だ。『永遠の仔』の表紙の木彫りの彫刻の、あの作家である。本作にも障害をもった子供が登場するのだが、その子を描いたと思われる挿し絵が、舟越独特のあの外向きの斜視をしているので、いやになるほど切なく、悲しい気分になってしまう。
『永遠の仔』から『二百年の子供』である。ずいぶん短縮されたなあ、と思った。つぎは『三日坊主のクソガキ』とか、そんなタイトルの小説の装丁をやってほしい。
 
 
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十二月十六日(火)
「気にならない/おばちゃんになったふたり」
 
 夕べ寝るまえにジョニー・ウォーカーをストレートでクイッとやったら妙に目が冴えてしまい、ウトウトとしてもすぐにハッと意識が明るくなって、そのまま布団のなかでウダウダしつづけ、しばらくするとまたウトウトしはじめるのだが、すぐにハッと意識が明るくなって、そのまま布団のなかでウダウダしつづけ、の繰り返しだ。気づいたら花子にごはんをせがまれていた。眠っていたのか、いないのか。ぜんぜんよくわからない。
 
 おかしな眠り方をしたので八時に目覚まし時計がなってもなかなか起きる気力が湧かなかったが、いったん体を起こすと眠気がうそのように消えてしまったのは、今日は忙しくなることがわかっていたゆえに気合いが入っていたからだろう。テレビの天気予報で冬型の気圧配置であることを聞き冷えこむ一日になるだろうと考えても、それがまったく苦にならない。というよりも、そんなことはどうでもいい、というくらいの精神状態なのである。
 
 九時、事務所へ。N社マーケティング事例、N振興組合、O社CD-ROMなど。夕方、新規案件がガンガン舞いこんでくる。
 二十一時すぎ、終了。カミサンと年内で閉店する「キッチンちゃたに」へ。ハウスワイン(ロゼ)、ジャンボハンバーグ、ハッシュドビーフ。カミサンが店のおばさんに猫作家をやっていることを話したら、子猫の写真がはいったはがきをもらえた。
 
 夜、一夜限りの復活版『パパパパパフィー』を観る。うーん、おばちゃんになってパワーダウンした感じ。
 
 大江健三郎『二百年の子供』。三章になって、ようやく文章がこなれてきた感じ。子供向けの文学作品と意識して読むと、かえってこの作品のテーマや本質が見えにくくなってしまいそうな気がする。大江はやさしく書こうとしているようだが、やはりこれはひとつの文学作品であるのだから、それなりの読み方が読者には強いられるわけなのだから、高を括った態度でこの作品に接してはいけないのだ。おそらくぼくはそこを勘違いをしたまま読みすすめていた。
 
 
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十二月十七日(水)
「今日の事件簿」
 
●ただひたすらにシュレッダー事件
●ざっくりカムフラージュ事件
●ウンコしてたら時間が足らなくなった事件
●ハワイで結婚式事件
●ヘビーだなあ事件
●ごめんねOさん事件
●立ち読みでいいソフト見つけちゃった事件
●「まるや」のおやじと無駄話事件
●上海の変な貝事件
 
 漱石『猫』。バイオリンを買おうとする若き日の寒月。干し柿を食い尽くした若き日の寒月。
 
 大江健三郎『二百年の子供』。うろの木で見た夢は三人ともおなじだった。
 
 
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十二月十八日(火)
「うりゃ君を思いだす」
 
 八時起床。また坐骨神経痛が悪化しはじめている。気温の低下が原因なのだろうか。
 
 九時、事務所に行くまえに荒木眼科医院へ。アレルギー性結膜炎の目薬がなくなってきたので新品を調達しようと思ったのだが、一時間半も待たされてしまう。待合室は年金受給者で溢れかえっている。ここの先生は名医と評判だから、そういった情報を口コミなどで――おそらくは体のほかの部位やほかの症状を見てくれる病院の待合室で――得た老人たちが自然と集まってくるに違いない。
 
 十一時、事務所へ。大急ぎで掃除をして、荻窪へ向う。O社の企画を進めるための資料集め。ドコモショップ、auショップ、ボーダフォンショップとケータイの店をはしごする。客を装い入店して、印刷物を片っ端から頂戴し、ケータイのモックをいじるフリをしてPOPの観察をする。怪しまれているだろうなあ。自分自身はドコモユーザだから、他店ではなんとなく肩身が狭い。
 
 午後は事務所に戻り、O社の企画に着手。それからE社POPのコピー。今日はとにかく情報を頭につめこんでみた。明日、構成と細部を考えようと思っている。二十時、帰宅。
 
 冬型の気圧配置だったらしく、朝は強い風に身を縮ませながら荒木眼科へと向った。ドコモショップやらを回ったときも、冷たい風に髪が乱れた。体感温度を二度、三度低く感じさせる冬の風は夜になるともう止んでいたが、陽が落ちたぶんだけ冷え込んで、ぼくはやはり朝とおなじように身を縮ませながら、いつもの道を小走りした。自分が来ているナイロンのフード付きコートが走るリズムにあわせてガサガサと音を立てる。ちょっと息があがってくる。今年の三月に、カミサンからインコのうりゃうりゃが危篤だという連絡を受け、事務所から家まで全力疾走したときのことを思いだした。あのときも風はなかったが冷え込んでいて、ぼくはおなじコートを着て、ガサガサと音を立てながら――そのときはそんな音のことなんて構っていられなかったが――走った。あれから九ヶ月か、とふと思う。猫たちとはまあなんとかうまくやっているし、残されたきゅーはショックで体調を崩したが、最近はかなり元気になった。ぷちもぼくたちニンゲンになつき、立派なわが家の一員になってくれた。それでもココロのなかにはうりゃ君がいた場所というのがあって、そこはほかのドウブツたちに置き換えられるということはなく、うりゃ君はあいかわらずうりゃ君のままでいつづけている。
 
 テレビ朝日『トリック』最終回、TBS『マンハッタンラブストーリー』最終回を立て続けに観る。前者は予想通りの大団円。後者はいい加減にしか観ていなかったのでよくわからないけど、カミサンはおもしろがって魅入っていた。
 
 大江健三郎『二百年の子供』。ようやく待ちに待ったタイムトリップの最中の話に。百二十年前の「童子」メイスケさんと「三人組」の出会い。
 
 
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十二月十九日(金)
「常套句」
 
 八時起床。最近は布団に入っていてもひんやりとした空気の冷たさを感じるようになったが、起きあがってみると不思議と寒くはなく、腰の痛みをかばうようにして身支度をするがそれは寒さのための痛みというわけではないようで、一時間もすれば普段となんらかわらなくなってくるのだから、体が季節の移り変わりに敏感に反応しているというわけでもないのだろうが、それでもやはり腰痛もちとしては、「冬は腰が痛くなって困る」という常套句を挨拶代わりについつい使いたくなるものなのだが、近ごろは仕事以外で人と会うことは、職業柄かめっきり減ってしまったので、この常套句を使う機会もなくて少々さみしい思いをしているのだが、そんな気分は毎朝ぼくを起こしに来てくれる花子とぼくら夫婦の横でグースカ寝ている麦次郎、そしてリビングでギョギョギョギョと奇声をあげて張りきっている二羽のセキセイインコたちが和らげてくれるのだが、猫やトリたちには腰痛を和らげてくれるほどの力は当然ないわけで、腰の痛みを感じることなく、痛みが引くまで一時間堪えつづけることもなく、ごくごく普通に起きあがってごくごく普通に身支度できればいいなあなんて思うことがあるのだが、当然ながら今朝八時に寝ぼけたアタマでぼくがそこまで考えていたかといえばそんなことはないわけで、ウワェコシイテェイェヨォ、なんてつぶやきながら昨日とおなじようにリビングへ向う。花子がぼくのよこをスッタカターと走りぬける。リビングでぼくが来るのを待っている。麦次郎は、まだ寝ている。
 
 九時、事務所へ。今日の空はすこし曇り気味だが冬空の青さは十分感じられはするのだが、高さがみょうに足りないようにみえるのがつまらなく、それでも雲の形が微細に変化するようであれば眺めていても楽しいのだけれど、雲は綿をうすくうすく引張ったその先の部分みたいに存在感が希薄なようで、それでもしずかに流れていくのであればこれまた一興、しかし地上はすこしだけれど風があるというのに空の世界は静止したままのように見え、今日が休日でここがどこかの緑の土手のうえだとか空気のうまい山のうえだとかラベンダー畑だとかそんな場所であれば、止まったままの空もまた観察していて楽しいものなのだろうけど、残念ながら今日は休日、おまけに師走という慌ただしい時期で、マンションの建設工事がやかましい西荻窪の駅の側、動かない空に憧れのような気持ちは抱くものの、それをじっと見ているような余裕もないし、そんな場所でもあるまい、西荻窪は。
 
 O社パンフレット、N振興組合ホームページ、O社CD-ROMコンテンツ、Y社パンフレット。どれかひとつをはじめると、ほかの件の問合せや追加資料、指示などのメールや電話がバンスカと入り、集中することができずに困り果てていたらいつのまにやら夜になり、なんとか今日の予定を終わらせることができたので、二十一時五十分、カミサンと近所のイタリア料理店「ラ・フェリーチェ」でパスタを食べてから帰る。
 
 夜、『タモリ倶楽部』を見る。肛門科の医師に聞く医療の実態。と書くとドキュメンタリー番組のようだが、当然ながらこの番組ではそうならない。ぼくも痔に悩まされているが――ここのところは快調である。ほとんど痛まない――、もっとひどい人もいて、彼らはとんでもない処置や手術をされるのだと知って、自分が検査のときに仰向けになって足をかがめて医師に尻を向け、肛門をビローンと広げられてなにやらよくわからん器具――今夜の番組で、それが何なのかがだいたい検討がついた――を突っ込まれ、覗かれ、指も突っ込まれ、グリグリと触られているときにうける辱めは、じつはたいしたものではないのだ。
 
 漱石『猫』。寒月のバイオリン購入顛末記。彼の話がうんざりするほど長いという点、この馬鹿馬鹿しい点を強調するだけのために漱石が用いているテクニックの凄まじさよ。『猫』はシニカルで呑気な小説ではあるが、それはやはり漱石の小説技術に支えられているのだなあ、だからこそこの作品は歴史に残ったのだなあと痛感しつつ、電車のなかでニヤニヤしながら読んだ。痛快物として『坊っちゃん』が対比されるが、こちらも『猫』ほどではないがテクニカルな小説である。
 大江『二百年の子供』。ここ数年の大江節なんだけれど、意図的に描写が減らしてある分、逆に子どもたちは世界観をイメージしやすいのかもしれない。心理描写なんて、ほとんどないもんなあ。あっても、サラリ程度。
 
 
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十二月二十日(土)
「猫忘年」
 
 九時起床。坐骨神経痛をかばいながら猫用の毛布やら猫用のおもちゃやら猫用のごはん皿やらこれは猫用ではないが新聞やらで散らかったリビングを片づけていたら三十分もかかってしまった。散らかり具合がひどかった訳ではない。腰が痛かっただけだ。
 
 午後よりカミサンと外出。西荻窪「信愛書店」にて、鈴村和成『金子光晴、ランボーと会う』、金井美恵子『噂の娘』を購入。「西荻牧場ぼぼり」でアイスクリームを買い、事務所に本を置き、冷蔵庫に入れておいた戴き物のハムなどをもって、高円寺在住のテディベア作家(であり猫のボランティア活動家でもある)小林きのこさんの家へ。十四時、ベンガルを二匹飼っているくみぷり。さんと駅で待ちあわせ、きのこさんご夫婦と合流。きのこさん宅で猫をはべらせながら――実際は、猫に遊んでもらったというのが正しい――、おでんと日本酒でクリスマスパーティー。猫自慢だけでなく、猫話以外のディープな話でも盛り上がる。オリックス谷と田村亮子の結婚披露宴らしいが、誰もそんなことには興味をもっていないようだった。有名人の華やかな、そして見栄と成り上がり根性の結晶ともいうべき披露宴よりも、目のまえにいる愛らしい猫たちと過ごすダラダラした酒宴のほうが、よっぽど楽しいようである。
 特筆すべきは、きのこさんが飼っている猫たちだ。豆大福はペルシャとエキゾチックなんとか――忘れちゃった――のハーフらしく、顔はぺっしゃんこで手足の短いペルシャの血をひく三毛猫だ。三毛猫だから、メスだ。レディーだ。千歳飴はスコティッシュフォールドだ。耳が丸まっているのでドラえもんや、カワウソやイタチといった耳の小さな動物に見える。体毛は青みがかった鼠色で、ロシアンブルーなどに似ていると思った。この子もメスだ。三匹目は胡桃餅という。かぎしっぽの三毛猫だ。捨て猫を保護したそうなのだが、日本猫の血が濃いようで、日光東照宮の左甚五郎作の眠り猫みたいな顔をしている。美猫である。ぼくは猫たちにはまったく相手にされなかった。カミサンは「当然だ」といっている。
 夜は沖縄料理店「きよ香」へ移動。ゴーヤチャンプルー、グルクン、パパイヤの漬物、モズクの天ぷら、海ぶどうなどをつまみながら、話は延々とつづく。とぎれない。
 二十三時三十分、解散。ピュウピュウと音をたてながら吹きすさぶ北風に身を縮ませながら家に帰る。耳がいつまでたっても暖まらない。
 
 大江『二百年の子供』。百二十年前の「逃散」についていった子どもたちの傷ついた足を治療するために、ふたたびタイムトラベルに挑む「三人組」。
 
 
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十二月二十一日(日)
「今日の事件簿」
 
●今朝のニュースで披露宴見たけどキビシイゼ事件
●モノクロプリンタはもうだめか?事件
●日曜は集中できていいね事件
●マイナスイオン腹巻事件
●おかえりお義母さん事件
●ステーキ焼いてみました事件
●アイロンはそんなに溜めてません事件
●ネムイ事件
 
 
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十二月二十二日(月)
「へっぴりの朝」
 
 十二月に入ってから坐骨神経痛が悪化しつづけている。しかし症状がひどいのは朝だけだ。起きてすぐのときは歩くことはおろか起きあがるのも苦痛で、顔を洗うために体をかがめて蛇口から流れる水を手ですくおうとするだけで、尻から股にかけて激痛が走る。ゆっくりと、そして小さな声でうめきながらの洗顔は想像以上にカッコ悪いものだ。ふつうにかがむと痛むのだが、内股になって股と股、膝と膝をピタリとくっつけ、膝からしただけ開くように外に構えるとやや痛みが和らぐことに気づいてからは、洗顔はかならずこの珍妙なポーズですることになった。自分の姿を自分で見ることはできないが、自分の姿を想像することはたやすい。頭のなかにへっぴり腰で顔をしかめながらバシャバシャと水を使う自分の姿がたちまち浮かびあがってくる。他人にはあまり見られたくない。
 朝はこんなに苦しんでいるというのに、事務所についたころには痛みはすっかり引いているのだから不思議だ。九時、事務所へ。東の空から西の方へ向って、雲がグラデーション状に伸びている。頭のうえあたりを見あげると、薄くひっぱられたようなかたちの雲が、青い空を透かせている。雲越しの青はとても弱々しそうであるが、それでも青空があるのはうれしい。
 O社パンフレット、N振興組合、O社CD-ROM、Y社パンフレットを、例によって同時進行。十七時、CD-ROMの件でP社のJさんと打ちあわせ。十八時ごろから電話ラッシュがはじまる。二十時ごろまで、なりっぱなしだ。うんざりするが、仕方がない。ベルがウンともスンともいわないくらい暇な状態よりはマシだし、ありがたいからだ。二十一時三十分、終了。「欧風カレーY's Cafe」で石垣島スペシャルを食べてから帰る。エビ、カニ、ホタテ、アサリ、イカのカレー。シーフードがちょっと水っぽい感じで具になじんでいなかったのが残念。おいしくはあるのだが。
 
 大江『二百年の子供』。例によって、妙に賢すぎる子どもたち。近年の大江氏の作品には、馬鹿な子どもは登場しない。みんな賢い。そして温和だ。そんな人物設定でも十分物語に起伏を与えることができるのだから、やはり大江氏はウマイよなあ、と思う。
 
 
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十二月二十三日(火)
「爺臭い春/調子が狂う」
 
 卒業式のころの陽気とでもいおうか。冷たい風を陽射しが押さえこんでいるような、そんな暖かさを感じる朝だ。坐骨神経痛をほとんど感じないのはこの暖かさのせいなのか、それとも夕べ念入りにしておいたストレッチの効果なのかはわからないが、足元で甘える花子にかがみ込んで朝の挨拶をしても、洗面台で顔を洗うために中腰の姿勢になっても、痛みはまるで感じない。快適である。まだ冬ははじまったばかりだというのに、もう春が待ち遠しい。痛みから開放される春。いささか爺臭い待ち遠しさではあるが。八時三十分起床。
 
 九時三十分、事務所へ。休日出勤だ。年末の忙しさが最高潮に達するこのころに祝日ができたために、なんだか毎年調子が狂う。ここ数年はこの日は労働日と決めこんでスケジュールを組んでいる。そのほうが楽なのだ。無理に休もうとすると、別の日にしわ寄せがくる。O社パンフレット、E社POPなど。十八時、終了。
 
 帰宅後はのんびりテレビを観る。ここのところ忙しすぎてカリカリしていたので、リラックスしようというわけだ。
 
 大江『二百年の子供』。メイスケさんとの再会、タイムマシンの約束を破る朔。
 
 
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十二月二十四日(水)
「猫たちの孤独/猫たちのクリスマス」
 
 サラリーマンだったころにアラビア語や中国語、イタリア語などいろんな言語で東芝の海外向けエアコンのカタログを制作していたときがあった。翻訳は当然のこと、海外の書体で写植を打つ必要があったので、そのカタログのデザインと版下の作成は外国語の制作を専門に扱っているプロダクションに依頼していたのだが、そこの営業の人に東芝のビル――浜松町のシーバンスだったと思う――から田町の駅までクルマで送ってもらっているときに、彼が赤ん坊の夜泣きに悩まされているということを、とてもイヤそうに話してくれた。この手の話は、たいていの場合は子どもかわいさにのろけながら、でもちょっと苦労している面も見せることで話の本質的な親馬鹿さみたいなものを誤魔化すためにすることが多いと思うのだが、でも彼の場合は、顔はゲロでも吐いたあとじゃないかというくらいに青ざめていて、おまけに頬の肉がほとんど動かない無表情、運転中はよそ見することもなく、真っすぐまえを見たまま抑揚のない声でぼくに「つらいんですよ」と語ったのだから、本当に子育てがきつかったのだろう。今でもときどき彼の石の表面のような顔を思いだすことがある。ぼくには子どもはいないが、猫の夜泣き、もとい夜鳴きに困らされることはときどきある。昨夜も花子がフニャンフニュアンと情けない声でなきわめき、それが気になって眠れなくなってしまった。おそらく彼女の鳴声は「おなかがすいた」とか「あそんでほしい」とか、そういった欲求を表現するためのものなのだろうけれど、ぼくやカミサンにはどうしても、それ以上のメッセージが込められているように聞こえてしまう。「さみしい」とか。その声に応えるために、夕べは何度も花子の名を呼んだり、起きあがって食事を与えてあげたり、体を何度もなでてあげたりした。冬至がすぎて、一年のうちで夜がもっとも長い時期だ。昼間ぼくらが慌ただしく働いているあいだ、退屈な時間を十分すぎるほど眠ってすごしているのだから、長い夜に突然さみしさを感じてしまっても不思議ではない。昼間は麦次郎もいっしょなのだが、それでもやはり、猫たちはみな孤独なのだ。
 
 夜中に何度か起き、これでは次の日にひびくかななどと思っていたが、興奮してしまったのだろうか、結局いつもよりかなり早い七時すぎに目が覚めてしまい、そのまま布団にもぐり込み、顔だけ出して八時が来るのをじっと待った。布団のなかでぎょろぎょろ目を開けたまま、というのはアホな病人みたいである。まあ、実際アホな病人とぼくは大差ないのだが。八時に起きあがるが、今日も腰は痛くない。リビングは暖かで、今朝も向かいのマンションの屋根越しに、朝日が鋭角に入り込んでいる。麦次郎が日だまりを見つけ、そこでじっと丸まってひなたぼっこをしている。花子は家中をうろついている。
 
 九時、事務所へ。午前中は銀行で給与振込、外注費支払、見積や請求書の発行など。午後からはE社POPのコピー、O社POPのコピー、Y社パンフレットのチェックなど。
 午後、キヤノンのメンテナンスマンのZさんが来る。Mac OS 9からグレースケールでプリントできないことを話し、対策を考えてもらうようお願いしていると、Macが突然フリーズし、そのまま起動不能になった。何度リセットボタンを押してもOSの読み込みがはじまらない。Zさん、やはり業務用で毎日ハードにパソコンを使っていると、三年くらいしかもたないといっていた。ぼくのMacは今年で4年目である。ハードディスクは一度換装したが、ほかの部分がイカれているのかもしれない。6回目のリセットでようやく起動することができたが、こわくて集中して作業できなくなる。とはいえ、新しいMacを買ってもう一度ソフトをインストールしなおしているような時間はまったくない。困る。
 
 二十時、店じまい。カミサンと西友によってから帰る。クリスマスイブであるが、西友はとてもこみあっていて、意外にもハセキョーちゃんみたいな雰囲気の――あくまで雰囲気――おしゃれな通勤着に身を包んだ若いOLさんが――ハセキョーちゃんじゃないOLさんも多かったけど――、一人でお弁当を買っているのを何度も見かけた。イブは特別な日であるが、なにかを祝う日ではなくなっている。要するに、遊ぶ日なのだ。遊ぶ相手が見つからなかったら、一人で食事をするだけだ。
「こけし屋」で小さなモンブランとショートケーキを買う。これがわが家のクリスマス。カミサンは、猫たちにクリスマスプレゼントを買ったといっている。何かと思ったら、猫じゃらしだった。いつもよりちょっと値の張る缶詰めも買ったそうだ。
 
 花子は値の張る缶詰めを、食べた途端に全部吐いた。麦を抱きかかえて飛行機の離発着の真似をして遊ぶ。なんの真似かは絶対に理解していないはずなのに、麦め大興奮である。これを書いている午前一時、遊び疲れた麦は押し入れのなかにもぐり込み、グースカ、スピーと熟睡している。
 
 夜は『笑っていいとも特大号』を観る。今年の歌合戦の傑作は、ココリコ田中の宗方コーチでキマリだろう。爆笑問題のt.A.T.uもおもしろかった。
 
 大江『二百年の子供』。嵐のなか、タイムマシンでメイスケさんに会いに行く三人組。しかし、そこにいたのは牢獄のなかで病に伏した、死を直前に迎えたメイスケさんだった。
 
 
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十二月二十五日(木)
「トンチンカンはトンチンカンだ/迷亭の名字が思いだせない」
 
 夕べしつこく遊んであげたせいだろうか、麦次郎が何日かぶりにいっしょに寝ている。ヤツがたてているらしいスピースピーという鼻息が寝室の暗闇のなかで妙にスッキリと響き渡っている。
 
 八時起床。なんでも昨日は石井竜也だとか桜井幸子だとか芸能人が何人も結婚したり婚約したりとめでたい日だったようで、朝の芸能ニュースはこの話題でもちきりとなっているが、そんなことよりぼくはやはりマルシアと大鶴義丹の離婚危機が気になって仕方がない。義丹のおとーちゃんである唐十郎が関係修復のための舞台を計画しているそうだ。なんだかトンチンカンな話である。関係の悪化した二人がおなじ舞台に立つのだろうか。仮に立てたとしても、それはプロ根性から立ったまでの話だろうし、仕事の成功が結婚関係に影響を与えるとはぼくはとても思えないのだが、しかしおとーちゃんはふたりとも役者であるのなら、役者魂の底につうじるもので共鳴させればいいのではないか、とでも考えたのだろうか。なるほどそれも一理あるようだが、やっぱりよくわからん。トンチンカンはトンチンカンだ。
 じつはマルシアも義丹も他人とはちょっと思えないのだ。他人だが。マルシアは、五年ほどまえに一度インタビューしたことがある。テレビではすらっと背が高いようにみえるのだが、じっさいはちっさいねーちゃんである。当時はねーちゃんだったが、今はちっちゃいオバチャンかもしれん。義丹のほうは、これは確信はないのだが、新婚旅行で訪れたタイのサムイ島にあるホテルで、義丹そっくりの男を目撃したことがある。あきらかにちっさいねーちゃんとは別の女とプールで泳いでいた――んだっけ? よく覚えていない。ギタンだギタンだと騒ぎはじめたのはカミサンのほうなのだ――義丹。ギタン。ギタンと書くと外人のようだが、顔はおもいっきり日本人だ。ニッポン人のオッサンだ。ぼくはあの顔をみると鴨川シーワールドにいたマンボウくんを思いだす。もっともマンボウくんのほうがギタンくんより色白だ。おとーちゃんは唐だ。十郎だ。カラ・ジューローだ。カタカナで書くとたちまち国籍不明になるが、おとーちゃんもやはり日本人顔なのだろう。親子そろってあの顔なのだろうか。ぼくは戯曲家や舞台演出家には詳しくないから、カラ・ジューローの顔を知らない。知りたくもない。だがギタンとそっくりなら見てみたい。しおれたギタン。しおれたマンボウ。マンボウ親子とその嫁の舞台。マンボウ舞台。そんな感じか。よくわからん。トンチンカンな想像か?
 
 九時、事務所へ。ここ数日暖かな日がつづいている。枯れ葉が乾いた音をたてながら道のうえを舞うこともなく、落葉した木々の枝が冷たい風にしなることもないせいか、季節という感覚が狂いかけている。風も物音もなく、ただほんのり暖かな陽の光が夜のうちに冷えきった空気を暖めている様子が、なんだか正月の呑気な雰囲気に似ているようで、どこかに正月っぽいものはないだろうかと目をこらしてみるが、見つかるのは今日限りで撤収される運命にある赤と緑のリボンに飾られたクリスマスのリースや、年末の大掃除で大量に出てきたわけのわからん燃えるゴミばかりだ。ゴミを見ると、せわしない気分になる。ゴミそのものがではなく、ゴミを捨てるという行為にせわしなさがあるのだと思う。
 
 E社POP、Y社パンフレットなど。十五時より五反田でE社の打ちあわせ。L社のZさんがじつはピアニストだったことをはじめて知る。カラオケ好きで歌がうまいことは知っていたが、筋金入りの音楽ニンゲンだったわけだ。おなじL社のNさんは妹さんの結婚式がハワイであったそうで、昨日までそちらにいたはずなのだが、ぜんぜん焼けた様子がない。どうしてだろう。
 十七時、新富町のB社へ。O社パンフレットのコンペの打ちあわせ。誌面構成をつめなおした。年末年始、ちょっとだけ返上しての作業となる。あーあーあ。
 
 十九時三十分、帰社。事務処理などを済ませてから帰る。二十一時。
 
 夕べ録画しておいた『明石家サンタ』を観る。八木ちゃんが今年も出ていたのでびっくりである。今年のヒットは五時間も彼女を待ちつづけている青年かな。
 
 漱石『猫』。苦沙弥先生の未来論。未来人はどうやら死に急ぐらしい。ぐずっていると、警官にバンバン殺されちゃうらしい。うーん、当たらずとも遠からず、だな。
 ところで。苦沙弥先生の名字は「珍野」であることをようやく思いだした。すると、娘の名前は「珍野とん子」に「珍野すん子」か。ひどいなあ。
 越智東風。水島寒月。八木独仙。あれ迷亭の名字が思いだせない。
 
 
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十二月二十六日(金)
「偏頭痛がひどいので短めに」
 
 仕事納めの日なのだが、全然終わらない。このままでは年が越せない。どうしよう。
 
 漱石『猫』読了。最終章は落語っぽさが希薄になり、ニンゲンの存在意義のような哲学的命題に関する雑談がつづく。名無し君の存在もそのぶん弱まるのだが、なにやら悲観的・厭世的・虚無的な話の流れは実業家である多々良三平による金田嬢との婚約話で崩壊し、俗っぽい雰囲気のまま一同は解散することになる。そこで名無し君の死だ。瓶のなかで溺れ、あがき、やがてあがくことが無意味であることをさとり、死をあっさり受け容れ「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、有難い有難い」と呑気に悟りながら天国にのぼる名無し君の様子は、そのまえに展開された俗物インテリたちの話の流れと合致していることに気づいた。漱石は猫の視線から明治の日本社会を観察するという設定から、最後は猫自身の存在にに人間社会そのものを投影させようとしたのではないかとぼくは思う。そう考えると、一見滑稽にも見えるこの最後の描写――死の描写なのだが、それなりの切なさ、やりきれなさもあるにはあるのだが――こそが、漱石が書こうとした最大のアイロニー、すなわち人間社会の崩壊の暗喩ということになるか。  
 
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十二月二十七日(土)
「雪と頭痛と正月支度」
 
 Puffyのふたり、すなわち大貫亜美と吉村由美のふたりと遊んでいる。そんな夢をみた。理由はわからない。
 夢のせいかは定かでないが、何度か夜中に目が覚めたようだ。花子にごはんを与える五時ごろは覚えているが、そのまえかあとかに、もう一度目が覚めている。そのときに見たのがPuffyの夢だったと思う。よく覚えていない。思いだせないのは偏頭痛のせいだろうか。一晩熟睡――といえるかどうかわからないが――して、たしかに痛みは引いた。おかしな眩しさも感じなくなってきたし、モノを考えるのが苦痛になるほどの痛みはもうない。だが、九時に起きあがると横になっているときには気づかなかった鈍い痛みと、ほんのすこし頭がクラクラし目まいがするような感覚がある。不安になったので、病院に行ってみた。かかりつけの内科でどうも偏頭痛のようだと説明したところ、偏頭痛用の薬のサンプルを二錠ばかりいただき、とりあえずこれを飲んで、おさまるようだったら後日処方してもらうことになった。眼科にも行くよう指示されたが、やはりかかりつけにしている荒木眼科は今日は休みなので、ほかの眼科に行ってみる。眼圧――目を麻酔して、眼球のうえに機器を載せて計測する――、眼底カメラ、視野測定などをしてもらう。緑内障などの傾向はないそうでその点は安心だが、偏頭痛の原因は一向にわからず、結局年明けに再検査することになった。目薬をいただき、診療所をあとにする。
 
 風が冷たい。偏頭痛のことばかり書いてしまったが、今朝はそれよりもまずカーテンを開けたら向かいの一戸建てやマンションの屋根、庇にうっすらと雪が積もっていたことに驚かされた。帰宅途中、雨がぱらついてきたなとカミサンと話しあったのはよく覚えているが、どうやらそのあと雪となっていたらしい。夜中に何度か目が覚めたというのに、雪の気配にはまるで気づかなかった。雨はザアサア、あるいはシトシトといった音を派手に――シトシトは派手ではないが――伴いながら降るものだが、雪にだって音はある。外が白銀に染まるのを玄関先やすこしだけ開けた窓から見ていると、シンシンという音がかすかに聞こえてくる。あれは降り積もった雪のうえに、さらに雪の結晶が重なるときにたつ音だろうか。かすかな気配が、耳をすましていてもわからなくなる。それがマンション住まいなんだなあと思う。都会で暮らすということは、かすかに響く自然の音との決別を意味するのかもしれない。
 
 十二時、事務所へ。今日も仕事だ。ある程度終わらせておかないと、ホントに年を越せなくなる。E社POPのコピー、O社パンフレットの台割、誌面構成など。十五時すぎ、おなじ西荻でエステサロンを開いているkaoriさんがご主人といっしょに遊びに来る。ご主人はウチで挨拶したあと、そのままひとりでうれしそうにマンガ喫茶へと向っていった。『ドラえもん』と手塚マンガのマニアなのだそうだ。ぼくが学生のころ、『美味しんぼ』の連載タイトルと掲載された料理について「それは何巻に収録で…」と事細かに説明できたのとおなじようなことが、『ドラえもん』でできるらしい。スゴイなあ。kaoriさんはカミサンとすぐにお茶に出掛けてしまった。カミサンが猫カレンダーを納品するのと、花子が実践しているレメディという治療法の報告をするために会うようだが、ふたりはかなり気があうらしいので、単純におしゃべりしたいというのもあるのだろう。うらやましくおもいながら、ひとり事務所で作業を進める。
 
 十七時、吉祥寺へ。年を越すための仕度もしなければならないのだ。重箱、餅などを購入してから帰宅する。二十時。
 
 帰宅後、すぐに風呂へ。頭痛がとれてくるような気がするが、これは温熱効果ではなくて単純にリラックスしているからだろう。偏頭痛には、マッサージや温熱療法はほとんど効かないらしいのだ。
 
 大江『二百年の子供』。父――大江自身がモデルらしい――からのファクスレター。
 
 
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十二月二十八日(日)
「限りなく同窓会に近い忘年会」
 
 九時起床。心地よい晴れ方だなあ、などと感じながら掃除をはじめる。冬になっても「小春日和」ということばは使えるのかな、とカミサンに聞くと、十一月にしか使えないといわれた。カミサンは絵描きだが、ニホン語の使いかたに妙なくらいこだわるタイプだ。大学では国文を専攻していたからか。風呂のカビとりをしてから外出する。
 
 十四時三十分、新宿で高校の同級生のNとJと合流。忘年会だ。彼らと会うのは年に一、二度だから忘年会というより同窓会にちかいのだが、そんなことはこの際どうでもいい。会って飲むことが重要なのだ。
 軽くお茶をしてから「テアトル新宿」へ。ケラリーノ・サンドロビッチ監督・ともさかりえ主演の映画『1980』を観る。月曜ドラマランドみたいだ。映画のあと、居酒屋で乾杯する。以前は高校時代の思い出話ばかりをしていたが、最近はもっぱら家庭の話ばかりである。子どものいないぼくだけが、話題に入れないこともある。まあ、そんなもんだ。
 二十二時、ふたりはちょっとパチンコを打ちたいといいだした。ぼくはあのけたたましい音のなかでは偏頭痛がおこりそうなので失礼した。
 
 古井由吉『杳子・妻隠』より、「杳子」を読みはじめる。「ようこ」と読む。
 
 
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十二月二十九日(月)
「物語、ではあるが」
 
 八時三十分起床。ダラリと起きあがるが宿酔いというわけではないし、飲み疲れているわけでもない。起きてみると意外に爽快な気分なのに少々驚くが、おそらくこれは仕事を忘れて映画やら酒やら近況報告やら馬鹿話やらで気を紛らすことができたからか。しかしあいにく今日は出勤である。今年最後のワーキング・デイ。
 
 O社パンフレットのコピーを黙々と書きつづける。十五時四十分、なんとかフィニッシュ。これで明日は自宅で年越しの準備ができる。十六時、吉祥寺に行きカイロプラクティックへ。先生に偏頭痛の件を報告すると、内科や眼科よりもまずウチに連絡をしてほしかったといわれてしまう。なるほど施術してもらうと、首と頭の境目のあたりがこわばっていて、触られるとひどく痛む。首の骨のゆがみが三叉神経などに影響を与え、耳がおかしくなったりすることがあるということも説明された。今回はそれが頭痛という形で現れたようだ。なるほど。
 十七時、吉祥寺パルコの「白山眼鏡店」へ。偏頭痛の予防としてサングラスの着用を勧められ、昨日はコンタクトレンズにサングラスといういでたちで新宿をうろついていたが、アレルギー性結膜炎で目が真っ赤に充血してしまったので、思いきって度付きサングラスを新調することにした。
 注文を終えてから、「ワイズフォーメン」へ。来シーズンのコレクションの写真を見せてもらう。もろストリート系。うーん、コレクション外の企画モノに期待するか。ヨウジのほうはスカートだしなあ。
 多忙で体を壊してしまったカミサンとぼくの共通の友人――もともとはカミサンの同級生――の551に、吉祥寺三越でお見舞いの品を購入し、事務所に戻る。軽くお片づけをして、ご用納め。ごくろうさまでした。
 
 夕食は戴き物のカモ肉で鍋をする。美味。獣肉に近い、と食べるたびに思うのだが、何肉にいているかといわれると、困る。
 
 大江『二百年の子供』読了。名作の予感もしたのだが、未消化な印象が強いのはなぜか。SF的な発想に頼りすぎたゆえの、作品の「ゆがみ」がそう感じさせているのかもしれない。また、極端に読者として設定されていた子ども――大江が考えていたのは中学生か――を意識しすぎているがゆえに、表現上の技巧が中途半端に排除され、それが読みごたえを薄れさせているというのもあるだろう。おなじ内容の話を、大人向けの「小説」として書いてほしいと思う。この作品は「物語」ではあるが、「小説」とは呼びにくい。
 
 
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十二月三十日(火)
「掃除しかしてない」
 
 九時三十分起床。一日中、延々と掃除する。猫たちは、めずらしくずっとぼくらふたりが家にいるのに全然かまってくれないと、ちょっと拗ねているようだ。寝室、書斎、廊下、風呂の掃除を済ませたところで力尽きる。
 残り、あと一日。どこまで掃除できるか。
 
 
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十二月三十一日(水)
「今日も掃除しかしてない」
 
 九時起床。昨日終わらせることができなかった大掃除を、今日こそは完璧に終わらせないと年が越せない。そのプレッシャーと戦いながらの掃除となる。和室、リビングと済ませた時点で十五時に。鳥籠の大掃除もしてやり、最後に洗面所をきれいにして、時計を見ると十八時。なんとか年内に掃除を終わらせることができた。
 
 夜はフライングでおせちの一部――といっても、かまぼことハム、お煮しめくらい――を食べながら、ダラダラとテレビを観る。三局が紅白の対抗として格闘技戦をぶつけてきたと話題になっているが、さほど興味がないので毎年恒例になっている大槻教授とたま出版の韮沢氏とのバトルがあるテレ朝の超常現象特番を観る。しかしこれももうマンネリ化していておもしろくない。ちょっと退屈。
 花子はテーブルに並んだ見慣れぬ食べ物に興味を抱きつづけている。押し入れで眠りはじめていた麦次郎をたたき起こし、猫たちとともに二〇〇四年を迎える。二〇〇三年は、勢いだけはある年だった。内容が伴ってくれれば、と思う。
 
 古井由吉「杳子」。三人称二元描写から、三人称一元描写への切替え。キャラクターの内面を読者に理解させるためのストーリーの組立てかたが秀逸。
 
 
 





《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。最近「やっぱり漱石はスゲエ」と痛感している。

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