「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

二〇〇三年十月
 
 
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十月一日(火)
「今日も仕事ばっかし」
 
 九時三十分、事務所へ。翌四時まで仕事。徹夜。
 
 
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十月二日(水)
「今日も仕事ばっかし」
 
 十一時、事務所へ。翌四時三十分まで仕事。徹夜。
 
 
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十月三日(木)
「歩くことは好きだが」
 
 歩くことは好きだが、ゆっくりたらたらと足を進めるのは好きではないのは高校時代に陸上競技をやっていたからか、それともたんにせっかちなだけなのか。帰宅する足が思うように動かない。四時三十分だ。すでに朝刊は配り終えているのだろうか。前日は配付している最中に帰宅することになった。見上げると東南の空にオリオンがあるのがわかる。普段、帰宅するときにはまだオリオンは空に上ってはいないのだろう、冬空によく似合う砂時計のような星の配列が、妙に新鮮に見えてくる。帰宅後は短めに風呂に入ってから、猫に朝食を与えてから寝た。
 
 十時三十分起床。五時間は寝たか。眠りたりないのだろうか、頭痛がするが不快さに顔をしかめるほどではない。ゆっくりと身支度し、十二時すぎに朝食と昼食を同時に採ってから事務所へ向かう。
 
 十月にはいってから、西荻の街は金木犀の香りに包まれてしまった。風に乗ってただよう香りにまず気づき、辺りを見回すと丸くキノコのかさのように刈られた木が小さく可憐な山吹色の花をたくさん咲かせているのが見つかる。こんな小さな花なのになぜ香りはこれほど強く魅惑的なのだろうか、とこの季節が来るたびに考える。花の美しさとは、色や形だけでなく、香り、そして季節もその要素になる。
 
 事務処理を済ませてから、カイロプラクティックへ。三日連続で徹夜したからカラダはボロボロだよ、と先生にいうとすぐに「またですか」と笑われた。施術が終わったあと、吉祥寺の街をブラブラ。金木犀が香らないのがさみしく思える。三越にはいり、英国式足裏マッサージの店にはいった。カイロだけでは物足りないと思ったからだ。足裏をいじられているというのに、躯全体がほかほかとしてくるから不思議だ。腰や脊椎と関係のある部分が固くなっていた、と言われた。足首をまわすよう心がけるとよい、というアドバイスも受ける。
 
 帰社後、D社PR誌の構成をすこしだけ考える。二十時帰宅。
 
 帰宅後は夕食を楽しみ、テレビを見ながらのんびり過ごす。これが正常なニンゲンの生活。
 
 中上『地の果て 至上の時』。実父という存在を受け容れるか否か。しかし、その問題は秋幸の存在そのものにはさほど大きな影響を与えないのかもしれない。彼は無理やりに実父を意識せぬよう心がけながら、実父のもとで働きつづける。
 
 
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十月三日(金)
「リズムが違う/予定が違う」
 
 八時起床。ようやくいつもの生活のリズムに戻ったように頭では思うが、躯は逆に「ここ数日とパターンが違うぞ」と叫びだしているようだ。その叫びが全身をずっしりと重くさせているに違いない、と考え、だったら思いきって今日は仕事などせずグースカと寝坊助を決めこむつもりになってみるが、すでにスケジュールは埋まっており、そんな願いは叶うべくもない。しぶしぶと身支度し、事務所へ向かう。
 
 九時三十分、外出。新高輪プリンスホテルへ。クライアントE社の新商品の展示会を視察する。L社のNさんと会場で合流。途中に演歌歌手やデビュー前の新人の歌が挿入され、華々しいイメージが演出された。社運を賭けているのがひしひしと伝わる。
 会場を出て、Nさんと鮨屋で昼食。
 
 帰社後、予定ではO社パンフレットの校了作業があるはずだったが、得意先事情で新規の原稿が挿入されることになってしまい、校了日が月曜に延期となってしまった。午後はパンフレットの文字校正、それからしばらく放置してしまっていたD社PR誌のヒアリングシート。なんだかんだで、二十二時までかかってしまう。
「それいゆ」で夕食をとってから帰宅。二十三時。
 
 中上『地の果て 至上の時』。秋幸の義父である繁三と義兄の文昭が営む「竹原建設」に不況の影が差しはじめる。
 
 
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十月四日(土)
「ウンコの塔」
 
 そのトイレはとても高い場所にあるようだ。水洗式なのかそうでないのかは、便器を見ただけでは判別できない。卵のような便座の形は明らかに洋式のものだが、その蓋を開けるとそこに水は溜まっておらず、便を受ける穴が下へ下へとつづいている。どれほどの深さなのかは、覗いただけではわからない。奥に暗闇をたたえた便器の穴は、地の果てまで続いているに違いない、とぼくは思う。その洋式便器のうえに和式便所をつかうようにしゃがみこみ、下腹部に力を込めて便をひり出す。便は途切れることがない。長い長い大便は一定の太さを保ったまま、便器の奥の暗闇に向かって延々と落ちつづけるのだ。やがてぼくは便を出しきる。トイレットペーパーで肛門を拭き、ズボンをあげるために立ち上がり、便器のなかに視線を向ける。そこにはぼくがひり出した大便が、バランスを保ったまま、細かく揺れながら立っていた。暗闇からウンコの塔がぼくに向かって伸びているように見えてくる。だがその塔は下から上に伸びたのではなく、上から下に落とされたものだ。ぼくの大便は、どうやら暗闇の果てにとどいたらしい。ぼくは右手に握っていた尻を拭いたあとのトイレットペーパーを便器のなかにパラリと捨てる。微量の大便がついたその紙は、ウンコの塔に触れることなく、ゆっくりと暗闇のなかに落ちながら消えた。
 
 馬鹿馬鹿しい夢を見てしまった。夢のなかで小便や大便をすることが、なぜかは知らんが昔から多い。しまった寝小便か寝グソかと慌ててパンツのなかを確認するが、幸いなことにこれまで粗相してしまったことはない。昨夜の夢は、これまでで一番象徴的な内容なのではないかと思えるのだが、何を象徴しているのかが、ぼくにはさっぱりわからない。
 
 九時三十分起床。秋晴れの空が広がっている。いつもより高くなったと感じる空に広がる鰯雲を見ると、秋が来たことが実感できる。キンモクセイの花の香りと空の高さと雲の形が、ぼくにとっての秋のサインだ。
 
 十一時、事務所へ。新事務所に行き、掃除などを済ませる。十四時、カミサンと吉祥寺へ。PDA用のメモリーを買ってから「貴婦人のカリーパン」でカレーパンを食べる。ユザワヤなどに寄ってから、荻窪へ移動。「オリンピック」で猫缶、鳥の粟穂、ビデオテープなど購入。西友、ルミネなどにもチラリと寄ってから、義母の家へ。引っ越してから、桃子が新居に慣れるかが心配だったが、杞憂だった。桃子は元気そうにぼくらを迎え、ときどき甘えたり遊べと命令したりして威張りくさっている。相変わらずだ。義母がパソコンの調子が悪いというので設定を直す。夕ご飯をごちそうになった。
 食事しながら「めちゃめちゃイケてる!」の特番を観る。モーニング娘。の運動会。あんまりおもしろくなかったなあ。二十一時すぎ、帰宅。
 
 中上「地の果て 至上の時」。白痴の子を孕ませ行方をくらませていた徹と秋幸の再会。
 
 
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十月五日(日)
「小川に期待」
 
 習慣から七時に目が覚めるが、そのあと二度寝、三度寝とくり返し、気づいたら十一時を廻っており、慌てて身支度しようとするが、寝すぎた躯はなかなかいうことを聞いてくれない。半眼のまま小股でリビングへ向かうと、トリたちがぼくの姿を見てなのか、ギョギョギョと大きな声でわめくように鳴く。
 
 午前中はテレビ東京の『ハローモーニング』を観る。やはりおもしろくないと思ってしまう。だがまったくもってつまらないというわけではない。最近の注目カブは五期メンバーの小川だ。こやつのはじけっぷりは、全盛期の保田圭を凌駕する。一年も経てば大化けするということか。
 
 午後より事務所へ。O社パンフレットの文字校正、新事務所の移転を知らせるためのハガキのコピーなど。カミサンは「ギャルリカプリス」へ。四月に個展が決まったようだ。順風満帆、てところかな。
 
 夕食はてっとりばやく鍋にする。豚肉をつかった水炊き。豚と白菜は相性がいい。これを、シークアーサーのポン酢で食べるのが、わが家の流儀だ。
 
 中上『地の果て 至上の時』。実父浜村龍造と山に入るが、足を怪我してしまう秋幸。龍造は秋幸に、「アレの好きな山のカミが女院広げて待っとるのに」男根の好きな女の山のカミが自分をないがしろにして癇癪を起こしたのだといい、全裸になって水に入るか走り回るかして「チンポ見せたれ」と命じる。服を脱ぎ、水に入って身を清める親子。この章の最後、ちょっと印象に残ったので引用。
 
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 朝の日が山の端から徐々に降りて来て渓流の上の方を照らし水を細かい粘る粉末のように光らせていた。浜村龍造が水音をたてて歩いて川原に立ち、事務んの脱いだ下着で胸をぬぐい、自慢の背の刺青をぬぐうのを見て、秋幸は上がろうと思ったが、川につかった皮膚から粘るように光る水の精気が寒気とともに体に滲み込んでくる気がして、水の中に何度も身を潜らせ、青みの淵で泳いだ。淵から足の立つ浅瀬にもどり、水の勢いに体をもみしだかれながら歩き、ふとこの土地にもどった最初、六さんの家の前の渓流に引かれるように入った事を思い出した。秋幸は自分が確かめたかった事はこの事だと思った。秋幸が歩いて来た山も夢を見て眠ってしまっていた草むらも今は粘る光に包まれ、歩いた事も眠った事もなかったように無表情に光の中で包まれ脹れあがっている。渓流がただ音を立てて流れていた。服をつけ終わった浜村龍造が秋幸をしばらく見つめ、しびれを切らしたように「いつまでもしつこくかかっとったら嫌われる。ほどほどにしとかなんだら」と言った。
 
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「秋幸は自分が確かめたかった事はこの事だと思った」の「この事」とは何をさすのだろうか。なぜ秋幸には山や草むらが「粘る光に包まれ」ているように見えたのだろうか。
 
 
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十月六日(月)
「猿の尻のように」
 
 十二時三十分。横になるとたちまち坐骨神経痛が悪化した。蒲団のうえでタオルケットを捩りながら、一晩中痛みに苦しみつづける。もがくように動きながら痛まない姿勢を見つけ出し、しばらくそのままでいるといつの間にか睡魔がやってくるのだが、眠ると体はより自然な態勢になろうとするようで、知らず知らずのうちに寝返りをうち、それがふたたび痛みを呼ぶ。まいった。
 
 八時に起床するも、尻から太股にかけて走る激痛で歩くこともままならない。洗顔のとき中腰の姿勢が維持できない。藁をもすがる思いでパソコンの電源を入れ、インターネットで「坐骨神経痛 ツボ」を検索してみると、「耳ツボ治療法」なるものが見つかった。耳の上側のくぼみあたりに坐骨神経痛や腰痛に効くツボが集中しているらしい。ウェブサイトには、ひとつのツボにつき三分から五分、痛みを堪えながら揉みつづけるとある。そのとうりにしてみると、家を出る時間には痛みはかなり和らいでいた。階段の上り下りは苦痛だが、なんとか歩ける。恐るべし、東洋医学。
 
 九時三十分、外出。赤羽橋のT社へ。N振興組合のホームページ、住宅メーカーE社のホームページの打ち合わせ。先週は四日も徹夜をしてしまったと話したら、社長のNさんは「私は毎日三時間睡眠だった」とおっしゃっていた。Nさんのほうが上手だ。
 
 新宿へ向かい、「印度屋」でカレーバイキングをたのしんでから、御苑前のB社へ。U社のPR誌の打ち合わせ。担当営業のTさんの奥様は大宮の某占い・開運グッズショップの看板占い師で、毎日彼女に相談にくる女性が列になっているらしい。どんな方なのかが気になる。やはりコスプレしているのだろうか。
 
 十五時三十分帰社。帰社後はU社PR誌。新住所に変更した新しい名刺を発注しに、ちょっとだけ外出。
 夜、義弟が友だちと事務所にやって来る。使わなくなったインクジェットプリンタを引き取ってもらう。帰りは友だちの運転するクルマに載せてもらった。クルマのなかにはブランキー・ジェット・シティが流れていた。ファンなのだそうだ。ブランキーを越えるロックバンドは、もう二度と日本には出現しないだろうなあ、などと思いながら、乱暴だけどせつない彼らの歌に耳を傾ける。
 
 帰宅後、風呂のなかでまた今朝覚えた耳ツボ刺激をやってみる。湯上がりに鏡を見たら、耳が猿の尻のように真っ赤になっていた。肝心のぼくの尻は、朝より痛みが引いている。効果はあるようだ。しばらくつづけてみようと思う。名付けて「猿の尻作戦」。
 
 中上『地の果て 至上の時』。路地跡で起きた火事騒動と放火事件。火事騒動を引き起こした、路地跡に住む浮浪者であり秋幸の実父・浜村龍造の連(ツレ)であるヨシ兄は、秋幸に「龍造はおまえのことを憎んでいる」と話す。路地を更地にしたのはほかでもない、地主の佐倉の元番頭であり、かつては茨の龍とよばれたヤクザ者であった浜村龍造である。
 
 
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十月七日(火)
「風が吹いてる」
 
 八時起床。九時、事務所へ。ひんやりとした風が路肩や一戸建ての庭に植えられた木々をざわめかせている。桜の木は一枚ずつ葉を黄葉させ、一枚ずつ、ゆっくりと落葉させている。枯れ葉は道のはじに少しだけたまり、少しだけ風に揺れている。キンモクセイの香りが感じられないのは、冷たい風に香りがかき消されたからか。濃い山吹色をした細かな花びらもまた、風にちぎられたのか、道路の隅に散っている。
 
 午前中はU社PR誌の企画。午後からはN振興組合のホームページの企画など。O社パンフレットの赤字戻しは明日に延びてしまった。疲れたので十九時三十分に店じまい。
 
 夕食はお隣のJさんにいただいたホッケ。猫たちがクレクレと騒ぐ。
 
 中上『地の果て 至上の時』。ヨシ兄の息子である鉄男からシャブを買い取った秋幸は、「親孝行」と称して実父の浜村龍造に投与しようとする。
 
 
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十月八日(水)
「今日の事件簿」
 
●ざっくり指を切っちゃった事件
●切れたのは指先だからキーボードがうまく打てない事件
●また一日伸びた事件
●あかね色の空事件
●初カキフライ事件
●プチプチ隠し事件
●指先の絆創膏にヒランヤマークを書いてみたけどこれでホントにすぐに治ったらビックリだな事件
 
 
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十月九日(木)
「季節と暦」
 
 八時起床。今朝も坐骨神経痛で起き上がるのに少々苦労する。インターネットなどで調べたが、坐骨神経痛は完治しにくいらしく、多くの場合は一生この痛みとつきあわなければならない。痛みの比較的弱いときを見計らって筋力トレーニングに精を出すのがよいのだが、忙しいとついついサボってしまうのが常だ。
 
 九時、事務所へ。事務所の移転告知メールを打っていると、新規の仕事がちらほらと。明日は移転準備で休業だというのに、タイミングの悪いこと。ほか、D社PR誌の原稿にも手をつけるが、電話ラッシュで集中できず。
 午後より外出。住宅メーカーE社へ。T社のNさんから聞いていたオリエン内容をもとにつくった企画をプレゼンしたが、先方の担当部長の話を聞くと、どうもはずしていたらしい。その場で企画を修正してプレゼンし直し、なんとか場を取り繕う。
 打ちあわせ終了後、同席していた印刷会社L社のB部長に呼びだされ、新規の案件を打診される。前向きに検討すると回答。
 
 午後から風が強くなってきたのか、それともE社のあるビルのビル風なのか、冷たい秋の風が髪をかき乱した。季節は毎日、少しずつ移り変わっていく。おそらく季節とは、ほんとうはたった四つではなく三百六十五種類あるのではないかと考えるが、それを人は暦と呼ぶのだと気づいた。
 
 帰社後はO社のパンフレットがまたまた迷走しはじめる。が、夜中にようやく校了。無事製版所に原稿を送ることができた。
 
 中上『地の果て 至上の時』。今日もあまり読めなかったなあ。
 
 
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十月十日(金)
「ダンボールは外来語ではないらしい」
 
 八時起床。昨夜で悪戦苦闘の長期戦、ベトナム戦争のような状態に陥っていたO社のパンフレットが校了となったためだろうか、気の抜けた状態で朝を迎えた。この物件がベトナム戦争だとすると、いったい誰がアメリカ軍で誰がベトコンなのだろうか。よくわからないままに比喩を使ってしまった自分の無知さが少々嫌だ。ベトナムは今、世界でも有数の魅力あふれる美しい国である。
 
 九時、事務所へ。今日は対外的には移転準備のため休業ということにしてあるのだが、得意先からはそんなことはお構いなしとばかりに電話やメールが押し寄せてくる。そのほとんどを、週明けに確認するの一言で済ませながら、ただひたすらに荷物をダンボールに詰めつづける。作業をしながら、ダンボールはなぜダンボールというのかが気になった。小学生のころは図画工作の時間などには「ボール紙」と呼ばれる茶褐色のやや芯の固い厚紙を使っていたが、ダンボールはボール紙と関係があるのだろうか。ダンボールは「段ボール」と表記することがある。ぼくは外来語なのだとすっかり思い込んでいたが――damballなどとつづりそうだ。段の字はあて字か――、どうやら違うらしい。愛用の新解さんこと新明解国語辞典を引くと「波形の厚紙を芯にして、両面(片面)にボール紙をはりつけたもの。包装用」とある。やはり段ボールはボール紙と密接な関係にあったわけだ。しかし、ここでまた疑問が生じてしまった。ボール紙ボール紙とあたりまえのように呼んでいたあの茶色い紙の正体は何なのか。またまた新解さんを引いてみると、「ボール」の欄にこう書いてある。「〔boardの変化〕〔↑ボール紙(0)〕わらを材料とした黄色(茶色)がかった厚紙。」そうか、あの茶色は藁の色だったのか。しかし紙資源の再生やらなにやらが叫ばれている現在も、ボール紙や段ボールはいまだに藁を原料としているのだろうか。疑問は次々に湧いてくるが、調べるのが面倒なのでそろそろ止める。
 
 十六時、キヤノンBM東京の営業とサービスマンが来る。コピー・ファクス・PSプリンタ複合機だけ、先に移転作業を行う。これだけは専門の業者でないと運べないと、今回発注した引越し業者から断られたからだ。移動作業中、キヤノンの二人とはじめて世間話をする。仕事以外の話をするのははじめてだ。サービスマンのZ氏は横田基地のすぐそばに住んでいるそうだ。アパートの真上をジェット戦闘機が飛んでいく。騒音が気にならないかと聞くと、あっさり気になると答えられ、ちょっと拍子抜けた。だがZさんはそんな環境でも自宅がどうやら好きらしく、ほかにもあれこれ家自慢――というよりは横田基地自慢か――をしてくれた。
 
 夕方、L社のLさんより電話。O社パンフレット、入校後に出稿された簡易校正で問題が出たとのこと。Adobe illustratorのバージョンの問題でオーバーフローが起きたらしい。最後の最後までこの案件はぼくらを翻弄しつづける。こちらはパソコンはすでに梱包済み、ファクスも受け取れない状態なので、製版所でなんとかしてもらうことにする。
 
 夜も梱包作業。カミサンと二人で黙々とつづけるが、先が見えず不安になってくる。二十二時、とりあえず終了。「ごっつお屋」で軽く飲んで喰ってから帰宅。
 
 中上『地の果て 至上の時』。水に神秘性、神格性を与え、地域の住民たちに「水の信心」という新興宗教のようなものを広めようとする秋幸の友人・斎藤。水が人間の体毒を洗い流すと主張する斎藤と、蝿の糞と呼ばれるどこの馬の骨かもわからぬヤクザあがりの成り上がりの血が体に流れる秋幸の対比。
 
 
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十月十一日(土)
「花子とオリヅルラン/麦次郎とガムテープ」
 
 五時、猫にご飯を与えるために起床。花子にしつこくせがまれたから起きたのだが、缶詰めを空けて「ごはんだよ」と言っても、花子はこちらに寄ってこない。外はまだ陽がのぼらずうす暗いままだ。しかしだからといって暗闇にまた眠気を誘われどこかでうたた寝を決めこんでいるわけではあるまい。食には猫一倍こだわる猫だ。食欲が睡魔に負けるわけがない。「はーなこー」と呼んでみる。するとリビングから、なぜかむっしゃらむっしゃらと何かを食べているような音が聞こえる。視線をやると、花子は先日事務所から持ち帰ってきたオリヅルラン――二年くらいまえに、猫ヶ島のしまちゃんからいただいたものだ――の葉をかじるのに夢中になっていた。二度三度と名前を呼び、ごはんだよーと数回言ってみるが、まるで効果なし。猫缶よりハッパよね、といわんばかりの勢いで、満足そうにオリヅルランをかじりつづける花子が、ぼくにはちょっと理解できない。猫缶を開けろとせがんだのはおまえじゃなかったのかよ、おい。
 
 九時三十分起床。十一時、事務所へ。ふたたび移転準備。段ボールの山はさらに高くなり、プチプチでくるまれたパソコンやテレビなどの電子機器が、床にあいた空間をタチの悪い菌のごとく、侵食しはじめる。移転先はわずか十二坪、今の事務所より七坪も狭いので、不要なものはどんどん処分する必要があるのだが、高く積まれた段ボールや床の上に転がるパソコンなどの数を見ると、収納しきれないのではないかと心配になる。
 十六時、かなり片づいたので手伝いに来てくれた義母、カミサンとともに「それいゆ」で休憩する。
 十七時、事務所に戻り移転作業をつづける。十八時すぎ、ほぼすべての荷物を梱包し終える。十九時すぎ、帰宅。
 
 夕食は手軽にキムチ鍋。録画しておいた『やっぱり猫が好き2003』、『トリビアの泉』などを見ながら食べる。『猫が好き』はやっぱりおもしろいなあ。
 
 食後、テレビを観ながら麦次郎で遊ぶ。ヤツを抱きかかえ、空を飛ばすように高く掲げたり手を握って踊らせたりしてみたが、当の本猫はあまり楽しくなさそうだ。おもしろくないので、背中にガムテープを貼り付けてやる。麦め、慌てて駆け出し背中を見て異変に気づくやいなや、ガムテープをカプリと噛んで、自分でベリベリと引き剥がした。剥がされたテープには、背中の毛が束になってついていた。カミサンに激しく怒られる。だが麦はあまり気にしていないらしく、そのあともぼくのあぐらをかいた足のうえで遊びながらくつろいでいる。
 
 中上『地の果て 至上の時』。斎藤の水の信心は、その熱心さゆえに死者を出してしまい――死んだのは斎藤の実母だ――、その死体は斎藤の家に放置され、腐敗しつづけている。その一方で、秋幸の部下だったヨシ兄の子ども――拾われ子だが――の鉄男らしき人物が、警官の拳銃を奪って逃走する。龍造=秋幸、そしてヨシ兄=鉄男の対比。
「路地」の現状を描いた魅力的な文章に出会ってしまった。ちょっと引用。
 
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 風が吹くたびに草が音を立てる。草の音は跡かたもなく消えた路地が幻ではなかった証しだが、耳にする音はすぐ消える。ヤクザ、日雇い労務者、馬喰、靴修理屋、山仕事の人夫、屠殺人、土方、様々な職についたが定職についたものは多くなく、おおかたはブラブラしていた。怠け癖のためか、それとも半端な技しかないためにすぐ道を切られたのか、雨の日ともなると若い衆がどこの角にもいた。辻に一つあった駄菓子屋は、客が子供らにとって変わった若い衆の賭け事や性の自慢話の交換場所だった。土建請負師として成功した美恵の夫実弘のような一、二の例外をのぞいて、男はきまって性の自慢話をするしか能のないような者ばかりだったし、たまに真剣になっても、土地で毎年ある二月の御燈祭り十月の御舟祭りの早船漕ぎの訓練をどうするかという事で一向に喰いぶちの足しになる事ではなかったから、女が働きづめに働いた。終戦直後は買い出し行商に精を出したり、世の中が落ちついてからは、男にまじって土方人夫になったり、バーの女給になって働いた。秋幸は思った。路地が今あったとしても、ヨシ兄やスエコの生活状況とさして変わらない。ただ裏山に仕切られ外に向かって開いた道が三つしかなかった迷路のような路地の中で、外から入ってきた話に尾鰭がつき噂に変容され幾つも渦巻いているはずだった。草の音は耳に響いて幻のように消える。
 
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 音は消えるが、それは記憶となって残る。被差別部落である路地とは、――秋幸にとっては――音のような存在だったのだろうか。しかしヨシ兄やスエコといった路地跡で野営生活をつづける浮浪者――今でいうホームレス――たちは、今だにかつてとおなじような生活をくり返している。彼らの生活が、そのなかで起きる事件や出来事が、そしてそれ以上のなにかが、増幅されて、秋幸たち路地の外側に住む者たちへと届く。それらはほんとうに幻のように消えるのだろうか。
 
 
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十月十二日(日)
「移転の日」
 
 九時起床。事務所の移転である。計画が開始されたのが五月だから、四ヶ月越しのプロジェクトというわけだが、プロジェクトなどとは呼びたくない。広さは数値上ではこれまでの三分の二だが、実質半分と言っていいだろう。以前は社員が五人、多いときは六人もいたのだから十九坪はちょうどよかったのだが、ふたりでは少々広すぎる。今度の事務所は十二坪。二人で使うのにちょうどいい。家賃が抑えられるのもうれしい。
 移転先も西荻窪である。駅からは前の事務所よりも一分程度遠くなったが、街並みが以前よりも個性的なので遠さを感じない。アンティークショップと風変わりな飲食店がが密集している通り沿いで、西荻窪らしさが一番濃い地域に根拠地を構えることになる。
 天気予報では雨ということであったが、空模様はぎりぎりのところで持ちこたえている。天が味方している、と思い込むことにする。
 
 十三時、引越し屋が来る。搬出作業は一時間の予定だったが思いのほか難儀し、十四時三十分までかかってしまう。
 十五時、移転先に搬入。さっそく荷物の開封と整理に取りかかる。今までは二人で十九坪だったのだから、自然と持ち物は多くなる。この二ヶ月ほどでそれを無理やり減らしたのだが、それでも十二坪からあふれ出しそうになってしまう。一番多くてかさばるのは、義母が大量に持ち込んだ観葉植物だ。ぼくも植物は好きなのだが、多すぎると好きでも邪魔だと感じてしまう。誰かに譲るか、自宅に持ち帰る必要がある。
 二十一時、部屋らしくなってきたので作業を中止。近所の居酒屋「えんづ」で打ち上げをする。自家製イカの塩辛、もずくと野菜のサラダ、ふわふわの薩摩揚げ、砂胆とザーサイの炒め物、キノコの春巻、里芋の唐揚げ、湯葉のあんかけ炒飯。いずれも創意工夫に飛んでいて、非の打ち所がない。おすすめはもずくのサラダと里芋の唐揚げだ。もずくをドレッシングのようにして食べるなんて思いもいなかったし、里芋の天ぷらは癖になる味だ。
 
 疲れたので、今日は活字はまったく読まず。寝るまえに軽く、ますむら・ひろし『アタゴオル玉手箱(1)』。
 
 
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十月十三日(月)体育の日
「移転の次の日」
 
 九時起床。空は昨日一日はぼくらのためになんとか持ちこたえてくれていたらしいが、今日はもう堪えきれないといった表情で、今にも降りだしそうな色と厚さの雲が空に重く垂れ込めている。今日も降ってもらっては困るのだが、と言ってやりたいが、誰にいうべきからよくわからん。
 
 十時すぎ、荻窪の「オリンピック」へ。台車を一台購入。それを早速開封し、自宅まで転がしながら運ぶ。自宅で荷物を引き上げ、それを押しながら事務所へ向かう。空はごめんなさいもうがまんできませんといった表情で、ぽつりぽつりと雨が降りだしてきた。最大積載重量150キロの台車をガラガラと音を立てながら雨のなかを黙々と歩く。道行く人に何度も見られた。遠距離台車は注目度抜群のようだ。ぜひ真似してほしい。
 
 十一時、事務所へ。到着したら、雨足は本格的となり、強い雨音が荷物でいっぱいの事務所のなかに響いてくる。雨音はフェードインではじまるヘヴィ・メタルの楽曲のように徐々に轟音へと変わり、台風でも来たのかと勘違いするほどの豪雨となった。どうやら今日の空もぼくのために我慢に我慢を重ねてくれたらしい。
 昨日片づけ終えなかった部分に手をかけ、インターネット接続の設定と配線をしていたら、あっという間に夜になってしまった。「桂花飯店」で食事してから帰る。
 
 中上『地の果て 至上の時』。警官から奪った拳銃で秋幸を脅迫する鉄男。秋幸は鉄男から百万円で自分の命と拳銃を買い取る。
 
 
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十月十四日(火)
「雨は変速ビート」 
 
 八時起床。雨空で陽の射さないリビングはまったく朝らしく見えなく、いつもなら気にせずとも耳に届くトリたちのギョギョギョというけたたましい鳴き声も聞こえない。寝るときに籠にかけた風呂敷を取ってやると、ようやく朝が来たのだと気づいたきゅーとぷちは、しばらく籠のなかをチョイチョイと飛び回り、餌をついばみ、腹がこなれたところでギャースカと騒ぎだす。麦次郎はタンスのうえで眠りつづけている。雨は動物の生きるリズムを狂わせるらしい。
 
 九時、事務所へ。移転後、初出勤といっていいだろう。自分の机に座るが本当にここが自分の机、自分の職場なのかと訝ってしまう。パソコンに向かいメールチェックをするという行為が、不思議なほどによそよそしく感じられ、なぜそうなのか、引越しだけが理由なのかと考えを巡らすが、これはやはり引越しのせいでしかないことに気づくと、いつになったらこの場所に慣れることができるのかと少々心配になってきたが、一時間もすると違和感は消えた。
 ホスティングサービスを依頼しているO社で障害が発声。午前中、九十分程度メールが使えなくなる。
 十一時、キヤノンのメンテ担当のZ氏が来る。プリンタ兼ファクス兼コピー複合機のネットワーク設定。Macからは問題なくプリントアウトできたのだが、Windowsからはプリンタを認識することができない。インターネットは使えるのだから、ケーブルやハブの物理的な問題ではないはずだ。しかしDOSプロンプトを使って調べてみると、やはり物理的に接続されていない状態になっているとZ氏が説明してくれた。以前設置していた同社の旧機種のプリンタでも同様の現象が起きたことを伝える。ぼくとZ氏の共通の見解は、PCのLANボードとプリンタの相性が良くないのではないかということ。マシンに問題があるとすれば、修理か買い替えが必要ということになる。だがこれは大きな問題ではない。Windowsマシンは不調続きでスペック的にも非力になってしまったので、買い替えようかと迷っていたところなのだ。これで踏ん切りがついた。同社の営業T氏に電話で連絡を取り、早期納入が可能なノートパソコンをリストアップしてもらうことにする。
 
 バタバタしたあとはD社パンフレットの原稿、O社ウェブサイト更新用のコピー作成など。十九時帰宅。
 
 十九時すぎより自宅のリフォームの打ち合わせに参加。左官屋が採寸する。段取りと日程を決めた。
 
 中上『地の果て 至上の時』。拳銃という存在が、秋幸と浜村龍造の愛憎入り混じる関係をどのように変化させるのか。
 
 
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十月十五日(水)
「眠いのを我慢して書いたら変な日記になっちゃった」
 
 八時起床。七時四十五分に目覚ましをセットしたのだが、起きることができなかった。わが家の目覚まし時計は仮止め機能のようなものがある。ただ止めただけでは五分後に再度ベルがなる、という仕組みだ。完全に止めるには側面にあるベルのメインスイッチをオフにする必要がある。眠気から完全に抜け出すことができないときは、反射的に止めてしまうので当然ながら横のスイッチを切り替えることなどできない。ムムムゥと声を漏らしながら手を伸ばし、目覚ましをバシッと叩く。そこで目覚ましを手に取り目のまえまで持ってくることができれば起きることは可能なのだが、少々疲れ気味の朝はなかなかそうもいかず、ついついそのままふたたび目を閉じてしまう。この日記を書いている今もまたぼくは猛烈な睡魔に襲われていて、うっかり目を閉じればそのままキーボードに顔をつっぷした形で深い眠りに落ちてしまいそうだが、目に力を込めながら、なんとか持ちこたえているわけだ。目に力を込めるといきおいで眼圧が高くなりそうで嫌だ。眼科医からは眼圧が高いため近い将来に緑内障となる可能性があるから用心しなされカフェインの過剰摂取は厳禁だステロイド系の薬の服用も眼圧を眼圧を高めてしまうので禁止といわれているから目に力を込めるなど言語道断なわけなのだが、文章を書くことを生業としているぼくに、目に力を込めるななにごとも軽く見ろというのは無理な話だ。目は大切な器官である。目は本質を見抜くきっかけを与えてくれる。少なくともぼくの場合はそうだ。例えば食べ物。鮮やかな色の食べ物をぼくは信用しない。着色料が使われている可能性があるからだ。ひょっとすると添加物の過剰摂取が眼圧を高くしているのかもしれない。根拠はないが。食べ物は目で味わうというが、至言だと思う。目が大切なのは食に関してだけではない。職、すなわち仕事の面でも目は重要だ。たとえば、今日の取材である。午後からぼくは飯田橋にある大手商社のP社でネットワーク機器導入事例の取材を行った。インタビューする相手は、P社の社員が三名、そしてそこに今回の物件のクライアントであるD社の広告担当者が一名、そしてP社にネットワーク機器を納入した営業が一名、ネットワークデザインを担当したSEが一名、そして現在保守を担当しているエンジニアが一名。同時に七名を相手にインタビューをするわけだ。口が疲れるのは当たり前のことだが、それ以上に目が疲れる。インタビューは、相手の目をしっかり見なければ成立しないのだ。さらにぼくは、相手の目の奥に隠れた、決してことばとしては発せられない本音、意図のようなものを読み取らなければならないのだ。これには目力が必要だ。目力の酷使は頭脳の酷使と精神の酷使に通じる。だから今ぼくは眠い。おそらく眼圧もあがっているのだろう。目に力をこめながらキーを叩くが、だんだんミスタイプが増えてきた。そろそろ日記を書くのをやめたほうがいいのかもしれない。明日は目覚まし時計を五分ほど遅らせてセットしようと思う。目覚ましを叩く回数が、一回だけ減るはずだ。
 
 中上『地の果て 至上の時』。自分の主催する「水の信心」の客寄せのため、実母が水の力によって死から復活すると吹聴した斎藤。死体は腐る一方だ。ついに斎藤は警察に検挙される。そして、路地のあった街を襲う集中豪雨。人間にとって、水とはどんな存在なのか。ちょっとだけ考えた。もちろん結論は出ない。
 
 
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十月十六日(木)
「嘘の日記」
 
   □ □ □ 
 
 明日は目覚まし時計を五分ほど遅らせてセットしようと思う。目覚ましを叩く回数が、一回だけ減るはずだ。
 
   □ □ □
 
 と書いた昨日の日記は、嘘だった。七時五十分にセットしたのに、起き上がることができたのは八時五分だ。昨日とおなじく、三度目覚ましを止め直したことになる。自分の実行力のなさと読みの浅さが嫌になるが、よく考えたら三度目覚ましを止め直したのは、単に眠たかったからで、睡眠中だったのだから実行力など発揮されるわけもないのだから苦にすることもあるまい。
 と書いていたら、だんだん混乱してきた。
 
 九時、事務所へ。駅までは通勤途中の人々の流れに混じって歩くが、駅を通り抜けて北から南に移ってからは、彼らと逆の方向に歩くことになる。人間には一般的な行動パターンというものがあるらしく、それに少しでも合致していないと、強い違和感を感じるらしい。それが疎外感にまで発展するとやっかいなのだが、通勤程度で疎外されてたら堪らない。だいたいにおいて、ぼくは通勤が嫌で会社を辞めたのだ――ほかにもいろいろ理由はあるのだが――。駅へと向かう人々の服装や髪形はみなそれぞれ個性的だったが、なぜか表情だけは、ひどく画一的に見えた。
 
 午前中は昨日の取材内容のまとめ。午後より外出。十四時よりカイロプラクティック。先生はぼく以上に神経質、いや神経症といったほうがいいくらいに繊細な人で、とうとう胃をやられてしまったらしく、近いうちに内視鏡検査をするといっていた。五十畑さんも受けたほうがいいですよ、といわれた。確かにそうかもしれないが、ぼくは先生ほど神経質ではないはずだ。内視鏡検査はつらそうだから、もうすこし歳をとってから受けることにしようと思う。
 ちょっとだけ時間が空いたので、吉祥寺パルコの「ワイズフォーメン」へ。店員さんにウール素材の洗い方を教えてもらう。コートを一着予約した。
 このあたりから、ケータイがひっきりなしに鳴り続ける。PDAでメールチェックをすると、仕事関係のメールがどっさりと受信される。悲鳴をあげたくなったが、まだ胃は痛くなっていないので大丈夫だろう。次の打ち合わせへと急ぐ。
 十七時、L社のNさんと、Q社のハンディカラオケのプロモーションの件でミーティング。十八時三十分、帰社。
 今日は二件も仕事を断ってしまった。すでに六件も受けているので、これ以上はこなせない。
 
 明日からはじまるリフォーム工事の準備をする必要があるため、早めに帰る。十九時。
 
 帰宅後は本棚の本やCD、レコードの整理。八十巻くらいまで集めた『美味しんぼ』を売り払うことにした。最近の『美味しんぼ』はおもしろくない。2ちゃんねるの『美味しんぼスレ』も見なくなってしまった。おもしろくないものを持っていても仕方ない。邪魔なだけだ。八十巻分のコミックは、保管するだけでも大変なのだ。それからベッドのしたに置いておいたガラクタの整理。カミサンは食器棚に置いてあったワレモノをしまっている。猫たちはぼくの作業の邪魔はするが、カミサンのほうには手を出さない。なぜだろうか。
 
 二十一時、テレビ朝日のドラマ『TRICK』を観る。ノリはまったく変わっていないので安心した。
 
 中上『地の果て 至上の時』。ついに秋幸は、実父・浜村龍造の背後で暗躍しつづけてきた材木商・佐倉と対面する。今のところ、佐倉はただのボケ老人だ。
 
 
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十月十七日(金)
「今日の事件簿」
 
●自宅のリフォーム開始事件
●仕事中にチョロリと髪を切る事件
●最近はお仕事断ってばかり事件
●オリジン弁当のポテトサラダは意外とイケル事件
●勝手に変えられちゃった事件
●刺身事件
●お隣はまだ帰らない事件
 
 
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十月十八日(土)
「奇妙な放尿」
 
 明け方に目が覚めて厠に行くのだが、最近尿の出方がおかしくなっている。放尿しはじめると、最初は勢いよく出るのだが、やがて尿が描く軌跡は垂直に近くなり、止まりそうになるのだが、残尿感があるのでもう一度下腹部に力を入れてみると、尿はふたたび勢いを取り戻し、美しい円弧を描きながら便器へと落ちていく。しばらくすると勢いが落ち、止まりそうになる。残尿感。もう一度下腹部に力を入れる。尿は勢いを取り戻す。この連続なのだ。これが一度や二度ならありそうな話だが、五度六度とつづくと、尿をしながらだんだん心配になってくる。いつまでたっても終わらないのだ。そのうち自分はいったい何リットルの水を膀胱に蓄えていたのか、すべての水分を出しきるまでに何分かかるのかが気になってくる。一分や二分ではないのである。こんな状態が、何日かつづいている。夜の水分の摂取を控えれば、尿は落ちつくのだろうか。不思議だ。
 
 七時三十分起床。リフォームの職人が九時から作業を開始してしまうので、早起きをしなければならない。早起きは三文の得というが、ウチのカミサンは三割増しの不機嫌となってしまうのでタチが悪い。猫は「眠る仔」が語源だという説があるらしいが、比類なき猫好きのカミサンもまた「眠る仔」であるらしい。そのくせ宵っぱりなものだから、さらにタチが悪い。
 
 八時三十分、事務所へ。休日出勤だ。土曜の朝は通勤する人の姿もまばらで、気のせいだろうがその分空気が澄んでいるようだ。いつも通る道から一本外れた、より人気のなさそうな道を歩いてみる。風こそないが、ひんやりとした空気は晩秋のものだ。まれにすれちがったり追い抜いたりする人たちの服も、すこしずつ枚数が増え、素材も厚めになっているようだ。ぼくも今朝はちょっと厚めのウールギャバジンのジャケットをひっぱりだした。着るもので季節を感じるのは、楽しくもあるが悲しくもある。
 
 D社PR誌。取材をもとに原稿を書く。つづいてU社の音楽機器のプロモーション企画。昼食は隣の「まる屋」にて。ワンタンメン。はじめて食べたときほどうまく感じない。主は四十代の化粧の濃いオバサンとのお話に夢中である。客と話しすぎる料理人にはいい腕のものは少ないと思うのだが、どうだろうか。
 
 夕方、吉祥寺へ。カミサンと来年用の猫カレンダーの紙を仕入れに「ユザワヤ」へ。つづいてパルコの「ワイズフォーメン」へ。先日取り置きしておいてもらったフード付きのコート、買おうか迷うが、結局綿ギャバジンのトレンチを買ってしまった。
 
 十八時、帰宅。玄関につづいて、寝室の壁もエコカラットが張られている。もともとドアや柱が微妙に歪んでいるらしく、タイルを貼るとどうしても隙間がでるのだ、と職人がいいわけではないのだろうが、いいわけっぽい口調で説明してくれた。隙間はパテで埋めるのだそうだ。目立たなければ、別にいい。問題は結露だ。エコカラットの吸湿効果で結露が解消されればよいのだが。
 
 二十時から『めちゃめちゃイケてる!』を観る。モー娘。の運動会の未公開映像。笑いつづけてしまった。どうやら次期お笑い担当は小川真琴になったらしい。楽しみだ。
 
 中上『地の果て 至上の時』。拳銃を盗まれ遠方にとばされた警官のところへ遊びに行く秋幸、龍造、良一、ヨシ兄。警官はいうことを聞かない腕白な子犬を「アキユキ」と名付けていた。龍造に抱きかかえられたアキユキは、離せと抵抗し彼の指を噛む。秋幸がいずれ龍造に敵対しはじめることの暗喩なのだろうか。
 
 
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十月十九日(日)
「憎めない左官屋」
 
 職人さんは朝が早い。時間にもシビアだ。九時に伺います、といわれたら、ほんとうに九時ピッタリにやってくる。遅刻なんて絶対にしない。だからリフォームを頼むと職人さんにあわせて早起きしなければならない。大学を卒業し広告の仕事をするようになってからはすっかり朝が弱い軟弱野郎になってしまっていた――といっても業界全体でいえばかなり早起きのほうだ――からここ数日の早起きは少々苦痛だった。それも日曜までの辛抱さと自分にいい聞かせていたのだが、残念ながら工期の面で問題があるということで、今日も工事になってしまった。だから今朝も職人さんは早起きをして、九時ピッタリにやって来た。眠い。
 
 カミサンが毎年恒例のカレンダー制作で忙しいというので、今日はカミサンが出勤し、ぼくが午前中工事の立ち会いをすることに。二十日まで壁紙の張り替え――イナックスの「エコカラット」という吸水性に優れ結露対策に有効なタイルへの張り替え――をする。エコカラットの職人さん、すなわち左官屋さんは二人一組でやって来る。ひとりはベテランの親方だ。よくしゃべる明るい性格のかたで、素材の特徴や工程、工夫すべきポイントなどあれこれ教えてくれる。よく「あの人は憎めないタイプだ」ということがあるが、親方はまさにその典型。もうひとりの若い衆はまだ見習いらしく、あれこれ粗相をしたり要領が悪かったり指示通り動けなかったりして親方にビシビシとしかられている。職人とは叱られながら成長するものなのだろう、サラリーマンもそれはおなじだろうが、職人のほうが荒っぽさがあってキビシイかな、などと思いながら、師弟関係を観察させていただいた。
 
 午後から義母が留守番をしてくれるということなので、バトンタッチ。カミサンと新宿に向かい、京王百貨店でぼくの父親の誕生日プレゼントを購入。今年は茶色のブルゾンにした。つづいて「東急ハンズ」へ。防犯グッズ、カッターなど。「カフェラミル」でお茶。ロイヤルコーヒー――だったかな? プレミアムコーヒーだったかな?――とケーキのセット。カフェインは医者から止められているのに、ついついコーヒーを頼んでしまうぼくはバカモノだ。それを止めないカミサンもバカモノだ。バカモノ夫婦なのだ。もう、どうでもいいや。
 
 十八時、義母の家へ。義母はまだぼくのマンションから帰っていないが、先に合い鍵で上がりこみ、頼まれていたADSLの設定を済ませる。
 十八時三十分、荻窪駅前の鉄板焼居酒屋「TOKIMEKI彩風堂」へ。数年前に通っていた西荻窪の居酒屋「彩膳」の系列店。「彩膳」は残念ながら今夏に閉店してしまった。料理長だったなっちゃんの行く末が心配だったが、この「彩風堂」で元気そうに働いていたので安心した。コリコリつくね、マグロのカツレツ、いくら里芋、マッシュルームのマリネ、五味焼なる名前のお好み焼きなど。鹿児島の芋焼酎「晴耕雨読」を飲んだ。すっきりした後味で、あまり芋焼酎っぽくない。二十一時、帰宅。
 
 帰宅後、タイル張りの様子をチェック。リビングの壁の三分の一までが完了していた。書斎、なかなかシックな感じにまとまっている。
 
 中上『地の果て 至上の時』。拳銃を鉄男に奪われる秋幸。秋幸のかつての恋人であり、現在は秋幸の子を育てながら自分の家の番頭と結婚していたが秋幸と不倫関係をつづけていた紀子の家出。路地跡を中心に、人間関係はさらに複雑にもつれ合う。
 
 
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十月二十日(月)
「麦の変容」 
 
 七時三十分起床。今日で壁の張り替え工事が終わる。明日が空き日、水曜からは壁の幅木の工事、そしてきんよう、土曜の二日間で床を張り替える。
 八時三十分、事務所へ。庭木の緑が黄色みをおびはじめた。もうしばらくすると落葉がはじまるのだろう。ヒヨドリがキョイー、キョイイーと鳴いているのが聞こえる。まもなく柿が実を熟させる。ヒヨドリの声は秋晴れの空に似合いそうだが、あいにく空の色は真冬のようで、ヒヨドリの声は不釣り合いのようだ。冬空のようだが風はなく、少し歩くと上着のなかがじっとり汗ばんでくる。天気だけでは季節は分からない。
 
 午前中はQ社音響機器の企画など。午後より外出。水道橋のE社にてプレゼン。先方担当部署の室長が、行くたびに話が微妙に変わり、おまけに言っていることが支離滅裂で苦労する。
 帰社後はN振興会ホームページ、Q社音響機器企画。自宅から、猫がケンカしてえらいことになっていると連絡があったのですぐに帰る。
 
 どうやらリフォームで家のなかの様子が変わったためなのか、麦次郎が突然興奮し花子を威嚇しはじめてしまったらしい。二匹とも糞尿を部屋のなかにまき散らしながら大ゲンカしていたようだ。尻が汚れているので二匹とも風呂にいれ、そのあとしばらく隔離。落ちついた様子なので一緒の部屋にいれてみるが、また興奮しはじめてしまう。埒が明かないので放置することにした。明日になれば平然としているような気がするが、どうだろうか。カミサンがネットで調べると、どうやら室内飼いの猫にはこんなことがよくあるらしく、関係の修復が不可能になることも少なくない。そうなると、新しい猫を家に迎え入れるときのような手順で徐々に二匹をならし直すしかない。
 
 中上『地の果て 至上の時』。なんだか落ちついて読めなかったなあ。
 
 
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十月二十一日(火)
「麦の変容2」
 
 五時、フギャアという人間の悲鳴のような音で目が覚める。麦次郎が激しく花子を威嚇している。花子はベッドのしたで萎縮し、どうやらちびってしまったらしく、アンモニア臭がフワリとただよってきた。カミサンが書斎で麦次郎と添い寝してやることにした。ぼくは花子とおしっこの臭いが充満しはじめた寝室でいっしょに寝ることに。もちろん熟睡などできない。
 
 七時三十分、物音と猫たちにたいする心配の気持ちと尿の臭いに追い込まれたような気持ちになってしまい、起き上がってしまう。インターネットで飼い猫がこのような状態になったときの対処法について調べてみる。やはり新入りの猫を迎えいれるようにしたほうがいいらしい。まずは隔離だ。リフォームはまだつづくから、さらなる興奮を避けるためにも隔離は必要だ。ゲージを購入し、隣のJさん宅にあずけることにした。
 八時四十分、ひとまず事務所へ。Q社音響機器の企画をできるところまで進める。十一時、カミサンと吉祥寺へ。カミサン、かなり動揺しているらしく切符をなくしてしまった。たった一駅なのに。「ロンロン」のペットショップでゲージを購入。二万三千円也。二人でバラしたゲージを抱えて大慌てで西荻に戻り、タクシーで自宅へ。すぐに組み建て直してそこに麦次郎をいれる。麦、はげしく抗議しているが仕方ない。そのままゲージごとJさん宅に持ち込む。丁重にご挨拶してからふたたび会社へ。Q社の仕事のつづきをやる。
 
 夕方、カミサンからメール。麦、お隣で大人しくしているとのこと。となりの猫のグーとミーにまで攻撃しはじめたらどうしようかとハラハラしていたのだが、他所の家では興奮することもなく、むしろ仲良しの仲間がいたことが麦の緊張をほぐしてくれたらしい。花子はのびのびとくつろいでいるようだ。ひとまず安心。
 
 二十時すぎ、業務終了。「Y's Cafe」でゴーヤカレーを食べてから帰宅。
 
 うーん、なんだか疲れた一日。
 
 中上『地の果て 至上の時』。実父を「アニ」と呼ぶ秋幸、実子を「兄やん」と呼ぶ龍造。物語は核心、すなわち父と子の関係へとすこしずつ踏み込んでいく。
 
 
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十月二十二日(水)
「花の変容/麦の変容3」
 
 七時三十分起床。麦次郎のいない朝は微妙に調子が狂うが、それはどうやら花子もおなじで、今朝は妙にそわそわしている。八時三十分、リフォームの業者が来るまえに事務所へ向かうが、小一時間ほどしてカミサンから「花子が甘えて大変だ」というメールが来た。さみしさをごまかすための甘えなのか、リフォームの作業やとっちらかった家のなかに対するストレスを甘えることで発散しようとしているのかはわからないが、花子は花子で自分の内面がかかえる問題をどうにかして解決しようとしているようにも思える。猫も生きるための工夫をしているということか。
 
 Q社企画、D社PR誌、N不動産チラシなど。
 
 十九時、早々に仕事を切り上げ帰宅して、お隣にあずけた麦次郎と面会する。ときどきぼくらの家が恋しくなってか、玄関に向かって鳴くことがあるらしいが、それ以外はリラックスした様子らしい。ひとまず安心。だが麦次郎のことはさておき、家の状態がひどくて今度は人間が落ちつかない。カーペットは切り刻まれ、あちこちに木材が置かれている。木くずが散乱しているうえに作業のために家具を動かしたものだから、家のなかは倉庫か工場のような、煩雑な状態となっている。落ちつかない環境のなかで、せわしなく夕食をとる。風呂にはいるときだけが落ち着けるのだが、風呂上がりは当然ながら部屋の惨状をふたたび目の当たりにせねばならないわけで、余計に落ちつかなくなる。
 
 花子のワガママは夜になってもおさまらない。うりゃうりゃとハチをモデルにした小さなインコのヌイグルミ――カミサンが結婚するときにつくったものだ――をおもちゃにしたいと騒ぎ、隠すと出せとせがみつづける。幼稚園児のようなさわぎっぷりに辟易する。この日記を書いている今は落ちついたようで、食器棚の天井でいねむりをしている。ヌイグルミのことはこのまま忘れてほしいものだが、どうだろうか。
 
 中上『地の果て 至上の時』。禁猟期にシシ狩りにでかける秋幸、龍造、そして龍造の戸籍上の長男であり、秋幸の腹違いの弟である友一。猟銃で、秋幸は龍造を狙い、友一は秋幸を狙う。発砲はされない。
 
 
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十月二十三日(木)
「寝つきの理由」
 
 毎日あれこれと考え、考え、考える。それが仕事のようなところがあるのと、生来ついついあれこれと思案する性格とで、おそらくは昼間のうちに脳がへろへろに疲れてしまうのか、寝つくのが異様なほどに早く、夕べも蒲団に入ってから何か考え事をはじめたような記憶があるのだが、それがなんであったのか、どんな論理を展開していたのかなんてまるで覚えていない状態で、おそらくは考えはじめた途端に脳がシャットダウンしそのまま眠りに落ちたのだろうが、カミサンの話によると、夕べは花子が夜鳴きしはじめ、なかなか鳴きやまないため一度蒲団にはいったものの、なだめるためにカミサンは起き上がって花子を抱っこししばらくあやしてから、いっしょに寝てあげたということだ。夜鳴きは麦次郎のいないさみしさからなのか、それともリフォームによって自分のテリトリーを犯されたことに対する抗議か。花子がさみしい夜鳴きをくり返しているとき、麦はお隣のダンナさんとと添い寝していたそうだ。猫にも個性がある。さみしがりかたも、猫によってまったく違う。
 
 七時三十分起床。体操は朝の日課だが、リフォーム中で家具や荷物、工具や素材に占領されたリビングでは体操などできるわけがなく、もちろん書斎も寝室もスペースはないから、家の中では体操などできない。かといって外で体をうねうねと動かす勇気もない。日課をこなせないというのは意外にも大きなストレスになるのか、今日はどうも調子がでない。八時三十分に事務所へ行くが、作業の要領がどうも悪くて外出の時間が遅れてしまう。おまけに電車に乗り間違えるようなありさまだ。打ち合わせの時間に間に合わなくなり、タクシーを使うはめになった。たまにはタクシーもいいものだが、たったワンメーターでは気分転換にもならず、それよりも打ち合わせにすでに遅れているわけだから気ばかりが焦り、目が回るような気がしてきた。
 
 無事打ち合わせを終えてからは秋葉原に立ちよりパソコン用のマウスを購入してから帰社。残務を整理してから帰宅。リフォームの準備のためにベッドを解体する。ベッドのしたから花子の尿の臭いが広がり辟易した。
 
 中上『地の果て 至上の時』。警官の拳銃を奪った鉄男は、秋幸と龍造の目の前で、面白半分に父・ヨシ兄を撃つ。瀕死の状態になったヨシ兄を見て動揺する鉄男。ちょっと長いけど引用。
 
   □ □ □
 
 鉄男は身震いしつづけ、寒いと言った。友一にモンから毛布を借り受けに行ってもらい体に掛けると、「オヤジ、死んだ?」と訊く。「まだ死んでない」秋幸が答えた。毛布をすっぽりかぶってもまだ寒いと歯をかたかた言わせながら、死んでゆくヨシ兄を見たいという。秋幸はヨシ兄のそばに鉄男を連れていった。ヨシ兄は浜村龍造の膝に頭をのせてよこたわっていた。ユキが大仰に泣いていた。浜村龍造が小声でつぶやいていた。不意に思いつめていた事だというように、「生まれてくる弟、俺が育てたるさかね」と大声で言う。小声でものを言いかけていた浜村龍造が声を上げ、「そんなこと、何にも聞こえん」鉄男は言葉の意味を分からぬように立っている。浜村龍造が流れ出したヨシ兄の血で濡れた黒い手を振り、行けと合図する。秋幸は立ったままだった。むらむらと怒りがこみあげた。手を払うように振る浜村龍造の、闇にまぎれた黒い影のかたまりのような体から、朋輩を撃った者への断固とした拒絶が伝わるが、秋幸にはその拒絶こそ納得しがたいもの、もしその手に拳銃があるなら鉄男のように二発射ち、力ずくでこじ開けたいものだと、気づく。自分は拒絶されてはならないし、拒絶を許してはならない。秋幸は鉄男とともに立ったまま、自分がその黒い影のかたまりのような男が、フサに生ませた私生児である事、それ故にいつも拒絶する事しか知らぬ、名前も目鼻立ちも分からぬ黒い影のかたまりを憎悪して自分の誇りを保ち、生きてきた、と思い、今なら躊躇なく引き金を引くと思う。黒い影のかたまりに何の憐愍もいらなかった。黒い影のかたまりは親という秘密を暴れるのを拒絶しているようにも見えた。薪の燃え尽きたたき火はおきだけが熾っていた。
 
 
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十月二十四日(金)
「リズムの変容」
 
 夕べベッドを解体してしまったために、床にマットレスを直に置き、そのうえに蒲団を敷いて寝た。眠っているときはまったく問題ないのだが、起きたとき、それもはっきりと目が覚めたときでなく、尿意を感じ夜中にふと目覚めたときや、花子にご飯をせがまれ寝ぼけながらもしぶしぶ起きるときに少々困る。ベッドのうえに寝ているつもりで起きあがる。これは問題ないのだが、その次の行動に支障が出る。蒲団から抜け出し、立ちあがる。そのときにベッドとおなじ感覚で足を伸ばすと、すぐそばに床があるものだから、足元の予期せぬ反動に驚いてしまう。驚くだけなら目が覚めてむしろ喜ばしいかもしれないのだが、膝がカックンとなり体を支えきれずによろめいてしまい、焦ってしまった。ニンゲンとは日々の生活のなかで、無意識のうちに自らを規定していく生き物だ。その規定は朝起きる時間でもあるし、一人称の呼び方――オレなのか、私なのか、ぼくなのか――でもあるし、風呂にはいったときの体を洗う順序でもある。それらを支えているのが、自宅や愛車やよく使う駅の形、デザインなのだと思う。ベッドがなくなった。それだけならたいしたことではない。だが、ベッドがなくなり眠るときの体の高さが変わることが、自らの規定のしかたを根底から揺るがすことになり、その結果弱いニンゲンは生活のリズムを崩し、ポカを連発したり怪我をしたりする。
 
 というわけで、膝がいってえなあとつぶやきながら七時三十分起床。花子は今日も元気だ。というより、変だ。フニャンフニャンとなにやら要求でもありそうな声で鳴きつづけたかと思えば、廊下を全力疾走している。ハイテンションになったときの幼児の行動に似ているのかもしれないが、猫とは深淵なる精神の持ち主だ。そんな単純比較では計り知れぬほどの情動が、花子の行動を支配しているのだろう。
 
 八時三十分、事務所へ。天気予報では爽やかで過ごしやすい一日といっていたが、今朝は爽やかというよりも肌寒い。ジャケットのしたに長袖のカットソー一枚といういでたちでは、今朝の気温と風はしょうしょう厳しいと思ってしまった。自分の軟弱さを非難しながら「野菜倶楽部」に立ちより、モロヘイヤジュースとバナナを買う。
 
 午前中は給与振込、家賃支払いなど。午後よりQ社企画。十四時、T社の新人――といっても中途入社だが――P氏とN振興組合の件で打ち合わせ。実制作でははじめてのお客さまだ。T氏、阿佐谷美術学校――だっけ?――に通っていたそうで、学生時代は荻窪に住んでいたそうで、このあたりの景色を全然変わらないですねと懐かしがっていた。住んでいるぼくから見れば、荻窪も西荻窪も、つねに変わりつづけているのだが。
 十五時、キヤノンの営業T氏が来る。先日購入したNECのノートパソコンからネットワークプリンタが認識できない問題の対処のためだ。一時間ほどプリンタの設定用コンソールと格闘した結果、ブロードバンドルータを変更した結果、IPアドレスが192.168.0.Xから192.168.1.Xに変更となってしまったために使用不能となっていたことが判明。プリンタには192.168.0.Xの固定IIPアドレスが割り当てられていたのだ。DHCPサーバを利用しているからプリンタも自動割当になっているはずだと思っていたが、その思い込みがいけなかったようだ。移転時にプリンタの再セッティングをしてくれたキヤノンのサービスマンのZ氏も、この点は見逃していたらしい。
 
 十九時、帰宅。寝室、書斎、廊下の床の張り替えは完了していた。白っぽい大理石のような模様のクッションフロアーを選んだのは正解だった。家のなかがとても明るく見える。家具が引き立って見える点もうれしい。
 帰宅後は机などのセッティング。これを済ませないと、リビングにある家具を一時非難させることができない。明日はリビングの床の張り替えなのだ。二十一時までかかって、バラしていた机を組みたて直し、ステレオをつなぎ直し、パソコンをつなぎ直し、空いたスペースへリビングにあった細かいガラクタを移動させる。肉体労働は疲れる。
 ステレオをセッティングし、テストのために手元にあったシルヴィアン&フリップの「ザ・ファースト・デイ」を再生してみて、異様なことに気づいた。リフォーム前より、音が軽くてカチャカチャしているのだ。よくよく考えれば、壁をタイル材であるエコカラットにしたのだから当たり前なのだが、あまりの音の変わりように驚いてしまう。ちょっとイヤな傾向の音質なのだが、そのうち慣れるだろう。
 
 夕食は手軽にピザ。
 
 中上『地の果て 至上の時』。ヨシ兄が撃たれた翌日の早朝、朋輩であった龍造は自宅の、かつて秋幸に殺された息子の秀雄が使っていた部屋で首をくくって自殺する。偶然その場を目撃する秋幸。
 
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 空に明かりが刻々と広がり、それが応接間の中にも伝わった。ほんの一瞬前まで書斎のドアと把手の区別はつかなかったのに、今は金具の模様まで外からの明かりで見える。書斎の中に半開きのドアから応接間に広がる朝の明るさが入り込むが、依然として暗い。影がくっきりと全貌を見せる事はない。影はゆっくりと闇の中に沈み込むように身をかがめた。淵から這い上がったように身を起こすと鉄の金具がぶつかりこすれる音がした。影が身をひるがえすようにして歩き、三度、シュッシュッシュッと音が立つ。影は伸び上がる。また金具が音をたてる。影は光の射さない中を歩いていた。板がぶつかる音がし、者を引きずる音がした。引きずって半開きのドアからのぞけるところまで来て止まって、秋幸は影が隅から木の頑丈な椅子を引きずって来てそこに置いた事に気づいた。その時、初めて秋幸は影がそこにたたずんでいる意味も、立った物音の意味も分った。息が一瞬つまり、体が疑いと驚きで裂ける気がしたが、秋幸にはそれがまた、有馬の小屋を早く出たときから察知していた自明の事だったような気がした。声をかけようと思わなかった。その影に向って呼びかけるどんな言葉も胸にあったが、声をかけたくないという不分明な気持ちのまま、ただ見た。影は秋幸に向い合うように立った。影は動いた。音が立った。影の背丈は闇の中で倍に伸びたように見えた。影は深い息をしながら動かなかった。すっかり白み、あけた朝の外からの明りで影には応接間に立った仕事着姿の秋幸が見えているはずだった。秋幸はそう思い混乱した。声を掛けたくないし、声を掛けてはならない、いや、止めさせなくてはならない、自分がいるここに引きとどめなければならない、と錯綜し、自分は一体、その影の何なのか、その影は自分の何なのか? と思った。一瞬、声が出た。秋幸は叫んだ。その声が出たのと、影がのびあがり宙に浮いたように激しく揺れ、椅子が音を立てて倒れたのが同時だった。「違う」秋幸は一つの言葉しか知らないように叫んだ。
 
 
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十月二十五日(土)
「家の変容」
 
 リフォームの職人が来る時間に合わせるために十日近くつづいた早起きも今日で終わると思えば、多少は気が楽だが、やはり早起きは嫌なもので、それが休日、土曜日となるとなおさらのことだ。しぶしぶ起きあがり、中途半端に改装され家具が無秩序に、放置されたように置かれた部屋のなかで、不自由しながら身支度する。早起きのつらさなどもうすっかり忘れ、今はこの人の導線を滅茶滅茶にする部屋のなかから一刻も早く解放されること、すなわちリフォームが完了することばかりを考える。それから、麦次郎のこと。隣にあずけた麦次郎を、早く引き取りたい。
 
 テレビ。オセロが司会するワイドショーみたいなバラエティに、熊田曜子ちゃんが出ている。彼女はとてもかわいいと思うのだが、雰囲気が芽が出はじめたころの松田純ちゃんに似ていて、ひょっとするとおなじ道を進んでしまうのではと心配になる。純ちゃんはチョロとの不倫騒動で人気が急落してしまった。あのまま順調に行けば、今ごろはそこそこの地位の女優になっていたろうに。残念。熊田ちゃんには、男性関係は気をつけてほしい。
 
 職人が来たところで、カミサンは事務所へ。カレンダーの印刷。ぼくは家に残り、取りあえず壁面も床も作業は完了した書斎で、夕べ家に持ち帰ってきた仕事をはじめる。Q社音響機器の企画。しかしリフォームの作業音と裏手のマンション新築工事の騒音、それから花子の「遊んでかまって」欲求の三段攻撃に打ちのめされ、撃沈。ほとんど作業できず。わがままをいいつづける花子をケータイで撮影し、メールでカミサンに送ってみる。
 
 午後、カミサン帰宅。お弁当を買ってきてもらう。食後も仕事にかかろうとするが、断念する。デスクで一時間ほどうたた寝。早起きの連続で体が疲れているようだ。
 
 夕刻、ようやくリフォーム工事が完了する。床のクッションフロアーは白っぽいマーブル調の模様が入ったもので、以前の鼠色のカーペットより部屋を明るくしてくれる。天井からの明かりを床面が反射してくれるのだ。シンプルな美しさ。見た目は大変満足しているのだが、問題は床の硬さだ。衝撃吸収と騒音防止のためのクッションをしたに敷いているため、床に物を置くとへこんだ跡がつく。軽いものならしばらくすればもどるが、重たいものは素材そのものを痛める可能性もある。ちょっと気を遣う必要がありそうだ。
 
 夜は荻窪の西友へ。家具の転倒防止ベルト(?)を購入。そのままルミネに寄り、夕食を食べてから帰宅。よくわからん中華のチェーン店に入ったが、大外れである。料金の高いファミレスに入った気分。普段はナショナルチェーンはなるべく使わないようにしているのだが。血迷ってしまった。
 
 ある程度片づけてから就寝。明日は本棚に本を入れ直したり、和室に起きっぱなしのガラクタをしまったりせねば。
 
 中上『地の果て 至上の時』。土地の者たちは、秋幸が龍造を殺したのではないかと噂する。
 
 
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十月二十六日(日)
「おかえり麦次郎」
 
 早起きはくせにならないことが、今朝、証明された。八時に起きて本棚その他の整理をしようと思ったのだが、体がまったく動かない。胸のうえの花子が載っているせいで動けないせいもあるのだが、それ以前に疲労していて力が入らない。三十分ほどダラダラしていたら、だんだん意識も体もはっきりしてきたので起床する。
 
 午前中は本棚の整理。我が家にはマンガから純文学、大衆文学、写真集、画集、哲学書に至るまで、八百冊くらい本がある。CDも二百枚くらいあるだろうか。これを整理するのは一日仕事かと思ったが、そうでもなかった。二時間で作業終了。
 
 午後より吉祥寺へ。ケーブルを隠すためのモール、カミサンのカレンダーの材料、チーズケーキ、マタタビボール――丈でつくった鞠のなかに、マタタビがしこんである――猫のご飯。西荻でぼぼりのアイスクリーム、夕食の材料、ビールなど購入し、十七時ごろ帰宅。すぐにお隣へ麦次郎をむかえに行く。麦、ときどき玄関で恋しそうにアオーンと鳴いていたそうだ。お礼にとマタタビボール、チーズケーキ、ぼぼりのアイスクリームをお渡しし、麦と帰宅。
 花子をリビングルームに閉じこめ、麦を書斎に入れる。麦、しばらくは変わってしまった家のなかをクンクンと鼻をつかって確認しつづけているが、やがて納得したのだろうか、落ち着きはじめ、ニンゲンに甘えるようになった。花子は麦次郎の気配を察知しているはずだが、特に変わった態度は示さない。麦次郎も大人しいものである。当面は隔離して暮らし、徐々に慣らしていこうと思う。 
 
 島田紳助が司会する法律の番組に、またまた熊田曜子ちゃんが出ていた。
 
 中上『地の果て 至上の時』。龍造の葬儀に出席せずに、瀕死のヨシ兄に面会に行く秋幸。数日後、秋幸は異母妹のサト子とともに、「秋幸が龍造を殺した」と主張する異母弟の友一のところへ向う。
 
 
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十月二十七日(月)
「変容から修復へ」
 
 夕べはカミサンが麦次郎と書斎で添い寝し、ぼくはベッドで花子と寝た。おたがいの顔を見せぬまま、再会第一日目をやり過ごしたのだが、案の定二日目の朝は麦の大騒ぎではじまり、土曜で終わったはずの早起きの日々は、今日まで引きずることになってしまう。というわけで、七時二十分起床。
 
 八時十五分、事務所へ。桜の木が黄葉している。緑がくすみはじめたと思ったら、一枚ずつ、すこしずつ、ゆっくりと黄葉していくらしい。黄葉とは、夏の間活動していた葉緑素が引き上げるために起こる現象なのだそうだ。引き上げられた葉緑素は、幹の中で一冬越して、花吹雪を散らしたのちに、ふたたび新緑として出てくるのだろうか。
 
 Q社企画。合間を縫うようにして、D社PR誌など。仕事はかなり落ち着きはじめている。十八時に帰宅する。
 
 昼間のうちに、カミサンが麦次郎をケージにいれた状態で花子と対面させたのだそうだ。二人はさほど興奮することも逆上することもなく、いつもとおなじような態度でおたがいの存在を確認しあったらしい。六年かけて築き上げた友情――愛情?――である。一度のリフォームくらいで、ぐらつくものではないのかもしれない。しかし、些細なことで関係が修復不可能になる猫も多いと聞く。
 
 中上『地の果て 至上の時』読了。龍造とヨシ兄が立て続けに死んだ後、秋幸は路地跡に火をつけ、すべてを消し去ろうとする。実際、秋幸は町から消えた。秋幸の姿なきまま、物語はラストを迎える。
 最後は誰もいなくなる。路地は龍造や土建業を営む義父母たちによって消し去られたが、浮浪者の溜まり場として存在しつづける。形は変われど、路地は路地だという思いが秋幸のなかにはあったのだろうか。そして龍造との確執と愛情の入り混じった関係――殺意まで孕んだ危険な関係――。それは路地という場所を舞台にし、媒介としていたはずだ。龍造との関係が、彼の自殺によって破綻した結果、秋幸にとって、浮浪者の溜まり場としての路地は存在価値を失ったのか。いずれにせよ、中上がこの作品で「小説」としての路地に、そして私生児秋幸を中心とする小説にピリオドを打とうとしたのは確かである。中上は、路地を小説の舞台ではなく「物語の舞台」として描くようになる。
 
 つづいて、保坂和志『カンバセイション・ピース』を読みはじめる。
 
 
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十月二十八日(火)
「猫のための時間」
 
 早くに目が覚めてしまうのは今朝もおなじで、それが猫のためというのだから、動物を飼うことになんら興味を持たない人から見れば、ぼくら夫婦のここ数日の暮らしぶりはかなり奇妙に思えるかもしれない。すっかり猫中心の――それも、不仲になった猫同士の関係を修復するための――生活になってしまった。猫の様子が気になるから、仕事は早めに切り上げ帰宅してしまう。麦次郎はケージに入れてあるのだし、花子もさほど攻撃的になっているわけではないのだから神経質になることもないのだが、だからといって安心しきって会社で黙々と仕事をつづけるのはどうも調子が狂う。もっともここ数日は暇で夜に何時間も会社に残る理由はない。早く帰って、猫の頭をなでてやるべきだろう。七時二十分起床。
 
 九時、眼科医へ。眼圧、どうやら正常値にもどったらしい。アレルギー性結膜炎の点眼薬だけ処方してもらう。
 
 九時三十分、事務所へ。外は雨だ。雨滴に冷やされた空気がすこしずつ去りゆく空きの滲みるようなわびしさを強調しているようだ。桜やイチョウの黄葉した葉が、雨に濡れた重みで地面に落ち、ぺたりとアスファルトに貼りついている。視線をうえにやると、落葉樹はいつもより力なくさみしそうに見えてくる。これも秋の雨の仕業に違いない。やがて葉はすべて落ち、冬には幹や枝がむき出しになる。
 
 午後から御苑前のB社へ。U社PR誌の打ち合わせ。B社にうかがうときはきまって雨だ。なぜだろうかと思うが、答えはひとつしかない。偶然である。
 
 帰社後はU社PR誌の企画。大急ぎで作業する必要はないので、十八時三十分に店じまい。
 
 猫たちの様子は、夕べとまるで変わらない。麦次郎に、何度か「あんたに用がある」とでもいっているような声で鳴きかけられた。
 
 保坂和志『カンバセイション・ピース』。築三十年の一戸建てに、小説家の主人公とその妻をはじめとする七人、そして猫三匹が同居する話。coversation piece、和訳すると「風俗画」とか「団欒画」という意味になる。家を中心とする団欒。おおきな事件が起ることもなく、平穏にすぎていく日常のなかの会話と想い。この小説の構成要素はそれだけのようだ。
 
 
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十月二十九日(水)
「テレビの楽しみ方/描写の力」
 
 花子と麦次郎を鉢合わせさせないために、夜は麦次郎を書斎に閉じこめ、花子を寝室に閉じこめる。そのために朝起きるときには打ち合わせと調整が必要になる。麦といっしょに書斎で寝るカミサンと、花子といっしょに寝室で寝るぼくのどちらが先に扉を開けるか。それだけのことなのだが、トイレに行ったり顔を洗ったり着替えたり食事をとったりと、短時間のうちに様々な行動が集中する朝にこういった手順が増えるというのは、かなり面倒なことである。ぼくらが気を遣っているあいだ、麦はまだ眠りこけている。花子ははやく起きてと甘えている。七時三十分起床。
 
 風の強い一日。朝の風は少しばかり冷たく、秋から冬へと移り変わるその経緯はこの風の吹き方を見ていればわかるのではないか、などと思いながら事務所へ向ったが、昼間は気温が上がってしまったせいで、季節などまったくわからなくなる。風の強さはまるで冬場に北関東――ぼくの出身地――に吹き下ろすからっ風のような強さなのだが、暖かなので調子が狂う。空を見上げると、雲はまるで見当たらず、空の天井――そんなもの、あるわけないのだが――がいつもよりもはるかに高いところにあるように見えた。
 
 八時四十五分、事務所へ。大慌てでメールチェックをしてから病院へ。帰社後はN不動産、U社PR誌など。夕方はカイロプラクティックへ。
 十九時三十分、店じまい。
 
 夜は『トリビアの泉』『ココリコミラクルタイプ』『マシューズベストヒットTV』と、たてつづけにテレビを観る。水曜日は好きな番組が集中しているので、楽しみだ。楽しみ方は、三つとも異なる。『トリビア』は無駄知識が逆にぼくのような仕事のものには有益な知識になるかもしれないし、『ミラクル』はニンゲン観察にうってつけだ。ちょっと大げさすぎるが。『マシュー』だけは、ちょっと違う。ただただ、純粋に愉しんでいる。今日のゲストはZONEだったが、やはりモー娘。系のアイドルが出演するときがいちばんおもしろい。
 
 保坂和志『カンバセイション・ピース』。横浜ベイスターズを応援する主人公の高志。ぼくは野球には夢中になれないのだが、それでも興奮している様子はよく伝わってくる。これが描写の力なんだと思う。
 
 
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十月三十日(木)
「ハンカチ忘れた」
 
 七時三十分起床。早起きの生活に慣れてしまった自分の順応性を、当然と評すべきか、意外と評すべきか迷いながら身支度をするが、実は全然順応などしていないようで、相変わらず出かける直前に「ハンカチ忘れた」などと慌てたりする。わが家ではニンゲンのほうはそんな苦労をつづけているわけだが、猫のほうはすこしずつリラックスしはじめているようで、花子はときどき麦次郎と目が合うとシャーと威嚇するものの、麦はつねに平常心で、おとなしくケージのなかで丸まって寝ているのが常だ。週末にはケージから出して普通に飼うことができるかもしれない。
 
 八時三十分、事務所へ。十時よりT社のNさん、PさんとE社の件で打ち合わせ。結局ギャランティの面で折り合いがつかないため、仕事は断ることにした。
 午後はD社PR誌、U社PR誌など。十九時三十分、終了。
 
 二十一時、テレビ『トリック』。夜は貧乏人を紹介するバラエティ『銭形金太郎』。いたってふつうの、忙しすぎず、暇すぎず、ある程度の余暇――といってもテレビを観てばか笑いする程度だが――もある日がつづいている。
 
 保坂和志『カンバセイション・ピース』。蝉、花火大会、机しかない十畳間、胎児の成長、人間の進化と昆虫の関係。
 
 
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十月三十一日(金)
「結局書いちゃった」
 
 七時三十分起床。八時三十分、事務所へ。午前中は銀行へ。その後P社企画を手早く済ませる。午後より外出。D社にてPR誌表紙のプレゼン。マックにつないでいるマウスの調子が悪いので帰りに秋葉原に寄って三十分ほど物色してみたが、結局なにも買わず。帰社後はほとんどすることがなく、残務整理と新聞整理をしてから帰宅する。パスタを夕食にし、入浴後『タモリ倶楽部』を観てから就寝。
 
 と手短に一日をまとめて唖然とする。二十四時間、いや正確には七時三十分から一時すぎまでの十七時間あまりなのだが、それをなんの描写もなく書いてみると、ここまで簡潔にできるのか。今朝の空は綿をうすく引き伸ばしたような軽い雲が幾重にも重なっていたことや、それが夕方には濃淡が激しく形は複雑だがはっきりとしている雲が夕陽を浴びて紫を帯びた橙色に――あかね色、というのだろうか――染まっていたこと、秋葉原には外人が多くて、コンデンサだかICだかよくわからんが精密機器ばかりを扱う専門店のまえで、大柄なアメリカ人が店員を質問攻めにしていたこと、街中のいたるところでヤフーBBのキャンペーンをしていたこと、アダルトアニメDVDを専門にあつかうショップのまえで、顔のふけ具合は四十代だが身に付けているものはこの街に多く集まるアニメファンとおなじファッション――長髪(ロン毛ではなく、長髪)、メタルフレームのメガネ、チェックのネルシャツ、ジーンズにスニーカー、ショルダーバッグに紙袋――の男が三人で、道端で真剣にアニメ作品の論評をしていたこと、この街にはちょっと似合わなそうなアイドル系の顔つきをした女の子が胸元の深く切れ込んだニットを着ていて胸の谷間が強烈だったこと、帰りの電車のなかで赤いカーディガンを着た三十代後半から四十代といった感じの、一重まぶたで茶髪ショートの女性がつり革を頻繁に右左右と持ち替えながらにやにやしていたこと、などをやはり書いたほうがいいのかと考えてしまう。結局書いてしまった。
 
 保坂和志『カンバセイション・ピース』。夏休みに里帰りした従姉妹たちと伯父の墓参りに行く主人公。
 
 



《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。最近のお気に入りは「チョコエッグ 戦闘機シリーズ2」。空を飛ぶものが好きだ。だからトリが好きだ。トリには好かれる。きゅーは例外だが。猫も好きだ。だが猫からは嫌われる。

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