「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

二〇〇三年九月
 
 
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九月一日(月)
「今日の事件簿」
 
●早起き登記簿事件
●わずかな時間に請求書事件
●ちょっと汚いよねえ事件
●ピンクな五反田事件
●コピー千本ノック事件
●お断りして迷惑事件
●カミサン三時間待ち&タクシー帰り事件
●疲れて活字が読めないよー事件
 
 
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九月二日(火)
「疲れたので今日は短めです」
 
 八時起床。きゅーがかなり恢復してきたので、今日からぷちときゅーをおなじカゴにいれてみることにする。気のせいか、いつもより二羽とも機嫌がよいようだ。
 
 九時、事務所へ。E社POPのコピー等。十七時、書いたコピーをもってE社へ。結局ぼくのコピーはたたき台となり、打ち合わせの場でもう一度考えることに。POPのコピーは難しい。ビジュアルとの相乗効果は望めないし、ことばは短めになるし。
 
 二十一時、E社のポスターの件で、デザイナーのUさんと打ちあわせ。アイスゆずティーなる飲み物を飲んだ。はちみつで甘味をつけてある。
 帰りがけに、原宿駅のホームで雌のカブトムシを見つける。明治神宮の森に住んでいたヤツが、駅の明かりに吸い寄せられてしまったのだろう。かなり弱っていた。
 
 二十三時過ぎ、帰宅。疲れた。
 
 中上『枯木灘』。秋幸の血族についての描写がつづく。
 
 
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九月三日(水)
「体調悪いので短めに」
 
 七時三十分起床。蒸し暑い一日。十時、広尾で打ちあわせ。帰社してからはE社パンフレットの台割とコピーに終始するが、首から背中にかけてが痛み、まったく集中できず。頭痛もひどい。夕方、チラリと近所の整骨院へ行き、マッサージと軽い整体を受ける。二十時、痛みのため仕事がはかどらず、やむなく帰宅。
 
 中上『枯木灘』。ゆっくり、じっくり読みたい小説。
 
 
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九月四日(木)
「体調が超悪いので超短めに」
 
 七時起床。八時出社。十時、恵比寿のL社にて取材。十二時帰社。帰社後はE社パンフレットのコピーライティングと今日の取材内容の整理。十八時、E社パンフの件でB社のGさんと打ちあわせ。
 頭痛がひどい。集中力が持続しない。夜はまったく働く気になれない。まいった。
 
 中上『枯木灘』。
 
 
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九月五日(金)
「今日は体調がいいので長めです」
 
 七時三十分起床。多忙ゆえ、いつもより早めに起きる日がつづく。単純に起床時間が少々繰りあがるだけの話だというのに、どういうわけか生活のリズムは微妙に狂い、家を出てしばらく歩いてから「あちゃー」と情けない声をあげながら頭を抱えることが多くなる。今朝はハンカチを忘れてしまった。忘れっぽいのはきっと体調が悪いからだろう。風邪などの悪性ウィルスがもたらす伝染病ではなく、仕事のしすぎが原因の姿勢の狂いだとか骨格のゆがみによる体調不良だということはよくわかっている。躯があちこちで一斉に、そして大袈裟に悲鳴を上げているのだ。ここ一ヶ月、休みらしい休みを一日も取っていないのだから仕方がない。躯のほうにしてみれば、これはストライキということなのだろうか。
 
 八時三十分、事務所へ。鈍い頭痛と背中の痛みに喘ぎながらの通勤は、肉体的な、というよりも精神的な疲労のほうが大きくなる。オレハイッタイナニヲシテイルンダ? という無機質な叫びが、一歩一歩足を進めるたびに、後頭部や肩甲骨の横っちょあたりから、何かに伝わるように脳みその奥のほうへと響いてくる。
 掃除もせずに、N社マーケティング記事の原稿を黙々と進める。
 
 十二時三十分、カイロプラクティック。ここ数日の体調を説明したあとで、施術してもらう。いつもより念入りで、おまけにいつもはやらない技がところどころで加わっている。どうやら、いつもとは違った形の躯のゆがみが生じていたらしい。一ヶ月休んでいないというと、そりゃこうなりますよと笑われた。働きすぎて笑われたのは、はじめてだと思う。施術後、頭痛は嘘のように消えた。背中の痛みは、若干残っているがかなりマシだ。
 
 帰社後もN社の件。一時間ほど作業したところで外出。十六時より、三田のT社にて、N振興会のホームページのプレゼン。キャッチフレーズは好評だった。
 
 十八時三十分、帰社。またまたN社の件。印刷会社L社のNさんより電話。E社ポスターのプレゼンが今日行われたらしい。プレゼンなのだから時間を教えてもらえれば無理をしてでも同席したのに、と思っていたら、案の定、キャッチは大幅に方向転換、ビジュアルも否定され、その場でコピーも絵柄も決められてしまったらしい。うーん、同席できればこのような状態は回避できたのに、と思う。だが、仕方ない。ポスターではとくにこの傾向は顕著なのだが、コピーライターの仕事もデザイナーの仕事も、ときにクライアントによって完全否定され、彼らの考えたアイデアで強制制作になってしまうことがある。構成力や文章力、そして知識や素養がないと絶対に書けないボディコピーや複雑で入り組んだレイアウトの場合は「こんな感じにしてほしい」という指示だけで終わってしまうのだが、ポスターの場合は、おそらく内容がシンプルであるだけに、自分たちにもつくれると錯覚してしまうようなのだ。コピーは理屈に理屈を重ね、そのうえで自分がこれまで培ってきた視点、蓄えてきた様々な情報、読んだ本や観た映画から受けたイメージなどが重ねられて生まれ、さらに呆れるほどに細かな推敲がなされている。デザインにしても同様だろう。これが否定されるのは、ぼくらクリエイターが得意先の要望を理解できていなかったということだからしかたあるまい。だが、そこに瞬時の思いつきやグダグダした会議の流れのなかで、煮え煮えの頭から生まれたコピーや、得意先担当者の主観――というよりも趣味――だけで決められたビジュアルが、クリエイター不在の場で、半ば強引に決められてしまうのは少々解しがたいし、許せない。報告のなかで聞いた決定稿のコピーはビジュアルとまったく関連性もなく、受け手の想像力を喚起させるだけの力もなく、さらに受け手に新たな提案をしたり価値の発見を促したりするような内容も、ない。悲しくなった。
 
 二十一時三十分、業務終了。「それいゆ」で、新メニューの和風ハンバーグのせご飯を食べる。ハンバーグがナイキのスニーカーのソールくらい分厚くて、そこに醤油味のキノコソースと大根おろしが乗せられている。キノコソースだけでは口が重たくなるが、大根おろしがそれをさっぱりさせてくれるのがありがたい。ペロリと平らげた。いっしょにビールを頼んだが、コロナしか置いていないという。ひさびさに飲んでみたが、不味かった。ライムの果汁を加えて飲むのは、誰が考えたのだろう。バブルの時期は喜んで飲んでいた記憶があるが、今思えばそのころの自分が恥ずかしい。
 
 二十二時三十分、帰宅。半身浴をする。入浴後、筋トレとストレッチ。ストレッチは毎日しているが、腰や背中が痛むのは筋力が衰えたからではないかと思い、昨日から筋トレもはじめることにした。効果があるとよいのだが、まだわからない。躯を動かしながら、キング・クリムゾンの「USA」を聴く。「Asbery Park」は歴史に残る名演奏だと思う。これぞ、プログレ。
 
 中上健次『枯木灘』。複雑な血のしがらみのなかで生まれた主人公の秋幸は、土方仕事をしながら、空っぽになった自分を夢想する。それは、躯のなかに流れる自分の血を否定したいという気持ちの現れなのかもしれない。秋幸の父親は、地元で蝿の王と呼ばれるろくでなしのヤクザ者の浜村龍造である。種違いの兄である郁男は、アル中となり、郁男やほかの姉たちを捨てて、幼い秋幸だけを連れて別の男のもとへ行ってしまった母親フサと秋幸を何度も殺そうとしたが、三月三日の朝、ベルトで首を吊って死んだ。
 秋幸が自分を空っぽにしたいという欲求が現れてる部分、ちょっと引用。
 
   □ □ □
 
 何も考えたくなかった。ただ鳴き交う蝉の音に呼吸を合わせ、体の中をがらんどうにしようと思った。つるはしをふるった。土は柔らかかった。力を入れて起こすと土は裂けた。また秋幸の腕はつるはしを持ちあげ、呼吸をつめて腹に力が入る。土に打ちつける。蝉の声が幾つにも重なり、それが耳の間から秋幸の体の中に入り込む。呼吸の音が蝉の波打つ音に重なる。つるはしをふるう体は先ほどとは嘘のように軽くなった。筋肉が素直に動いた。それは秋幸が十九で土方仕事に就いてからいつも感じることなのだった。秋幸はいま一本の草となんら変わらない。風景に染まり、蝉の声、草の葉ずれの音楽を、ちょうどなかが空洞になった草の茎のような体の中に入れた秋幸を、秋幸自身が見れないだけだった。 
 
   □ □ □
 
 実父龍造が現場に突然現れたあと、自宅に戻り道具の片づけをしながら思案する秋幸の心理描写も引用。ここでは郁男への思いと自責の念――死ぬべきなのは郁男ではなく、自分だったのではないか――が語られている。 
 
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 思わぬことで遅くなったので、徹を下水の流れ込む川そばの家まで送って「後で町へ行こら」と約束して秋幸は、一人ダンプカーに乗って家へ帰った。夏ふようの木にダンプカーを止め、朝、一人で道具を積むように今度は一人で道具を荷台から降ろし、倉庫に納めた。繁った木の梢は秋幸の短い髪に触れ、秋幸は自分の頭を撫ぜる女の手を思い出し、突然体が鳥肌立つのを感じた。手は髪を撫ぜたのだった。足は足にからまり胸はいまひとつの胸に重なり合ったのだった。血管を腫れあがらせる血を自分の体から絞り出したい、と秋幸は思った。秋幸は土のついた道具を抱え倉庫に運びながら、不意に温かい血のような涙が眼にあふれるのを知った。誰も見てはいないと分かっているが、涙を流す秋幸を見ている者らがいる気がした。あの時、殺されたほうがよほどよかった。あの時なら郁男の握る包丁の一突きで、鉄斧の一撃で簡単に殺される事は出来た。何も見る事はなかった。知る事もなかった。いや何もする事はなかった。二十六の、郁男の死んだ歳を二つも超えた十分な大人の男のいま、すべては遅い。秋幸はすでに見た。知った。やってしまった。秋幸はそう思い、鳥肌立ち、身震いしながら夏ふようの横に立っていた。   □ □ □
 
 寝るまえに、DVDでタルコフスキー監督の『惑星ソラリス』の後半を観る。一気に全部観てしまった。先日劇場で観たジョージ・クルーニー主演の『ソラリス』とは比較にならないほど絵が美しい。
 
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九月六日(土)
「麦で五分/もう、秋の花?」
 
 八時に一度目が覚めた。横で寝ている麦次郎にちょっかいを出してみる。ほっぺをうりうりと触り、恍惚の表情を見せはじめたところで腹のあたりをぎゅっと掴む。麦はたちまち表情を変えてぼくの手に噛みつこうとする。ぼくはそれをささっとかわし、別の場所をぎゅぎゅっとつかむ。以下同様。五分くらいこうして遊んでいたと思うのだが、気づいたら眠っていて、時計は十時を指していた。
 
 午後からリフォーム業者が下見にやってくる。壁紙と床を張り替える予定。業者はうちのなかに転がっている赤外線治療器や空気清浄機、除湿器などをみて「いろんな変なものがころがってるなあ」といっていた。わが家のペットをみて、「ウチも最近小桜インコを飼いはじめたんですよ」ともいっていた。花子は彼のことが好きなようで、見積のために室内を巻き尺で測りつづける彼の様子をじっと見ている。ときどき彼にすりよってカラダを足にこすりつける。三十分ほどで、業者は帰った。
 
 夕方から散歩に出かける。蝉の声は相変わらずけたたましいが、空の色がいくぶん秋めいてきたせいだろうか、その音はいくぶん物悲しく聞こえる。
 「ぼん・しいく」で遅めの昼食。ぼくは茄子と大豆のキーマカレー。カミサンはチョコレートシフォンケーキを頼んだ。キーマカレー、茄子と大豆のせいかヘルシーな感じでなかなかよい。しっかりスパイスをオリジナルにブレンドしてつくっているようで、ときどきクミンシードの香りが口のなかに強く広がるのが、カレー好きのぼくにはたまらない。
 駅前の仲通商店街を抜け、五日市街道の方まで歩いてみる。駅から離れるほど、あたりは庭付きの古い一戸建てが増えていく。どこの庭にも樹木が植えられ、さまざまな花を咲かせている。秋の花だろうか。散歩にでるたび、植物に詳しくないことが悔やまれる。
 古書店「スコブル屋」へ。マニアックな品揃えで有名な古本屋だ。奥泉光『石の来歴』、笙野頼子『二百回忌』『てんたま おや知らず どっぺるげんげる』『パラダイス・フラッツ』『言葉の冒険、脳内の戦い』『母の発達』を購入。笙野頼子は最近いちばん気になっている作家なのだが、なかなか書店には並んでいないので、うれしい。
 
 買い物を済ませ、十八時前に帰宅。鳥籠の掃除をする。
 夕食はサンマ。初サンマだ。今年は大量らしく値段は安い。今日のは一尾八十八円だった。
 
 中上『枯木灘』。
 
 
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九月七日(日)
「脳みそ以外の記憶」
 
 汗で寝巻きがぐっしょりと濡れている。襟は水分でよれて形をなくし、脇や腹や背中には寝巻きの布地が吸いとりきれなかった汗が筋肉や骨格がつくるくぼみにゆっくりとたまっていくように感じられる。目が覚める。いや正しくいえばカミサンの「アツイ」という声で目が覚めた。エアコンのリモコンを見ると、ドライにセットしたはずが、ボタンを押し違えたのだろうか、送風モードになっている。窓は閉めきっていたから、寝室の湿度と温度はあがり、サウナとまではいかないがねっとりとした空気が蒲団のうえで澱んでいる。慌ててスイッチを入れ替えた。しかしぼくは、意外にもこの手の熱気には慣れている。ビンボーだったからガキのころはエアコンをつけて寝るなどという贅沢はしたことがなかったからか。二十年以上昔のことだが――エアコンをつけて寝るようになったのは大学生になってからだろうか。思い出せない――、皮膚や神経は昔経験した暑い夜をしっかり覚えているのだろう。記憶とは、脳のなかに残るものだけではないのかもしれない。
 
 八時三十分、起床。窓を開ける。外からひんやりとした空気が、ほとんど動かない風にすこしずつ押されて静かにリビングのなかに流れ込む。染み込んでいく、と書いたほうが正確かもしれない。空気はどうやら空を覆う鼠色の雲に冷やされていたらしい。陽の光は拝めない。空気が冷えたのはいつのことなのだろうか。夕べの蒸し暑さはなんだったのだろう。眠る人が吐き出す熱気のようなものが、部屋の空気を変えたというのか。不思議な気分のなか、シャワーを浴び、顔を洗う。
 
 九時三十分、事務所へ。N社マーケティング記事の原稿、E社パンフレットの企画、ラフなど。午後からカミサンも出社。E社のパンフ用のイラストを描いてもらう。マンガ系の企画は安心してまかせられる。得意先の受けもいいようだ。
 まだ背中が痛む。気晴らしにインターネットで「背中の痛み」とか「背中 ツボ」とか、そんなキーワードで検索をしてみたら、背中の痛みに効くツボの紹介ページがいくつか見つかった。さっそくいくつかを実践してみるが、痛みが和らいだかどうかはわからない。筋肉は柔らかくなったような気がするが、実際のところは、どうか。
 
 二十時、帰宅。ピザーラでピザを頼んで夕食。おまけにキリンの「生黒」がついてきた。コーラを水で薄めて、甘味をひっこ抜いたような味。美味しくない。
 
 キング・クリムゾンの「The Essensial King Crimson」のPart 4(Live)を聴きながら筋トレ。これに収録された『二十一世紀の精神異常者』は歴史に残る名演奏だと思う。
 
 中上健次『枯木灘』。複雑な血は肉親同士の微妙な憎悪と愛情を同時に産み落とす。人はうずまく血と感情に振り回されながら生きるしかない。それがいやなら、主人公の秋幸のように、自分が自分と感じなくなるまで、草や木や土とおなじと思えるくらいまで、懸命にツルハシを振るい、汗を流すしかない。それを逃避と呼んでいいのだろうか。
 
 
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九月八日(月)
「今日の事件簿」
 
●伝わってない事件
●七十六万円事件
●気学事件
●やっぱり来られなかった事件
●麦茶が切れた事件
●蝉の声が聞こえない事件
●真夜中のごみ捨て事件
●真夜中なのに人がいっぱい事件
●控えめにゲロを吐く男事件
●ビールの味がわからない事件
●今日は新聞以外なにも読んでないや事件
 
 
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九月九日(火)
「今日の事件簿」
 
●なんとかなった事件
●それはヤキトリのレバーだろう事件
●コージーコーナー事件
●女子高生には涼しげな女子高生と暑苦しい女子高生のふたつのタイプがあり、前者の数は極めて少なく絶滅寸前であることに気づいた事件
●麦茶は切れたまま事件
●真夜中のおしゃれイラスト事件
●一気に十二ページ事件
●秋の虫がうるせー事件
●ちょっと飲んだらめちゃ酔った事件
 
 中上『枯木灘』。腹違いの妹との関係の告白、義父への怒りと興味の不気味な均衡。物語に緊張感が高まればたかまるほどに、主人公秋幸の肉体労働時の心理が、どんどん空疎になってゆく。
 
 
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九月十日(水)
「」 
 
 七時三十分に目が覚める。ここ数日、忙しい状態がつづいている。毎日日付が変わってから帰るありさまで、日記も満足にかけない。忙しいときは不思議なもので、ふだんなら夜に鳴く虫の声を聴けばああ秋が少しずつ顔を出しはじめているなどを思いを巡らせ頭のなかでどう描写しようかと思案するのだが、遅くまで働いた日はとうていそんな気分にはなれず、虫たちの声は金属の共鳴音にしか聞こえず、肩凝りのせいか頭痛がやまないアタマを引っ掻き回されているような気がして苛々する。今朝いつもより早く目が覚めたのは、おそらく忙しさが生みだす緊張感のせいだろう。気が張りつめていると、眠れない。
 
 八時、きちんと起床。九月も二週目だというのに、朝からこの暑さではたまったものではない。もっとも今年は秋が先に来て涼しい気分を満喫――といえるかどうかはわからないが――したあと、ツケを払わされるように猛暑が来たのだから、昨日や今日が暑いからと言って、文句をいうのはちょっと心が狭いのではと思ってしまう。それでも朝から流れる汗に反応するように、口は「あぢー」を発しつづける。
 
 九時、アレルギー性結膜炎と眼圧の検査のために眼科へ行ってみたが、病院の入り口には「当分の間休診します」という張り紙が掲げられ、なかには人の気配もない。治療用の目薬は切れている。どうしたらいいだろう。代わりの眼科をさがすべきか。
 
 九時三十分、事務所へ。E社カタログのコピー、N不動産チラシのコピーなど。
 夕方、新高円寺の肛門科へ。また痔が痛みだした。薬を処方してもらう。ぼくの場合は軽度の切れ痔なので心配はいらないというが、排便のたびに痛い思いをするのはもういやだ。
 
 二十時、帰宅。「トリビアの泉」など、テレビ三昧。
 
 中上『枯木灘』。場面の転換が映画みたいだなあ、なんて思った。
 
 
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九月十一日(木)
「風呂蓋のうえを歩く」
 
 今日で同時多発テロから二年が経ったことになる。世界はあれからどんなふうに変わったのだろうか。どこが変わったのだろうか。さっぱりわからん。あぶなっかしいこと、このうえない。
 
 八時起床。九時、事務所へ。湿気がすごい。それが気温の高さと重なり合って、風呂蓋のうえを歩いているような気分になる。
 
 N不動産チラシ、E社カタログ、O社ガイドブックなど。缶ジュースを二本も買ってしまう。ちなみにぼくの缶ジュース平均購入本数は、1本/月である。
 
 中上『枯木灘』。本当の親子、仮の親子、義理の親子。血は複雑に絡み合い、秋幸を翻弄する。彼は土方仕事に励んで、自分をからっぽにするしかない。
 
 
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九月十二日(金)
「アツクテバテタ、ハタラケナイ」
 
 八時起床。目覚めが悪いのは一晩中冷房を入れているせいか、それとも働きすぎなのか。疲れは顔にはっきり出ていて、目玉がいくぶん引っ込んだ感じになり、そのまわりの肌の色がいつもより微妙にくすんで見える。保坂和志は『季節の記憶』で、主人公が働くことはよくないことだと語っていたが、今の自分がまさにそんな考えを抱きはじめている。
 九月も十日を過ぎたというのに、真夏を思わせる暑い朝だ。天気予報の最高気温を見るのが恐ろしいような楽しみのような、複雑な心境になる。コワイヨコワイヨと連呼しながらお化け屋敷に足を踏みこむ子どもとまったく変わらない。暑いのは嫌だが、どこかに「アツイヨアツイヨ」と連呼したがる自分がいる。その自分は、ひょっとするとそのあとに「アツクテバテタ、ハタラケナイ」とでもいいたいのかもしれぬ、などと他人事のように思いながら、顔を洗い、着替えをする。
 
 九時、事務所へ。O社パンフレット原稿、N振興組合のコピーなど。振興組合のコピー、自分ではかなり満足している。ただし、これが受けいれられるかは別問題。
 E社のポスターのビジュアルが袋小路に入りこんでいる、とパンフレットのビジュアルを担当しているデザイナーから連絡が入る。協力したいが、今はO社のパンフレットが優先だ。それに自分はデザイナーじゃないから、さほど力になれないかもしれない。
 二十三時、帰宅。
 
 中上『枯木灘』。きょうだい心中を歌った盆踊りの歌の引用。中上の路地を舞台にした作品に、くり返し出てくる歌だ。
 時は着実に流れ、主人公を取り巻く状況はすこしずつ変化しているというのに、彼の内面はすこしも変わらない。蝿の王と呼ばれる実父を憎みつづけ、腹違いの妹を抱いてしまったことを後悔しつづける主人公。「血」に関わる苦悩は、そう簡単に消し去ることができない。血はつねに体のなかを巡りつづけ、自らを傷つけないかぎり外に出ていかないからだ。
 
 
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九月十三日(土)
「怒りながら、怒りながら」 
 
 ここ数日、夜明け前に悲鳴をあげつづけている。時間は決まって四時半だ。ぼくはギャッと叫びながら蒲団のうえでほんのり汗をかいた上半身を起こす。花子が毎日この時間になるとぼくの足の甲に噛みつくのだ。起きろといっているのにちがいないだろうが、それにしては少々過激すぎるし、毎日つづくというのも困ったもんだ。おそらく花子は四時くらいから延々とふにゃんふにゃんと情けない声をたてながらぼくを起こしつづけているのだろう。八月以来まともな休みもとれずに働きつづけてぐったり疲れたぼくは、ふにゃんふにゃんという鳴き声くらいでは目を覚ますはずもなく、それが花子は気に入らないに違いない。ぼくは怒りながら起きあがり、怒りながら廊下の明かりをつけ、怒りながら小便をし、怒りながら台所へ向かい、怒りながら缶詰めを開け、怒りながら花子に与える。そしてまた寝る。蒲団に入るころには、怒りはすっかり静まっている。
 
 八時三十分起床。暑い。鳥たちはギョギョギョギョゲッゲッゲと能天気に鳴きわめき散らしている。暑いのがうれしいとでもいうのか。汗をかきながら朝食をとる。一日の活力を得るための食事のはずが、食べることで逆にエネルギーを消耗してしまったような気分になる。
 
 九時十五分、事務所へ。通勤で汗びっしょり、事務所の掃除でまた汗びっしょり。われながらなぜこんなに汗が出るのか不思議になってくるが、その理由など暑すぎて考える気にもならない。
 O社パンフレットの原稿。L社のNさんより電話。昨日はケータイの電池が切れてしまって、連絡がつかなかった。電池が切れているのはNさん自身なのではないかと心配になる。二三日、自宅には帰っていないはずだ。
 
 二十時、帰宅。
 
 夜、日本テレビのドラマ『すいか』を観る。脚本は『やっぱり猫が好き』の、三谷幸喜じゃないほうの人なのだそうだ。だから完成度高いのか。
 
 中上『枯木灘』。今日は忙しかったのですこしだけ。
 
 
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九月十四日(日)
「眠るために生きる」
 
 今朝は花子に噛みつかれなかった。
 
 九時三十分起床。じっくりと、という表現は適切ではないかもしれないが、ひさびさにじっくりと熟睡できたような気がする。時間に追われずにダラリと眠りつづけるのは、現代人にはなかなか難しいことらしく、妙に忙しい日がつづくときは、蒲団についても焦燥感や緊張感が高まりますます目が冴えわたるときがある。今の自分に緊張感がないわけではないのだが、しかし安心して眠れるだけの余裕があるということは、しあわせなことなのかもしれぬ。ニンゲンとは眠るために生きているのかもしれない、などと考えるのは、今の自分が満ち足りた睡眠を得ることができたからか。夢は見なかった。
 
 十一時、事務所へ。まだまだ陽射しは強いが吹く風は涼やかで、秋の色を帯びているように感じられる。掃除と観葉植物の世話を済ませ、E社ポスターのコンセプトの再定義をちゃっちゃとやる。L社のNさんにファクス。残念だが、自分にはこれ以上の作業はできない。最終的に絵柄を選定し、デザインをフィニッシュさせるのはデザイナーの仕事だからだ。自分はデザインもできる、などと思われてしまっては困る。できないのだから、やらない。この一線は、重要だと思っている。
 
 午後より吉祥寺へ。新しい事務所用の照明器具と壊れてしまった電子レンジを新調する。事務所に戻り、照明器具を取り付ける。カミサンと間取りを見ながらデスクや書棚などの配置を考える。デスクは三台も処分する必要が出てきた。ひとつは自宅に運ぶとしても、あと二つはリサイクルにでも回すしかない。
 新宿へ。アクタスで事務所用のカーテンを物色するが、気に入ったのが見つからない。ダメモトと思い大塚家具へ行ってみたら、よさそうなのがすんなり見つかった。黄色か緑かベージュかグレーかでカミサンとすったもんだをくり返すが、グレーに決めた。数が足りないので、取り寄せをお願いする。
 話題になっている新宿伊勢丹のメンズ館をチラリと覗く。男と女でごったがえしていた。ブランドショップのハシゴをするにはいい感じだが、ぼくのように着る服がきまっている者――ちょっと芸がないようだが、ほかの服には興味がもてないのだから仕方がない――にはかなり迷惑だ。じっくり服を見ていると、ほかのショップから流れてきた人たちにそれを邪魔されるような気分になるのだ。
 マイシティの山下書店にて、保坂和志『カンバセイション・ピース』、『群像』十月号、『ダカーポ』を購入。
 帰りの車内で『群像』をチラリと読む。
 
 夕食はつかれたので焼き肉。ユッケを頼んだ。美味。
 
 中上『枯木灘』。強姦から愛のある性交へ。微妙なる移行。
 
 
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九月十五日(月)
「」
 九時三十分起床。空には妙にかたちのはっきりとした雲がまばらに浮かび、その白さが空の青さを際立たせている。髪がなびく程度に強く吹く風は昨日よりさらに涼やかで、残暑の熱気をかき乱してくれる。
 
 午前中は片づけと読書。午後、リフォーム屋が来る。先日頼んだところとは別の店でも見積をとることにした。
 
 夕方、有楽町へ。国際フォーラムでイエスのライブを観る。これまでライブではまったく聴けなかった曲のオンパレード。アンコールは『Owner of a Lonely Heart』『Roundabout』だった。アンダーソン/ウェイクマン/ハウ/ホワイト/スクワイア――のラインナップで『ロンリーハート』は驚きだった。
 ライブ後、いっしょに観た高校時代の先輩のTさんと飲む。音楽、育児、友だち、仕事の話など。先輩はぼくの小中高校の同級生だったBの親が経営している会社に勤めている。Bはその会社の常務だそうだ。偉いもんだ。
 
 中上『枯木灘』。それから『群像』を少し。
 
 
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九月十六日(火)
「ウンコするニンゲン」
 
 八時起床。エアコンをつけっぱなしにしたせいで躯のあちこちがこわばっているのに、なぜかダラリとした感じ、ある種の虚脱感のようなものに全身が犯されたような気がして力が出ない。力は出ないが、糞は出る。いつもより長めの大便を済ませ、身支度する。大便とともに力も抜けていくようで、少々もったいないなどと汚いことを思ってしまう。だがもったいないからといってウンコを我慢するわけにはいかない。生きるとは、排泄することだ。他の生命の肉や葉を喰らい、消化し、排泄するのがニンゲンなのだ。
 
 九時、事務所へ。O社パンフレットに終始。途中、catkick.comのメールサーバが受信過多で不安定になってしまい、お客さんに迷惑をかけてしまった。かたじけない。二十一時三十分、終了。
 
 カミサンと「てんや」で天丼を食べてから帰宅。
 
 有楽町西武のヨウジヤマモトからDMが届いていた。ミリタリーラインがほぼ出揃ったそうだ。コートが狙い目だが、価格的に手が出るかどうか。悩む。
 
 風呂から上がると、きゅーがカゴのなかでちんまりしていたからちょっと話しかけてやると、うれしいのか、はたまたうるさいと抗議しているのかはわからぬが、ギョギョギョと鳴きわめいた。この鳴き声、健康になった証拠だと思う。カラダの太り具合、食欲、鳴き声、遊び、そしてウンコの色艶がトリの健康のバロメーターだ。トリもまた、他の生命の肉や葉を喰らい、消化し、排泄することで生きている。
 
 中上『枯木灘』。秋幸が、自分は蝿の王浜村龍造の子でも竹原繁蔵の子でもなく、「路地の子」なのだと知る瞬間。引用。
 
   □ □ □
 
 秋幸は男を見ていた。その男は、駅裏のバラックに火をつけ、その足で路地にあらわれたのだった。男は路地に火をつけようとした。火をつけて、路地を消し去ろうとした。その路地は何処から来たのか出所来歴の分からぬ男には、通りすがりに立ち寄った場所だが、秋幸には生まれ、育ったところだった。共同井戸、それは、まだあった。路地の家のことごとくは、軒下に気の鉢を置き花を植えていた。愛しかった。秋幸は河原に立ち、男を見ながら、その路地に対する愛しさが、胸いっぱいに広がるのを知った。長い事、その気持ちに気づかなかった、と秋幸は思った。竹原でも、西村でもない、まして浜村秋幸ではない、路地の秋幸だった。盆踊りが今、たけなわであるはずだった。 
 
   □ □ □
 
 秋幸の路地への愛情は自分の躯のなかに半分ほど流れる男の血を、これまで以上に強く否定する。その思いは、浜村龍造を「おまえ」と呼ぶことに激怒した龍造の息子であり秋幸の異母弟である秀雄の暴力を、増幅させて返すことになる。秀雄は瀕死の状態となる。引用。
 
   □ □ □
 
「逃げやんか」と徹がどなった。
「どこへじゃ」秋幸は秀雄を見た。倒れて血が吹き出し、体を痙攣させているのが、秀雄ではない気がした。それは名前のない者だった。秋幸は手を見た。手を額でこすった。汗が秋幸の体から吹き出ていた。徹が立ったままの秋幸の腕をつかみ、その川原から坂の方に連れて歩いた。その男は秀雄の体を見るはずだった。男は、自分が頭を割られたと、頭をかかえ呻く。波打ち際に走り寄っていくものが、秋幸の横を通り過ぎた。
 
   □ □ □
 
 
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九月十七日(水)
「今日の事件簿」
 
●全然違う道を通ったら緑だらけでびっくり事件
●昼間でも秋の虫の声事件
●古井由吉はやっぱりスゲエや事件
●ゴミがゴミを生む事件 ●もったいないから、あげる事件
●机はタダでした事件
●アーロンチェアは売らないよ事件
●カユイ事件
●赤字どっさり事件
●花子よなにゆえにフニャンフニャンと鳴きつづけるのだ事件
 
 
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九月十八日(木)
「働き過ぎると壊れます」
 
 きょうは、いちにちじゅう、はたらいていたら、よなかのさんじになってしまいました。よじはんに、ねました。おしまい。
 
 
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九月十九日(金)
「疲れているので簡潔に(そうでもないか)」
 
 八時二十分起床。徹夜明けの躯は重く、そして頭はそれ以上に重い。瞼も重い。意識があれやこれやの重さに負けて、すぐにどこかに消えそうになる。
 
 九時二十分、事務所へ。途中「野菜倶楽部」に寄り、モロヘイヤジュースを飲む。青汁よりも飲みやすくて、好きだ。
 
 十時三十分、新宿二丁目のB社へ。スーパー銭湯用のPR誌の打ちあわせ。デザイナーのJさんも夕べは遅かったらしく、どうやら事務所に泊まったようだ。頭に寝癖ができていたが、床のうえにでも寝ていたのだろうか。デザイナーとは、眠らずとも働ける屈強さと、どこでも寝れるずぶとさが必要な職種。ふつうのニンゲンには勤まらない。Macがいじれるくらいの理由で、デザイナーになるべきではない。屈強さとずぶとさ、そして繊細さ、感性、大胆さなども同時に要求されるからだ。
 
 十三時三十分、カイロプラクティック。先生、ギックリ腰をやったようだ。医者の不養生。
 
 次の打ちあわせに行く途中、恵比寿の有隣堂で、金井美恵子『道化師の恋』を購入。
 
 十六時、E社パンフレットの打ちあわせ。とんでもないことになってしまう。十九時、デザインを担当してもらっているB社に行き、Zさん、Gさんと打ちあわせ。ヘロヘロになる。
 
 二十時三十分、帰社。雑務を済ませてから帰宅する。
 
 中上『枯木灘』読了。初の長編小説ということで記念碑的な扱いを受けているようだが、やはり個人的には路地の「物語」を描いた『千年の愉楽』『奇蹟』のほうが好きだ。つづいて『地の果て 至上の時』を読みはじめる。
 
 
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九月二十日(土)
「うれしい八千円/幻聴だろう」
 
 八時三十分起床。外は雨だ。長くつづいた梅雨の雨よりも冷ややかに感じる。おかげで大腿神経痛がキリキリとしはじめている。やっかいな空模様だ。
 
 十時、事務所へ。午前中はO社パンフレット。十一時、リサイクル業者が来る。机二台、椅子二脚、パーティション二枚、パソコンラック一台、折畳みテーブル二台を引きとってもらう。合計八千円。お金がもらえたのでうれしい。
 
 午後からは新事務所へ。J-COMのインターネット回線工事に立ちあう。工事開始が予定より遅れてしまった。待っているあいだ、床のうえに転がって寝ていたら金縛りにあった。呼び鈴がなったような気がしたが、おそらく幻聴だろう。
 工事終了後、吉祥寺へ。J-COM推奨のブロードバンドルータを購入する。二十時帰宅。
 
 夕食はチゲ鍋。疲れているときにキムチは効く。
 
 中上『地の果て 至上の時』。刑務所を出所した秋幸は、実父のもとへ向かう。
 
 
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九月二十一日(日)
「爺臭い/カラカラ」
 
 八時三十分起床。先日までの躯に堪える残暑は昨日からの雨ですっかり洗い流され、家のなかも外も冷たい空気に囲まれ、そのせいだろうか、街中ひっそりと静まりかえり、音を見つける――耳を使うのに「見つける」とは変な表現だが――のにも苦労する。ゆっくりと起き上がるが、躯が冷えたせいか大腿神経痛が急に悪化し、歩くのにも難儀する。三十四歳でこんな症状に悩まされるとはいささか爺臭いが、毎日毎夜呆れるほど座ったままの格好で黙々と働きつづけているのだから、足腰が弱り壊れてもしかたあるまい。壊れるほどに仕事をするというのは絶対にいいことではない。そうとわかっていても、やらざるを得ない。それが三十代の男というものなのかもしれないが、いやこれは自分だけのことなのだろうかと考えてみる。自分と比較できるような存在が、身近にいないことに気づいた。
 
 十時、事務所へ。今日も一日坐りっぱなしでO社の件。脳がオーバーヒートしてカラカラと音を立てているような気がする。
 午後からカミサンも事務所へ。イラストを頼む。
 十七時、けいぞう来る。プリンタを借りに来たのだ。忙しくてテンパっているぼくを見て、彼女はどう思っただろう。ドーナツをいただいた。
 夕食は「それいゆ」。0時帰宅。
 
 今日は本を読まなかった。というより、読めなかった。あーあ。
 
 
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九月二十二日(月)
「坐骨神経痛でアイタタタ/桃子に殴られアイタタタ」
 
 八時三十分起床。夕べは坐骨神経痛がひどく痛んで、何度も目が覚めてしまった。寝返りを打つたびに尻や腿の部分に激痛が走る。アイタタタと声を漏らしながらゆっくりと体勢を戻す。誰かに見られているわけではないというのに、痛みに呻き尻を押さえながら静かに躯を動かす自分が情けないほどに格好悪く感じてしまう。もっとも寝姿の格好いい男なんて、そうそういるわけがない。
 
 台風は逸れているようだが、雨はまだ少しだけ、傘をさそうかさすまいか迷う程度に降っている。痛む尻や腿をかばいながら、ゆっくりと事務所に向かう。いつもより歩みが遅いぶんだけ、街の様子がよく見えるような気がする。道の端に目をやると、黄色く色あせた葉が重なり合い、風とほんのすこしの雨に触られて震えるように動いている。視線を上に向けると、一戸建ての庭に植えられた木々の葉がざわざわと音を立て、それが秋の虫が鳴く声を、静かにかき乱し、消し去ってしまうのだ。
 
 今日は終日O社のパンフレットに終始。
 
 二十三時、帰宅。カミサンの実家が引っ越すので、家が落ちつくまで桃子を預かることにした。桃子は相変わらず威張っていて、一番気に入らない存在である麦次郎に当たり散らしているのだが、当の麦次郎は桃子が大のお気に入りで、姿を見かけるたびにちょっかいを出し、その都度激しく怒られている。ぼくもそのとばっちりを受けているようだ。話しかけると、五回に一回は目を吊り上げてシャーと威嚇し、走り寄って足首や足の甲をパシパシと叩く。そんなときは、必ずそばに麦がいる。
 
 中上『地の果て 至上の時』。今日も少ししか読めなかったなあ。
 
 
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九月二十二日(月)
「アイタタタタ」
 
 八時三十分起床。夕べは坐骨神経痛がひどく痛んで、何度も目が覚めてしまった。寝返りを打つたびに尻や腿の部分に激痛が走る。アイタタタと声を漏らしながらゆっくりと体勢を戻す。誰かに見られているわけではないというのに、痛みに呻き尻を押さえながら静かに躯を動かす自分が情けないほどに格好悪く感じてしまう。もっとも寝姿の格好いい男なんて、そうそういるわけがない。
 
 台風は逸れているようだが、雨はまだ少しだけ、傘をさそうかさすまいか迷う程度に降っている。痛む尻や腿をかばいながら、ゆっくりと事務所に向かう。いつもより歩みが遅いぶんだけ、街の様子がよく見えるような気がする。道の端に目をやると、黄色く色あせた葉が重なり合い、風とほんのすこしの雨に触られて震えるように動いている。視線を上に向けると、一戸建ての庭に植えられた木々の葉がざわざわと音を立て、それが秋の虫が鳴く声を、静かにかき乱し、消し去ってしまうのだ。
 
 今日は終日O社のパンフレットに終始。
 
 二十三時、帰宅。カミサンの実家が引っ越すので、家が落ちつくまで桃子を預かることにした。桃子は相変わらず威張っていて、一番気に入らない存在である麦次郎に当たり散らしているのだが、当の麦次郎は桃子が大のお気に入りで、姿を見かけるたびにちょっかいを出し、その都度激しく怒られている。ぼくもそのとばっちりを受けているようだ。話しかけると、五回に一回は目を吊り上げてシャーと威嚇し、走り寄って足首や足の甲をパシパシと叩く。そんなときは、必ずそばに麦がいる。
 
 中上『地の果て 至上の時』。今日も少ししか読めなかったなあ。
 
 
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九月二十三日(火)
「土に還る夏」
 
 彼岸の中日である。ぼくの実家は血のつながりを異様なほどに重視する家系で盆と正月は親戚中集まってどんちゃん騒ぎをくり返し、春と秋の彼岸には墓参りのはしごを欠かさない。上京してから数年の間はそれらの催事のすべてに顔を出さないとひどく文句をいわれこちらもそれに辟易するような状況だったが、サラリーマンからフリーランスに転身してからはようやくこちらの身の忙しさを理解してくれたようで、以前ほどうるさくはなくなった。おそらく今日もぼくの両親は親戚といっしょにあちこちの墓をぐるぐる廻っているはずだ。
 
 九時起床。今日も外は涼しい。ときおり季節をまちがったかのように蝉が鳴きはじめるが、季節外れな素っ頓狂さばかりが際立って、聞いてるほうの調子が狂う。ミンミンミンという鳴き声は夏の置き土産のような気がしてくる。その土産も、まもなくすべて土へと還っていく。
 
 十一時、事務所へ。今日もO社パンフレット。「Y's cafe」 で昼食。ゴーヤカレーを食す。しっかりしたボディの欧風カレーに、ゴーヤの苦味は意外にもよくあう。
 デザイナーからのアップを待つ時間が長くなってきたので、その隙をみはからって引越しの荷物整理のときに出てきた不用品をヤフーオークションに出品する。七点くらい出しただろうか。うち三点は、今日のうちにさばけてしまった。一万六千円の売上。
 一時帰宅。
 
 中上『地の果て 至上の時』。今日もあまり読めなかったなあ。
 
 
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九月二十四日(水)
「珍妙な風呂に浸かる」
 
 疲れているのか、それとも猫に愛想をつかされたのか。花子にご飯をせがまれるはずの四時半、五時あたりの時間に、まったく目が覚めない。七時四十分に目覚ましの音に起こされ、ようやく猫たちにご飯を与えていないことに気がつくありさまだ。このできごとから、ぼくは何を学ぶべきか。猫を大切にせよと肝に銘じるべきか、働きすぎは自滅への第一歩だと心得るべきか。
 
 九時、事務所へ。デザイナーZさんから、O社パンフレットの表紙案があがってきた。まあ、いい感じ。微調整をお願いする。
 午前中は銀行巡りと事務処理。午後はO社パンフレット。新規案件の、スーパー銭湯のPR誌の企画にも着手する。夜、時間が空いたのでスーパー銭湯ではなくその競合相手といえる荻窪の健康ランドへ行ってみる。健康ランドから豪華――といえるとは思わないが――な食事やくつろぎの設備をひっこぬき、入浴料を五百円程度に抑えたものがスーパー銭湯だから、その雰囲気は健康ランドでもわかる。ただし、客層は異なるのだろう。健康ランドには、本気で疲れている人がひとりで来ることが多いようだ。珍妙な仕掛けのある風呂にぽちゃりと浸かる人々の顔は、気のせいかすべてが沈んで見える。
 
 夕食は荻窪のお気に入りのレストラン「ジュノン」へ。中ジョッキで喉を湿らせながら中上の『地の果て 至上の時』を読みつつ、カツカレーをほおばる。まだ物足りない気がしたので、食後にワイルドターキーをロックで飲んでしまった。一人でレストランに入ってダラダラと酒を飲みながらくつろぐなんて、はじめての経験だ。
 
 
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九月二十五日(木)
「珍妙な風呂に浸かったら」
 
 八時に目覚ましが鳴るも、すぐに起き上がることができず、しばらく蒲団のうえでタオルケットにくるまりながら全身を襲うだるさと格闘する。苦悶しつつ蒲団から抜け出すと、左の脇や肩甲骨のあたりが妙に痒い。触ってみると、ぶつぶつした湿疹だか吹き出物だかよくわからんが、とにかくなにかができていて、そいつが猛烈な痒みを感じさせている。原因はおそらく昨日の風呂だろう。風呂に浸かるだけならいいのだろうが、使用したシャンプーや石鹸はどれも添加物と香料がてんこ盛りだったようで、敏感肌でアレルギー持ちのぼくには――アトピーではないのだが――少々刺激が強すぎた。無添加生活をつづけているせいか、躯は異物に過剰に反応するようになってきた。これがいいことなのか悪いことなのかはさっぱりわからない。スーパー銭湯のPR誌の仕事があるのに、風呂に入ったくらいでこんなありさまでは今後が思いやられる。やれやれ。
 
 九時、事務所へ。LANサーバの調子が悪く、復旧作業をしていたらあっという間に一時間がすぎてしまった。そのあとでスーパー銭湯PR誌の企画。
 午後より九段下のD社へ。通信機器PR誌の打ちあわせ。帰社後はO社パンフレットとスーパー銭湯をすこしずつ。O社の件、問題は山積みだが今はなにもすることができないので帰宅することに。二十一時。
 
 中上『地の果て 至上の時』。『枯木灘』の続編だが、前作よりも「路地」が重要な役割を担っている。
 
 
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九月二十六日(金)
「うんざりつづき」
 
 怒濤の一日。八時に起床後、働きすぎでボケはじめた躯と脳みそにむち打つように事務所へ向かう。午前中はO社パンフレットで使う撮影用の商品を手配するが、十二時に撮影は得意先などの意向で中止に。たび重なる指示の変更にはうんざりする。しかしパンフレット制作の際の参考にはすることができるので、商品はそのままに。大慌てで昼食を食べ、午後からO社へ。パンフレットの赤字戻し。打ち合わせは三時間以上つづく。エアコンが効いていなくて、汗が流れ握った赤のボールペンが手のひらのなかで何度もすべる。大どんでん返しはなかったが赤字はうんざりするほど多い。校正紙をかかえて十八時すぎに銀座のB社へ。デザイナーに赤字修正の指示をする。打ち合わせは二時間におよぶ。打ち合わせの最中、なんども代理店から電話。赤字の追加やらなにやら。うんざりしつつ事務所に戻るが、中央線の運行が遅れているようで、ホームで二十分ほど待たされる。ホームには真夏の海水浴場のような人だかり。ようやく来た電車のなかも朝の通勤ラッシュのような混雑で、またまたうんざりする。二十時三十分、ようやく帰社。残務を整理して、二十二時に店じまい。
 夕食は遅くなったので居酒屋「ごっつお屋」で。刺し身、トマトと湯葉のカプレーゼ、鶏肉とたたき野菜のサラダ、砂胆とニンニクのオイスター炒めなど。これでうんざりつづきだった今日一日にさよなら。ストレス解消である。
 帰りがけに「チョコエッグ 世界の戦闘機シリーズII」を購入。帰宅後開封したら、A-4スカイホーク、F-5EタイガーII、BAeホーク100が入っていた。うーん、あとはクフィールが欲しいなあ。
 
 中上『地の果て 至上の時』。秋幸の内面があきらかに変化している。自ら実父である蝿の王浜村龍造、イバラの龍になろうとしているのか、それとも路地が消えたがゆえに自暴自棄になっているのか。
 
 
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九月二十八日(土)
「秋めいているのか」
 
 九時起床。眠くてたまらんが、事務所へ。外はすっかり秋めいてきたが、それを感じとって悦に入るような余裕がまったくない自分が嫌になる。
 N社マーケティングツール、O社パンフレット、U不動産PR誌など。十九時三十分帰宅。
 
 夕食は豚肉、ごぼうと水菜のナムプラー鍋。
 
 中上『地の果て 至上の時』。浜村龍造の木材店で働きはじめる秋幸。
 
 
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九月二十九日(日)
「惰眠は悪か/おなじ柄」
 
 習慣なのか、七時三十分に目が覚める。猫にご飯を与えたあと、リビングのカーテンを開けて朝日を浴びてみる。七時半の陽の光は朝日というには少々高く昇りすぎているだろうか。それでも寝起きで焦点のあわない目にも朝の光はまぶしく感じられて目を細める。目を細めたままベッドに戻り、そのまま目を閉じ二度寝する。そのあと何度も目が覚めるが、すぐにまた寝てしまう。こういうのを惰眠というのかと思わなくもないが、これだけ働いているのだから惰眠は悪ではないだろう。
 
 十時三十分起床。片づけと掃除を済ませようとするが、どこから手をつければ能率的かがすぐに判断できないのは惰眠のせいか。しかし躯は正直で、まだ眠りたりないとぼくの意識に訴えかける。
 
 十四時三十分、ぷちときゅーを連れて都立家政の「中野バードクリニック」へ。案の定、待合室にはすでに四人が鳥籠を抱えて坐っている。診察には一人――正確には一羽――あたり三十分から一時間を要するから、最短でも二時間は待たされることになる。待合室に椅子の空きはない。仕方がない。カミサンと二人で病院の入り口のところで椅子が空くのを待つことに。三十分後、一人診察が終わったのでカミサンが待合室にはいることにし、ぼくは近所の喫茶店で待機する。一時間後、席が空いたと連絡があったので病院へ。順番を待ちながら、ほかの飼い主や患畜とおしゃべりして過ごす。待ち時間が長いから、必然的におたがいのペットの見せあいになる。症状が重い方には失礼になるが、そうでもない方が多いときは、必ずこんな状態になるとカミサンは言っている。中年女性の連れていたセキセイと二十代半ばくらいのショートカットの女性――鞄のなかに、ナンインチネイルズのジャケットデザインのノートがはいっていた――の連れていたジャンボセキセイが、ウチのぷちぷちとおなじ柄なのでおどろく。皆さんの鳥をケータイのデジカメで撮影したりして遊びながら待つ。十八時、ようやく診療開始。しかしきゅーが検便のために使うウンコがなかなか出てこなくて困る。順番を先送りにしてもらいながら、キューの糞待ち。十九時すぎ、診療終了。順調に回復しているが、まだ投薬は必要とのこと。疲れた。
 
 疲れたので、夕食はピザ。
 
 中上『地の果て 至上の時』。物語は淡々と、しかし内に爆発寸前の暴力的な欲望を秘めながら進んでいく。
 
 
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九月三十日(月)
「仕事ばっかりしてたから書くことないです」
 
 九時、事務所へ。翌二時三十分まで仕事。徹夜。





《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。最近のお気に入りは「チョコエッグ 戦闘機シリーズ2」。空を飛ぶものが好きだ。だからトリが好きだ。トリには好かれる。きゅーは例外だが。猫も好きだ。だが猫からは嫌われる。

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