「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

 

二〇〇三年三月
 
 
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三月一日(土)
「意味なし気分転換/平等なる異常性」
 
 九時起床。わずか一時間の寝坊だが、土日も満足に休めないぼくにとって、この一時間は貴重だ。貴重なる惰眠。いや、睡眠という名の活力剤だということにしておこう。
 目が覚めたら花子が胸のうえにいた。いつもよりよけいに寝ることができたが、どうやら花子はずっとぼくの胸のうえで寝ていたらしく。おかげで胸が重く、だるく感じる。その重みとだるさがアタマのてっぺんとかまぶたに侵食してくるような感覚に襲われ、すぐに起きあがれない。
 
 十時三十分、重苦しい空模様のなか事務所へ。O社ネットワークサービスパンフレットのデザインチェックと新規ページの原稿作成に専念する。専念しすぎて、夕方になると飽きてきた。が、我慢してつづける。飽きすぎたので、木曜に書いたJ社PR誌の原稿の最終チェックをするが、O社はネットワーク回線を扱う業者で、J社はネットワークで使用するルータやハブといった通信機器を扱うメーカーの商社、結局は似たような内容を書いているので、気分転換にはまったくならない。
 
 二十時、帰宅。甲府取材のときにおみやげとして買ってきたほうとうを鍋仕立てにして食べる。うまいが、地元で食べた味は再現できない。
 
 武田泰淳『富士』。語り手である大島という精神科医と、彼が勤務する精神病院の患者である一条は、医科大学の同期らしい。一条は、精神科医の知識をもち、その視点や考え方をある程度身に付けた精神病患者である。彼らの対話のなかで、一条が語ったおもしろい科白があったので引用。
 
 ねえ、大島君。人間精神に異常がありうるとすればだよ。もしそれが真実そうであるならばだよ。その異常性は、ふつうの人間にも分かちあたえられていなければならぬはずじゃないか。
 
 
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三月二日(日)
「てんこ盛りとは、食べても食べても減らない料理のことをいうんじゃないかな/ウンコしながら読む本」
 
 まったく仕事の量が減らない。やってもやっても、減らない。よく行く近所の「桂花飯店」の四川白湯麺は野菜がてんこ盛りで、食べても食べても量が減らない。これとおなじ気分になる。
 
 九時、花子に手やら頬やら耳やらをかじられ目を覚ます。疲れがテンパイしている。あとちょっとでリーチという状態だ。一発ツモだけは避けたいと本気で思う。
 
 十時三十分、事務所へ。A社パンフレットの構成とコピーに終始する。午前中はまったく波に乗ることができず四苦八苦したが、丁寧に発想していく――という表現が適切かどうか。すくなくとも、イメージはしにくいだろう――ことを心がけたら、調子が出てきた。アイデアを万年筆でメモ用紙に、法則を決めたうえで書きこむ。あとは、そこから使えそうなことばをひろい集め、紡ぐだけだ。
 昼食は「それいゆ」にて。食後、近所の古書店にて、笙野頼子『愛別外猫雑記』、梅崎春生『ボロ家の春秋』。
 夕方よりJ社PR誌にシフト。どうしてもわからない技術にぶつかってしまい、インターネットで検索してみるが、ほしい情報にはなかなかお目にかかれない。インターネットはゴミの山、とかなんとか言った人が書いた本がそこそこ売れたという話を聞いたことがあるが、今日はホントにゴミの山だな、と感じてしまった。ゴミというより、フェイクの山といったほうが適切かもしれない。結局資料不足で先に進めなくなったために、十九時に吉祥寺へ。本屋数軒をまわり、資料を探す。さいわいにして、二軒目で探しあてることができた。
 二十時、事務所に戻る。今日はそのまま退社することに。
 
 カミサンが実家に帰ってしまい、今日は泊まるということなので、猫たちをはべらしながらビール、キムチ、お弁当で夕食を摂る。
 
 武田泰淳『富士』。そういえば、今日買った『ボロ家の春秋』の梅崎春生は、泰淳と仲良しだったな。
 じつは、毎朝トイレで大便しながら泰淳の妻である百合子が書いた『富士日記』を読んでいる。ウンコに何十分も費やすわけないから、一日一、二ページくらいのスローペースだが、これがなかなか情緒的でいい。肝心の内容だが、序章以外はシンクロする部分はほとんど見あたらない。
 
 
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三月三日(月)耳の日
「さみしんぼのむぎじろう/ペンキぬりに関する考察」
 
 夕べは疲れはてていたせいか、蒲団に入るやいなや、すぐに眠りに落ちてしまったようだ。五時、いつもの習慣で目を覚ますと、麦次郎はカミサンがいなくてさみしいのだろうか、ぼくの横にぴたりとからだをくっつけて、腕まくらでもしてもらっているかのような姿勢で寝ていた。花子は足下でまるまっていたようだ。目を開け、首を麦次郎のほうへ向けてみると、やつは眠っていなかったようで、まるっちい目玉でギロリとこちらを見た。にらむというのではなく、瞳をうるませながら、いいたいことがあるがなかなかいいだせなくて困っている人のような目でこちらを見つめかえすので、ちょっとたじろいだ。カミサンがいないことが、かなりショックらしい。ご飯をあたえるために起きあがると、めずらしく麦次郎もついてきた。元気よく廊下をスタタタタと走り、缶詰めを開けると遮二無二、いやヤケクソという表現のほうが的確だろうか、とにかくそれくらいの勢いでガツガツとシラス入りマグロを食べはじめた。花子はいつもの調子だった。外を見る。陽はまだ射していない。
 
 七時五十分、起床。麦次郎の姿がない。もしやと思い、押し入れを覗くと、しまい込んだ蒲団の上で、みじめったらしい姿勢でまるまりこんでいた。
 
 九時、事務所へ。今日は一日中、もくもくとJ社PR誌の原稿に専念する。テーマはVoIPとIP-VPN。難解なものを、やさしく書く。それが今回の使命だ。二十一時、店じまい。「ひごもんず」でラーメンを食べてから帰る。一人であのギトギトとんこつらーめんをすする女性を、二人も見かけた。ひとりはちょっと香水がきつめ。とんこつの匂いと混じって、なかなかエキゾチックだった。
 
 帰り道は風が強い。ピューピューと鳴る風の音ばかりが耳についた。足音がかき消されてしまうせいだろうか、足どりがおぼつかなくなる。寒いが、風が冷たいわけではない。ときどきではあるが、暖かい風が混じっているようだ。風があたたかい、というよりは、寒々とした風のなかに、ほんのすこしだけ暖かな空気がまぎれこんで、なにかの間違いみたいに、フッとそこに流されてくる。そして、すぐに風にもまれ、寒さに押されて消えてしまう。もちろん、目で確認することはできない。肌で感じるしかないが、あいにく露出しているのは顔だけだったので、ほんとうに暖かな空気がまじっていたのかはよくわからない。ぼくの妄想かもしれない。
 
 武田泰淳『富士』。保護室なる部屋の描写がなまなましい。収容された患者の科白はかなりウソくさいのだが、それがなまなましさを助長しているようだ。
 武田百合子『富士日記』。泰淳が書き記したペンキに関する記述がおもしろいので、引用。
 
 ペンキ塗りの経験について一言。デパートの日曜大工売り場で買ってきたペンキは、シンナーを混入しないでも、そのまま塗れる。白の大カン、赤、緑の小カンを用意してきたし、刷毛も上等。ペンキとは要するに、はっきりと「自然」に対する抵抗である。
 雨で腐る材木を守るばかりでなく、雑多な色彩の中で、単色を主張する、そのことがすでに抵抗であるらしい。白なら白、ピンクならピンクに、ベランダの手すりを塗っただけで、急に、家の存在が明確になるのは不思議なくらいだ。「存在しているぞ」と主張でき、安心できることになるらしい。と言うのは、植物の色、土の色、すべては雑色であって、ペンキほどの原色はありっこないからである。「先生、こんどは溶岩の方を忘れて、ペンキぬりに夢中になるんでねえか」とS氏が笑ったが「ペンキを塗る」という行為には、一種特別の魅力があって、やりだしたら止められなくなる。「色を塗ることによって、外界に変化を与える」。これは実にスリルのある行為だ。
 
 
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三月四日(火)
「ちんこ丸出しの夢をしばらく見ない/射しかかる夕陽」
 
 いまだに高校時代の夢を見る。陸上部での試合の夢だ。以前は百メートルのスタート直前、スターティングブロックに足を置こうとすると、なぜかパンツをはき忘れてちんこ丸出し状態であることに気づくが、ピストルが鳴ってしまい、ぼくは走らざるをえなくなる……という夢を何度も何度も繰りかえし見た。心理学者じゃないから、なぜそんな夢ばかりみたのか、その理由はわからない。ここ一年くらいは、見なかった。夕べみた夢も、陸上部のときの夢だったがちんこ丸出しではなかった。しかし、内容はまるでおぼえていない。
 
 八時起床。カミサンはぐったりしている。どうやら風邪を引いたらしく、微熱があるらしい。ぼくの朝食を用意すると、すぐにベッドに戻ってしまった。
 
 九時、事務所へ。昨日は風にほんのりあたたかさを感じたが、今日は一転して冬に逆戻り、冷たい風がこれでもか、といわんばかりに吹き荒れている。
 めずらしくほとんど電話の鳴らない一日だったが、だからといって平和だったわけではない。終日原稿と格闘しつづけていた。A社のパンフレットに大苦戦してしまう。二十二時、帰宅。
 
 二十三時三十分。パソコンに向かって日記を書いているが、花子がすぐに膝やら肩やら胸やらのうえに乗りかかり、ゴロゴロと甘い声を出しつづけている。おかげで筆が進まない。顔と耳がかゆくなってきた。
 
 武田泰淳『富士』。戦中の精神病院の日常を描いた章『一の日、八の日』のラストがせつない。保護室をまわる院長に「出せ」とせがむ患者たち。病院に射しかかる夕陽。長いが引用。
 
「院長さま。院長さま」「もう一度、ここへ来て下さい」「もう少し、お話をして下さい」「院長どの。行ってしまわないで……」「イエスさま。くゎんのん菩薩さま」「ウソつきィ!」「わたしは何も、盗っちゃあいませんよ。盗ったのはほかの奴ですよ」「なぜですか。なぜなんですか。なぜだか、それがききたいんです」「ほんとうだよ。……ほんとうだよ。ほんとうだよ」「猫なんか、こわくあるものか」「太陽なんか……」「やめてしまえ!」「ほんとだよ。ほんとだよ。ほんとうにほんとだよ……」
 私と院長とは、患者達の秩序をあとにして、私たちの秩序の中へもどって行く。空気の匂いまでが、保護室の内と外ではちがう。夕陽が射しかけている。それも、外へ出てからはじめてわかる。外では木々も夕陽に照らされて、あかるい部分と影の部分がある。患者たちのこしらえた庭も、斜から射しかける、その日のおわりの太陽光線で、くっきりとうかびあがり、いきいきと色づいている。「禁酒の橋」「望郷の丘」「愛国の池」それらの患者たちの苦心した庭園の各部分、そこに立てられた白ペンキ塗の、橋や丘や池の名札も夕陽の光でうす赤く染められている。……なぜですか。なぜなんですか。太陽なんか……。それらの声は、暮れ方の光、黄昏の風の中で、私の耳に残っている。私たちにとっても患者たちにとっても、今日の一日がおわろうとしている。そして明日も明後日も、彼らは入院患者であり、我らは医師でありつづけるだろう。ほんとだよ。ほんとだよ。ほんとうだよという、あのまどわしの訴えは、私たちと患者たちの奇妙な関係において、消し去りがたい刻印として明確すぎるくらい明確なのである。
 
 
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三月五日(水)
「甘えと脂肪の方程式/ひかりがささる」
 
 花子の甘えっぷりが日に日にエスカレートしている。明け方ご飯をせがむとき、七時ごろ、自分だけは目が覚めてしまって退屈なとき、そしてぼくが帰宅してから。今朝も、なめられたり軽く噛まれたり乗られたり踏まれたりと、散々な思いをした。昼間はさみしい思いをしているのだろうか。それとも心境の変化か。甘えっぷりに比例して、お腹と背中のあたりの肉付きがよくなってきているのが気掛かりである。
 
 八時起床。九時、事務所へ。朝からA社パンフレット。午後はJ社PR誌に集中。夜はO社社内ツール。閉口してO社埼玉支店チラシ。たまに深呼吸しないと酸欠になる。それくらい、忙しいのだ。二十三時三十分、業務終了。
 
 昨日は真冬に戻ったかのような寒さに躯はちぢこまり、耳はキンキンに冷えていたくなるありさまだったが、今夜はいくぶん寒さがやわらぎ、ポケットに手をつっこまなくて済むから夜道も歩きやすい。頭上には、なぜか格子状に分かれたように見える雲が、だらだらと浮かんでいる。風はない。マンションやアパートの外廊下を照らす蛍光灯が、妙に目についた。青白い光が、四方八方からぼくの躯にささるような幻覚にとらわれて、むずがゆい気分になった。中途半端な寒さのせいだろうか。
 
 武田泰淳『富士』。エロチックな描写も、舞台が精神病院だとそうは感じられない。おそらくは意図的にやっていることだろうけれど。
 
 
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三月六日(木)、三月七日(金)
「翻弄されるワーキング・サーファー」
 
 ときどき大きな波が来るのは、サーファーが集う海辺に限ったことではない。もちろんここでいう「波」は比喩であってほんとうの波ではないのだが。ぼくはサーフィンというスポーツを一度も経験したことがないのでよくわからないが、おそらく大波を乗りこなすには体力と技術、そして精神力のすべてが必要なのだと思う。相撲の世界でも、横綱になるためには心技体の三つが問われるという。今のぼくは、心技体いずれもが最高の状態にあるとはとても思えないのだが、幸か不幸か、大波が目の前に現れた。仕事の波だ。正確には、中くらいの波が立て続けに絶え間なく来続ける――そんな描写が正しいと思う。早朝から集中して仕事をこなそうとしつづけるが、あちらをたてればなんとやらで、落ち着く時間がまったくない。そんな状態だったから、日記も当然書けないありさまだ。この文章を書いているのは、じつは三月八日の夜中だ。もう数分で日付も変わる。
 
 八時起床。天気や街の様子はさっぱり思い出せない。メモくらいとっておけばよかった。九時、事務所へ。O社事例集、O社埼玉支店チラシ、J社PR誌を同時進行で、ただひたすらにこなしつづける。煙を噴く火山を三つもかかえこんでいるような気分になる。油断していると、どれかが噴火する。ふつうなら避難するところだが、あいにくそれは許されない。オレはレスキュー隊員か、とツッコミをいれたくなるが、無意味なのでそんなことはしない。夜、O社事例集が大爆発。溶岩と火山弾が絶え間なく降り注ぐなか、午前二時すぎまで対応に追われる。一度帰宅し、入浴、仮眠、軽食。午前六時、ふたたび事務所へ。O社事例集の作業をつづけていると、デザイナーUさんからメール。O社埼玉支店のデザインがアップしたので、おにぎりを食べながら大慌てでチェックをいれる。九時三十分、外出。板橋にあるB社でN不動産のPR誌の打ちあわせ。十三時、帰宅。O社埼玉支店が小噴火をつづけている。十七時、ようやく三つの山が小康状態に。あまり寝ていないので、はやく帰ることにする。十九時、帰宅。一時間ほど仮眠する。
 
 二十時すぎ。セキセイインコのうりゃうりゃの様子がおかしい。腹が止まり木にくっつくほどの低姿勢で、うずくまるような感じでただじっとしている。ときどき目を閉じる。話しかけても返事をしない。これは変だ。慌てて仕度し、中野にある鳥類専門の獣医のところに急患での診療をお願いする。うりゃを外出専用の小さな鳥籠に移し替え、保温のために底にホカロンを貼り付け、タオルで巻いてから紙袋に入れ、冷えないように抱きかかえて病院へ急ぐ。青梅街道まで小走りし、タクシーで病院へ。診察結果は、痩せによる衰弱だった。どうやら、同居するきゅーが頻繁にうりゃを追い回したりしたため、落ち着いてご飯を食べることができず、それにもともと虚弱体質だったこともかさなり、寒さに躯が負け、とさまざまな要素が重なり合って、あのような状態になってしまったらしい。若いころは四十グラムもあった躯が、今は二十数グラムにまで落ち込んでいる。気づいてやれなかったことをはげしく後悔する。籠のなかの保温が大切だと指導された。また、若いきゅーとはしばらく別の籠で飼ったほうがいいともアドバイスされた。
 二十二時すぎ、帰宅。さっそく予備の鳥籠にうりゃうりゃを移し替え、エアーキャップ(プチプチ)で鳥籠を囲み保温性を高めてやる。次の日、ヒヨコ電球を買いに行くことにした。
 
 疲れたので、夜はなにもせずにすぐ寝る。といっても、床についたのは午前一時三十分。徹夜明けには、少々きつい。
 
 
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三月八日(土)
「再噴火/ヒヨコ電球」
 
 慌ただしい毎日がつづいている。今日も働かなければいけないという状況はいっしょなのだが、昨日、おとといほどせっぱ詰まっていないので多少気は楽だ――などと呑気に考えていたら、事務所に届いていたファクスを見て、たちまち緊張が高まってしまった。O社事例集がまたもや爆発。気を静め、冷静に対処することに。一見、どえらいことになっているように思えたが、情報を整理すると、じつはそうでもないことが見えてくる。なんと十五時までに仕事を一段落させ、中野にある鳥類専門のペット店へ。ヒヨコ電球とカナリーシード(高カロリーな鳥の餌)一キロを購入し、ふたたび事務所に戻る。ひきつづきO社事例集。なんとか十九時過ぎに収束させることができた。データを納品し、業務終了。二十時。
 
 夜はチゲ鍋を食べながらマイケル・ジャクソンのインタビューみたいな番組を見る。よくわからん。うりゃうりゃは昨日よりだいぶ元気そうだ。ヒヨコ電球とビニールによる保温が効いているらしい。きゅーはときどきうりゃがいなくてさみしいのか、取り乱しはじめ、扉をあけてうりゃの籠へ移動しようとするが、もちろんうまくいくわけがない。うりゃは冷静だ。いや、ちょっと弱っているから動きたくないだけなのかもしれない。
 
 武田泰淳『富士』。精神科医がよく見る「夢の中の女」について。ちょっとおもしろい部分があったので、引用。
 
 夢を見ているあいだだけは、どんな正常人でも、異常を見る人である。どんな異常体験でも、夢の中で体験することは自由である。許されている。夢の世界の異常さなら、いかに怪奇であり不自然であろうと、それが病的なものであるとして警戒したり治療したりする必要はない。悪夢は、やがてさめる。そして正常な生活にもどれる。しかしながら、彼が異常な夢を見る人、見ることのできる人、見ざるを得ない人であるという「事実」からは、抜け出ることができないのである。
 
 何日かまえに書いた、ぼくがよく見る「ちんこ丸出しで百メートルを走る」という夢をこの文章にあてはめてみる。怪奇だ。不自然だ。だが、病的ではないらしい。治療する必要もないらしい。しかし、ぼくはどうやら、ちんこ丸出しの夢を見ざるを得ない人であるらしい。それが事実だそうだ。困った。
 
 
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三月九日(日)
「倒れた」
 
 久々の休日だが、そうのんびりとしていられない。体調をこわしたインコのために、栄養価の高い餌や皿巣、籠の中の温度を保つ際に必要な温度計などを買いこまなければいけないし、鳥籠の掃除もする必要がある。猫の餌も少なくなっている。アイロンをかけなければいけないシャツも、だいぶ溜めこんでしまった。
 
 十時三十分、起床。部屋が散らかっている。ストレスのせいだろう、それを見て逆上してしまった。
 午後、カミサンと吉祥寺へ。人が多い。歩きにくい。東急百貨店のペットショップで鳥用品。「カルディコーヒーファーム」で、バレンタインのお返し用と自宅用に、ジャムを数瓶。「ナチュラルハウス」で、夕食用に水菜、事務所用のほうじ茶など。「ロフト」で温度計。「ロヂャース」でヒヨコ電球のための延長コード、猫缶。鳥の皿巣と鳥専用の栄養補助食品を買おうと思ったが、どやら鳥グッズはやめてしまったらしく、どこにも陳列されていない。しかたないので、荻窪へ移動。「オリンピック」で購入する。ついでに、特売になっていた猫缶も。「アンテンドゥ」で、明日の朝食用のパン。「西友」で豚肉など。「タウンセブン」でパクチー。で、ようやく帰宅。十七時。
 帰るやいなや、鳥籠の掃除をはじめる。獣医の指導でうりゃうりゃときゅーを、それぞれ別の籠に入れているため、掃除の手間が二倍になった。三十分以上かかってしまう。終了後、買ってきたものを籠につけたり餌として与えたり。ここまでこなしたら、急に激しい頭痛と胸――胃かもしれない――の痛みを感じ、立っていられなくなる。ベッドで一時間ちょっと休む。頭痛も胸の痛みもとれたが、目が小刻みに回っているような感じがしばらくつづく。疲れとストレスが原因だろう。食事をとったら、恢復した。タイ風豚肉鍋。
 ちょっとしんどかったが、テレビを見ながらアイロンも済ませてしまう。二十二時すぎ、入浴。ゆっくり、長めに湯に浸かった。明日からの仕事にひびかなければ、と思う。
 
 武田泰淳『富士』。主人公が見る、ふたつめの「女性の夢」の描写が秀逸だ。
 
 
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三月十日(月)
「二グラム分の恢復」
 
 うりゃうりゃの体調、なかなか恢復しない。体重は二グラムばかり増えたし、話しかければ多少は反応するし、怒ったり喜んだりもするので、まったく前進していないわけではないようだが、それでも依然、足元はおぼつかなそうで、存在感そのものが頼りないのだが、ひょっとするとこれが歳をとるということなのかもしれないと感じ、せつなくなった。
 八時起床。九時、事務所へ。財布を家に忘れてきてしまう。
 午後より外出。J社にてPR誌のカンプ提出。スケジュールを確認するために、愛用するPDAの「ジェニオe550X」を取りだし電源を入れたが、ウンともスンともいわない。故障だろうか。ひょっとすると、鞄を置いたときの衝撃で電源系がやられたのかもしれない。冷や汗をかく。
 帰社後、大慌てで製造元の東芝に電話。保証内修理で対応できるらしい。安心する。しかし、会社を出てからJ社につくまでのあいだにPDAで取ったメモが、すべて消えてしまった。まあ、これくらいの損害で済んだのは幸い、と考えるべきか。パソコンと連動させているため、ほとんどのデータはそちらに残っているのだ。予備機にしてあったシグマリオンにデータを移行し――ケーブルをつなぐだけだ――、修理が完了するまでのつなぎにする。
 二十一時、帰宅したところ、O社事例集、もう終わったと思ったらまだ赤字があるらしく、緊急で対応するはめに。うりゃうりゃが心配なので、夜は家にいたいのだが、やむを得ない。二十二時、事務所に戻る。午前一時過ぎ、終了。
 
 明日は仕事の合間に時間をつくって、うりゃうりゃのための栄養価の高い餌(「フォーミュラー」とかいうらしい)を買ってこようと思う。
 
 武田泰淳『富士』。外国文学の影響が強い作品だなあ、と漠然と感じた。
 
 
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三月十一日(火)
「セキセイインコの精神力」
 
 八時起床。肩や二の腕が冷えきっている。三月も中旬になろうというのに、寒さは依然厳しいままで、ぼくらの躯をガタガタいわせるほどに締めつける。はやく暖かくなってくれないと、うりゃうりゃが心配だ。
 
 九時、事務所へ。O社事例集が大トラブル。スケジュールがコントロールできなくなり、別件のクライアントにまで迷惑をかけてしまう。気づかぬうちに、ひとりでこなせないほどの仕事量になっていたということか。かといって、社員を増やすにはかなりの労力とお金が必要。正社員ひとり雇うのに、月給を二十万と設定しても、会社としては月あたり五十万くらいの出費となる。経営者として、悩む。
 
 午前中は事務所に嵐が吹き荒れたが、夕方には収束。十九時、久々に早帰りする。
 
 うりゃの体調、だいぶ恢復している。ぼくの顔を見ると表情がガラリと変る。うれしいらしいのだ。体力の衰えとともに消えそうになっていた感情が戻ってきたようだ。これが生命力か。生命力というもののうち、半分はひょっとすると気力とか精神力とかいわれるものが占めているのではないだろうか。うりゃは生きようとしている。これは精神力だ。
 
 
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三月十二日(水)
「早起きしたって得しない/うりゃよ、がんばれ」
 
 七時三十分起床。いつもより三十分早い。早起きは三文の得、というが、疲れているときはむしろ損したような気分になる。
 八時三十分、事務所へ。今日は十時三十分から新富町で約束があるので、三十分早く行動している。基本的に午前中には打ち合わせをしない主義なのだが、やむを得ない場合もある。朝の打ち合わせは、頭の回転はいいかもしれないが、一日の段取りをしっかりせぬまま外出することになってしまうので、効率が悪くなるのだ。午前中は電話が多いのに、事務所を空けなくてはならなくなるという問題もある。打ち合わせ中は携帯電話で応答するわけにもいかない。
 九時三十分、外出。昨日よりは風が弱くあたたかかもしれないが、やはりまだ外は寒く、ほんとうに春が来るのか、と不信感を抱いてしまう。気温は上がらないのに花粉症だけはしっかりやってきているのも癪だ。
 
 十時三十分よりJ社にてNの取材打ち合わせ。終了後、伊東屋でカードケースを購入してから九段下へ移動。オーガニック系のレストランでベジタブルカレーを食べてから、十三時三十分、D社へ。カンプ提出、赤字戻しなど。十五時すぎ、帰社。戻ってからは、明日から本格稼働になるE社ウェブサイトの企画、O社埼玉支店、N不動産など。峠は越したので、だいぶ仕事が楽にこなせるようになってきた。二十一時、終了。 
 
 夕食。カミサン、今日も仕事が遅くて外で済ませるのかと思っていたので、ぼくのぶんのご飯がないというから、しかたがないので自分で鍋を振ってカニ炒飯を作る。ちょっと薄味過ぎた。米のパラリ感はまあまあいい出来だったのだが。
 
 うりゃ、気持ちは元気なのだが、また足元がおぼつかなくなってきた。週末、また病院に連れて行こうと思う。
 
 武田泰淳『富士』。煙突にのぼる精神病患者と、それを止めようとする精神病患者。
 
 
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三月十三日(木)
「薄情な飼い主/ドラマと現実はかなり食い違ってる/インド料理と外資の社員/」
 
 早起きがつづいている。先週は午前様、徹夜と仕事が遅くなる傾向にあったが、今週はその逆で、早朝から働いている。もちろん早起きのほうが楽なのだが、精神的には損した気分になる。今朝は花子に七時に起こされた。いつもならご飯を与えたところで二度寝を決めこむのだが、今日は起きたらすぐに身支度して出かけなければいけなかったので、うっかり猫ご飯の用意を忘れてしまった。仕事のせいもあるが、今は猫より鳥のほうが心配ということも重なったためでもあるだろうか。いずれにしても、薄情な真似をしてしまった。反省。
 
 八時過ぎ、事務所へ。大慌てでO社埼玉支店のデザインチェックをしてから外出。霞ヶ関へ。この街へ行くのは、はずかしながら今日がはじめてだ。右も左もわからないが、右も左も省庁ばかりなので、わからなさがだんだんややこしくなってくる。クライアントは霞ヶ関ビルにあると聞いている。どうせ駅に直結しているのだろうと高をくくっていたら、実はちょっとはなれたところにあったので、たちまち省庁迷路で迷子になった。各省庁の入り口にぞろぞろと立っている警備員たちに、やたらときょろきょろしながらうろつく姿を見られたら、怪しまれるだろうか、などとくだらないことを考えてしまう。警備員たちをけっ飛ばしたくなった。むかつきいらつく心を落ち着かせながら駅まで戻り、道案内をよく見て、念のため手帖にメモをとってから、もう一度出発。今度は間違えずにたどりつくことができた。
 省庁に通うお役人らしき人たちと何度も何度もすれちがった。いかにもお役人、ドラマでよく見るような、ぱりっとしたエリート風情の人物ばかりなのかと勝手に想像を膨らませていたのだが、実際はそんなことはなく、いたってふつうのスーツを着てナイロン製のビジネスバッグを肩から提げて七三を乱しながら、ずり落ちる眼鏡をクイクイを上げながら小走りするオッサンばかりが目についた。女性も同様だ。スーツを着た浅野ゆう子みたいのがぞろぞろ歩いているわけではない。伊勢丹とか丸井で服を買うのが大好きで、カラオケが得意そうなおねーちゃんがけっこう多かったような気がするが、これは偏見かもしれない。
 E社にて、ウェブサイト企画のプレゼン。おおむね好評。
 
 丸ノ内線で荻窪まで直行。別件の資料を集めるために、街をうろつく。アメックス裏手にあるインド料理店「ナタラジ」でランチ・バイキングを楽しむ。十二時五分前くらいに店に入ったが、すでに席は半分くらい埋まっている。全席がびっしり埋めつくされるまで、そう時間はかからなかった。小奇麗なスーツを身にまとった「エグゼクティブ」ということばが似合いそうな中年男性、ブランド物の鞄を持ち歩きファッションにはかなりお金を使っていそうな二十代中盤くらいの女性の集団、ボタンダウンシャツにVネックのセーター、カーキ色の綿パンツという出で立ちの、眼鏡をかけた二十代後半から三十代くらいの男性と、お客はだいたいこの三種類に大別できそうだ。おそらく彼らは近所にあるアメックスやヒューレット・パッカードの社員だろう。荻窪はインターナショナルでエグゼクティブなビジネスタウンなのだ。――なんだそりゃ。
 カレーは美味。基本は野菜カレーなのだが、物足りなさをまったく感じない。今が旬のグリーンピースを使ったカレー、何杯でも食べられそうだった。
 
 十三時、事務所に戻る。O社オプトインメールのコピーライティング、O社埼玉支店チラシ、N社マーケティング取材の準備など。二十二時、店じまい。
 
 うりゃうりゃに、栄養価の高い「フォーミュラー」を与えることに。猫用の離乳食に似た感じの餌で、水を加えて練ったり、アワ玉にまぶしたりして与える。ぼくは確認できなかったが、カミサンの話によると、うりゃめ、よろこんで食べていたらしい。離乳食の匂いがするためだろうか、花子が興味津々だ。
 
 武田泰淳『富士』。ふたりの患者が煙突にのぼってしまうというトラブルに直面している精神科医の、善についての考察。おもしろいので引用。
 
 善と偽善の問題は、精神病院に勤務しているあいだ、若き日の私をなやました。
 精神病患者を保護し治療しようとする、その目的は、たしかに善(あるいは、いわゆる善)である。だが、この善なる目的に奉仕するために、精神病医師としての立場を維持して行くうちに、偽善者にならなければならないこともありうるのである。たとえ、偽善者となっても「善」を実行できれば、それでよいではないか。いや、偽善者でもなしうる「善」ならば、その「善」そのものが、許しがたいいつわりではないか。この二つの反問が、私たちを責めさいなむのである。
 
 
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三月十四日(金)
「思い上がり/狂牛病と領収書」
 
 八時起床。起きたら、まず鳥籠を覗き込むのが日課になっている。うりゃうりゃの様子、素人目で見たかぎりは悪化していないのだが、体重がまったく増えない。獣医の先生の話では、保温と食べやすい環境さえ作れば、体重はすぐに戻るという話だったのだが。心配である。
 
 九時、事務所へ。仕事はだいぶ落ち着きはじめてきた。同時に、長くつづく感のあった厳しい冬がすこしずつ遠のき、春が近づいているのがわかる。風がぴたりと止んだ瞬間の陽射し、その陽射しを照りかえす建物の壁やガラス窓、木肌にすこし濃いめの陰影をつくる桜や梅の木をみると、強く「春」を意識する。梅の木は、白や紅の花を清楚に、そして可憐に咲かせている。美しい花びらを寒さから守ってやらねば、とここ数日は毎日のように考えていたが、すこしずつ暖かくなった昨日、今日になってあらためて梅の花を眺めてみると、「守る」という発想そのものが不遜なように思えてくる。しっかりと地面に根をはり、毎年おなじように美しい花を咲かせつづける梅の木と、仕事に流され、感情に流され、情報に流され、翻弄されながら、かろうじて自分でありつづけようと毎日もがきつづけている自分。比べるべきではないのだろうが、比べてしまう。そして、自分の卑小さと思い上がった態度の不快さを、強く感じてしまうのだ。
 
 午後より九段下へ。J社PR誌の打ち合わせ。夕方はこまごまとした物件をひとつひとつ片づける。
 
 一段落したせいだろうか。無性に生ビールが呑みたくなり、カミサンと近所の焼き肉屋「牛車」へ。カミサンは鳥の様子を見に一度帰宅してもらってからの出直しだ。焼き肉屋は珍しく異様に混雑していた。カップルがちらほらと見えたが、よくよく見ると、けっこう年のいった大人の男女のようで、どうやらホワイトデーのお返しが「焼き肉おごってやるよ」になっているようだ。家族連れや会社の同僚同士らしき団体も多かった。狂牛病騒ぎがウソのようだ。ぼくら夫婦は、あの事件のときも平然と焼き肉を食いにこの店へ来ていて――食べるべき部分さえ心得れば、危険は少ないことを知っていたからだ。店のほうも対策を練らないほど無知ではあるまいから、信頼できる店で食べる分には大丈夫だと判断していた――、おまけに必ず「有限会社スタジオ・キャットキック」という珍妙な社名で領収書をもらって帰っていたから、店員さんにしっかり覚えてもらえたようで、最近は「領収書ください」といわなくても、レジに向かったときにはすでに社名のはいった領収書が用意されるようになった。しかし、得しているのは領収書の手間だけで、料理の面ではまったくサービスしてもらっていない。
 
 ビールが回ったのか、猛烈に眠くなる。入浴後、すぐに寝た。
 
 武田泰淳『富士』。高い煙突に戻った患者たちは無事に戻ってきたが、それは医師のおかげではなかった。患者を助けられなかった、という事実に対する医師の思いについての描写がつづく。
 
 
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三月十五日(土)
「うりゃの病名」
 
 疲れが一気に吹きだしたようだ。だるい。頭痛がする。午前中はひたすら眠りつづけたが、全然すっきりしないのだ。
 うりゃうりゃ、今日はちょっとつらそうな感じで、食が細く、おまけに声をかけたときの反応も鈍い。「中野バードクリニック」に何度か電話するが、先生が十一日から昨日まで休みを取っていたせいで――おそらく学会――、今日は混雑しているのだろうか、電話はまったくつながらない。昼間のうちにつれていこうかと思ったが、しかたがないので午後の診察時間である十七時以降に予定を変更する。うりゃも瀕死の状態というわけではなく、ときどきは思いだしたように目を覚まし、餌をついばんだり水を飲んだりしているので、まあ大丈夫だろう。体重が増えないことが心配なのだ。十七時までは、自分の体を休めながら時間をつぶす。
 
 十七時すぎ、電話をすると「つれてきてください」といわれる。鳥籠の保温対策などの仕度を済ませ、最寄りである都立家政駅へと向かう。西武線なので、西荻からはアクセスしにくい。しかたないので、井荻までタクシーで向かい、そこから電車に乗った。うりゃは小さいころからお出かけをしていたので慣れているらしく、移動中は静かなものだ。紙袋に入れ、エアーパッキンとタオルでくるんだ籠のなかをのぞいてみると、うりゃは平然とした表情でこちらを見つめかえす。
 診察結果は、「痛風」とのことだった。よくみると、足の関節が膨らんでしまっている。先週の診察ではなかった症状だ。前回の診察で、うりゃには自覚症状があったのだろうが、関節の膨らみといった、人間が観察してわかるようなかたちでそれが現れていなかったため、見逃してしまったらしい。でも、まあ手遅れではない。尿素の排泄がうまくいかず、その結果、足の関節に尿素がたまり、それが痛んで足に力がはいらなくなるのだ。痛みだけは、一週間前から感じていたということか。食が細くなるのは、痛みのせいらしいのだ。関節痛風というらしい。ほかに、内臓痛風という症状もあって、こちらの場合は体内に尿素がたまってしまうので、痛みはないらしいのだが突然死することがあるという。関節痛風と内臓痛風は併発することが少ないと聞き、とりあえず安心した。痛風は人間と鳥にしか起らない病気で、それゆえに薬も開発されているということも幸いだ。ただし、完治はしない病気で、これから一生、痛風の薬を飲みつづけなければならない。うりゃももうすぐ九歳、人間でいえば七十歳といったところだから、これはもうしかたのないことなのだろう。なるべく快適な余生を過ごさせてやるのが、飼い主のつとめである。
 
 帰宅後は餃子鍋で夕食。なんだか、今日も疲れたなあ。
 
 
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三月十六日(日)
「太れトリ」
 
 久々の、まともな土日連続の休日は、二日とも午前中を惰眠でぶっつぶしてしまった。午前中といっても十時半くらいなのだが、それでもかなり、睡眠をとったことによる満足は得られるものだ。しかし、躯はある一定の水準を超えると、眠れば眠るほどだるくなる性質があるらしく、なんだか今日も重たく感じる。
 
 うりゃうりゃ、かなり恢復しているらしく、籠のなかに入れておいたアワの穂を、夢中になってかじっている。アワはヒナに与えることが多い、栄養価の高いエサで、療養中のうりゃにはもってこいの食べ物だ。体重は、昨日が二十四グラム、今日は二十五グラムだ。たった一グラムだが、増えている。人間でいえば一日で二キロ太ったことになるから、これは驚異的なことだ。三十グラム以上まで、順調に恢復してくれるのを祈る。
 
 日中はひたすら読書と駄文書き。仕事とどこが違うのだ、と指摘されそうだが、やはり趣味で読んだり書いたりするものと、仕事としてそうするものとは、根本的に違っている。しかし、どこかに接点があるのも事実で、これらが血となり肉となり、広告文士としてのぼくの力を支えてくれているのは間違いないことだ。
 読み疲れたので、昼寝する。二時間も寝てしまった。
 
 夕食は麻婆ナス。ひさびさに料理をつくった。
 
 武田泰淳『富士』。院長宅を訪問する主人公。ヤスパースの学士論文が紹介されている。奉公に出された少女たちの「懐郷病」と放火、赤ん坊殺しの関係について。
 『群像』三月号を、いまさら。もう四月号が発売されているはずだが、まだ買っていない。
 
 
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三月十七日(月)
「さよなら、うりゃうりゃ君」
 
 うりゃうりゃが逝ってしまった。
 今朝の冷え込みが原因だったのだろうか。昨日はもりもりとご飯を食べ、動きも目つきもしっかりしていたのだが、今朝はいくぶん元気がなく、食事をしている様子もなかったので少々心配ではあったが、どうやらそれが命の黄信号だったらしい。二十時ごろ、先に帰ったカミサンから事務所に「うりゃが危険」と電話があり、ぼくは走って家まで帰った。うりゃは死ぬ寸前まで、必死だったように思える。痛風の痛みはぼくらの想像以上にうりゃを苦しめたらしく、今日はほとんどご飯を口にすることがなかったようだった。足には力が入らず、止まり木に留まることすらできないため、床にはいつくばるようにして、ときどき翼を広げて床に手をつくようなしぐさをしてバランスをとり、懸命に尿素で腫れた足をかばいつづけていた。二十一時過ぎ、うりゃはしずかに目を閉じようとした。目は閉じられなかった。そして、そのまま動かなかった。
 こいつとはぼくが独身のころからの仲で、飼っている(飼っていた)動物のなかでは、一番長い間柄だった。一人暮らしをしていたころは、よくうりゃといっしょに風呂にはいったりしたものだ。そういった生活や、そしてその後の、ぼくがカミサンと結婚してからの、先に逝ってしまったハチとの生活、そして花子や麦次郎との生活、きゅーとの生活が、うりゃの一生のなかでどれほど価値があったかはわからないが、きっとうりゃはぼくに飼われたことをすこしはうれしく思っていただろう。そして、ぼくにとって、うりゃと過ごした九年間はとても価値あるものだった。
 ここ一、二年は、老齢の域にはいったうりゃのことが心配でならなかった。うりゃの死が心配だった、と言い換えてもいい。長いつきあいだから、死なれるのが怖かった。あと一年は元気なままで、あと二年は……と、毎日のように考えていた。これを「祈り」というのだろうか。
 ハチが死んだときは、逝ってしまう瞬間を見届けることができなかった。朝、目が覚めたときにはすでに冷たく、硬くなっていたのだ。うりゃは、だいじょうぶかと声をかけるぼくの掌のなかで、しずかに目を閉じようとした。死んでいく感覚が、手に伝わってきた。きっと、これはぼくにとってもうりゃにとっても、しあわせなことだったのではないか。ひっそりと逝ってしまうのは、さみしすぎる。
 生きるということは、何度も何度も他者の死を経験しつづけることなのだとつくづく思う。死の連続、などと書くとニヒルな感じがしてイヤミに聞こえるかもしれぬが、死を美しい思い出にすることができれば、これから何度も対面しなくてはいけない他者の死は、悲しいことには変わりないだろうが、すくなくとも怖れる必要はなくなるはずだ。もちろん、その「他者」とは、動物であろうと人間であろうと、おなじことだ。愛情とは、そのものの存在、生に対してだけ注がれるわけではない。死もまた、思い出というかたちの、ゆるやかで美しい愛をかたちづくるのだ。
 これからも、ぼくはおそらく多くのドウブツを飼いつづけるだろう。そのなかで、ぼくはうりゃとの思い出を大切に記憶のなかに留めておくつもりだ。その記憶こそが、これからも生きつづけるほかのドウブツたちとの生活をさらに豊かにしてくれるとぼくは確信する。
 うりゃうりゃ、さようなら。先に逝った、ハチやポンと合流して、あの世でなかよくやってくれ。ニンゲンとドウブツがおなじあの世に行きつくのかどうかはよくわからんが、いずれ、な。何十年か先のことになるだろうが――いや、意外にすぐだったりするかもな――、気長に待っていてくれ。オレは、もう一度オマエと遊びたい。もう一度会えるまで、オレはオマエとの思い出と仲よくつきあおうと思ってる。オマエもオレの思い出とよろしくやってくれ。そうしてくれると、オレはすごくうれしいよ。
 
 
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三月十八日(火)
「鳥が登場しない、鳥に関係のある夢」
 
 小学生のとき、迷い鳥を保護したことがある。ブルーのセキセイインコだ。学校からの帰り道、友だちとふざけながらダラダラと歩いているところに、インコは突然現れた。飛んできたかと思ったら、ぼくらの手にぱたっと留まったので、そのままつれて帰ることにした。友だちは三、四人いたと思うが、結局ぼくが飼うことになった。そのときいっしょにいた友だちが、夢に現れた。しかし、鳥は一羽も夢のなかには姿を現さなかった。
 
 八時起床。鳥籠にかけた布をとるのも日課なのだが、うりゃうりゃのいない鳥籠は少々さみしくて拍子抜けた感じがするが、きゅーはいたって元気なので安心した。しかし、さみしがるのは時間の問題だと思う。嫁でももらってやろうか、とカミサンと相談する。
 
 九時、事務所へ。雀、ヒヨドリ、シジュウカラ、セキレイ――と、鳥の鳴き声が聞こえるたびに、うりゃのことを思い出す。
 
 O社埼玉支店、N不動産複合都市のキャッチフレーズ、J社PR誌など。どことなく気が抜けた感じがしないでもないが、いったん気持ちが切り替われば、なんとか仕事に集中することくらいはできる。多少は心に余裕ができてきた。いつまでも悲しんでいられない。それはうりゃだって望んでいないはずだ。二十時、終了。
 
 武田泰淳『富士』。謎の人物から、パチンコ玉による襲撃を受ける精神病院の院長。
 
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三月十九日(水)
「寝坊の理由/『反戦』について/受話器越しのさみしさ」
 
 花子が起こすのを忘れているのか、それとも起こされても目が覚めないのか。ここ数日は、陽が昇ってから猫にご飯を与えている。うりゃうりゃの世話や葬式――まあ、しっかり葬ってあげたのだから葬式といえるだろう――でバタバタしており、ぼくが疲れているせいもあるだろうが、うりゃと仲のよかった花子もまた、かなり疲れているのかもしれない。
 
 八時、きちんと起床。テレビは、どの局も「回戦間近」と報じている。人道的に考えれば戦争は許されない。しかし、国際的規模での安全、あるいは日本における安全という視点から考えると、たちまち答えはわからなくなる。世界的に反戦デモが盛り上がっているともテレビは報じていた。「反戦」は誰にでも主張できる。人間として当然主張すべきことなのだが、それゆえに「反戦」ということばとそれにともなう行動は、「戦争大賛成」とおなじくらい安易で、危険な気がしてならない。無思想、無思慮な反戦の主張は、国際的な混乱を招くだけのように思えるのだ。戦争に反対することは、誰にでもできる。その前に、ぼくらはもっと考えるべきなのだ。考えを改めなければ、人間は何度でもおなじ過ちをくり返すに違いないのだから。
 
 九時、事務所へ。N不動産、O社埼玉支店、E社ウェブサイトなど。二十二時、帰宅。満月がぽっかりと浮かんでいた。うりゃに見せてやりたい、と思った。
 
 事務所を出るときにカエルコールをするのが日課になっているのだが、以前は受話器越しにうりゃときゅーの元気な鳴き声が聞こえてきて、「はやくかえらなきゃ」という気持ちがさらにつのったものだが、ここ数日はその声が聞こえない。受話器から聞こえるのは、応答するカミサンの声だけだ。その声にまじって、きゅーのかなしさがじんわりと伝わってくる。実際、きゅーはちょっと元気を失いつつあるようだ。ヤツにとって、うりゃの存在はとても大きかったはずだから、その分ショックも大きいのだろう。やはり嫁をもらうべきか。
 
 読書は、夜に武田泰淳『富士』をすこしだけ。
 
 
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三月二十日(木)
「今日の事件簿」
 
●陽射しだけは、春。事件
●喉が痛むのは夜に全力疾走したからだろうか。事件
●聖徳太子にはなれないや。事件
●戦争がはじまった。事件
●電話がつながらない。事件
●中華っぽくない中華料理。事件
●貧乏のオンパレード。事件
 
 
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三月二十一日(金・祝)
「フリーランスの資本論」
 
 フリーで仕事をしていると、いわゆる祝日というものはほとんどなきにひとしい状態になる。食っていくには、すこしでも多くの仕事をこなさなければならない。多くの仕事をこなすとは、自分の時間の多くを仕事に費やすということだ。『資本論』には、人間とは誰もが自由に使える時間をもっている、それを雇用者に賃金と引き換えに提供することが「労働」である、といったことが書かれていたような気がするが、これは貧乏な資本家ともいうべきフリーランスにはまるであてはまらない。資本家としての自分は、自由な自分との境界線がどんどんあいまいになる。時間もあいまいになる。だらだらと、労働が私的な領域になだれ込み、侵食し、やがてぼくは労働一色になってしまうのだ。暇なときは、これが逆転する。そのかわり、収入面に関する不安が私的な領域をたちまち支配するようになる。
 
 八時三十分、起床。いつもより三十分ほどゆっくり起き、ゆっくり仕度し、ゆっくり事務所に向かう。テンポがいつもよりゆるやかなだけで、やっていることはいつもと変らないのだが、それでも気分はいつもよりも幾分晴れやかだ。空も晴れている。雲ひとつない。いつも通りかかる、柴犬を飼っている一戸建ての庭に無造作に植え込まれた若い紅梅が、少ないが鮮やかに花を咲かせていて、その色彩が青空と美しい対比となって、ぼくの目に飛び込んでくる。
 
 十時、事務所へ。E工業ウェブサイトの原稿に専念する。世間一般は休日だから、電話も鳴らない。おかげで集中して作業できた。夕方、目処が立ったので気分転換に吉祥寺へ。パルコブックセンターにて、『群像』四月号、埴谷雄高『死霊II』、小野正嗣『にぎやかな湾に背負われた船』を購入。帰社後、すこし作業をしてから帰宅する。十九時。
 
 夜はTBSの特番『sasuke』を見る。つづいて、ビデオに録画しておいた『最後の弁護人』の最終回を見る。入浴後、釈ちゃんが出ている『スカイ・ハイ』を見る。テレビ三昧。
 
 戦争の影響は、世の中のあちこちに形となって現れているようだ。義母は飛行機で岡山へ向かう予定だったのだが、(これは直接戦争とは関係ないが)ANAのシステムダウンでフライトの予定は大幅にずれ込み、テロ対策で手荷物検査が徹底的に行われたため、ただひたすらに待たされつづけ、このままでは予定が狂ってしまうので急遽飛行機をキャンセルし、新幹線に乗り換えたのだそうだ。テレビも戦争一色、ヤフーやMSNのニュース欄も、戦争の話題で持ち切りだ。2ちゃんねるでは、戦争をネタにした下品なアオリの書き込みが急増している。
 
 武田泰淳『富士』。ヒステリックな性同一性障害(なのかな?)の患者に襲われた主人公のおかしな受難。
 
 
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三月二十二日(土)
「はじめての子ども売り場/眼鏡を買う」
 
 今日は完全休養、といいたいところだが、甥の小学校入学祝いを買いに行かなければ。妹の長男だ。自分の子どもは今の状態ではほしくないのだが、妹の子どもはかわいいと思う。年に一、二度しか会わないが、忘れられたくないので必ずなにか手土産をもっていってやることにしている。幼稚園時代はよくウルトラマンや仮面ライダーの人形を買い与えてやったが、最近はもうすこし役立つものにしなければ、と考え、方向性を修正している。今回の入学祝いでは、妹からはピカチューの絵のついたデスクマットをせがまれていたが、ちょっと馬鹿っぽい気もするし、勉強も集中できまい。デパートや小売店ではどこで売っているのだろう。あちこち覗いてみたが、よくわからない。インターネットで調べてみると、どうやらそのデスクマットは大人気商品らしく、品切れのところも多い。あるいは、学習机を買った人にプレゼントされる場合もあるらしいのだが、その場合は、軒並み早々にプレゼントを終了している。要するに、品薄状態なのだ。あるところにはあるのだろうが、ほとんどなきにひとしい状態。これでは、子ども関連の商品にうといぼくら夫婦に、見つけられるわけがない。昨日、電話で妹に、ピカチューみつかんねえよというと、それじゃ靴がいいといわれた。なるほど靴なら実用的だ。というわけで、今日は靴を買いに行く。
 
 十時過ぎ起床。外はうっすら曇っているが、そう寒くはなさそうだ。掃除、洗濯。十三時をすこしまわったところで外出。延々と入学祝いのことを書いてしまったが、じつはほかにも、ぼくの眼鏡――レンズに傷がついてしまった。おまけに視力があわなくなってきた――と傘――貧相でボロボロに使い古した安い傘しかもっていない――を買わなければいけない。カミサンは、ついでにワイズで限定販売のビルケンシュトックとのタイアップによるサンダルを買うつもりらしい。しかし、第一目的は入学祝いなのだ。まず、伊勢丹へ行ってみる。子ども売り場で買い物なんて生まれてはじめてだから、勝手がよくわからない。ごちゃごちゃしたフロアを、クソガキと何度もぶつかりそのたびにケットバシタロカと憤る心をなだめつつ、目当ての靴を探すのだが、これがさっぱり見つからない。ミキハウスの靴がワゴンセールになっていたが、小学生にミキハウスというのもいかがなものか。結局、靴はそれしか見つからない。ここでは断念する。つづいてワイズへ。カミサン、サンダルを予約する。眼鏡売り場も行ってみたが、デパートではいいものはないし、どれもこれもグッチとかセリーヌとかラドーとかいったいわゆる高級ブランド品で、デザインも気に入らないし、価格的にも手が出ない。
 小田急へ移動。こちらの子ども売り場の充実度は、素人目には伊勢丹より充実しているようにうつった。商品がブランド別でなく、種類別で分けられている――一部例外もあるが――ため、選びやすいし、買いやすい。すぐに靴売り場を発見できた。コンバースのベルクロテープ式のスニーカーが気に入ったので、これをプレゼントにする。意外にあっけなく決まってしまった。傘の特売イベントをやっていたので、ぼくの傘を三千円で購入。眼鏡は一応覗いてみたが、予想通りの品揃えだった。
 新宿をあとにし、吉祥寺へ。パルコが五パーセントオフのキャンペーンをやっているので、ここで眼鏡を買おうという魂胆だ。地下にある、ちょっとこじゃれた若者向けの眼鏡店を覗いてみる。なかなかの品揃えだが、ぼくは金属アレルギーだから、眼鏡はセルフレームのものしかかけることができないため、この時点で、かなりの候補が脱落してしまう。老舗の眼鏡職人と新進気鋭のデザイナーとのコラボレーションによるラインナップ、商品の企画力に心魅かれたが、顔が小さめで頬もこけているぼくの顔では、眼鏡が異様にめだってしまうので断念する。ほかの商品も試してみたが、自己主張が強すぎるものばかりで、なんだかコスプレしているような気分になる。ストリートファッションにならこの手のものは似合うだろうが、ぼくはたいてい黒のセットアップだから、調和するはずがない。
 エスカレーターで五階までのぼり、白山眼鏡店に行ってみた。オリジナルデザインに定評がある老舗の眼鏡屋さんだ。いくつか試してみたが、ここの紫色がかった限りなく黒に近い紺色のセルフレームのものが、いちばん顔にしっくりきた。服にも合いそうだ。というわけで、これを購入する。来週の土曜に、できあがる。
 パルコブックセンターでますむら・ひろし『アタゴオルは猫の森』5巻、諸星大二郎『私家版鳥類図譜』、桜沢エリカ『しっぽがともだち』6巻を購入。どれもマンガだ。
 ナチュラルハウスの隣のオーガニックカフェでケーキセット。ナチュラルハウスでニンジンと有精卵マヨネーズ、カフェ兼ドイツパン専門店の「リンデ」でドイツパンセットを購入。カミサンは、実家で留守番する桃子の世話をするために、東小金井へ。ぼくは帰宅する。
 
 帰宅後は、カレーを作って食べる。豚バラ肉の特製欧風カレー。
 
 武田泰淳『富士』。自分を宮様だと信じる嘘言症患者であり、主人公の親友でもある一条という青年が、主人公に宛てて書いた長い長い手紙。そこにつづられた内容――おなじ病院に入院するてんかん病患者の妻との情事――は、おそらくは彼の妄想の産物なのだが、なぜかそこになにか、真実のようなものを感じてしまう。これが泰淳の狙いなんだろうな。引用。
 
 すでに、時間は停止していた。というより、時間はもはやぼくの掌中にあった。のばすことも、ちぢめることも、むずかしっくはない。ぼくの決断のみが時計の針となりゼンマイとなっていた。大木戸夫人の肩をだきすくめたとき、彼女が城壁でありつづけるよりは、海綿たらんとして、剛から柔へと弁証法的発展に突入していたのは、言うまでもない。しかしながら、城壁が海綿に変形するとき、停滞と飛躍のあいだの矛盾が、彼女をひき裂く、精神的にも肉体的にもひき裂くことは、オトコとして考えておいてやらねばなるまい。おそらく、それが『いやがる』という形式をとることはまちがいない。『いやがる』ことのみが、彼女の城壁的道徳のよりどころなのだからね。しかも、彼女が海綿のみずみずしさ、液体のふくらみをもって息づきはじめているのも、同時に防ぎようがない。つまり彼女の外面が城壁的であることが、彼女の内面を海綿的にせざるを得ないのである。そして、彼女の『まなざし』それこそあらゆるマルクス主義者、フロイト学者も分析しきれない、娼婦でありながらマリヤである、あの『母なるもの』の神秘の傷口となって、見ひらかれているのだ。
 
 
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三月二十三日(日)
「死を受け入れるということ」
 
 カミサンのいない日曜日。九時に目が覚めてから、ずっと猫たちといっしょに過ごす。日中は読書など。 
 
 十五時三十分ごろ、カミサン帰宅。猫たちをカミサンにまかせ、きゅーの鳥籠を掃除する。籠からきゅーを出すとき、みょうにやせた感じがした。体重を量ると、二十七グラムしかない。うりゃうりゃが亡くなる寸前のときで二十五グラムだから、それに近い痩せかただ。どうやら、さみしくてごはんをあまり食べていないらしい。だいじょうぶかな、と思いながらカミサンに体重を教えてやると「それって、かなりやばいよ」といわれる。二十七グラムは、かなり痩せているがまだイエローゾーンにさしかかっている程度だと思っていたが、レッドゾーン寸前らしいのだ。そういえば、カミサンが帰ってからのきゅーは、ちょっと食が細い。というより、ご飯をほとんど食べていない。吐き戻すような動作が頻繁にみられる。ゲロまでいかないが、これを何度もくり返しているのだ。これはいけない、ということで、またまた中野バードクリニックに向かう。
 診察結果は、さみしさからくる食欲減退と、それによって引き起こされたある種の細菌の繁殖による吐き気ということだった。うりゃうりゃに対するきゅーの信頼、慕いかたを先生に説明すると、「ひょっとしたら、親子関係に似たきずながあったのかもしれませんね」といわれた。まずはうりゃうりゃの死を受け入れさせ、もううりゃはここにはいないことを理解させることが第一、次に、環境を変えるなどの工夫をして気分をリフレッシュさせること、そして食欲を取り戻すために、好きなご飯をいっぱい食べさせるようにすること、これらが重要だと指導された。薬などをいただき、帰宅する。
 診察中に病院内を飛び回ったり、移動したり、診察待ちをしているセキセイインコの鳴き声を聞いたりしたのがよかったのだろうか、帰宅後のきゅーはまさに「リフレッシュ完了」といった調子で、夕方の状態からは想像もつかないほどの元気さで、ご飯をもりもりと食べ、よく遊んだ。もう心配はいらないだろうが、明日おなじような状態に戻ってしまったら、強制的に給餌するつもりだ。
 追記。病院にて先生にうりゃの死を伝えたところ、先生はうりゃのカルテをとりだし、丁寧に死に至る経緯を記録し、死因を推察してくれた。どうやら腎不全らしい。先生は、最後にこうつぶやいた。「天寿、だったのかな…。残念でした」
 
 大切な存在の死ほどつらいものはない。それは動物もまたおなじである。人が動物の死に対して感じる悲しさ、つらさ以上に、動物同士が感じるさみしさのほうが、本能的なぶんだけ底が深いように思えてならない。せつなくなる。ぼくたち飼い主は、仲間の死を目の当たりにした動物たちに対して、なにをしてやるべきなのだろうか。ぼくにはよくわからない。わからなくても、なにかをしなければならない。それだけは、確信がある。
 
 武田泰淳『富士』。死に瀕する患者と、その妻。妻をそこにつれてきたのは、情事にふけったと手紙で主人公に告白した嘘言症患者である。
 
 
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三月二十四日(月)
「春の服、服の春」
 
 七時五十分起床。躯がだるく、ほてる感じがした。天気予報を見ると、今日は今年一番暖かなようで、東京の最高気温は十七度とあった。ほんとうだろうか。クローゼットからあわてて春物をひっぱりだす。春物の服を着ると春になったことを実感できる。木々が咲かす花や陽射しの暖かさ、空の青さこそ春の象徴なのだけれど、それらはあくまで自分をとりまく環境の変化であって、自分が「春」になるためには、服を着替えること、気持ちを切り替えること、このふたつが不可欠のように思えるのだ。ただし、ぼくの場合は春だろうが冬だろうが、着るものは素材が変るだけでシルエットやら色やら、外見的な要素はほとんど変らないのだが。
 
 九時、事務所へ。春服の準備に慌ててしまったのだろうか。ケータイを家に忘れてしまい、取りに帰る。
 
 午後より外出。N社のマーケティング情報専門のPR誌の取材で日清食品へ。ライブ会場だった『パワーステーション』は、ずいぶん前になくなったらしい。十年ほど前は、ここでよくゼルダやムーンライダーズを聴いたものだ。取材は無難に終了。
 帰りがけに、新宿南口のドコモショップに立ち寄る。PHSを機種変更。通信カード一体型で通話もできるタイプの「611S」から、カード型の「P-in Memory」に変更する。変更したかったのだが、なかなかふんぎりがつかず、どうしようかと思っていたのだ。四月からは定額制サービスに対応した新商品がでるため、安く手に入れるなら今がちゃんすなのだ。本体価格は四八〇円だった。
 
 夜はO社埼玉支店チラシ。0時ジャストに店じまい。
 
 武田泰淳『富士』をすこし。それから、桜沢エリカ『シッポがともだち』六巻もすこし。
 
 
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三月二十五日(火)
「梅の末路」
 
 一晩中、だらだらと夢を見ていたような気がする。内容はさっぱり覚えていないのだが、それは夢うつつだったからではなく、夢の情報量の多さに記憶力がついていけなかったからではないか、と思うほど、長い長い夢のように思える。いや、どこがはじまりでどこがおわりなのかもわからないような断片的な夢ばかりを、一晩中見つづけていたのかもしれない。
 
 八時起床。雨。先日小田急で購入した傘をさっそく下ろす。特価で買ったせいだろうか、あまりドキドキしない。梅の木を植えた一戸建てのまえを通りかかる今日の雨で、梅の花はほとんど落ちてしまいそうだ。ぐしょぐしょに濡れた紅梅の花びらは、不幸な女の末路のようですこし悲しくなった。
 
 九時、事務所へ。昨日の取材内容のまとめと原稿執筆に取りかかろうとするが、何度も電話がはいり、なかなか集中できない。
 昼食は「それいゆ」にて。鉄骨パスタ。水出し珈琲を飲みながら、何度も溜息をついてしまう。意図的に放心状態になろうと努力してみるが、雨音が気になって放心できない。
 昼食後、近所の書店で『モバイルプレス』春号、村上龍『共生虫』。買う本ばかり多くて、読むペースが追いついていない。でも、読みたいと思うと買ってしまう。
 
 午後もN社の取材原稿に終始。今日中に初稿を書きあげてしまいたかったが、とても無理そうなので二十二時に断念する。明日も取材、早朝からの仕事なので、今夜はあまり無理できない。
 
 カミサンとふたりで帰宅。マンションのエントランスで、でかくて茶色いマダラ模様のなにかがヌラヌラ光っているのをみつける。カエルだった。交尾をしていた。啓蟄はいつだったろうか。ホントにカエルが冬眠から目を覚ます季節がやってきたんだなあ、とふたりで実感する。
 
 夕食は自宅でプチトマトとイカのガーリックパスタ、春キャベツとトロロのずるずるサラダ。
 
 武田泰淳『富士』。やっと三分の二くらいまで読んだ。
 
 
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三月二十六日(水)
「服の春、春の花」
 
 季節の変わり目は着る服に困る。昼夜の気温差も激しいので、なにを着たらよいのか、さっぱりわからなくなる。街に出ると、自分とおなじ悩みを抱える人が多いことに気づく。薄くて軽い素材の春物をサラリと着こなす女性が、むさくるしいロングコートに身を包んだオッサンといっしょに歩いている。あたりをきょろきょろと見回し、皆がなにを着ているかを頭にたたき込んでおく。それを、翌日の参考にしようとするが、天気予報がみごとにそれを裏切ってくれる。春とは、こんな生活が連続する季節のことをいうらしい。
 八時起床。春物の黒いセットアップと黒いシャツという出で立ちで家を出る。素材は軽いが、色はむさくるしい。しかしこれがぼくのスタイルなのだから仕方がないし、避難されてもぼくはこのファッションを改める気持ちはさらさらない。春、春、春と考えながら事務所へ急ぐ。近ごろは毎朝、梅の木が無造作に植えられている一戸建ての庭を観察するのが日課になっている。どうやら梅の花は、桜の花に役目を引き継いだようだ。この家の庭には、そこそこ立派な桜の木もある。枝や幹がなんとなくピンク色に染まっているような気がしたのですこし目を凝らしてみると、花のつぼみがふくれて、花弁がほころびはじめているのに気づいた。木をほんのりと染めているのは、このほぐれかけの花びらだったのだ。服に一喜一憂している場合ではない。花を愛でる季節がやって来た。これこそ、春なのだ。
 
 九時三十分、外出。常磐線で土浦へ。午後より、某建設機械メーカーを取材する。小学校のときの社会科見学のような気分になる。土浦の桜は、まだつぼみができはじめた程度だった。花開くまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。
 
 十九時、帰宅。残っていた別件をある程度片づけ、二十一時に帰宅する。
 
 武田泰淳『富士』。精神病院に収容された哲学少年の、女性についての考察。
 
 
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三月二十七日(木)
「これから読もうと思う」
 
 五時、花子にご飯。以降、夢と現実のあいだを行ったり来たりする。夢の世界では、たいていが戦争にかかわるなにかが起ったり身に降りかかったりしていてせわしない感じだった。現実の世界のぼくは、通販生活で買ったメディカル枕に頭を載せ、コロコロと寝返りをうっている。熟睡できぬまま、七時三十分に起床する。
 
 八時三十分、早めに事務所へ。昨日やり残したN社の取材記事を一気にフィニッシュさせようとするが、電話やらメールやらに対応していたら、結局十二時を過ぎてしまい、クライアントに「まだか」と催促され、誤り、また取りかかろうとすると、なにか邪魔が入り――これの連続だったが、十五時になんとか原稿を書き上げることができた。そのあとも、ほかの件でバタバタと。
 
 十八時よりカイロプラクティック。帰りがけに、吉祥寺駅でmialofaさんを見かける。あいかわらずお美しい。
 
 残務整理をしてから帰宅。二十一時。
 
 今日は活字を読まなかった。これから読もうと思う。
 
 
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三月二十七日(金)
「惑わされる季節/よくぞここまで」
 
 八時起床。暖か、というよりぬるまったい部屋の空気に違和感を覚える。春のきまぐれな天気、いや天気というより温度、乱高下をくり返す気温に、躯も気持ちもついていけない。
 
 九時、事務所へ。街のいたるところで、桜の花がほころびはじめている。つぼみだけはやたらと多く吹き出しているが、花びらをみせているのはほんの一握りだけだ。気温の変化に、桜の花もついていけていないのだろうか。それとも、たんなる出し惜しみか。咲きはじめの桜の木は、みょうにちぐはぐな感じがして好きではない。早く咲け、と急かしたくなるが、そう思う自分の心も見苦しく感じる。春は人の心を惑わす季節だ。
 
 ほぼ終日、溜まりに溜まった事務処理に終始。一日がかりになってしまった。よくぞここまで、伝票やら書類やら雑務やらを溜めこんだものだ。夕方から夜に書けてはO社埼玉支店チラシ。二十一時、帰宅。
 
 疲れたので、早く寝ることにする。
 
 武田泰淳『富士』。主人公の見る不可思議な悪夢。彼の夢にくり返し登場する『海のマリア』とはなんの象徴なのだろうか。
 
 
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三月二十八日(土)
「個展はじまる/はじめて入る店、二ヶ所」
 
 八時三十分起床。今日からカミサンの個展がはじまるので、休日だがちょっと早起きだ。
 
 十時過ぎ、カミサンは会場へ。ぼくは事務所へ。日中はO社埼玉支店のチラシのデザインチェックと、以前から暇をみて作業していたスタジオ・キャットキックホームページのリニューアル作業。途中、カミサンからメールが入る。会場は盛況らしい。
 
 十四時三十分、外出。西荻窪駅前のイタリアンレストランへ。はじめて入る店だ。店内はカジュアルだが落ち着いていて、ところどころにイタリア三色旗のシンボルカラーがあしらわれており、お手ごろ価格のイタリアンらしさがにじみ出ている。昼の忙しい時間はすぎたようで、空席の方が多く、食事している人はほとんどおらず、珈琲を飲んでいる人ばかりだ。女性が多い。ということは、ケーキがうまいのだろうか。よくわからん。腹が減っているので、菜の花とアサリの塩味パスタを注文する。。遅い昼食だ。菜の花は茹ですぎでちょっと味が抜けている。アサリはときどきジャリっとしたが、まあ、許せる範囲だ。それなりに美味。ケーキは注文しなかった。
 
 つづいて吉祥寺へ。パルコの「白山眼鏡店」へ、注文しておいた眼鏡を引き取りに行く。度数もデザインも満足。眼鏡を取り替えたときは、いつも世界が新鮮に見える。ピントがしっかりしているために、目に入るものすべてがぼやけず鮮明に映るだけなのだが、それが妙にたのしく感じてしまうのは、ぼくが単純なアホだからか。
 つづいて「ワイズフォーメン」へ。この時期に着れるカットソーがほとんどないので、一着新調する。いつも接客してくれる藤島さんも「通勤のとき、困るんですよ」とこぼしていた。彼らはショップで売るものを着なければならず、それらは必ず季節をすこし先取りしたものでなければならないから、気温や天気を考慮にいれた服選びができないのだ。馴染みの店員は彼だけで、ほかの二人ははじめて見る顔。ヒゲが薄く、肌がパンパンで、服を包むだけでイッパイイッパイという感じがしたから、彼らはきっと新入社員なのだろう。研修だろうか。
 パルコブックセンターで、Javascriptに関する本を一冊買ってから事務所に戻る。二十時、帰宅。
 
 夕食、自分で作ろうと思ったがもうスーパーも空いていない時間なので、外食することに。三月上旬にオープンした小さなカフェ「ぼん しいく」に入ってみる。自由ケ丘あたりに多そうな、こじんまりとして小奇麗、カジュアルで気さくな感じのカフェ。メニューはちょいとエスニックがかった定食屋風。ギネスと「寿屋のおぼろ豆腐」、それから「鶏と大根の上海風煮定食」を頼む。定食ができるまで、ギネスと豆腐で晩酌。豆腐の味が濃厚、しっかりした味なのでびっくりする。定食は鶏と大根をウイキョウを利かせていっしょに炊いたもので、これもまた美味。ご飯は白米と玄米から選べるようになっており、今日は玄米にした。付け合わせの小鉢は、ウドのキンピラ、白菜のユズ風味の浅漬け、大根の葉の中華風の漬物と三品もあり、これをつまんでいるだけでもかなり楽しめる。豊かな食事をした気分だ。
 
 二十三時、カミサン帰宅。絵は五点も売れたらしい。『ネコネタ。』本や絵本、ほかの小物も好調だとのこと。よかった、よかった。 
 
 武田泰淳『富士』。精神病患者による殺人事件。精神病の夫を亡くした直後の未亡人が、正当防衛のために精神病の犯人をスコップで殴り殺す。そして、また新たな事件が起りそうな気配。泰淳はこの物語をつうじてなにを語ろうとしているのか。わからん。
 
 
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三月三十日(日)
「さよなら矢口」
 
 八時三十分にカミサンは起きたようだが、ぼくはもう三十分ほど蒲団のなかにもぐり込みつづけた。いつもはぼくのほうが早起きだというのに、個展がはじまると逆転してしまうのは、本人のやる気、こだわりが強いのと、満足度が高いからなのだろうか。すくなくとも、今のカミサンの機嫌はすこぶるいい。
 
 十時すぎ、カミサン出発。ぼくは掃除、洗い物を済ませてからすこしだけ読書、駄文の執筆。十一時三十分から、麦次郎をかかえてテレビ東京の『ハローモーニング』を見る。ミニモニ。矢口のテレビ出演最後の日だ。『じゃんけんぴょん』で締めくくられたのだが、この歌をフルコーラスで聴くのはじつははじめてで、彼女らの踊りと画面下に表示される歌詞の両方に視線を小刻みに動かしつづけていたら、ちょいと疲れた。この集団に高橋愛、かあ。どうなんだろ。
 
 十四時、事務所へ。すこしだけ事務処理をしてから、十四時三十分、『Rosso西荻窪』で髪を切る。先日公開されたRossoのウェブサイトの話題で盛りあがる。十五時三十分、終了。はねてしまうのでロン毛は断念したから、以前の髪形に近い仕上がり。
 
 もう一度事務所に戻り、スタジオ・キャットキックのホームページづくりをすこしだけ進める。十八時、帰宅。
 
 夕食は買ってきた寿司で手軽に。
 
 武田泰淳『富士』。「宮様」を自称する嘘言症患者の、宮様への、「宮様」としての直訴と逮捕。そして患者の死。さらに、その復活を怖れる軍曹。「信仰」ということばが、登場人物たちの精神のうわっつらに見え隠れする。
 
 
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三月三十一日(月)
「寝ぼけた/延びた/咲いた/慣れた」
 
 七時に目が覚めた。花子がご飯をねだって起こしたからだろうか、それともきゅーが機嫌よく鳴いていたからだろうか、はたまた自然に目覚めただけなのか。いまひとつはっきりしないなかで起き上がり、猫缶を開ける。部屋は暖かく、冬のころのひややかさが嘘のようなのだが、ねぼけた頭には、季節の移ろいという考え、感覚がまるっきり欠落しているから、なにがなんだかさっぱりわからない。陽が差しはじめている。カーテンが、窓の外側から明るく照らされ、暖かな陰影をつくりだしているのだが、それを見ても、窓を開けてみようという発想はなく、したがって、春の訪れにもまるで気を配らないで、ただただ、ノホホンとだけしつづけている。とりあえず、きゅーの籠にかけた黒い布を取った。そして、もう一度蒲団に入る。神社かどこか、神仏を祭る場所に建てられた石塔のてっぺんに蒲団をひいて寝ている夢を見た。八時起床。
 
 『特ダネ』のイラク戦争レポートを見る。戦争はまだ終わらない。それどころか、長期化のきざしがあるらしい。短期決戦、フセイン逃亡、イラク民主化、アメリカをはじめとする(イラクからみた)外資の石油会社がつぎつぎとイラク内に生産拠点をつくる、しかも現地雇用はほとんどなし、アメリカ経済持ち直し、イラクは外資に食われてボロボロ、というシナリオをブッシュは描いていたのではないか、と足りない頭でぼくは勝手に憶測していたのだが、どうやらそうはならないらしい。アフガンは、ぎりぎりのところで第二のベトナムにならなかった。イラクはどうだろうか。よくわからん。今日の『特ダネ』でわかったのは、昔より戦争は金がかかるようになっている、ということだけだ。人ひとり殺すのに、何百万も何千万も何億もする専用の兵器を惜しみなく使う。なんて気前がいいんだろう。
 
 九時、事務所へ。午前中はO社埼玉支店、それから月末の事務処理。午後より外出。九段下のJ社にてPR誌の打ち合わせ。靖国神社や武道館のあたりの桜は(バンスカ兵器を戦線につぎこむアメリカみたいに、というわけでは断じてないのだが)気前がいいらしく、つぼみよりひらいた花のほうが多いように見える。老人や幼稚園にもあがらぬくらいの小さな子どもが桜の木の下を散歩している。みんな、重たい冬のコートは着ていなかった。ぼくもシャツの一番上のボタンをついついはずしてしまう。
 夕方から、O社埼玉、J社、E社ウェブサイト、N不動産新聞折り込みチラシを同時に進める。慣れたのだろうか、あまり混乱しない。二十一時、終了。
 
 夕食は自宅にて、鶏の照焼き、豚汁など。カミサンの友人――ぼくの友人でもあるけど――の551さん(OL三十五歳独身まあまあ美人)からもらった韓国焼き海苔を食べる。後を引く。三倍もお代わりしてしまった。明日はたくさん大便が出ると思う。
 
 武田泰淳『富士』。伝染する嘘言症。いや、伝染するのは信念なのだろうか。
 あと百ページくらいで読み終わる。長いなあ。
 
 



《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。見たもの、聞いたもの、感じたことを頭の中で、その場で文章にするくせがあるが、そのせいだろうか、最近独り言が多い。

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