■2003年1月
※今月から日付降順で更新します。
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1月1日(水)
「かけるほどの価値/トリのたましいと縁起担ぎ/うんこと葬式」
九時起床。初日の出など、生まれてこのかた、一度も拝んだことがない。学生のころはスキーが大流行しており、地元のスキーショップでバイトしていたぼくは元旦はかならずスキー場で迎えることにしていた。二日、三日よりも元旦のほうがゲレンデが空いているからだ。ある年、高校時代の先輩であるアキヒロさんが「初日の出をみてから滑りに行こう」といいだしたことがある。今よりは素直で思考回路も単純だったぼくはその意見に素直に賛同し、大晦日からろくに睡眠時間もとらず、アキヒロさんとふたりで、たしか塩原だったと思うが、スキー場へと向かった。だがその日の塩原地方はあいにく薄曇りだった。初日の出はおろか、すっかり陽の光すらその日は拝むことができなかったわけだ。それ以来、初日の出を見に行こうと思ったことはない。美しい日の出をたのしめる山の天気は、素人にはちょっとわからない。一か八かのカケになるのだろうが、初日の出ごときに貴重な一日を掛けるのは少々もったいないような気がする。無粋すぎるだろうか。
花子に初ご飯をあたえる。麦次郎は押し入れのなかで寝ているようだ。起こさず、そのままにしておく。起きようかと思ったが、まだ風邪の症状がすこしばかり残っていて、喉がガラガラした感じがするのでもう一度蒲団に潜り込むことに。ふたたび眠りに落ちる。気づいたら、十一時をまわっていた。寝正月である。
身支度を整え、おとそ代わりの泡盛で乾杯。雑煮、おせちを食べる。ふだんの言葉でいえばブランチなのだが、正月はダラダラとおせちを喰いつづけるもの、したがってこれはブランチではない。テレビを観る。バラエティの特番ばかりだった。おもしろかったが、内容はよく覚えていない。
十五時、カミサンと初詣へ。まず事務所に寄り、古い破魔矢を引き上げる。つづいて、善福寺側沿いをゆっくりと歩き、公園に立ち寄る。目的は、ここの地面で眠っている、インコのハチと雀のポン(本名はポットン)の墓参り。二羽とも、カミサンが拾ってきた。ハチは足に障害のあるセキセイインコで、道に落ちていたところを当時独身だったカミサンが拾ってきて、育てた。五年くらい生きたと思う。ポンは巣落ちしたところをすぐに拾いあげ、育てようとしたのだが、もともと生命力の弱い個体だったらしく、たちまち落鳥してしまった。ウチはマンションの二階、庭がなく葬る場所に困ったので、ここの植え込みの地面に穴をほって埋めた。公園に着くと、餌をまき、ヤツらに新年の挨拶をした。枯れ葉に引火するといけないので線香は持参しなかったのだが、年末に枯れ葉をキレイに掃除しておいたみたいで、地面はきれいだった。これなら、線香をあげても大丈夫だろうが、あとの祭りだ。
公園では、種類はわからないがでかくて黒い犬が飼い主と遊んでいた。犬に正月ということは理解できないだろうが、なぜか浮き足立って微妙にテンションが高い飼い主の様子くらいはわかるだろう。いぶかしがらないものか。うちの猫や鳥は、なにも考えていないし感じてもいない様子である。ただ、最近毎日ぼくらが家にいることに、だいぶ慣れつつあるようだ。最初はよろこんでいたが、だんだん態度がふてぶてしくなってきた。そのうちいつもの生活にもどると、反動で強くさみしがるのかもしれない。ここに埋められた二羽は、どうなのだろうか。霊魂の存在をぼくは信じているが、ヤツらの魂がなにを感じとっているかはわからない。魂に時間という概念はないような気がするからだ。しかし、せめて季節くらいは感じとってほしいと思う。そうでないと、くたばったあと、ユーレイになったぼくのたのしみが、ひとつ減ることになる。
住宅街を抜けて、荻窪八幡へ向かう。毎年、初詣は元旦にここで済ますことにしている。たいした神社ではないと思っていたのだが、地元の氏神さまが奉られているらしい。そういえば、何年か前に本宮(というのかな?)を改築していた。建物はたいそう立派であるが、御利益も立派かどうかはわからない。以前運勢をみてもらったことがある占い師は、ぼくに信仰心をもつように勧めた。どこかの宗教にはいるのではなく、お参りやご祈祷などを毎年しっかりしてもらっておくように、ということだ。そのとき、どこの神社や寺院に行くべきか訊いてみたのだが、荻窪八幡は神様のちからが弱いからご祈祷はねえ、とその占い師はいっていた。だからというか、占い師のアドバイスをそのまま鵜呑みにしているわけではないのだが、縁起担ぎが好きなぼくは、初詣ではここで済ませ、破魔矢もここで買うのだが、ご祈祷はしてもらわないことにしている。これは、節分ごろをみはからって、不動明王を奉っている高幡不動でやってもらっている。それから、奈良を旅行したときに立ち寄った大神神社のお札も、毎年取り寄せている。縁起の担ぎ過ぎかもしれないが、おかげで二〇〇二年はいい年だったようだ。しかし、ぼくの行為が信仰心としっかり結びついているかといわれると、戸惑ってしまう。おそらくぼくには信仰心など微塵もないのだろう。あるのは俗人の欲だけだ。いけないことだろうか、と思うこともあるが、それ以上深く考えたことはない。
賽銭は五十円にした。いつもはご縁、にちなんで五円を放りこんでいたから、十倍の奮発だ。十倍の願掛けをしておけばよかったかな、とあとで後悔する。自宅用と事務所用、破魔矢を二本購入し、帰宅する。
帰宅後、長めの散歩は病み上がりの躰に堪えたのだろうか、いねむりしてしまう。
夜、ドラマ『ショムニ』を観る。よくできたエンターテイメント。キャラ作りがうまいよなあ。
初読書は、年末からすこしずつ読みはじめていた水上勉『土を喰う日々』。厠でウンコするときに読んでいる。
武田泰淳『あぶない散歩』。赤ん坊と銭湯にいったときの思い出。おもしろすぎるので引用。
ひろびろとした温かい湯に浸かると、わが身の安全を感じたせいか、赤ん坊は必ずうんこをした。そのうんこは私が耳かきでほじくり出したくらい硬いので、すぐ湯の上にまとまって浮んだ。その間に赤ん坊は、この世に生れおちたからには、独立して苦難に耐えなければならぬと、身に沁みて知ったのであろう。うんこの浮き上った湯の中にいた、ほかの女の子が「うわあ、いやだあ、死にたくなったよお」と叫んだこともあったが、人間は絶えず他人にいやがられる危険を冒さねばならぬことも、知らず知らずのうちに悟ったことであろう。
どうしてうんこごときで、ここまで思索が広がるのだろう。赤ん坊のうんこに脱帽。
つづいて『いりみだれた散歩』。高井戸のアパートでガス中毒になりかけた「私」の考えは川端のガス自殺、そして三島の葬儀へと広がる。引用。
三島氏の葬儀の日、外部がすこし騒がしくなると、司会者をひきうけた川端氏は「もし、騒ぎが起るようだったら、葬儀は直ちに中止しますから」と、参会者に注意した。
「亡くなった三島由紀夫氏のことのほかに、残された遺族の方たちのことも考えねばなりません」
三島氏は、自殺する一ヵ月ほど前「おれ、この頃、川端さんのニヒリズムがいやになったよ」と、ニヒリスティックにつぶやいた。三島さんの死は、ニヒリズムの結果ではなく、川端さんの死は、ニヒリズムの証明であったか、どうか。それをたしかめようとする気持は、私にはない。
なんなんだ、この最後のひと言は……!?
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1月2日(木)
「買い物エンターテイメント/笑う親父」
八時起床。初夢を思いだそうとするも、まったく覚えていない。たいした内容ではなかったのだろうと自分に言いきかせる。
十時、家を出る。新宿の小田急へ。実家への手土産が目的なのだが、初売りと重なってしまった。福袋めあてに行列をつくっていた人たちに気圧されてしまう。ぼくらがエスカレーターをのぼりはじめたときには、すでに百貨店名義の限定福袋は完売していたらしく、客の関心は各フロア別に売り出されているものや、ショップが独自に企画したものにうつっているらしい。売るほうも女性、買うほうも女性が多い。店員たちの、売り口上とまではいかないが、やかましい「いらっしゃいませぇ」「おとくな福袋でございますぅ」「××××円相当のお品がぁ」が店中あちこちで発せられているが、客の貪欲さにはかなわないようで、たちまちかき消されてしまう。
ぼくはこの「福袋」なる商品を一度も買ったことがない。なにやら安くておトクなものがぎっしりつまっていて、その中身は開けてからのおたのしみ、この、ショッピングとしてのエンターテイメント二本立ての魅力が世のオバサンたちを虜にしているようだが、ぼくにいわせれば、商品の細部を確かめもせずに購入して、なにがおもしろいというのだろうか。買い物のたのしさは、商品を選ぶことにあると思うのだが。
三省堂書店へ。ここだけは静かだが、それでも人はいつもより多い。甥のために幼児向けの恐竜図鑑を、姪のためには絵本を。長新太「ぼくのくれよん」。プレゼント用に包装してもらう。
つづいて地下の食品売り場へ。こちらも福袋売り場に負けないほどの活況ぶりで、少々疲れる。お年賀用に、柿山でせんべい詰め合わせをふたつ。親父へのプレゼントに、純米大吟醸を一本。
十一時、新宿駅より、埼京線で大宮方面へ。赤羽で宇都宮線に乗り換え、ぼくの実家がある古河市へ向かう。埼京線はにぎやかだが、宇都宮線は閑散としていて、遠くへ行くという実感が妙に強くなる。伊勢丹の福袋を六つも抱えたオバサンを見かけた。毎年これに全力を尽くしているとみた。これはこれで、たのしいのだろう。
電車が北へ北へと進むにつれ、車内の気温がすこしずつ下がっていくのがわかる。窓からみえる景色は、ただひたすらに乾いた土と枯れた草ばかり。ゆうべ降ったらしい雪が、日陰がちな土のうえにうっすらと覆いかぶさっている。ときどきみえるくすんだ緑色は、おそらく白菜畑だろう。そして駅へ。駅が近づくと、土と枯れ草はグラデーションのようにすくなくなり、かわりに低い屋根の家屋と、ピカピカに磨かれた自家用車の連なりが徐々に増えていく。これを何度も繰り返すうちに、やがて栗橋の駅を過ぎ、利根川が見えた。風が強いらしく、広い川幅にべったりとへばりつくように流れる水の表面が波立っているのが、電車の窓越しでもよくわかった。灌木も、土手も枯れていた。利根川を越えれば、ぼくの実家のある古河に着く。
十三時、古河着。実家までは歩いて十分程度。カミサンを案内するようにのんびりと、小学校のときの通学路をなぞってみる。この散歩がいちばんのたのしみかもしれない。駅前も、通学路も、友だちの家があったはずの場所も、かなりの勢いで変りつつある。新陳代謝だな、と思った。
実家で親父とお袋に挨拶。親父とは学生のころかなり険悪になってしまったのだが、ぼくが東京で暮らしはじめるようになってからはかなり温和になった。妹夫婦に子供ができ、孫のかわいさに目覚めたからかもしれないが、ぼくはやはり、まるで性格のちがう息子としっかり距離をおいてつきあえるようになったことが功を奏しているのではないか、と考えている。今ではぼくも激昂することはないのだが、それでもやはり実家に帰るとなるとかなりためらう。親父も複雑な心境なようで、ぼくが姿をみせたことをよろこぶ反面、同族の血が流れているのになぜ、というような疑問やら、おれはコイツの育てかたを間違ったといった後悔やらが、つねにうずまいているようなのがじわりじわりと伝わってくる。しかし、妹のダンナと子供がいい緩衝材になってくれているようで、ここ数年はぼくも気が楽だ。親父もたのしいらしく、笑顔が絶えなかった。二十時、実家に置きっぱなしになっていた新谷かおる『エリア88』全巻をもって引き上げる。
二十二時帰宅。深夜、『タモリのボキャブラ天国』の復活版を観る。今年の初笑いかな。
武田泰淳『鬼姫の散歩』。百合子夫人との出会いと彼女の生きかたを散歩になぞらえて。『船の散歩』。ソビエト連邦(当時)への船旅。
新谷かおる『エリア88』をすこしだけ。八十年代を代表する、戦争漫画の傑作。休みをつかって、もう一度全巻読破しようかな。
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1月3日(金)
「モノクロームな正月/漫画は物語にならない?」
十一時起床。結露で曇った窓越しに外を見ると、雪が降っていた。白銀の世界か、と水滴を手でぬぐって目をこらしたが、あいにく雪は雨混じり、植え込みの葉の上や自動車の窓や屋根にうっすら積もっているだけだった。中途半端な雪は中途半端に外の色彩を奪う。世界がねずみ色に塗りつぶされたように見えた。正月っぽくない。
昼すぎより、カミサンが外出。義母とバーゲンに行くとのこと。ぼくは留守番だ。ホットカーペットのうえで猫をはべらせながら、新谷かおる『エリア88』をぶっとおしで読みつづける。中学、高校のころはすんなり読めた劇中の詩が、今はこっぱずかしくてたまらない。序盤は松本零児の『戦場マンガシリーズ』の現代版・傭兵版という感じだったが、中盤はなぜか陸上空母に地底を掘りすすむドリル付大型ミサイルと、SFも真っ青のぶっとびぶり。とかく難しい問題がからみやすい現代の戦争というテーマを、少年漫画というジャンルのなかでうまく消化できている点はスゴイ。そして読者は、そのまま後半の「プロジェクト4」編へとグングン引き込まれてしまう。中東での内戦が、世界経済や政治までを巻きこんだ壮大な戦いへとスケールアップしていく。難しくはあるのだが、キャラクターの魅力と構成力がそれをしっかりカバーしているせいか、途中で投げだしちゃおうという気にさせない。そして、絶望ばかりがつづくなかで、ほんのすこし希望をちらつかせながら物語は終わる。終戦後、戦いを終えたものの記憶を失ってしまった主人公・シンが日本へと帰る飛行機を、彼が最後の戦いで殺した宿敵・神崎の元情婦が生んだ子供(親は神崎)とともに見送るラストシーンの美しさは、陳腐かもしれないが美しい。人気が出ないと打ち切り、人気が出れば無理をしてでも延々と連載を伸ばしつづける――というのが常識の漫画界において、ここまでかっちりと物語を最後まで、納得できるかたちで描ききった作品は珍しい。九十年代以降で、印象的で納得できるラストシーンで締めくくることができた漫画は、いったいどれくらいあるのだろうか。疑問だ。資本主義・消費社会において、漫画は物語のための表現手法ではなくなっているのかもしれない。
十七時より外出。事務所経由で義父母の家へ。新年のご挨拶。すき焼きをご馳走になる。花子の末娘・桃子と遊んでから帰宅する。
読書は『エリア88』だけ。
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1月4日(土)
「ペンダントと職権乱用」
八時、花子に起こされる。ご飯を与え、もう一度蒲団に潜りこもうとしたが、なんだかみょうに胃が重たい。寝ぼけ眼で救急箱から大正漢方胃腸薬を取りだして服用。二度寝。
つぎに目が覚めたのは十一時ちかくのこと。昨日、義母にもらった肉まんを朝食がわりにする。ちょっと脂っこい。
十三時、カミサンと外出。秋葉原へ。この街には正月もクソもありゃしない。安売り電化製品の騒々しさが、季節感をすべて消し去ってしまう。珍妙でわかりにくい駅の構造といい、毒々しくて目が痛くなる店舗装飾といい、この街はどうしても好きになれない。なるべく近寄らないようにしているが、今日はやむなくやってきた。目的は、ダイニングテーブル用の照明だ。
わが家の食卓用のペンダントライトは数年前からセードがヒビだらけだ。大掃除のときにぼくが何度もゴチンと頭をぶつけてしまった。シェードはシルクスクリーンでこまかなドット印刷がほどこされた三角形のガラス板八枚がねじで固定されているのだが、クラックがねじ穴から外側に向かってピシリと刻まれてしまっていて、いつバラバラになってもおかしくない状態だったのだ。危険だったが、デザインが気に入っていたのでだましだましつかっていたら、あっという間に数年がすぎてしまい、大掃除のときにまた頭をぶつけ、あらためてじっくり観察してみるとやはりみすぼらしくて情けなくなるので、買い替えを決意した。
この照明、じつはもらい物である。サラリーマン時代に某家電メーカーの照明器具カタログを編集・制作していたのだが、設置例写真の撮影用にクライアントから借りた商品を、そのままいただいてしまったのだ。結婚前のことである。得意先の担当者がよく「撮影に使った商品は、もう販売はできないので保管するか処分するしかない」といっていたのを思いだし、「ほしい」といったらすんなりもらえた。よくばって、このペンダントライトのほかにリビング用の白熱灯四灯型シーリングライト、それから杉でできた和室用のペンダントライトと、合計三点も頂戴してしまった。しめて十五万円相当の職権乱用である。結婚資金で貯金がぶっとび、貧乏していたぼくには、まさに渡りに船であった。
照明といえば、やはりヤマギワだ。ヤマギワの二階・照明器具売り場であれこれ見てみたが、イタリア製の曇りガラスでつくられたカジュアルなデザインのペンダントライトにあっけなく決定。めずらしく、夫婦の意見がすぐに一致した。購入と配送の手続きをして、パッパと退散。好きでない街に、長居は無用だ。
山手線で有楽町へ。小腹がすいたので、そのまま銀座まで歩き、伊東屋の裏手にあるサンマルク・カフェでひと休みしようとするが、満席どころかレジ待ちの行列が店外まで伸びているので断念。もっと八重洲寄りにあるハンバーガーショップのウエンディーズに入ってみる。ハンバーガーも珈琲も味が落ちている。カミサンもおなじ意見らしい。
プランタンでぼくの財布とカード入れを新調。おなじデザインでそろえてみた。つづいて西武へ。LIMIで、カミサンがコートを購入。向かいにある阪急百貨店も軽くのぞいてから、帰宅。
夕食はおせちの残りとうどんで軽めに。花子のやつのおねだりが激しい。
新谷かおる『エリア88』読了。予定どおり、冬休み中に読みきってしまった。
武田泰淳『船の散歩』をすこしだけ。海にまつわる思い出など。
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1月5日(日)
「進行性の病」
四時ごろだろうか。麦次郎に起こされる。コイツ、このごろはひとり押し入れで孤独に寝るのがお気に入りらしいのだが、急にさみしくなったのだろうか、ぼくらのベッドに入りこんできた。腕まくらをしてやると、ゴロゴロと喉をならしていた。
六時、今度は花子にご飯をせがまれて起床。麦次郎は起きずに、カミサンのほうへと移動し、寝直しを決めこんでいる。
八時三十分起床。暗示的な夢をみた。やたらとその内容が気になってしまう。
九時三十分、事務所へ。仕事はじめとなるが、あいにく今日は日曜で取引先はまだ冬休みのはず。ひと足さきに営業開始だ。新年のこころがけとしてはいいことだと思うが、その一方で、ワーカーホリック症が進行しているのではと自分を勘ぐってしまう。勘ぐるまでもない、ぼくはすでに仕事中毒者なのだが。O社栃木支店のポスティングツールなど。十七時、店じまい。
正月気分というものは、春先の残り雪のようにすこしずつ消えていくものだとばかりおもっていたが、そうではないらしい。仕事という名のブラックホールにいきなり飲みこまれて消滅するというのが正しいようだ。
夜はテレビ、読書など。寝転がって『行列のできる法律相談所』を見ていたら、背中が痛くなってきた。躰がなまったような感覚、これは正月休みの後遺症か。だとすれば、正月気分はいきなり抜けるが、正月的な体調なるものは存在していて、こっちのほうはすこしずつ消えていく性質のものなのかもしれない、と馬鹿馬鹿しいことを考えた。もっとも、正月にだらけた躰がいつまでたってもだらけっぱなし、ということもあるのだろうが。
武田泰淳『船の散歩』。日本陸軍二等兵だったころの「船の散歩」が紹介されている。当時の主人公自身による、中国での船による行軍の記録だ。緻密で美しい描写がつづくが、その記録の転載が一度途切れたところで、突然こんな文章が挿入されている。ぼくには戦争体験も兵役もないからだろうか、銃の尻で頭をガツンとおもいきり殴られたような気分になった。引用。
日本陸軍二等兵としての「船の散歩」の記録は、なおも続く。自分1人で詩的になっているつもりの、傍観者ぶった、わがままな詩情。それは、征服されようとしている大陸の住民たち、農民や職人や兵士たちの苦しい感情とは、どれほど、へだたっていたことだろうか。感覚を鋭くして、書きつづっている自分が、どんな目で注目されているかも、まったく気づいてはいないのだ。
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1月6日(月)
「時差/軟弱な風/オキナワコロコロ」
花子に起こされ、目を開けたら窓にうっすらと明かりがさしはじめていた。時計をみると七時五分。いつも四時、五時にギャンギャンと大騒ぎするのが日課だったというのに、花子よこれはどういうわけだ。腹時計が狂ったのか、それともぼくが夜明け前のギャンギャンに気づかぬほど熟睡していたということか。眠りが深かったという自覚はない。いくつも夢をみたようだから、きっと眠りは浅かったのだろう。しかし、案の定どれもこれもさっぱり覚えていない。猫にご飯をあげるよりたいせつでおもしろい内容の夢だったのか。いや、そうとは思えないので、花子の腹時計のズレ、ということにしておこう。
八時、ちゃんと起床。ひさびさに『ズームインSUPER』をみながら体操、『特ダネ』を観ながら朝食という、いつもの生活パターンに戻る。
いやに冷えこむ朝だ。都会っ子の冬の風は、コンクリートの壁を伝わって、アスファルトのうえを走ってこっちへやってきて、たちまちどこかへ去って行くようだが、風はつぎからつぎへと途切れ目なくやってきては去る。軟弱な北風の大行列だ。躰はキンと冷えるが、雑木林を抜け、川の水にさらされながら吹きすさぶ、うちの実家あたりの田舎の北風よりは軟弱な気がする。もちろん、その軟弱な風に身を縮めるぼくも相当軟弱だ。
日中はO社栃木支店のポスティングツールに終始する。十五時、B社L氏来訪。今年はじめての打ち合わせだ。終了後も栃木支店。十七時、珈琲を飲みながら、カミサンが吉祥寺の伊勢丹で買ってきたサーターアンダギーを食べる。うまいうまいと調子に乗って、二個も食べてしまった。すこし時間がたつと、腹がふくれはじめてきた。ばらばらに食いちぎり、噛みくだき、飲みこんだはずのアンダギー二個が、腹の中でもう一度あのまるっちい形態にもどってコロコロと転がり胃の壁に体当たりしているような感覚だ。沖縄が腹の中でコロコロしている、と書くといい気分で長生きしそうな感じだが、そうではない。正月の暴飲暴食で、胃が弱っているらしい。十九時三十分、店じまい。
帰りがけに、猫の手書店で色川武大『怪しい来客簿』、阿佐田哲也『麻雀放浪記(一)青春編』、『ビッグコミックスピリッツ』。色川/阿佐田を購入したのは、先日色川の短編『墓』を読んでおもしろいとおもったから。ちなみに、ぼくは麻雀はやらない。
胃もたれしているというのに、夕食はカキフライを食べてしまう。いつ天罰がくだっても、もとい腹がくだっても文句はいうまい。
武田泰淳『安全な散歩?』。ソ連(現ロシア)の紀行文なのだが、百合子の日記をベースにして書かれているせいか、なかなか暴走しない。
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1月7日(火)
「三時間分のまぶた/新生モー娘。は、やっぱりなっちとミキティのツートップになるのでしょうか/自然と善人」
五時、花子に乗られる。目が覚めてしまうが、眠いので放っておいたのだが、結局しつこい「起きてよ攻撃」に負けてしまう。ご飯を与えてもう一度寝ようとするが、今度は頭が冴えてしまって眠れず。うとうとしだしたら、八時の目覚ましが鳴った。まぶたが重い。よく眠れなかった三時間分、まぶたが厚く腫れているような気分だ。
今日も寒いが、昨日ほどではない。とはいえ、空はうっすらとしているのに妙な重たさを感じさせる冬の雲がだらだらと広がっていて、ただでさえ弱々しい陽の光をさらに弱めたり、さえぎったりしている。風が吹いていないのが、せめてもの救いだ。
九時、事務所へ。O社栃木支店の別案を考えていたら、午前中が終わってしまう。それいゆにて昼食。二〇〇三年、初カレー。
午後もO社の案件、と思ったら藤本美貴のモー娘。加入の速報にビックリしてしまい、ネットでニュースチェックをしていたら三十分も時間が過ぎてしまった。世間はこの報道をどう受けとめているのだろうか。
十九時三十分、終業。
はやい帰宅がつづく。猫たちはうれしいのか、それとも異変のようなものでも感じているのか、いつもとはちょっと態度が違う。花子は麦次郎を追いかけ回し、頭をポカポカと殴っている。麦次郎は、めずらしくぼくの挑発にのってきて、猫じゃらしで飽きることなくあそびつづけた。
七草がゆを食べる。弱っていた胃が恢復するかもしれない、と淡い期待を抱く。
武田泰淳『安全な散歩?』読了。戦時中、疎開してきた都会人に対し、農村の人たちはかなり冷たい扱いをしたらしい、という記述にぶつかる。百合子夫人がそのような体験をしたらしい。だから、夫人はロシアの広大な自然をみても素直に感動できない。引用。
農民に命令されて、彼女は畠仕事の手伝いをした。麦畑を這いまわって一生けんめい働いても、「都会もんは何の役にも立たねえ」と罵られた。その代り、一食分はたすかった。そうすると、いくらかの、いもやそば粉を売ってくれてそれをかついで山の中の一軒家へ戻った。したがって彼女にとっては、樹木や農作物の匂いが、そのまま、みじめったらしい暗さとつながっている。「自然」が嫌いになったのは、それ以来である。私が、自然が好きだ、自然こそ人間の育ての親だ、と言いきかせても、彼女の自然嫌いはなおらなかった。
(中略)
自然が好きだ、とか、自然を愛する、とかいう風流心は、自然を眺めるだけのゆとりがなければ、ゼロかマイナスか、まるで関係のないことなのである。ようやくにして、彼女にも、風流心の一片をせしめるゆとりができた。それは、彼女が善人を脱出して、悪人に転化するゆとりを、獲得したということになるのであろうか。ともかく、彼女が窓外に移りゆく異国の景色を眺め「広くていいなあ」と感心することが可能になったことだけは、まちがいない。「へん、当たりまえのこっちゃないの」と、彼女は嘲笑っているが。
そしてラストシーン。主人公が目指していたアルマ・アタという街へは交通事情の問題から行けなくなった。そこで作者は、主人公がアルマ・アタに想いを馳せるようになったきっかけである、モスクワ人作家ドンブロフスキーの作品を引用する。異国での散歩が、突然路頭に迷いだすわけだ。最後の文章を引用。
悠久。人類のたどった、とてつもなく古い歴史。一瞬の感情など呑みこんでしまう、おそるべき過去。厳として存在する、永く永くつながる、忘れかかった記憶。それのみが「現実」のややこしさに目のくらんだ我々にとって、救いなのであろうか。わがままな異国の散歩者が、あこがれの土地に立ち寄れなかったことについて、とやかく不満をのべたてることなど、何の意義があろうか。
地球上には、安全を保障された散歩など、どこにもない。ただ、安全そうな場所へ、安全らしき場所からふらふらと足を運ぶにすぎない。
すばらしい作品だった。愛読書になりそうだ。
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1月8日(水)
「正月みたいな街/老いに関する短編小説三発」
五時、猫ご飯で起床。なにやら夢を見たような気がするが、さっぱり思い出せず、すっきりしない気持で猫缶を開けて器に盛り、花子を一度だけ撫でてから厠で長い小便をし、もやもやした気分を生理的な解放感で紛らわしてもう一度蒲団に入るが、夢のことはもうすっかり気にならなくなっていたというのに、なぜか頭が高速回転をはじめてしまい、あきれるほどの思考と妄想の断片にとらわれたまま、八時を迎えてしまった。少々眠いが、軽く体操をしたらすっきりした。おまけに、五時過ぎから三時間もかけてなにを考えていたのかも、まるごと忘れてしまった。
九時、事務所へ。十時、外出。代官山へ。ほとんど風の吹かない、心地よい冬晴れの空の淡い青が、代官山のこじゃれた建物によく似合っている。なんだか正月みたいだな、と変なことを考えた。たしかにまだ松の内なのだが、一月も八日になると、普通の家庭はもちろん、オフィス街や商店街など、あらゆる場所から門松やらお飾りやら「新春」という文字が書かれたポスターやらは取り払われており、正月っぽさを演出するものなんてほとんど見あたらなくなる。ましてやファッションブランドの直営店やカフェばかりが並ぶ代官山に、そんなものが飾られるわけもない。というのに、なぜか正月、しかも元旦の昼間に初詣をかねて散歩に出かけたときのような、呑気でポカポカした気分に街全体がすっぽりと覆われているようだ。冬の青空がそうしているのか、と思ったが、よくよく考えるに、代官山という街はビジネスの最前線でも、生活臭い住宅地でもない「遊び」のための街であるといってもいいくらい、エンターテイメント性の強い場所だから、正月のうきうきした気分というのはきっと一年をつうじて、この街の根底にありつづけているにちがいない。
J社にて、O社S支店新聞折込みチラシの打ち合わせ。帰社後はこの物件の原稿に専念する。二十時三十分、終業。
夜、『マシューズベストヒットTV』を観る。アイドルがゲストで登場するコーナーの――アイドルとはとても呼べないような人もかなり混じっていたが――総集編。モー娘。の新垣・紺野コンビの回、ソニンちゃんの回はおもしろかったが、なっちやあややがでたときほどではない。
上田三四二『影向《ようごう》』を読む。駅で見かけた女に、死別した愛人の面影をみる老人の物語。女との対比に自分の老いを感じ、女の向こう側にいる愛人をつうじて、「死」を実感する。そんな話だ。
つづいて三浦哲郎『ヒカダの記憶』。炭火の炬燵を使っていると、女性の脛の部分に慢性の火傷ができてしまう。なぜ女性だけかというと、着物やスカートの場合はナマ足を直接炭火にあてることになるからだそうで、三浦の故郷ではこの火傷を「ヒカダ」と呼ぶのだそうだ。この「ヒカダ」に、三浦は母の記憶を重ねる。
村田喜代子『耳の塔』。耳が遠くなった父親に補聴器の利用をすすめる娘。ただそれだけの話なのだが、ふしぎな魅力がある作品。「老い」とは、受け入れることなのではないか。行間がそんな問いをもちかけてくる。
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1月9日(木)
「代官山と自由ケ丘の決定的な違い/『モーオタ』だって? あの、モー娘。のCDとか、なにひとつもってないんですが…/物欲連鎖」
七時三十分起床。いつもより早起きだ。『めざましテレビ』の名物コーナー『今日のわんこ』を観ようと思ったが、観れず。うっかり見逃してしまったのか、それとももうこのコーナーはやっていないのか、よくわからない。
八時三十分、事務所へ。あわてて仕度をして外出。十時、自由ケ丘着。C社にてO社埼玉支店チラシのデザインの打ち合わせ。お年賀にメモ帖二冊をいただく。この街は意外に生活臭いから、昨日の代官山のような呑気さは薄い。
十一時三十分、帰社。あわてて事務処理などを済ませ、昼食。その後、吉祥寺へ。カイロプラクティック通院。ついでに、パルコブックセンター、グランバザール期間中は五パーセントオフなので本を買いこむことに。古井由吉『木犀の日』、武田百合子『富士日記』(上)(中)、講談社文芸文庫編『戦後短編小説再発見6 変貌する都市』『同7 故郷と異境の幻影』、金子光晴・写真横山良一『アジア旅人』、『群像二月号』。
帰社後はこまごまとした電話連絡などに終始。夕方、すこし落ち着いてきたので、かねてからの懸案だったスタジオ・キャットキックVI計画に着手。ロゴマークの変更、ホームページと会社案内のリニューアルを、二月までに終わらせる予定だ。
カミサンの友人であり、ぼくとも仲のよい551からメールが届く。年末年始は北京で過ごしたらしい。うらやましい。ぼくは風邪ッぴきだったからなあ。「モーオタ」呼ばわりされた。日記は読まれているらしい。絶句。
二十一時帰宅。ヤマギワから、先日購入したダイニング用のペンダントライトが到着していた。早速とりつける。今まで使っていたものよりセードが薄く、ランプの下半分がはみだすようなデザインになっているせいだろうか、今までよりも明るい。デザインはわが家のインテリアに予想以上にマッチした。今度はカーテンとフロアテーブルを換えたくなる。物欲は物欲を呼ぶ。「生きる」とは、物欲の連鎖のなかで悶えることだ、などとくだらないことを考えてみる。夕食はうな丼。
金井美恵子『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』を読みはじめる。一文が長い。『春琴抄』みたい。
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1月10日(金)
「『思考』ということばの使いかた/不燃ゴミの時空間漂流/夫婦水入らずが延々とつづくわけだ」
八時起床。昨日のカイロプラクティックでの治療もむなしく、まだ腰痛が治らないが、生活に支障を来すわけでもなく、精神的にもまいってしまうほど追いつめられてもいない。だが、一抹の不安はある。カイロは最後の手段になるだろうと思っていたから、これで治らなかったら先が見えなくなる。まあ、今から深く考えることではないし、朝っぱらからこんなことに気をもんでいるようでは、ろくな一日にならない、などと自己啓発セミナーですり込まれそうな思考――こういう文脈で使ってほしくない言葉だなあ――をいだきつつ身支度する。
今日は、二〇〇三年はじめての燃えないゴミの日、不燃ゴミ初めだ。集積所にはいつもの倍以上のゴミがうずたかく、あるいは平たく広く、秩序があるのかないのかよくわからないようなかたちで置かれ、積みあげられている。年末最後の不燃ゴミの日はカサや使い古したスーツケースがめだったが、今日はそういった大物はあまり見受けられない。どこの家庭も細かなゴミが多かったのだろうか、炭酸カルシウム製の東京都指定ゴミ袋は、どれもこれも容積ギリギリまでガラクタが突っ込まれているようだ。おそらく、最後の回収日以降の大掃除で、机の奥や押し入れの片隅、タンスの裏側といった、ふだん目につかないようなところでひっそりと息をひそめていたおくゆかしい細かな不燃ゴミたちが、一斉に発見され、不要と判断され、捨てられる、といったドラマが、あちこちの家庭で繰り広げられていたのだろう。二〇〇二年はまだ終わっていなかったのだな、この不燃ゴミの回収で、ようやく大掃除は終わる、でも正月だけは先に来たみたいだ。不燃ゴミの時空間漂流。
九時、事務所へ。手帖の整理をさっさと済ませ、夕べのうちに送られていたO社栃木支店のデザインをチェックしてから、外出。午前中はさほど予定がなかったので、吉祥寺パルコのワイズフォーメンのバーゲンに出かける。戦利品は紺の襟がついたカーディガンぽいニットと、赤タグワイズ――山本耀司が、自分が普段着る服としてデザインしているもの――の、黒い定番シャツの二点だけ。三十分で事務所に戻る。
午後からはO社埼玉支店と栃木支店の同時進行。混乱する。二十二時、店じまい。
カミサンと、ふたりだけで新年会をひらく。会場は近所の焼き肉屋。タン塩、ハラミ、ホルモン、レバ刺し、辛口キムチ、そして締めにカルビクッパ。カミサンはビジネスでもプライベートでもパートナーなので、つねにいっしょだ。喰うものまで、ほとんどおなじである。服の好みも食い物の好みもまあ似通っているので、助かっている。おかげで喧嘩はすくない。
『タモリ倶楽部』を観てから就寝。
金井美恵子『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』。特異な文体で、きわめて日常的なことを語る、という手法。
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1月11日(土)
「チャーミーヲタではないけれど/ハイテンションな渡辺篤史/働かざるもの着るべからず/藤田を愉しむ/ポイントはココナツミルクとマスタードシード/どうする、腰ふる〜」
モー娘。のチャーミー石川に抱きつかれる夢をみる。彼女の横には、なっちもいた。
チャーミーと入れ替わり、というわけではないのだろうけれど、明けがた、麦がベッドへやって来る。いっしょに寝るか、と話しかけて蒲団をペロリとめくり上げてみたら、もぐりこんできたので腕まくらしてあげた。しかし、三十分ほどで出てしまう。いや、逃げ出してしまうといったほうが正確か。カミサンに腕まくらしてもらったほうがいいらしい。なついている、という問題のほかに、筋肉のやわらかさもあるのかもしれない。
八時三十分起床。腰の調子、相変わらず。体操をするとすこし楽になったが、これは精神的な面だけの効果、つまり気休めなのかもしれない。
朝食を食べながら『建もの探訪』を観る。司会の渡辺篤史、好みの家だったのだろうか、かつてこの男がこの番組でこんなにあからさまに感動したことはあったのだろうか、というくらい機嫌よく、顔面の筋肉もつねにゆるみっぱなし、ただ関心するのではなく心の底から取材中の家の造形や調度、工夫などを愉しんでいる様子で、その証拠に今日のオンエアでは、「ははあ」や「ほほお」ではなく、「うわあ」や「おおおっ」という感嘆詞が多かった。わかりやすい人だ。
十時すぎ、外出。有楽町西武へ。ヨウジヤマモトのバーゲンに夫婦で突撃する。いつも担当してもらっている店員の縣氏に挨拶。忙しくてなかなか顔を出せないことを詫びる。彼は以前、新宿丸井のヨウジにいたのだが、昨年から移動でここの担当になった。一見おっかないのだが、じつは几帳面で丁寧な優男だ。ぼくは紺のフラノ地のジャケットと茶のウールギャバのパンツ、臙脂色のラウンドカラーのカットソーを、カミサンは紺色のニットを購入。最近話題の新ブランド「Y-3」について訊いてみるが、どうやら日本での販売はアディダス側が握るらしく、ヨウジヤマモト側がどのようなかたちで商品を扱うかは、まだわからないらしい。
つづいて、レディスのワイズへ。カミサン、スカートと黒のジップアップのニットを購入。
バーゲンの季節は、服のエンゲル係数が急に上昇する。おれたちは服を買うために働いているようなものだなといったら、カミサンもおなじ考えのようで、はげしく同意していた。働かざるもの、着るべからず。
ソニー通りをプラプラと歩き、猫専門の画廊「ボザールミュー」へ。ここは、カミサンの知りあいの猫作家(というよりは、芸術家ということばのほうが似合うんだけど)の町田久美さんが毎年個展を開いている画廊。正月は恒例で、藤田嗣治の猫作品展をやるというので観にいった。以前秋田へ一人旅に出かけたときに平野美術館で観賞して以来、ぼくは藤田の魅力に取り憑かれている。展示されていた作品の多くは、猫をビャビャッとペンで描いたような、デッサン的なもの。エッチングのものが多かっただろうか。一点三十八万円より。ほしいなあ。昨年末に発売された藤田の画集も置かれていた。こちらは一冊一万八千円。ほしいなあ、と話していると、画廊の主人――腰が曲がっているが元気でカッコイイおばあちゃんだ――が、「買うならぜひウチで、おまけに藤田のポスターあげるよ、ウチだけだよ」といっていた。ポスターは印刷がいいから額装してもいいよ、などといっていた。
伊東屋、松屋、プランタンをプラプラしてから荻窪へ。カミサンはそのまま、法事のため不在中の義父母に代わって猫の桃子を世話するために武蔵境の梶原邸へ。ぼくは西友で鶏肉を買ってから帰宅。
カミサン、十八時に帰宅。ひさびさにぼくが夕食をつくる。メニューは南インド風チキンカレー。スパイスてんこ盛り。
二十時すぎ、夕食。カレーのできは大満足だ。
夜になってから、腰の調子がどんどん悪化。「どうする、腰ふる〜」と話題のCMの替え歌を唄ってみるが、もちろんそんなくだらないことをしても症状は変わらない。しかし、その一方で、本気で腰を振ってみようかとも考えた。以前試みた「山田式腰回し治療」である。湿布を貼ってから寝ることに。それから、枕を変えてみることにした。カイロの先生に勧められて、ソバガラ入りの枕からソバガラを四分の三くらい抜き取ってしまって、ペタンコにしたものをここ一ヵ月くらいつかっていたのだが、ひょっとするとコイツが逆効果だったのかも、と思えたからだ。『通販生活』で購入したものの、二週間しか使わなかった『メディカル枕』を、押し入れから引っ張り出してみた。さて、吉と出るか凶と出るか。
金井美恵子『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』。猫の喧嘩のシーンの描写がすばらしい。文体の勝利だな、これは。
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1月12日(日)
「よくなった/朝から刺激を/わかっちゃいるけどやめられない/エクリチュールとは?」
十時起床。枕取り替え作戦が効いたのだろうか、腰の痛みが急に和らいだ。夕べの、自分の腰じゃないぞと感じるほどに他人行儀な違和感と、他人的ではあるものの、やはり自分だけが感じている、まちがいなく自分の腰が抱えている痛み、それがちょっとおかしいに毛が生えた程度のものではなく、日常生活に支障が出そうだなというくらいにつらく、やばそうなものだという状況、これらが全部嘘みたいに思えてくる。
昨日の残りのインドカレーで朝食を済ませる。二日目のカレーは熟成していてうまいという通説、あれはいわゆる洋食のカレーだけにいえることかと思っていたが、今回の南インド風チキンカレーにも同様のことがいえるのかと感じられるほど、今朝のカレーは濃厚だったのだが、よく考えると、これはただ単に一晩が過ぎるうちにカレーの水分が飛んでしまったからであって、味が変化したのではないみたいで、しかしそんなことはさておき、やはり朝からカレーというのはちょっと胃に厳しそうな気がするかもしれないが、カレー好きのぼくとしては、躰全体に喝を入れ精神を集中させるような辛さが、一日のはじまりにはとてもふさわしいように思える。
テレビ東京『ハローモーニング』を観ながら、シャツにアイロンをかける。十枚近くあるだろうか、かなり溜め込んでしまったので、むやみやたらと時間がかかる。番組のほうは、あいかわらず痛々しい学芸会的な演出で、観ていてハラハラするのだが、それがどういうわけかヤミツキになってしまうという危険な魅力をともなっており、これはひょっとすると絶叫マシンや激辛カレーとおなじ類いの快感なのではないか、などと考えた。アイロンがけは案の定、番組が終わってもまだ半分もかけきっていないというありさまだ。背中と腰が痛んできたが、我慢して作業をつづけた。BGMに、レイン・トゥリー・クロウ『レイン・トゥリー・クロウ』、CAN『ライト・タイム』など。なんとかすべてアイロンし終わったのだが、今度はクローゼットにしまい込んでおいたほかのシャツの折り皺が気になってしまい、こちらも軽くあてなおすことに。十四時過ぎにようやく作業終了。二時間半もかかった。終わってからは、読書と昼寝。疲れたから。
夕方はスーパーに買い物、鳥籠掃除など。
夕食はホットプレートで餃子を。
『群像』二月号より、加藤典洋の評論『『海辺のカフカ』と「換喩的な世界」』を読む。テクストと作者の関係を切り離す記号論的な読解への批判。ソシュールの「パロールの言語学」を、フッサールの現象学的に捉えなおすことで、記号論が追及した言語の形式化によって陥っていた「私は嘘をついている」という言葉に含まれるようなパラドックスからの解放を試みた竹田青嗣の言語論を端に、加藤は文学的なテクストにおける言語表現のありかた、エクリチュールの本質を説明しようとしている――ということでいいのかな。さらに端的に言うと、デリダの「作者の死」の解釈かな。まだ半分も読んでないから、よくわかんないや。ちなみにぼくは『海辺のカフカ』を読んでいない。後半はこの作品の評論になるのだろうが、読んでなくても理解できるかな。
金井美恵子『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』。とっちらかっているけど、やめられない。読みにくいけど、やめられない――って、これじゃただ印象を書いているだけだな。
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1月13日(月)成人の日
「新鮮なズレ/麻婆豆腐と海辺のカフカ」
九時起床。晴れ。事務所には行くつもりなので、今日はいつもよりちょうど一時間だけ時間がずれているだけで、リズムはほぼおなじ、平日の朝となんらかわらないのだが、陽のあたり具合や、いつも観ているテレビ番組の進行具合が違っているところだけが妙に新鮮に感じられる。
外は暖かで手袋もマフラーも必要ない。空は冬にありがちな薄い青空でもぼんやりした曇り空でもなく、ふしぎなくらいすっきりと晴れわたっていて、うえを向いていると、今がどの季節なのかがたちまちわからなくなる。だからといって、視線を下に落としても、季節感のあいまいさはたいして解消されない。今が冬なのだということを確実にわからせてくれるのは、大きな家の庭に植えられた落葉樹くらいしか見当たらないからだ。よほど注意深く観察してみないかぎり、アスファルトや軒を連ねるマンションから季節を感じとることはできない。
十時、事務所へ。O社栃木支店など。十七時、店じまい。帰り、スーパーに立ち寄る。今日はカミサンが猫の世話をするために義父母の家に泊まることになっているから、自分で夕食を作らなければ。豚挽肉、豆腐、ネギ、クリームコーン缶、卵などを購入。
帰宅後、猫にご飯を与えてから夕食の準備に取り掛かる。メニューは麻婆豆腐と中華風コーンスープだ。
二十時すぎ、夕食。両方ともできは上々。麻婆豆腐、もう少し豆板醤を効かせてもよかったかな、という感じだった。
夕食後、加藤典洋『『海辺のカフカ』と「換喩的な世界」』。「作家の死(作者の死)」とは、「作者」の項がなくなることでなく、「作者」の項の「ないこと」が、あることを、意味する。エクリチュールにおいては、読み手が書き手=発語主体を像化する。これによって、実質的な作者は作品の外側に追いやられることになる。作者は、その「死」を言語表現、テクストのうちに「書きこむ」ことができる。ものすごく端的にいうと、作意をもつことができる、ということか。飛躍しすぎだろうか。
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1月14日(火)
「小銭みたいに/あんこうの偉大さ/黒猫の夜散歩/なぜモー娘。にミキティ? その理由がわかるような気がしたよ」
明け方、花子と麦次郎が蒲団に潜りこんでくる。麦次郎は結局蒲団のなかには入らず、ぼくの顔の横にたぷたぷした腹をピタリとくっつけるようにして寝ていた。
七時三十分起床。晴れ。カミサンがいないので、朝食は自分で用意する必要があるから三十分早めに起きたが、少々時間の読みが甘かったらしく、いつもよりご飯を食べはじめる時間が十五分ほど繰りあがってしまったが、猫や鳥の世話をしていたら、この十五分もすぐになくなってしまった。デヴィッド・シルヴィアンの詩「Life
runs out like pocket full of changes, Times runs out like pocket full
of changes(生活はポケットにいっぱいあった小銭みたいに消えていく 時間はポケットにいっぱいあった小銭みたいに消えていく)」を思いだした。
九時、事務所へ。O社栃木支店など。
十六時過ぎ、外出。今日は年末まで手掛けていたある物件のクライアント、代理店、デザイナーとの新年会。新宿西口にあるこじゃれた居酒屋が会場だ。年末に、おなじクライアントから忘年会に誘われたのだが、その日は夜に入稿があったので残念ながら欠席したところ、先方が気をつかって、その埋めあわせをしてくれたのだ。料理はあんこう鍋。アンキモはよく食べるが、身のほうも食べる鍋料理ははじめてだったせいだろうか、最初は「今日は営業活動だな」と割りきっての参加のつもりが、いつの間にか食べることに夢中になってしまった。みそ仕立ての出汁で食べるあんこうの肝のうまさは、よく食べるアンキモの酒蒸しのテリーヌみたいな食感とはなぜかちょっぴりちがっていて、これが鍋のちからなのか、と考え、心の底から鍋料理という手法とあんこうという素材に敬服してしまった。
クライアントのT氏、ぼくより年上かと思っていたが、じつは一九七二年生まれの三十一歳、二歳も年下だったのが判明し、少々おどろいたのだが、よくよく考えるにクライアントというものは、仕事の流れ、指示系統のヒエラルキーの頂上に立っているのだから、当然威厳やら責任感やらが躰全体からにじみ出てくるわけで、その雰囲気が年上っぽさを演出していたにちがいいなく、それよりもなによりも、仕事に年齢など関係なく、あるのは実力だけ、ぼくが指示される側にまわっていたというだけの話だ。年齢話は酒の席に花を添えるもの、こんなときのびっくりした相手の表情も、宴には欠かせない要素である。
イベント担当の方も同席される。こちらは初対面だった。二十二時三十分ごろ、お開き。二次会がなかったのは、今日が火曜日、週のはじめだったからだろう。カラオケは苦手なので、安堵する。
西荻窪の事務所には寄らず、荻窪駅で降りる。平日の夜に荻窪から家路をたどるのはサラリーマン時代以来、ひさしぶりのことだ。当時は生活の一部になっていたはずの道がふしぎな新鮮さを感じさせたのは、単に時間の経過や街並みの変化という問題ではなく、立場の違いや心境の違いによるものだろう。サラリーマンだったぼくは、つねに怒っていた。今はそれほどでもない。多少の余裕はある。
駅の南口を右側に歩いていくと、やがて環八にぶつかるのだが、駅からの道は環八より高い場所にあるらしく、環八は道路の下をくぐるように交差しているので、交通量は足の下は激しく混みあっている。しかし上側はそうでもなく、せいぜい路線バスくらいしか通らないのだが、ときたま環八から荻窪駅方面へ向かうクルマが、本線をそれて、この「上の道路」のほうに上がってくる。いつもはすいっと通っているのだろうか、まだ生後六ヶ月くらいのちんまりとした丸ッちい顔の黒猫が、たて続けにやってくるクルマにびっくりし、道路を横断できずに困っている。何度も走り出そうとするのだが、そのたびに、ちょうどスリップしたクルマみたいに身体を横に向けるようにして立ち止まっている。ぼくはその猫といっしょにクルマが途切れるのを待った。「行け。もうだいじょうぶだ」といいながら後ろから押すようなそぶりをしてみたら、猫はあっという間に道路を駆けぬけた。渡りきると、彼(彼女)は一度だけふり返り、こちらを見た。そしてまた、すぐにどこかに消えていった。月の光が明るく感じる夜だったが、黒猫だったせいだろうか、ヤツを目で追うことはできなかった。
帰宅後、カミサンが気を利かせてビデオに録画しておいてくれた「MUSIX」を観る。モー娘。次期メンバーオーディションの最終選考に残った三名の名前と顔が公開されたのだ。感想は「五期メンバーって、すごいんだな」。以上。
読書は『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』をすこしだけ。
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1月15日(水)
「問題の多い三連休/一息つけない仕事」
八時起床。晴れ。数年前までは、今日が成人の日だった。ハッピーマンデー法というヤツは、なんだか調子が狂う。月曜ばかり休みになってしまうので、大学の講義の時間割などに影響が出ているらしい。この法律、評判は悪い。
九時、事務所へ。今日は待機日になってしまったので、かねてからの懸案事項だったスタジオ・キャットキック会社案内のリニューアルに着手する。といっても、デザインの変更だけなのだが。ウチにはデザイナーはいないので、ぼくが自分でやった。本業はコトバのほうだから、やはりというか当然というか、デザインはどうも苦手だ。しかし、だからといってデザイン作業が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。問題なのは、文章を書いたり企画を考えたりするときほど作業の勝手がよくわかっていないので、手際が悪く、おまけに息抜きのタイミングをみつけるのが下手なところだ。
夕方、いくつかの物件がすこしずつ動きだす。情報整理、原稿整理などを済ませ、二十一時に店じまい。カミサンはまた桃子の世話をしに義父母宅に泊まりなので、桂花飯店でひとりで食事。五目かた焼きそば。ボリュームがすごいので、食べるというよりも、挑戦する、という感覚だ。店はガラガラで、つけっぱなしにしてあるテレビから流れるNHKのニュースの音声だけがみょうに耳についた。
『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』。物語の中盤で、主人公の母親が結婚してしまった。このあと、どうやって盛り上げていくのだろうか。
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1月16日(木)
「異音騒ぎ/街の音、街の服」
七時四十五分起床。今日もカミサンはお泊まりなので、ひとりで朝食の用意をする。麦次郎は押し入れのなかで眠ったままだ。出かける間際になって、やっと起きだしてきた。だっこしてやると、にゃあと鳴いた。拒否の意志を示したかったのだと思う。
九時、事務所へ。ここ数日、制作業務用のパソコンの調子がおかしい。二年くらい前に買ったPowerMac G4(Digital Audio)なのだが、特定のアプリケーションを起動させると、「カーカーカーカーカー。カーカーカーカーカー。」と大きな音が聞こえてくる。ハードディスクが回転しているときのカラカラとした乾いた音を十倍くらいに大きくしたような音で、どういうわけかリズムがあり、かならず五回「カーカーカーカーカー」と鳴ったところで一拍お休みがはいる。そしてまた、「カーカーカーカーカー」。あれ、とモニタをあらためて見なおしてみると、カチーンとフリーズしているのだ。ハードディスクがぶっ壊れた可能性があるので、秋葉原にあるMacintoshの専門店『イケショップ』に電話して、ハードディスクの交換はいくらかかるかを聞いてみたところ、ハードウェアにはとことん詳しそうな雰囲気が受話器越しにもしっかり伝わってくるくらいしっかりした、ただのオタクではなさそうな、信頼できそうな声の店員が「別の箇所が故障している可能性もあるから、修理に出したほうがいい」とアドバイスしてくれた。じゃあ、アンタんところで頼むよといったら、「ウチでは修理はやっていないので、別の店を紹介する」ともいってくれた。なんて親切なんだろう。ぼくは秋葉原という街がすこし好きになった。まあ、イケショップはもともと信頼していた店なのだが。
教えてもらった店に電話してみると、症状を訊かれたので、先に書いたようなことをもう少しシンプルに伝えると「ああ、それは明らかにハードディスクの異常ですね。書き込みできないセクタがあるので、ハードが一生懸命そこを読み込もうとして、その結果フリーズしているんですよ」と、サラリとその場で答えてくれたので、どうやらこういった症状は比較的多いらしいことがなんとなくわかった。修理料金を尋ねると、Apple純正のハードディスクで五万円、サードパーティ製でショップおすすめのものが、二万五千円とのこと。アップルめ、ふざけてやがるな相変わらず、と憤りを感じたので、後者の方でお願いすることにした。これなら安くてすむし、アップルのアホタレを儲けさせないことにもなる。マシンは十八日、土曜日の午前中に運送業者がピックアップしてくれることになった。完了予定は二十二日ごろ。さて、あとはマシン不在のあいだ、業務をどうこなすかが問題だ。予備機にしてあるG3(Blue&White)を使うか、自宅にあるPowerBook(FireWire)を使うか。まあ、前者が妥当かな。
日中はN不動産のチラシ。十二時三十分、外出。八丁堀にあるデザイン会社のD社にご挨拶に行く。よくいっしょに仕事をしているWEBデザイナー・O氏の紹介。先方がITやネットワークがわかるライターを探していた、とのこと。仕事はおもしろそうだが、八丁堀は遠かった。JRを使うと、京葉線のホームまで歩くはめになるのだ。遠い。八丁堀へは地下鉄を使うに限る、と痛感。
十五時、帰社。ひき続きN不動産。十七時よりカイロで腰の治療。
八丁堀は東京駅に近いせいか、オフィス街の趣が強い。とはいえ、昔から事務所向けのビルが多かったのだろう、最新設備の高層ビルが建ち並ぶ新宿や最近の丸ノ内などの再開発都市とはだいぶ雰囲気が違っている。「ビジネス」よりも「仕事」、「オフィス」よりも「事務所」ということばのほうが、よく似合う。不動産業界で問題視されている「二〇〇三年問題」の影響をもろに喰らっているのではないか、と心配になったが、まだこの街はしっかり生きているらしく、忙しそうに小走りするネクタイに背広姿の男の姿はあちこちで見かけた。クルマの往来も激しかった。バイク便の二輪車も多かった。それに比べると、吉祥寺はとても対照的な街だ。暮らしの街であり、娯楽の街である。女性が多い。八丁堀はクルマのエンジン音ばかりが耳についたが、吉祥寺でいちばんよく聞こえたのは、たのしそうな女の子たちのおしゃべりの声だ。ネクタイに背広姿よりも、グルグル巻きのマフラーにタイトなシルエットのショート丈のコート姿が多い。
二十時三十分、店じまい。帰宅後は『どっちの料理ショー』を観る。カツカレー対オムハヤシ。渡辺徹が出ていた。高校のときの先輩だ。たしか、十期くらい離れていたのではないかと思う。ウチの高校では一番の有名人。
金井美恵子『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』。この作品のテーマは「女の価値」ということらしい。
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1月17日(金)
「従順な躰/猫の評判/軽薄オソロシ」
八時起床。腰の痛みがかなり和らいできた。骨盤の位置が下に落ちているらしく、これが悪さをして腰痛を引き起こしているので、正しい位置になおす必要があるのだが、ぼくの躰はなかなかいうことを聞いてくれない、とカイロプラクティックの先生が辟易していたのを思いだした。時間をかけて説得(?)すれば、きちんということを聞く従順な躰。
九時、事務所へ。N不動産のコピー、まだ未確定な情報が多いのだが、できるところからどんどん進めることに。わずかに空いた時間を埋めるように、銀行、帳簿記帳などをちょこちょこと。
もとウチの社員で同級生のL君に電話。明日の新年会は欠席とのこと。仕事らしい。
『月刊猫の手帖』に掲載された、ウチの花子とうりゃくんの写真と記事を確認。花子はかなり変わった猫であるらしい。一般読者は、この記事を読んでどう思うのか。『なまけ猫王国』での評判は上々らしいが。
夜、Macintosh修理手配の準備。外付けのハードディスクを初期化し、本体のデータをまるっとバックアップする。60GBのHDのバックアップ作業には、かなりの時間だ。念には念を、ということで、単純にデータのコピーをするのではなく、バックアップ用のソフトウェアを使って書きだしたのだが、そのせいなのだろうか、何時間経っても終わらない。二十二時、見切りをつけて帰宅することに。
夜、『タモリ倶楽部』を観る。軽薄といわれた八〇年代の特集。自分の青春時代なのだが、あらためて見つめなおしてみると、自分だけは時代にどっぷりと浸かってはいなかった、という考えは、どうやら思いこみでしかなかったことが、ジワリジワリと見えてくるのが妙にこっぱずかしくなり、しかしそれでもテレビの画面に映し出される懐かしグッズやら音楽やらを観て、客観的な視点はあるらしく、ゲラゲラと笑っている自分が、あとからすこしおそろしくなってきた。
金井美恵子『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』。作者が読み手に女性を想定しているのだろうか、それとも団製にアテツケとして書いているのだろうか。読んでいて、いやらしい意味ではなく、違いとしての「性」を痛烈に感じてしまい、すこしつらくなる。
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1月18日(土)
「苦痛のカウント・ゼロ/Yohjiとリステリン/じつは巨乳が好きだった」
八時起床。午前中に壊れたパソコンを業者が引き取りにくるたため、土曜日だというのに平日と同じ時間に起きる。月曜から金曜までの五日間は、苦もなく、といったらうそになるが、いたって自然に、それがあたりまえのように、八時に起きて小一時間で支度をし、事務所に向かっているのだが、これが土曜日となると、精神的な面での影響が大きいのだろうが、に蒲団から抜け出すどころか、目を開けることすら億劫になる。しかし、パソコンを修理に出せないと来週は大いに困ることになるので、根性と気合でまぶたを、イメージ上では指で無理やりビロリとめくるようなつもりでこじ開け、カウント・ゼロで発射されるロケットになったつもりで、強制的に飛び起きた。気持ちがたかぶりすぎてカラダがついていけなかったのか、腰が痛い。
九時、事務所へ。G4からバックアップした外付けのハードディスクをはずし、モニタ用のケーブルや電源ケーブル、イーサネットケーブルなど、すべてを引き抜いて、いつでも運んでもらえるような状態にする。業者からは「土曜の午前中にうかがいます」とだけ聞いており、運送業者が代行するということなので、午前中ということ以外、きっと引き上げに関することはわからないのだろう、「正確には何時ごろですか」なんて尋ねても無駄だと思ったので、以降、ただひたすら待機することに。しかし、アホみたいにぼけっとしながら指をくわえて業者を待っているのも苦痛である。修理中の代替機として自宅からもってきたPowerBookを使って、スタジオ・キャットキックのホームページのデザイン作業を進める。結局業者が現れたのは十二時半ごろだった。午後である。うそつきだなあ、と思ったが、苦情は言わなかった。
リスドオル・ミツのパンで昼食を済ませてから、カミサンとプランタンへ。カミサン、地下の食品売り場でバレンタイン用のチョコレートの予約を申し込む。気が早いようだが、バレンタインデーまですでに一ヶ月を切っているのだから、予約をしておくのは賢明である。ぼくのオヤジや彼女の父親などに配るらしい。
つづいてビックカメラへ。人の多さに辟易し、身魂ともに疲れ果てた状態で、イーサネット用のケーブルアダプターを購入する。どうしても、この手の家電量販店は好きになれない。
交通会館の横を歩いていると、ぼくらの横をベンツが通りすぎ、先が混んでいたのか、すぐ目の前で止まった。ドライバーは女性だ。たぶんぼくらと同年代だろう。ふーん三十路のオナゴがベンツで銀座ねえ、ステイタスだなあ、などとくだらないことを考えていたら、その女性は運転席の横からおもむろになにか取りあげた。瓶、ペットボトルの類であるが、飲料用の筒型のものとは違っていて、よく酒屋で売っているハンディサイズのウイスキーの瓶のような、薄っぺらくした形をしている。なにかと思ったら、口臭予防のうがい薬、リステリンだった。彼女はリステリンのキャップを空けると、一口だけ中味を含んで、軽くクチュクチュとうがいをはじめた。やがて前にならんだクルマが進みはじめたので、彼女はベンツを動かし、去っていった。クチュクチュしたあとのリステリン、どうやって捨てたのだろう。飲んだのだろうか。
有楽町西武のYohji Yamamotoへ。先日購入したパンツの裾上げができているはずなので、引きとりに行く。ついでに、春夏コレクションもチェック。レディースは鯉やカエルをモチーフにした謎のシリーズ。八十年代を髣髴とさせるシルエットだが、あのころよりも数段洗練されている印象を受けた。メンズは、格子状に編まれたウールにチェック地のテープをあしらったシリーズ、それからゴワゴワの綿ジャケットにバラの刺繍がさりげない場所、たとえば襟の裏側や内ポケットのところなどにほどこされたラインナップ。後者のなかでも、剣襟でひとつボタンのものはとても気に入った。ほしいが、バーゲンで買いすぎているため、予算はない。自重せねば。
十六時、カミサンと別れる。カミサンは帰宅。ぼくは新年会のために大宮へ。
十七時、大宮着。友人のJ、Nと待ち合わせて、「とらぬ狸」とかいうふざけた名前の居酒屋で新年会。二人は高校時代の友人だ。Jは三人、Nは二人の父親である。年に一、二度しか会えないが、会うたびに彼らは着実によいパパの道を進んでいる。家族の話、仕事の話、そしてぼくら共通の友人で、今日は欠席しているLの話など。さすがに、最近は高校時代の思い出話は盛りあがらない。ネタ切れである。
カラオケで二次会。カラオケはサラリーマン時代に行ったきりだったから、四年ぶりである。当然ながら、勝手がわからず困る。ウーロン茶を飲んでごまかす。歌はJが何曲か歌った程度、ぼくとJは歌わなかった。
三次会はプロントでお茶。十五六年前、集まっては女の子の話ばかりしていた男三人が集ったせいだろうか、店のカウンターにいた女の子が、華奢だが目鼻立ちがくっきりしていてけっこう好みだな、などとぼんやり考えていたら、Jは、ぼくはあまり気にしていなかったもう一人の女の子に目をつけたらしく、「巨乳で、いいよな」などと言って、一人で盛りあがっていた。そういえば、Jの奥さんもとんでもない巨乳で、はじめて会ったとき、ぼくは目が点になり、おまけにくぎ付けになってしまった。コイツ、高校のころはこんなに巨乳好きだったっけかな、いやそのころは「巨乳」なんてことばはなかったなあ、などと考え、妙なところで時の流れ、時代の移り変わりを実感してしまい、一人で赤面してしまった。ちょっと情けない。
〇時、帰宅。よくわからない深夜番組を観てから、寝る。
金井美恵子『彼女(たち)について〜』。呑んだくれる女たちの描写がつづくと思えば吉本隆明やらゴダールやら、なにやら高尚な話も随所に差しこまれていて、ああこの小説は作意のカタマリだなあ、などと考えてしまった。――小説とは、作意をもって文章を書くことにほかならないのだけれど。
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1月19日(日)
「オレンジの光とボリボリと/モーヲタと呼ばれたくないモーヲタ/服はYamamoto、靴もヤマモト?/三人ともミソっかすにならないように」
四時三十分、花子にご飯をせがまれる。窓の外は、うっすらとオレンジがかかった色に染まっていて、直感的にこれは朝日かと考え、ふつうなら、ああきれいだ、などと暢気なことを感じるのかもしれないが、精神状態が悪いのか、それとも目ヤニが膜になって目玉を覆っていたのか、よくわからないがその光は妙に薄汚く、不快に見えた。しかし、よくよく考えるに、この季節、四時半に陽の光が差しはじめるなどということは、ほぼ絶対にありえないわけで、だとするとあれはやはり通りすがりの自動車のハザードの明かりか、それとも向かいの家の子供の部屋から漏れた蛍光灯の豆球の明かりか。こんな他愛もない疑問のために、寝ぼけてまだ半分くらいしか起動していない頭を無理やり回転させたのが悪かったのか、なんだかかゆくなってきた。ボリボリと掻いてからもう一度蒲団に入る。 以後、一時間おきに花子に起こされる。何度か前歯で噛まれた。
十時起床。掃除など。十一時三十分より「ハローモーニング」。NG集なので、あまりおもしろくなかった。学芸会レベルの番組だ。内容そのものがNGで成り立っているようなものなのに、なんでってさらにNG観なきゃいけないんだ。でも、全部観てしまう。これじゃ、モーヲタと呼ばれても文句言えないな。
午後より外出。吉祥寺パルコのワイズ(レディス)で、カミサンが先日購入したスカートの裾上げを注文。つづいて三越へ。よくよく考えたら、ぼくは靴を二年も買っていなかったことに気づいたため、新調しようと思いたったのだが、以前右足内側のくるぶしの下に骨性腫瘍ができ歩行困難になったことがあるぼくとしては、やはり足に負担があまりかからない、快適な構造の靴を買っておきたいところだが、自分のファッションではいわゆるハイテクスニーカーの類をあわせるのは絶望的で、かといって、ふつうの革靴をYohjiやワイズにあわせるわけにもいかず、それ以前にいわゆるふつうのトラッド調の革靴は、いやトラッド以外のデザインものの革靴もそうだ、たいていは足に対して不親切な構造をしていて、ちょっと歩くとやたら疲れたり、あちこちにマメができたりと、うっかり買ってしまってもロクな目にあわないだろうということはわかっている。すなわち、靴を選ぶというのはたいへん難しい作業なのだ。以前はスポーツシューズメーカーのアシックスがおしゃれなウォーキングシューズというコンセプトで作っている「ギーロ」というブランドの商品がデザイン、構造、機能とすべての面で気に入り、三足も買ったのだが、最近はワイズにあわせてもおかしくないようなデザインの商品がなくなってしまった。困っていたところ、見つけたのが吉祥寺三越で売っている――テナントで入っているんだろうな――『フットライフヤマモト』という靴屋だ。ここは、顧客ひとりひとりの足型を細かに計測し、それにもとづいて最適な商品を薦めてくれる、丁寧な売り方が好印象のお店である。靴はセミオーダーに近く、インソールにあれこれ手を加えることで、各人に最適な足裏環境をつくってくれる。こういう店はたいていデザインが弱いものなのだが、なぜかここでは、デザイン的にも納得できるラインナップがそろっている。結局、ぼくの靴だけでなく、カミサンのブーツ用の中敷――カミサンの足の形状にあわせて、ちょっと加工をしてもらった――を購入。ちょっとお高いのが難点だが、まあ満足できそうだ。
伊勢丹の沖縄フェアを覗いてから帰宅。
夜、モーニング娘。の6期生オーディションを観る。案の定、三人とも合格。さて、今後はどうなることやら。つんくの考えていることは理解できん。藤本美貴が自分のポジションがわからず困惑していた。もっともだと思う。
加藤典洋『『海辺のカフカ』と「換喩的な世界」』。デリダからフッサールへ、フッサールからジャック・ラカンへ。
金井美恵子『彼女(たち)について〜』。弟の結婚妨害計画。なんだか、妙な方向に話が進みつつある。
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1月20日(月)
「芯がない/暑くても、着る」
四時三十分、花子ご飯。昨日とおなじように、以降一時間おきに花子に起こされてしまい、熟睡できない。脳もカラダも花子のおかげでぐずぐずにとろけてしまったような気がする。芯がない。
八時起床。先日購入したYohjiのジャケットとパンツを着ようかと思うが、生地が厚めなので、寒いなあと感じる日にしか着れない、さて今日はどうだろうと思い、向かいは民家の二階の子供部屋の窓、という風情も季節感もなにも感じられない我が家のベランダから外をうかがってみると、風はなく、昨夜、気がついたら降りはじめていた雨はもうやんだらしく、空はすっきりと晴れ渡っているようだが、肝心の気温は今日一日でどう変化するのかがわからない。ニュースを見る。天気は晴れ、そして最高気温は八度だという。うーむ、着ちゃおうか、暑けりゃコートを脱げばよい、それだけのことじゃないか。Yohjiの新しい服、着ることにする。
九時、事務所へ。空の青さは、いつもの貧弱な弱弱しい冬の青色ではなく、すこしだけ力強さのようなものを感じたが、それはきっと雲の形のせいだと感じだ。薄く散漫に広がりがちな冬の雲はどこへ行ったのだろうか。空に浮かぶ雲は、夏の入道雲ほどではないが、しっかりした輪郭と厚みをもっているように見えた。雲の輪郭と空とのコントラストは、やさしげでおっとりしているが、あたたかくて、爽快だった。風はないから、雲は動かず、やさしさも、おっとりさも、あたたかさも、爽快さも、ずっと西荻の空の上で待機してくれているようだ。まあ、待っていてもらったからといって、なにか得するわけでも便利なわけでもないのだが。気分がよい。ただそれだけだ。
午前中は見積や進行物件の状況整理。つづいてN不動産の原稿。最終チェックを済ませてから、メールで納品する。
午後より外出。E社ダイレクトメールの打ち合わせのためにJ社へ。天気予報め、ウソをついた。真冬だとは思えぬほど今日はあたたかで、電車のなかでは暑くて参りそうになる。Yohjiの服、裏目に出てしまった。
代官山の空も、西荻とおなじようにやさしげに見えた。それだけが救い。
貴社後は事務処理。あたたかさにカラダが参ってしまったのか、空の色のおかげで気がゆるんだのか、はたまた花子のおかげで睡眠不足ぎみなのが悪いのか、請求書の日付を間違えたり、送り先の住所を書き間違えたりと、くっだらん間違いを連発してしまう。事務処理が一段落してからは、E社の構成を考えつづけた。十九時三十分、思考能力もやばそうな感じがしてきたので店じまいにする。
夜はジョニー・ウォーカーの黒ラベルを少しだけ呑んだ。
金井美恵子『彼女(たちに)〜』。大学で講師をしていた、主人公のバイト先の同僚である山内さんについてのくだりがおもしろかったので、引用。なにかと下世話な方向に想像力を働かせ、つまらぬ詮索をしてしまう現代人の特徴がうまく描けていると思う。
山内さんが、大学の非常勤講師をやめたのは、職場の雰囲気が凄くいやで耐えられない! と思ったからなんだけど、週何回かの仕事をやめて、ずっと家にいると、家事の雑用はいろいろあるにしても、彼が帰ってくるのを待つだけで、帰って来た彼は、なんのことはない、自分が耐えられない! と思ったあの職場の雰囲気を作り出している人物たちと、とりたててどこが違うと指摘するのもいささか困難に感じる程で、なんだかいやんなっちゃって、今までやってたこととも彼とも全然関係のないパテ屋でアルバイトをすることになった、というイキサツは知っていたけれど、そういう場合、いってみれば、全然別の種類の仕事に転職したりすると、と山内さんは言った。周囲の人間というのは、ただなんとなくパテ屋でアルバイトをしているだけだ、とは考えないのよねえ、何か目標があって、その為にやっている、と考えちゃうのよね。
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1月21日(火)
「マンボウ親方、おねがいだから笑っておくれ」
八時起床。晴れ。テレビは貴乃花引退会見の話題一色に染まっている。どのチャンネルにしても、あの二重まぶたのマンボウみたいな顔のアップばかりが映しだされている。それが愛嬌があればいいのだが、横綱の威厳なのか、何年か前に一風変わった整体師に洗脳されたとかなんとかいう、ワイドショーと女性週刊誌が好きそうな話題があったが、そのときの暗示か思い込みか本当に洗脳なのかはわからないけれど、その洗脳の後遺症をいまだに引きずっているのか、はたまた一時的ではあったけれどこれまたなにかと話題になった兄貴との不和や両親の離婚が原因で、家庭崩壊に瀕し思い悩む多感な小学生みたいに考えこんだまま、心が硬直してしまっているのか、いやいやそれとも十年前の宮沢りえちゃんとのすったもんだのあと、心が傷ついたままになっているのか……とにかく心あたりが多すぎてよくわからんのだが、そのマンボウ関取の顔はよく言えば感情を押し殺したポーカーフェイス、悪く言えば――こちらのほうが率直な意見なのだが――馬鹿っぽい空っぽさのある無表情で、それが妙に癪にさわる。だからぼくはこの人物がどうしても好きになれない。まあ、この意見はかなり偏見に塗り固められてしまっているのだろうが。偏見はさておき、今朝の主役が貴乃花なのは間違いないが、これにぼくは、どうしても違和感、おかしさ、珍妙さのごときなにかを強く感じてしまう。
ポーカーフェイスなキャラクターは、小説の主人公にはなりにくい。描写がしにくいのだ。
九時、事務所へ。E社のダイレクトメールの構成づくりに徹するが、どうも波に乗り切れないので、もう一度要点の整理からやり直してみたら、あっけないほどにうまくいったのだが、それでもやはり時間が足らなくなる。夕方に予定していたデザイナーとの打ち合わせまでにラフをまとめることができなかった。
二十一時過ぎ、帰宅。
『彼女(たち)について〜』をすこしだけ。アパートからの立ち退きや失職の予感。物語――と呼んでいいいのかはよくわからんが――はいよいよ終局へ。
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1月22日(水)
「無くても生きていける、という癒し」
七時四十五分。自然に目が覚める。何も考えずに横を見たら麦次郎がいたが、ヤツも何も考えていなかったらしく、ぼくを見ても無反応だった。
八時起床。フジテレビの『トクダネ』、司会の小倉がインフルエンザで休んでいた。このウィルス、どうやら今年も猛威を振るっているらしく、例によって学級閉鎖になる小学校が続出したり、治療のための抗生物質が不足したりと、日本のあちこちが混乱しているようなのだが、その混乱が小さいのか、身近にインフルエンザに苦しめられた人物があまりいなからなのか、その手の情報に疎いからなのか、はたまたわが事務所が知らぬ間に世間から隔離されてしまっていたからなのか、理由はよくわからないが、そんな状態になっているという実感がまるでわかない。とにかく、うがいだけはマメにしておこうと思った。
九時、事務所へ。午前中はE社DMに四苦八苦。十一時二十分、早めに昼食をとり、十二時に外出。十三時より、大手商社のJ社にて、PR誌のプレゼンテーションに参加。デザイナーのU氏に同席を求められ、わけもわからず座っていたのだが、クライアントは当然ぼくがそんな状態であるなどとは露知らず、制作にかかわる質問を容赦なくぶつけてくる。黙っているわけにもいかないので、思いついたことや感じたことを、小難しいことばをまじえたり、わざと迂回するような話し方にして、最後に相手が求めていることを語るような組み立ての説明でハッタリをかましたり、おなじことを何度も何度もことばを変えて、まるで違うことを口にしているかのような印象を相手に与えたりと、あとでふりかえるに詐欺師みたいなプレゼンになってしまった。軽い自己嫌悪に陥ったが、U氏も代理店――じつは印刷会社――の担当者もぼくの応対には満足していたみたいなので、あまり深く考えたり悩んだりしないことにした。
J社のオフィスは九段下にある。暁星中学だとか、歴史ある名門校がこのあたりには多い。市谷、牛込、そして九段は近代文学の匂いが漂う街、というイメージがあるが、実際はそんなことなく、地味でぱっとしないオフィス街でしかない。古いビルが軒並み壊されているようだ。やはり二〇〇三年問題の影響はあるようで、入居を募集するビルをいくつも見かけた。オフィスの過疎化、ドーナツ化現象というのは、不景気のどん底にある日本を象徴しているようにも見えて気味が悪くなる。かつてこの街を闊歩していた文士たちは、九段がこんな状況に陥るなどと想像していただろうか。してないわな。
帰社後はE社DMに集中。二十一時五十分、終了。大慌てで帰宅する。風がなく、空気がなまぬるい夜。頭上に広がる、なぜかうっすらと黄土色に染まった星のない空を見ていると、とても今が冬だとは思えない。
金井美恵子『彼女(たち)について知っている二、三の事柄』読了。解説には、カタリー派キリスト教徒の受難だとか谷崎の『蓼喰う虫』の下痢だとかを引っ張り出しながら、この作品をなにやら小難しく読解しようと四苦八苦していたが、はて、そんな読み方をしてなにがおもしろいのだろうかと本気で思った。目標も、目的意識もなく生きる。「働かざる者は、食うべからず」がイヤ。そんな生き方があってもいいじゃないか。いや、そんな生き方こそが人生の理想なのかもしれない。この小説は、物語ではない。ある人物の生活を、省略することなく、きれいにすぱっと切り取ってみて、それを散文にすることで、読む人に「こんな考えでもいいんじゃないか」と、間接的に語りかけることで、生活することに集中せざるをえなくなり、擦り切れ、生活することに疲れてしまったたくさんの女性たちを、一風変わった方法で(好きなことばではないが)癒そうとしたのではないか。逃避させるのではなく、直面させることで意識の変換を促し、それによって癒し、いや励ましといったほうがいいかもしれない、そんなことを作者はしてみたかったのではないだろうか。ぼくには、そう読めた。
中断していた中上の『千年の愉楽』を、また読みはじめた。
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1月23日(木)
「流れ雪/放置されるちんぽこ」
八時起床。午前中から打ち合わせがある日は、目が覚めた途端に仕事の段取りやら要点やらを考え出してしまう。かなり異常なことだと思うのだが、蒲団から抜け出すとそんなことはすべて忘れてしまい、いつものように顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、服を選び、栄養とカロリーを摂る。その間は、不思議と仕事のことは思い出さない。朝食の間、ぼくの関心はテレビのニュース――じつはワイドショーなのだが――と、暢気な猫たちのだらけた姿、そして忙しそうに粟粒をつつき、籠のなかをチョコチョコと跳ね回るインコたちにばかり向かう。それから、気温。天気というよりも、気温だ。今朝の予報では、最高気温は七度。しかし、午前中は雪、それがやがて雨に変わるということだったので、空模様にも関心がおこった。雪、か。でかけるときには、もう白いふわふわとした粒が、隣り合う家と家の間の隙間で、風に流されながら上がったり降りたり、回転したりしていた。
九時、事務所へ。雪は小粒、細雪だ。小柄なせいか、風にあおられるとすぐにそちらに流されてしまう。交差点や、道路沿いに作られたコンクリート塀が途切れたところは空気の流れがほかの部分とはちょっと異なるらしいことが、雪の舞いかたでよくわかる。視線をもっと先のほうにやってみると、雪の動きはたちまちぼやけた遠景に溶けこんでしまう。
九時三十分、打ち合わせのため外出。たった三十分しかたっていないのに、雪は細雪からぼた雪へ、立派に成長していた。大きな雪の粒は、舞うというより、降りてくるという表現のほうがよく似合う。事務所の裏手の病院や庭の植え込み、放置した自転車などに雪が降り積もると、それらはたちまち雪化粧で白く染まり、ふしぎと神々しく恭しく見えた。
十時三十分、新富町のJ社へ。雪は雨に変わっていて、もとはといえばおなじ空から降ってきた水だというのに、。雨は雪の天敵らしく、積もりかけた雪をすっかり洗い流していた。
A社のパンフレットのコンペの件、一時間半ほど打ち合わせ。帰りに駅のトイレで、小便しながら『週刊モーニング』を読んでいる男を見かける。ぼくが用を足しはじめたときにはすでに彼はそこにいた。三十秒くらいだろうか、ぼくが放出し終わったときも、まだ彼はそこに立ってマンガを読んでいたから、彼はぼくが横に立ったときからすでに小便はし終わっていて、おそらく、ちんぽこは出しっぱなしでマンガを読んでいたのだろう。しずくも切ってもらえず、寒いなか放置された彼のちんぽこが心配になったが、彼自身のことは全然心配にならなかった。
帰社後はそのパンフレットの企画、構成に専念する。
十六時ごろ、修理に出していたPowerMac G4が戻ってきた。以前より高速なハードディスクになっているはずだ。早速バックアップしたデータを移しなおし、使えるように体制を整える。
夜はO社埼玉支店の折込チラシと請求書同封チラシ。二十二時、店じまい。
夕食は中華料理店の喬家柵(じょかさあ)にて。ぼくは豚肉・中国高菜ラーメン。カミサンは麻婆丼。美味。
中上『千年の愉楽』。ブェノスアイレスで新天地をつくることを夢見る路地の若者、オリエントの康の物語。
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1月24日(金)
「千と千尋の対立物」
おかしい。花子がご飯をねだらない。昨日の夕食が遅い時間になってしまったからだろうか。いや、いままではそんなことはなかったと思う。朝七時までに一度はぼくのことを起こすのが日課になっていたのに。おかげでぼくのほうが調子狂う。
九時、事務所へ。駅までの一直線の道の真正面から吹いてくる風が、コートの裾のあたりをビラビラさせる。すこし前のめりになるような姿勢で歩くが、実際はそうしなければならないほどの強風だったわけではない。ただ、そういえば最近、風に逆らってみたことがないなあ、と思い、実行してみただけだ。
午前中はA社パンフレットの企画。ぼんやりとしていたコンセプトが、少しずつ形になっていくのは気持ちいいのだが、まだ誌面のイメージが浮かばない。苦戦する。
午後からは、N社埼玉支店チラシとE社ダイレクトメールが同時進行となり、混乱する。ひどい頭痛がしだしたので、今日はこれ以上長居しても意味はないと判断、十九時三十分に帰宅する。
夜、テレビで『千と千尋の神隠し』を観る。劇場では観なかった。はじめて観ることになる。
なんだか地味な、戦後の、それも昭和五十年代くらいの核家族をテーマにした純文学みたいな出だしだなあ、と思うのもつかの間、視聴者はたちまち宮崎ワールドへ引き込まれてしまう。この緩急のリズムが絶妙だ。この作品、物語はたいしたことないと思うし、それだけではまったく評価できない駄作といってもいいくらいの作品なのだが、そう感じさせないどころか、傑作になってしまっているのがすごい。物語やテーマよりも、表現力、描写力が優れすぎているから成功したのではないだろうか。おなじ内容を、最近雨後の筍みたいにあっちゃこっちゃで登場している、似たようなタッチのマンガ家に描かせても、誰もおもしろいとは感じないだろう。スタジオジブリが諸星大二郎の『西遊妖猿伝』を映画化したら、どんなふうになるだろうか、とふと考えた。宮崎監督の手によって動く無支奇を、斉天大聖孫悟空を、河西回廊を渡ろうとする玄奘三蔵を見てみたい。
対立するイメージがバンスカと出てくるのも気になった。神と人間、非現実と現実、大人と子供、愛と虚無(カオナシは虚無の象徴だね)、聖と俗、自然と人工物、本当の名前とあとから付けられた名前、などなど。湯婆婆と銭婆もそうかもしれない。千尋が銭婆からもらった髪留めも、現実の髪留めと非現実(なのに現実世界でも存在しつづける)髪留めという、対立する関係にある。ここで、これらが単なる対立項目とだけ認識するのは間違いだろう。おそらく、二者間にある断絶をつなぎ、空白を埋めるものを制作側は描きたかったに違いない。また、対比されるものが多ければ多いほど、ストーリーは展開がしやすくなるようだ。
中上『千年の愉楽』。何者かに撃たれるオリエントの康。
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1月25日(土)
「冬の土曜の青い空/ちんこもみもみと叶美香」
気分は休日、暦のうえでも休日なのだが、現実は休日としてこの一日を過ごすことを許してくれない。仕事だ。八時三十分、しかたなく起床する。晴れ。
十時、事務所へ。音をたてながら吹き抜けていく風が、実際はさほど寒くもない空気を冷えたように見せかけているのか、体はすこしずつ冷えていき、ついつい身を縮め、背をまるめて歩いてしまう。かっこわるい、と思い背筋を伸ばし空に目をやると、気のせいかいつもより空が高く、広く見えた。冬の土曜日の青空だ。正月の空に少しだけ似ている。
午前中はE社ダイレクトメール、O社埼玉支店折込チラシ等。午後よりA社パンフレット。企画骨子をまとめなければいけないのだが、どうしても細部がイメージできない。仕方ないので与件の整理から丁寧に理屈を展開してみると、だんだん直観力も冴えてきて、つくるべきものが何なのかが、昨日よりもずいぶんと細かく、現実的に見えてきた。
十六時三十分、カミサンと外出。吉祥寺のドコモショップへ。カミサンが三年以上使いつづけてきた――もちろん機種変更はしたのだが――PHSを解約し、ケータイに切り替える手続きをする。どうせケータイにするならカメラ付がよい。あれこれ比較した結果、デザインがいちばんいい、という理由で、最新モデルのF504iSを購入する。ぼくのは次世代携帯のFOMAだが、カメラはついておらず、それどころか通話エリアは狭い、バッテリーのもちは悪い、iモードサイトへの接続はどういうわけかエラーが多い、対応する着メロが少なくて全然遊べない……と、欠点を数えはじめると、枚挙にいとまがない。ただし、最新モデルではこれらの問題点はずいぶん解決されているとも聞く。機種変更したいと痛烈に思う。
夕方、けいぞう、おいちょすが遊びにくる。我が家でチゲ鍋パーティー。麦は例によって、おいちょすにちんこを揉まれまくっていた。花子はその美貌、愛らしさで二人をめろめろにしてしまった。
おいちょす、会うたびにきれいになっていく。叶美香に似てきたし、落ち着きも出てきた。いい女の道、まっしぐら。いい恋をしているからなんだろうな。
夜は『千年の愉楽』をすこしだけ。
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1月26日(日)
「能天気に免じて」
七時ごろ書斎からパカラパッパパーと能天気な、そうだ、テレビでドラえもんが腹のポケットから珍妙な道具を取り出すときに流れるあの音楽にそっくりの音が聞こえてきたが、五時過ぎに花子にご飯をあげたばかりでいつものとおり二度寝を決め込んでいたぼくにはその音がどんな意味をもっているのかすぐには思い出せない。十回ほど鳴ったあたりでこれが通話用としてはほとんど使っていない、もっぱらモバイル端末であるシグマリオンでのデータ通信用にばかり使っていたPHSの着信音であったことに気づいた。われながら馬鹿馬鹿しい着信音だと呆れつつも、その一方で不安な気持ちに襲われる。早朝からの電話というのはいやなもので、ついついなにか悪い知らせがきたのではないかなどと心配してしまうのだが、たいていは杞憂であることが多い。もっと困ったことに、それはほとんどが間違い電話で、ひどいときには一晩中、留守番電話にへんに甲高くて少々かすれたおばさんの声で「○○さん、はやく帰ってきてください」とか「連絡してください」とか「みんな心配しています」とか、そんなメッセージがこれでもか、というくらい何度も何度もしつこく入っていたので辟易したことがある。そのおばさんに着信履歴を使って電話し「あんた、間違ってるよ」と教えてやったが、それでもその後一度だけだがおなじ事態に陥ったことがあり、そのときはさすがに普段は温和なぼくも、そのクソババアを本気でボコボコに殴ろうかと思ったが、まあババアも悪気があってやっているわけではなく、むしろそのなんとかさんという、すぐにどこかに消えてしまうお友だちを心配するやさしい心から電話しているのであって、おそらくは少々学習能力に欠ける頭の悪い人ではなるが、性根が腐っているわけではないし、それ以前にババア殴ったろと思ってもどうやってそのババアをみつけるか、その手間を考えたらたちまち怒りもおさまってしまったのだが、ひょっとするとこの電話、そのおばさんからの間違い電話なのではないかと考えた。蒲団から這いだし、鞄のなかに放り込んでおいたPHSを取り出し、フリップを開き、着信ボタンを押す。もしもし、と寝起きのだらしなくて乱れた掠れ声で話してみたが、案の定というか、やはりというか、スピーカーからはなにも聞こえてこない。無言電話らしい。電話を切る。少々頭に来たが、怒ったところで意味はない。能天気な着信音に免じて三度寝を決め込むことにする。寝つきは早かった。
九時起床。十時、事務所へ。昨日やり残した仕事の続きをする。
昼食は『それいゆ』でカレーセット。まわりのテーブルは若いカップルばかりだ。めずらしい事態である。
十八時すぎ、終了。
カミサンとスーパーに寄ってから帰宅。空を見上げると、夜空がどんよりと曇っているのがわかった。雲はずいぶん低いところにあるらしく、空がいつもよりちぢこまって、せこい感じに見えた。
中上『千年の愉楽』より『天人五衰』読了。つづいて『ラプラタ綺譚』。
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1月27日(月)
「雨音比べ」
八時起床。風呂敷をかぶせて寝かせておいた鳥たちを起こすために、鳥籠があるリビングへ向かったが、家のなかが鬱陶しいほどに暗い。鳥を起こしてからカーテンを開けてみたら、雨が降っていた。今年の冬は雨が多い。暖冬なのだろうか。
麦次郎、朝から小ゲロを一発。
九時、事務所へ。傘を差してとぼとぼと雨のなかを一人で歩く。通勤時間からはすこしだけ時間がずれているので、人影はまばらで、町はひっそりとしている。聞こえるのは雨音ばかりだ。といっても、雨粒が傘にあたったときの、ボスボスボスボスという不自然な音ばかりが耳につく。意識を遠くにやると、たしかに雨音は聞こえるのだが、今度はそれが駅へと向かう電車の音や、通りすぎるクルマの音にかき消されてしまう。子供のころに聞いていた雨音と、今の雨音はおなじ音なのだろうか、とふと考えたが、昔の雨音は思い出せず、今の雨音は、じっくり聞き入ることができないでいる。比べるのは、無理なのだろうか。
A社パンフレット、E社DM、O社埼玉支店のチラシ二種。
ヤフーオークションで落札した、シグマリオンにインストールできるソフト数種が届く。乗り換え案内ソフトと、三省堂の辞書が使えるようになるソフトをインストールしてみた。いい感じ。動作も軽快だ。
夕方すこしだけ時間が空いたので、荻窪の印刷屋さんに行く。新しいロゴをあしらった名刺を発注。水曜の十六時以降に取りに来てくれ、といわれた。楽しみだ。
夜、E社DMの進行が大混乱。突然得意先の方針が変更となったため、コピーもデザインもすべてやりなおしとなる。0時すぎ、終了。
日記を書いていたら、麦次郎が二度もやってきたが、二度ともすぐに立ち去った。今は、遠くのほうで「なおー、にゃあおー、ああん、あああん」と鳴いている。さみしいらしい。「なんだよ」と声をかけてやるが、鳴きやまない。
今日は本を全然読まなかった。最悪だ。これから一ページだけでも読もうかな。
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1月28日(火)
「今日の事件簿」
●マフラーいらない事件
●お弁当しか食べてない事件
●ねむい事件
●義賊事件(『千年の愉楽』)
●卒業旅行の季節が近づいているのだ事件
●コンセプトに悩むこと三時間事件
●間の悪い忙しさ事件
●シグマリオン大活躍事件
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1月29日(水)
「今日の事件簿」
●水たまりに薄氷事件
●のぼりが一瞬、ピタリと止まる事件
●路地と人間《アイヌ》事件(中上『千年の愉楽』)
●お弁当しか食べてない事件・二日目
●三田国際ビルの前で突風といっしょに走ったよ事件
●しきり事件
●徹夜事件
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1月30日(木)
「励ましてほしいが、ハゲ増すのはゴメンだ(増す? いや、オレにはハゲはないんだけどね。麦次郎じゃないからさ)/ウンコを腹に抱いて徹夜」
八時起床。十二月後半、一月前半とおよそ一ヶ月にわたって暇な日が続き、おかげでリフレッシュできたものの、身体も脳みそもすっかりユルユルになってしまった。ここ数日の仕事、分量も内容も流れも、すべてが過酷に感じられ、働くことが苦痛になる。あきらかに無理とわかっているのに、ついつい仕事を断らずハイハイと軽々しく引き受けてしまうのは、自営業者のかなしくてみみっちい習性だ。「忙しい」が口癖の、せせこましくあちこちをうろつき、安っぽい笑顔を振りまきながら、腹のなかにどす黒くてねばねばしたやっかいな何かを溜め込むようなヤツにだけはなりたくない、とつねづね思っているのだが、どうやら自分はそのイヤやヤツにすこしずつ変身しつつあるようで、それがまた自己嫌悪のもとになり、ストレスになる。そういえば、最近ドライヤーを使うと、やたらに抜け毛が多いのが気になる。心因性のハゲか? ウチの家計には、ハゲはいない。だから、ハゲにはなりたくない。
A社パンフレットの大詰め、O社新潟支店ポスティングツール、O社埼玉支店新聞折り込みチラシ、O社請求書同封パンフレット、E社ダイレクトメールが同時に動く。混乱。レコードレーベルZ社の新人発掘サイトの企画を考えなければいけないのだが、集中できる時間が皆無。気がついたら、そのまま夜中になっていた。外に出ている余裕がないから、今日も昼食・夕食ともに弁当だ。ウンコが腸にみっちりとつまっている感じがして不快だ。弁当のせいだと思う。午前二時三十分、糞詰まりの状態で業務終了。
今日も本を読まず。読もうと思ったが、疲れて断念した。代わりに、諸星大二郎のマンガ『西遊妖猿伝』第二巻を風呂で読む。
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1月31日(金)
「いつもと違う」
八時三十分起床。しまった。『ズームインスーパー』福沢アナ卒業の日なのに、見逃してしまった。
九時三十分、事務所へ。いつもとわずか三十分しか違わないのに、事務所までの道がまったく違って見えた。空が高い。青が深い。人が多い。
お仕事は昨日と同様。
十六時、高円寺在住のデザイナーOさんと、Z社オーディションサイトの打ち合わせ。ロック少女だったらしく、この仕事にはなにか特別な思いをいだいているようだ。がんばってほしいと思う。
今日は昨日よりマシ。二十三時四十分、業務終了。
決して早い時間の帰宅ではないのだが、それでもやはり、日付が変わる前の家に着くことができたのはうれしいことで、祝杯、といっていいのかどうかはわからないが、とにかく酒を呑みたい気分になったが、ひとりでガバガバ呑んでもむなしいだけ、とはいえアルコールへの欲求は高まる。コンビニエンスストアでサントリーのモルツを一缶だけ買ってから帰る。
寝る前に中上『千年の愉楽』を、ほんのすこし。
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