■2002年11月
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11月30日(土)
「貧乏性のワーカーホリック/予防接種と地域猫」
ひさびさの休日だ。夕べは寝坊を決めこもうと決心して蒲団にはいったが、貧乏性なのか、八時三十分ごろに目が覚めてしまう。貧乏性、と書いたのは、いつも時間に追われていて、一秒一分がもったいないと思うことが多いからだ。「習性とは恐ろしいものだ」という常套句はあまり使いたくないが、土日もなく働いていると、体内時計もつづく休日労働のおかげでワーカーホリック的な習性に慣らされてしまったようで、「遅くまで、寝る」という休日モード用の設定が消えてなくなってしまったとみえる。二度寝だなこりゃ、と思ったが、これがなかなかうまくいかず、寝ようと思えば思うほど、ねむれない。そんなウダウダした状態でも何度かウトウトしたりしたのだが、結局九時三十分にはねむることに飽きてしまい、蒲団から抜け出してしまった。カラダが『渡辺篤史の建もの探訪』の時間に反応したらしい。
朝食後、麦次郎をだます。テレビのうえでちんまりとひなたぼっこ――わが家のリビングのテレビのうえは、午前中は猫にとっては絶好のひだまりポイントなのだ――しているところを急襲し、抱きかかえ、そのままキャリーバッグのなかに押しこめた。麦めが鳴きわめく。だまされたことがショックだったらしい。かまうもんか。どうやらこっちがなにをするつもりなのかも感づいているらしいがそんなことはおかまいなしだ。おまえのためなんだぞ。そのまま自転車の荷台にゴムでくくり付け、西荻動物病院へ。先生に、予防注射をプスリとやってもらう。麦のヤツ、どういうわけかまったく抵抗せず。
四十代の女性が、猫を引き取りに来た。猫の耳には、オレンジ色のピアスが付けられている。話を聞くと、コイツは西荻窪駅前にいついている飼い主のいない猫で、この女性をはじめとするボランティアの女性たちが、これ以上不幸な猫を増やさないために捕獲し、避妊手術を受けさせ、そしてこの猫が、ニンゲンの手によって処置され、人間社会のなかで生きている「地域猫」であることを示すためのピアスもつけた。ぼくがみていたかぎりでは、この日二匹の猫が避妊手術を受け、ピアスを付けられていた。杉並区は、地域猫対策がおくれている。こういう動きが現れたのは、いいことだとおもう。ウチの会社もボランティアで捨て犬・捨て猫禁止の看板をつくったり、地域猫の説明チラシのイラストを無償で作成したりと、動物愛護に関することは行っている。できるかぎりの範囲でだが、協力は惜しまないつもりだ。
帰宅後、昼食。カニ炒飯をつくる。ひさびさに鍋を振ってみた。ちょっと塩が多かったかな。
昼食後、スーパーに買いだし。帰宅後は読書と昼寝。呑気。
夜、『めちゃめちゃイケてる!』をみながら夕食。焼肉。自家製焼肉のタレとナムル。最後はホットプレートでナムル、キムチとご飯を合わせて炒め、タマゴでとじた「なんちゃって石焼ビビンバ」。美味。
古井由吉『忿翁』。戦時中の体験談。そうか、そういう世代だな。悲壮さ、悲惨さとしての戦争ではなく、心に焼きついた強烈な記憶の断片と、その後の人生とのかかわり合いについて。
ブコウスキー「ホット・ウォーター・ミュージック」。ただただおもしろい、とだけおもう。好きな世界観じゃないのだが。
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11月29日(金)
「今日の事件簿」
●カイロのあとは頭痛がつづくが今は我慢事件
●ペンダコ炎症事件
●ダイベンの嵐事件
●早帰り事件
●一時間半もうたた寝しちゃった事件
●『美味しんぼ』82巻購入事件
●一般書籍は読まなかった日
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11月28日(木)
「七時四十九分/イチョウとわたくし」
最近、かならず七時四十九分に目が覚める。七時五十分に設定してある目覚まし時計を寸止めできるわけで、これはこれでなかなか便利なような気がしなくもないが、目覚ましの針を確認する動作は四十九分に目が覚めようと五十分に目が覚めようと、大差はない。これが毎日つづくと、自分の体内時計の正確さがなんだか気色わるくなってくる。
九時、事務所へ。O社マニュアル、O社新潟支店のDMの原稿など。セーラーの『ふでDEまんねん』でラフを書き散らす。クリエイティブのアイデアを出すときは、やはり手書きにかぎるな。二十一時、『とんねるずのみなさんのおかげでした』にソニンちゃんがでるので帰宅。
帰宅途中に通りかかる坂道沿いの一戸建ての庭から唐突に生えている中途半端な高さのイチョウの木が、着実にハゲあがっている。緑がかったあざやかな黄金色の葉がかろうじて枝にしがみついているさまをみるのが、昔から好きだった。ぼくの通っていた小学校の校庭には、創立のときに植樹された樹齢七十年を超えるイチョウが六本、ずらりと並んでいる。そのころから好きだったのか、などと思いかえしてみるが、よくよく考えるにぼくが植物に興味をもったのはおそらく校庭のイチョウの木がはじめてなのだ。葉の形、美しい黄葉、落ちた葉のみずみずしさ――イチョウの葉はひからびて落ちるのではない。みずみずしいまま黄葉して、みずみずしいまま落葉するのだ――、そして、あの猛烈なニオイのギンナンの実。ギンナンは好物だったなあ。
かなしいことに、イチョウが好きになってからは植物に興味をもつ、なんてことは三十すぎになるまでパタリと途切れてしまった。まあ、今だって関心はもつものの、不勉強で種類を言いあてたり、なんてことは相変わらず苦手なのだが。イチョウの葉を拾って帰ろうと思ったが、なぜか手が動かなかった。
『ホット・ウォーター・ミュージック』。悪態って、文化なんだなあ。
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11月27日(水)
「寝つけない/半月をみた/ジョークと皮肉と厭世観」
六時、花子に起こされる。リビングもキッチンも暗くて寒々としている。明かりをつけ、猫用の食器を洗い、缶詰めを開け、ご飯を与えたが、だからといって家のなかが暖まったりするわけではない。凍えるような寒さというわけではなかったのだが、なぜかみょうに躰と頭がキンと冴えわたってしまったような気がして、なかなか寝つけなかった。
八時起床。九時、事務所へ。西の空に、薄ぼんやりとした半月が所在なさげにポカリと浮かんでいた。
O社マニュアルのカンプと企画書。大慌てでつくったので、ところどころに理屈のゆがみやひずみが生じている。こういう進行は苦手だ。
『ホット・ウォーター・ミュージック』。浮気をほじくりかえす五十女の狂気。狂気が狂気らしく見えない、いや、世の中すべてが狂気、正気なヤツなんてひとりもいやしない――ブコウスキーの小説は、どれもがそんな感じだ。アメリカ的なジョークと皮肉に包まれた厭世観。
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11月26日(火)
「雨上がり/秋の空VS冬の空」
八時起床。つめたい晩秋の雨はねむっているうちにすっかりやんだようだ。こころもとない青いろをした空がなさけなく広がっているのが、結露だらけのサッシ窓から見えた。インコたちは、ひさびさにご機嫌そうに鳴いてみせた。朝からキョッキョと鳴いているのはひさしぶりのことだ。
九時、事務所へ。十時、外出。赤羽橋のT社へ。いくつかの案件の引合を受ける。十三時、帰社。桂花飯店で四川白湯麺。午後からはO社マニュアルの制作企画に専念する。二十一時、帰宅。
帰り道がよりいっそうに冬の趣をみせてきた。狭いと馬鹿にされる東京の空にも、四季の表情はあるようだ。冬空だけがもつ空気の透明感、星の刺すような煌めきが、ちぢこまった姿勢で寒さから逃げるように小走りするぼくの目のなかに飛びこんでくる。立ちどまり、夜空を見あげてみた。秋の空を覆う薄っぺらい雲が、透明感のある冬空の闇とひしめき合っているようにみえた。
古井由吉『忿翁』より、『天躁』を読了。物音と寡黙。つづいて『峯の嵐か』を読みはじめる。
風呂にて『ホット・ウォーター・ミュージック』。くそったれなアメリカ。
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11月25日(月)
「夢みて疲れた/『マレー蘭印紀行』の美しさ」
精神の疲れは夢になって現れるのではないかと思う。夕べはいろいろと困った内容の夢を何本も何本もみたような気がする。いや、それはじつはすべてひとつの流れのなかで、あやふやながらもつながっているのかもしれないが、目が覚めてしまった今となっては確かめようもない。しかられる夢、ポカをする夢、釈然としない不条理な夢。目が覚めたときに、夢でよかったと思うような、しょうもない夢ばかりみたようだ。実際、目ざめたときには状況が理解できず、つまり夢と現実の区別もつかぬようなすっとぼけた脳みそで、一生懸命に今の自分の状況と精神状態と、そのまえに起きたと思われるなにか重大な――じつはどうでもいいような――できごととの因果関係を解明しようとする。それで疲れるのか。いや、やはりぼくは夢のなかで、夢のせいで疲れさせられた。
そんな状態から抜け出したのが七時五十分。身支度をしているあいだに、夢のことはすっかり忘れてしまったようだ。日記を書いているいままで、一度も思いださなかったくらいだ。
気にいらないデザインの傘をさし、濡れた枯れ葉をグジュグジュと踏みならしながら出勤。九時、事務所へ。O社マニュアルなど。午後から自由ケ丘のC社にて打ち合わせ。
二十一時三十分、店じまい。カミサンと「それいゆ」で夕食。くたびれた感じのサラリーマンが、ぼくらのとなりのテーブルについた。歳は四十はじめくらいだろうか。オッサンだ。オッサンは意味不明の――本人にとっては意味があったのか、はたまたたんなる癖なのか――舌打ちとせき払いを何度も何度も繰りかえしている。ああ、きっと会社でおもしろくないことでもあったのだろうな、上司にガミガミやられたのだろうか。その上司はきっと年下にちがいあるまい。などと勝手な妄想をしていると、オッサンはなぜかキャロットジュースを注文した。そいつを一気に飲みほすと、今度は居眠りだ。ポカンと、井の頭公園の池のなかから顔をだしては、ニンゲンが投げこんだ餌をむさぼり喰う鯉みたいに口を開けて、イスの背もたれに寄りかかって、からだをそっくり返らせてグースカと寝ている。ああ、きっと電車のなかでもいつもこの姿勢、この口の開けかたでうたた寝しているんだろうな。……妄想が爆発しそうだ。
二十二時、帰宅。
金子光晴『マレー蘭印紀行』読了。南国の風土や生活は、光晴の精神をときほぐし、そしてときには彼に痛烈な問題意識をうえつける。自然のなかでだれしもが感じる矮小さ、猥雑な異国の都会のなかでだれしもが感じる疎外感などを飲みこみ、飲みこまれつづけることでアイデンティティを保ちつづけた詩人の、文学史上もっとも美しく、かなしい紀行文だ。『爪哇』の章で気にいった箇所があったので、引用。人の住まない、自然がそのまま残されたジャワの島を訪れた光晴の独白。
小島のしげみの奥から、影の一滴が無限の闇をひろげて、夜がはじまる。
大小の珊瑚屑は、波といっしょにくずれる。しゃらしゃらと、たよりない音をたてて鳴る南方十字星《サザンクロス》が、こわれおちそうになって、燦めいている。海と、陸とで、生命がうちあったり、こわれたり、心を痛めたり、愛撫したり、合図をしたり、減ったり、ふえたり、又、始まったり、終わったりしている。
諸君。人人は、人間の生活のそとにあるこんな存在をなんと考えるか。
大汽船は、浅洲と、物産と交易のないこの島にきて、停泊しようとしない。小さな舟は、波が荒いので、よりつくことが滅多にできない。人間生活や、意識になんのかかわりもないこんな島が、ひとりで明けはなれていくことを、暮れていくことを。人類世界の現実から、はるかかなたにある島々を、人人は、意想《イデア》とよび、無何有郷《ユートピア》となづけているのではあるまいか。
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11月24日(日)
「膀胱萎縮/煮干し/ホット・ウォーター・ミュージック」
冷えこんでいるのだろうか。夜中に何度も目が覚めてしまった。厠が近い。もともと膀胱はさほど我慢強いほうではないのだが、それにしても異常だ。おまけに、一回一回の放尿時間が異様に長い。いつまでたっても、出し切れないのだ。水分を取りすぎているのだろうか、気をつけたほうがイイかな、と思うが、目が覚め、きちんと厠にも行けているということは少なくとも、寝小便の心配だけはないわけだからさほど気にとめるようなことでもないかな、と寝ぼけたアタマで考える。
九時起床。十時、事務所へ。昨日打ち合わせをしたO社サービス用ハンディマニュアルの件。ひたすら編集方針のアイデアを出しつづける。一段落したところで「キッチンちゃたに」で昼食。ポトフ風ロールキャベツのセットを食す。かくし味のローズマリーが効いていて美味。みそ汁がつくのはいただけないと思ったが、きちんと煮干しで出しを取っていたので許すことにする。
午後からは、台割、誌面構成、そしてカンプ用のコピーライティング。コピーというよりも、情報整理だな。二十時、帰宅。
ブコウスキー『ホット・ウォーター・ミュージック』を読みはじめる。『いなごのほうがデリケート』を読了。よくできた短編。武甲スキーの魅力のほとんどが詰まっている、といっても過言じゃないな。
光晴『マレー蘭印紀行』。人間の生のせつない美しさが、南洋の自然と溶けあう。そんな描写がつづく。
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11月23日(土)
「勤労感謝の日といえば/クリムゾンのチケット/南の海の夜の悲しい性格」
九時四十五分起床。勤労感謝の日はかならず働くはめになる、というジンクスがぼくにはある。社会人になってからこのかた、この日を休日としてすごしたことが一度もないのだ。大学生のときもかならずアルバイトをしていたのだから、勤労感謝の日に勤労したのはおそらく十四、五回連続、ということになる。潜在的、宿命的なワーカーホリックらしいな、オレは。むなしさを通り越して、自分の運命、生きざまに呆れてしまう。
朝食後、四月十七日のキング・クリムゾン来日公演のチケットを電話で予約。三十分もかかった。
十一時四十分、事務所へ。メールチェック、手帖の整理などを済ませてから代官山へ。今週も土曜に仕事で代官山。この街が好きだとかいう気持ちは微塵もないというのに。打ち合わせを済ませてから、新宿へ。「ベルグ」で遅い昼食。レバーパテ、ハム、ドイツのちょいと酸っぱい風味のライ麦パンなどのセットと珈琲。つづいて小田急へ。三省堂書店で書籍チェック。『類語大辞典』気になっていたのだが、日本語の辞書のくせに文字が横組みなのが気に入らないので、買わず。カミサンと合流。お歳暮売り場へ。お得意様宛のお歳暮を予約、手配。ペットコーナーを軽くみてから帰宅する。
帰宅後は、「めちゃめちゃイケてる」など。
金子光晴『マレー蘭印紀行』。爪哇へ向かう船上のエピソード。『どくろ杯』の内省的回顧と『マレー〜』前半の美しい描写が複雑にからみあってできたような名文。引用。
そうして、私は、私の航海を、沈落にむかって急いでいるのだとしか思えなかった。海は、爪哇と、スマトラ島とのあいだの、陸と陸との溝、つなぎようのない間隙であった。目をつむった海、くらい海は、私たちを、翻弄し、まるで、他人の血液が突如、私の血管に流れはじめ、他人の内臓がこっそりと、私のからだにとりつけられて活動しはじめたように、急にいっさいが勝手ちがいになって、方角の見当一つつかなかくなってしまったのであった。そのくらやみの蒙昧のなかを、たくさんの島嶼や、燈火もない陸地が流れていった。
だが、そのくらやみのなかには、魚の頭を彩った刳舟、蘆荻竹の毒矢、宝貝と、鸚鵡の羽根で飾った兜、髑髏のなかに石ころを入れてならすがらがら。……追いつめられたダイヤ族もいる。はやくも活力をぬかれ、奴隷となりはてた夥しい半開種族の部落もある。くらやみのなかにいりまじったそれらのかなしい音楽、わけのわからない華やかさは、すべてみな、壊滅にいそぐ美くしさなのだ。
狩られ、蹂躙され、抽出され、滅ぼされてゆく命たちの挽歌なのだ。耳をそばたてよ。きこえるものは船側に流れてゆく海水のひびきだけだというのか。
南の海の夜の悲しい性格は、賭博のように、
癩のように、恋のように、宿命をもって地獄へ傾いている。
ポール・オースター『リヴァイアサン』読了。……とくに感想はなし。外国文学から気持ちが離れはじめている、ということかな。
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11月22日(金)
「今日の事件簿」
●暇なので事務処理事件
●今日は「いい夫婦の日」事件
●12MのADSL、モデムの位置とケーブル変えたらスピードアップ!事件
●麻婆豆腐が食べたくて事件
●質屋のモンブラン事件
●暇なので午後から『TRICK劇場版』見に行っちゃった事件
●レバカツ事件
●眠い事件
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11月21日(木)
「長い小便/桜だった」
五時ごろに一度目が覚める。やたらと長い小便をしたような記憶があるが、よくわからない。夢かもしれない。
八時十五分起床。きゅーがまた「げろがでるよ」といっている。薬が効いていないのだろうか。心配だ。
通勤途中、路肩をうめつくす枯れ葉はすべて桜の木から落ちたものであることに気づく。よくみたら、葉の形や葉脈のとおりかたが、桜そのものだ。葉のじゅうたんから視線をはずし、うえをみてみると、黒々とした幹の桜の木が、すこしずつはげかかっているのをみつけた。毎日ここをあるいていて、ぼくは葉の重なりにしか気を配っていなかった、ということ。
九時、事務所へ。時間がないので、掃除もせず、すぐ仕事に取りかかる。O社埼玉支店。
十四時、カイロプラクティックへ。仕事がせっぱつまっていたのでキャンセルしようとしたが、次に予約がとれるのはきっと一週間くらい先のことになってしまう。それではこまるので、行くことにした。
十九時、O社埼玉支店の企画、収束。二十時三十分、帰宅。
夜。きゅーは元気だった。安心する。
『リヴァイアサン』。ベンの告白。そして失踪。物語はまもなく終わるらしい。でも、コレほんとに終わるのかよ。
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11月20日(水)
「慌ただしい/朧月」
八時起床。九時、事務所へ。今日はADSL12メガの工事日。到着するやいなや、あわててモデムのセッティングを行う。無事開通。十五分で済んだ。
朝からO社埼玉支店の企画とカンプ制作に注力。午後、O社新潟支店、責了。バタバタバタとしつづけ、午前二時、帰宅。腹が減ったので、コンビニでバターピーナツ一袋を買う。
朧月が浮かんでいた。柔らかな月の光に黄葉が照らされていた。葉と葉の重なりが心地よい陰影を描き出している。街灯の光が邪魔だ、と思った。
読書はすこしだけ。『マレー蘭印紀行』。
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11月19日(火)
「枯れ葉の色/不条理小説?」
八時起床。腰と尻がピリピリと痛む。背中なんか、肩甲骨のあたりが膨らんでいるような感覚がある。先週のカイロプラクティックの反動なのだろうか。体調だけはつねに万全にしておきたいのだが。
九時、事務所へ。うつむいて、アスファルトのうえに積もる枯れ葉をみながら歩く。枯れ葉の色が均一でないことに気がついた。妙に緑っぽいものが、かなりまじっている。きっと昨夜の強風のしわざだろう。今朝は風がほとんどない。だから、枯れ葉も落ちてこない。
一日中、O社埼玉支店の企画書に取りかかる。
『リヴァイアサン』。サックスの告白。漱石の『こころ』みたいだな、と思った。『こころ』は不条理小説ではないが――いや、そうとれなくもないな。
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11月18日(月)
「アホなホームドラマ/きゅー、病院へ」
八時起床。暖かな朝だったが、だからといって幸せボケしたアホなホームドラマみたいに笑顔満点、機嫌よく気分のいい時間をすごせたわけではない。いつもとおなじだ。
事務所着後、カミサンより電話。きゅーの具合がわるいので、病院につれていく、とのこと。大事にいたらなければいいのだが。
九時、事務所へ。午前中は代官山のJ社から自由ケ丘のC社へ。東横沿線を渡り歩く。
十四時、西荻着。遅い昼食を済ませてからO社埼玉支店の企画に集中。
夕方、カミサンより電話。病院の診断結果を知らされる。どうやら肝機能の低下が原因の体調不良らしい、とのこと。食生活の改善などを指導されたらしい。それ以外は、普通に生活していていいらしい。まあ、よかったといっておくべきか。
二十時、陶芸家の高松さんがお友だちを連れて遊びにくる。お友だちが年明けから静岡で開く器のお店に、ウチのポストカードを置きたいらしい。快諾する。高松さんの作品も当然ながら販売されるらしい。
高松さんたちが帰ってからも引きつづきO社埼玉。二十二時、わけわかんなくなってきたので帰宅。
帰り道にある大きな屋敷の庭にはえた巨木――残念ながら、種類はわからない――が、ちょいと気のはやい木枯らしにあおられて激しく揺れ、葉と葉が重なる音がしずかな空にしずかに響いた。十一月の風の音だ、と思った。十二月以降の風の音は、葉はすっかり落ち、枝だけになってしまうので、ピューピューと高い音がするのだ。
『マレー蘭印紀行』。採掘場で働く苦力の描写に圧倒される。しばらく、先のページに進むことができなかった。
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11月17日(日)
「勝手にしたまへ/枯れ葉の記憶/YOSHIKI」
六時起床。花子にせがまれたのでご飯をやる。麦次郎も起きた。いつも朝はカミサンの枕――『通販生活』のメディカル枕だ――のうえでグースカ寝ている麦だが、最近はどういうわけか、ぼくにあわせてむっくりと起きだす。が、寝ぼけているのだろうか、ご飯をあげても食べようとせずに、「はむはむ」とちいさな音をたてながら朝食をとる花子をただただぼーっとみつめている。いや、みているかどうかもようわからん。だから、ぼくは麦を抱きかかえてご飯の目の前におろしてやる。そこから先は、しらん。喰いたくないなら、勝手にしたまへ。
蒲団にもどるが、なんだか寝つけない。すると麦次郎め、朝食を終えたのか、ぼーっとするのに飽きたのかはわからないが、蒲団へ、いやカミサンの枕へ戻ってきた。首のつけねをグリグリといじってやると、ゴロゴロいいながらこっちへ寄ってきたので「いっしょに寝るか」と訊いてみたが、拒否された。
八時三十分起床。あぶねえ。今日も目覚ましをセットしわすれた。仕事が忙しくてつねに緊張状態にあるというのに、このヌケ具合はどういうことだ。
九時三十分、出勤。『週刊モーニング』先週号に掲載されていた『バーバーハーバー』という漫画に、枯れ葉のうえを歩くときの音が好き、という女の子の話が出てきた。事務所までの途中にある坂道は庭付き一戸建てが軒をつらねているせいか、路肩に落ち葉が集まっている。ぼくは漫画を思いだしながら、ガサリガサリとそのうえを歩いてみた。アスファルトに積もった落ち葉と、土のうえで重なる落ち葉、きっと音の響きかたや足の裏の感触はまるで異なるんだろうなあ、などと考え、そういえば自分は土のうえの落ち葉のことは、子供のころの実体験として知っていたのではないかという思いがよぎったが、感覚を思いだすのはちょいと難儀で、よくわからなくなり混乱し、そんな自分をごまかすかのように視線をうえにあげてみたら、いかにもといった感じの鉛色の冬空が広がっていた。結局、足の裏の感覚はなんとなく思い出せたが、音のほうはわからずじまいだった。
日中はO社埼玉支店の物件に終始する。企画のなかに、エイベックスのコンテンツ試聴をいれてくれ、といわれていたのでavexnetというサイトをチェックする。ありゃま。Globe、小室氏と最近きれいになったKeikoが結婚することは知っていたが、そのニュースのまえに、グループに元X
JAPANのYOSHIKIが加入しているではないか。これ、全然騒がれなかったんじゃないか? たいへんなことだと思うのだが、どうなのだろう。
風水師・李家幽竹もavexの所属だった。
二十一時、帰宅。イワシを食す。花子にすこしだけわけてあげた。麦次郎は関心がないらしい。
『リヴァイアサン』。自由の女神連続爆破事件、そしてサックスとピーターの再開。
古井由吉『忿翁』より、『或る朝』読了。よくわかんなかったな。文体は好きなんだけど。つづいて『天躁』。高速道路の「音」にまつわる話らしい。
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11月16日(土)
「よくわからない願い/ゆれるはっぱ/コックと視覚と聴覚と/アタマイタイ」
八時三十分起床。あと一時間はやく起きていたら、もっと冬らしい朝を感じることができたかな、などと思いながら身支度する。躰がすこし重たく感じる。疲れがたまっているのがわかるが、ゆっくり休む余裕がない。季節を感じる余裕すらないのかもしれない。それでも、なにか感じて、受け取って、それを日記なりなんなり、なんらかのかたちにしておくことで記憶し、感覚をのこしておきたい。ささやかなのか、ぜいたくなのか。よくわからない願いだ。
九時三十分、事務所へ。手帖の整理――予定の確認が主な作業だ――を済ませてから外出。十一時、代官山のJ社へ。急に舞いこんできたO社埼玉支店のコンペの打ち合わせ。代官山には、意外に樹木が多い。歩道にたくさん植樹されているわけではないのだが、J社があるヒルサイドテラスというビルの窓からは、大きさがよく把握できないくらいに――周囲のビルが対比物になるはずだが、ビルの大きさがわからないので対比しようがないのだ――りっぱに育った木々に茂った葉や枝が、風に打たれて大きくしなるのがよくみえる。葉が重なり、揺れる音がきこえてくるような錯覚を覚えた。だが、やはりこの街は好きになれない。
帰りは荻窪駅で途中下車。猛烈な頭痛を感じる。やはり仕事のしすぎ、限界ちかいのかなあ。ルミネにある洋食亭ブラームスでスペシャルドライカレーを注文。めずらしくカウンター席に座らされた。厨房がまるみえの位置にあるのだが、これがなにかのショーでもみているような感覚で、意外にたのしい。右端にいた料理長とおぼしき男性は、右手でフライを上げながら、左手でオムライスをこしらえていた。左手の動きはぞんざいで、フライパンのうえの溶き卵はずいぶんいい加減なあつかいを受けているようにみえたのだが、それはぼくの誤解で、とてもぼくにはまねできないような迅速さで、液体だった卵はトロリとしはじめ、かたちをもち、そしてチキンライスを――溶き卵をフライパンに流し込むまえに、あらかじめつくられていた。しかも、フライを揚げながら、だ――加え、あっというまに美しいオムライスに仕上げてしまったのだ。かとおもえば、となりにいた若いコックは、四人前くらいはありそうなピラフを、大きなフライパンでいっきに煽り、たんねんに炒めている。みんな、視線は目のまえにある食材にいっているようだが、調味料はほとんど確認せずに放りこんでいる。躰が覚えているので、確認するまでもないのだろう。あざやかな一連のうごきに、しばし見とれてしまった。厨房が一瞬おちつく。と、途端にぼくはおいしそうな匂いを感じた。ニンゲン、視覚に集中すると他の感覚があることを忘れてしまうらしい。
十四時三十分、事務所に戻る。頭痛は最高潮。作業したかったが、断念して帰宅することに。十八時ごろまでベッドで休む。
夜は休日モードでのんびり過ごす。お好み焼き。『めちゃめちゃイケてる!』、ビデオに撮っておいた『サイコドクター』、『電波少年に毛が生えた』など。ウィリアム・ブレイクを特集する『美の巨人たち』は録画しておいてあとでみることにした。大江健三郎の八十年代の作品でよく引用された詩人兼画家。
『マレー蘭印紀行』。タラタラと読みすすめているが、ようやく後半へ。マレーの自然と、そのなかで暮らす人々を丹念に描写しつづけた前半は、文体の美しさがとりわけ際立っていたが、後半はその美しさのなかに、すこしずつ、マレーで生きる人間たちの、そしてそれを旅人としてみつめつづける光晴自身のかなしさが、ちらりほらりと現れる。
『リヴァイアサン』。物語は、いよいよ佳境へ。風呂で読んでいるのだが、おもしろすぎて長湯してしまった。一時間。
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11月15日(金)
「今日の事件簿」
●道の片側だけに落ち葉事件
●時間がどんどんなくなっていく事件
●もやしのヒゲでウンコ出た事件
●温灸はハズレでコゲくさい事件
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11月14日(木)
「あてにならん/ウンコでろ/土の記憶/全身ズレズレ」
八時三十分起床。あかん坐骨神経痛がどんどん悪化している、どうしたらいいのだ。鍼灸治療は一時よくなってもすぐにぶりかえす。整形外科はあてにならん。例の腰回し体操は、どうやら効いていないってことらしいな。困った。
花子のウンコが出てこない。これで四日目くらいかな。どうしよう。
九時三十分、事務所へ。通勤途中、歩道を走る自転車をよけようと、躰をスッと右に、道路の外側に向かって動かしたら、足が駐車場の敷地内に入った。ふにゃりとした感覚を足の裏に感じる。視線をやると、ちょうど足を着地させたあたりが、なんのためなのかはわかりかねるが掘りかえされており、新しい土がアスファルトと砂利を敷いた注射スペースとのあいだから顔をのぞかせていた。そこを踏んでしまったわけだ。久々に踏んだ土に、なんだかよくわからない不安を感じてしまった。それだけ、今の自分の生活が「土」とほど遠いものになっている、ということか。土は青みを帯びた灰色っぽい感じで、妙に乾燥していて粉っぽく見えた。土とはこんな色だったろうか、と記憶をたどってみたが、アタマが混乱しそうになったので、やめた。
N社マーケティング事例の原稿、二本目を進める。とっかかりを掴むまでに時間がかかったが、一時間もすると軌道に乗りだした。いい感じだ。
十九時、業務終了。昼間にアタリをつけておいたカイロプラクティックに行ってみることにする。場所は吉祥寺、駅からほど近いところにある。簡単な診断のあと、施術を小一時間。どうやら、骨盤がずれ、それが原因で尻と股関節、そして太股が痛んでいたらしい。骨盤のずれはカラダの重心を狂わせ、その結果腰や背中に無理な負担がかかっていたとのことだ。そして、さらにわるい状態にあったのが頚だ。骨がずれすぎていて、それがひどい頭痛を呼び起こしていたらしい。考えただけでゾッとする。肋骨もずれており、それが肩凝りや頚のコリを生じさせていた、ともいわれた。全身ズレズレだったわけだ。しばらくここに通ってみようと思う。
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11月13日(水)
「効いているのか/お勉強」
八時起床。家中の空気が冷えこんでいるのを感じる。そのせいだろうか、坐骨神経痛がここ数日悪化しはじめている。先日購入した骨盤ベルトと腰回し体操は効いているのだろうか。効いているから、この程度の痛みで済んでいるのか。はたまた、効いていないから痛みを感じるのか。よくわからん。
九時、事務所へ。N社の取材をもとにマーケティング事例の原稿をただひたすらに執筆。とりあえず、一本書き終えた。もう一本、これよりは軽い内容のものがあるのだが、今手をつけると先に仕上げたものと内容が似てしまう――意図せずとも――おそれがあるため、今日はやらないことに。空いた時間をつかって『高校生のための文章読本』でお勉強。野坂昭如『火垂るの墓』。特異な文体。ドストエフスキー『死の家』。人間とは順応しつづける動物である、といったことが書かれていたが、はて、そうだろうか。
二十二時、O社新潟支店パンフレットの得意先チェックが戻ってくる。ちょっとしたデザイン変更とイラストの新規書き起こしが必要に。コピーのほうは、ほとんど問題なし。赤字の整理をしていたら、午前一時になってしまった。あーあーあ。
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11月12日(火)
「ゲロ報告/汽水の季節/モーニング娘。と中上健次」
朝からにゃんにゃんにゃんにゃんとうるさいったらありゃしない。五時、花子が蒲団のなかに潜りこみ、ぼくの膝のしたで――なぜか膝を立てて寝ていたらしい――じっとしているのに気づく。ぼくが目を覚ましたのをどうやって知ったのだろうか、花子はすぐに蒲団から抜け出し、ご飯をせがみはじめた。はいはいはい。缶詰めをあけてやり、ふたたび蒲団に滑りこむ。問題はここからだ。それから一時間も立たないうちに、花子はぼくの眠りを妨害しはじめた。鳴く。しつこく鳴く。蒲団のうえに乗る。うろうろする。腹のうえに乗る。腹をもむ。鳴く。しつこく鳴く。ヤメレという。移動する。今度はぼくのアタマのあるあたりにやってきて、やはりにゃんにゃんにゃんにゃんと鳴きちらし、髪の毛を舐め、しばらくするとまた移動し、また鳴き、しつこく鳴き、移動する。蒲団から払いのけ、あっちへいってろ、オレの眠りをさまたげるなと注意する。しばらくのあいだ、いなくなる。が、また戻ってくる。鳴く。しつこく鳴く。以下同様。
これが八時までつづいた。起きてみたら、和室にでっかいゲロが四つも落ちていた。どうやら、ゲロが出た、掃除してくれといっていたらしい。ぼくには猫語をしっかりマスターする必要がありそうだ。
九時十五分、事務所へ。空気が湿っていて、おまけにぬるったい感じだというのに、耳につく風のざわめきは冬のものとしか思えない。秋と冬が、汽水みたいにまじりあって妙な季節をつくりだしているようだ。はじめての感覚だった。目線を落としてみると、赤や黄色の落葉が路側帯にひっそりと溜まっていた。枯れ葉も湿って、ぬるい感じがした。
日中はN社の取材案件の原稿執筆。なんとか構造を決めることができた。あとは本文を書くだけだ。
十五時、おなじことばかり考えつづけるのに飽きたので、散歩がてら薬局へ。愛用している温熱プラスターを買ったら、薬局の店員にビタミンB12の摂取を勧められる。痛みやしびれをともなう凝りは神経が傷ついていることが多いらしい。これを修復するのに、ビタミンB12の摂取が役に立つらしいのだ。さっそく一瓶買って、事務所に帰ってすぐ飲んだ。しばらくつづけてみようと思う。
二十時、店じまい。
二十二時より教育テレビで中上健次の特集が放映されるのだが、テレビ東京では『MUSIX』で次期モー娘。候補百名を一挙公開するという。どちらを観るべきか、悩む。 結局、中上はビデオにし、モー娘。をナマで観ることにしたが、百名の公開はわずか一分程度で終わってしまった。つまらん。おまけにろくな子がいないじゃないか。すぐさまチャンネルを教育テレビに変える。と、ありゃりゃ、こっちもあまりおもしろくない。まいったなあ。
『リヴァイアサン』。うーん、不条理さがだんだん強くなっていくが、こういう設定はあまり好きじゃないなあ…。
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11月11日(月)
「ドングリ」
八時起床。挫折。八時三十分、再度挑戦。みごと眠気から勝利をおさめる。
九時三十分、事務所へ。すこし肌寒さを感じるが、先週ほどではない。季節はいつも不安定に揺れ動きながら、そしてある刹那に、一度にやってくる。急激に寒くなる日が怖い。……腰痛の悪化が心配なだけだが。途中、大きな樫の木のある家のまえの道路に落ちていたどんぐりを四つだけ拾う。花子と麦次郎のためだ。
日中は金曜日の取材内容のまとめに終始する。ヒアリングシートの余白に書きこんだメモに秩序をあたえてやる。そうすれば、原稿の構成や文章のひとつひとつが、おぼろげながら見えてくる。
夕方、整体「インナーバランス」へ。以前、自立失調ぎみだったときに一年ほどかよったところだ。理由のない吐きもどしや頭痛はこれでなおした。坐骨神経痛はヘルニアが原因なので鍼治療のほうがあっているかと思ったが、どうやらよくなかったらしい。最近の症状について先生に話すと、じっくりと時間をかけて治療してくれた。どうやら、腰痛防止のために日課にしている筋トレが逆効果になっているようだ。しばらくやめて、様子をみるようにといわれた。
二十時、業務終了。ひさびさにはやく帰宅する。カミサンも拾ってきたドングリを花子と麦次郎に見せ、ポイポイと放り投げてみたが、なぜかあまり興味をしめさず。チビのころは大興奮だったのになあ。残念。
『リヴァイアサン』。殺した男と、夫を殺された妻の会話。なんだか不条理だが、典型的なアメリカ人の会話になっているところが不自然。こんなもんなのかな。
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11月10日(日)
「仕事と読書しかしなかったよ。って、平日はいつもそんな感じなんだけどさ」
九時三十分、花子にせがまれ起床。
十一時、事務所へ。今日も休日出勤だ。O社新潟支店パンフレットのチェック、N不動産アドトレイン、新聞折込みチラシなど。二十二時、帰宅。
金子光晴『マレー蘭印紀行』。九星気学の暦のことがチラリとでてくるが、うろ覚えだったのか、星の名前を間違えていた。二黒水性と書いていたが、正しくは土星(あるいは土性)である。
オースター『リヴァイアサン』。自責、そして償い。なんだか物語が辛気臭い方向に向かってきた。
『高校生のための文章読本』より、漱石『火鉢』。原稿用紙六枚ほどの短編小説なのだが、質素な生活のなかでの感情の起伏を、技巧的ならざる技巧で描ききった傑作。思わず全編書写してしまった。
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11月9日(土)
「『Dolls』を観る」
九時、起きようと思うが躰が動かず。ときおりベッドに飛び乗ってはぼくに起きるよう求める花子を何度かやり過ごしながら起きる努力を繰り返すが、そんな努力、どうやら躰のほうははなッからしてみる気にはなっていなかったらしく、また寝てしまう。と、今度は隣のJさん宅のリフォーム工事の音がうるさく鳴り響きはじめ、ねむりつづけることができない。でも、躰が動かない。なんてこった。しかたないので、気合いで起きることにする。ああ、腰がガクガク。
午後より新宿へ。伊勢丹の裏手にある映画館で『Dolls』を観る。ほんとうはもっとはやく来たかったのだが、土日が仕事になることがあまりに多すぎて、時間がとれなかったのだ。
予告編というのが苦手だ。映画はさほど興味がなく、とくに話題のハリウッド作品なんてまるで観る気も起きない。世のなかは『ハリー・ポッター』の話題でもちきりらしいが、そんなのどーでもいい。『ハリー・ポッターと徹子の部屋』とか『ハリー・ポッターと高砂部屋』とかいっておもしろがる程度だ。
そして『Dolls』。なんだこれ。ヨウジヤマモトの服のオンパレードじゃんか。ぼくみたいなヨウジファンは、映画のストーリーや映像よりも、服のほうに気持ちがむかってしまうんじゃないかな。話題になっていた菅野美穂ちゃんの衣装、すばらしすぎる。日本の四季に溶け込ませるのでなく、バランスをとりつつしっかり主張できる、存在感のある衣装。大成功だと思った。
ストーリーは、じつはごくごくありふれた話でしかないと思う。核となっている若い男女の乞食の放浪の話、やくざの男を待ち続ける女の話、片目を失ったアイドルのために両目を潰した男の話(『春琴抄』だなコレ)、どれも新鮮なものではなく、さまざまな形で語りつくされているテーマだと思う。それでもこの映画が凄いのは、やはり語り方=映像の作り込み、その技巧のレベルが尋常じゃないからだ。あえて物語を積極的に語ろう(あるいは登場人物に語らせよう)とせず、かなりの部分が観る側の想像力に委ねられる。その想像力を助けるのが、日本の四季の「色」を捉えた映像なのだろう。乞食のふたりをつなぐ赤い紐についても、さまざまな解釈ができそうだ。ぼくは、あの紐は自己を完全に失った女を、自己を意識的に消そうと――そうだ、自然のなかに消し込んでしまおうとしているようにさえ見えた――する男が操るための紐にも見えたし、壊れかけた二人が、それでもつながりつづける最後のなにか、それを暗示する存在にも見えた。そして、あの「紐」は、乞食たちの物語に挿入されたほかの物語にも、姿をかえて現れている。
そして、まるで救いようのない絶望感につつまれたラスト。やるせない思いでいっぱいになった。ここで二人がなにか台詞をしゃべったら、どんなことばだったのだろうか。そのとき、二人はどんな表情をしただろうか。そんなことを想像してしまった。
伊勢丹に寄る。カミサンがLIMIでジャケットを購入。ぼくもヨウジの服を新調したい気分でいっぱいになったが、ほしいものがないのでやめた。
荻窪ルミネの新星堂で、坂本龍一のベストを購入。3枚まとめて。
十九時、帰宅。
『マレー蘭印紀行』。『西ひがし』と重複する内容のはずなのだが、まるでちがった作品になっている。スゲエ。
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11月8日(金)
「大阪日帰り取材紀行/マレー蘭印紀行」
五時五十分起床。夜明けごろの、まだ太陽の熱がじゅうぶんに届かない時分の空気は、家のなかであっても寒々としていて、寝起きでまだ十分に活動を開始していない躰を容赦なく冷やす。躰が冷えると、見慣れたリビングがどういうわけか妙に殺風景に見えた。あわてて身支度をする。そとがだんだん明るくなるに連れて、ぼくの動作もすこしずつ機敏になる。オレは変温動物か。と、ひとりツッコミする余裕を残しつつ、六時五十分、出発。
一度事務所に寄り、取材用のICレコーダーと参考資料一式、それから先日下ろしておいた取材費用を鞄に押しこむ。七時すぎ、中央線乗車。まだ早朝だというのに、もう車内は出勤するひとびとでごったがえしている。久しぶりに勤め人の気分を味わった。七時五十分、東京駅八重洲中央口着。代理店J社のL氏、N氏と待ち合わせ。八時二十分の新幹線で、大阪に向かう。
L氏、M氏は車内でなにやらおもしろそうな話をしていたが、外注業者の身、それにへえそりゃおもしろいですなと首をつっこむ気にもなれず、それ以前に気持ちは今日の午後に控えた二件の取材一色になっている。盛りあがる二人をよそに、資料の最終チェックとインタビューの流れのおさらいに注力する。富士山は空模様が悪く見えなかったようだが、そんなことを気にする余裕がそのときのぼくにはまるでなかったようで、京都あたりでようやく「あ、富士山」と思いだしたが、そのとき思いだしていようとそうでなかろうと、どのみち悪天候ゆえに何百年と日本人をとりこにしてきたあの勇壮な構えを見る願いはどうせ叶えられなかったのだから、いつ思いだそうと、どうでもいいことだ。
名古屋をすぎたあたりで二人は眠ってしまったようだ。取材のおさらいが落ちついたぼくは、時速二百キロ以上で窓を流れていく風景を観察しつづけた。これが意外におもしろい。こういうのが、ぼくは好きだ。
十一時、新大阪着。うどんで食事を済ませ、カメラマンZ氏と合流。さっそく一回目の取材先である家電メーカーT社へ向かう。十三時三十分、取材開始。広告担当者に、インターネット広告についてのインタビュー。なかなか充実した内容だった。つづいて十六時、こんどは代理店J社とぼくのクライアントである某大手ポータルを運営しているIT企業・N社(いつもそうしているんだけど、アルファベットは社名の頭文字をとっていると思わないように!)の大阪支社へ。ここで、在阪のヘルスケア用品メーカーN社のeコマース担当者にインタビュー。十八時、取材終了。
J社の二人は、これから大阪で軽く食事をしてから帰るという。ぼくはまだ別の仕事を残していたので、ひと足さきに帰ることに。ああ、串揚げ食べたかったな。
十九時すぎ、新幹線へ。金曜の夜のせいか、出張帰りのサラリーマンで車内は大混雑というありさま。ある程度予想していたが、それでもぼくの考えは甘かったようだ。しばらく立っていたが、おかげで腰痛がひどくなってしまった。こころのなかで「てめーら、はやくおりやがれ」と何度も他の乗客に罵声を浴びせる。もちろん一度たりとも口には出さなかったが。名古屋で運よく座ることができたら、気分も腰も軽くなった。張りつめていた緊張の糸がほぐれるどころかどこかになくなってしまったような感覚。たちまち眠りにおちた。窓に三回ほどアタマをぶつけた。
二十一時三十分、東京駅着。中央線に乗り換え、二十二時、事務所着。梶原が待機していてくれた。昼間に事務所に来ていた義母(梶原=カミサンのかーちゃん)がつくっておいてくれたサンドイッチをほお張りながら、お願いしておいたO社新潟支店のイラストをすぐにチェック。何箇所かなおしてもらってから、デザイナーのU氏にメールで送信。二十三時、業務終了。
ひどく疲れた。午前二時、就寝。
車内にて、金子光晴の『マレー蘭印紀行』を読む。美しいことばの連なりが、土着的な風土を的確に表現している。『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』よりもはるかに詩に近い文体。人物の行動描写、心理描写は最小限になっているが、逆にそれが作品にリアリティを与えているのかな。
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11月7日(木)
「さらりとした一日」
八時起床。寒い朝だ。蒲団から起きだし、寝ぼけ眼をこするよりも先に身震いが来た。あわてて寝巻きの上に一枚、安物のフリースを羽織ってから洗顔する。
九時、事務所へ。外出もせず、黙々とO社新潟支店の原稿に終始。明日の朝は早いので二十時に引き上げる。
『忿翁』より、『或る朝』。定年を間近にした男の通勤風景。
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11月6日(水)
「毛穴」
八時三十分起床。夕べが遅かったのでいつもよりすこし寝坊しようとしたが、花子が七時半から執拗な「起きてよ攻撃」を繰り返すので、熟睡できず。あーあ。
九時三十分、事務所へ。手帖の整理をしてから、十時に事務所を出る。十一時、新富町のJ社にて、IT企業N社マーケティングサービスの件の打ち合わせ。終了後、伊東屋でボールペンを購入。有楽町のスタンドカレーで全身の毛穴がパックリと開いたままになりそうな辛さのカレーをかき込んでから、事務所に戻る。十四時。
帰社後は金曜日に控えたN社マーケティングサービスの取材の準備など。
十八時、昨夜二度目の出勤を余儀なくされたN社新潟支店のパンフレットが大どんでん返しに。またゼロからやり直すことになってしまう。ふりまわされる自分を情けなく感じてしまう。
夜はどんでん返しの状況を整理。二十二時四十分、帰宅。
古井由吉『忿翁』より『春の日』。芭蕉の句、入院体験、友人の死…老いることを冷静に分析し、受け入れる度量。
『リヴァイアサン』。小説を書くことをやめるサックス。物語は急変する。
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11月5日(火)
「二転三転、二度出社」
八時起床。いつもどおり九時に事務所へ。カンプデータの納品があったため、朝から慌ただしい。夕方には収束。気が抜けたのか、突然だるさを感じてしまい。十八時時に引き上げることに。
帰宅後、マッサージ機で躰をほぐしてから、小一時間ほど睡眠。夕食をとろうとすると、J社のIさんより電話。O社新潟支店の件、状況が急変したとのこと。二十一時、あわてて事務所に戻る。戻ってからも、わずか数時間のあいだに話は二転三転。午前一時、帰宅。なんだったんだ、今日は。
『リヴァイアサン』。妻との別居を決心したサックス。
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11月4日(月)
「宿酔い」
九時起床。坐骨神経痛は山田式骨盤ベルトと腰まわし体操が効いているのか、激痛は感じなくなった。が、今朝はアタマのほうが問題だ。
宿酔い。症状は軽いのだが、この頭痛とだるさはあきらかに宿酔いだ。ちょいと日本酒を一合ほど呑んだだけだというのに。どうも日本酒は体質的にあわないらしい。
十時、フジテレビの「答えてちょーだい」を観る。浮気妻の二重生活がテーマだ。再現VTRのおもしろさに、朝食をとるのもわすれて見入ってしまう。
十一時、事務所へ。O社新潟支店、N不動産アドトレイン、そしていよいよ大詰めとなったE社ウェブサイト。みっつの案件が作り出す不規則な大波に何度も呑まれ、身も心もボロボロになったような気がする。身のボロボロさは、腰痛とふしぎな頭痛になって現れた。宿酔いのアタマに、脳がしびれるような感覚が加わってくる。危険なのだろうか。よくわかんないから、まあいいや。
二十二時三十分、業務終了。
『リヴァイアサン』。ちょっとニューヨーク三部作っぽいシーンが出てきた。が、やはり異質だ。
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11月3日(日)
「腕まくらでごきげん/Wまきこと仲間由紀恵/BGM」
夜中、麦次郎に腕まくらをせがまれる。そういえば、昨日もだったな。ちょっとうれしい気分。
おかしな夢をみた。ぼくはカミサン、そしてカミサンの友人であるWまきこ(551さんと、そのお友だちのZさん。ふたりとも、名前が「まきこ」なのだ)と四人でご飯を食べている。ぼくは、まるでとまらない鼻水に苦しみ、ご飯を食べながらも鼻にハンドタオルをあて、鼻汁を拭きつづけている。ぼくの向かいの席に座ったカミサンは、しらすを手づかみでもりもりと喰らう。その、しらすの塩分と粉みたいなのと魚の臭いがついた指先を、ぼくが鼻にあてつづけているハンドタオルになびりつける。「なにすんだよ」そういってカミサンの顔をのぞきこむと、そこには見なれたカミサンの顔はなく、かわりになぜか仲間由紀恵の顔がくっついていた。
さて。ここで問題なのは、なぜ顔がすげかわっていたかということではない。なぜ仲間由紀恵だったのかということのほうがはるかに重要だ。そして、なぜ安倍なつみでなかったのかということも、じっくり検討すべきだろう。
と、ここまで書いて自分にあきれてしまった。なさけない。
九時三十分起床。
十時三十分、出社。O社新潟支店パンフレット、E社ウェブサイト、N不動産アドトレインなど。
最近は仕事中のBGMをまめに替えることにしている。以前は、一日中モーツァルトのおなじCDをエンドレスで流しっぱなし、なんてことばかりしていたが、さすがにそれでは飽きてしまう。BGM、しっかり聴いてたのしもうというたぐいのものではないのだが、それでもやはり、すこしはたのしみたいものだ。今日は、ジャンセン/バルビエリ「Stories
Across Borders」、コルトレーンのベスト、村治香織の新作(アランフェスのヤツ。タイトルわすれた)、ピーター・ガブリエル「OVO」など。音楽に気をとられすぎたら負けだが、仕事にイライラしすぎることをすこしだけ回避できるところはいい感じだ。
二十一時、店じまい。「草庵 おおのや」で夕食。ヱビスビール、本鴨のそば粉クレープ北京ダック風、アンキモ、メゴチときのこの天ぷら。それに、カミサンはせいろ、ぼくはおろしそば。ここのおろしそばは辛味大根を使っているので、ピリリとしまった感じがしてじつに上手い。辛味大根は『美味しんぼ』でも紹介されていたが、そばには最適の薬味だ。食事がうまかったので、調子に乗って日本酒もたのむ。名古屋の「九平次」という酒。ちょっと金沢の「天狗舞」を軽くしたようなくちあたりで、そばによくあう。ひさびさに食事をたのしんだ、という感じだった。
『リヴァイアサン』。まるで日本の、それも三十年前くらい前の純文学を読んでいるような気分になった。扱っているテーマが、それに近いような気がするのだ。具体的に作品名やムーブメントの名称をあげることはできないのだが――無知ゆえに。
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11月2日(土)
「バリバリ目覚まし/霜柱/わびしい夕食」
五時三十分、花子がベッドの横の部分を、とんがったツメでバリバリひっかく音で目が覚める。最近、ヤツはこの方法でぼく起こすのが気に入っているらしい。あわてて飛び起きて、ご飯を与える。今日はめずらしく麦次郎も起きて一緒に食べた。
二度寝。
九時三十分起床。晴れているが、肌寒いような気がする。十一月だ。実家のほうでは、このくらいの時期から霜がおりたような記憶があるが、よくわからん。ガキのころは、よく通学路途中にある畑のなかにズカズカと入り込み、霜柱を踏みつぶして遊んだもんだ。霜柱なんて、もう何年みていないだろうか。事務所においてあるボロクソ冷蔵庫の氷冷室でしかみてないな。
十一時、事務所へ。十二時、カミサンも出社。O社新潟支店パンフにふたりで取りくむ。ぼくは構成とコピー、カミサンはイラストだ。できあがった原稿は、メールでデザイナーに送る。明日から、デザイナーがレイアウト作業にはいるという段取りだ。休日返上。不況のさなか、忙しいことはいいことだと思い込むことにする。まあ、今回のはさほど苦痛ではない。ほか、ハウスメーカーE社ウェブサイト、N不動産アドトレインなど。二十二時、帰宅。
夕食はコンビニで買ってきた冷凍のうどんでわびしく。まずかった。
オースター『リヴァイアサン』。落ちていく男。
寝るまえに読んでいた『三四郎』、まったくおもしろいと思えなくなってしまった。挫折。読むのをやめることにする。ということで、今日からは武田泰淳(すげえ、一発で変換できた)『ひかりごけ』を読むことにする。
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11月1日(金)
「不感症」
眠い。が、起きる。八時。寝起き早々、天気予報の気温予想におどかされてしまう。今年一番の冷えこみだって? だが、さほど寒くないと感じているのは、ぼくの温度感覚がぶっ壊れているからだろうか。事務所にこもったまま、延々とコピーを考えつづけたり、デザインの指示を出したりしつづけているうちに、外気にあたる機会がめっきり減ったぼくの皮膚と神経網が、ちょいと不感症にかかっちまったようだ。
どうやってリハビリしようか。悩む。
O社新潟支店の物件に終始。
夕食は「ひごもんず」にて。特製ラーメン。カミサンは野菜ラーメン。
『リヴァイアサン』。不思議なのか、ありきたりなのか。よくわからないこと、というオースターらしいストーリー展開。
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