「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞



■2002年9月



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9月30日(月)
「きわめて平穏でちょいとけだるい一日」

 
 八時起床。疲れている。昨日の引越しのせいかな、などと思いながら、重たい腰をいたわるようにして起き上がる。って、オレ老人みたいだな。窓から外を見る。しとしとと、秋の雨がけちくさく降っていた。はっきりしない。この優柔不断な空模様が、ぼくの躰をちょいとダルくしているような。
 
 九時、事務所へ。月末なので帳簿付けや銀行巡りで午前中が終わってしまう。
 
 十四時、予約しておいた身心健康堂へ。腰痛と坐骨神経痛の治療。今日は患部だけでなく全身に鍼を打たれた。わきの下と胸に打たれるときは怖かった。じっさい、打たれたときも気持ち悪い。それから、腹。躰のなかをやすっちい針金でぐりんぐりんとかき回されるような感覚。ああ、いやだ。でも、通わなきゃなあ。
 
 十五時すぎ、事務所へもどる。やり残した原稿を、すこしずつこなす。二十時、キリがいいところで帰宅する。平穏な一日だ。
 
「憂い顔の童子」。BC級戦犯の遺骨をぶちまけてしまう古義人。大枝作品を読んでいていつも思うのだが、この人、自分が生まれ育った森は愛しているが、地域に住む人々のことはキライみたいだ。
 
   
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9月29日(日)
「保田に追いつけ! 保田を追い越せ!/クリムゾン三昧/さよなら009」

 
 九時三十分起床。「笑っていいとも増刊号」を見ながら朝食。昨日の披露宴でもらったお赤飯と目玉焼き。
 十一時三十分より、「ハローモーニング」。後藤卒業のレポートとNG集だ。保田圭のばかっぷりは最高である。ほかのメンバーも、はやく保田に近づいてほしいと思う。
 
 十三時、荻窪ルミネへ。新星堂にて、キング・クリムゾン「The Collector's King Crimson Vol.6」「USA」「Earthbound」を購入。うわ、出てたのかよ。知らなかった。まあ、最近はじっくり聴いている時間をなかなかつくれないのだが。
 
 十五時、東小金井へ。義父母が転勤でこちらに引っ越してきたので、そのお手伝いをする。ダンボールから出てくるのは、あきれるほどの量の不要物。そのほとんどが、結婚披露宴などでプレゼントされる食器類だ。どうして棄てるなり誰かにあげるなりボランティアに寄付するなりできなかったのだろうか。けっきょく、手伝いにいったぼくたち夫婦がいくつかをもらい受けることになる。ちょっとヤレヤレ、と思うが、じつはほしかったものもあったのでまんざらではない。ほか、もらい手なんてとてもつきそうにないほど古いものについては、思いきって廃棄処分に。新品同様だが不要なものについては、ぼくのやっている会社でささやかながらお手伝いしているNPOの「ねこだすけ」に寄付することにする。フリーマーケットなどでの収益が、地域猫の保護や捨て犬・捨て猫防止活動に使われることになる。
 
 二十時、帰宅。ビデオに撮っておいた「サイボーグ009」の地下帝国ヨミ編、最終回を見る。原作とほぼ同じ物語展開。子どものころ何度も何度も、セリフを暗記するくらいくりかえして読んだというのに、魔神像が爆発し宇宙空間に放り出されるジョーの手をジェットが掴むシーンをみたら、目に涙が溢れそうになった。そして、ジェットとともに大気圏に突入し、流れ星となるジョー、それをみて、世界の平和を祈る姉弟のシーンでは、口が聞けなくなるほどの感動におそわれてしまった。さようなら、009。また会う日まで…。と思っていたら、なんと予告編で「神々との闘い編」を告知しているじゃないか。衝撃。
 この「神々との闘い」は、石ノ森が009の最終編として長年暖めつづけたストーリーだ。マンガ原作版では、69年に「COM」に連載されたが、残念ながら未完に終わっている。また「神々との〜」の半年前には、「天使編」なる最終編(の前身?)も連載されたが、こちらも未完だ。その後、009はラスト・ストーリーにケリをつけないまま、さまざまな雑誌で連載をつづけることになる。
「神々との〜」は、自分たちの生みの親である黒い幽霊団を倒すというエディプス・コンプレックスの物語である。黒い幽霊団を倒したあと、「善」の象徴であるサイボーグたちに残された敵は、さらに上位的な悪の概念、すなわち「性悪説」の根源をなすもの、人間生存、そして繁栄を支える、ある種のどろどろとした共同幻想的な悪、そのようなものだけということになる。究極のエディプス・コンプレックス・ストーリーというわけだ。
 石ノ森は病床にあったとき、体力のない自分に009の最終編をマンガとして書き残すちからはないと判断したらしく、それを小説というかたちで仕上げたらしい、という噂がある。それを、石ノ森の息子であり、アニメ版009のスーパーバイザーをつとめる小野寺章氏がどうやら保管しているらしい。今回のアニメ版「神々との闘い」は、この小説版ラスト・ストーリーなのか、それともまた別の物語なのか……30年近くファンをつづけているぼくとしては、夜も眠れなくなる暗い気になることだ。来週が待ち遠しい。
 
「戦後短編小説再発見 10 表現の冒険」より、内田百間(ありゃ、もんがまえにつき、という漢字、見つからないよ。なので、とりあえず「間」で代用)の「ゆうべの雲」。ふしぎな小説、としか、いいようがない。こまかく分析してみたくなる。
「リヴァイアサン」。ピーターの離婚と、つぎに興味をもった女性について。変人のアーチストらしい。
 
 
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9月28日(土)
「またモー娘。/結婚式/じつはセーラームーン/大江の新作」
 
 よう、なっち。来たか。おお、カオリンもいっしょだね。おっと、辻加護も元気だねえ。おやおや、第五期チームもいっしょだね。
 その他、大勢。勢ぞろい。
 こいつらが、なぜかぼくの家にいる。合宿の会場にされちまった! ぼくはまんざらでもない。なぜなら、なっちと何日間か、ひとつ屋根の下で暮らせるからだ。
 とはいえ、ひとんちにゲーセン用のゲーム機を持ち込むのはどうかと思うぞ。それから、土間でダンスするのはやめてくれ。って、あれ、オレんちに土間なんてあったか? マンションだぞ、ここ。
 荷物を整理しおえ、一段落した一行はぼくの住むマンションのまえにある庭で、スケボーの練習をはじめた。先生は、なぜかぼくである。あれ、オレ、スケボーなんかできたっけ?
 というところで電話のベルが鳴り、目がさめた。妹からだ。んだよ、こんな朝早くから、と思ったら、もう十時。そうだ、今日は従妹の結婚式だった。ちゃんと来るのか、確認のための電話だな。行くってば。おとななんだから。妹はおふくろに受話器を渡したようだ。声が変わる。おふくろ、あいかわらずひとの話なんか聞かず、一方的にペラペラと話しまくっている。結婚式の話じゃなかったのかよ。きりがないので、適当なところで切り上げさせ、電話を切る。
 
 朝食をとりながら、最終回となった「ザ・スクープ」を観る。北朝鮮問題の集大成。この番組らしい終わりかただな、と思う。内容もすばらしいものだった。結婚式のことなどすっかりわすれて見入ってしまった。この番組、外的圧力と予算の問題から打ち切りになってしまったが、継続を求める運動があちこちで起こり、その結果、二ヶ月に一度くらいのペースで特番として放映が継続されることになったらしい。事態はけっして悪い方向ばかりにむかわないものだ。
 
 ひさびさに礼服(といっても、じつはニコルの黒いスーツ。ダブルなので、冠婚葬祭専用につかっている)を身にまとい、家をでる。結婚式の会場は宇都宮だ。ちょいと遠いが、のんびり読書しながら行けばあっという間だ。
 
 十四時過ぎ、宇都宮駅着。駅前をしばらくうろついてから、歩いて会場へ。街行く人々のファッションは、東京とさほど変わらない。が、これが地域性というものなのだろうか、表情がなんとなく違う。どこかのんびりしていて、お人よしそうで、それでいてちょっと他所者には意地悪な、そして地元というものを愛する一方で痛烈に批判する精神も忘れていないような、そんな雰囲気が漂っている。地方都市に行くと、いつも感じることだ。
 会場へ向かう途中、「渋谷の雰囲気を、宇都宮で… カラオケハウス渋谷ステージ」(だったかな? メモし忘れた)とかいう、ちょっと東京者が見ると「キツイ」と感じてしまうような名前の店を見かけてしまう。悲しくなった。
 
 十四時四十分、会場へ。オヤジ、おふくろ、妹、その子どもたちとひさびさに顔を合わせる。たぶん一年ぶりだ。親戚の連中も勢ぞろいしている。
 十五時三十分、結婚式。賛美歌を歌わされた。ぼくはクリスチャンではない。だから、教会式の結婚式に参列すると、いつも屈辱的で自己批判的な気持ちになってしまう。それにしても、キリスト教の建築物はどうしてみな、さきっちょがとんがっているのだろう。このチャペルも、とんがっている。外側も、そして内側も。
 
 十七時より、披露宴。従妹のWちゃん、きれいに変身。いや、ふだんがヒドイというわけではないのだが。天真爛漫、まるで邪気の感じられない子だ。式の最中も、披露宴のあいだも、笑顔が絶えることはほとんどなかった――両親への手紙のトコだけは泣いてたけど。ダンナは東証一部に上場している自動車部品メーカーで技術屋をやっているそうだ。おお、しあわせそうだなあ。おめでたい。いとことの昔話にも花が咲いた。とはいえ、なぜか幼少期の記憶の大部分が欠落しているぼくには、思い出せない話題も多い。ちょっとつらかった。
 妹の子どものアツヤ(五歳)とアヤ(三歳)がおもしろいくらいに成長している。アツヤはぼくのことをよく覚えているらしく、なにかというとマンガのことやらゲームボーイのことやらを熱く語ろうとする。全部聞いてあげた。そして、困るような質問をしてやった。とんちんかんな答えがかえってくるのがおもしろくてたまらない。子どもの発想って、スゴイと思う。とんちんかんな会話になるのはアヤもいっしょだ。最近はなぜかセーラームーンに夢中らしい。「おっちゃんは、じつはセーラームーンなんだよ」といったら、「それはダメ」と怒られた。「じいちゃんも、セーラームーンなんだよ。変身するんだよ」といったら、よほどイヤだったらしく、しばらくムッとした顔のままで黙りこんでしまった。コメットさんのバトンをもっていると自慢されたので、「じゃあおっちゃんはそれを百個買おうかな」といったら、自分も何個もほしくなってしまったらしい。すぐさま母親である妹に「ねえママ、コメットさんのバトン、三個買って。おねがい。買ってくれなきゃヤダ」と訴えていた。おもしろいなあ。それにしても、なんで三個なんだろ。きっと、三以上の数字は数えられないんだろうなあ。
 
 十九時三十分、式終了。新幹線で東京へ戻る。
 
 二十二時、帰宅。二十二時三十分、カミサンとカミサンのお母さんが戻ってくる。カミサンの両親、東京に転勤となり、今日が引越しだったのだ。
 
 大江健三郎「憂い顔の童子」を読みはじめる。「取り替え子(チェンジリング)」と同じ作品世界だが、「懐かしい年への手紙」に登場するギー兄さんが間接的に登場するなど、これまでの大江作品とは(ちょっと違う感覚なのだが)根底の部分で深くつながっている。文体も、「取り替え子」のときのような重苦しさはなく、やはりこれまでの大江調にもどっているような気がする。「取り替え子」で恢復した小説家が、新たな作品世界に踏み出す過程、なのかな? カギとなる作品、今回は「ドン・キホーテ」らしい。あ。それから、あきらかに渡部直巳の「取り替え子」批判を意識しているような記述、描写があちこちに登場するのも興味深い。って、ソレ、深読みしすぎか? 
「リヴァイアサン」。主人公ピーターが、最初の妻と離婚するまでの経緯。
 
 
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9月27日(金)
「今日の事件簿」

 
●ゆるやかに流れる事件
●ちらし寿司と里芋の煮っ転がし事件
●大江健三郎「憂い顔の童子」購入事件
●古井由吉「忿翁」購入事件
●村上春樹「海辺のカフカ」買おうとしたけどやめちゃった事件
●加藤典洋の「脱テクスト論的文芸評論」事件
●広告三昧事件
●いい感じ事件
●話題の「真珠夫人」事件
●高橋源一郎「君が代は千代に八千代に」読了事件
 
  
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9月26日(木)
「快方へ/書きやすい万年筆とは/テクスト論の限界」

 
 八時起床。坐骨神経痛、かなり和らいだ。もう寝返りも打てる。躰を起こすのも苦にならない。だが、いつぶり返すかと思うとハラハラするので、来週も整体院に行こうと思う。
 
 九時、事務所へ。仕事はほとんど焼香状態。N社折込みチラシの原稿、見積など。午後、新宿へ。空いた時間を利用して、先日購入したイッセイ・ミヤケのパンツを引き取りに行く。ついでに文具売り場へ。おお、セーラーの限定万年筆「プルマ・パラボリカ」が置いてある。どうやら、明日からはじまるペンクリニックの準備をしていたらしい。試し書きをさせてもらう。あれ? 長刀研ぎははじめて試すのだが、なんだか全然よくない。これなら、ぼくが普段肌身離さず持ち歩き愛用している「プロフィットスタンダード21」のほうが軽快でペン先の滑りもよくて書きやすいぞ。ああ、これはきっと、万年筆がぼくになじんでいるかそうでないか、ということだな。
へんなことに納得しつつ、売り場をあとにする。十六時、帰社。
 
 ほとんどの作業が落ち着いたので、十八時に退社することに。カミサンと麦次郎が通っている動物病院へ、足りなかった治療費のお釣りを受け取りに行く。麦の牙は、やはり根っこで折れてしまっているらしい。手術して抜歯する必要があるかも、とのこと。どうしようか。
 
 夜は「ココリコ黄金伝説」「とんねるずのみなさんのおかげでした」などのテレビ番組を観る。おもしろいなあ。ふだん、あまり観れないからかな。テレビを観ているあいだ、麦次郎はずっとぼくのあぐらをくんだ足の上でグースカと寝ていた。
 
「君が代は〜」より、「チェンジ」。アイデア先行型の小説だと思った。
「群像」10月号の加藤典洋の評論「テクストから遠く離れて」。大江さんの「取り替え子」、源一郎氏の「日本文学盛衰史」などを例にあげながら、ポスト構造主義的文芸批評、ようするにテクスト重視型の文芸批評では語りきれない「テクスト論破り」的な小説が登場しはじめていることが主張されていた。「日本文学〜」についてのクダリがおもしろかったので引用。
 
 作者高橋がここに書く小説自体が、それを読む読者の文学的知識、さらに作者の作中に現れる私的な現実への通暁の有無深浅によって、別様の受け取り方をされるのであり、それに加えて、この小説では作品と作者の関係の領域に、小説制作の虚構化の機微の生じる主戦場が移っているため、個々の「作者―作品間の神経系統」をすっぽり切除してしまったテクスト論の構えでは、この小説を追うことは、事のはじめから不可能なのである。
  
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9月25日(水)
「信じる/安心する/断念する/感動する/ふっきれる」

 
 六時、花子にごはんをせがまれ起床しようとするが、右臀部と鼠径部に激痛が走り、すぐに起き上がれず。ゆっくりと躰を起こす。なんとか歩けるが、下肢にまるでちからが入らない。缶詰めを開け、猫用のお皿に移し替えるだけの作業だが、終えるまでに五分もかかった。こりゃやばい。いや待てよ。昨日の整体のセンセ、一回悪化することがあるけどすぐによくなるからといってたな。このことばを信じることにする。
 
 九時、事務所へ。歩いて通勤しているのだが、六時の苦悶のひとときのあとにひと眠りできたせいだろうか、だいぶ痛みはマシになっている。びっこを引かずに歩きとおすことができた。すこし安心する。
 
 午前中はE社会員制サイトの仕事に注力。
 
 午後、NTT-MEの担当者が来る。Bフレッツ・ベーシックタイプ導入の検査なのだが、結果はNGだった。屋内配線用の配管が狭すぎて、光ファイバケーブルを通せないらしい。くやしいが仕方ない。今年二月からつづけてきたBフレッツ導入計画だが、断念せざるをえない結果となってしまった。
 
 今日は比較的早めに業務終了。二十時過ぎには家に着いてしまった。以降、テレビ三昧。フジテレビの「鉄板王」なる番組に釘付け。異種鉄板焼き競技なのだが、露天商のたこ焼き職人が面目躍如。「包丁人味平」を思わせる独創的かつ庶民的な料理で、みごと決勝まで勝ち進んだ。料理のクリエイティビティと、露店に生きる自分の人生にたいする誇り。これはドラマだ。感動した。おもろいわあ。
 
「君が代は〜」より、「ヨウコ」。ロリータコンプレックスに悩む小学校教諭が、ふっ切れたように教室をあとにするまでの物語。そのきっかけを与えてくれたのは、ダッチワイフだった…。
 
 
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9月24日(火)
「イタイ/イタイ」

 
 八時。起き上がろうと思ったら右尻のほっぺたと股関節に鋭い痛みを感じる。あちゃ。坐骨神経痛が悪化している。整形外科での牽引も効果なし、ということか。別の治療法を探そうと決意する。
 
 九時、事務所へ。午前中は事務処理と雑務。午後よりデザイナーO氏、T社のN氏らと、E社顧客向けウェブサイトの打ち合わせ。夕方、インターネットで見つけた近所の整体へ行ってみる。何冊も本を出版している、評判の高い整体師がいるようだ。で、いったみたら、いきなりからだのあちこちをグリングリンといじくりまわされ、ちょっと固いかな、という部分をみつけると、これでもかといわんばかりの勢いで力任せにそこをグイグイと押す、押す、押す。くわしいことはわからないが、ぼくの躰は五行のバランスがくずれていて、とくに胃腸が弱っていたそうだ。弱った内臓は固くなるらしい。胃や腸を押されたとき、それはしっかり実感できた。こういった部分のゆがみが重なり、それが神経痛や腰痛、肩凝り、偏頭痛といったかたちであらわれる、というようなことを、施術されながら、延々と聞かされた。半分は説教である。たまには躰を休めなさい、不規則な生活はよくないよ、云々。鍼も打たれた。打たれた直後はほとんどなにも感じないのだが、しばらくするとその部分がむずむずしだし、やがて筋肉を針金でかき回されているような感じがし、それが痛みへと変わり、足先や腰骨にビンビンと伝わってくる。「気持ち悪いッス」といったら、「気持ちいいはずなんだけどな」といっていた。どうやら個人差があるようだ。およそ一時間で治療は終了。直後は痛みはほとんど消え、腰だけでなく肩や足まで軽くなったような気がした。もっとも、直後というのは半分暗示にかけられているような状態でもあるので、この感覚を鵜呑みにしてはいけない。だが、たしかによくなったような気もするので、しばらくは通ってみようかな、なんていう気になっている。「みようかな」なんて書いてしまったが、ホントはもっと切実なのだ。痛くて歩けないときも、眠れないときもあるのだ。はやく治療せねば。
 
 二十二時、業務終了。セブンイレブンに立ちより、ヤフーショッピングから到着していた本を引き上げる。金子光晴「作詩法入門」。ぼくの光晴探求はまだまだつづく。
 
「君が代は〜」より、「SF」。わからないことを、わからないままに書いてみるという試み。いや、これはじつは小説の基本なのかも。レムなんかは、こういう書きかたをしていたんじゃないかな。ディックもその気があるな。



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9月23日(月)
「クリムゾン安眠妨害/ライオンズ優勝とはあまり関係なく/今日もモー娘。」

 
 後藤真希卒業の日。
 
 十時起床。今日ものんびりだ。カミサンは連日連夜のプリント作業と創作(といっても絵のほうね)で疲れているのか、起きてこない。寝かせておくことにし、さきにひとりで部屋の掃除をする。つづいてアイロンがけ。ひさびさにキング・クリムゾンが、しかもなぜか第五期が聴きたくなったので、CDが眠る引き出しのなかから、ライブ盤「アブセント・ラバーズ」を引っ張り出し、アイロンのBGMにした。一曲目のインプロビゼーションの珍妙さと騒々しさは、カミサンの安眠を妨害してしまったようだ。十一時、カミサン起床。ごめんなさいね。
 
 午後より書斎(兼トレーニングルーム兼音楽視聴室)で読書と書写。最近は、気に入った作品を原稿用紙に書き写すことが多い。作者の文章テクニックや作品構成力をいただいちゃおうという寸法だ。
 
 十五時、外出。荻窪西友へ。西武ライオンズ、気づかぬうちに優勝していたらしい。ふうん。知らなかった。だから今日の西友はやたらと人が多くて騒々しいのか。割引セールになっているのはうれしい。猫たちのごはん、ハンドソープ、足裏樹液シートなどを購入。麦次郎の首輪を新調してやりたかったのだが、似合いそうなデザインが見つからず。つづいてルミネ荻窪へ。文房具店「ACT」へ。ここで一万円以上の万年筆を買うと、次回以降、二年間に渡って来店の際に無条件でインクカートリッジ一本をプレゼントしてくれるという親切な特典があるのだ。今日、はじめてその特典を受けてみることにした。会員カードを提示すると、いかにも文具店の店員らしい、ちょっと地味だけど清潔感と知性が漂うファッションの店員さん(女性)が、笑顔で対応してくれた。アフターサービスってたいせつなんだなあ。同じフロアにある雑貨店でスリッパを購入。八重洲ブックセンターにも立ち寄るが、なにも買わず。そうそう本ばかり買ってたまるか。だいたい、明日は大江健三郎の新作の発売日なんだ。そうでなくても、読んでいない本がわが家(と事務所)には山ほどある。これをなんとかせねば。といいつつ、じつは「海辺のカフカ」を読んでみたいなあと思っていたりする。文庫化まで待つかな。
 駅ビルを離れ、近所のオリンピックへ。麦次郎の首輪、マリンブルーの革製で金色の鋲がうってある、いかしたデザインのものをみつける。カミサン、かなり気に入ったらしいので購入することに。ここでも足裏樹液シートを購入。なにしてんだか。
 駅ビルに戻る。ルミネの地下にあるナチュラルハウスで野菜など。ザ・ガーデン自由ケ丘で牛乳。タウンセブンの香味屋でプリン。セガミ薬局でアルミホイル。これで買い物は終了。
 
 十九時から、TBSの「東京フレンドパークII」。モー娘。が出ているので、みてしまった。ぼくからモー娘。を取ったら、いったいなにが残るのだろうかと冗談半分にいったら、カミサンめ「なにも残らない」と断言しやがった。くそ。オレは自覚症状のないモーヲタってやつか? まあ、いいや。番組はとても楽しく、いい内容でした。保田のメークのノリが、いつもよりいいような気がしたのは気のせいだろうか。
 
 夜も読書と書写。金子光晴など。
 
「君が代は千代に八千代に」より、「Mother Father Brother Sister」。幽霊の視点から病んだ現代を、皮肉とユーモアたっぷりに語ってみようという試み。「殺しのライセンス」。現代において、人殺しには道具なんかいらない。精神的に死に瀕している人が、現代にはなんと多いことか。「素数」。数字の世界に埋没した少年が、一瞬だけ外側に世界を向ける、それだけを綴った作品。この「それだけ」、重すぎてふつうに受け止めるのはかなり困難だと思った。今のところ「Mama told me」のつぎに気に入った作品だ。
  
 
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9月22日(日)
「焼酎の眠り/さよなら、ごっつぁん」

 
 よく寝た。夕べ呑んだ鹿児島産の芋焼酎が心地よい眠りを与えてくれたようだ。十時三十分、起床。
 
 十一時三十分、朝食もといブランチを食べながら「ハローモーニング」を観る。今日は後藤真希のモーニング娘。としてのテレビ出演最終日だ。どうやらこの「ハロモニ」には、モー娘。脱退後も出演しつづけるらしい。なるほど、コントで彼女が演じていたポジションの穴埋めをできるキャラは、今のモー娘。にはいないからなあ。
 
 午後から事務所へ。打ち合わせルーム兼「なまけ猫ショップ」から本棚を事務所スペースへ移動する作業。あいまに、予約しておいた「ロッソ」へ。すこしだけ髪を切る。二ヶ月ぶりだ。
 
 先日出品しておいたヤフーオークション、ほとんどの商品に買い手がついた。ひとつだけ、「アドビ インデザイン1.0」だけが手つかずの状態だ。いちばん処分したいものなのだが、やはり需要がないのだろうか。
 
 夜、テレビ東京で後藤真希最終出演番組をチラリと観る。痛感したのは、モー娘。のキャパシティの広さだ。ふつうのアイドル以上のことが要求されるのだろう、それは「ひとつのことを、とことん深く」ではなく、「とにかくなんでもできる」という方向であるため」に、ぼくたちがテレビ番組などで彼女たちを見かけると、どうしても「つたない演技だなあ」とか「歌、ずばぬけて上手いわけじゃないよなあ」とか「踊りもすごいわけじゃないよなあ」とか感じてしまいがちなのだが、逆にいえばそういった世間一般の批判は「なんでもそこそこ無難にこなせる、世にも奇妙な多芸型アイドル集団」であることの証明だ、ということにはならないだろうか。注意してほしいのは「多才」ではないというところだ。彼女たちは広く一般に愛されるべき存在。だから才能豊かであってはならない。鼻持ちならない者は、愛すべきアイドルにはなりえないのだ。だから、これでいいのだと思う。
 一方で、後藤真希の将来はかなり心配だ。というのは、「多芸型アイドル」は集団だからこそ成立しうる形態であり、ひとりで活動するアイドルは多芸型アイドルではやっていけないと思われるからだ。アイドルになるには、最低でもよっつの条件が必要だ。それは、かわいさ、ほかにはない個性、なにかひとつ、キラリとひかる才能、そして最後に「共感されやすいキャラであること」。これらが不可欠だとぼくは考える。後藤真希にこれらを当てはめて考えてみよう。ひとつめのかわいさ、これはなんとかクリアできると思う。ちょっと場末のキャバレー顔というか、どことなく薄幸そうな雰囲気が漂っているところがとても気になるのだが――この問題は、じつは次にあげるポイントに深く関係する――。
 ふたつめの「個性」について。これについては、かなりきびしい状況に置かれているといわざるをえない。アイドルというには、後藤真希の性格はあまりに地味すぎ、そしてまじめすぎるのだ。また、集団のなかで彼女の個性があらぬ方向に向かってしまったのも問題だ。歌唱力は抜群だが汚れキャラを自任しすすんで笑いをとっていく保田、いなかもん丸出しだが愛くるしいなっち、ちょっとキツメの飯田圭織、ちびっこくて元気ではすっぱな矢口、珍妙路線とドッペルゲンガー的相似性が売りの辻加護、ぶりっこ復権を実現してしまった石川、今までにない中性的な魅力とオヤジギャグを武器にしたヨッスィー、と強烈な個性がたたき売り状態となっているモー娘。のなかで、ひとりだけ「陰」の方向にアイデンティティをもとめてしまったのが後藤真希ではないだろうか。彼女を自然にその方向へ向かわせてしまった、ふしぎな運命めいたちからがグループのなかで働いてしまったのである。
 そしてみっつめの「才能」について。ボイストレーニングとダンスの訓練は、標準以上のエンターティナーとしての実力となって結実している。が、それで終わりなのだ。あの程度の歌唱力をもつ女の子なんて、そのへんにゴロゴロしている。後藤真希は、モー娘。のなかで個性についてだけでなく、才能についても発見することができなかった、かわいそうなメンバーなのである。
 最後にあげた「共感」についてだが、これも少々不安だ。共感とはなにか。それは、ミニモニ。を例にあげればわかりやすい。小さい女の子たちは、自分の背の低さにコンプレックスを感じている。しかし、実際には世間には身長の高い女性より低い女性を好む男性はゴマンといるわけだ。そこをマーケティング的にうまくついたのがミニモニ。である。ミニモニ。は、背の低い女性の共感を得ただけでなく(その共感は、身体的な面だけでなく「まだ成長していない」というものに転化され、多くの小学生から支持を得るようにもなった)、小さい女の子が好きな男たちの嗜好性をも正当化するという、幅の広い「共感」を得ることができた希有な成功例なのだ。つまり、「共感」とはアイドルの成否を左右するいちばん重要な要素なのだ。さて、はたして後藤真希は、世間一般から大きな共感を得ることができるか。これははなはだ疑問である。
 いずれにしても後藤には今後もがんばってほしい。でも、じつのところは後藤よりも残り半年ものあいだ「卒業」という看板をしょわされつづけるハメになった保田圭を、ぼくは応援したい。卒業後、彼女にだけは貧乏くじをひいてもらいたくないものだ。いや、マジで。
 
 高橋源一郎の短編集「君が代は千代に八千代に」から、「Papa I Love You」を読む。「近親相姦」ということばに追い掛け回される男の話。これ、ほんとうのテーマはソシュールの言語論、それからポスト構造主義的言語論へのアンチテーゼなんじゃないかな。よくわかんないけど。
 
 
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9月21日(土)
「ひらがなで、いこう!」

 
 ゆうべはつかれていたので、いっぱいねようとおもってから、ふとんにはいりました。ごじくらいにはなこちゃんにおこされましたが、ごはんをあげたらおとなしくなったので、またねました。ひたすらねました。ねていたら、サイボーグ009の「てんしへん」のゆめをみました。ぼくはサイボーグたちといっしょにこうどうしていましたが、サイボーグになっているわけではなかったみたいです。サイボーグになって、かみとたたかってみたいなあとおもいました。でも、それよりもおくらいりしている009の「さいしゅうへん」をよんでみたいです。どんなはなしなのか、とてもきになります。きになりすぎて、ねむれなくなるときもあります。
 
 はなこがしつこくしつこくぼくをおこそうとしているので、めをあけてとけいをみてみたら、じゅういちじになっていました。もう「たてものたんぼう」も「ののちゃん」もおわってしまっています。ぼくはおおいそぎでおきあがり、かおをあらい、ふぃりっぷすのでんきかみそりでひげをじょりじょりとそり、ねぐせをなおしてからテレビのスイッチをオンにしました。すると、らいしゅうでさいしゅうかいになる「ザ・スクープ」がほうそうされていました。このばんぐみは、きっとなにかのいんぼうでむりやりおわらされるのにちがいありません。うかうかしていると、しかいのふたりはあんさつされてしまうかもしれないので、ちょっとこわくなりました。けんりょくって、いやだなあとおもいます。ほうどうのじゆうとか、そういうむずかしいことはぼくにはわかりませんが、なにかのあつりょくにくっしてしまい、こころざしなかばでだんねんせざるをえないじょうきょうになるなんて、たえられないことです。このばんぐみが、またなにかのかたちでふっかつすればいいなあとおもいます。でも、ゾンビみたいになってしまってはいやです。しにんのふっかつではなく、いきているひとがたびにでて、かえってきた、そんなかんかっくでふっかつしてほしいです。せんどがたいせつなのです。
 
 おひるからは、にほんテレビの「メレンゲのきもち」をみました。しがきたろうというもとせいしゅんスターのひとがでていました。じぶんがだいすきなひとなんだなあとおもいました。でも、すきなのはむかしのじぶんみたいです。かこにしがみつきすぎていては、にんげん、せいちょうできません。ドラマやえいがにでていないところからさっするに、このしがきというひとははいゆうとしてのじんせいをすてているんだろうなあとおもいました。だから、もうせいちょうするひつようがない。かなしいです。それから、さいとうゆきがでていました。こうこうせいのとき、ぼくはさいとうゆきがすきでした。おっぱいがでっかいからすきだったのかもしれませんが、それよりもきっと、このひとがとんでもないへんじんだったことを、そのころからみぬいていたからすきだったのかもしれないなあとおもいました。じつは、いまになってあのころをふりかえってみても、どうしてぼくがさいとうゆきをすきだったのか、そのりゆうがわからないのです。わかくてぴちぴちして「てめえら、ゆるせねえ」とヨーヨーをにぎりながらたどたどしいにほんごでさけんでいたさいとうゆきは、たしかにそのころはおっぱいはいまよりもおおきくはりがあり、かわいかったのですが、それに「あくしあ」とか「そつぎょう」とか、ちょっとこうこうせいにとってはどきっとするような、こころをちくちくとさされるようなないようのうたをうたっていたせいもあって、それでファンがいっぱいいたのだとおもいますが、だからといって、そういうところが、ぼくがファンになるりゆうになるかといったら、そうではなかったようにおもえるのです。ふしぎです。なぞです。なぜぼくはファンになってしまったのでしょうか。こんどどうそうかいがあったら、ともだちにきいてみようとおもいます。それから、おおももみよこというおんなのひとがでていました。どこかでみたことあるひとだなあとおもったら、ズームインのしかいをやっているひとでした。このひとも、さいとうゆきにまけずおとらずのへんじんみたいです。テレビって、おもしろいなあとおもいました。
 
 じゅうさんじさんじゅっぷんごろに、じむしょにいきました。それから、かんぱついれずにきちじょうじにいきました。ユザワヤで、 かみさんがえはがきのせいさくにつかうかみと、ぼくの「ふでdeまんねん」をかいました。ふでdeまんねんとは、セーラーまんねんひつではんばいしている、さきっちょがひこうきのコンコルドみたいにおれた、ふしぎなぺんさきをしているまんねんひつです。たててかくとほそく、ねかせてかくとふとくかけ、かつとめはねはらえがはっきりかけるという、にほんごをうつくしくかくためにうまれてきたようなまんねんひつなのです。かみさんはさいきん、「ネコネタ。」を、これでかいているようです。ぼくも、このまんねんひつはふうとうやはがきのあてながき、ふぁっくすのおくりじょう、それからしごとでラフをかくときなどにあいようしています。いっぽんもっていたのですが、あそびはんぶんにかみやすりでペンさきをといでみたら、かけなくなってしまったので、かいかえることにしたのです。このまんねんひつは1,000えんでかえるところもすごいとおもいます。ちなみに、ぼくがじょうようしているセーラーのプロフィットはていか15,000えんです。たかすぎます。もんぶらんは50,000えんくらいするそうです。ぼくがいまほしいなあ、とおもっている、セーラーの「なぎなたとぎ」というとぎかたをしたペンさきのまんねんひつは、さいていでも50,000えんいじょうします。じんじょうじゃありません。ただ、なかやまんねんひつという、プラチナにいたしょくにんがつくったかいしゃでだしているてづくりまんねんひつは、いちばんやすいものでも35,000えんもしますが、しょくんさんがおきゃくさんのかきくせにあわせて、いっぽんいっぽんをちょうせいしてからわたしてくれるので、35,000えんいじょうのかちはあるとおもいます。たかいしょうひんは、こうあるべきです。ブランドなんて、くそくらえです。ぼくもブランドものをかうことはありますが、そのときははブランドをかっているのではなく、デザインのうつくしさやきのうなどをかっているのです。ブランドをおしつけるやつやブランドをすうはいしているやつには、うんこをおもいっきりのどのおくやはなのあなにつめこんでやりたいです。
 
 ユザワヤのつぎは、ゆうきやさいをうっているナチュラルハウスというやおやさんにいきました。ばんごはんのために、ゴーヤ、とうふなどをかいました。このおみせには、なぜか「はどう」をはっせいするふしぎなシールや、でんじはをカットするおきものなど、やさいいがいのものもおいてあります。ニューエイジけいとよばれているジャンルのCDや、ふしぎなないようのじこけいはつてきなほんもうっています。ひやかしはんぶんででんじはをけしてくれるカードをかったことがありますが、CDやほんはかったことがありません。このおみせはやおやさんなので、たべものいがいのものはかわないときめています。
 それから、ドイツパンのせんもんてんのリンツというおみせで、あさごはんようのパンをいっぱいかいました。ぼくはだいがくせいのころはドイツごをだいいちがいこくごとしてべんきょうしていて、ドイツへびんぼうりょこうにでかけたこともあるので、ドイツパンにはちょっとしたおもいいれがあります。あしたのあさごはんがたのしみです。
 
 じむしょにもどってからは、かみさんはえはがきのプリントというたいへんなしごとがあるみたいでしたが、ぼくはひまだったので、ホームページのこうしんをしました。それでもじかんがあまったので、ぶんしょうしゅぎょうをしました。コピーライターとしてのテクニックをみがくためのおべんきょうですが、はんぶんはしゅみです。きょうは、だざいおさむの「じょせいと」、フランツ・カフカの「へんしん」のかきだしなどをげんこうようしにかきうつし、それらがどんなもくてきで、どういういとをもってかかれたのかをさぐってみました。なんとなく、わかりましたが、やっぱりふかいところはわかりません。ぼくはさくしゃではありませんから。でも、しょしゃ(かきうつし)はとてもべんきょうになります。ぶんしょうをじょうたつさせるには、もってこいのほうほうだとおもいます。
 
 じゅうくじさんじゅっぷんごろ、おうちにかえりました。テレビをみながら、かごしまのいもじょうちゅうをのんで、ねこにはなしかけたりうたをうたったりうたにあわせてねこにダンスをさせたりしてふざけていました。ごはんのときは、サッピロビールからしんはつばいされた「ブロイ ほんすぐり」をのみました。「なましぼり」みたいななまえですが、ブロイのブランドめいをひきついでいるだけあって、ちゃんとむのうやくホップをつかっているし、あじもなかなかです。ちょっとかるいですが、おうちでたのしむぶんにはてごろだし、いいとおもいます。たかいおさけをのむことが、いいこととはかぎらないのです。たしかにたかいおさけはおいしいのですが、まいにちのむものではないとおもいます。
 ごはんをたべてからは、またしょうちゅうにもどりました。ぼくは、しょうちゅうにうーろんちゃをまぜたり、りょくちゃでわったり、うめぼしをいれたりするのがだいきらいです。そんなのはなんじゃくです。たんさんをいれるなんて、もってのほかです。そんなことしてのむなら、のまないほうがましです。いざかやさんなどで、そうやってのんでいるひとをみると、のどのおくやはなのあなにうんこをつめてから、にさんぱつなぐってやりたくなります(もちろん、てにうんこがつかないように、です。とはいえ、そんなことしたことはありませんからね)。それくらい、まぜものがきらいなのです。だから、しょうちゅうはいつもロックかストレートでのみます。きょうも、ストレートでクイクイとのみつづけました。きがついたら、びんの4ぶんの1くらいのんでいました。どすう、たかいのに。「いっぱいのんじゃったよ」といったら、かみさんにおこられました。それにしても、おさけはいいですね。ぼくがだいすきなしじん、かねこみつはるは、おさけをあまりのまなかったそうです。もったいないとおもいますが、これはたいしつてきなもんだいがおおきかったそうです。いっぽう、やっぱりだいすきなしじんのたむらりゅういちは、おさけがだいすきだったそうで、そうかんがえると、おさけはぶんがくをこころざすひとにとって、いいものなのか、わるいものなのか、よくわかりません。でも、ぼくがおさけをやめることは、しょうがいをつうじて、いちどもないとおもいます。
 
 しょうちゅうをのみながら、「よるもヒッパレ」のさいしゅうかいをみました。このばんぐみのすごいところは、りゅうこうしているうたを、ほかのひとがうたっちゃうところです。じゅくれんのべてらんかしゅもちらほらとでているので、かれらがりゅうこうかをうたうと、まるでちがうせかいがうまれてしまい、オリジナルのうたをうたっているひとのめんつがまるつぶれ、ということもすくなくなく、それがうけてちょうじゅばんぐみになりかけていたんだとおもいますが、さいきんはやはりないようがまんねりかしてしまったせいか、しりょうりつがおちていたようで、とうとうばんぐみがうちきりになってしまいました。ざんねんです。ぼくたちがうたをみみにするとき、たいていは「いいうただなあ」か、「ひどいうただなあ」の、どちらかをかんじます。このはんだんのきじゅんは、さくしやさっきょくがすばらしいということよりも、うたいてにじつりょくがあるか、それともないか、そのてんによるぶぶんがおおきいようです。このろんりをさかてにとって、いいうたをいいうたいてにうたわせることで、いいばんぐみをつくろうとしたばんぐみせいさくしゃのはっそうはすばらしいとおもいます。さっきもかきましたが、ほんとうにざんねんです。ごじゅうだいににんきがあったとききましたが、らいしゅうから、どようのよるをごじゅうだいのおじさんおばさんたちはどのようにすごせばいいのでしょうか。しんぱいです。いや、それよりもしんぱいなのは、てん・むすのまつだじゅんちゃんです。てん・むすではリーダーてきそんざいだったのですが、きょうはなぜかけっせきでした。おもえば、じゅんちゃんはてん・むすでかつやくしてから、バラエティでもひっぱりだことなり、これからがたのしみだなあとおもっていたところで、チョロ(ほんみょうわすれちゃった)とのふりんほうどうや、じむしょかいこもんだい(ほんとうはけいやくきかんがしゅうりょうしただけみたいだけど。でもじむしょのしゃちょうとふなかだったみたい)などのせいでテレビでのろしゅつがいっきにへってしまいました。いわきこういちのじむしょにうつったのはいいですが、しごとはちほうテレビきょくのバラエティと、ちょっとみじめなVシネマがほとんど。おんなのばくちうちやホステスばかりをえんじているのでは、にほんてれびも「もと・てん・むす」というかこをかんたんにみとめるわけにはいかなかったのでしょう。ヒッパレ8ねんかんのれきしがとじるとき、おちぶれたもとアイドルはそのばにいあわせることはできませんでした。きっと、どこかでさみしくブラウンかんをみつめていたのだとおもいます。かなしいですね。でも、じんせいなんて、こんなもんだとおもいます。うまくいきすぎているやつらも、きっとこころのどこかになやみやふあんがあるはずです。みんな、プラスマイナスゼロなんだとおもいます。そうおもわなきゃ、やってられません。ぜんぶうまくいっている、なやみもふあんもありゃしない、なんてごうごするやつがいたら、のどのおくやはなのあなに、うんこをみっちりとつめこんでやります。
 
 きょうから、たかはしげんいちろうの「きみがよはちよにやちよに」をよみはじめることにしました。たんぺんしゅうです。さいしょにあった「Mama told me」をよみました。これは、AVじょゆうをしているママのビデオをみるようちえんせいのこどもと、よのなかぜんたいがヴェールをかぶっているようにみえてしまっているもときょうさんしゅぎしゃ(がくせいうんどうか、かな?)についてのおはなしです。ひょっとすると、げんいちろうさんのさいこうけっさくかもしれない、とおもいました。でも、ママのAVのカラミシーンのびょうしゃには、ちょっとへきえきです。
 ねるまえには、そうせきの「さんしろう」をよみました。しょうせつとしてのかんせいどは「こころ」のほうがたかいようなきがします。まだよみはじめたばかりなので、よくわかりませんが。
  


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9月20日(金)
「冥利に尽きる/金髪熟女の焼酎論/テロをエロで語る」

 
 八時三十分起床。ちょっと疲れが溜まっているようだが、まあなんとかなるだろう。坐骨神経痛は小康状態。毎晩の珍妙な腰痛体操が効いているらしい。
 
 仕事は夕べでかなり落ち着いたので、午前中はデスクの片づけと見積などの事務処理。午後より外出。代官山J社、大崎N社。大崎、アドトレインのコピー案がかなり気に入ってもらえたようで、コピーライター冥利に尽きる、と思う。
 
 二十時、帰社。残務整理をしてから退社。夕食は西荻食堂Yanagiにて。ぼくはロールキャベツ定食(というよりロールキャベツおでんなのだが)、カミサンはさんまのお刺し身定食。隣に座った金髪ベリーショートの女性、五十代くらいだろうか、かなり気合いの入った酒飲みらしく、毎日この店の片隅でひとりで晩酌しているYanagiの女将のダンナさん、通称パパさんの横に陣取り、なにやらくわしいことはわからないが、焼酎論を熱っぽく語りはじめた。パパさんは興味津々でその語りに耳を傾けていた。反対側の隣では、西荻在住者のOBらしき連中が大騒ぎで杯を交わしている。なんだか小料理屋みたい、と思う。いや、実際ここは定食屋というよりも小料理屋といったほうがしっくりするような雰囲気の店なのだが。
 
「群像」十月号を移動中に読む。高橋源一郎「メイキングオブ同時多発エロ」。連載第一回は「樋口一葉、ウサマ・ビン・ラディンに会ひにゆく」。アダルトビデオ初監督に挑戦する二十二歳のタカハシくんが、ビン・ラディンをテーマにした作品を撮る話、らしい。テロから一年。ようやくあの事件を客観的に捉え、文学の材料として扱えることができるような状況が整ってきた、ということかな。加藤典洋「テクストから遠く離れて」。ポスト構造主義的文芸批評を批判したいみたい。大江健三郎の「取り替え子(チェンジリング)」が分析されていた。
「リヴァイアサン」。第一章を読み終える。なるほど、主人公のサックスがどんな人物なのかを、あの手この手で伝えたかったんだな。
 
 
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9月19日(木)
「今日の事件簿/人間の悲劇」

 
●麦次郎、まだつぶされたことを根にもっていた事件
●麦次郎、口が臭くて牙が伸びてきたので病院に行ってきました事件
●カミサンMac大クラッシュ事件
●プリンタ大クラッシュ事件
●やっぱり今日も午前様事件
 
 金子光晴「人間の悲劇」読了。戦後間もないときに書かれたという一連の詩につうじるのは、時代に対する光晴の、強固なまでの反抗心だ。それが、海やおんなや洟汁やうんこや瓦礫やぱんぱんや虫けらや皮膚といった光晴独特のことばによって昇華し、連帯感のある詩的世界を構築している。この世界に、たとえようのない孤独感とやるせなさを感じるのはぼくだけだろうか。怒りは連なれば連なるほど。せつなくなる。しかし、光晴はそのせつなさのはけ口もしっかり、作品世界の中に用意しておいてくれたようだ。これ、ぼくの愛読書になりそうだなあ。


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9月18日(水)
「拉致に思う/麦つぶし」

 
 八時起床。朝のテレビ番組、どこの局も日朝首脳会談の話題で持ち切りだ。昨日も書いたが、異国で亡くなった方がいたこと、その真実がおよそ十年も日本に、いや遺族に伝えられなかったことは残念だと思う。しかし、それ以上に気になったのが、今後の日朝の関係だ。この報道を目にした日本人のほとんどが、北朝鮮に対する不信感をさらに募らせたにちがいない。ようするに、人さらいをして、死んでもそのまま連絡もせずほったらかしにしていたような国と、国交正常化なんて必要ないのではないかという考えが浸透してしまうのではないかということだ。にくしみはにくしみしか生み出さない。そのにくしみの矛先が、在日韓国人のみなさんのほうに向いたりしないといいのだが。
 
 日中はひたすらN社アドトレインのコピー。 二十一時、退社。
 
 夜。毎晩、入浴後にストレッチというかヨガというか、珍妙な腰痛体操もどきをやるのが日課だ。このなかに「肩倒立」というカタチがある。仰向けに寝た状態から、腹筋を使って足を天に向けて高くぴんと立て、肩と首で躰を支える。この状態を二十秒くらいキープするのだが、なぜかこれをはじめると猫がわらわらとかたわらに寄ってくる。どうも一連の動作の珍妙さが気になって仕方ないらしい。いつもなら、そばに来た時点で、ほれ危ないからどっか行けとおっぱらうのだが、今日はそうは行かなかった。麦次郎め、肩倒立中にちょうど背中の裏側にやってきて、そこでちんまりと座り込んでしまったらしいのだ。当然、倒立中のぼくの視界からは隠れてしまっている。ぼくは気づかず、二十秒数えてからゴロンと、いきおいよく足を床の方に戻した。ら、ありゃま猫がいる。背中にぐにゃりと麦次郎の脂の乗った腹の感覚が伝わった。ギャ。ありゃま麦、おまえいたの? 体操中はそばに来るなといったろう? そんなのしるか。つぶされたー、つぶされたよー。麦次郎はそのままベッドのしたに潜り込んでしまった。いつまで隠れている気だろう。
 
「リヴァイアサン」。作中作品の紹介。そのあらすじが奇想天外で、ひさびさに「やられた」という感じ。レムの「完全な真空」や、源一郎氏の「惑星P-13の秘密」を思いだしてしまった。
 
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9月17日(火)
「蒲団でうだうだ/越路吹雪とわたし/拉致事件/俗の美」

 
 八時起床。いや、目覚めたものの、躰がなかなかいうことを聞いてくれず、十分ほど蒲団のうえでうだうだしてしまう。ちょっと疲れているかな。
 
 九時、佐藤整形外科にて腰の治療。ベッドのうえで暖められた腰をじんわりと、ゆっくりと牽引される。うとうとしはじめたら、隣の牽引ベッドで、おばあちゃんが延々と昨日観てきたらしい(? よくわからん。この方、まだご存命なのだろうか。失礼ながら、それすら知らない)越路吹雪のステージのことを話しつづけている。うれしかったのだろうが、ちょっと辟易。話はその後「越路吹雪とわたし」にまで広がってしまった。さらに辟易。
 
 十時、事務所へ。銀行まわり、事務処理など。日中はとくに予定がなかったので、事務所で埃をかぶっていた不用品をヤフーオークションに出品。十三時、カミサンと「それいゆ」で昼食。午後からは「なまけ猫王国」ホームページ用CGIの修正。それでも時間が空いたので、「高校生のための文章読本」。ラディゲ「ドニーズ」の引用、田村隆一「ぼくの静的体験」より「プロローグ めざめ」、宇野千代「一番良い着物を着て」、谷川俊太郎「アイザック・ニュートン」。十五時三十分、外出。新宿で時間をつぶしてから十七時三十分、大崎にあるN社へ。アドトレインの打ち合わせ。その後、デザイナーN氏とデザインの打ち合わせ、写真選定など。二十一時、ようやく終了。疲れた。
 
 二十二時、帰社。O社某サービスのウェブサイト更新分の赤字修正対応など。二十三時、終了。「ひごもんず」で夕食。
 
 日朝首脳会談。拉致疑惑の件、情報が公開されたようだ。詳しいことは明日の朝刊に載るだろうが、どうやら半分以上はすでにこの世を去っているらしい。この事実を、世間は、そして小泉首相はどうとらえるか。冷静に観察してみたい。
 
「人間の悲劇」。ぱんぱんの詩、キリストの詩。飾り気のない俗なことばからも、美を生み出すことは可能なんだなあと痛感する。いや、美とは呼べないかな。いやしかし、ぼくはやはりこの作品から「美」を感じてしまう。なぜだろう。


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9月16日(月)
「二時間おきに/イッセイ・ミヤケと美輪明宏/シェーファーとモンブラン/木村拓哉と同級生」
 
 六時、目が覚める。うわ、二時間しか寝てない。花子がうるさいのでごはんをあげる。麦次郎も起きてきた。めずらしい。二度寝。八時、隣のダンナさんとちーちゃんの声でふたたび目が覚める。ちーちゃんは麦次郎が大好きだ。うちの部屋の前を通りかかると、必ず少しだけ開けた窓から麦次郎を呼ぶ。麦次郎もまんざらではないらしく、いやむしろちーちゃんには好意をもっているらしく、いつも愛想を振りまいてるようなのだ。今朝もちーちゃんは、窓のそとから「むーむー、むーむー」と麦次郎を呼ぶ。その声で目が覚めたわけだ。これはほほ笑ましいことだと思うのだが、問題はそのあと。麦次郎め、どういうわけかちーちゃん親子が通りすぎたあとになってから、ニャンニャンと大騒ぎをはじめたのだ。「あ、おいら、いるよー。あそぼうよー。裕さん、玄関あけてよー」といっているらしい。うるさい。これが三十分以上続く。うるさすぎる。眠れん。でも寝る。三度寝。十時、今度は花子が執拗な「起きてよ攻撃」をはじめた。もう勘弁してくれ。
 
 十三時、外出。恵比寿にあるイベントホールへ。プランタン銀座主催のバーゲンセールが目的だ。カミサン、カルバン・クラインの傘と、元ワイズのスタッフが立ち上げたTOKYO TAILORというブランドのカットソーを購入。ぼくも三千円のイタリア製らしいカットソーを購入。産地なんてどうでもいいのだが、店員が異常なくらいなんども強調していたので、いちおう書いておこう。つづいて伊勢丹へ。こちらも目当てはバーゲン。イッセイ・ミヤケのセットアップが五万円。デザインが気に入ったので衝動買いしてしまう。いや、もちろん着るけど。冬に着る服があまりないなーと思っていたのでちょうどよかった、ということにしておこう。黒のポリエステル製で、ミヤケというよりも大好きなワイズに近いシルエット。襟のまわりとパンツのサイドの部分がホットプレス(っていうのかな?)されていて、そこだけちょっとだけ光っているのがアクセントになっている。店員は「タキシード」といっていた。そうだ、ちょうどタキシードのヘチマ襟がシルクでできていて光っているのと同じような見えかただ。まあ、素材はまったく異なるけれど。
 帰りがけに、本館四階で美輪明宏大先生を見かける。プライベートでお買い物? グレーのプリーツ素材を着ていた。ミヤケだな。ミヤケを買った日に、ミヤケの回し者を自称するカリスマを見かけるなんて。おもしろいなあと思った。ふしぎなのは、あまり気づいている人がいなかったこと。真黄色な髪の男だか女だかわからない人がいるというのに、なぜ気づかないんだろう。気づいても、気づかないふりをしているのかな。美輪先生、ごくごく普通のおばさん的な感じで店内を歩き回っていた。
 
 十七時、事務所へ。いったん荷物を置き、猫のポストカードのプリントアウトをしはじめる。そのままプリンタを稼働させた状態で、カミサンと吉祥寺へ。ユザワヤにてポストカード用紙。それから、シェーファーのブルーブラックのインクを一瓶だけ。愛用のセーラー、どうも店頭で試し書きしたときよりもペン先のすべりがよくない。いや、買いたてのころは書き味抜群だったのに、あるときからなんだか調子がわるくなってきたのだ。最近はスラスラといい書き味になってきたのだが、それでもまだ不満が残る。最初の感動を味わうことができない。なぜかと思い、仕事のあいまに気晴らしを兼ねて情報収集してみたら、どうやら使っているインクが悪かったらしい。モンブランのブルーブラックを入れていたのだが、このインク、一瓶千百円と高価なくせにインクフローが悪いため、ペン先が滑らないのだ。インクフローのよしあしは、ペン先が細くなればなるほど覿面に現れる。ぼくのセーラーは中細だから、左右されやすかったのだろう。すこし淡めの、限りなく黒に近い青という独特の色は気に入っていただけに残念だ。買いたてのころの滑らかさは、モンブランではなく、セーラーの純正カートリッジインクを使っていたかららしい。さらに情報を集めたところ、どうやらブルーブラックは海外ものではラミー、シェーファー、ペリカンが、国産ではパイロットがよい、とのこと。そこで、物は試しとシェーファーを買ってみたわけだ。一瓶五百円。モンブランの半額である。モンブランはいい職人のいる老舗ではなく、ただのブランドになっちゃっているからなあ。溜息。
 
 帰社後、さっそくインクを入れ替えてみる。結果はわかりやすかった。スラスラと書けるじゃありませんか。紙へのインクの乗りがモンブランとはまったく違うのだ。かすれず、たっぷりとインクが紙に乗っていくのがよくわかる。それだけ、ペン先でのインクの流れがイイということだ。色はモンブランよりすこし明るめで青に近いのだが、乾くと彩度はなくなり、ちょっとレトロな雰囲気の青黒になる。モンブランほどではないが、この色も気に入った。これからはシェーファーを愛用することを決意する。使いかけたモンブランは、太字の別の安物万年筆で使うことにした。太字なら、インクフローの悪さはあまり気になるまい。
 
 夕方から夜にかけて、進行中物件の緊急連絡が入る可能性があったのだが、とくに万事問題なく円滑に進んでいるらしく、連絡はとくに入らなかったので十九時に閉店することに。
 
 夜、木村拓哉がさまざまな職業についている同学年の人々とサシで話すという、奇妙な趣向の番組を見る。同世代でも共有できるものとできないものがあるらしい。これ、つきつめてみるとおもしろいのかもしれない。
 
 
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9月15日(日)
「苦手な祝日/忙しい一日/脳をほぐす」

 
 敬老の日。とはいえ、祖父母は母方のばーちゃんしか生きておらず、そもそもぼくが生まれたときにすでにそんな状態、同居したこともなかったものだから、ぼくにはおじいちゃん、おばあちゃんという感覚はほとんどない。
老人をいたわるということが、頭ではわかっているが、こころではわかっていないような気がする。だからぼくは、この祝日がちょっぴり苦手だ。
 
 八時三十分起床。九時三十分、事務所へ。O社の企画を黙々と。締め切りは明日なのだが、結局日付が変わっても終わらず。午前一時、ようやく目処が立ってきた。午前二時半、終了。コンビニに寄り、バターピーナツ、チーズと「週刊スピリッツ」を買ってから帰宅する。
 
 風呂で「スピリッツ」。連載陣の質が低下したような気がしたので、最近はずっと古本屋で百円で購入していた。百円以上の価値はない、ということだ。しかし、今日は古本屋に行く余裕もなく、おまけに午前様でちょっと気が大きくなっていたのかもしれない。定価買いをしてしまった。内容は、あえてここで書くようなものではないと思う。
 
 入浴後、花子にチーズをあげながらビールで晩酌。二時、三時まで仕事をしたときは、気が昂ぶってしまってすぐに寝られないのだ。そんなときは、アルコールで脳をほぐすにかぎる。四時就寝。 
 
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9月14日(土)
「われながらあきれるほどにつまらない一日」

 
 八時三十分起床。九時三十分、佐藤整形外科で腰の牽引。十時、事務所へ。あとはずっとずっとずーっと仕事。二十二時十五分、精神的にまいってきたので帰宅。明日も働かなきゃ。
 
 ほかに書くことがない。こういう日も、まあ、あるもんだな。
 
「人間の悲劇」。No.5、タイトルはないがテーマは戦争。No.6は「ぱんぱんの歌」。やっぱり光晴はスケベジジイだ。
 
 
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9月13日(金)
「猫寝坊/感心しないイタリア料理店/パラボリカに夢中/草庵にて」

 
 猫たちめ、今朝は寝坊したようだ。七時に花子に起こされる。いや、七時までぼくが気がつかなかっただけかもしれない。ごはんをあげてから二度寝を決めこもうとするが、なぜか頭が冴えてきてしまって眠れず。
 
 九時、事務所へ。十時三十分、代官山のJ社にて打ち合わせ。つづいて渋谷へ。マークシティのなかにはじめて入ってみたが、おもしろみに欠ける。すぐに出てきてしまった。近所にあったイタリアンレストランに入り、昼食。生ハムとブロッコリーのペペロンチーニを頼む。なぜか生ハムは火が通っていて、豚コマみたいにチリチリに縮こまってしまっていた。ペペロンチーニというよりも、なんだか塩ラーメンみたいな味だ。化学調味料? 食後はアイスティーにしたのだが、氷ガ多スギタノト、パスタを食べはじめたのと同時にもってこられ、それが氷がそんなに必要ないだろうというくらいにたっぷりとはいっていたので、食べおわって、さてお茶でもと思ったときには氷はかなり溶けてしまったようで、全然紅茶の風味がしなかった。二度と来るまい、とこころに誓い店を出る。喰い損。
  
 十三時、デザイナーのL氏と東急プラザにある喫茶店で打ち合わせ、とおもったら、その喫茶店がつぶれていた。モロゾフが経営するドトールみたいなお手軽カフェに変身している。非常に残念だ。昔ながらの喫茶店のほうが落ちつくのになあ。ドトールやスターバックスで珈琲を飲むのは、道端にしゃがみ込んで呑むのと騒々しさの面で大差ないと思うのだが。
  
 十四時、新宿へ。紀伊国屋書店に立ち寄るが、なにも買わず。アドホックへ。セーラーの限定品「アントニオ・ガウディ生誕百周年記念万年筆 プルマ・パラボリカ」のカタログが置いてあったので、店員に、この万年筆の評判はどうだ、予約は入ったかと訊いてみると、店員はちょっと興奮して、たった今、ほんとうについさっき、実物が入荷してきたんですよ、見てみますか? といいながらどこかに消え、なにやら大きな白い箱をもってまたぼくの目の前にやってきた。箱を開ける。おお、これがプルマ・パラボリカか。かっちょええ。でも、なんかセーラーっぽくないなあ。なにっぽいんだろう。決してガウディっぽくはないな。いや、それ以前にコイツ、でけえ。でかすぎる。なんだよ、このキャップ。フランス料理のシェフがかぶる帽子を金属にしたような感じだ。ちょっと手にとらせてもらう。キャップをはずす。たしか、この万年筆はキャップを取った状態で書きやすくなるようなバランスに設計されているんだよな。手にとってみる。ズシリと重みを感じる。おお、ここちよい。金属が手に吸いつくような感覚だ。そして、ペン先の美しさよ。セーラーの一般的なペン先よりもちょいと短めの感じだが、しかりとした存在感が、奇抜なボディのデザインに負けていない。長刀研ぎだ。書きやすいんだろうなあ。でもこの万年筆、ふだんには使えないよ。重すぎて。手が疲れそう。いや、ひょっとしたらあの重みが逆に…。
 これ以上いじっているとほしくなるので、丁重にお返しした。定価八万円。ぼくには手が出ない。いや、うっかりすると、あとさき考えずに買っちまう。そして後悔するんだ。
 
 十五時、帰社。O社企画を黙々と。プルマ・パラボリカに未練を感じつつも、愛用のセーラーとプラチナでガシガシと思いついたこと、考えたことを書きつづけた。明日と明後日で、これをパソコンで清書する。二十二時三十分、業務終了。
 
 夕食は最近開店したそば屋、というか小料理屋(女将はいないんだけどね)というか、そんな感じのお店「草庵 おおのや」へ。エビスビール、京がんも、ハモと舞茸の天ぷら、そしてカミサンはせいろ、ぼくは辛味大根をつかったおろしそば。いいですねえ。ハズレくじがひとつもない。これからもちょくちょく来てしまいそうだ。
 
 帰りがけにセブンイレブンに寄り、ヤフーショッピングで注文し、コンビニ届けにしておいた本を引きあげる。金子光晴「マレー蘭印紀行」。今年の後半は金子光晴集中読書期間になりそうだな。
 
「人間の悲劇」。この本を読むには、かなりのパワーが必要だ。流し読みしようなんて、浅はかな考えで読むと後悔する。
「リヴァイアサン」。どうだろう。まだおもしろさがわからない。今のところは、平凡なアメリカ作家の小説でしかない。
 今夜から、寝るまえにベッドのうえで漱石の「三四郎」を読みはじめようと思っている。漱石も今年後半のテーマかな。光晴とはまったく異なるタイプの作家だけど。あ、光晴は詩人か。作家じゃない。
 
 
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9月12日(木)
「多忙」

 
 七時四十分起床。いつもより三十分ほどはやく家を出る。
 
 八時三十分、事務所へ。朝から集中してO社企画に終始。Macのトラブルが相次ぎ、なかなかはかどらず。焦る。十四時過ぎ、めどがついたので昼食。つづいて同企画に盛り込む予定のDMの構想を練る。愛用の万年筆の調子がいいせいか、これはいい感じに発想できた。十九時よりN社アドトレインのコピーライティング。二十一時、夕食へ。新規開拓をしようと思ったが、なかなか見つからず。だいたい、この時間にやっているところなんて、飲み屋以外にあるわけがないのだ、西荻には。結局「てんや」で妥協。二十二時、帰社。「なまけ猫王国」カレンダーページCGIのテストをするが、動作せず。原因不明。去年は動いていたのに。明日から究明に当たる。二十三時三十分、帰宅。
 
 風呂にはいっていたら、どういうわけか猫たちが脱衣所に集いはじめた。なぜだろう。
 
 今日は読書らしい読書をまったくせず。後悔。
  
  
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9月11日(水)
「同時多発テロに想う」

 
 同時多発テロから今日で一年。テレビや新聞など、あちらこちらで特集が組まれている。いい傾向だと思う。このような悲劇は忘れ去られてはならないから。
 八月の広島や長崎をちょっと思い出した。戦争を知らないぼくらには、広島、長崎の悲劇はなかなか理解しにくい。だというのに、広島も長崎も、ここ数年は記念式典とかいう儀式が形骸化してしまったような気がしてならない。悲劇があったことは未来永劫語りつたえなければならないことだが、五十年以上が経過した現在では、悲劇はたんなる歴史的事実、統計データになってしまってはいないか。
 二十一世紀最初の年の九月十一日に、テロが発生し、何千人もが同時に死んだ。ぼくらはこの事実に、歴史的意味とか死傷者数とかばかりにとらわれてはいけない。いちばん大切なのは、人が一方的に死なされたということなのだ。犠牲になった人にとっては、同時多発テロによる死も、米軍の報復攻撃の誤爆による死も、おなじ死であることにちがいはない。ひとりの人間の人生が無理やり外部のちからによって終わらされたことに、なんらかわりはないのだ。そして、ぼくらはその「終わらされた人生」こそを、もっともかけがいのないものとして理解すべきである。
 
 十時より銀座のZ社にてN社アドトレインの打ち合わせ。終了後、伊東屋へ。無性に緑色の万年筆のインクがほしくなり、ペリカンの「ブリリアントグリーン」と名づけられたインクボトルを購入。帰社後さっそくつかってみる。その名のとおり、鮮やかな緑色がいさぎよくて気持ちいい。さらさらした感じで、モンブランのブルーブラックより書き心地は数段上のような気がする。これを手帖につかったら、書きこむのもページをめくるのも愉しくなるだろうな、と思ったが、残念、手帖の紙は薄すぎるのだろうか、裏うつりが激しすぎてちょっと使いにくい。またブルーブラックに戻さなきゃ。さて、このインク、どうしようか。千円くらいの万年筆用にしちゃおうかな。
 午後からはひたすらO社の販促企画。明日までに企画書のアウトラインをまとめなければ。二十一時すぎ、帰宅。
 
 金子光晴「人間の悲劇」を読みはじめる。詩集なのだが、詩を散文がすっぽりと覆いこむようなかたちで挿入されている。いや、詩的な散文のなかに、詩が挿入されているといったほうが正確かもしれない。散文は暗喩が多く難解きわまりない。が、文章の美しさは「どくろ杯」「ねむれ巴里」以上だと思う。やはり光晴の本質は詩にあると痛感する。
 オースター「リヴァイアサン」。殺された作家、サックスと主人公との出会い。まだ小説の本質は見えてこない。
 漱石「こころ」読了。信じることと、あざむくこと。この小説の本質はまさにこの一点にあると思う。社会が高度化すればするほど、人はなにを信じればいいのかがわからなくなる。不信感ばかりが募る病んだ現代を予見し、それをごくごく個人的なレベルで表現したのがこの小説なのかもしれない。
 漱石を読むたび、ぼくは彼が寂しいニンゲンだったのだなあとつくづく思う。彼の作品に、寂しくないものなんてあるのだろうか。あ、「余と万年筆」はさほど寂しくないかな。
 
 
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9月10日(火)
「減った/ヌード撮影のように/洗面器」

 
 四時起床。花子め、例によって大騒ぎだ。ご飯をあげればおさまるかと思いきや、つづいて七時ごろに猛烈な「起きてよ攻撃」。ベッドのうえでニャンニャンと鳴きさけび、ぼくの手やら足やら躰やらにスリスリし、かと思えば次は前歯でちっちゃく噛む。逃げるように寝がえりをうつと、今度は髪の毛をベロベロと舐める。舐める舐める舐める。もうやめてくれ。おねがいだ。と思っていたら八時になってしまった。また睡眠時間が減ってしまった。
 
 事務所に行くまえに、佐藤整形外科へ。ねんのための診断。かなり痛みがひいたことを話すと、先生大喜び。「いいねえ、いいねえ」と、ヌードを撮るカメラマンみたいにおなじ褒めことばを連発している。つづいて牽引。治療時間は二十分ほどだが、今朝の花子事件のせいか、うたた寝してしまった。
 
 十時、事務所へ。午前中はひたすらO社の企画。十三時三十分、N社打ち合わせのために大崎へ。
 
 帰社後もO社企画に終始。二十二時、区切りがいいところで終了に。
 
 夕食は「タイ風ラーメン ティーヌン」でガイパックラーカオとトムヤムスープ。カミサンはセンヤイナーム。今日は女性客が多かったかな。
 
 風呂に入ったら、突然麦次郎が「おいらもっ!」といわんばかりの勢いで風呂場に飛び込んできた。ワンステップで風呂蓋のうえに乗りあがり、浴槽に溜められたお湯をしげしげと見ている。ふふふ。いじわるしたい、という気持ちがふつふつと沸きおこるのを感じる。ぼくは中途半端に開けておいた風呂場のドアをガチャリと閉め、麦次郎を浴室に閉じこめた。風呂蓋から飛びおり、あせる麦次郎。ぼくは麦次郎のことはお構いなしにシャワーを浴びはじめる。すこしすると、ナンナンとなきさけびはじめた。開けろ、出せ、といっているらしい。出してやらないよーだ。シャワーのお湯が躰にかかるたびに、麦めは鳴く。うるさくなってきた。リアクションにも飽きたので、扉を開けてやる。すると、目にもとまらぬ速さで麦めは風呂から脱出し、カミサンのところへ一目散、そして「ぬらされたー、ぬらされたー」と訴えつづけていた。おもしろいなあ。
 
「西ひがし」読了。この「放浪三部作」ともいうべきエッセイは、「こがね蟲」という文学史に残るかもしれない傑作を若くして生み出してしまった詩人の、リセットの過程である。光晴は、異国の逆境で底辺すれすれの生活をすることで、自分の人間性も価値観も過去も詩人としてのことばも、もっているものすべてをぶち壊してしまった。そのなかで、ふたたび詩人としてのことばをとりもどし、そして生まれたのが、名作「洗面器」だという。「詩が、かえってきた」というところだけ引用。
 
「やはり、十三日間って、郵船の船でかえることにするから、その時はよろしく」と言って、僕は帰ってきた。しかし、ホテルの階下のソファに腰をかけて考えてみると、郵船の船に乗るとして十三日間もべんべんと日を送ってホテルに待ってみるとして、安ホテル代としても、また候、金銭がぎりぎりすぎて、子供をあずけてある子供の祖父の家に帰るとすると、土産一つ買えないで、神戸、大阪でまた滞在して金をつくり、宇治山田にいる子供の祖父たちの家にかえらなければならない。何年間か音信もなく疎なその家に手ぶらでかえるのも、あいてが常識人だけにゆきとちがわない姿でしょんぼりと帰りついた場合、どうおもうかが、先方の思惑がどんなものかわかりすぎているので、気がすすまなかった。それに、三菱第三ゴム園で手にした金を加えると、旅費きっちりで、事によるとまだすこし不足がでるので、もう一度他所へ出かけて稼がなければならないことになった。安西君は、病身がちで、勤める気力もなくなったので、僕が第三園にゆくとまもなく書記生を辞めて、日本の郷里へかえってしまい、大木さんは、現在の宿を引き払って、やむなく、謹慎中のようにひっそりとくらしていなければならない状態であった。長尾さんには、迷惑をかけすぎているので、金までも無心する心持ちにはなれなかった。他に立ち入ってこちらの話を聞かせても、誰もあい手になってくれるものはなさそうだし、雑誌『楽園』の縁故でわずかにつながっている斎藤氏にも便宜をはかってもらっているので、そのうえ、旅費の問題を話せるあいてでもなかった。
 そのとき、僕の心が、とうにあいそづかしをしたか、先方から僕にあいそをつかしたのか、どちらにせよ、全く無縁で、十年近く離れていた詩が、突然かえってきた。それほどまでに自分が他に取柄がないニンゲンだと意識したときは、そのときがはじめてで、その時ほど深刻であったことはない。
 
 ついでだから、「女たちへのエレジー」に収録されていた名作「洗面器」も引用。これ、好きなんです。


 洗面器
 
 洗面器のなかの
さびしい音よ。
 
くれてゆく岬(タンジョン)の
雨の碇泊(とまり)。
 
ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。
 
人の生のつづくかぎり。
耳よ。おぬしは聴くべし。
 
洗面器のなかの
音のさびしさを。


 
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9月9日(月)
「再発/整形外科診察記/オノトの魅力/ウダウダ光晴」

 
 午前五時。花子がいつものようにごはんをねだりに来た。ああ、そうか。腹減ったか、今日も。上半身を起こそうとしたら、尻から腿に激痛が走る。痛くて立てない。あちゃー。坐骨神経痛、再発しちゃったよ。しかも、前より痛い。やばいなあ、と思いつつ、超スローモーションで躰を起こし、ベッドから降りて、海中散歩するみたいなゆっくりした足取りで台所へ行き、花子にご飯を与える。もう一度寝ようとするが、これまた大仕事。なんとかベッドに潜り込むことができたが、痛いのと、再発に動揺してしまったのとで、なかなか寝つけず。
 
 八時起床。痛みは相変わらずだ。さいわいなことに、今日は夕方まで仕事がない。思いきって、病院へ行くことにする。
 十時、近所の佐藤整形外科へ。受付を済ませてから十分もたたないうちにぼくの番が来た。診察室に入る。うわー、さわやか中年って感じの先生だな。学生時代はテニスなんかやっちゃってそうだな。なんて勝手な想像を膨らませるが、それは口に出さず、とりあえずひととおりの症状を話す。尻が痛む。右尻ッス。尻ね。腿も痛いっス。右腿。腿はどこが痛いの? 尻から腿の前側のほうに、帯みたいに痛みがある。前、ねえ…。ふつう、こういう症状は後ろ側が痛むんだけどねえ。はい。そこに横になって。おっとっと。おわ、アイタタタタタ。横になるだけでも痛いんですけどって、ありゃ聞いちゃいねえや。はい、ここ痛い? ここは? こうするとどう? といったあんばいで問診やら触診を繰り返し、レントゲンを撮ることに。猿股いっちょで撮影したあと、ふたたび診察室に入ると、どうやら椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛らしいとのこと。通常、坐骨神経痛は尻と腿の裏側が痛むのだが、腰よりも背中よりの椎間板が損傷している場合は腿の前側が痛むらしい。レントゲンではどうやら確認できなかったらしく、気になるならナントカというアルファベット三文字の機械を使って精密検査を受けるのもいいんじゃないか、なんて他人事のように勧められた。いや、このセンセは他人なんですけどね、ぼくにとっては。じゃあ、治療しましょう。はい、というわけでお大事にねー。ありゃ、おわりかよ。で、治療ってなにするの? と思ったら、珍妙なかたちのベッドに寝かされ、珍妙なベルトを腰に巻かれ、珍妙な機械で腰をひっぱられた。牽引とかいうやつだろう。噂には聞いていたが、こういうことなのねと実感する。助手さん三人くらいが力任せにグイグイと引っ張るものかと思い込んでいたが、そうではなく、機械が定期的に最低限のちからで引っ張る仕組みだ。なるほどね。これなら痛くないや。と思っていたら十分が経過、本日の治療はひとまず終了した。毎日来い、といわれたので、はい、と返事をしておいた。ベッドからはすぐに起きることができた。ふーん、これが治療の成果ね。スゲエ。
 
 十一時、事務所へ。掃除、事務処理など。
 
 外出の予定がある夕方まで仕事がないというめずらしい状態に。こういうときは文章修業にかぎる。「高校生のための文章読本」を丹念に読む。井上ひさしの馬鹿論、クロレラの研究で有名な博士(名前忘れた)のウンコネタ、田辺聖子(コラ、田辺聖子くらい一括変換しろよMac!)の男女観、などなど。
 
 十六時、新宿へ。打ち合わせまでの時間つぶし。京王百貨店の書店をブラブラするが、なにも買わず。隣の丸善へ。高級筆記具コーナーにあった丸善オリジナル万年筆「ストリームライン オノトモデル」に目が釘付けになってしまった。「オノト」とは、明治・大正の文人たちに愛用された万年筆。現在は存在しないメーカーなのだが、丸善が復刻モデルをつくったのだ。オノトについては、漱石も「余と万年筆」というエッセイで絶賛している。まあ、これは丸善(というよりは魯庵)に依頼された書いた広告用の原稿らしいのだが。それにしても、いいなあオノト。モンブランのマイスターシュトュックのように、弾丸を細長く伸ばしたようなクラシックでスタンダードなかたちではなく、もっと直線的で現代的なデザインだ。マットブラックの軸に、すべり止めなのだろうか、格子模様が斜めに刻み込まれている。漱石がつかったのはこれと同じものなのかどうかは知らん。が、ぼくの想像力は明治へと飛ぶ。バッチリ決めたイギリス製の背広に身を包んだ漱石がオノトを握りしめ、声を出さずに悩みながら原稿用紙に向かっているさまと、猿股いっちょ、あとはすっぱだかの漱石がダラダラと汗をかきながら、半ばにやけたような表情で取り憑かれたようにオノトを走らせている姿が、なぜか同時に脳みそのなかに浮かび上がる。これ使えば漱石みたいな文章書けるのかな、なんて考えるが、ばかげた発想であることもよーくわかっていたので、試し書きの申し出はしなかった。でも、いつか買っちゃうんだろうなあ。いいなあ。定価三万円。万年筆としては、けっして高くない。
 十七時、代官山のJ社で新規物件の打ち合わせ。十九時三十分、帰社。打ち合わせ内容の整理や原稿のまとめだけをしてから帰宅する。二十一時。
 
「西ひがし」。シンガポールでぽん引きにひっかかったりしてウダウダしている光晴。奥さんを日本に帰すための旅費づくりのために単身シンガポールに来たはずなのに、お金はいっこうに貯まらない。どうするのかな、と思っていたら、なんと奥さん、自力でシンガポールにやって来た。切符はシンガポールではなく、神戸行き。森三千代という人は、快活で活発な人だ。こうでないと、光晴の嫁はつとまらんということか。物語はもうすぐ終章を迎える。どうなることか。
  
   
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9月8日(日)
「ぴょーん星人/いつものねーちゃん/『官能小説家』とは?/オースター」

  
 気がついたら花子が足下で寝ていた。物欲しげな視線でぼくを見つめる。時計を見たら、午前六時だった。ああそうか、いつもならもうご飯をあげている時間だな。もそもそと起き上がり、猫缶を与えてからもう一度眠る。スキーの夢を見た。内容はよく覚えていない。ふたたび目を覚ますと、花子がまたベッドまで来ていた。抱きかかえ、胸の上に載せてしばしウダウダ。で、十時起床。
 
 十一時三十分、「ハローモーニング」。「ぴょーん星人」と「バスが来るまで」の次回がひじょうに気になる。スターウォーズよりおもしろいぞ、これ。
 
 十三時、外出。吉祥寺へ。ユザワヤにて梶原の「なまけ猫カレンダー」用の木製ピンチ。パルコブックセンターにて、「群像」十月号、「早稲田文学」九月号、「文藝別冊 中上健次」、ポール・オースター「リヴァイアサン」、川上弘美「龍宮」、佐藤雅彦「ねっとのおやつ」、ますむら・ひろし「アタゴオルは猫の森」第四巻。なぜか、レジのおねーさんがここ数回おなじ人ばかり。背が高く細面で髪の長い、戸川の純様をひょろっとさせてまじめな感じにしたような顔立ちの美しい女性だ。名刺を見せ、この会社名で領収書を、とお願いすると、もう社名を暗記していたらしく、名刺など見ることもなくすらすらと「スタジオ・キャットキック」と記入していた。すこしだけいい気分になった。
 
 十六時、帰宅。おやつがわりにバナナをほおばってから、風呂場で鳥籠の掃除をする。籠を洗っているあいだ、鳥たちは風呂場を飛び回って遊んでいる。文字どおり、羽を伸ばしているというわけだ。うりゃうりゃはちびのころからよく籠から出して遊ばせていたので飛ぶのが大得意、狭い風呂場も縦横無尽、自由自在に飛び回っているが、きゅーのヤツは猫たちが家に来てから飼いはじめたので、籠の外に出すことがあまりできなかったせいか、飛ぶのが下手だ。タイルが貼られた壁に、ごっちんごっちんとぶつかっては床に落下するが、本人はそれでもご満悦のようだ。ときどきはこうして遊ばせてやりたいが、猫も鳥もとなると、なかなかそうはいかない。異なる種類の動物を飼うことの難しさを痛感する。
 
「官能小説家」読了。やはり、これは半井桃水という、小説家になりきれなかった男の悲しい物語だ。そして、小説を書くこととは、という問題にぶち当たった鴎外、漱石、そしてタカハシさんの物語でもある。ともすると「日本文学盛衰史」とひと括りで語られそうな作品だが、内容は共通なようで異質だと思う。
 今日からオースターの「リヴァイアサン」を読みはじめる。少し読んだだけだが、ニューヨーク三部作とつうじるような展開の不透明さが好奇心をそそる。そして、三部作とはまったく異なる文体と語り。期待できそうだ。



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9月6日(金)
「雨/光晴の意図?/『こころ』と麦次郎」

 
 四時三十分、花子に起こされ起床。いや違う、なにかぴちゃぴちゃとしずくがたれるような音がどこかから聞こえ、それで目は覚めていたのだ。はてなんだろかいな、エアコンの室外機から出る水の音かななどと、なかば寝ぼけた状態で考えていたら花子が起こしに来たのだ。躰を起こし、便所で小便してからご飯をあげる。あれこれしているうちに音にたいする興味は薄れてしまったので、そのままもう一度床に着く。
 
 八時起床。こんどはぴちゃぴちゃなんてレベルじゃない。ビチャビチャという音が、たしかにぼくの耳に届いてくる。窓を開けて、はじめて雨が降っていたことに気づく。雨足は強かった。
 
 九時、事務所へ。今日は比較的落ち着いているので、読まずに溜めこんでいた新聞の切り抜きなど、仕事や創作の下準備的な作業をすることに。これが意外とたいせつ。新聞記事からインスパイアされることはひじょうに多い。おろそかにはできない。
 十五時三十分、N社アドトレインの打ち合わせのため大崎へ。十七時三十分、終了。西荻窪に戻ったときには、空模様は最悪に。台風でも来ているのかと思うくらいに強い雨。傘をさしても、頭くらいしかかばうことができない。ズボンも靴もびちゃびちゃだ。
 
 二十一時、退社。焼き肉屋「力車」で夕食を済ませてから帰宅する。
 
「西ひがし」。シンガポールで詩人の旧友と偶然の再会。「どくろ杯」「ねむれ巴里」は、光晴の体験をもとにしたエッセイであるにも関わらず、小説を読んでいるような不思議な感覚があった。それが「西ひがし」では希薄になっている。なぜだろう。文体も、こころなしか前二作よりも軽い。日本へ帰るということ、ヨーロッパからアジアに移ったことから生まれた一種の安堵感が文体を軽くさせているのかもしれない。が、光晴をとりまく状況は相変わらず厳しく、決して明るいものではない。前作では極限的な状況が飄々としたスタンスで語られていたが、今回は極限的な状況であるかどうかも、文脈からは読み取りにくい。いや、直感的に伝わってこないといったほうが正確か。おそらくは光晴の意図があるのだろうが、そこまでは読み取れない。うーむ。

 ここ一ヶ月くらい、毎晩寝る前に漱石の「こころ」を読んでいる。新聞連載だった作品だが、これを一日二章から三章程度、ちまちまと読み進めているわけだ。ひとつのテーマを、前半の語り手と後半の語り手を変えて語るという試みがうまくいっている奇跡的作品。漱石はホントにおもしろいと思う。
 ぼくがベッドに寝そべって腰を捻転させたり腕をぐるぐると回したりして躰をほぐしつつ「こころ」を読んでいると、かならず麦次郎がやってくる。ヤツは軽快とはお世辞にも言えないようなジャンプでにベッドに飛び乗ると、ノソノソとあるいてカミサン愛用の「
メディカル枕(『通販生活』で購入)」の上に腰を下ろし、プフーと溜息をつきつつ、壁に顔をペタリとくっつけるようなかたちでそこに横たわる。ぼくは「こころ」を読みながら、麦次郎の腹の肉のたるみやだらしない曲線を描いた太ももやシャム猫らしくないまるっちいほっぺたなどをウリウリといじくって遊ぶのが毎晩の日課になっている。ヤツもそれが愉しいらしい。が、いじりすぎると飽きるのかイヤになるのか、どこかに行ってしまうことがある。「行っちゃうのか」と呼びとめてみるが、もちろんそれを聞いて戻ってくるようなヤツではない。まあ、こんなつれないそぶりもまた、毎晩の愉しみであるといえなくもない。
 
   
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9月5日(木)
「慌てて吉祥寺/アンバランス/職人のように/うだうだする光晴」

 
 八時三十分起床。ああ、「ズームイン」見そこねた。
 
 九時三十分、出社。メールチェックをしたところ、昨日の夜中に仕上げたO社ウェブサイトのデザイン案、プレゼンテーションするにあたって、ボード貼りをしなければならないのだが、ウチでやってもらえないか、という主旨の連絡が入っていた。ウワ。そんなつもりはなかったので準備してないよー、とつぶやきながら慌てて吉祥寺へ行き、ユザワヤでイラストボード十五枚と透明フィルム二十枚を購入する。代理店の最終赤字が午後に入るかもしれないという連絡を聞いていたので、とりあえず待機。といっても、時間がもったいない。いや、ホントは今日は暇な一日となる予定だったので、午後は整体に行こうと思っていたのだ。予約も取っておいた。まあ、いまさら大きな赤字が入ることもあるまい、なんせ夕べ仕上げたデザインはかなり完成度が高いもんね、ということで、予約はキャンセルしないことにし、十四時、女子大通りにある「インナーバランス」へ。ここに来るのは約二年ぶり。忙しいのと時間があわないのとで、なかなか来られなかったのだ。診察、治療してもらったところ、やはり交感神経と副交感神経のバランスがメチャクチャになっていたらしい。坐骨神経痛の原因もこれだったようで、治療してもらったら痛みがすっかり消えてしまった。人体って不思議だなあと痛感する。痛みが消えて痛感するなんて、変な話だなあ。
 
 帰社後、赤字はないという連絡があったので、以後は黙々とカンプの出力とパネル貼りの作業に終始。職人になったような気分だ。二十一時、ようやく貼り込み作業終了。代官山のJ社へ納品に行く。二十三時、帰宅。「タイ風ラーメン ティーヌン」でセンヤイトムヤムとシンハービールでリフレッシュしてから帰宅。
 
「西ひがし」。シンガポールでうだうだする光晴。名作「鮫」の創案はこのころでき上がったらしいのを考えると、このうだうだも無駄ではない。このとき、光晴三十七歳。
 
  
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9月4日(水)
「アイデアマシンガン/とんかつと余(漱石風に)/大宰じゃんか」

 
 八時起床。九時、事務所へ。掃除、植物の世話を一気に済ませ、十時、外出。十一時より銀座の広告代理店Z社にてN社アドトレインの打ち合わせ。アイデアマシンガンと化す。十三時、ようやく解放される。いや、拉致されていたわけではないのだが。

 帰りの中央線で、なぜかとんかつの霊に取り憑かれてしまう。頭の中がカツとキャベツの千切りで飽和状態だ。というわけで、昼食は西荻窪のとんかつ屋「黒」でロースカツ定食。ここは以前一度だけ入ったことがあるのだが、あまり愉しめなかったという記憶がある。がしかし、オレは今、猛烈にとんかつを喰いたいのだ。半ば強迫観念のようなとんかつ欲の虜となったぼくは、曖昧な記憶に残る不満足さと、その店を選んでしまったことに対する悔恨を左脳ではわかりつつ、右脳と前頭葉がそれを無視するような状態に陥っていた。厨房では、よぼよぼしたじーさんが一生懸命カツを揚げている。このじーさんが「黒」さんなんだろうか。よくわからん。でもいいや、オレはカツが喰いたいのだ。ロースカツ定食を頼む。あ。しまった。隣でマイナーそうな雑誌を見ながらなにやらアングラな話題をさっきからペラペラと話しつづけている四十代のカップルが食べているカツを見て、呆れるほどの悔恨の念にかられてしまった。オレが悔いたかったのはカツだけじゃない。キャベツの千切りにソースをどぼどぼっとぶっかけて、まずはカツだけを食べてキャベツはそのまま皿の上でしばし放置し、すべてのカツを喰い終えたところで、一気にキャベツの山を征服するかのごとくムッシャラムッシャラとほおばってやろうかと思っていたのにだ、ここ「黒」のキャベツは少なく、おまけに最初からあのよぼよぼしたじーさんが人に好みも聞かずにいい加減な味わいのサウザンドレッシングをしょぼしょぼとかけてくれちゃうのだ。夢半ば、敗れ去る高校球児のような気持ちになるが、いやオレにはまだカツがあるさ、きっとロースがオレの欲求を満たしてくれるのさと思い込むのもつかの間、じーさんのしわくちゃな手で運ばれたカツには、化学調味料をたっぷりサービス満点にきかせてくれちゃったソースが、あらかじめ揚げたてのロースカツに、これまたサービス過剰じゃないのってなくらいにたっぷりと、そりゃもう「たっぷりと」以外の形容はないよってなくらいにたっぷりと、かけられていたのであった。
 ぼくは化学調味料がダメなのだ。
 もう二度と来るまいと強くこころに誓いつつ、店を出る。でも、カツもキャベツも残さなかった。だって、もったいないもん。
 
 帰社後、O社ウェブサイトのデザインチェックと納品。夜に代理店からの赤字が戻るという寸法だ。夕方、開いた時間を利用して近所にある皮膚科へ。最近、急に発病(というのだろうか)した金属アレルギー、直るのかどうか聞きたかったのだ。答えは「NO」。一度症状が出たら、多くの場合直らないのだそうだ。アレルギーの出やすい金属の種類や予防法などを教えていただく。あーあ、一生こんなのとつきあわなきゃいけないのか。
 
 二十一時、O社ウェブサイトのデザイン赤字着。デザイナーO氏と0時過ぎまであれこれやりとりをして、なんとか満足行くデザインに仕上げる。一段落したところで帰宅。
 
 録画しておいた「東京庭付き一戸建て」の最終回を見る。いやー、物語の予定調和。想像した通りのオチだわさ。近年まれに見る、ホームコメディの王道ドラマだったな。
 
「西ひがし」。バトパハでウダウダする光晴。妄想まで広がっていく。ありゃまあ。
「官能小説家」。いよいよ最終章「グッド・バイ」。って、大宰じゃんか。
 
 
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9月3日(火)
「早起き合戦/高橋愛ちゃん/ナンセンスな状況とマジな苦悩」

 
 五時三十分、起床。花子に起こされる前に、先手を打ってやった。くっくっく。花子はカーテンから漏れる朝日にうすぼんやりと照らされながらリビングのカーペットのうえに、コロリと寝転がっていた。眠っているのか、と思ったら、目だけはバッチリ開いていて、カッとした目つきでこっちをにらみかえす。くやしいから、すぐにごはんをあげないで便所に行き、ちょっとじらしてやった。くっくっく。便所から出ると、花子め、ぼくをドアの前で待っているじゃないか。はいはい、ごはんは今あげるからね。トリたちも目を覚ましたらしい。ギャーギャーと鳴きわめきだしたので、鳥籠にかけておいた風呂敷を取ってやった。鳥たちもカーテン越しの朝日にぼんやりと照らされ、中途半端な逆行になって、寝ぼけ眼のぼくには薄黒いトリのかたちをしたなにかがちょこまかとせわしなく動いているように見えた。眠いので二度寝する。いつものことだが。
 
 七時五十分起床。今日も暑い。日課の体操を済ませたら、汗が止まらなくなった。服を着ているのがイヤになったので、全裸で朝食を摂った。あ、猿股は穿いていたが。
 
 九時、出勤。O社ウェブサイトのデザインチェック、N社アドトレインなどに集中。
 
 一部混乱している仕事もあるのだが、自分にできることはない状態だ。デザイナーのOさんにすべてを託し、二十時に帰宅する。
 
 テレビ東京「なんでも鑑定団」。最近は骨董の珍妙なものかホビー系しか出ない。絵画や彫刻がみたいなあ。つづいて「MUSIX」。モー娘。はごっつぁんとチャーミーしか出ていない。なっちは不在か。残念。第5期メンバー+辻加護によるチアリーディングのドキュメントが気になる。というより、高橋愛ちゃんのダンスのうまさが気になる。5期のなかでは、この子が抜きんでた感じがするが、一般の評価はどうなんだろう。
 
「官能小説家」。笑わずにはいられないほどにナンセンスな状況をつうじて、自己の苦痛を表現する、ということなのかな。
 
  
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9月2日(月)
「花子に三文/まどろみのような/海南チキンライス」

 
 くそ。週末め。全然休んだ気がしない。いや、休みではなかった。仕事のためのお勉強だったのだから、仕事だ。でも土日だ。土日はふつうは働かない。それが決まりなのだ。たぶん。大多数の人にとっては。でも、けっこう働くことって多いよな。だからといって、休まないのはやっぱりよくないぞ。でも休んでたら仕事溜まっちゃってたいへんな思いするハメになるから。仕事仕事仕事。
 
 花子に四時十七分に起こされる。花子よ、「早起きは三文の得」ということばがあるが、オマエが三文トクしてどうする。使うのか。なにを買う。まぐろか。かつおぶしか。ったく。
 
 七時。また起こされる。がシカトを決めこむことにする。まどろんでいるような、いやそんな気持ちいい状態ではなく、むしろ睡眠とレム睡眠のアンバランスさが生み出した、呑気さと強迫観念の入りまじった、ドロドロした精神状態というか無意識状態というか、よくわからない感覚のなかであららーと思いつつねっ転がっていた目覚ましが鳴った。七時五十分。
 
 八時。「ズームイン」で田中康夫氏再選のニュースを知る。ふうん。文学ってスッゲエなあ、だって、都知事とか県知事になれるんだぜ。
 
 九時、事務所へ。O社ウェブサイト企画、N社アドトレイン企画など。E社のNさんより、丸ビルのアドトレインの写真を画像データで送っていただいた。ふーむ。やっぱり、こうなるよなあ。あの統一感。しかし、ぼくが考えているのはこうではないんだよな。それがクライアントの望み。どうしたら、叶えられるか。もう三日も悩みつづけている。ハゲそうだ。
「海南チキンライス 夢飯」で夕食。引きつづきアドトレイン企画。二十三時三十分、想像力に限界を感じ、退社。
 
「官能小説家」。林太郎と夏子の情事。ちょっと気になる箇所があったので引用。

 見て。
 夏子は繰り返しいった。
 もし完全な信頼があるとすればいまだった。もし完全な放棄があるとすればそれもいまだった。夏子は完全に無防備のまま林太郎の腕の中に、林太郎のすぐ目の前にいた。これほどまでに近くにいても、結局、距離が無になることはないのである。だが、それこそが希望の証だった。人は自分自身を愛することはできないが、他人を愛することはできる。それは、そこに埋めることのできない距離が存在しているからなのだ。
 世界の前で無にひとしいぼくたちは、ついにその世界の秘密にたどり着くことはできないだろう。そのことによって、ぼくたちは永遠に孤独なまま死んでゆくだろう。だが、ぼくたちはそれでも希望を棄てないだろう。なぜなら、ぼくたちには官能と言葉があって、それは無為に死んでゆくぼくたちに世界から差し向けられた慈悲、いや一つの奇蹟なのだ。


 たぶん、この部分がこの小説の核心のひとつなんだと思う。「〜のひとつ」と書いたのは、それだけがテーマではないからだ。源一郎氏は、そういう作家である。 
 
 
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9月1日(日)
「冷える躰/得るもの少なし/光晴とアヘン」

 
 熱帯夜という自覚はない。しかし、蒸し暑くてなかなか寝つけない夜がつづく。エアコンに頼るのは健康管理上あまりよくないのかもしれないが、やはり気温と湿度に苦しめられて睡眠不足に陥るのはまっぴらごめん、というわけで、一晩中冷房はきかせっぱなしだ。そのせいだろう、今朝は躰が冷えきり、おまけにだるい。
 
 十時起床。十二時、外出。昨日のライターセミナーの二日目だ。今日は得るものが少なかった。自分に必要なものはなんなのか、自分はなにを考えてことばをつづるべきなのかを再確認できた点だけはよかったと思う。
 
 夕食はクリームソースのスパとまぐろサラダ。花子が大騒ぎした。ヤツはまぐろに目がない。
 
「官能小説家」。家庭という場の違和と安堵。妄想と嫉妬。愛欲。うーん、列挙するとこの小説のテーマがみえてくるなあ。でも、これってやっぱり近代文学が繰り返し扱いつづけてきたことといっしょだな。まあ、そういう小説ではあるのだが。
「西ひがし」。シンガポールで、ひとりの中国人の女と日本語で話すことで、日本人であることを意識し、少しだけ望郷の念にかられる光晴。その一方で、強まる中国人の排日感情から、世界という視点から見た日本人についても意識せざるをえない状況となっている。それからアヘン中毒者の描写。カラリとした悲惨さ。いや、悲壮といったほうが的確かな。カラリとしているのは、アヘン中毒者が自ら望んでアヘンを摂取し、アヘンの存在を肯定し、いやむしろアヘンの正当性すら語ろうとしているからだろう。この時期、光晴がアヘンの誘惑になにも感じなかったというのは奇跡に近い。

 



《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。妻は本サイトでおなじみのイラストレーター・梶原美穂。夏休みが満足にとれず、ちょっとストレス溜まり気味。

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